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大植英次/大フィル×ナタリー・シュトゥッツマンのマーラー:交響曲第3番と「ファウスト」の意外な関係

9月17日(木)フェスティバルホールへ。

大植英次/大阪フィルハーモニー交響楽団 with ナタリー・シュトゥッツマン(アルト)で、

  • マーラー:交響曲 第3番

を聴く。共演は他に大阪フィルハーモニー合唱団、大阪すみよし少年少女合唱団。

僕は2012年5月に大植/大フィルで同曲を聴いている。独唱はアネリー・ペーボ。その時のレビューはこちら

前回は100分の大曲を暗譜で指揮した大植だが、今回は目の前にスコアを置いて振った。しかし第1楽章後半でスコアを閉じてしまい、見てるんだか見ていないんだが謎であった。相変わらず愉快な人だ(9月22日追記:今年は大植の師レナード・バーンスタイン没後25年。レニーはカーネギーホールでこの曲を指揮する予定だったが、果たせず死去した。その願いを受けて、大植はレニーのスコアを置いて演奏したとのこと)。

第一部 序奏「牧神(パン)の目覚め」(9本のホルンが第1主題を奏でる) 第1楽章「夏が行進してくる(バッカスの行進)」 :大植のテンポは猫の目のように変わるので、流れがギクシャクしてそれを批判する向きもあるだろう。しかし僕は断固支持する。マーラーの音楽は本質的に支離滅裂であり、歪なのだ。序奏の部分は正に天地創造の混沌を思わせた。ディズニー「ファンタジア」の”春の祭典”の場面が脳裏に浮かぶ。そして曲調が行進曲になるとギリシャ神話の世界が広がる(パンもバッカスもギリシャ神話の登場人物。ディズニー「ファンタジア」なら”田園交響楽”の場面ね)。

第二部 第2楽章「野原の花々が私に語ること」になると一転、音楽は流麗で愛らしくなる(英語で言うとprettyって感じかな)。

第3楽章「森の動物たちが私に語ること」 は戯(おど)けて、マーラーが幼少期を過ごしたボヘミア(チェコ辺境の村カリシュト)の森が描かれる。中間部に舞台裏から聞こえてくるポストホルン(郵便ラッパ)はグスタフ少年の記憶に刻まれた音色なのではないだろうか?甘美なノスタルジーがあった。

第4楽章「夜が私に語ること」 のシュトゥッツマンの声は、まるで地の底から響いてくるような深みがあった。この曲に関して彼女は現在世界最高の歌い手ではないだろうか?鳥肌が立った。

子供たちが加わる純粋無垢な第5楽章「天使たちが私に語ること」を経て、オーケストラのみの第6楽章「愛が私に語ること」へ。音楽はゆったりと波のようにうねり、ひたひたと潮が満ち、やがて歓喜の絶頂に達する。ここで僕がイメージしたのは羊水の中の胎児(羊水と海水の組成成分は似ており、両者の塩分濃度もほぼ一致する。母親の体内には「海」が存在する)。我々がこの世で犯した罪は許され、スター・チャイルドとして生まれ変わる。そう、スタンリー・キューブリック監督「2001年宇宙の旅」ラストシーンの話だ。そこにR.シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」冒頭部が流れると……マーラーの3番に繋がった!

大野和士/京都市交響楽団でこの曲を聴いた時、プレトークで大野が第6楽章についてゲーテの「ファウスト」第2部の最後に登場する「永遠に女性的なるものがわれらを高みへと引き上げ、昇らせてゆく」という詩に呼応しているのだろうと自説を披露した。その時は根拠がピンとこなかったのだが、今回の演奏を聴いて漸く大野の説は正しいという確信を持った。

マーラーは交響曲第8番で「ファウスト」第2部を歌詞として使用している。「ファウスト」第2部は第1部で愛するグレートヒェンを自分の犯した過ちで失い、心身ともに疲れ果てたファウストがアルブス山中の草野で深い眠りにつき、やがて過去の出来事全ての忘却とともに目覚める場面から始まる。これは明らかに交響曲第3番第4楽章の歌詞(ニーチェ「ツァラトゥストラはこう語った」)に呼応している。そして第5楽章でアルトが「私は十戒を破りました」と泣いてイエスに訴えると、イエス(女声合唱)はこう答える。「跪いて神に祈りなさい。常に神だけを愛しなさい。然らば汝は喜びに満ちた天国へ行けるだろう」これはメフィストフェレスに地獄へ連れて行かれそうになったファウストを死んだグレートヒェン(=永遠に女性的なるもの)が救済し、天へと導く場面に繋がるのだ。また「ファウスト」にはギリシャ神話への言及も多々ある。ちなみに「永遠に女性的なるものがわれらを高みへと引き上げ、昇らせてゆく」という詩句はアニメ「魔法少女まどか☆マギカ」にも引用されていることを付記しておく。

3年前の兵庫芸文での大フィルの演奏はホルンの拙さが痛かった。しかしその後首席奏者に高橋将純を迎え、今回は安心して心地よく音楽に身を委ねられた。またポストホルンを吹いた秋月孝之も見事であった。シュトゥッツマンの名唱も併せて、今回は3割増しで良かったと言えるだろう。ただ彼女との共演にビビったのか、第4楽章だけオケのアンサンブルが千々に乱れたのはご愛嬌ということで。

最後に客席のマナーについて。楽章間であちらこちらから飴ちゃんの包みを開くクシャクシャという音が聞こえてきたのだが、次の楽章が始まっても中々それが収まらない。勘弁してよ、短時間で処理出来ないのなら飴舐めるな!咳してくれた方が未だマシだ。

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