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2015年8月

2015年8月31日 (月)

北翔海莉 主演/宝塚星組「ガイズ&ドールズ」

8月30日(日)宝塚大劇場へ。底抜けに明るいブロードウェイ・ミュージカル「ガイズ&ドールズ」を観劇。

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出演は北翔海莉妃海風紅ゆずる礼真琴 ほか。

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このミュージカルは1950年にブロードウェイで初演され、宝塚では1984年大地真央、黒木瞳らの月組、2002年には紫吹淳、映美くらららの月組で上演された。大地真央による初演は大評判となり、長らく「再演希望が多い作品」の筆頭に挙げられてきた。しかし実現までに28年間の長きを要した。これについて「大地が自分のイメージを崩されたくないから版権を買い取り、別人にさせないようにしている」などといったまことしやかな噂が飛び交っていたことを懐かしく想い出す。

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ニューヨークで映画を撮り続けているウディ・アレンは「僕が考える最も優れたブロードウェイ・ミュージカルは 『マイ・フェア・レディ』『ザ・ミュージック・マン』そして 『ガイズ・アンド・ドールズ(野郎どもと女たち)』さ」と語っている。

僕は2002年月組公演を観ているのだが、このミュージカルの魅力がさっぱり判らなかった。古臭いし、男二人が女の尻に敷かれて終わる話なので粋じゃない。宝塚向けじゃないと想った。スカイを演じた紫吹淳にも問題があったのだろう。格好よくないし、歌が下手。で、ネイサンが誰だったかすっかり記憶が飛んでいた。調べてみて漸く想い出した……大和悠河。歌は壊滅的、何の取り柄もなかった。サラ役の映美くららは色気がなくてイマイチ。結局、印象に残ったのはアデレイド役:霧矢大夢の達者さだけだった。

ところが今回、久しぶりに再見して驚いた。むちゃくちゃ面白いのである。鳥肌が立って、最後には涙がこぼれそうになった。このミュージカルは宝塚で上演されるために生まれてきたのでは?と錯覚するくらいだった。

北翔海莉の容姿には華がないが、帽子のかぶり方、足捌き、立ち姿などがピタッと決まっていて、格好いい。男役の美学ここに極まれりという感じ。また歌唱がべらぼうに上手い。聴き惚れた。宝塚が「歌劇団」であったことを久しぶりに想い出した。

紅ゆずるも芸達者だし、北翔と息がピタッと合っている。また彼女は指が長くて手先の動きが美しい。見惚れた。

妃海風にはしっかり色気があった。歌も◯。

礼真琴は以前、バウホールで主演した「かもめ」を観ている(感想はこちら)。宝塚の男役が女役を演ると、「オカマ」にしか見えないことがしばしばある。男役の所作が染み付いていて抜けないのだ。歩き方とかドレス捌きが雑なんだよね。「ME AND MY GIRL」でジャッキーを演じた真琴つばさとか「エリザベート」のタイトル・ロールを演じた瀬奈じゅんなどがその典型だろう。ところが!礼真琴は唖然とするほど完璧だった。目が大きくてすごい美人だし、兎に角可愛いアデレイドに胸キュンだった。

これだけ役者のアンサンブルが見事な「ガイズ&ドールズ」には今後50年くらいお目にかかれないのではないだろうか?必見!

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2015年8月28日 (金)

2015年全日本吹奏楽コンクール(高校の部)注目ポイント!

今年の全日本吹奏楽コンクール(高校の部)は面白くなりそうだ。

九州地区代表に選ばれたのは福岡工業大学付属城東高等学校(福岡)、玉名女子高等学校(熊本)、活水中学校・高等学校(長崎県)。常勝だった精華女子ダメ金金賞だが代表に選ばれず)に終わった。今年3月に藤重佳久先生が退任されたからである。今まで全く無名で彗星の如く現れた活水高校は、なんと4月から藤重先生が赴任された先で、そのわずか4ヶ月後には長崎県代表に選ばれてトントン拍子に全国まで駒を進めたのである。詳しくは→こちらの記事をご覧あれ。この快挙は「吹奏楽の神様」屋比久勲先生が福工大付城東高から鹿児島情報高等学校に移られて、瞬く間に全国大会出場に至った経緯に似ている。因みに屋比久先生は鹿児島情報高も退官され、情報高は今年鹿児島県大会ダメ金止まりだった(屋比久先生は現在、九州情報大学教授)。

活水高校の自由曲はC.T.スミスの「ルイ・ブルジョアの賛歌による変奏曲」。精華女子時代、藤重先生が全国大会で金賞を受賞した曲であり、これはひょっとしたらひょっとするかも知れない。予言しておくが来年の活水高校の自由曲はC.T.スミス「華麗なる舞曲」か「フェスティヴァル・ヴァリエーションズ」、あるいはスパーク「宇宙の音楽」のうち、どれかが選ばれるだろう(いずれも精華女子金賞受賞曲)。

畠田貴生先生率いる東海大学付属高輪台高等学校吹奏楽部(東京都)は今年、自由曲にブルックナーの交響曲第8番を選んだ。

驚天動地である。僕はブルックナーの交響曲を00番、0番を含め全曲生演奏で聴いたことがあるが、吹奏楽には合わないんじゃないかな?チャイコフスキーの管弦楽曲同様、弦の響きが重要だからである。管楽器だけだとその魅力が半減してしまうのだ(推定で40%くらい)。チャイコフスキーは吹奏楽コンクールで金賞が取れないことで有名で、昨年は高輪台が「白鳥の湖」で、そして石津谷治法先生率いる習志野市立習志野高等学校が「眠りの森の美女」で果敢に挑んだが、どちらも銀賞に終わっている。下手すると銅賞の危険性さえあるブルックナーを選んだことについて、畠田先生のコメントは→こちら。いいね!生徒達も納得した上で、「たとえ金賞が取れなくても自分たちのやりたい曲をやる」というその覚悟と心意気に惚れた。畠田先生は果たして風車に猪突猛進するドン・キホーテなのか、はたまた奇跡を生む魔術師フーディーニなのか?大いに注目したい。

さて、今年の関西吹奏楽コンクール代表は

  • 淀川工科高等学校(課題曲2/自由曲 大阪俗謡による幻想曲)
  • 大阪桐蔭高等学校(課題曲2/自由曲 歌劇「蝶々夫人」より)
  • 明浄学院高等学校(課題曲2/自由曲 トリトン・エムファシス)

3校とも大阪府で、全て課題曲2 マーチ「春の道を歩こう」(佐藤邦宏)を選択しているのも面白い。

淀工丸谷明夫先生(以下「丸ちゃん」と呼ぶ)は最近、自由曲を「大阪俗謡」と「ダフニスとクロエ」の2曲ローテーションで回しており、全国で金賞を受賞するのは300%確実である。そんなことはサルでもわかる。

びっくりしたのは大阪桐蔭梅田隆司先生が「蝶々夫人」(編曲:後藤 洋)を選ばれたことである。吹奏楽コンクールのデータベースを調べてみよう。実は過去、全国大会で「蝶々夫人」を演奏した団体のうち、三重県の中学校が2校金賞を受賞しているが(いずれも指揮は中山かほり先生)、高校は1校もないのである。一方、同じプッチーニの「トゥーランドット」では中学校が6校、高校が5校金賞を受賞している。その違いは何か?答えは明白、難易度の差である。平易なメロディが多い「蝶々夫人」と比べ、「トゥーランドット」の方がはるかに複雑だ。そういう曲のほうが審査員に好まれるというのが歴然たる事実なのである。ただ梅田先生は大変「歌心」のある指揮者なので、桐蔭の本番の演奏に期待したい。今からワクワクするね!

「2曲ローテーション」という手法は、確実に全国でが取れるし、生徒達を絶対悲しませたくないという気持ちも理解出来る。僕は丸ちゃんの指揮で「アルメニアンダンス」を吹いた経験もあるし、指導者として深く尊敬している。ただ、全国の先生たちが丸ちゃんのマネをし始めたら困った事態になる。吹奏楽コンクールは聴いていて詰まらなくなるし、そもそもそれでは吹奏楽の発展や未来はない。冒険者(Adventurer)や、挑戦者(Challenger)は絶対必要なのだ。畠田先生、頑張ってください。それからいつの日か、大阪桐蔭が全国大会でミュージカル作品に取り組む姿も見たい。

最後に、丸ちゃんが全日本吹奏楽連盟会長に就任後、コンクールの3出休みがなくなってしまったけれど、あれはどう考えても制度の改悪である。同じ学校ばかり全国に進出するのではなく、3出休みを復活させてもっと多くの団体にチャンスをあげてください。

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2015年8月26日 (水)

怪優ジェイク・ギレンホールが夜のLAを徘徊する!〜映画「ネットワーク」×「タクシードライバー」=「ナイトクローラー」

評価:A+

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「ナイトクローラー」は約2時間、悪夢の中をさまよい続けているような感覚に襲われる、おぞましい映画である。報道ニュース専門のパパラッチ(フリーランスのカメラマン)の物語。視聴率競争に踊らされるテレビ業界人の狂騒を描き、パディ・チャイエフスキーがアカデミー脚本賞を受賞したシドニー・ルメット監督の映画「ネットワーク」(1976)と、カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した、ポール・シュレイダー脚本、マーティン・スコセッシ監督の「タクシードライバー」(1976)を掛け合わしたような作品。むしろ本作を観ると、「タクシードライバー」の方が真っ当なんじゃないかと錯覚するくらい、狂っている。主人公ルーは人々の絶望を食い物にするモンスターである。「タクシードライバー」のトラヴィスの頭がいかれてしまうのはベトナム戦争が原因だが、ルーの場合は若者の貧困という社会構造であり、刺激を求めて要求がエスカレートしていく世間の風潮に元凶がある。

公式サイトはこちら

脚本家として活躍するダン・ギルロイの初監督作品。アカデミー脚本賞にノミネートされたシナリオは練りに練られている。ハラハラ・ドキドキしながら、観ていてときめいた。こういうタイプの作品には滅多にお目にかかれるもんじゃない。

プロデューサーも兼任した主演のジェイク・ギレンホールは2ヶ月掛けて12Kg減量したそうで、「痩せこけたハイエナ」のイメージを的確に表現している。落ち窪んだ眼窩から大きな目がギョロリと覗いている。飢えた獣の不気味さ。こいつ、マジやばいぜ!!

僕はジェイクが10歳の時のデビュー作「シティ・スリッカーズ」から映画館で観ていて、18歳の主演作「遠い空の向こうで」なんかは青春映画の大傑作だと想っているのだけれど、いつから彼はこんな怪優になったのか!?思い返せば「ゾディアック」(2007)の頃からその兆しはあった。「プリズナーズ」(2013)のロキ刑事もダークで印象深かったなぁ。今やピーター・カッシング、ヴィンセント・プライス、クリストファー・リー、岸田森などの系譜に連なる怪優列伝に加えてもいい。天晴である。彼の今後の活躍が愉しみだ。

研修期間(インターンシップ)という名目により無償で働かされ、消耗品としてボロ布のように使い捨てされる若者たち。この悲劇的状況はアメリカだけに限ったことではないだろう。必見。

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「任務遂行不可能/ならず者軍団」(ミッション:インポッシブル ローグ・ネイション)

評価:A-

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映画公式サイトはこちら

5作目となるこのシリーズ、毎回監督が違うというのが面白い。しかし一定の水準を保っているのだからさすがだ。トム・クルーズの力量なのだろう。

当初はトムの派手なアクションばかり目立ち、チーム・プレイ感が薄かったのだけれど(007とどこが違うの?)、J.J. エイブラムスが監督した3作目くらいから漸く「スパイ大作戦」らしくなってきた(J.J. は4・5作でもプロデューサーとして名を連ねている)。

今回は3作目から登場しているベンジー(サイモン・ペッグ)に焦点が当てられている。

脚本・監督を兼任したクリストファー・マッカリーの手腕は大したものだ。定番のカー・チェイスや、畳み掛けるように続くバイク・チェイスも大迫力だし、水中での不可能任務で醸し出す緊張感も上手い。

ウィーン国立歌劇場を貸し切ってのロケにもびっくりしたが、ここで展開されるプッチーニのオペラ「トゥーランドット」(演奏するのはウィーン国立歌劇場管弦楽団=ウィーン・フィルの楽員)上演中の暗殺計画は明らかにアルフレッド・ヒッチコック監督「知りすぎていた男」(1955)へのオマージュである。「知りすぎていた男」は政府要人をコンサートでシンバルの音に合わせて銃殺しようとする物語だが、「ローグ・ネイション」ではテノールのアリア”誰も寝てはならぬ”最後の最高音H(=シ。ルチアーノ・パヴァロッティが得意としたハイCの半音下)がきっかけとなる。アルト・フルートを改造銃にして持ち込むというアイディアも秀逸。ただ60年前ならともかく、現代ではサイレンサー(消音器)を使用しているわけだから、音のカモフラージュは本当に必要だろうか?と疑問を感じた。実際、トムはそのタイミングより早く発砲するが、捕まらずに会場を去るわけだし。

以降、ヒロインが登場するたびに”誰も寝てはならぬ”の旋律が登場するのが洒落ている(ミステリアスなヒロイン像とトゥーランドット姫の3つの謎掛けが重ね合わされている)。それから今回の音楽はシリーズ中、一番ラロ・シフリンのテーマ曲(とそのバリエーション)を多用しているのではないだろうか?如何にも「スパイ大作戦」という雰囲気が出ていて良かった。

ロンドンの中古レコード店に登場する金髪の連絡員(ハーマイオニー・コーフィールド)が凄く可愛かったのに、あっさり殺されてしまったので唖然とした。もう一寸彼女の活躍を観たかった。で真のヒロインはスウェーデン女優レベッカ・ファーガソン。大人の女という感じで格好良かった。スウェーデンといえばグレタ・ガルボやイングリッド・バーグマンを輩出しており、美人の産地だね。

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2015年8月25日 (火)

ミュージカル「レ・ミゼラブル」 2015@大阪公演

梅田芸術劇場でミュージカル「レ・ミゼラブル」を2回観劇。

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上記事にも書いたのだが、僕が初めてこの舞台を観たのが1994年、その時はまだ梅田芸術劇場ではなく、「劇場飛天」だった。あれから21年。「こんな貧乏臭い左翼ミュージカルなんか嫌いだ!」とか言いながら、通算9回観劇したことになる。初代ジャン・バルジャンで、映画では司教役で出演したコルム・ウィルキンソンのコンサートにも足を運んだし……。なんと僕が一番大好きなミュージカル「オペラ座の怪人」の鑑賞回数7回を遂に超えてしまった。これは少々言い訳をしておくと、劇団四季の「オペラ座」はリピートする気になれないんだよね。東京以外はカラオケ上演だし、キャストも選べないから。因みに7回中3回はウエストエンド(ロンドン)、ブロードウェイ(ニューヨーク)、ラスベガスでの鑑賞である。なお、僕が一番沢山観ているミュージカルは「エリザベート」で、ウィーン版・東宝版・宝塚版(大劇場&ガラ・コンサート)を併せて14回となる。閑話休題。

さて、8月16日(日)のキャスト。

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続いて8月22日(土)のキャスト。

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なるべく配役に重複がないよう選んだ。眺めていて初めて気が付いたのだが、リトル・コゼットとリトル・エポニーヌって役替りしているんだ!

ジャン・バルジャンの福井晶一は冒頭で獣性をむき出しにして、激しい演技で中々良かった。ただ高音は少々辛そうだった。逆にヤン・ジュンモは高音が軽々と出るのだが、些か日本語の発音に違和感を覚えた。

ジャベールの吉原光夫は一昨年、ジャン・バルジャン役を観ている。この人の声はバリトンで声量があって劇的。僕は好きだな。川口竜也は端正な印象。”♪星よ”も上手い。

ファンテーヌの里アンナは無難な歌と芝居。宝塚歌劇出身の和音美桜は澄んだ美しい声と入魂の演技で素晴らしかった。10周年記念コンサートのルーシー・ヘンシャルとか映画版のアン・ハサウェイと比べると、どうも日本版の歴代ファンテーヌは物足りなかったのだが、漸く理想の人にめぐり逢えた。彼女にはこの秋、ソンドハイムのミュージカル「パッション」(日本初演)で再会出来るので、今から愉しみだ。

笹本玲奈は島田歌穂と並び、僕にとってベスト・エポニーヌである。歌に感情を込められる娘(こ)だし、なんてったって可愛い。また寂しそうな笑顔がいいんだ。平野綾はアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」の声優として一世風靡したが、主題歌も歌い、エンディングソング「ハレ晴レユカイ」は大ヒットした。で、彼女の歌唱は100点満点。音程は一切ブレないし、囁くようなppから張りのあるffまで声量のコントロールも完璧。歌に限れば、過去から現在に至る世界のエポニーヌの中で間違いなくNo1だろう。ただ演技について言えば、まだまだ十分表現し切れていないもどかしさがある。舞台の経験が少なく、場数を踏んでいないのだから仕方がない。一方、笹本玲奈はミュージカル「ピーターパン」の主役に抜擢されたのが13歳の時だから、キャリアが全然違う。平野綾くらい歌える人は日本ミュージカル界にとって貴重な存在だから、彼女の今後の成長と活躍を大いに期待する。

あとアンジョルラスの上山竜治がよく通るテノールの歌声で凄く良かった。インターナショナル・キャストCDのアンソニー・ワーロウや25周年記念コンサートのラミン・カリムルーと比べても遜色ないんじゃないかな?

旧演出から新演出への大きな変更点として盆(回り舞台)がなくなったことと、映像が活用されていることが挙げられる。大掛かりな装置を省略することでツアーが出来るようにすることがその主な目的と考えられるが、映像を多用する演出は安っぽくなってしまうケースが多い。しかし「レ・ミゼ」に関しては映像に頼りすぎることなく、成功例であると言えるだろう。ふと想い出したのだが、旧演出ではバリケードがぐるっと回転してアンジョルラスが逆さ吊りで死んでいるのを見せ、そこで客席から拍手が起こるのが慣例だった。回転はなくなったけれど新演出もその辺りを上手に見せている(拍手はなくなった)。旧演出から受け継がれた手法としては劇中の人物が死ぬ(天に召される)と、照明が白色に変化するんだよね。あれはとても印象的だ。

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2015年8月22日 (土)

僕のカルト映画/バーブラ・ストライサンドのひとりミュージカル「愛のイエントル」

まず「カルト映画」の定義をしておこう。興行的成功とは無縁で(公開当時話題にならなず)、映画賞とか各種ベストテンに入ることもなく、映画評論家から高い評価を得られなかった。しかし一部に熱狂的ファンを獲得し、後々まで愛されている、そんな作品のことを指す。代表例として「エル・トポ」(1970)や「ロッキー・ホラー・ショー」(1975)、「イレイザーヘッド」(1977)、「ある日どこかで」(1980)、「ブレードランナー」(1982)などが挙げられる。

今回ご紹介したいのは1983年に公開されたハリウッド映画「愛のイエントル」(Yentl)である。

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原作はアイザック・バシェヴィス・シンガー(1902-1991)の短編。ポーランド生まれ、イディッシュ(ヘブライ)語で創作活動をする作家として初めてノーベル文学賞を受賞した。

バーブラ・ストライサンドが製作・脚色・監督・主演・歌のひとり5役を務めた。

最初レンタルビデオで観た時は呆れて、開いた口が塞がらなかった。兎に角、最初から最後までバーブラがひとりで歌いまくるのである。相手役を務めたマンディ・パティンキンはロイド=ウエバーのミュージカル「エビータ」(チェ役でトニー賞受賞)やソンドハイムの「Sunday in the Park with George(日曜日にジョージと公園で)」に出演しており、歌える俳優なのに一切歌わせない。前代未聞、驚天動地の《ひとりミュージカル》映画であった。な、何なんだ、これは……。理解の範疇を遥かに超越していた。

20世紀初頭ポーランドのユダヤ人コミュニティの話だが、映画は主にチェコスロバキア(当時)で撮影されている。

女が学問をすることを禁じられた時代。イエントルはそれに逆らい、髪を切って男の格好をして顔見知りの全くいない場所へ行き、神学校(イェシーバー)に入る。彼女は学友アヴィグドルに恋をするがアヴィグドルはハダス(エイミー・アーヴィング)と婚約していた。

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でバーブラ演じるイエントル以外に登場する女達は皆、本も読まないバカで何の価値もないという風に描かれている。イエントルはハダスに学ぶことの歓びを教えてあげる。「私が一番」……全てが上から目線なのである。

僕はバーブラが嫌いだった。鼻が大きくて美人とは言い難い。鼻っ柱が強く、生意気な女である。初主演でアカデミー主演女優賞を受賞したミュージカル映画「ファニー・ガール」(1968)も全然面白くないし、取り立てて彼女の演技が優れているとも想わない。彼女演じるファニー・ブライス(ブロードウェイで活躍した喜劇女優)が楽屋の鏡に映る自分の姿に向かって"Hello, gorgeous"と言う有名な場面があるのだが、僕は「なんて驕った奴だ!」と怒り心頭に発した(いや、バーブラはシナリオ通りに喋っているだけなんだけどね)。

しかし、彼女に対する見方は次第に変化していった。

フランク・オズ監督ケビン・クライン主演の映画「イン&アウト」はバーブラ好きの男はゲイであるという偏見ネタがテーマとなっている。仲間の一人が「『愛のイエントル』はクズだ」と口にした途端、激怒した主人公が殴りかかるという場面があり、爆笑ものだった。余談だがこの映画でマイケル・ジャクソンはゲイ好みのスターなのだということも初めて知った。

またアニメ「サウスパーク」シーズン1 第10話「メカ・ストライサンドの大迷惑」ではバーブラが巨大ロボットに変身して世界征服を企む。これを観ながら製作・監督をしたトレイ・パーカーとマット・ストーンは余程彼女のことが好きなんだなぁと感じ入った。後に彼らがブロードウェイに進出し、ミュージカル「ブック・オブ・モルモン」でトニー賞の作品賞・演出賞・脚本賞・楽曲賞など9部門を受賞したことは記憶に新しい。

こういう体験を経て「バーブラって実は愛すべき人だな。だから色々とネタにされるんだ」と考えるようになった。

バーブラは1994年7月ロサンゼルスでのコンサート(客席にスティーヴン・スピルバーグの姿もあった)で、「愛のイエントル」から数曲歌っている。最後の"A Piece Of Sky"では映画のフィルムが上映され、彼女は自分自身とデュエットするのである。このシーンにはバーブラが歌いながらまず右を向き、次に左、そして正面を向いて最後のフレーズを絶唱するのだが(動画は→こちら)、ステージ上の彼女も同じ動きで見得を切る。聴衆は熱狂し、拍手喝采、それをWOWOWで観ていた僕は大爆笑だった。バーブラ、どこまで自分が好きなんだ!

1999年12月31日、ラス・ヴェガスのMGMグランド・ホテルからスタートし、2000年にかけて行われたTimeless Tourでは15歳の人気シンガー、ローレン・フロストが登場、バーブラの幼少期を演じた。このコンサートでも"A Piece Of Sky"のフィルムが上映され、今度は”例の場面”をフィルムのバーブラ、ステージ上のバーブラ、そしてローレンちゃんの3人で再現。目が点になった。「バーブラが増殖している!!」(衝撃の動画は→こちら

「イエントル」の最後に次のような献辞が登場する。「この映画を私の父と、私たちの父たちに捧げる」"Our Fathers"は当然、映画の観客の父親たちという意味もあるだろうし、ユダヤ民族の祖先という意味も含まれるだろう。

バーブラは1942年にニューヨークのブルックリンで生まれた。父方はポーランド系ユダヤ人であり、母方はロシア系ユダヤ人だった。父親は彼女が生後わずか15ヶ月のときに亡くなり、母の再婚相手とは上手く行かなかった。高校卒業してデビュー以来、50年以上故郷に帰っていない。「育ったときはそこ(ブルックリン)が嫌いだった」とは彼女の弁。そして2012年10月、漸く地元で初コンサートを行った(Back To Brooklyn)。

「愛のイエントル」の素晴らしさは楽曲の魅力に尽きる。本作でアカデミー賞を受賞したミシェル・ルグランの音楽は冴えに冴えている。彼の作品では「シェルブールの雨傘」「ロシュフォールの恋人たち」「華麗なる賭け」に匹敵する、最高傑作の一つであろう。アラン&マリリン・バーグマン夫妻による歌詞も卓越している(他に「華麗なる賭け」の”風のささやき”や「追憶」"The Way We Were" が有名)僕が所持している北米版ディレクターズ・カットDVDには本編で使用されなかったナンバー(楽曲)が2曲収録されているが、それらもいい。不採用が勿体ないくらい。舞台ミュージカル化(勿論、複数人が歌う仕様で!)を切に希望する。「ベルサイユのばら」みたいな男装の麗人の話だから、宝塚歌劇にも合うと想うんだよね。

スピルバーグはイエントルを傑作と賞賛した。彼は映画公開の2年後に本作に出演したエイミー・アーヴィングと結婚したのだが(5年目に破局)、そのことと何か関係があるのだろうか?

考えてみれば「愛のイエントル」が製作された1983年当時、女性映画監督や女性舞台演出家というのは極めて稀だった。スタジオもバーブラが監督することに乗り気ではなかったという。しかし今や、ブロードウェイでは「ライオンキング」のジュ リー・テイモアや「コンタクト」「プロデューサーズ」のスーザン・ストローマンがトニー賞のミュージカル演出賞を受賞。映画でも「ハート・ロッカー」のキャスリン・ビグローがアカデミー監督賞を受賞し、アンジェリーナ・ジョリーも数本の映画監督を務めている。そして、その先駆者として道を切り開いたのがバーブラだったのである。彼女の生き様はイエントルの姿に重なる。

ただ残念なことに「愛のイエントル」の日本語字幕付ビデオは流通したが、DVDは日本未発売なんだよね。まぁ、そこがカルト映画たる所以でもあるのだが。この奇っ怪で突っ込みどころの多い珍品が、より多くの人々の目に触れることを大いに希望する。それからバーブラの来日コンサートが、一度も実現していないことを最後に付記しておく。日本ではどうも人気がないんだよね。

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2015年8月19日 (水)

ジュラシック・パークからジュラシック・ワールドへの道

映画「ジュラシック・パーク」は1993年6月11日に北米公開された。同年12月15日には「シンドラーのリスト」が公開されている。「ジュラシック・パーク」はアカデミー賞で音響編集賞・録音賞・視覚効果賞の3部門で、「シンドラー」は作品賞・監督賞・脚色賞・撮影賞・編集賞・美術賞・作曲賞の7部門で受賞した。つまりこの年はスピルバーグ映画がオスカー10部門を制したのである。全く趣向が異なる映画を立て続けに世に送り出す。スピルバーグでしか成し得ない離れ業であり、絶妙なバランス感覚だ。

1993年6月19日、大阪フェスティバルホールでジョン・ウィリアムズはボストン・ポップス・オーケストラを指揮し、「ジュラシック・パーク」のテーマを披露した。僕もその場にいた。映画が日本で公開されたのは7月17日だから、それより前に聴いたことになる。恐竜をイメージさせるような凶暴さや荒々しさはなく、nobleな(気高い/堂々とした)音楽に魅了されたことを、つい昨日のように鮮明に憶えている。

あれから22年が経った。

「ジュラシック・ワールド」の評価はA+

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いやぁ、むちゃくちゃ面白かった。3D効果も抜群で、鳥肌が立った。新種インドミナス・レックスのあの迫力!僕は第一作目よりこちらの方が好き。

コリン・トレボロウ監督は現在40歳。「彼女はパートタイムトラベラー」(2012)で長編映画デビューを果たし、その才能に惚れ込んだスピルバーグが今回の大抜擢を決断した。2作目だぜ、信じられる!?この夢のような立身出世物語(success story)は「GODZILLA ゴジラ」(2014)のギャレス・エドワーズに匹敵すると言えるだろう(ギャレスも2作目)。ちなみにコリン・トレボロウは既に「スター・ウォーズ エピソード9」の監督が決まっており、ギャレスはスター・ウォーズのスピンオフ映画第1弾「ローグ・ワン/Rouge One」を現在撮影中である(主演はフェリシティ・ジョーンズ)

全篇が「ジュラシック・パーク」へのオマージュに溢れている。恐竜が子どもたちの乗る車を襲う場面、発煙筒でティラノサウルスを誘導する場面、そしてTレックスの雄叫びで締めくくられるのも見事に継承している。それだけではなくディズニー「ファンタジア」の恐竜の場面とそっくりなショットもあるし、翼竜が人々を襲う場面はアルフレッド・ヒッチコック監督の「鳥」への深い敬意を感じる。

気持ちがバラバラだった家族が絆を取り戻すというサブ・ストーリーもいい。脚本がよく練られている。

少年たちがあの島に近づくと、懐かしいホルンのソロが聴こえてくる。やがてジョン・ウィリアムズ作曲「ジュラシック・パーク」のテーマが高鳴り、「嗚呼、ここに戻ってきたんだ!」という高揚感があった。長い歳月を経て、漸くテーマパークは完成した。僕の脳裏には4歳の時に両親に連れて行ってもらった、大阪万博の光景が蘇った。

それにしても映画一作だけ観てコリン・トレボロウの才能を見抜くスピルバーグの慧眼は本当に凄い。「スター・ウォーズ エピソード9」の公開が待ち遠しい(今から4年後)!

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2015年8月18日 (火)

カンヌ国際映画祭最高賞パルム・ドール受賞「雪の轍」

評価:A-

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僕は今までイラン、ベトナム、ブラジル、アルゼンチン、メキシコ、ギリシャ、チェコ、デンマークなど30カ国以上の映画を観てきた。しかしトルコ映画というのは今回が初体験。トルコ語も新鮮に耳に響いた。

世界遺産カッパドキアにあるホテルを舞台に物語は展開される。上映時間3時間16分、休憩なし。長丁場だが一瞬たりともダレることがなかった。人生という不可解なものがこの映画には濃縮されている。兄と妹、夫と妻の間で交わされる、愛憎の念が入り交じったヒリヒリする会話劇。言葉は一瞬たりとも噛み合わない。聖と俗、富める者と貧しき者といった対比もある。

悪に対してどう立ち向かうかというテーゼ(命題)について、妹と妻は(ガンジーやキング牧師のように)非暴力・非服従を主張する。それに対して主人公は「ナチス・ドイツの理不尽な暴力にユダヤ人が何の抵抗もせず従ったとして、それでヒトラーが自分の非を認め、改心するとでも本気で信じているのか?強制収容所で無駄死にするだけじゃないか。ナンセンス!」と主張する。……深い。僕の意見をここで述べるならば、どちらも正しい。イギリス政府とかアメリカ政府など理性がある相手なら、非暴力・非服従という手段は有効だろう。マスコミを味方につけ、世論を動かすことも出来る(実際、ガンジーやキング牧師はそうした)。しかしファシストや共産主義政権が相手だったらどうだろう?マスコミは統制され味方になってくれないし、世論も沈黙を保つだろう。つまりケース・バイ・ケースなのである。

本作はチェーホフ(ロシア)の短編「妻」「善人たち」に着想を得て、トルコを舞台にしており、劇中にシューベルト(オーストリア)のピアノ・ソナタ 第20番 第2楽章が流れ、元俳優だった主人公はシェイクスピア(イギリス)の戯曲の台詞を引用する。彼が仕事に用いているのはMacBook Air(アメリカ)であり、彼が経営するホテルには日本人の宿泊客(当時トルコに留学していた村尾政樹さん、一般人)がいる。そして映画「イブラヒムおじさんとコーランの花たち」のロケで訪ねてきた俳優オマー・シャリフ(エジプト)の写真が飾られている。つくづく「世界って狭いな、映画には国境がないんだ」と想った。

格調高い文句なしのA級作品だが、「好みか?」と問われると、些かの躊躇いもある。だからマイナスを付けた。

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2015年8月17日 (月)

女性劇作家/演出家のフロントランナー、彗星の如く現る!〜早霧せいな(主演)宝塚雪組「星逢一夜」「La Esmeralda」

8月15日(土)宝塚大劇場へ。宝塚雪組「星逢一夜(ほしあいひとよ)」作・演出/上田久美子 と、「La Esmeralda」 作・演出/齋藤吉正を観劇。

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出演は早霧せいな、咲妃みゆ、望海風斗ほか。

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上田久美子は2013年5月のバウホール公演「月雲の皇子(つきぐものみこ)」で演出家デビュー、2014年シアター・ドラマシティ「翼ある人々」に続く新作が「星逢一夜」である。小規模な劇場公演の経験が2本で大劇場デビューというのは、宝塚の演出家の中でも最速だそう。それだけ劇団での評価が高いということだ。因みに咲妃みゆは「月雲の皇子」でもヒロインを務めている。

上記レビューでも絶賛したが、今回改めて上田久美子は天才座付き作家・演出家だと確信した。1998年に女性として初めてトニー賞のミュージカル演出賞を受賞した「ライオンキング」のジュリー・テイモアや「コンタクト」「プロデューサーズ」を手がけたスーザン・ストローマンに匹敵する、傑出した才能だと断言出来る。

まず台本の素晴らしさについて語ろう。このホンが藤沢周平の小説「蝉しぐれ」を土台にしていることは間違いない。宝塚歌劇でも「若き日の唄は忘れじ」というタイトルで舞台化されている(けだし名作だった)。両者の共通点を挙げておく。

  1. 参勤交代制が確立した江戸時代で貧しい藩が舞台となる(「蝉しぐれ」は東北の庄内藩がモデルであり、「星逢一夜」は熊本藩に隣接する架空の”三日月藩”のお話)。
  2. 主人公とヒロインの幼少期から物語が始まり、ふたりは愛し合っているのに運命に翻弄され(身分の差から)結ばれることなく、長じて別々に家庭を持つことになる。
  3. 幼き日のふたりが一緒に過ごした、村の夏祭りが重要な役割を果たす(後々までの心の拠り所となる)。

上田久美子が非凡なのは、藤沢周平をベースに、冲方丁の小説「天地明察」(本屋大賞受賞)を掛け合わしたところにある。まさかの天文学、日本暦の登場である。《泥だらけの足元(=日々の暮らし)ばかり見ずに、夜空を見上げよう、理想を夢見よう》というテーマが高らかに奏でられるのである。ここぞという場面で時系列を入れ替える手法も上手い。すげ〜よ!もう脱帽だ。恐れ入りました。

演出についてだが、冒頭の無数のホタルが舞う場面からその美しさに心奪われた。また舞台の奥行きを最大限に利用した遠近感の効果、盆(回り舞台)や迫(=せり、昇降床装置)の使い方が卓越している。観せ方/魅せ方を熟知しているのだ。これが大劇場デビューなんて到底信じられない。

「La Esmeralda」については(コンセプトがはっきりしない)バラエティ・ショーという感じ。可もなく不可もなし。腹も立たないし、その華やかさをそこそこ愉しめる。それより何より今回の公演の肝は上田久美子だ、それに尽きる。客席のすすり泣きの多さは尋常ではなかった。こんな経験はトップスターのサヨナラ公演ですらない。連日リピーターが続出し当日券に列をなし、立ち見もびっしり。劇場内は異常な熱気に包まれた。

宝塚歌劇団に伏してお願いする。どうか彼女の演出家デビュー作「月雲の皇子」DVDを発売してください!!タカラヅカ・スカイ・ステージで放送した映像記録があるでしょう。絶対売れるよ。みんな観たい筈。

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2015年8月12日 (水)

細田守と宮﨑駿〜「バケモノの子」

細田守は1967年、富山県に生まれた。中学生の時「ルパン三世 カリオストロの城」を観て衝撃を受け、学校の文集に「将来は宮﨑駿さんや、りんたろうさんみたいなアニメの演出家になりたい」と書いた。大学卒業後、スタジオジブリの研修生採用試験を受けるが不合格。宮﨑駿から自筆の不採用通知を貰い、それを額に飾って今でも大切に保管している。その後東映動画に入社。短編アニメ「劇場版デジモンアドベンチャー」が高い評価を受け、「ハウルの動く城」の監督に抜擢されて2000年8月にスタジオジブリに出向した。準備を始めたが絵コンテが行き詰まり、プロデューサーから「細田君、これもう無理だね」と言い渡された。2002年4月21日、細田はその日のことを決して忘れない。「いま考えたらあの時、宮崎(駿)さんや高畑(勲)さんに相談しておけばよかった。東映でやって来たという薄っぺらな自負心が邪魔をして孤立してしまった」と本人の弁。

以上が先日NHKで放送された「プロフェッショナル 仕事の流儀」の内容である。

ジブリを去る際、細田は「もう俺は終わりだ!」と思ったという。その後3年間、企画を出せども出せども全く通らないという辛酸を嘗めて、漸くチャンスを掴んだ。「時をかける少女」である(2006年公開)。上映館は全国で21館のみと非常に少なかった。僕はテアトル梅田で観たが、大阪でも単館上映だった(その時の感想はこちら)。しかし口コミ効果で徐々に上映館が増えていった。最終興行収入は2.6億円だった。

サマーウォーズ」(2009年)は全国のシネコンを中心に拡大公開され興行収入16.5億円、「おおかみこどもの雨と雪」(2012年)が42.2億円。細田守(スタジオ地図)は宮﨑駿(スタジオジブリ)と並ぶ日本テレビの顔となった。そして「バケモノの子」ではバジェットが1.5倍に膨れ上がった。映画公開直前に日テレで「時をかける少女」「サマーウォーズ」「おおかみこどもの雨と雪」が3週連続放送されたわけだが、これはもう社運を賭けた全面的バックアップ体制と言えるだろう。

こうして一作ごとにステップアップし、今や押しも押されぬメジャー作家になったわけだが、細田作品というのは昔も今も一貫して実にパーソナルなことを語っている。

「時をかける少女」は同名の大林映画の続編であり、共通の登場人物である芳山和子の声を細田は原田知世に依頼し、断られている(どうもその当時、知世としては映画デビュー作のことに触れられたくなかったらしい。←大林監督談)。細田は大学生の時、学園祭で「大林宣彦ピアノ・コンサート」を企画したという過去があり、大林監督は細田を「映画の血を分けた息子」と呼んでいる。つまり「時かけ」は《僕は大林映画が大好きなんだ!》というラブレターであった。

「サマーウォーズ」は《おばあちゃん、バンザイ!》であり、「おおかみこどもの雨と雪」を製作中に細田夫人は妊娠しており、《母は強し》がテーマとなった。公開後に息子が生まれ、さしずめ「バケモノの子」は細田版「そして父になる」だと言えるだろう。

公式サイトはこちら

評価:A

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お見事!の一言である。渋谷の雑踏からバケモノの棲む異界へ入っていく過程なんかすごく自然で、観ていて実に心地いい。「千と千尋の神隠し」の導入部を想い出した。クライマックスでは渋谷の街に《鯨》が出現するが、この描き方は「崖の上のポニョ」を彷彿とさせる。またチコというマスコット的キャラクターが登場するのだが(主人公・久太の、亡き母の化身説あり)、これは「風の谷のナウシカ」におけるテトに似ている(物語に全く絡んでこない点においても)。しかし決して宮﨑駿のマネと言っているのではなくて、ちゃんと細田流に消化され、自分のものにしている。やっぱり彼は《宮﨑駿の息子》なんだなと、つくづく想った。清々しい。余談だがチコは通常、久太の髪の毛の中に隠れているので、目玉おやじ(鬼太郎の父)的だとも言えるだろう。

映画の最後に次のような会話がある。

九太「俺のやることを、そこで黙って見てろ!」

熊徹「おうっ、見せてもらおうじゃねぇか」

本作の核となる場面だが、「プロフェッショナル 仕事の流儀」では《亡き父への想い》と説明されていた。それもあるだろうけれど、僕には長編作品からの引退を表明した宮﨑駿への熱いメッセージのように聞こえた。熊轍の台詞は今の細田が、宮さんからどうしても言ってもらいたい(承認の)言葉なんだろうね。宮さんが「バケモノの子」を観て何を語るのか、僕も非常に興味がある。

なお九太の少年時代が全然男の子の声ではなく、宮崎あおいが喋っているようにしか聞こえなかったのは些か残念であったことを申し添えておく。

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アフター・アワーズ・セッション「東欧スペシャル」

8月11日(火)大阪倶楽部へ。関西在住のオーケストラ団員やフリーの演奏家が集まり1997年に結成されたアフター・アワーズ・セッションを聴く。

メンバーは日比浩一Vn. ギオルギ・バブアゼVn. 三木香奈Va. 日野俊介Vc. 植田恵子Fl. 大島弥洲夫Ob. 松原央樹Cl. 世古宗優Hr. 首藤元Fg. 右近恭子Pf.

  • ドップラー:リギの思い出(Fl. Hr. Pf)
  • マルティヌー:四重奏曲(Ob. Vn. Vc. Pf)
  • リゲティ:6つのバガテル(Fl. Ob. Cl. Hr. Fg)
  • ドヴォルザーク:ピアノ五重奏曲 第2番
  • ヴァージャ・アザラシヴィリ:ノクターン(全員) アンコール

ドップラーは優雅でロマンティック。ルツェルン湖畔にあるリギ山の想い出を綴った曲だそう。可愛らしいフィンガー・シンバルも用いられた。

マルティヌーはトリッキーでひょうきん、戯(おど)けた曲。

リゲティはリズムが凝っていて面白い。ぶつかる音が効果的で先鋭。

ドヴォルザークのクインテットは清涼感があった。この曲は8月から作曲が開始されたそうで、夏に相応しい。また第2楽章など、ここぞという時にヴィオラが活躍し、美味しいところを持って行くなーという感じ(ドヴォルザークはプロのヴィオラ奏者としても活動した)。

アンコールは関西フィルのコンサートマスターでもあるギオルギ・バブアゼの出身国グルジア(日本国政府は2015年4月22日からジョージアGeorgiaへ呼称を変更)の作曲家ヴァージャ・アザラシヴィリのノクターン。これがまた美しくて素敵な曲なんだ!大いに気に入った。

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2015年8月10日 (月)

ミュージカル「ピーターパン」

ブロードウェイ・ミュージカル「ピーターパン」は2010年に、笹本玲奈・神田沙也加 Ver. で観た。その時の感想はこちら

今回の配役はピーターパン:唯月ふうか、ウェンディ:入来茉里、フック船長/ダーリング氏:大貫勇輔、タイガー・リリー/ダーリング夫人:白羽ゆり ほか。

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4歳の息子を連れて行った。「ライオンキング」に次ぐ2回目のミュージカル体験である。沢山フライングの場面があり、とても愉しそうだったし、タイガー・リリーたちが太鼓を打ち鳴らし踊る場面では、一緒に叩く真似をしてノリノリだった。

ピーターパンのフライング・シーンはワイヤーを2本使う場合と1本の時があり、飛び方が変わってくる。非常に工夫され、良く出来ている。ブロードウェイ作品なので楽曲もいい。聴いていてワクワクする。

唯月ふうかは背が低く、可愛いのでピーターパンにぴったり!歌唱も文句なし。大貫勇輔は跳躍が高く、身体能力が優れていた。白羽ゆりは宝塚歌劇団在団中に彼女のエリザベートを観ているのだが、美人なのにタイガー・リリー役は一寸気の毒な気がした。

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2015年8月 7日 (金)

涼風真世・山口祐一郎 主演/ミュージカル「貴婦人の訪問」

8月5日(水)シアターBRAVA !へ。ウィーン発のミュージカル「貴婦人の訪問」を観劇。

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ヴォルフガング・ホファー(Wolfgang Hofer)作詞、モーリッツ・シュナイダー(Moritz Schneider)とマイケル・リード(Michael Reed)作曲、台本がクリスティアン・シュトルペック。日本では馴染みのない人たちだ。

ウィーンでの上演に出演したピア・ダウエス、ウーヴェ・クレーガー、イーサン・フリーマンはそれぞれ、ミュージカル「エリザベート」初演時のシシィ、トート、ルキーニ役である。

今回の配役は貴婦人クレール:涼風真世、クレールの元恋人アルフレート:山口祐一郎、アルフレートの妻・マチルデ:春野寿美礼、市長マティアス:今井清隆、校長クラウス:石川禅、警察官ゲルハルト:今拓哉、牧師ヨハネス:中山昇。演出は山田和也

原作となる戯曲の作者フリードリヒ・デュレンマット(1921年スイス生まれ)は、多くの不条理劇を書いた。この戯曲が初演されたのが1958年。因みに不条理劇の代表作ベケットの「ゴドーを待ちながら」は1952年の発表である。1964年にはイングリッド・バーグマン、アンソニー・クィン主演で20世紀フォックス映画「訪れ」(The Visit)になっている。

観ていて、ぶっちゃけ「不条理劇なんて古くせーよ!鑑賞に耐えない」と想った。登場人物の誰一人、共感や感情移入出来ない。ただただ不快な気分にさせて、何の意味がある?1mmもない。例えば現在の日本の演劇界を見てみよう。シェイクスピアやテネシー・ウィリアムズ、寺山修司はしばしば再演されているけれど、「ゴドーを待ちながら」はどうか?結局、不条理劇なんて1950−60年代に流行った刹那的ファッションでしかなく、古典には成り得なかったということだ。

失業者が溢れ不景気のどん底にある街に金満家(貴婦人)が現れ、ある男が死ねば大金をやると言う。人々は人民裁判に掛け男に死刑を宣告する。……この物語が第一次大戦後の膨大な賠償金によるドイツの激しいインフレ、ナチス党の台頭、全体主義の恐怖を反映していることは明らかだ。オーストリアもナチス・ドイツに併合され(「サウンド・オブ・ミュージック」)渦中にいたわけで、未だに人々がその時の後悔の気持ちを抱えているのは頷けるし、ウィーンで上演される意味はあるだろう。でも日本では??主人公クレールは未婚でアルフレートの子供を身ごもり、裏切られ、(偽証に基づく)裁判で辱めを受け、村八分にされ娼婦に身を落とすのだが、こんな悲惨な物語は日本の観客(9割以上が女性)に全く受け入れられないだろう。生理的嫌悪感しか残らない。台本も酷い。例えばクレールとアルフレートが語り合う場面で若いころの二人(別の役者が演じる)を出して四重唱にするのだが、説明的で平板でくどい。いらん!アルフレートは最初から「僕は市民に殺される!」と喚いていたが、結局最後はその通りになる。何のひねりもない。アホくさ。再演はないと見た。

音楽は悪くなかった。ちょっとジョン・バリー作曲「女王陛下の007」とかマイケル・ジアッキーノ作曲「Mr.インクレディブル」に似ているなとは想ったけど。

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2015年8月 6日 (木)

ミュージカル「サンセット大通り」(柿澤勇人・濱田めぐみ Ver.)

8月1日(土)シアターBRAVA !へ。

ミュージカル「サンセット大通り」を観劇。

作品論については上記事に書いたので省略。

僕の心の中では、”天才作曲家”アンドリュー・ロイド=ウェバーは「サンセット大通り」が初演された1993年の直後に亡くなったことになっている。久しぶりに聴いて、鳥肌が立つような傑作だなと改めて想った(白鳥の歌とはまさにこれ)。特に最後の方は鬼気迫るものがある。そして何より、アカデミー賞を受賞したチャールズ・ブラケット、ビリー・ワイルダーらによるオリジナル脚本が素晴らしい。この格調の高さは、まるでギリシャ悲劇だ。ワイルダーの「お熱いのがお好き」の有名な台詞に"Nobody's perfect."(完璧な人間なんていないさ)があるが、「サンセット」のシナリオは正にパーフェクト、一分の隙もない。だから舞台に置き換えても一切揺るがない。

今回観ながら気が付いたのだが、本作は三層構造になっていると言えるだろう。ダンテ「神曲」に置き換えるならハリウッドの撮影所が天国、サンセット大通りにある大女優ノーマ・デズモンドの邸宅が地獄、そして若手脚本家ジョーの映画仲間が集うバーや年越しのパーティが行われる友人アーティーのアパートが、その中間の煉獄に相当する。ジョーはその三層を行き来し、最後は地獄(=狂気の世界)に絡め取られるのだ。冒頭のチンパンジーの葬式から狂っているよね。そして逃れようがない。ノーマは見るものを石にしてしまうメドゥーサであり、美しい歌声で航海中の船乗りを惑わし、遭難や難破に遭わせるセイレーンである。宿命……これはもう諦めるしかない。《この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ》(ダンテ「神曲」より)

ノーマ・デズモンド:濱田めぐみ
ジョー・ギリス:柿澤勇人
マックス:鈴木綜馬
ベティ:夢咲ねね
アーティー:水田航生

柿澤勇人は劇団四季時代の「春のめざめ」から注目していた。

今回彼が演じたジョーはやさぐれていて(チンピラぽい)、全身から虚無感を発散。もしかしたら映画のウィリアム・ホールデンよりはまり役じゃないかとすら想った。近い将来、彼の主演でミュージカル「デス・ノート」が観たい。

夢咲ねねは彼女の宝塚歌劇退団公演も観ているのだが、相変わらず可愛いし、顔がちっちゃいし、スタイルいいし文句ない。音程が合っていて、もしかしたら歌は上手くなったかも?

鈴木綜馬のマックスは毅然としていて、静かに狂っている。素晴らしい。

この三人は是非再演でもまた観たい。

僕は濱田めぐみが嫌いだった。特に劇団四季時代、彼女の「アイーダ」を大阪で観たのだが、肝心のところでオクターブ下げて歌っていて怒り心頭に発した(ブロードウェイでオリジナル・キャストのヘザー・へドリーを聴いているが、雲泥の差だった)。しかし今回は、若さで違和感があった安蘭けいと違って、彼女のノーマには老醜があった。果実が腐っていく感じ。悪くなかった。ただこの役は、もっと大物女優で観たい。今だったら誰が良いだろう?元々同役を希望していた鳳蘭とか麻実れいもありだと想うが、僕はエディット・ピアフが絶品だった大竹しのぶを推したい。

あと鈴木裕美の演出がこぢんまりとし過ぎていて物足りないので、次回は新演出でお願いしたい。やはりハリウッドの大邸宅や撮影所が舞台となるので、ある程度のスケール感は欲しいな。

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2015年8月 4日 (火)

実写版「進撃の巨人」はトラウマ映画たり得たか?あるいは、《壁とは何か》についての考察

アニメ版「進撃の巨人」については下記記事で語った。

「進撃の巨人」で描かれる壁とは何か?巨人は何を象徴しているのか?は非常に興味深いテーマである。答えは当然一つではない。幾つかの解釈を挙げてみよう。

  1. 正社員になれず、アルバイトや派遣で働く人、ニートなど若者の閉塞感を「」が象徴している。
  2. =新世紀エヴァンゲリオン(ヱヴァンゲリヲン)におけるATフィールドである。つまり壁の内部は自意識の世界であり、壁の外は他者の領域。壁を破り進入する巨人はエヴァにおける使徒と同義と言えるだろう。また「進撃」エレンの覚醒はEVA初号機覚醒にリンクしている。因みに樋口真嗣監督はエヴァ・シリーズで脚本・絵コンテ・イメージボードなどを担当している。”碇シンジ”の名前の由来が樋口真嗣であることは余りにも有名。
  3. 漫画「進撃の巨人」担当編集者・川窪慎太郎氏によると、香港では=英国植民地時代の国境巨人中国(大陸)人と捉えている人が多いという。
  4. 江戸末期の日本で考えれば鎖国であり、巨人黒船となるだろう。
  5. 現在の日本で言えばの中=日米安全保障条約によるアメリカの庇護で守られた平和ボケ日本(家畜の安寧虚偽の繁栄)の象徴であり、壁を突破する=日本国憲法改正・国防軍設立・日米安保破棄と捉えることも可能だ。
  6. 原子力発電所の安全神話巨人大地震・津波。実写版にも「絶対安全じゃなかったの!?」「想定外だ!」という台詞が登場する。
  7. ミルトン「失楽園」で解釈するなら、壁の中=神に祝福されたエデンの園であり、巨人サタン(悪魔)ということになる。この場合、エレンとミカサは言うまでもなくアダムイヴだ。彼らはサタンの誘惑で知恵の木に実る禁断の果実=林檎を口にしてしまう。そしての知識を得て、エデンの園から追放される。シキシマが食べる林檎はその知恵の木を示唆している(「デス・ノート」の死神リュークも同様)。ダンテ「神曲」との関連も観逃せない。実写版「進撃の巨人」では《この門をくぐるものは一切の希望を捨てよ》という銘文が読み上げられるが、これはダンテ「神曲」の中で地獄の門に刻まれている。

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さて、「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」に対する僕の評価はB+

本作の脚色に参加した映画評論家・町山智浩氏の著書に「トラウマ映画館」がある。彼が主に10代の頃、テレビで観て衝撃を受けた映画について語った名著である。また樋口真嗣監督や原作の諫山創氏はトラウマ映画として「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」(監督:本田猪四郎、特技監督:円谷英二)を挙げている(樋口監督が語る「サンダ対ガイラ」は→こちら)。

つまり「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」のスタッフは明らかに「サンダ対ガイラ」のように、本作を観た子どもたちの心の中にトラウマとしてずっと残るような映画を目指したということである。残酷描写で映倫からR15の指定を受けてしまうと15歳以下は観られなくなってしまう。だから繰り返し映倫にフィルムを持ち込みチェックを受けて、PG12のレイティングに拘った。なぜなら親の許可さえあれば小中学生も観ることが可能になるからである。

そして僕は完成した本作を観て、十分トラウマ映画足り得る作品に仕上がったと想った。怪獣映画とゾンビ映画の巧みなリミックス。巨人は躊躇いもなく、気持ち良いくらいヒトをパクパク喰らう。ただ、エグいとか目を覆いたくなるとか前評判を聞いていたのだが、想像した程でもなかった。例えばスプラッターという意味では「サスペリア」の方が強烈だ。ダリオ・アルジェント監督には鮮血の美学があるが、「進撃」の方は彩度を落とし、どす黒い色になっている(恐らく映倫対策なのだろう)。悪趣味だとも想わないし、子どもたちに見せられるギリギリの線で頑張っているなと好感を持った。生身の人間とCG、さらに文楽のように12人がかり(!)で操演する人形(超大型巨人)をハイブリッドした特撮も素晴らしい。ガラパゴス的に日本独自の進化を遂げてきた技術の底力が感じられた。

幼い時から「世界は残酷だ」ということを知るのは悪くないし、世界で一番怖いのは妖怪とか怪獣ではなくて、やっぱり人間なんだよ。

ハンジを演じた石原さとみが最高!シキシマ役の長谷川博己も謎めいていて格好いい。

ただ残念だったのは原作やアニメであった調査兵団の壁外調査で馬を用いるという設定を放棄してしまったことだ。これには事情があって、移動手段を馬にしてしまうと主な俳優たち全員に乗馬の訓練をしなくてはならなくなる。それだけの予算と時間の余裕がなかったということらしい。ハリウッド映画じゃないから仕方ないよね。馬の代わりに登場するのが装甲車なのだが、そうするとこの世界観に矛盾が生じてしまう。装甲車が動くということはガソリンを使用する文明が残っているということだ。じゃあ何故飛行機やヘリコプターがないの?確かにヘリコプターの残骸は画面に登場するが、現在使用する技術がないという説明にはならない。それはおかしいだろう。ちなみに原作・アニメは中世のドイツが舞台らしいのでガソリンで動く乗り物は一切登場しない。立体機動装置はガスボンベに充填したガスの噴射によってワイヤーアクションや移動の加速が可能となっている。

僕は平成ガメラ・シリーズを全て映画館で観て、「特技監督の樋口真嗣という人は凄い!」と感嘆していた。だから彼が監督に昇格した時は大いに期待したものだが、「ローレライ」(2005)は惨憺たる駄作だった。コイツには映像センスの欠片もないと想った。AKB48のMV「真夏のSounds good !」も酷かった。ところが、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」で併映された短編「巨神兵東京に現わる」を観て考えが一寸変わった。面白かったのである。「ローレライ」「日本沈没」「隠し砦の三悪人(リメイク)」「のぼうの城」と監督に進出してからの彼は怪獣映画を撮っていない。だから本領を発揮出来ていないのではないか?と感じた。そして怪獣映画「進撃の巨人」の登場となる。遂にその日は来た。僕は十分満足したし、2016年公開予定の「ゴジラ」にも大いに期待してまっせ!!

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