「ライアンの娘」〜デヴィッド・リーン賛歌
午前十時の映画祭で「ライアンの娘」(1970)を鑑賞。イギリスのデヴィッド・リーン監督作品。70mmフィルム、上映時間195分の大作である。アカデミー賞では助演男優賞(ジョン・ミルズ)、撮影賞(フレディ・A・ヤング)を受賞。
僕が本作を初めて観たのが中学3年生の1982年3月3日、水野晴郎が解説者を務める日本テレビ「水曜ロードショー」。24分拡大放映(通常は2時間枠)だったが、CMが入るので正味2時間、つまり1時間以上ズタズタにカットされていたわけだ。
大学生になってレーザーディスクを購入。ただしシネマスコープをTVサイズ縦横比3:4にトリミングされたものだった。何年か経って漸くワイドスクリーンのLDが出たので早速買い直し、現在はDVDを所有している。しかしスクリーンで観るのは今回初めてだった。スケールが大きい作品なので大画面こそ相応しい。特に冒頭の海岸シーンなどはアイルランドの雄大な風景の中に、人物が点(アリ)のように動いている情景があり、テレビサイズでは殆ど認識出来ない。
僕はデヴィッド・リーンの映画が大好きなのだが、特に「アラビアのロレンス」「ドクトル・ジバゴ」「ライアンの娘」の3本は抜きん出た傑作だと想う。これはリーンだけの功績ではなく、脚本のロバート・ボルト、フレディ・A・ヤングの撮影、モーリス・ジャールの音楽という際立った才能が集結した成果である。化学反応(chemistry)の賜物と言えるだろう、アカデミー作品賞/監督賞を受賞した「戦場にかける橋」も確かに優れた作品ではあるが、この3人が参加していないので何だか物足りない。またリーンの遺作「インドへの道」はボルトとヤングの名前がない。相性も余程良かったのだろう。フレディ・A・ヤングは「アラビアのロレンス」「ドクトル・ジバゴ」「ライアンの娘」で3度アカデミー賞を受賞、モーリス・ジャールがオスカーを手にしたのも「アラビアのロレンス」「ドクトル・ジバゴ」「インドへの道」と全てリーンの作品だ。
スティーヴン・スピルバーグは高校生の時に「アラビアのロレンス」を観たことが、映画監督を志す切掛になったと語っている。「アラビアのロレンス」「ドクトル・ジバゴ」「ライアンの娘」の三部作(と僕は勝手に呼んでいる)の共通点は戦争に翻弄される人間を描いていること、そして全て第一次世界大戦開戦(1914年)からロシア革命(1917年)にかけての時代が背景になっている(アラビア・ロシア・アイルランドと国は全く異なる)ことである。さらに大自然と人間の関係に焦点を合わせることも一致している。「戦場にかける橋」はこの自然に関してが弱いのだ。
今回観て、「ライアンの娘」は一点の隙もない、完璧な作品だなと改めて感服した。ポスターにもなっている海岸に舞う日傘の詩情、風で流される雲の影が砂浜を足早に移動する驚異の俯瞰ショット。高波が人々を飲み込もうとする猛烈な嵐の場面も「よくこれで死者が出なかったなぁ」という大迫力。激しい雨や風、陽の光とその影も本作の重要な登場人物たちなのである(カラー映画史上、最も映像が美しいのは「赤い靴」「天国の日々」そして「アラビアのロレンス」「ドクトル・ジバゴ」「ライアンの娘」の三部作であると僕は確信している)。
台詞は極端に少なく、映像が物語を押し進める。例えばロバート・ミッチャム演じる教師チャールズが新妻ロージー(サラ・マイルズ)の不倫を知る場面には一切台詞がない。自分の父親ライアンが裏切り者でイギリス軍に密告したことをロージーが悟り、それでも父を許して自分が罪を被ることを決意するのを、ふたりの眼差し(eye contact)だけで表現する演出も凄い。森の中でロージーと若い英国将校が性交する場面では木の枝に渡された蜘蛛の巣の糸が光り、ワタスゲの種子が風に飛ばされ池に着床する。これらが暗喩することは明らかであろう(若い頃観た時には全く気付かなかった!)。
トレヴァー・ハワード演じるコリンズ神父がまたいい味出しているんだよね。セックスに関しては禁欲しているけれど酒はガブガブ飲むし、独立(レジスタンス)運動には協力するなど実に人間臭い。そして時たま含蓄のあることを言う。最後に村八分にされて立ち去ることを余儀なくされるロージーとチャールズに対して彼が贈る餞の言葉が胸に沁みる。そこには微かに”希望”が残るんだ。詰まり「パンドラの匣」だね。
歳を取るに連れ、ロバート・ボルトのシナリオの素晴らしさが段々判ってきた。例えば「ドクトル・ジバゴ」でジバゴの死後、生き別れになっていた娘をジバゴの異父兄エフグラフ(アレック・ギネス)が見つけ出す。エフグラフはどうして母ラーラと離れ離れになってしまったのかと訊ねると娘は革命の混乱で逃げ惑っている時、群衆の中で父親と繋いでいた手が離れてしまい、行方がわからなくなったのだと語る。それに対しエフグラフはこう言う。「それはお前の本当の父親じゃない。コマロフスキーだ。実の親だったら絶対に握っている手を離したりはしない」ちなみに原作にこのシーンはない。僕が「ドクトル・ジバゴ」を初めて観たのは大学生の時だった。その頃は「そういうものかな」と聞き流していたのだが、息子が生まれて漸くこの台詞の重みを実感した。そうなのだ、親だったらどんなことがあろうと我が子の手を離しはしない。……ボルトはこの作品でアカデミー脚色賞を受賞した。
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