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僕のカルト映画/バーブラ・ストライサンドのひとりミュージカル「愛のイエントル」

まず「カルト映画」の定義をしておこう。興行的成功とは無縁で(公開当時話題にならなず)、映画賞とか各種ベストテンに入ることもなく、映画評論家から高い評価を得られなかった。しかし一部に熱狂的ファンを獲得し、後々まで愛されている、そんな作品のことを指す。代表例として「エル・トポ」(1970)や「ロッキー・ホラー・ショー」(1975)、「イレイザーヘッド」(1977)、「ある日どこかで」(1980)、「ブレードランナー」(1982)などが挙げられる。

今回ご紹介したいのは1983年に公開されたハリウッド映画「愛のイエントル」(Yentl)である。

Yentl_

原作はアイザック・バシェヴィス・シンガー(1902-1991)の短編。ポーランド生まれ、イディッシュ(ヘブライ)語で創作活動をする作家として初めてノーベル文学賞を受賞した。

バーブラ・ストライサンドが製作・脚色・監督・主演・歌のひとり5役を務めた。

最初レンタルビデオで観た時は呆れて、開いた口が塞がらなかった。兎に角、最初から最後までバーブラがひとりで歌いまくるのである。相手役を務めたマンディ・パティンキンはロイド=ウエバーのミュージカル「エビータ」(チェ役でトニー賞受賞)やソンドハイムの「Sunday in the Park with George(日曜日にジョージと公園で)」に出演しており、歌える俳優なのに一切歌わせない。前代未聞、驚天動地の《ひとりミュージカル》映画であった。な、何なんだ、これは……。理解の範疇を遥かに超越していた。

20世紀初頭ポーランドのユダヤ人コミュニティの話だが、映画は主にチェコスロバキア(当時)で撮影されている。

女が学問をすることを禁じられた時代。イエントルはそれに逆らい、髪を切って男の格好をして顔見知りの全くいない場所へ行き、神学校(イェシーバー)に入る。彼女は学友アヴィグドルに恋をするがアヴィグドルはハダス(エイミー・アーヴィング)と婚約していた。

Yntl_

でバーブラ演じるイエントル以外に登場する女達は皆、本も読まないバカで何の価値もないという風に描かれている。イエントルはハダスに学ぶことの歓びを教えてあげる。「私が一番」……全てが上から目線なのである。

僕はバーブラが嫌いだった。鼻が大きくて美人とは言い難い。鼻っ柱が強く、生意気な女である。初主演でアカデミー主演女優賞を受賞したミュージカル映画「ファニー・ガール」(1968)も全然面白くないし、取り立てて彼女の演技が優れているとも想わない。彼女演じるファニー・ブライス(ブロードウェイで活躍した喜劇女優)が楽屋の鏡に映る自分の姿に向かって"Hello, gorgeous"と言う有名な場面があるのだが、僕は「なんて驕った奴だ!」と怒り心頭に発した(いや、バーブラはシナリオ通りに喋っているだけなんだけどね)。

しかし、彼女に対する見方は次第に変化していった。

フランク・オズ監督ケビン・クライン主演の映画「イン&アウト」はバーブラ好きの男はゲイであるという偏見ネタがテーマとなっている。仲間の一人が「『愛のイエントル』はクズだ」と口にした途端、激怒した主人公が殴りかかるという場面があり、爆笑ものだった。余談だがこの映画でマイケル・ジャクソンはゲイ好みのスターなのだということも初めて知った。

またアニメ「サウスパーク」シーズン1 第10話「メカ・ストライサンドの大迷惑」ではバーブラが巨大ロボットに変身して世界征服を企む。これを観ながら製作・監督をしたトレイ・パーカーとマット・ストーンは余程彼女のことが好きなんだなぁと感じ入った。後に彼らがブロードウェイに進出し、ミュージカル「ブック・オブ・モルモン」でトニー賞の作品賞・演出賞・脚本賞・楽曲賞など9部門を受賞したことは記憶に新しい。

こういう体験を経て「バーブラって実は愛すべき人だな。だから色々とネタにされるんだ」と考えるようになった。

バーブラは1994年7月ロサンゼルスでのコンサート(客席にスティーヴン・スピルバーグの姿もあった)で、「愛のイエントル」から数曲歌っている。最後の"A Piece Of Sky"では映画のフィルムが上映され、彼女は自分自身とデュエットするのである。このシーンにはバーブラが歌いながらまず右を向き、次に左、そして正面を向いて最後のフレーズを絶唱するのだが(動画は→こちら)、ステージ上の彼女も同じ動きで見得を切る。聴衆は熱狂し、拍手喝采、それをWOWOWで観ていた僕は大爆笑だった。バーブラ、どこまで自分が好きなんだ!

1999年12月31日、ラス・ヴェガスのMGMグランド・ホテルからスタートし、2000年にかけて行われたTimeless Tourでは15歳の人気シンガー、ローレン・フロストが登場、バーブラの幼少期を演じた。このコンサートでも"A Piece Of Sky"のフィルムが上映され、今度は”例の場面”をフィルムのバーブラ、ステージ上のバーブラ、そしてローレンちゃんの3人で再現。目が点になった。「バーブラが増殖している!!」(衝撃の動画は→こちら

「イエントル」の最後に次のような献辞が登場する。「この映画を私の父と、私たちの父たちに捧げる」"Our Fathers"は当然、映画の観客の父親たちという意味もあるだろうし、ユダヤ民族の祖先という意味も含まれるだろう。

バーブラは1942年にニューヨークのブルックリンで生まれた。父方はポーランド系ユダヤ人であり、母方はロシア系ユダヤ人だった。父親は彼女が生後わずか15ヶ月のときに亡くなり、母の再婚相手とは上手く行かなかった。高校卒業してデビュー以来、50年以上故郷に帰っていない。「育ったときはそこ(ブルックリン)が嫌いだった」とは彼女の弁。そして2012年10月、漸く地元で初コンサートを行った(Back To Brooklyn)。

「愛のイエントル」の素晴らしさは楽曲の魅力に尽きる。本作でアカデミー賞を受賞したミシェル・ルグランの音楽は冴えに冴えている。彼の作品では「シェルブールの雨傘」「ロシュフォールの恋人たち」「華麗なる賭け」に匹敵する、最高傑作の一つであろう。アラン&マリリン・バーグマン夫妻による歌詞も卓越している(他に「華麗なる賭け」の”風のささやき”や「追憶」"The Way We Were" が有名)僕が所持している北米版ディレクターズ・カットDVDには本編で使用されなかったナンバー(楽曲)が2曲収録されているが、それらもいい。不採用が勿体ないくらい。舞台ミュージカル化(勿論、複数人が歌う仕様で!)を切に希望する。「ベルサイユのばら」みたいな男装の麗人の話だから、宝塚歌劇にも合うと想うんだよね。

スピルバーグはイエントルを傑作と賞賛した。彼は映画公開の2年後に本作に出演したエイミー・アーヴィングと結婚したのだが(5年目に破局)、そのことと何か関係があるのだろうか?

考えてみれば「愛のイエントル」が製作された1983年当時、女性映画監督や女性舞台演出家というのは極めて稀だった。スタジオもバーブラが監督することに乗り気ではなかったという。しかし今や、ブロードウェイでは「ライオンキング」のジュ リー・テイモアや「コンタクト」「プロデューサーズ」のスーザン・ストローマンがトニー賞のミュージカル演出賞を受賞。映画でも「ハート・ロッカー」のキャスリン・ビグローがアカデミー監督賞を受賞し、アンジェリーナ・ジョリーも数本の映画監督を務めている。そして、その先駆者として道を切り開いたのがバーブラだったのである。彼女の生き様はイエントルの姿に重なる。

ただ残念なことに「愛のイエントル」の日本語字幕付ビデオは流通したが、DVDは日本未発売なんだよね。まぁ、そこがカルト映画たる所以でもあるのだが。この奇っ怪で突っ込みどころの多い珍品が、より多くの人々の目に触れることを大いに希望する。それからバーブラの来日コンサートが、一度も実現していないことを最後に付記しておく。日本ではどうも人気がないんだよね。

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