「スター・ウォーズ」は何故《ハリウッド・ルネサンス》と呼ばれたのか?
1960年代から70年代前半にかけ、アメリカは混乱と激動の時代にあった。米ソ冷戦下にキューバ危機があり、ケネディ暗殺、マーティン・ルーサー・キングを指導者とするアフリカ系アメリカ人の公民権運動、キング牧師やマルコムXの暗殺、ベトナム戦争の泥沼化と反戦運動、コロンビア大学などで勃発した学園紛争(いちご白書)、ヒッピー・ムーブメントとウッドストック・フェスティバル(カウンターカルチャーの台頭)がそれを象徴する出来事だろう。国民は自信を喪失し、将来に明るい夢を見れなくなった。
映画の世界ではフランス・ヌーベルバーグ(新しい波)の影響を受けて、1960年代後半に《アメリカン・ニューシネマ》New Hollywoodというムーブメントが発生した。「俺たちに明日はない」「卒業」(以上1967)、「ワイルドバンチ」(1968)、「イージー・ライダー」「明日に向かって撃て」「真夜中のカーボーイ」(以上1969)などがその代表作である。反体制的な若者が巨大な権力に対し敢然と闘いを挑むが、最後には圧殺されるか、あるいは個人の無力さを思い知らされるという物語が多かった。描写は暴力的となり、血飛沫やセックス(裸身)も描かれるようになった。これは1934年から実施されてたヘイズ・コード(映画製作倫理規定)が1968年に廃止された影響も大きい。ヘイズ・コードの詳細についてはこちらをご覧あれ。《アメリカン・ニューシネマ》は低予算で、セットを組まず殆どがロケで済まされた。屋外で手軽に使用できる撮影機材の開発がそれを可能にした。16mmフィルムを用いた自主映画、アンダーグラウンド(アングラ)・ムービーも盛んになった。そこには赤裸々なリアル(現実)が写し出された。
1930-50年代のハリウッド黄金期、映画は基本的にスタジオ内で撮影され(オープンセットを含む)、屋外シーンはスクリーン・プロセスによる合成で済まされた(例えばヒッチコック映画などもそう)。
上の写真を見れば当時、手持ちカメラで気軽にロケというわけにはいかなかった事情がお分かり頂けるだろう。
《アメリカン・ニューシネマ》で映像作家たちは表現の自由を得たが、その代償として従来の大手スタジオによる整然とした製作システムは瓦解した(映画産業衰退の最大の原因は一般家庭へのテレビの普及である)。1966年にはウォルト・ディズニーが亡くなり、ディズニー・スタジオも長期低迷期に入った。出来がよく構成がしっかりした(well-made)ハリウッド映画は一度死に絶え、スクラップ・アンド・ビルドの戦国時代に突入したと言ってもいいだろう。
そこに登場したのが「ゴッドファーザー」(1972)のフランシス・フォード・コッポラであり、「ジョーズ」(1975)のスティーヴン・スピルバーグや「スター・ウォーズ(エピソード4)」(1977)のジョージ・ルーカスであった。彼らは《ハリウッド・ルネサンス》Hollywood Renaissanceの申し子と呼ばれた。
「スター・ウォーズ(エピソード4)」はどうして《ハリウッド・ルネサンス》なのか?詳しく説明しよう。
ジョージ・ルーカスはハリウッド黄金時代の冒険活劇再興を目指した。例えば映画冒頭、前説の文字が遠近法で画面奥の方に消えていく手法はセシル・B・デミル監督の西部劇「平原児」(1936)の再現である。
写真上が「平原児」、動画はこちら。下が「スター・ウォーズ」である。モス・アイズリー(惑星タトゥイーンの巨大宇宙港都市)の酒場にたむろする連中も完全に西部劇に登場する「ならず者」だしね。
またデス・スター内部でルークがレイアを抱きかかえ、ロープにぶら下がって逃げるというアクション・シーンがあるが、これはジョニー・ワイズミラー主演「類人猿ターザン」(1932)へのオマージュでもあるし、エロール・フリンが主演した一連の海賊映画(「シー・ホーク」1940、「海賊ブラッド」1935)への敬意の表明でもある。
ここでジョン・ウィリアムズの音楽へ目を移してみよう。「スター・ウォーズ」のメインテーマはエーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトが作曲した「嵐の青春(Kings Row)」(1942)や「シー・ホーク」そっくりである(試しにStar WarsとKings Rowを聴き比べてみてください→こちら!)。実は「海賊ブラッド」も含め、エロール・フリンが主演した映画の多くはコルンゴルトが音楽を担当しており、「スター・ウォーズ」の音楽そのものがコルンゴルトやフリンへのオマージュを高らかに奏でているのだ。ウィーンで幼少期を過ごしオペラの作曲家としても名を馳せたコルンゴルトはワーグナーが考案したライトモティーフ(示導動機)の手法を映画に持ち込んだ。そのひそみに倣い、ジョン・ウィリアムズも「スター・ウォーズ」のために数多くのライトモティーフを用意した。ルーク(=ジェダイの騎士、フォース)、レイア、ダース・ベイダー、ヨーダ、ミレニアム・ファルコン号、イウォーク、アナキン、ダース・モール、「フォースの覚醒」ではレイ、レン、スノーク、反乱軍など各々にモティーフ(テーマ)が与えられており、それらが複雑に絡み合って壮大な世界を形成する。「スター・ウォーズ」は神話であるが、音楽もワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」を踏襲しているわけだ。詳しくは下記記事をご参照あれ。
さらに「スター・ウォーズ エピソード1」のポッド・レースは「ベン・ハー」(1959)における戦車競争の場面へのオマージュであり、ジョン・ウィリアムズの音楽もここでは意図的にミクロス・ローザ(ハンガリー式に表記するとロージャ・ミクローシュ)が作曲した「ベン・ハー」そっくりに仕上げられていることを追記しておく。
上の写真2枚が「ベン・ハー」の戦車競走であり、下2枚がポッド・レース。
「スター・ウォーズ(エピソード4)」でアルフレッド・ニューマンによる「20世紀フォックス・ファンファーレ」が久々に復活したことも見逃せない。これは1935年に作曲され、「20世紀フォックス」のロゴと共にスネアドラムの軽快なリズムで始まるのだが、一時期このファンファーレが流れず、オープニングロゴが無音のまま映し出される状態となっていたのである。
次に「スター・ウォーズ」への黒澤映画からの影響に言及しよう。ルーカスが黒澤明の大ファンであることはあまりにも有名で、「影武者」(1980)海外版プロデューサーはフランシス・フォード・コッポラとジョージ・ルーカスが務めた。余談だが黒澤の「夢」(1990)は日本国内で出資者が見つからなかったためにスティーヴン・スピルバーグに脚本を送り、彼がワーナー・ブラザーズへ働きかけたおかげで製作が実現したという経緯がある。《ハリウッド・ルネサンス》の立役者、揃い踏みである。因みに「夢」にはマーティン・スコセッシ監督がゴッホ役で出演している。
話を「スター・ウォーズ」に戻そう。ダース・ベイダーのフェイスマスクは明らかに武士の鎧兜を元にデザインされている。ルーク・スカイウォーカーやオビ=ワン(ベン)・ケノービが最初に来ている衣装は柔道着だ(黒澤映画「姿三四郎」1943)。ライトセーバーによる対決は勿論、チャンバラ(剣劇)である。またジェダイ=時代であり、オビ=ワンの名前の由来は「帯」であるとルーカス本人が明言している。彼が当初オビ=ワン役を三船敏郎にオファーし、にべもなく断られたことはよく知られた事実である。またヨーダのモデルは「依田(よだ)さん」という説もあり。詳しくは→こちら。
上の写真は溝口健二監督の最盛期を支えたことで知られる脚本家:依田義賢氏。耳と鼻の形に注目!
C-3POとR2-D2という凸凹コンビの由来は黒澤映画「隠し砦の三悪人」(1958)に登場する百姓の太平(千秋実)と又七(藤原釜足)である。そもそも囚われた姫を救出するという「スター・ウォーズ」のプロットそのものが「隠し砦の三悪人」を踏襲している。因みに宮﨑駿の「ルパン三世 カリオストロの城」(1979)も「隠し砦の三悪人」を下敷きにしており、「スター・ウォーズ(エピソード4)」と同時期に登場したというのが興味深い。
これでご理解頂けただろう。「スター・ウォーズ」シリーズには今は失われてしまった映画黄金期の記憶が「これでもかっ!」というくらい、てんこ盛りに封印されている。新しい技術(VFX)で古(いにしえ)の夢を語る。あくまで虚構(フィクション)にこだわり、現実(リアル)や血なまぐさい場面、あからさまな性的描写はなし(つまりアメリカン・ニューシネマへのアンチテーゼ)。だから《ルネサンス》(フランス語で「再生」「復活」を意味する)なのだ。
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