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2015年7月

2015年7月29日 (水)

インサイド・ヘッド(3D日本語吹替版)あるいは、宮﨑駿へのオマージュ

映画本篇が始まる前にピート・ドクター監督からの挨拶があり、ドリカムの「日本版主題歌」プロモーション映像が流れ、併映の短編「南の島のラブソング」が続く。なげーよ!今やピクサーは確固としたブランドなのだから、意味不明なタイアップは止めて欲しい。本当はドリカムの歌をどうしても聴きたくなかったので(大嫌い!)、字幕版を観たかった。ところが!関西では字幕版3D上映はなく、2Dのみ。3Dは外せないので仕方なく日本語版を鑑賞。しかし風の便りにふ聞くと字幕版でも強制的にドリカムMVを観せられたそう。やれやれ……。それにしても「カールじいさんの空飛ぶ家」の時もそうだったのだけれど、余りこの作品が3Dである必然性はないように感じた。あ、あと日本語版の竹内結子と大竹しのぶは凄く良かった。

「南の島のラブソング」はイマイチ。初期の頃からそうなのだがピクサーの短編って面白みに欠けるんだよね。ユーモアが足りないというか。このジャンルに関してはやはりディズニーに一日の長あり。因みにピクサーで僕のお気に入りは最初期の「ルクソーJr.」(1986)とアカデミー短編賞を受賞した「for the birds」(2001)かな。

さて、「インサイド・ヘッド」だ。

評価:A+

Insideout

僕は「トイ・ストーリー」第1作目(1995)から映画館でピクサーの長編を観てきた。言うまでもなくこのスタジオはCGアニメーションの先駆者であり、他の追随を許さない存在だった(過去形)。しかし「メリンダとおそろしの森」(2012)辺りから雲行きが怪しくなる。はっきり言う。「メリンダ」は技術的に目新しい物がないし、作品としても駄作である。どうしてこれがアカデミー賞の長編アニメーション部門を制したのか、僕にはさっぱり理解出来ない。

毎年コンスタントに新作を発表していたピクサーだが、製作が遅れ(→2013年のニュース「ピクサーの新作が公開延期、2014年は公開作なし」)「モンスターズ・ユニバーシティ」(2013)から「インサイド・ヘッド」まで2年経った。その間にピクサー及びディズニー・スタジオのチーフ・クリエイティブ・オフィサーを兼務することになったジョン・ラセターは鮮やかにディズニーを立ち直らせ、「アナと雪の女王」「ベイマックス」というスマッシュヒットを立て続けに飛ばす(両者ともアカデミー長編アニメーション賞受賞)。

その一方で「ピクサー、本当に大丈夫?」という不安があったのが、今回はそんな杞憂を一気に吹き飛ばす会心作となった。

まず脳内の様々な感情(ヨロコビ、カナシミ、イカリ、ビビリ、ムカムカ)を擬人化するというアイディア自体がアヴァンギャルドだよね(日本の漫画にも「脳内ポイズンベリー」があるが……)。よくこの企画が通ったなと感心する(ちなみに「脳内ポイズンベリー」実写映画版は国内興行ランキングで初登場7位。お世辞にもヒットしたとは言えない)。「抽象観念」という危険地帯にヨロコビたちが迷い込む場面ではピカソのキュビズムみたいな立体→平面(二次元)→線(一次元)と形態が変化し、とってもシュール!僕は「不思議の国のアリス」を想い出した。他にも「イマジネーション・ランド」とかハリウッドのスタジオを彷彿とさせる「ドリーム・プロダクション」など魅力的なエリアが次々と登場、人格島(おふざけの島etc.)の崩壊とかもあって飽きさせない。あと主人公のライリーが3歳の頃創りだした想像上の友達ビンボンにヨロコビとカナシミが冒険の途中で出会うのだが、この彼が泣かせるんだよね。正にイマジネーションの飛翔

11歳の女の子(ライリー)が両親と車でミネソタからサンフランシスコに引っ越してくるところから物語は始まる。しかし、これってまんま「千と千尋の神隠し」だよね!?脳内に思考を運ぶ列車が走っているのも「千と千尋」を彷彿とさせるし。そして「家族の島」崩壊に巻き込まれて線路が弾き飛ばされ、列車から投げ出されたヨロコビたちが潜在意識の深淵に落ちていくのは「天空の城ラピュタ」だ!ジョン・ラセターが「すべてのピクサー映画は宮崎作品へのオマージュである」と豪語するのも宜なるかな。

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2015年7月28日 (火)

「天女散花、恋は魔術師♡」いずみシンフォニエッタ大阪 定期

7月18日(土)いずみホールへ。

飯森範親/いずみシンフォニエッタ大阪の定期演奏会。その前にロビーコンサートあり。

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本編の方は、

  • ヴィラ=ロボス:ブラジル風バッハ 第9番
  • ヴィラ=ロボス:前奏曲 第3番(ギター・ソロ)
  • 西村朗:ギター協奏曲「天女散花」
    (ギター/鈴木大介)
  • 坂東祐大:めまい 世界初演
  • ファリャ:恋は魔術師
    (小編成アンサンブルのための1915年オリジナル版)

弦楽合奏によるブラジル風バッハは透明感があって清浄。

「天女散花」は色彩感豊かな幻夢を描く。

「めまい」は耳鳴り・痙攣(エクソシスト的)・過呼吸・吐き気・幻覚症状といった生理現象(官能からゲロまで)を題材にしており、極めてユニーク。新しい響きがあった。クライマックスではバーナード・ハーマンがヒッチコック映画「めまい」のために作曲したScene d'amour(愛の情景)が引用され、音楽がスパイラルを描きながら上昇、そして一気に落下するのを聴いて、キム・ノヴァクがジェームズ・スチュワートに引き摺られるように教会の鐘楼にある螺旋階段を登り、転落する光景が脳裏に鮮やかに蘇った。曲が終わると客席から笑いが起こったが、現代音楽の演奏会では珍しい。いや~面白い体験だった。坂東祐大、大阪府高石市出身の24歳。おぬし、中々やるな!

「恋は魔術師」のメゾ・ソプラノは林美智子、ナレーションを太田真紀が担当した。14−5人程度の小編成オーケストラは精緻で切れがあった。林の歌は艶やかで、太田のナレーションも物語性があって出色の出来。1925年改訂バレエ版とは台本が異なり、聴き応えがあった。

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柳亭市馬・柳家喬太郎 二人会(最終回)

7月26日(日)トリイホールへ。20回、足掛け10年続いたこの会も大団円を迎えた。

  • 露の瑞:道具屋
  • 柳家喬太郎:首ったけ
  • 柳亭市馬:二十四孝
  • 柳家喬太郎:カマ手本忠臣蔵
  • 柳亭市馬:三十石

露の瑞(みずほ)は以前、桂雀々の弟子・鈴々として高座に上がっていたが、師匠が米朝事務所を退社、東京に進出することを決めた2011年10月に一旦落語家を辞めた。僕は彼女の初高座を2010年7月17日に聴いている。その時の感想は下記。

そして2013年2月24日に露の都の弟子として再出発。復帰後聴くのは今回初めてとなった。昔からハキハキして達者な若手なので今後の活躍に期待する。なにしろ僕が初高座を聴いた落語家5人のうち、彼女以外の4人は全員廃業してしまった。頑張ってもらわないと困る。

喬太郎は最近髪を黒く染めて(一部だけ白く残し)ていたが、映画(「スプリング、ハズ、カム」)撮影のためだったと。大学に入学する娘のために上京してきた広島のタクシー運転手の役だそう(本人は運転免許を持っていない)。表参道の美容室へ行った(場違いな?)体験談を披露。撮影は終了し、先月聴いた時に比べて色が薄らいだ。

「首ったけ」は吉原を舞台にした滑稽噺。男が遊女にいいようにあしらわれるという点では「三枚起請」や「辻占茶屋」に近いものがある。

喬太郎がケーブルテレビで渥美マリ主演の「裸でだっこ」(1970,大映)という映画を観ていたら、古今亭志ん朝が出ていて驚いたと。もし、噺家で忠臣蔵を映画化するとしたら、故人でもよければ大石内蔵助は志ん朝が適役ではないか(今なら市馬)、堀部安兵衛は武闘派だから立川談春か林家彦いちを、また吉良上野介はこの人を置いてないと、声を出さずに立川談志の形態模写をして場内爆笑に。その百面相の可笑しいこと!

「カマ手本忠臣蔵」は浅野内匠頭とその家臣がゲイだったらという設定で、クライマックスの討ち入りも四十七士(ノンケなし)が全滅するという奇想天外な展開に。小説「影武者徳川家康」みたいな歴史の新解釈というかミステリー仕立てですこぶる面白かった。

「三十石」は船頭の舟唄がたっぷりあって、市馬の美声を堪能。こればっかりは上方で彼に太刀打ち出来るものはいないのではないかと想った。大満足。

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2015年7月24日 (金)

アンドレ・プレヴィンと映画〜ヒメノ/大フィル 定期

7月23日(木)フェスティバルホールへ。

グスターボ・ヒメノ/大阪フィルハーモニー交響楽団で、

  • レブエルタス:センセマヤ
  • アンドレ・プレヴィン:チェロ協奏曲 日本初演
    (独奏:ダニエル・ミュラー=ショット)
  • ガーシュウィン:パリのアメリカ人
  • バーンスタイン:「ウエストサイド物語(WSS)」より
     ”シンフォニック・ダンス”

ヒメノはスペインのバレンシア生まれなんだけれど、お国ものがないのが何ともユニーク。これってドゥダメル/シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラが組みそうなプログラムじゃない?実際彼らはセンセマヤとWSSが入ったアルバムをレコーディングしているし。レブエルタスはメキシコ人でメキシコはスペイン語圏だから(スペイン人コルテスがアステカ帝国を滅ぼした)、辛うじてヒメノと繋がっているのだけれど。

アンドレ・プレヴィンは1929年ベルリン生まれのドイツ系ユダヤ人。ナチス・ドイツの迫害を逃れてアメリカに亡命した。この点、ビリー・ワイルダー監督(「サンセット大通り」、「お熱いのがお好き」)やフランツ・ワックスマン(映画「サンセット大通り」、「陽のあたる場所」でアカデミー作曲賞受賞)と似ている。プレヴィンは1950年代から映画音楽に携わり、ミュージカル映画「マイ・フェア・レディ」ではアカデミー編曲賞を受賞。指揮も担当している。ジョン・ウィリアムズと親しく、「スター・ウォーズ」(1977)のサウンド・トラックをロンドン交響楽団が演奏しているのは当時同オケの音楽監督だったプレヴィンによる尽力の賜である

日本初演となるチェロ協奏曲 第1楽章の濃厚なロマンの薫り漂う第2主題を聴いて僕はニヤリとした。節回し・ハーモニーがエーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトそっくりなのである。プレヴィンは今日におけるコルンゴルト・ルネッサンスの立役者である。何と彼はコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲を3回レコーディングしている(独奏はパールマン、シャハム、ムター。僕は全て所有している)。ドイツ・グラモフォンにはコルンゴルトの交響曲嬰ヘ長調や「シー・ホーク」などの映画音楽集も残している。正に伝道師と言えるだろう。打って変わって第2楽章は調性と無調の狭間をたゆたうような如何にもゲンダイオンガクをしていて、そのコントラストが新鮮。

ヒメノの指揮はレブスタルで正確にリズムを刻み、カチリとした演奏だったが面白味に欠ける気がした。プレヴィンのコンチェルトも煮え切らない。チェロも何だか不完全燃焼。

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ところが、後半になると俄然良くなった。

僕は「巴里のアメリカ人」を聴くと、即座にアカデミー作品賞を受賞したMGMの同名ミュージカル映画(1951年、ヴィンセント・ミネリ監督)のクライマックス・シーンが脳裏に浮かぶ。ジーン・ケリーとレスリー・キャロンのデュエット・ダンスが素敵だった。舞台化され、現在ブロードウェイで上演中(是非観たい!)。ヒメノは刻々と変化するリズムの織りなす綾を鮮やかに描き分け、メリハリを付ける。

「シンフォニック・ダンス」を大フィルが定期で取り上げるのはこれが初めてという。僕は大植英次の指揮による2009年「青少年のためのコンサート」で聴いている(その時の記事はこちら)。考えてみれば生真面目なオーケストラの定期演奏会でオケマンが指パッチンしたり、「マンボ!」と叫んだりすることってないよね。漸く新しい時代が幕を開けたという感じ。僕はジョン・ウィリアムズやコルンゴルトの映画音楽が定期で聴ける日を愉しみにしている。天下のウィーン・フィル(2010@シェーンブルン宮殿)や、今年は遂にラトル/ベルリン・フィル(@ヴァルトビューネ)も「スター・ウォーズ」を演奏したのだから、その日はきっとそう遠くないと確信している。

しかし残念だったのはプログラムのどこにも「シンフォニック・ダンス」のアレンジャー(シド・ラミンアーウィン・コスタル)の名前が明記されていないこと。例えばオーケストラが「展覧会の絵」を演奏する時、ムソルグスキー作曲とだけ書く!?普通ラヴェル編(他者による編曲の場合もあり)と併記するよね。非常識だ。

ヒメノは冒頭の〈プロローグ〉から浮遊感があった。パンチが効いた〈クール〉もスカッとした。アンサンブルは精緻で、〈Somewhere〉は大フィル自慢の弦が美しい。いや〜綻びが散見された「青少年のためのコンサート」でのパフォーマンスよりずっと上手かった。お見事!

余談だが、レニーが〈Somewhere〉にチャイコフスキー:幻想序曲「ロメオとジュリエット」の旋律をこっそり忍ばせていることに、みんな気が付いた?ホラ、「ウエストサイド物語」はロミジュリを基にしているから。

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2015年7月23日 (木)

佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ「椿姫」(他プロダクションとの比較あり)

7月20日(月)兵庫県立芸術文化センターへ。

佐渡裕/兵庫芸術文化センター管弦楽団ほかで、

  • ヴェルディ/オペラ「椿姫」

を観劇。配役はテオナ・ドヴァリ(ヴィオレッタ)、チャド・シェルトン(アルフレード)、高田智宏(ジェルモン)、ルネ・テータム(フローラ)ほか。演出・マイム振付はイタリアのロッコ・モルテッリーティ。オーケストラにはゲスト・コンサートマスターとしてステファーノ・ヴァニャレッリ(トリノ王立歌劇場管弦楽団コンサートマスター)、第2ヴァイオリンにペーター・ヴェヒター(元ウィーン国立歌劇場管弦楽団)、チェロにレリア・キッチ(トリノ王立歌劇場管弦楽団首席)を迎えた。

佐渡の指揮はいつもながら凡庸で、聴くべきところがない。テンポは重く、カンタービレはもっと歌って欲しいと不満が残る。しかしそれはずーっと前から判っていたことで織り込み済み、端から期待していない。オケは要所要所に経験豊富な本場の人を迎えただけあって健闘していた。文句なし。

期待していた演出にはガッカリだった。近年のオペラ演出の特徴は次の二つの潮流が挙げられる。

  1. 衣装や舞台を現代に置き換える「読み替え」
  2. 映像を駆使したもの

1.の代表的成功例は2005年ザルツブルク音楽祭における「椿姫」だろう。演出はヴィリー・デッカー。主要3役にアンナ・ネトレプコ、ローランド・ヴィラゾン、トーマス・ハンプソン。カルロ・リッツィ指揮のウィーン・フィルの演奏。医師に死神の役割を当て、舞台に置かれた巨大な時計がクルクル回転するのが印象的だった。この演出は大評判となり、ニューヨークのメトロポリタン・オペラでも上演された。

2.ではメトの「ニーベルングの指環」(シルク・ドゥ・ソレイユのロベール・ルパージュ演出)やスカラ座の「ニーベルングの指環」(ギー・カシアス演出)などがある。

今回は2.のパターンで、舞台後方に設置された可動式縦長の7面スクリーンに映像が映し出される。で映像を多用したものは平板になりがちで、今回も例外ではなかった。なんか安っぽいんだよね。特に画面に登場人物が大写しにされると舞台に集中できず、煩わしい。衣装(カルメラ・ラチェレンツァ)はオーソドックスだが悪くなかった。

因みに僕が気に入っている「椿姫」の演出は、前述したデッカー版と絢爛豪華なフランコ・ゼッフィレッリ版(映画と、ブッセートのジュゼッペ・ヴェルディ劇場のものがある)。

今まで観たヴィオレッタでビジュアル的に優れていると感じたのは1994年コヴェント・ガーデンのアンジェラ・ゲオルギュー(2007年スカラ座も映像として残されているが、ゲオルギューの容色が衰えているのでいただけない。要するにオバチャンになっちゃった)、ステファニア・ボンファデッリ(ジュゼッペ・ヴェルディ劇場)、そしてアンナ・ネトレプコ(ザルツブルク音楽祭)。今回のテオナ・ドヴァリは中々の美人で、上記3人と比較しても遜色なかった。また弱音が繊細で美しく、歌の方も大満足。

アルフレード役のチャド・シェルトンは決して美声ではないが、声量がありよく通るので◯。

あと意外な収穫(失礼!)だったのが高田智宏。日本は多くの優れた弦楽器奏者やピアニストを輩出しているが、声楽についてはからっきし駄目。完全に中国や韓国から遅れを取っている。これは多分、日本人が努力していないのではなくて、解剖学的骨格(身体)の問題なのだろう。特にバリトンやバスなど低音が苦しい。しかし高田は朗々とした歌唱で堂々たるジェルモンだった。ブラビッシモ!

来年このシリーズはベンジャミン・ブリテンの「夏の夜の夢」だそうだ。大好きなオペラなのですごく愉しみ!

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2015年7月22日 (水)

《特別》であることの恍惚と不安〜「響け!ユーフォニアム」論

今回は上記記事に続く完結編、いわば「響け!ユーフォニアム」論の集大成である。第十一話「おかえりオーディション」を中心に語っていきたい。

第八話で麗奈は親友(となった)久美子に「私、特別になりたいの」と言う。そしてコンクールに出場するメンバーを決めるオーディションの日を迎え、吹奏楽部顧問の滝先生はトランペット・ソロに1年生の麗奈を指名する。しかし同パート3年生の香織先輩や、彼女を慕う2年生の”リボンちゃん”こと、優子はその結果に納得出来ない。やがて赴任前から滝先生と麗奈が顔見知りだったことが判明し、審査が公正ではなかったのではないかと生徒達に疑心暗鬼が広がる。そこで滝先生はオーディションのやり直しを提案する。僕は当然、マルちゃん(丸谷明夫先生)が考案した「淀工方式」でやるのだろうと想った。具体的にはこうだ。

オーディションの審査は生徒全員で行う。審査員は後ろ向きに座り、候補者の顔を見ない。候補者は名前でなく番号で呼ばれ、一言も喋らず演奏する。全員が吹き終わると審査員は自分が良かったと思う奏者に後ろ向きのまま挙手し、多数決で決める。先入観に左右されず純粋に音だけで選ぶやり方なので、あくまでフェアであり、禍根を残すことはない。

しかし滝先生は淀工方式を敢えて選ばなかった。審査する生徒は前を向いたまま麗奈と香織先輩のどちらが吹いているか認識出来る。そして候補者の目の前で決を採る。つまり誰が手を上げたのか本人に判るやり方だ。

音を聴けばどちらが上手いか歴然としている。しかし多くの生徒達は香織先輩に遠慮して麗奈に手を挙げることが出来ず、久美子ら2人だけ。一方、香織先輩には優子を含め同情票が2票入る。そこで滝先生はすかさず香織に問う。「あなたはどうしますか?」と。答えはひとつしなない。優子を含めその場にいる全員が(言わないだけで)真実を判っているのだから。

驚いた。何とも残酷で、鮮やかな采配である。つまり滝先生は香織自身の口から敗北宣言をさせるのだ。「私は凡人です。《特別》ではありませんでした」と。これは一種の公開処刑であるとも言えるだろう。初めから負け戦と判っていても、それでも挑まざるを得なかった。香織は紛れもないであった。滝先生が果たした役回りはさしずめ、切腹介錯である。死に場所を与えてやることで香織の魂は見事成仏出来たのだ。恐らく日本人にしか理解出来ない美学であろう。「粘着イケメン悪魔」で意地悪な滝先生に心底惚れたぜ!

日本の「響け!」ファンの間では、第八話と第十一話のどちらが神回かという熱い議論が日々交わされている。しかし海外のファンの反応は大きく異なる。彼らにとって香織や、その親衛隊の優子はただ「ウザい」存在であり、「負け犬(Loser)は引っ込んでろ!」の大ブーイングなのだ。特にアメリカは敗者を切り捨てる非情(合理的)な社会であり、勝ち負けを曖昧にして弱き者に「もののあはれ」を感じ、散りゆくものの美しさを愛でる日本人の感性(「忠臣蔵」はその典型)とは決定的に異なる。お国柄の違いが垣間見れて、興味深い現象であった。

最後に、第一話「ようこそハイスクール」の僕が大好きな場面について触れておこう。主人公である久美子は高校に入学して、吹奏楽部に入ろうかどうしようか迷っている。そこへクラスメートの葉月がチューバのマウスピースを購入して、学校の教室で一生懸命音を出そうと奮闘している姿を見かける。やり方を教える久美子。彼女の脳裏には小学生の頃、トロンボーンを吹いている姉から指導を受けてユーフォニアムのマウスピースで初めて音が出せた時の懐かしい想い出が浮かぶ。その時、同じクラスメイトの緑輝が一緒に吹部に入りませんか?と誘う。素直に「うん」と答える久美子。とても自然な流れで、楽器を演奏したことがある人間には必ず思い当たる節がある、心に響くエピソードだ。音を奏でる歓びーこの物語の真髄である。

京都アニメーションは「響け!ユーフォニアム」で前人未到の高みに到達した。そんな《特別》なアニメをみすみす逃す手はない。悪いことは言わない。DVD/Blu-rayを購入もしくはレンタルして、誰も見たことのなかった風景を直ちに目撃せよ!

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2015年7月19日 (日)

「ライアンの娘」〜デヴィッド・リーン賛歌

午前十時の映画祭で「ライアンの娘」(1970)を鑑賞。イギリスのデヴィッド・リーン監督作品。70mmフィルム、上映時間195分の大作である。アカデミー賞では助演男優賞(ジョン・ミルズ)、撮影賞(フレディ・A・ヤング)を受賞。

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僕が本作を初めて観たのが中学3年生の1982年3月3日、水野晴郎が解説者を務める日本テレビ「水曜ロードショー」。24分拡大放映(通常は2時間枠)だったが、CMが入るので正味2時間、つまり1時間以上ズタズタにカットされていたわけだ。

大学生になってレーザーディスクを購入。ただしシネマスコープをTVサイズ縦横比3:4にトリミングされたものだった。何年か経って漸くワイドスクリーンのLDが出たので早速買い直し、現在はDVDを所有している。しかしスクリーンで観るのは今回初めてだった。スケールが大きい作品なので大画面こそ相応しい。特に冒頭の海岸シーンなどはアイルランドの雄大な風景の中に、人物が点(アリ)のように動いている情景があり、テレビサイズでは殆ど認識出来ない。

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僕はデヴィッド・リーンの映画が大好きなのだが、特に「アラビアのロレンス」「ドクトル・ジバゴ」「ライアンの娘」の3本は抜きん出た傑作だと想う。これはリーンだけの功績ではなく、脚本のロバート・ボルト、フレディ・A・ヤングの撮影、モーリス・ジャールの音楽という際立った才能が集結した成果である。化学反応(chemistry)の賜物と言えるだろう、アカデミー作品賞/監督賞を受賞した「戦場にかける橋」も確かに優れた作品ではあるが、この3人が参加していないので何だか物足りない。またリーンの遺作「インドへの道」はボルトとヤングの名前がない。相性も余程良かったのだろう。フレディ・A・ヤングは「アラビアのロレンス」「ドクトル・ジバゴ」「ライアンの娘」で3度アカデミー賞を受賞、モーリス・ジャールがオスカーを手にしたのも「アラビアのロレンス」「ドクトル・ジバゴ」「インドへの道」と全てリーンの作品だ。

スティーヴン・スピルバーグは高校生の時に「アラビアのロレンス」を観たことが、映画監督を志す切掛になったと語っている。「アラビアのロレンス」「ドクトル・ジバゴ」「ライアンの娘」の三部作(と僕は勝手に呼んでいる)の共通点は戦争に翻弄される人間を描いていること、そして全て第一次世界大戦開戦(1914年)からロシア革命(1917年)にかけての時代が背景になっている(アラビア・ロシア・アイルランドと国は全く異なる)ことである。さらに大自然と人間の関係に焦点を合わせることも一致している。「戦場にかける橋」はこの自然に関してが弱いのだ。

今回観て、「ライアンの娘」は一点の隙もない、完璧な作品だなと改めて感服した。ポスターにもなっている海岸に舞う日傘の詩情、風で流される雲の影が砂浜を足早に移動する驚異の俯瞰ショット。高波が人々を飲み込もうとする猛烈な嵐の場面も「よくこれで死者が出なかったなぁ」という大迫力。激しい雨や風、陽の光とその影も本作の重要な登場人物たちなのである(カラー映画史上、最も映像が美しいのは「赤い靴」「天国の日々」そして「アラビアのロレンス」「ドクトル・ジバゴ」「ライアンの娘」の三部作であると僕は確信している)。

台詞は極端に少なく、映像が物語を押し進める。例えばロバート・ミッチャム演じる教師チャールズが新妻ロージー(サラ・マイルズ)の不倫を知る場面には一切台詞がない。自分の父親ライアンが裏切り者でイギリス軍に密告したことをロージーが悟り、それでも父を許して自分が罪を被ることを決意するのを、ふたりの眼差し(eye contact)だけで表現する演出も凄い。森の中でロージーと若い英国将校が性交する場面では木の枝に渡された蜘蛛の巣の糸が光り、ワタスゲの種子が風に飛ばされ池に着床する。これらが暗喩することは明らかであろう(若い頃観た時には全く気付かなかった!)。

トレヴァー・ハワード演じるコリンズ神父がまたいい味出しているんだよね。セックスに関しては禁欲しているけれど酒はガブガブ飲むし、独立(レジスタンス)運動には協力するなど実に人間臭い。そして時たま含蓄のあることを言う。最後に村八分にされて立ち去ることを余儀なくされるロージーとチャールズに対して彼が贈る餞の言葉が胸に沁みる。そこには微かに”希望”が残るんだ。詰まり「パンドラの匣」だね。

歳を取るに連れ、ロバート・ボルトのシナリオの素晴らしさが段々判ってきた。例えば「ドクトル・ジバゴ」でジバゴの死後、生き別れになっていた娘をジバゴの異父兄エフグラフ(アレック・ギネス)が見つけ出す。エフグラフはどうして母ラーラと離れ離れになってしまったのかと訊ねると娘は革命の混乱で逃げ惑っている時、群衆の中で父親と繋いでいた手が離れてしまい、行方がわからなくなったのだと語る。それに対しエフグラフはこう言う。「それはお前の本当の父親じゃない。コマロフスキーだ。実の親だったら絶対に握っている手を離したりはしない」ちなみに原作にこのシーンはない。僕が「ドクトル・ジバゴ」を初めて観たのは大学生の時だった。その頃は「そういうものかな」と聞き流していたのだが、息子が生まれて漸くこの台詞の重みを実感した。そうなのだ、親だったらどんなことがあろうと我が子の手を離しはしない。……ボルトはこの作品でアカデミー脚色賞を受賞した。

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2015年7月15日 (水)

映画「ターナー、光に愛を求めて」

評価:B+

原題は"Mr. Turner"。アカデミー賞では美術、衣装デザイン、撮影、作曲の4部門にノミネートされた。公式サイトはこちら

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マイク・リー監督はカンヌでパルムドールに輝いた「秘密と嘘」とか余り好きじゃないのだけれど、今回初めて「いい」と想った。

主演はティモシー・スポール。「ハリー・ポッター」シリーズのピーター・ペティグリューや「スウィーニー・トッド」の役人バムフォード、「英国王のスピーチ」のウィンストン・チャーチル役などで知られている。本作でカンヌ国際映画祭で男優賞を受賞。芸術家の崇高さと庶民的な下品さー聖と俗の同居を巧みに演じ切っている。 

物語的には画家の伝記映画、例えばロートレックを主人公とした「赤い風車」とかモディリアーニを描く「モンパルナスの灯」、「炎の人ゴッホ」などの枠を踏み越える作品ではないが、本作の魅力は兎に角、撮影監督ディック・ポープによる映像美、これに尽きる。ターナーの描いた絵の世界、その光と影の織りなす綾が目の前のスクリーンで鮮やかに展開されてゆくのだ。圧巻である。

ちなみに「007 スカイフォール」でジェームズ・ボンドとQがロンドン、ナショナル・ギャラリーで合う場面がある。ふたり話をしながら見ている絵がターナーの「戦艦テメレール号」。2005年に行われたイギリス国内の一般投票により「最も偉大なイギリス絵画」に選ばれた。

Turner

「スカイフォール」の映像もこのターナーの絵を意識している(撮影監督はロジャー・ディーキンス)。両者を観比べてみるのも一興だろう。

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悲しみの忘れ方 Documentary of 乃木坂46

評価:D

映画公式サイトはこちら

アイドルのドキュメンタリー映画を観るのはこれで6作品目である。AKB48が4本、そしてSKE48が1本。AKBの第1作(監督:寒竹ゆり)は凡庸な駄作だったが、高橋栄樹監督に交代してから後の3作品は見違えるような完成度となり、特に第2作は「戦争映画」と評しても過言ではない位の凄まじい傑作であった(レビューはこちら)。また石原 真が監督した「アイドルの涙 DOCUMENTARY of SKE48」もすこぶる面白かった。

で乃木坂46の登場だ。僕はバナナマンが司会するテレビ番組「乃木坂って、どこ?」を2011年10月の第1回放送から見ている。彼女たちの1stシングル「ぐるぐるカーテン」発売よりもずっと前の話だ。「乃木坂って、どこ?」の映像は今回のドキュメンタリーでも多々引用されている。

映画は死ぬほど詰まらなかった。生駒里奈、橋本奈々未、白石麻衣、西野七瀬、生田絵梨花らの幼少期の写真とか母親の手記が流れるんだけれど、そんな情報はいらねぇーんだよ!生駒が小学生の時に虐められていて、両親には黙っていたとか、白石が中学生の時に不登校になったとか、どーでもいい。僕らが興味が有るのは彼女たちの現在であって、過去ではない。生駒が秋田県の出身中学校を訪ねて、古巣ブラスバンド部の後輩が彼女に歌(合唱)をプレゼントする場面を(一曲丸ごと)延々聴かせられたのには閉口した。これは一体、誰のための映画なのか??取材で集めた母親たちの言葉が全て西田尚美のナレーションで語られるのも意味不明。親の出る幕ではない。七福神経験者など、ごく限られたメンバーにしかスポットライトが当たらないのも考えものだ。作り方としてAKBドキュメンタリー第1作の駄目なやり方を愚かにも踏襲している。一方、「アイドルの涙 DOCUMENTARY of SKE48」の場合は卒業生を含めて40人以上にインタビューを敢行している。そういうやり方でないと大局が見えない。井の中の蛙大海を知らず。乃木坂の2期生は完全無視。最後に申し訳程度に堀未央奈の名前が出てくるが、「バレッタ」で新センターに抜擢されて以降、ポジションが落ちる一方とナレーションで片付けられて、インタビューすらなし。これでは余りにも2期生たちが可哀想だ。松村沙友理のスキャンダルの扱いも生ぬる過ぎて煮え切らない。そもそも松村を解雇せずして、今年こそ紅白に出場できると運営陣は本気で考えているのだろうか?甘すぎる。

最低最悪、素材を生かし切れず、こんな代物を世に問うた監督の丸山健志は万死に値する。おととい来やがれ!

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2015年7月13日 (月)

女子率高っ!〜劇場版「進撃の巨人」[後編]自由の翼

評価:A

映画公式サイトはこちら

本作は上映館数が少なく、大阪府では4館、京都府が1館、兵庫県では西宮と明石の2館のみ。何と神戸市内は0!

公開3週目、TOHOシネマズ西宮で鑑賞。既に1日1回上映に減っていた。

兎に角、観客の女性率が6-7割でその高さに驚いた。因みに僕が細田守監督「時をかける少女」や劇場版「魔法少女まどか☆マギカ」を映画館で観た時は、男性率9割だった。やはりこれはリヴァイ人気の影響なのだろう。

週替りの入場特典色紙があり、第1週がエルヴィン団長、第2週がハンジ分隊長、そして第3週がリヴァイ兵長だったのだ。

Sing

女子人気があるというのはコンテンツとして強いよね。だって映画の興行は20−30代独身女性が支えているのだから。

因みに上映前に樋口真嗣監督の実写版「進撃の巨人」予告編もあった。

前篇で訓練兵時代がゴソッとカットされていたり、ミカサの両親が惨殺される幼少期の場面がなかったりと色々ファンの間では不満があったわけだが、後編でエレンの回想シーンとして訓練兵時代が登場、しかも完全に新しいエピソードだったのにはびっくりした。そして映画の流れにとっても大切な場面となった。またエレンとミカサの過去も登場し、前後編を通して観れば過不足のない仕上がりになっている。特に後編は編集の妙もあり、疾走感があって素晴らしい!5.1chサラウンド化された臨場感満点の音声や、完全リニューアルされた音楽も文句なし。特に調査兵団が馬を駆って壁外調査に出撃する場面は燃えるね!ここで主題歌「自由の翼」が流れるので、一層気分が高まるのだ。

あとテレビ・シリーズにはなかったエピローグ(ウォール教のニック司祭が壁の中の巨人について言及する場面)が追加されているのも嬉しかった。

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2015年7月10日 (金)

アンサンブル・ウィーン=ベルリン

7月9日(木)いずみホールへ。アンサンブル・ウィーン=ベルリンを聴く。1983年に結成。初期メンバーはヴォルフガング・シュルツ(Fl. ウィーン・フィル)、ハンスイェルク・シェレンベルガー(Ob. ベルリン・フィル)、カール・ライスター(Cl. ベルリン・フィル)、ミラン・トルコヴィッチ(Fg. ウィーン響)、ギュンター・ヘーグナー(Hr. ウィーン・フィル)だった。今回来日したのはカール=ハインツ・シュッツ(Fl. ウィーン・フィル)、クレメンス・ホラーク(Ob. ウィーン・フィル)、アンドレアス・オッテンザマー(Cl. ベルリン・フィル)、リヒャルト・ガラー(Fg. ウィーン響)、シュテファン・ドール(Hr. ベルリン・フィル)。曲目は、

  • バーバー:夏の音楽
  • メンデルスゾーン(シェーファー編):夏の夜の夢
  • フェルステル:木管五重奏曲
  • ドヴォルザーク(シェーファー編):弦楽四重奏曲 第12番「アメリカ」
  • リベラ:コントラダンツァ ベネズエラのワルツ(アンコール)

編曲のウルフ=グイド・シェーファーはマーロット木管五重奏団に所属するクラリネット奏者。

兎に角、純粋で抜けるようなホルンの音に魅了された。またフルートはほとんどヴィブラートをかけず、真っ直ぐ。先日亡くなったヴォルフガング・シュルツもそうだったので、このスタイルはウィーン・フィルの伝統なのかも知れない。ただクラリネットはいただけない。直ぐに管にツバが溜まるのか、音が濁る。ライスターやフックス、ポール・メイエらと比較すると、オッテンザマーの実力は明らかに劣る。

バーバーは茹だるような暑さと、高原の透明感が同居したよう。

夏の夜の夢」の間奏曲は森の木々を疾風が通りぬけ、職人の登場は朴訥。妖精の行進はチョコマカ動き、スケルツォは軽やかで精緻。夜想曲ではホルンの甘い音に溜息が出た。

アメリカ」第1楽章第1主題はファゴットのソロで開始された。これはアレンジに疑問を感じた。つい先日、五嶋みどりらの素晴らしい演奏を聴いたばかりだったので、オリジナルには敵わないなぁと感じた。

アンコールは小粋で洒落ていた。

クラリネットがアレだったけれど、ホルンが極上だったので十分満足した。

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2015年7月 9日 (木)

ピッチ・パーフェクト ←ビッチじゃないよ!

映画「ピッチ・パーフェクト」を「ビッチ」と勘違いする人が続出している。ピッチ=音高、あばずれ女じゃないよ。

評価:C

1500_

公式サイトはこちら

実はこれ、アメリカでは3年前に公開された作品である。あちらでは大人気で、「ピッチ・パーフェクト2」は、な、なんと!公開時に週末興行成績ランキングであの「マッドマックス 怒りのデス・ロード」を抑えて第1位に輝いた。これは本当に凄いこと。日本で長らくお蔵入りになっていたのは余り有名なスターが出ていないからだろう。ところがアナ・ケンドリックが「イントゥ・ザ・ウッズ」で人気が出て、雲行きが変わってきたというわけ。

大学のア・カペラ・コーラス部の物語。全米選手権みたいのがあって、決勝戦が開催されるのがニューヨークのリンカーン・センター。まぁ、「吹奏楽の甲子園」こと普門館みたいなものだ(耐震強度不足が判明したため、普門館で全日本吹奏楽コンクールが開催されることは今後一切なくなった)。ちなみにリンカーン・センターでは現在、渡辺謙主演のミュージカル「王様と私」が上演されている。

僕は音楽が好きだから、そこそこ愉しめた。しかし、決勝での嘘は耐え難かった。だって女性コーラスグループなのに、明らかに男声が入っているんだぜ!?メンバーのひとりが突然声変わりしたという設定だが、いくらなんでも無理やりだろう。それから無伴奏なはずなのに、明らかにリズムセクションの音が聴こえる。映画とは花も実もある絵空事だけれど、決して「虚構の中のリアリティ」を失ってはいけない。お粗末!

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桂吉弥 独演会

7月5日(日)兵庫県立芸術文化センターへ。

  • 桂米輝:子ほめ
  • 桂吉弥:親子酒
  • 桂佐ん吉:堪忍袋
  • 桂吉弥:メリーさん(吉弥 作)
  • 桂吉弥:蛸芝居

米輝(よねき)は初めて聴いた。米團治の弟子らしい。リズム感があっていい。

吉弥は先日亡くなった米朝師匠の想い出噺を。平成7年から10年まで米朝宅で内弟子生活を送り(吉朝一門の習わしだった)、その間に大師匠が人間国宝に認定されて紅白歌合戦の審査員を務めた時もカバン持ちをしたと。そして直伝の落語(小咄)「たけのこ」を披露。上方では数少ない、お武家様が登場する噺。「親子酒」は陽気でコミカルな一席。

桂文枝(旧・三枝)に勧められて始めた創作落語。毎年、干支にちなんだ作品を一つづつ創る。マクラでは高校生の頃ラジオが好きで、MBSヤングタウンの島田紳助とかをよく聴いていたと。「メリーさん」は乗ったタクシーにラジオが流れているという設定で、FM103で笑瓶がパーソナリティを務めている。フリップでラジオ局のイラストを掲げ、見台にラジオを置いてBGMを要所で流す。創意工夫があり、サゲも秀逸だった。一昨年の吉弥作「にょろにょろ」は聴いている途中にサゲが読めたので興ざめだったが、着実に進化している。文枝の創作落語と比べても遜色ない。甚く感心した。

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2015年7月 8日 (水)

2015年上半期 映画ベスト28

今年は今まで経験したことがないくらい映画豊作の年である。観るべきものが沢山あり、嬉しい悲鳴だ。

2015年6月末日までに公開された映画のベスト28を選出した。タイトルをクリックすれば各々のレビューに飛ぶ趣向となっている。

  1. イミテーション・ゲーム
  2. セッション
  3. はじまりのうた
  4. 幕が上がる
  5. フォックスキャッチャー
  6. バードマン あるいは (無知がもたらす予期せぬ奇跡)
  7. イントゥ・ザ・ウッズ
  8. ソロモンの偽証
  9. マッドマックス 怒りのデス・ロード
  10. グローリー ー明日への行進ー                
  11. アメリカン・スナイパー
  12. 博士と彼女のセオリー
  13. シンデレラ
  14. さよなら歌舞伎町
  15. 新宿スワン
  16. 寄生獣
  17. ビッグ・アイズ
  18. アイドルの涙 DOCUMENTARY of SKE48
  19. あの日の声を探して
  20. ラスト5イヤーズ
  21. 海街diary
  22. 薄氷の殺人
  23. 花とアリス殺人事件
  24. サンドラの週末
  25. チャッピー
  26. くちびるに歌を
  27. 百日紅 ~Miss HOKUSAI~
  28. Mommy/マミー

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2015年7月 7日 (火)

四人姉妹についての考察〜映画「海街diary」

評価:B+

Diary

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四人姉妹というのは小説や漫画の題材になりやすい素材らしい。その原点はオルコットの「若草物語」(1868)だろう。我が国では谷崎潤一郎が「細雪」(1948)を書き、五木寛之は「四季・奈津子」を上梓している。また江崎グリコの「ポッキー」CMから派生した「四姉妹物語」という映画もあった。漫画では大林宣彦監督が映画化した大山和栄の「姉妹坂」がある。そして吉田秋生「海街diary」の登場だ。

要するに美しい四人姉妹というのは絵になるんだよね。男だけの四人兄弟じゃ、むさ苦しくて駄目なんだ。ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」が男三人。そこまでだな。フジテレビ「若者たち」が男四人兄弟に長女ひとり。どうしても紅一点は欲しいところ。

「海街diary」は淡々とした映画だが、なかなか味わい深い作品だった。四人の女優のアンサンブルが見事で、まるで弦楽四重奏曲を聴いているかのよう。綾瀬はるかはしっかり者の長女。硬い蕾という印象。次女の長澤まさみは登場からベッドシーンで、服の露出も高く、熟した果実。三女・夏帆はのほほんと、ふわふわしている。四女の広瀬すずはとびきりの美少女。見飽きないねぇ。菅野よう子の音楽も静かに物語に寄り添っていて、中々いい。ただこの作品でカンヌに勝負したのは無謀かな。無冠に終わったのも宜なるかな。

次々と出てくる食べ物が美味しそう。おばぁちゃんの梅酒、生しらす丼、しらすトースト、ちくわカレー、アジの南蛮漬け、アジフライ定食……。そしてこれらは死者の想い出と密接に結びついている。

余談だけれど桜の場面を観ながら、是枝裕和監督が2011年に演出したAKB48「桜の木になろう」のミュージック・ビデオは救いようのない駄作だったなぁ、と想い出した。また本篇には江ノ島電鉄「極楽寺駅」が何度も登場するが、ここって高橋栄樹監督によるAKB48「君の背中」(センターは佐藤すみれと多田愛佳)MVに出てきたなぁ、と何だか懐かしかった。

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グローリー ー明日への行進ー

評価:A

Selma

原題"Selma"はアフリカ系アメリカ人(長いので以下、黒人と略す)が選挙権を求める「セルマ(からモンゴメリーへの)大行進」のことを指す。1965年3月7日の出来事だった。アカデミー賞では作品賞にノミネート。歌曲賞を受賞した。公式サイトはこちら

キング牧師こと、マーティン・ルーサー・キング・Jrのことを初めて知ったのは僕が高校生の時である。1963年のワシントン大行進の際に彼がしたスピーチを英語の副読本で読んだのだ。授業では彼の肉声テープも聞き、甚く感銘を受けた。内容もそうだが、キング牧師のスピーチは聴衆を熱狂させる技術においても卓越している。"I Have a Dream"というフレーズのリフレインが心地いい。リズム感がある。ゆっくりと話し始めて、クライマックスに達するとどんどん加速して言葉を畳み掛ける。高揚感があるのだ。

アカデミー作品賞・監督賞を受賞した映画「ガンジー」(1982)を映画館で観た時、僕は「次は(同じく非暴力・非服従を生涯貫いた)キング牧師の伝記映画がきっと創られるな」と想った。しかしそれから何と30年以上も待たさされることになろうとは、想像だにしなかった。「セルマ大行進」から半世紀、漸く映画は産声を上げた。

監督はエヴァ・デュヴァネイ、43歳の黒人女性である。どうしてこれだけ難産だったのか、彼女はその理由を語っている。

「キング牧師のスピーチには著作権がかけられているの。それは、すでに他の監督のものになっていたわ。その監督っていうのはスティーヴン・スピルバーグなの。だから映画の中でキング牧師のスピーチは使えなかった。彼が何を伝えようとしたのかを第一に考えて、全て言い換えていったの」

つまりスピーチを映画で使用するには遺族全員の了承が必要だった。スピルバーグはその難題を見事にクリアした。しかし最終的に映画のシナリオに遺族のO.K.が出ず、企画は膠着状態に陥っていた。そこでエヴァ・デュヴァネイは誰も思いつかなかったゲリラ戦を仕掛けたというわけ。鮮やかである。待った甲斐があった。

キングを聖人としてではなく、彼の人間的弱さ、迷い、苦悩まで描いたところが素晴らしい。等身大の存在として彼が降りてきた。

キングを演じたデヴィッド・オイェロウォはパーフェクト。もしスピルバーグの企画が動き出したら、是非彼にもう一度同役をやって欲しい。

あとラップとゴスペルを融合した主題歌が最高だね!映画の最後に聴くと、鳥肌が立つぐらい感動した。

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2015年7月 6日 (月)

マッドマックス 怒りのデス・ロード(3D字幕版)

評価:A

Furyroadposter

Mad_max_fury_road

映画公式サイトはこちら

狂っている。最初から最後までテンション・マックス。途轍もない映画だ。

ジョージ・ミラー、御年70歳。イカれたジジイである。誤解のないよう断っておくが、勿論褒め言葉である。前作からなんと30年ぶりの新作。その間に子豚さんが主人公の映画「ベイブ/都へ行く」やペンギン・アニメ「ハッピー フィート」(アカデミー長編アニメ映画賞受賞)を監督して好々爺になったかと思いきや、突然の豹変ぶり。

敵襲を受けながらも乗り物がひた走りに走り続ける映画という意味で、本作はジョン・フォード監督「駅馬車」を彷彿とさせる。またシャーリーズ・セロン演じるヒロインは「約束の地」を探して放浪するわけだが、これって旧約聖書の「出エジプト記」を意識しているんじゃないかな?ほら、モーゼ率いるイスラエルの民が真っ二つに割れた紅海を渡った後、それを追ってきたエジプト兵が一気になだれ落ちてきた海に飲み込まれてしまうじゃない?あれとよく似た場面が本作にもあるんだ。

スピーカーがいっぱいあって巨大なスピーカーとアンプがついたトラック「ドゥーフ・ウォーリアー」のアイディアには笑った。これに乗った兄ちゃんはヘビーメタルを延々と演奏しながエレキ・ギターから火炎放射する。戦意を高揚させるためだけに疾走する、いわば軍楽隊の代用だね。意味がなくて最高!

本作で主人公のマックスはひたすら「癒やし(Healing)」の役割を果たす。車を修理したり、輸血したり、気胸の救急処置を施したり。考えれば考えるほど奇妙な映画だ。もしかしたら監督は彼にキリストのイメージを重ねているのかも知れない。ちなみにジョージ・ミラーは医師を志して医科大学に進学。学生時代に短編映画を制作してコンクールに出品したところグランプリを獲得したのが契機となり、この業界で働くようになった。食えない時は救急隊員として働いていたこともあるという。

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2015年7月 2日 (木)

三浦一馬クインテット ガーシュウィン&ピアソラ

6月13日(土)ザ・フェニックスホールへ。

三浦一馬のバンドネオンをピアソラがライヴの基本形にしていたキンテート(バンドネオン、ヴァイオリン、ピアノ、エレキギター、コントラバスの五重奏)で聴く。

第1部 オール・ガーシュウィン・プログラム

  • ス・ワンダフル
  • 誰か私を見守って Someone To Watch Over Me
  • サマータイム
  • 私の彼氏 The Man I Love
  • 魅惑のリズム
  • ラプソディー・イン・ブルー
  • 「ガール・クレイジー」序曲

第2部 オール・ピアソラ・プログラム

  • デカリシモ
  • ブエノスアイレスの冬
  • ブエノスアイレスの夏
  • 天使へのイントロダクション
  • 天使のミロンガ
  • 天使の死
  • リベルタンゴ(アンコール)
  • アレグロ・タンガービレ(アンコール)

ガーシュウィンにはパーカッション(石川智)が加わった。

三浦は以前、師匠との共演を聴いている(2013年)。彼のプロフィールもそちらの記事に書いたので、ご参照あれ。

ヴァイオリン奏者が見たことある人だなと思ったら、モルゴーア・クァルテットの荒井英治だった。今年の5月に東京フィルハーモニー交響楽団ソロコンサートマスターを勇退したばかり。

ガーシュウィンはJazzなので、何だか聴きながらお酒でも飲みたくなった。

「ス・ワンダフル」はバンドネオンでJazzというのがしっくりこず違和感がつきまとったが、「誰か私を見守って」や「私の彼氏」はしっとり歌っていい感じ。「サマータイム」は楽器が咽び泣く。「魅惑のリズム」ではアドリブが弾けていた。「ラプソディー・イン・ブルー」は(原曲ではクラリネット・ソロの)冒頭から意外と合っているなぁと感心した。また山田武彦が弾くピアノには「スタインウェイ ニューヨーク」と印字されており(通常はハンブルク製)、こだわりが感じられた。

「デカリシモ」は華麗、「ブエノスアイレスの夜」は哀感、「ブエノスアイレスの夏」には滾るパッションがあった。「天使の死」はバンドネオンとヴァイオリンとの掛け合いがスリリング。

「アレグロ・タンガービレ」はお洒落で都会的。洗練されていた。

2年前と比較して三浦のバンドネオンは更にスケールが大きくなったように感じられた。そしてピアソラの音楽は様々なアレンジがあるけれど、やはりオリジナルのキンテートが最高!だと想った。

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ロト/読響 × 神尾真由子によるフランス音楽

6月25日(木)ザ・シンフォニーホールへ。

パリ生まれの指揮者フランソワ=グザヴィエ・ロト読売日本交響楽団 大阪定期演奏会を聴く。びっしり満席。

  • ベルリオーズ:歌劇「ベンヴェヌート・チェッリーニ」序曲
  • サン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲 第3番
    (独奏/神尾真由子)
  • ベルリオーズ:幻想交響曲

ロトは古楽器(ピリオド)オーケストラ「レ・シエクル」を創設。幻想交響曲やストラヴィンスキー/春の祭典を録音し、後者は日本でレコード・アカデミー大賞を受賞している。今回はティンパニを含め全てモダン楽器による演奏。また弦楽器群は古典的対向配置ではなく通常配置(ちなみに大植英次/大フィルの幻想交響曲は対向配置だった)。昨年末テレビで視聴したロト/N響のベートーヴェン第九はノン・ヴィブラートによる演奏だったが、今回は普通にヴィブラートを掛けていた。またロトは全曲、指揮棒なしで振った。

ベルリオーズの序曲は俊敏で瞬発力のある演奏。僕は「ましら(猿)の如く」という言葉を想い出した。

サン=サーンスの神尾は厚く、深みのある音を奏でた。伸びやかでスケールの大きな演奏。第2楽章はエレガントで都会(パリ)の夜を想起させる。第3楽章は緊密なアンサンブルに魅了された。

幻想交響曲は透明感があり、拍(はく)がはっきりしていて曖昧さが皆無。

第1楽章”夢と情熱”は溜息を付くような、儚い印象。実体がない幽玄の世界。第2楽章”舞踏会”は疾風怒濤シュトルム・ウント・ドランク)。第3楽章”野の情景”のイングリッシュホルンと舞台裏のオーボエとの対話はアクセントとスタカートを強調した表現。第4楽章”断頭台への行進”はキレキレで、魔界のものたちが蠢く、デフォルメされた空恐ろしい世界に呑み込まれる。第5楽章”ワルプルギスの夜の夢”は途轍もなく禍々しい悪夢が目の前に広がり、圧倒的力で聴衆をねじ伏せた。

指揮者の技量も卓越しているけれど、「今の東京のオーケストラってこんなハイ・レベルのオケが4つも5つもあるのか。日本人すげぇ!これだったら外来オケ聴く必要ないじゃん」という感想を持った(実際、読響は僕が生で聴いたバンベルク響やフィルハーモニア管より上手かった)。弦楽器群なら大阪フィルハーモニー交響楽団も互角の勝負だが、管楽器の実力が全然違う。完敗である。やっぱりグレードアップを図るためにも在阪オケの統廃合は絶対必要だと想った。

また今回聴きながら、幻想交響曲の前半(第1−3楽章)はゲーテの「若きウェルテルの悩み」、後半(第4,5楽章)は「ファウスト」が土台になっているんじゃないかと想った。

ちなみにベルリオーズは24歳の時(1828年)、ゲーテの「ファウスト」をジェラール・ド・ネルヴァルによるフランス語訳で読み、回想録に次のように書いている。「この本を読んで私は言い知れぬ感動を覚えました。最初の第1頁から私を虜にしてしまったのです。私はこの素晴らしい本を途中で置くことが出来なくなりました。食事の最中も、劇場にいるときも、そして街角でも、貪るように読み続けたのです。……これに音楽を付けたいという誘惑にどうしても逆らえませんでした」幻想交響曲が完成するのはベルリオーズ26歳の時である。

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