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2015年9月27日 (日)

映画「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド・オブ・ザ・ワールド」がダメダメな3つの理由(わけ)

評価:C

「怪獣映画なら変わるかも知れない」と樋口真嗣に些かでも期待した僕が馬鹿だった。映画館で「ローレライ」(2005)を観た時から判っていた筈だ。「コイツには映画監督としての才能が一欠片もない」と。

樋口に対する評価がF(不可)で、頑張った特撮陣に対する評価がB+、よって総合でCとした。

公式サイトはこちら

僕はアニメ版「進撃の巨人」を高く評価しているが、その理由の一つに主題歌に英語ではなく、ドイツ語を使用していることを挙げている。

で実写版なのだが、後編には英語の歌が数曲流れる。タイトルも「ATTACK ON TITAN エンド・オブ・ザ・ワールド」だ。何故英語?気取っているだけかよ。

ダメダメな理由

その1)

主演の3人三浦春馬・水原希子・本郷奏多の芝居が酷い。よくもこれだけ大根役者を揃えたものだ。

樋口真嗣が監督した映画「ローレライ」は劇団☆新感線の中島かずきがシナリオを書いている。また樋口は同劇団の舞台「レッツゴー!忍法帖」「阿修羅城の瞳」「髑髏城の七人」などに映像スタッフとして参加している。三浦春馬も新幹線の「ZIPANG PUNK~五右衛門ロックIII」に出演経験がある。つまり「進撃の巨人」の芝居は劇団☆新感線の方法論に即しているのだ。しかし、映画と演劇の演技は違う。そのことを樋口は全く判っていない。唸ったり、叫んだり芝居が大仰過ぎる。長谷川博己も前編では終盤しか出なかったからまだ良かったが、後編の彼の台詞が臭過ぎ。意味不明の白い部屋で気取ってシャンパングラスを差し出す行為も噴飯モノである。な、何なんだコイツ!?開いた口が塞がらなかった。

その2)

編集のセンスに大いに疑問を感じる。アクションと次のアクションを繋ぐテンポが悪く、間延びしている。例えば巨人化したエレンと敵が戦っている時に、カメラが切り替わるとミカサとアルミンがそれをボーッと見ている。お前ら、それでええんか!?このでくのぼうどもめが。外壁修復作戦に従事する兵士たちの行動(リアクション)がどうも鈍いんだよね。阿呆にしか見えない。

その3)

脚本の整合性が取れていない。後編で自らを巨人化出来る人間が数人明らかになるのだが、そしたら前編の作戦自体意味なくない?他人の力を借りなくても問題を解決出来るでしょう。また僕は前編のレビューで「壁を突破する」ことの意義について考察(7つの仮説を提示)したが、「壁に空いた穴をふさぐ」ことに終結する後編は完全な肩透かしであり、問題は何も解決していないし、物語自体が全く意味ねーよ。アダムとイヴがエデンの園に留まってどうする??これでは家畜の安寧・虚偽の繁栄に逆戻りだ。カタルシスがないのである。前編でウジョウジョ侵入してきた巨人たちが後編で完全に鳴りを潜めているのも不自然。「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」をしたかったのは重々理解出来るのだが、いくらなんでもご都合主義だ。巨人が人を食べる理由は最後まで不明だし、映画に登場する「特定知識保護法」も無茶苦茶だ。ヘリコプターや飛行機の製造技術は封印されて、装甲車はO.K.なんてあり得ない。変、変、変!

結局、本作を反面教師として今更ながら「ゴジラ」「サンダ対ガイラ」の本多猪四郎や、平成ガメラシリーズの金子修介、そして「パシフィック・リム」のギレルモ・デル・トロらが如何に怪獣映画監督として優れていたかを思い知らされることとなった次第である。

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