近・現代芸術をより深く理解するための必読書
将来これを読むであろう息子(現在4歳)と、未来を生きる若い人たちに向けて書いてみよう。君たちが悔いのない人生を送るための先輩からの餞(はなむけ)のメッセージだと思って読んで欲しい。
今更言うまでもなく、僕たち日本人は(好むと好まざるとに関わらず)欧米で生まれた文明・文化にどっぷり浸かって日々の生活を送っている。洋服を着て車や電車(または自転車)に乗り通勤・通学し、(平均律に基づく)洋楽を聴き、(エジソンを経てフランスのリュミエール兄弟を起源とする)映画やテレビを観て愉しみ、サッカー・野球・テニスに興じる。家庭用ガスや電化製品も欧米の発明品である。また我が国の憲法や議会民主主義はイギリスのそれを参考として制定されたものだし、病気になれば病院を受診して西洋医学の恩恵に与(あずか)る。アメリカで産まれたパソコンやスマホは最早、僕達にとって必要不可欠だ。
こういったものと全く関わることなく、江戸時代以前の暮らしを送っている人なんて皆無だろう。しかし西洋の文明・思想が、どういう背景から形成されてきたのか?そのルーツを正確に知っている人は意外と少ない。そこで欧米のみならず現代日本の芸術・文化の成立史を知る上でも是非抑えておきたい書物を幾つかご紹介しよう。
まず本の話に進む前に、欧米人の考え方の根幹をなすカルペ・ディエムCarpe Diem(その日を摘め)/メメント・モリMemento Mori(死を想え)という警句を押さえておこう。下記記事を参考にされたし。
では次のステップに移る。
1)ギリシャ神話
そもそも「ヨーロッパ」の語源はギリシャ神話に登場する姫の名「エウロペ」である。ゼウスは策略をめぐらし彼女と交わり、後にクレタ島の王となるミノスらを産ませた。
ギリシャ神話あるいは、ホメロス(アオイドス=吟遊詩人)の叙事詩「イーリアス」「オデュッセイア」を原作とするオペラを列記してみよう。
- 「ピグマリオン」ラモー(作曲)
- 「オルフェオ」「ウリッセの帰還」モンテヴェルディ
- 「オルフェオとエウリディーチェ」グルック
- 「イドメネオ」モーツァルト
- 「ゼルミーラ」ロッシーニ
- 「地獄のオルフェ(天国と地獄)」オッフェンバック
- 「メディア」ケルビーニ
- 「トロイアの人々」ベルリオーズ
- 「プロメテ」「ペネロープ」フォーレ
- 「エレクトラ」「ナクソス島のアリアドネ」「ダナエの愛」
R.シュトラウス - 「エウロペの略奪」「見捨てられたアリア-ヌ」「解放されたテセウス」ミヨー
- 「オディプス王」ストラヴィンスキー
ちなみに楠見千鶴子(著)「オペラとギリシャ神話」(音楽の友社)によるとギリシャ神話に関連するオペラは150以上もあるという。如何にギリシャ神話がヨーロッパ文化に影響を及ぼしていたかという証拠である。
劇団四季がしばしば上演する20世紀フランスの劇作家ジロドゥ(1882-1944)の「アンフィトリオン38」「エレクトル」「トロイ戦争は起こらないだろう」もギリシャ神話を題材にしている。ラシーヌ(1639-1699)の「アンドロマク」やコクトー(1889-1963)の「オルフェ」、アヌイ(1910-1987)の「アンチゴーヌ」「ユリディス」もしかり。
またミュージカル「マイ・フェア・レディ」の原作はバーナード・ショウの戯曲「ピグマリオン」(1913年初演)。タイトルになったピュグマリオーンとはギリシャ神話に登場するキプロス島の王であり、現実の女性に失望していた王は自ら理想の女性・ガラテアを彫刻した。その像を見ているうちに彼はガラテアに恋をするようになる。そしてこの物語は映画「プリティ・ウーマン」や「舞妓はレディ」に継承されていく。
ゲーテ「ファウスト」第二部にはギリシャ神話からの引用がふんだんに登場するので、ある程度の知識がないと歯がたたないだろう。シェイクスピア「夏の夜の夢」もしかり。
カンヌ国際映画祭で国際批評家大賞を受賞し、日本でもキネマ旬報ベスト・ワンに輝いた、ギリシャのテオ・アンゲロプロス監督の代表作「旅芸人の記録」(1975)という作品がある。第二次世界大戦前後に跨がる近代ギリシャ史を描く大作だが、旅芸人の一座の名前ーアガメムノン、クリュタイムネストラ、エレクトラ、アイギストス、オレステスなどはギリシャ神話及び「イーリアス」の登場人物である。そしてプロットも古代神話に基いている。
ウディ・アレン脚本・監督の映画「誘惑のアフロディーテ」(1995)のアフロディーテとは恋の女神のことであり、ローマ名はウェヌス。この英語読みがヴィーナスである。また映画には古代ギリシャ劇のコロス(合唱隊)が登場する。
ウォルト・ディズニーの最高傑作「ファンタジア」でベートーヴェン/田園交響曲のセクションで描かれるのもズバリ、ギリシャ神話の世界である。ゼウス(ジュピター)、ヘーパイストス(バルカン)、ディオニューソス(バッカス)、パン……。君たちは何人、言い当てられるだろうか?
手軽にギリシャ神話の知識を得るには芥川賞作家・阿刀田高「ギリシャ神話を知っていますか」(新潮文庫)や「私のギリシャ神話」(集英社文庫)をお勧めしたい。ユーモアがあって読み易い。しかもベージ数が少ない!非常に優れたガイドブック(入門書)である。
2)旧約聖書/新約聖書
一般に旧約聖書はユダヤ教、新約聖書はキリスト教の聖典だと思われがちだが、キリスト教徒にとっては旧約と新約を合わせたものが「聖書」である。どちらも不可欠なのだ。
ディズニーの「ピノキオ」で鯨に呑み込まれて生還するエピソードがあるが、あれは旧約聖書「ヨナ書」に基づいている。ちなみにカルロ・コッローディが書いた原作小説「ピノッキオの冒険」では鯨ではなく鮫に呑み込まれる。なお、旧約聖書には”大きな魚”と書かれているだけなので、鯨とも鮫とも解釈出来る。
ジェームズ・ディーン主演の映画が有名なスタインベックの小説「エデンの東」はタイトルそのものが旧約聖書に基いている。そしてプロットは旧約聖書「創世記」第4章に登場する兄弟カインとアベルの物語をなぞる形式を取る(監督のエリア・カザンはユダヤ人で元共産党員。赤狩りでの自分の裏切り〘非米活動委員会での証言〙に対する周囲の反応を、エデンの東に追放されたカインの物語に重ねている)。
またジョン・フォード監督の映画でも知られるスタインベックの「怒りの葡萄」の出典は新約聖書「ヨハネの黙示録」。新天地を求めてカリフォルニアに向かう一家の物語は旧約聖書「出エジプト記」のモーゼに率いられたユダヤ民族の旅を彷彿とさせる。
スピルバーグ監督「未知との遭遇」もまた、「出エジプト記」が骨子となっている。繰り返し出てくる山のイメージはモーゼが神から十戒を授かったシナイ山を暗示している(主人公の家族はテレビでセシル・B・デミル監督の「十戒」を観ている)。また主人公が子どもたちに「ピノキオ」を観に行こうと誘う場面もある。
アカデミー撮影賞を受賞し、全篇が”マジック・アワー”で撮影されたことで余りにも有名なテレンス・マリック監督の「天国の日々」のタイトルも旧約聖書が出典。イナゴが襲ってくる意味も聖書の知識がないとチンプンカンプンだろう。カンヌ国際映画祭で最高賞パルム・ドールを受賞したマリックの「ツリー・オブ・ライフ」とはエデンの園にある生命の樹のことであり、知恵の樹と対をなす。映画の冒頭には旧約聖書のヨブ記が引用され、これがテーマに深く関わっている。
庵野秀明「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」(旧・新世紀エヴァンゲリオン)を理解する上でも聖書の知識は必須だよね。そもそもエヴァンゲリストとはキリスト教における伝道者のことだから。
聖書を原典で読むというのはキリスト教徒でもなければ敷居が高すぎる。そこでまたまた登場、阿刀田高「旧約聖書を知っていますか」「新約聖書を知っていますか」(新潮文庫)が重宝する。またキリストの生涯を知るには映画「偉大な生涯の物語」(音楽:アルフレッド・ニューマン)とか、フランコ・ゼッフィレッリ監督のテレビ映画「ナザレのイエス」(音楽:モーリス・ジャール)などをお勧めしたい。数ある宗教映画の中でなぜこれか、というと音楽が僕のお気に入りなんだよね。他意はない。アンドリュー・ロイド=ウェバーのロック・ミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」もいいね!ウェバー22歳の作曲。彼は文字通り天才だった(過去形)。さらに言えば、ウェバーの"Joseph and the Amazing Technicolor Dreamcoat"は旧約聖書の物語に基づくミュージカルである。
3)ダンテ「神曲」
宮﨑駿は「風立ちぬ」シナリオ作りにあたり、ダンテの「神曲」を参考にしたと明言している(こちらの記事)。つまり「風立ちぬ」のヒロイン・菜穂子は「神曲」のベアトリーチェであり、ラストシーンでカプローニと堀越二郎が立っている草原は煉獄(天国と地獄の中間地点)なのだ。そこへ天から菜穂子が降りてきて「来て」と言うのが絵コンテ(シナリオ)の第1稿だった。つまり「神曲」同様、彼女は二郎を天国に導こうとしていたのである。しかしアフレコの最終段階になって台詞は「生きて」に変更された。「風立ちぬ」が「神曲」をベースにしていることが判れば、ダンテを道案内するウェルギリウス(実在した古代ローマ詩人)の役回りをカプローニが担っていることが明快になるだろう。だからイタリア人なのである。
永井豪は幼少期に読んだ子供向け「神曲」に掲載されたギュスターヴ・ドレの挿絵に衝撃を受けたという。そして後に「神曲」にインスパイアされた漫画「魔王ダンテ」や「デビルマン」を書いた。また「神曲」そのものも漫画化している。
フランツ・リストはダンテ交響曲を作曲した。チャイコフスキーは「地獄篇」第5歌を基に幻想曲(管弦楽曲)「フランチェスカ・ダ・リミニ」を書いている。ちなみにチャイコフスキーはゲイだったので、キリスト教的価値観から判断すると死後は地獄に落ちると覚悟していた筈である。だから禁断の恋の果てに地獄で苦しむフランチェスカとパオロに共感したのだろう。またゲーテの「ファウスト」も明らかに「神曲」の影響を受けている。つまりベアトリーチェは約500年の歳月を経てグレートヒェンとして生まれ変わったのだ。
しかし脱線の多いダンテ「神曲」を全篇読むのは苦行だ。そこで伝家の宝刀!阿刀田高「やさしいダンテ『神曲』」(角川文庫)をどうぞ。永井豪の漫画版とか、挿絵が豊富な「ドレの神曲」(宝島社)でもいいんじゃないかな?
4)シェイクスピアの戯曲
ウィリアム・シェイクスピア(1564-1616)の作品は現代でも盛んに上演されている。戯曲を「読む」必要はない。是非舞台を観て欲しい。ただ地方によっては演劇に接する機会が少ないかも知れない。そういう場合は映画が便利だ。ローレンス・オリヴィエ主演・監督「ハムレット」「ヘンリィ五世」「リチャード三世」、フランコ・ゼッフィレッリ監督「じゃじゃ馬ならし」「ロミオとジュリエット」、ケネス・ブラナー主演・監督「ヘンリー五世」「から騒ぎ」「ハムレット」、トレヴァー・ナン監督「十二夜」等をお勧めする。またヴェルディのオペラ「マクベス」「オテロ」「ファルスタッフ」もいい。「オテロ」はプラシド・ドミンゴ主演、フランコ・ゼッフィレッリ監督の優れたオペラ映画がDVDで出ている。
他にシェイクスピアに基づく(霊感を受けた)クラシック音楽を挙げよう。
- パーセル/歌劇「テンペスト、または魔法の島」
- ベートーヴェン/ピアノソナタ第17番「テンペスト」
- シベリウス/劇音楽「テンペスト」
- トーマス・アデス/歌劇「テンペスト」(2004年初演)
- シューマン/「十二夜」より”道化の終幕の歌”
- ウェーバー/歌劇「オベロン」
- メンデルスゾーン/劇付随音楽「夏の夜の夢」
(「結婚行進曲」が有名) - ブリテン/歌劇「夏の夜の夢」
- ベルリオーズ/大序曲「リア王」
- ベルリオーズ/劇的交響曲「ロメオとジュリエット」
- グノー/歌劇「ロメオとジュリエット」
- チャイコフスキー/幻想的序曲「ロメオとジュリエット」
- チャイコフスキー/幻想的序曲「ハムレット」
- トーマ/歌劇「ハムレット」
- ロッシーニ/歌劇「オテロ」
- ドヴォルザーク/序曲「オセロ」
- ヴェルディ/歌劇「オテロ」
- ヘルマン・ゲッツ/歌劇「じゃじゃ馬ならし」
- ハンス・ロット/「ジュリアス・シーザー」への前奏曲
- ニコライ/歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」
- サリエリ/歌劇「ファルスタッフ」
- ヴェルディ/歌劇「ファルスタッフ」
- エルガー/交響的習作「ファルスタッフ」
- ウォルトン/「ハムレット」「ヘンリィ五世」「リチャード三世」の音楽
- ヴォーン・ウィリアムズ/シェイクスピアの詩による3つの歌
最低限押さえておきたいシェイクスピア作品は「ハムレット」「オセロー」「マクベス」「リア王」の四大悲劇と「ロミオとジュリエット」「リチャード三世」、喜劇なら「ヴェニスの商人」「十二夜」「ウィンザーの陽気な女房たち」「(真)夏の夜の夢」あたりかな?「夏の夜の夢」にインスパイアされた作品として小池修一郎作・演出の宝塚歌劇「PUCK」や、イングマール・ベルイマン監督のスウェーデン映画「夏の夜は三たび微笑む」も推薦したい。後にこれを原作としてスティーヴン・ソンドハイム作詞・作曲のブロードウェイ・ミュージカル「ア・リトル・ナイト・ミュージック」が誕生する。またミュージカル「ウエストサイド物語」が「ロミオとジュリエット」のパスティーシュであることは論を俟たない。あとディズニーの「ライオンキング」は手塚治虫の「ジャングル大帝」だけではなく、「ハムレット」もベースにしている。
日本では黒澤明監督の「蜘蛛巣城」が「マクベス」の翻案である。黒澤の「乱」は「リア王」。因みに「乱」がランクインしている、米タイム誌が選ぶ「シェイクスピア映画のベスト10」リストはこちら。アカデミー作品賞を受賞した「恋におちたシェイクスピア」(1998)も是非観て欲しいのだが、「十二夜」がベースになっているので出来れば予習をして臨もう。
5)ミルトン「失楽園」
ジョン・ミルトン(1608-1674)はイギリスの詩人で共和派の運動家。「魔法少女まどか☆マギカ」テレビ・シリーズの方はゲーテ「ファウスト」を下敷きにしているが、劇場版[新編]「叛逆の物語」はミルトンの「失楽園」がベースになっている。暁美ほむらがどうして最後に自らを「悪魔」と名乗るのかは「失楽園」を読めば納得出来る。
またトールキンの「指輪物語」(ロード・オブ・ザ・リング)やプルマンの「ライラの冒険」三部作(黄金の羅針盤etc.)、ローリングの「ハリー・ポッター」シリーズなども間違いなく「失楽園」の影響を受けている(黄金の羅針盤は「失楽園」で言及されている)。つまりイギリスで隆盛を誇るファンタジー文学の原点が「失楽園」だと言えるだろう。余談だが「指輪物語」は神話「ニーベルングの指環」からの影響も見逃せない。こちらは本ではなく、ワーグナーのオペラを観ることをお勧めたい。ちなみに宮﨑駿「崖の上のポニョ」も「ニーベルングの指環」に繋がっている(くわしくはこちら)。
「失楽園」第6巻(全12巻)最後でサタン率いる反乱天使の軍団がことごとく追い詰められ、地獄の果てへと突き落とされる場面で、僕は宮﨑駿監督「天空の城ラピュタ」のクライマックス・シーン(破壊兵器であるラピュタの下層部分だけが地に堕ち、一本の大木に支えられた上層部が上昇していく)を想い出した。
なお、「神曲」の煉獄に相当するのが「失楽園」では「混沌(Chaos)」 と「夜」の領域である。
映画評論家・町山智浩氏はクリストファー・ノーラン監督「ダークナイト」と「失楽園」の関連性を指摘している。つまり一見目的がないようにみえるジョーカー(=サタン)が引き起こす犯罪の真の狙いは「神への挑戦」であり、だから彼は我々(神の創造物である人間)に選択を迫り、試すのである。そしてこの町山氏の解釈は諫山創「進撃の巨人」に繋がってゆく(→諫山氏のブログへ)。「壁の中」は神に庇護されたエデンの園であり、家畜の安寧・虚偽の繁栄がある。一方「壁の外」は混沌(Chaos)であり、嵐が吹き荒び危険が待ち構えている。しかしそこには自由がある。だから人間は決して拐(かどわ)かされたのではなく、自らの意志で林檎を囓ることを選択し、自由の翼を得て羽ばたくのだ。実写版「進撃の巨人」のシナリオに町山氏が参加しているのは決して偶然ではない。
「失楽園」は平井正穂訳の岩波文庫版でどうぞ。名訳でサクサク読める。訳注が豊富なのも勉強になってありがたい。
6)ゲーテ「ファウスト」
シューベルトの歌曲「糸を紡ぐグレートヒェン」の出典はゲーテの「ファウスト」第一部である。この詩には他にグリンカ、ヴェルディ(6つのロマンツェ)、ワーグナー(ゲーテのファウストのための7つの小品)らも曲を付けている(ワーグナーにはファウスト序曲も)。
ベルリオーズ「幻想交響曲」第5楽章は「ワルプルギスの夜の夢」。これは「ファウスト」に登場する。第4楽章「断頭台への行進」も「ファウスト」のイメージだ。この作曲家にはそのものズバリ「ファウストの劫罰」という作品もある。
メンデルスゾーンはゲーテのテキストに基づきカンタータ「最初のワルプルギスの夜」を、シューマンは独唱、合唱、管弦楽のための「ゲーテのファウストからの情景」という大作を書いている。またフランスのシャルル・グノーはオペラ「ファウスト」を作曲し、ハンガリーのフランツ・リストは合唱を伴うファウスト交響曲を書いた。因みにリストに「ファウスト」を読むよう勧めたのは友人のベルリオーズである。
俗に「千人の交響曲」と呼ばれるマーラー:交響曲 第8番の後半は「ファウスト」第二部から最後の場面より歌詞が採られている。さらにイタリアの作曲家ブゾーニはオペラ「ファウスト博士」を1916年に着手したが未完に終わった。ヴェルディの「オテロ」や「ファルスタッフ」の台本を書いたボーイトはオペラ「メフィストフェーレ」を作曲している。
これだけ数多くの作曲家に刺激を与えた小説(戯曲)って、他にはシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」(ベッリーニとグノーのオペラ、ベルリオーズの劇的交響曲とチャイコフスキーの幻想序曲、プロコフィエフのバレエ、バーンスタインの「ウエストサイド物語」とプレスギュルヴィックによるフランス産ミュージカル←大好き!)くらいしか思い付かない。
そもそも「ファウスト」を日本語で最初に完訳したのは文豪・森鴎外である。そして太宰治は長編小説「正義と微笑」で森鴎外訳「ファウスト」を引用し、芥川龍之介も「三つのなぜ」でファウストについて考察している(全文は→こちら)。
天才・手塚治虫は生涯で3度「ファウスト」を漫画化している。まず20歳頃の赤本時代の「ファウスト」、42歳頃に「百物語」、そして未完の遺作となった「ネオ・ファウスト」である。ゲーテ「ファウスト」第二部にホムンクルス(人造人間)が合成される場面があるが、僕はこれを読みながら鉄腕アトム誕生の情景を連想した。あとアトムの最後は太陽に向かうわけだけれど、それってギリシャ神話のイカロスだよね(ファウストの息子オイフォリオンも同じ運命をたどる)。鉄腕アトムの物語は後にキューブリック/スピルバーグの映画「A.I.」に引き継がれる(「鉄腕アトム」を観たキューブリックは手塚治虫に「2001年宇宙の旅」の美術監督を引き受けてくれないかと打診している。しかし当時、多くの連載と「虫プロダクション」を抱えていた手塚にはそんな余裕はなく、断っている)。
黒澤明監督「生きる」で主人公が飲み屋で偶然知り合う小説家(伊藤雄之助)は次のような台詞を言う。「あなたの無駄に使った人生をこれから取り返しに行こうじゃないですか!私はね、今夜あなたのために喜んでメフィストフェレスの役を務めます。代償を要求しない善良なるメフィストの役をね。おあつらえ向きに黒い犬もいる。こらっ案内しろ!」つまり「生きる」は「ファウスト」を下敷きにしており、魂の救済者=小田切みきがグレートヒェンなのである。市役所の市民課長である主人公が自分の死を迎える直前に公園を完成させるのは、ファウストがその晩年に干拓事業を成し遂げることに符合する。
またアニメ「魔法少女 まどか☆マギカ」に登場するきゅうべえや、漫画「デスノート」の死神リュークは明らかに「ファウスト」のメフィストフェレスである。ついでに言えば、リュークがいつも持っている林檎は旧約聖書でアダムとイヴがエデンの園から追放される契機となった知恵の木に生える果実であり、それを食べることを唆したのが蛇に化身した悪魔=メフィストなのである。
それからディズニー「ファンタジア」でムソルグスキー/禿山の一夜のセクションはワルプルギスの夜の夢を描いていると申し添えておく。
西洋人は契約を重視する。これは口約束が慣例の日本人には中々理解し難いことである。しかしファウストはメフィストフェレスから差し出された契約書にサインするし、旧約聖書では神とユダヤ民族とが契約を結ぶ。ここから「選民思想」が生まれる。つまり聖書そのものが契約書なのである。そして後に神との契約関係はひたすら律法を遵守することであると考えられるようになる。
「ファウスト」を読むなら「ブリキの太鼓」新訳でも話題になった池内紀訳の集英社文庫版がオススメ。文豪ゲーテって内容が重くて読み難いのかなとずっと先入観を持っていたのだが、意外にもサラッと読めた。今まで知らなかったのだけれど、戯曲仕立てなのでほとんど会話文で進行するから難解なところが皆無なんだよね。池内のエッセイ「ゲーテさんこんばんは」もいい。ゲーテってイメージと全然違って、好奇心旺盛で親しみがわく人物だったんだね!「目から鱗が落ちる」体験だった(←ちなみにこの諺、由来は新約聖書「使徒行伝」である)。
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