キネマ旬報ベストワン及び米アカデミー賞外国語映画部門の日本代表に選ばれた「そこのみにて光輝く」は大嫌いな作品で虫酸が走った。しかし、この映画で初めて知った佐藤泰志の小説は何故か読んでみたいという気持ちになった。続けて観た同じ原作者の映画「海炭市叙景」(キネマ旬報ベストテン 第9位)はなかなか味があった。そして佐藤の「移動動物園」を読んで、独特の世界に魅了された。
佐藤泰志はその死後、完全に忘れ去られた作家だった。2008年夏、佐藤の古里・函館のミニシアター「シネマアイリス」の支配人・菅原和博氏は「海炭市叙景」を読み、「この小説を映画で観たい」と想った。そこで北海道・帯広出身の熊切和嘉に打診すると、監督することを快諾。有志による製作実行準備委員会が発足した。映画は2010年に公開され、続けて呉美保監督が綾野剛主演で「そこのみにて光輝く」(2014)を函館で撮った。さらに佐藤泰志原作による「函館三部作」最終章として山下敦弘監督の「オーバー・フェンス」が待機中。オダギリジョー、蒼井優、松田翔太が出演し、2016年に公開予定となっている。
こうした映画公開と連動して、「海炭市叙景」を皮切りに長らく絶版となっていた佐藤の小説が次々と文庫本として出版されるようになり、今やちょっとしたブームとなっている。
佐藤泰志は1949年4月26日生まれ。対して毎年のようにノーベル文学賞候補として話題となる村上春樹は1949年1月12日生まれ。たった3ヶ月しか違わない。完全に同世代である。
佐藤は北海道函館市で幼少期を過ごし、高校3年生(18歳)の時「市街戦の中のジャズメン」で有島青少年文芸賞優秀賞を受賞。小説の中でフリージャズを牽引したサックス奏者オーネット・コールマンについて言及している。二浪の後、國學院大學に合格し20歳で上京。23歳の時に同棲していた彼の恋人(後の妻)は國學院大學を中退し、国分寺のジャズ喫茶に務めた。
村上春樹は京都市に生まれ、生後まもなく兵庫県西宮市夙川に転居。一浪の後、19歳で早稲田大学第一文学部に入学した。上京した時期もほぼ一致している。1970年代初頭にジャズ喫茶「水道橋スウィング」の従業員となり、在学中の1974年(25歳)、国分寺にジャズ喫茶「ピーター・キャット」を開店した。小説中にしばしば洋楽のタイトルが登場するのも両者に共通した特徴である。
村上は1979年「風の歌を聴け」と翌年の「1973年のピンボール」で2度芥川賞候補となったが、受賞には至らなかった。一方、佐藤は1981年「きみの鳥はうたえる」、82年「空の青み」、83年「水晶の腕」並びに「黄金の服」、85年「オーバー・フェンス」で5回芥川賞候補となったが一度も受賞出来ず。88年「そこのみにて光輝く」は三島由紀夫賞と野間文芸新人賞の候補になったが、やはり選考委員から佐藤の名が呼ばれることはなかった。1990年(平成2年)妻子を残して自殺(東京にある自宅近くの植木畑で縊死)、享年41歳だった。
佐藤の死の原因を文学賞が受賞出来なかったことに求める論調をしばしば見かける。しかしそれは完全に間違いだ。作家というのは自殺するものである。ノーベル文学賞を受賞した川端康成(ガス自殺)やヘミングウェイ(ライフルで頭を撃ち抜く)もそう。名誉/栄光を受けたどうかは関係ない。作家はみな孤独であり、自己を見つめ身を削る作業なので気も滅入るだろう。他に例を挙げるなら北村透谷、有島武郎、芥川龍之介、太宰治、火野葦平、
三島由紀夫、江藤淳、森村桂(「天国にいちばん近い島」)、野沢尚(「破線のマリス」で江戸川乱歩賞受賞)らも自死している。
佐藤は1977年に自律神経失調症の診断を受け通院を始め(医者の勧めで始めた運動療法=ランニングを題材に「草の響き」が書かれている)、1979年12月9日には睡眠薬による自殺未遂で入院した(その翌月に長男が誕生している)。81年、作家として生計を立てることを諦め函館市に転居。職業訓練校の建築科に入学するが(この時の体験が「オーバー・フェンス」を産んだ)、「きみの鳥はうたえる」が第86回芥川賞候補作となり、翌年3月に東京に戻る。函館と東京を行き来する人生だった。
佐藤の小説を読んでいて強く感じるのは息が詰まるような閉塞感である。行き止まり。「黄金の服」で主人公はヒューバート・セルビーの《ブルックリン最終出口》を読んでいる。しかし結局、彼がその小説を読み終わることはない。出口なし。「オーバー・フェンス」で主人公は草野球のグラウンドに立ち、はるか遠方に見えるフェンスの向こう側に思いを馳せるが、最後までそれを超えることはない。函館を舞台にした小説の空間も閉じているし、東京を舞台にしていても同じだ。「黄金の服」には《今、必要なのは東京から逃げ出すことだ。》という一節が登場する。しかし、東京を抜けだしたとしても主人公が自由になれるわけではない。この感覚はやはり自殺した落語家・桂枝雀の創作落語(「夢たまご」「春風屋」「山のあなた」)と相通じるところがある。
佐藤が18歳(高校生)の時に書いた「市街戦のジャズメン」を支配しているのは焦燥感である。ここ(函館)に自分の居場所はないという苛立ち。しかし大学卒業後1976年に書かれた「深い夜から」は東京の映画館を舞台にした短編だが、やはり主人公は苛立ち、怒り、その場から逃げ出そうとしている。彼が心の安らぎを得られる場所は何処にもない。
佐藤泰志にあって村上春樹にないもの。それは《昭和の匂い》。登場人物たちは無闇矢鱈(むやみやたら)とタバコを吸い(まるで宮﨑駿の「風立ちぬ」みたいだ)、男は平気で女の顔を殴る。ブルーカラーが多いのも特徴だろう。市井の人々のささやかな日常。村上文学には欠如した要素だ。実際、昭和に書かれた村上の「風の歌を聴け」も「羊をめぐる冒険」も全く昭和を感じさせない。
佐藤の小説を読んでいると気が滅入るのは確かである。しかし何か心に引っかかる、琴線に触れるものがあることも間違いない。そしてそれは、僕が村上春樹の小説から一度も感じたことがない感情なのだ(エッセイスト/翻訳家としての村上の才能は高く評価しているのだが)。ちなみに今まで僕が読んだ村上の小説は「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」「ダンス・ダンス・ダンス」「ノルウェイの森」「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」「ねじまき鳥クロニクル」「少年カフカ」「1Q84」「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」である。
佐藤の死後出版された未完の連作短編集「海炭市叙景」の最後を飾る「しずかな若者」は暗喩に満ちた逸品だ。別荘地でひとり過ごす19歳の大学生が主人公。彼はジャズとジム・ジャームッシュの映画が好き。設定が非常に村上春樹的で、それまで敗者(Loser)のための文学を書き続けてきた佐藤「らしくない」。しかし丘の中腹にある別荘地の上には墓地が広がっており、主人公は来年ここを訪れることはないだろうと考えているー忍び寄る死の影。彼は車に乗り、丘を下ってゆく。周囲は一旦暗くなり、やがて陽だまりに出るという一歩手前で小説はプツンと終わる。僕にはこの《陽のあたる場所》が、村上春樹の世界を象徴しているとしか想えない。佐藤はそこへ必死に手を伸ばすが、結局届かない。花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生だ。生は暗く、死もまた暗い。……彼の小説は痛々しく、そして切ない。
村上春樹と佐藤泰志。同世代でありながら作品の性格は全く異なり、光と影の関係にあると言えるだろう。両者を読み比べ、運命の女神の気まぐれに想いを馳せる時、小説世界はどんどん広がり、多様な色彩を帯びて光り輝くのである。
- 北海道新聞に掲載された佐藤泰志の長女が語る父親像が興味深い→こちら!
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