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2015年6月

ライオンキング@大阪四季劇場

6月28日(日)大阪四季劇場で「ライオンキング」を観劇。僕は1998年12月20日に四季劇場[春]でこのミュージカルの日本初演(初日)を観ている。今回の出演者及び、初演時のキャストを( )で書き添えておく。

  • ラフィキ:遠藤珠生(丹靖子)
  • ムファサ:宇龍真吾(早川正)
  • ザズ:井上隆司(明戸信吾)
  • スカー:本城裕二(下村尊則)
  • ティモン:川口雄二(中嶋徹)
  • ブンバァ:川辺将大(小林アトム)
  • シンバ:南晶人(坂元健児)
  • ナラ:朴悠那(濱田めぐみ)

東京初演では生オーケストラだったが大阪はカラオケ。舞台両脇に配置されたパーカッション2人だけ生演奏だが、打楽器は録音の部分も多く、なんだかなーという感じ。因みに現在は東京公演もカラオケ+2人パーカスになっているらしい。装置が進化したのか音響は以前四季を観劇した時より良くなっていて、そんなに不満はなかった。ティモンとブンバァが関西弁というのは大阪公演ならでは。意外と違和感がなく、悪くなかった。

出演者の歌唱力についてだが、初演キャストと比較して遜色なかった。ただ初演のシンバ:坂元健児は体操でインターハイに出場した経験があり、アクロバティックなダンスに見応えがあった。あとスカーはコミカルながら悲哀も感じさせる下村尊則の方が味があったし、ムファサも威厳がある早川正が好きだったな。まぁしかし、総じて大阪キャストも健闘していたと思う。

今月4歳になったばかりの息子の初劇場体験となった。大丈夫だろうか?おとなしく座っていられるかな、と心配だったのだが杞憂に終わった。ムファサが暗殺される場面では「僕がハイエナどもをやっつけてやる!」と言ったりして、とっても楽しそうだった。さすがエンターテイメントに徹するアメリカのショー・ビジネスは偉大だなと改めて痛感した。ただ2幕前半は少し寝ていたのだけれど、成長したシンバとナラの恋愛(発情期)シーンだから子供は観なくていいかなと想った。

16年ぶりの「ライオンキング」だったわけだが、そういえばこの話、「ハムレット」がベースになっているんだったなぁと久しぶりに想い出した。

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福笑・喬太郎 二人会

6月22日(月)天満天神繁昌亭へ。

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  • 笑福亭たま:寿限無
  • 笑福亭福笑:瀞満峡(どろみつきょう)
  • 柳家喬太郎:ハンバーグができるまで
  • 柳家喬太郎:擬宝珠
  • 笑福亭福笑:裏切り同窓会

たまの「寿限無」は師匠譲り(?)の下ネタで、色々工夫があった。

福笑はマクラで喬太郎を褒め殺し。

喬太郎は福井県の落語会に出演した時に、前からどうしても行きたかったソースカツ丼の「ヨーロッパ軒総本店」に足を運んだ逸話を披露。しかしなんと「都合により今日から3日間休みます」との張り紙が。「そこをなんとか!」と言いたい気持ちになったと。仕方なく駅弁でソースカツ丼を食べた。しかし東京に戻ってみると、池袋の西武デパートにヨーロッパ軒が出店していることを発見。「ハンバーグができるまで」は天才・喬太郎の新作にしては出来が悪いと想った。滑稽噺なのか人情噺なのか、どっちつかずで中途半端な印象。迷いが感じられた。人情に走るのなら「ハワイの雪」みたいに徹底的に行ったほうがいい。

休憩を挟み喬太郎はウルトラマンの出囃子で登場。初代ウルトラマンと、帰ってきたウルトラマン=ウルトラマンジャックはスペシウム光線を発射する姿勢が違うと横向きになったりして熱弁を振るう。また「スペクトルマン(旧:宇宙猿人ゴリ)」も好きだったと。ガチャガチャにはまり、ウルトラマンやレインボーマンのコレクションをしたことなどをマクラで。「擬宝珠(ぎぼし)」では「宝珠(ほうじゅ)」との違いを説明。これは明治の新作落語で喬太郎が復活させたもの。冒頭部、若旦那が気病(きやまい)で手伝いの熊五郎がその原因を探るためやって来るところまでは「崇徳院」と同じ。そこから奇想天外な展開に。要するに変態の噺。でもそこに人間の業(ごう)の肯定があるところが如何にも落語らしい。いいね!

裏切り同窓会」は福笑らしくサディスティックで、そこに老人問題も絡めた噺。名人芸を堪能。

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シリーズ《映画音楽の巨匠たち》第4回/追悼ジェームズ・ホーナー

シリーズ《映画音楽の巨匠たち》第4回をお届けする。

2015年6月22日、小型飛行機がアメリカ・カリフォルニア州のサンタバーバラ近郊で墜落し、操縦していたジェームズ・ホーナーが死亡した。彼は映画「タイタニック」とその主題歌”マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン”でアカデミー作曲賞及び歌曲賞を受賞したことで広く知られている。享年61歳だった。

映画音楽、特にオーケストラ・サウンドが好きなファンで一番人気が高い作曲家は間違いなくジョン・ウィリアムズであろう。何と言っても「ジョーズ」「E.T.」などスピルバーグ映画の殆どを担当し、他にも「スター・ウォーズ」「スーパーマン」「ハリー・ポッター」シリーズなどブロックバスター作品を一手に引き受けているのだから当然だ。次がジェリー・ゴールドスミス。ただジェリーの場合はB級映画が多く、アカデミー賞もウィリアムズの5回受賞に対して「オーメン」1回きりだから地味な印象は拭えない。日陰の身なのでファンの方も屈折していて、何かにつけジョンに難癖をつける傾向がある。攻撃的なのだ。このように犬猿の間柄のジョンとジェリーのファンだが、唯一意見が一致している点がある。「ジェームズ・ホーナーなんか!」と小馬鹿にしているところである。それにはちゃんとした理由があって、彼は昔から「パクリのホーナー」とか「使い回しのホーナー」と呼ばれて来たのだ。

例えばホーナーが作曲した映画「グローリー」の合唱曲はオルフ「カルミナ・ブラーナ」そっくりである。「ウィロー」のテーマはシューマンの交響曲 第3番「ライン」に瓜二つ。「ミクロキッズ」の音楽がレイモンド・スコットの"Powerhouse"やニーノ・ロータの「アマルコルド」に酷似していると問題になり、訴訟問題にまで発展したこともある。また僕は、かの有名な「タイタニック」の音楽が大嫌いなのだが、その理由はエンヤのパクリだからである。ジェームズ・キャメロン監督は元々、「タイタニック」の音楽をジョン・ウィリアムズにしてもらいたかったのだが、断られた。次にエンヤに白羽の矢を立てた。彼女はアイルランド出身でケルト音楽をベースに音楽制作をしているからである(タイタニック号3等客の大半はアイルランド移民だった)。しかし映画の劇伴音楽を担当した経験したことがないエンヤは無理だと断った。困り果てていたキャメロンにホーナーはこう言った。「じゃぁ、僕が引き受けようか。要するにエンヤみたいな曲を書けばいいんだろう?」こうして「タイタニック」の音楽は生まれた。ちなみに若いころ二人はロジャー・コーマンの下で働いており、「エイリアン2」で既にコンビを組んでいる間柄だった。

使いまわしについてだが、ホーナーはしばしば過去に自分が作曲した映画音楽を別の映画に流用していた。あれは確か僕が映画館で「パトリオット・ゲーム」か「今そこにある危機」を観ていた時だと思うが、突如スクリーンに「エイリアン2」の音楽が流れ始めたので椅子からずり落ちそうになった。ただ使い回しはニーノ・ロータもしていたことなので(例えば「ゴッドファーザー」)一概にホーナーだけを責めることは出来ない。

こんな風に映画音楽ファンから軽蔑の眼差しで見られ、色々問題があるホーナーだったが、いざその訃報を聞くと動揺を抑えられない自分に戸惑っている。結局、なんだかんだ言っても彼の音楽が好きだったんだなぁ。という訳で僕が考える彼のベスト10を発表しよう。

  1. ブレイブハート
  2. ビューティフル・マインド
  3. アポロ13
  4. フィールド・オブ・ドリームス
  5. スター・トレックII カーンの逆襲
  6. 銀河伝説クルール
  7. レジェンド・オブ・フォール/果てしなき想い
  8. ロケッティア
  9. ボビー・フィッシャーを探して
  10. アメリカ物語
  11. アバター

ホーナーの最初期の作品はロジャー・コーマン製作の「The Lady in Red」(1979、日本未公開)や「宇宙の七人」(1980)だが、広く知られるようになるのは「スター・トレックII カーンの逆襲」(82)が切っ掛けだった。アレクサンダー・カレッジ「宇宙大作戦」やジェリー・ゴールドスミス「スター・トレック」のモティーフを継承しながら、ちゃんと独自性を打ち出している辺り、中々したたかである。神秘的なスポックのテーマもいい。余談だが「宇宙の七人」のサントラ、オケが少人数で音がペラペラ、しかも技量が低くてトランペットなんか音を外しまくり。低予算スペース・オペラの悲哀が感じられて笑える。

1996年に開催された第68回アカデミー賞授賞式でホーナーは「アポロ13」と「ブレイブハート」の2作品で作曲賞にノミネートされていた。しかし受賞したのはイタリア映画「イル・ポスティーノ」のルイス・バカロフだった。僕は今でもこれはミス・ジャッジだったと断言できる。ホーナーはパクリの「タイタニック」ではなく、「アポロ13」か「ブレイブハート」で受賞するべきだった。後2者こそ彼の真の代表作である。「ブレイブハート」はバグパイプをフィーチャーし、スコットランド・テイストが耳に心地いい。しんみりする。「アポロ13」は特に発射シーンの音楽が好き。気高くて、思わず姿勢を正してしまう雰囲気がある。

やはりアカデミー作曲賞にノミネートされた「ビューティフル・マインド」は短いフレーズを繰り返すミニマル・ミュージック/オスティナートの手法を駆使して数学的美しさを見事に音楽で構築した。この方法論は同じく数学者や理論物理学者を主人公とする映画「博士と彼女のセオリー」や「イミテーション・ゲーム」でも応用されている。またシャルロット・チャーチの歌声は透明感があって美しいことも特筆に値する。

フィールド・オブ・ドリームス」は映画自体も音楽も爽やかな風が通り抜けるような清々しさがあって、静かに涙が流れてくる。そんな印象。

銀河伝説クルール」は壮大なロマンが感じられる。映画は未見だが、風のうわさによるとしょーもないらしい。サントラの演奏はロンドン交響楽団とアンブロジアン・シンガーズ。無駄に豪華である。

レジェンド・オブ・フォール/果てしなき想い」は雄大な大自然を連想させる。エッ?ジョン・バリー作曲の映画音楽「愛と哀しみの果て(Out of Africa)」に似てるって?まあまあ、許してあげて。僕はこの作品を映画館で観たのだが、余りにも詰まらなくて、ブラッド・ピットが出ていたということ以外、内容はすべて記憶から消えている。

先日ブラッド・バードの「トゥモローランド」を観ていて、無性に「ロケッティア」のことが想い出された。空への憧れが感じられる音楽で好きなんだよね。少年の日の夢に立ち返るというか。

ボビー・フィッシャーを探して」は静謐な叙情。一部「ビューティフル・マインド」に似た旋律が登場するのはご愛嬌ということで。まぁ、ホーナーだし。

スピルバーグ製作総指揮のアニメ「アメリカ物語」はなんと言っても主題歌“Somewhere Out There”がいい!心に滲みる。アカデミー歌曲賞にノミネートされ、グラミー賞最優秀楽曲賞を受賞。エッ、「オズの魔法使い」の"Over the Rainbow(虹の彼方に)"にそっくりだって?シーッ!!

次点の「アバター」(2009)は、「ビューティフル・マインド」(2001)以降パッとしなかったホーナー起死回生の一撃となった。”マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン”に似た旋律が出てくるのが気になるが、パーカッションがいいし合唱の使い方に独特のセンスを感じる。アカデミー作曲賞ノミネート。

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ベルリン・フィルの危険な賭け

2018年で勇退が決まっているサイモン・ラトルの後任となるベルリン・フィル首席指揮者に漸くロシア出身のキリル・ペトレンコ(43歳)が決まった。この人事は揉めに揉めた。ベルリン・フィルは団員が首席指揮者を投票で選ぶが、5月に行われた総会では123人の団員の意見が割れて議論が11時間にも及び、「今回は決定できず」「将来の方向性を巡って根本的な意見の隔たりがあった」と結論が先送りされていた。真偽の程は定かでないが、その時に有力候補と取り沙汰されたのはラトビア出身のアンドリス・ネルソンス、ドイツのクリスティアン・ティーレマン、ベネズエラのグスターヴォ・ドゥダメルらである。

フルトヴェングラーカラヤンの時代からこのオケのシェフはベートーヴェンやブラームスなどドイツ音楽を得意とすることが必須であり(アバドラトルはこの条件をクリアしていた)、レパートリーの点ではティーレマンが適任かと思われたが、「保守的でベルリン・フィルには適さない」と否定する奏者と、伝統的スタイルを志向する者との隔たりが埋まらなかったとみられている。僕は重苦しいテンポの守旧派・生きた化石=ティーレマンが大嫌いだから、団員の総意を断固支持する。

首席指揮者決定の一報を聞いて、僕を含め日本のクラシック音楽ファンの大半の反応は「ペトレンコって一体、誰??」だった。寝耳に水、狐につままれたような感じ。来日経験のない彼の実演を聴いたことがある人は殆どおらず、発売されているCDもごく僅かなのである。膨大なナクソス・ミュージック・ライブラリー(NML)に入っているのはスークの交響詩「人生の実り」「冬の夕べの物語」を収録したアルバムとプフィッツナーの歌劇「パレストリーナ」全曲の2点のみ。Amazonなどで検索するとショスタコーヴィチの交響曲を積極的に録音しているヴァシリー・ペトレンコという指揮者がヒットするのだが、全くの別人なので要注意!勘違いしている人が続出している。

そこでしっかり調べてみた。キリル・ペトレンコは18歳の時、地元オムスク(シベリア連邦管区)でオーケストラのコンサートマスターを務めていた父親がオーストリアで職を得たことを切っ掛けに移住、ウィーン国立音楽大学で学んだ。2013年よりバイエルン州立歌劇場の音楽総監督を務め、バイロイト音楽祭では「ニーベルングの指環」を振っている。

ベルリン・フィルへのデビューは2006年、その時のプログラムはバルトーク/ヴァイオリン協奏曲第2番(独奏:テツラフ)とラフマニノフ/交響曲第2番。2009年にはベートーヴェン/ピアノ協奏曲第3番(独奏:フォークト)、エルガー/交響曲第2番、2012年の定期ではストラヴィンスキー/詩篇交響曲、スクリャービン/法悦の詩、そして28歳の時に第一次世界大戦で戦死したドイツのシュテファンの曲という凝ったプログラムであった。2014年12月にはマーラー/交響曲第6番を振る予定だったがキャンセルしている(代役はハーディング)。たった3回の共演、しかもベルリン・フィル得意のドイツ物(メインストリーム)はベートーヴェンのコンチェルト1曲のみという経験で、果たしてシェフとして適任と判断出来るのであろうか?大いに疑問が残る。

そもそも過去100年の歴史を振り返ってみてもムラヴィンスキー、ロジェストヴェンスキー、コンドラシン、スヴェトラーノフ、キタエンコ、フェドセーエフ、ゲルギエフなどロシアの指揮者でベートーヴェンやブラームスを得意とする人は皆無である。それともペトレンコの場合、18歳からウィーンで学んでいるので稀有な例外なのだろうか?

カラヤンはその生涯でベルリン・フィルとベートーヴェン/交響曲全集を4回録音した。ブラームスの全集は3回である。しかし21世紀を迎えた現在、CDは全く売れずインターネットによる映像配信サービス(デジタル・コンサートホール)などに主力が移行している(はっきり言う、CDなんてとっくの昔にオワったコンテンツだ)。だから最早、ベルリン・フィルはドイツ物に重きを置いていないのだろう。彼らは新しい風を求め、未知数の才能に賭けた。吉と出るか凶と出るかは誰にも判らない。でも失敗したって別にいいじゃない。フルヴェンやカラヤンみたいに一指揮者が生涯シェフを務める時代じゃないのだから。

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朝夏まなと(主演)宝塚宙組「王家に捧ぐ歌」と、その寓意。

6月21日(日)宝塚大劇場へ。木村信司(台本・演出)宝塚星組「王家に捧ぐ歌」を観劇。

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僕は2003年7月の初演を観ている。湖月わたる檀れいのトップお披露目公演だった。一部でロシアのマイヤ・プリセツカヤ振付の場面があったのだが、今回プリセツカヤの名前はクレジットされていない。2009年には外部公演として安蘭けい(アイーダ)、伊礼彼方(ラダメス)により「The Musical AIDA -宝塚歌劇団「王家に捧ぐ歌」より-」が上演され、これは梅田芸術劇場で観ている。またティム・ライス(作詞)エルトン・ジョン(作曲)のディズニー版「アイーダ」もブロードウェイでオリジナル・キャスト(ヘザー・ヘッドレイ、アダム・パスカル)を観た。

久しぶりに「王家に捧ぐ歌」を観て、初演当時の世相を色濃く反映した作品だなぁと改めて痛感した。2001年にアメリカで9・11同時多発テロが勃発、その首謀者アルカーイダの引き渡しに応じなかったターリバーン政権に対し同年10月からアメリカはアフガニスタンへの空爆を開始、さらにジョージ・W・ブッシュは「大量破壊兵器」保有を口実に2003年3月よりイラクへの侵略戦争を開始した。しかしアメリカの真の狙いは石油の利権獲得と国内の軍需産業(軍産複合体)、具体的にはロッキード・マーチン、ボーイング、ノースロップ・グラマン3社への利益誘導にあった(例えばディック・チェニー副大統領は世界最大の石油掘削機販売会社ハリバートン社の元CEOで、夫人のリン・チェニーはロッキード・マーチン社の元取締役だった)。最終的にイラクに「大量破壊兵器」がなかったことは今や周知の事実である。

つまり「王家に捧ぐ歌」で描かれる金満国家エジプトはアメリカ合衆国(共和党政権)のメタファーであり、ファラオ暗殺は9・11、エジプトに蹂躙されるエチオピアはアフガニスタンやイラクの寓意であると解釈出来る。そしてラダメスは最後にファラオとなったアムネリスに問う。「(勝者となった)あなた達は今後も、戦い続けるのか?」と。

甲斐正人が作曲した楽曲もいいし、僕は「王家に捧ぐ歌」を和製ミュージカルの最高傑作の一つだと確信している(他に三谷幸喜作「オケピ!」など)。少なくともディズニー版「アイーダ」よりも格上だ。

また美術装置(大田 創)がスケールが大きくて素晴らしい。

ラダメス役の朝夏まなとは以前ドラマシティ公演を観た。

美形だし、バランスの良い男役である。ダンス力は抜群、そして歌も音程は外さない。少なくとも湖月わたるよりは上手かった(ただ太陽のように明るい湖月のラダメスも僕は好きだった)。僕は基本的に丸顔の男役は(男に見えないので)余り好みではないのだが、朝夏まなとに咎はない。ちなみにAKB48の渡辺麻友が彼女の大ファンだそうだ(まゆゆは以前、蘭寿とむがお気に入りだった)。閑話休題。

アイーダ役の実咲凜音は兎に角、声が悪い。それから叫ぶことが演技だと勘違いしているフシがあって、気に入らない(少なくとも僕にはそう見える)。今改めて、初演の安蘭けいは本当に歌も演技も申し分なかったなぁとつくづく想う。

アイーダの兄を演じる真風涼帆は格好良かった。

初演のアムネリスは宝塚歌劇中国公演で「楊貴妃の再来」と讃えられた檀れいが正に美貌のピークの時期であり、他を圧するほど輝いていたのだが、今回の伶美うららもそれに引けをとらないくらい美しかった。鼻が高いので特に横顔が綺麗。ただ歌が……。高音になると裏声になり、声量が半分くらいに落ちる。ま、歌唱力については檀れいもアレだったので、どっこいどっこいかな。天は二物を与えず、詮ないことだ。「美しいことは正義」、だから◯。

総じて見応えがあり、「やっぱり僕はこの作品が大好きだなぁ〜」と実感した。

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近・現代芸術をより深く理解するための必読書

将来これを読むであろう息子(現在4歳)と、未来を生きる若い人たちに向けて書いてみよう。君たちが悔いのない人生を送るための先輩からの餞(はなむけ)のメッセージだと思って読んで欲しい。

今更言うまでもなく、僕たち日本人は(好むと好まざるとに関わらず)欧米で生まれた文明・文化にどっぷり浸かって日々の生活を送っている。洋服を着て車や電車(または自転車)に乗り通勤・通学し、(平均律に基づく)洋楽を聴き、(エジソンを経てフランスのリュミエール兄弟を起源とする)映画やテレビを観て愉しみ、サッカー・野球・テニスに興じる。家庭用ガスや電化製品も欧米の発明品である。また我が国の憲法や議会民主主義はイギリスのそれを参考として制定されたものだし、病気になれば病院を受診して西洋医学の恩恵に与(あずか)る。アメリカで産まれたパソコンやスマホは最早、僕達にとって必要不可欠だ。

こういったものと全く関わることなく、江戸時代以前の暮らしを送っている人なんて皆無だろう。しかし西洋の文明・思想が、どういう背景から形成されてきたのか?そのルーツを正確に知っている人は意外と少ない。そこで欧米のみならず現代日本の芸術・文化の成立史を知る上でも是非抑えておきたい書物を幾つかご紹介しよう。

まず本の話に進む前に、欧米人の考え方の根幹をなすカルペ・ディエムCarpe Diem(その日を摘め)/メメント・モリMemento Mori(死を想え)という警句を押さえておこう。下記記事を参考にされたし。

では次のステップに移る。

1)ギリシャ神話

そもそも「ヨーロッパ」の語源はギリシャ神話に登場する姫の名「エウロペ」である。ゼウスは策略をめぐらし彼女と交わり、後にクレタ島の王となるミノスらを産ませた。

ギリシャ神話あるいは、ホメロス(アオイドス=吟遊詩人)の叙事詩「イーリアス」「オデュッセイア」を原作とするオペラを列記してみよう。

  • 「ピグマリオン」ラモー(作曲)
  • 「オルフェオ」「ウリッセの帰還」モンテヴェルディ
  • 「オルフェオとエウリディーチェ」グルック
  • 「イドメネオ」モーツァルト
  • 「ゼルミーラ」ロッシーニ
  • 「地獄のオルフェ(天国と地獄)」オッフェンバック
  • 「メディア」ケルビーニ
  • 「トロイアの人々」ベルリオーズ
  • 「プロメテ」「ペネロープ」フォーレ
  • 「エレクトラ」「ナクソス島のアリアドネ」「ダナエの愛」
    R.シュトラウス
  • 「エウロペの略奪」「見捨てられたアリア-ヌ」「解放されたテセウス」ミヨー
  • 「オディプス王」ストラヴィンスキー

ちなみに楠見千鶴子(著)「オペラとギリシャ神話」(音楽の友社)によるとギリシャ神話に関連するオペラは150以上もあるという。如何にギリシャ神話がヨーロッパ文化に影響を及ぼしていたかという証拠である。

劇団四季がしばしば上演する20世紀フランスの劇作家ジロドゥ(1882-1944)の「アンフィトリオン38」「エレクトル」「トロイ戦争は起こらないだろう」もギリシャ神話を題材にしている。ラシーヌ(1639-1699)の「アンドロマク」やコクトー(1889-1963)の「オルフェ」、アヌイ(1910-1987)の「アンチゴーヌ」「ユリディス」もしかり。

またミュージカル「マイ・フェア・レディ」の原作はバーナード・ショウの戯曲「ピグマリオン」(1913年初演)。タイトルになったピュグマリオーンとはギリシャ神話に登場するキプロス島の王であり、現実の女性に失望していた王は自ら理想の女性・ガラテアを彫刻した。その像を見ているうちに彼はガラテアに恋をするようになる。そしてこの物語は映画「プリティ・ウーマン」や「舞妓はレディ」に継承されていく。

ゲーテファウスト」第二部にはギリシャ神話からの引用がふんだんに登場するので、ある程度の知識がないと歯がたたないだろう。シェイクスピア夏の夜の夢」もしかり。

カンヌ国際映画祭で国際批評家大賞を受賞し、日本でもキネマ旬報ベスト・ワンに輝いた、ギリシャのテオ・アンゲロプロス監督の代表作「旅芸人の記録」(1975)という作品がある。第二次世界大戦前後に跨がる近代ギリシャ史を描く大作だが、旅芸人の一座の名前ーアガメムノン、クリュタイムネストラ、エレクトラ、アイギストス、オレステスなどはギリシャ神話及び「イーリアス」の登場人物である。そしてプロットも古代神話に基いている。

ウディ・アレン脚本・監督の映画「誘惑のアフロディーテ」(1995)のアフロディーテとは恋の女神のことであり、ローマ名はウェヌス。この英語読みがヴィーナスである。また映画には古代ギリシャ劇のコロス(合唱隊)が登場する。

ウォルト・ディズニーの最高傑作「ファンタジア」でベートーヴェン/田園交響曲のセクションで描かれるのもズバリ、ギリシャ神話の世界である。ゼウス(ジュピター)、ヘーパイストス(バルカン)、ディオニューソス(バッカス)、パン……。君たちは何人、言い当てられるだろうか?

手軽にギリシャ神話の知識を得るには芥川賞作家・阿刀田高ギリシャ神話を知っていますか」(新潮文庫)や「私のギリシャ神話」(集英社文庫)をお勧めしたい。ユーモアがあって読み易い。しかもベージ数が少ない!非常に優れたガイドブック(入門書)である。

2)旧約聖書/新約聖書

一般に旧約聖書はユダヤ教、新約聖書はキリスト教の聖典だと思われがちだが、キリスト教徒にとっては旧約と新約を合わせたものが「聖書」である。どちらも不可欠なのだ。

ディズニーの「ピノキオ」で鯨に呑み込まれて生還するエピソードがあるが、あれは旧約聖書「ヨナ書」に基づいている。ちなみにカルロ・コッローディが書いた原作小説「ピノッキオの冒険」では鯨ではなく鮫に呑み込まれる。なお、旧約聖書には”大きな魚”と書かれているだけなので、鯨とも鮫とも解釈出来る。

ジェームズ・ディーン主演の映画が有名なスタインベックの小説「エデンの東」はタイトルそのものが旧約聖書に基いている。そしてプロットは旧約聖書「創世記」第4章に登場する兄弟カインとアベルの物語をなぞる形式を取る(監督のエリア・カザンはユダヤ人で元共産党員。赤狩りでの自分の裏切り〘非米活動委員会での証言〙に対する周囲の反応を、エデンの東に追放されたカインの物語に重ねている)。

またジョン・フォード監督の映画でも知られるスタインベックの「怒りの葡萄」の出典は新約聖書「ヨハネの黙示録」。新天地を求めてカリフォルニアに向かう一家の物語は旧約聖書「出エジプト記」のモーゼに率いられたユダヤ民族の旅を彷彿とさせる。

スピルバーグ監督「未知との遭遇」もまた、「出エジプト記」が骨子となっている。繰り返し出てくる山のイメージはモーゼが神から十戒を授かったシナイ山を暗示している(主人公の家族はテレビでセシル・B・デミル監督の「十戒」を観ている)。また主人公が子どもたちに「ピノキオ」を観に行こうと誘う場面もある。

アカデミー撮影賞を受賞し、全篇が”マジック・アワー”で撮影されたことで余りにも有名なテレンス・マリック監督の「天国の日々」のタイトルも旧約聖書が出典。イナゴが襲ってくる意味も聖書の知識がないとチンプンカンプンだろう。カンヌ国際映画祭で最高賞パルム・ドールを受賞したマリックの「ツリー・オブ・ライフ」とはエデンの園にある生命の樹のことであり、知恵の樹と対をなす。映画の冒頭には旧約聖書のヨブ記が引用され、これがテーマに深く関わっている。

庵野秀明ヱヴァンゲリヲン新劇場版」(旧・新世紀エヴァンゲリオン)を理解する上でも聖書の知識は必須だよね。そもそもエヴァンゲリストとはキリスト教における伝道者のことだから。

聖書を原典で読むというのはキリスト教徒でもなければ敷居が高すぎる。そこでまたまた登場、阿刀田高旧約聖書を知っていますか」「新約聖書を知っていますか」(新潮文庫)が重宝する。またキリストの生涯を知るには映画「偉大な生涯の物語」(音楽:アルフレッド・ニューマン)とか、フランコ・ゼッフィレッリ監督のテレビ映画「ナザレのイエス」(音楽:モーリス・ジャール)などをお勧めしたい。数ある宗教映画の中でなぜこれか、というと音楽が僕のお気に入りなんだよね。他意はない。アンドリュー・ロイド=ウェバーのロック・ミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」もいいね!ウェバー22歳の作曲。彼は文字通り天才だった(過去形)。さらに言えば、ウェバーの"Joseph and the Amazing Technicolor Dreamcoat"は旧約聖書の物語に基づくミュージカルである。

3)ダンテ「神曲」

宮﨑駿は「風立ちぬ」シナリオ作りにあたり、ダンテの「神曲」を参考にしたと明言している(こちらの記事)。つまり「風立ちぬ」のヒロイン・菜穂子は「神曲」のベアトリーチェであり、ラストシーンでカプローニと堀越二郎が立っている草原は煉獄(天国と地獄の中間地点)なのだ。そこへ天から菜穂子が降りてきて「来て」と言うのが絵コンテ(シナリオ)の第1稿だった。つまり「神曲」同様、彼女は二郎を天国に導こうとしていたのである。しかしアフレコの最終段階になって台詞は「生きて」に変更された。「風立ちぬ」が「神曲」をベースにしていることが判れば、ダンテを道案内するウェルギリウス(実在した古代ローマ詩人)の役回りをカプローニが担っていることが明快になるだろう。だからイタリア人なのである

永井豪は幼少期に読んだ子供向け「神曲」に掲載されたギュスターヴ・ドレの挿絵に衝撃を受けたという。そして後に「神曲」にインスパイアされた漫画「魔王ダンテ」や「デビルマン」を書いた。また「神曲」そのものも漫画化している。

フランツ・リストダンテ交響曲を作曲した。チャイコフスキーは「地獄篇」第5歌を基に幻想曲(管弦楽曲)「フランチェスカ・ダ・リミニ」を書いている。ちなみにチャイコフスキーはゲイだったので、キリスト教的価値観から判断すると死後は地獄に落ちると覚悟していた筈である。だから禁断の恋の果てに地獄で苦しむフランチェスカとパオロに共感したのだろう。またゲーテの「ファウスト」も明らかに「神曲」の影響を受けている。つまりベアトリーチェは約500年の歳月を経てグレートヒェンとして生まれ変わったのだ。

しかし脱線の多いダンテ「神曲」を全篇読むのは苦行だ。そこで伝家の宝刀!阿刀田高やさしいダンテ『神曲』」(角川文庫)をどうぞ。永井豪の漫画版とか、挿絵が豊富な「ドレの神曲」(宝島社)でもいいんじゃないかな?

4)シェイクスピアの戯曲

ウィリアム・シェイクスピア(1564-1616)の作品は現代でも盛んに上演されている。戯曲を「読む」必要はない。是非舞台を観て欲しい。ただ地方によっては演劇に接する機会が少ないかも知れない。そういう場合は映画が便利だ。ローレンス・オリヴィエ主演・監督「ハムレット」「ヘンリィ五世」「リチャード三世」、フランコ・ゼッフィレッリ監督「じゃじゃ馬ならし」「ロミオとジュリエット」、ケネス・ブラナー主演・監督「ヘンリー五世」「から騒ぎ」「ハムレット」、トレヴァー・ナン監督「十二夜」等をお勧めする。またヴェルディのオペラ「マクベス」「オテロ」「ファルスタッフ」もいい。「オテロ」はプラシド・ドミンゴ主演、フランコ・ゼッフィレッリ監督の優れたオペラ映画がDVDで出ている。

他にシェイクスピアに基づく(霊感を受けた)クラシック音楽を挙げよう。

  • パーセル/歌劇「テンペスト、または魔法の島」
  • ベートーヴェン/ピアノソナタ第17番「テンペスト」
  • シベリウス/劇音楽「テンペスト」
  • トーマス・アデス/歌劇「テンペスト」(2004年初演)
  • シューマン/「十二夜」より”道化の終幕の歌”
  • ウェーバー/歌劇「オベロン」
  • メンデルスゾーン/劇付随音楽「夏の夜の夢」
     (「結婚行進曲」が有名)
  • ブリテン/歌劇「夏の夜の夢」
  • ベルリオーズ/大序曲「リア王」
  • ベルリオーズ/劇的交響曲「ロメオとジュリエット」
  • グノー/歌劇「ロメオとジュリエット」
  • チャイコフスキー/幻想的序曲ロメオとジュリエット」
  • チャイコフスキー/幻想的序曲「ハムレット」
  • トーマ/歌劇「ハムレット」
  • ロッシーニ/歌劇「オテロ」
  • ドヴォルザーク/序曲「オセロ」
  • ヴェルディ/歌劇「オテロ」
  • ヘルマン・ゲッツ/歌劇「じゃじゃ馬ならし」
  • ハンス・ロット/「ジュリアス・シーザー」への前奏曲
  • ニコライ/歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」
  • サリエリ/歌劇「ファルスタッフ」
  • ヴェルディ/歌劇「ファルスタッフ」
  • エルガー/交響的習作「ファルスタッフ」
  • ウォルトン/「ハムレット」「ヘンリィ五世」「リチャード三世」の音楽
  • ヴォーン・ウィリアムズ/シェイクスピアの詩による3つの歌

最低限押さえておきたいシェイクスピア作品は「ハムレット」「オセロー」「マクベス」「リア王」の四大悲劇と「ロミオとジュリエット」「リチャード三世」、喜劇なら「ヴェニスの商人」「十二夜」「ウィンザーの陽気な女房たち」「(真)夏の夜の夢」あたりかな?「夏の夜の夢」にインスパイアされた作品として小池修一郎作・演出の宝塚歌劇「PUCK」や、イングマール・ベルイマン監督のスウェーデン映画「夏の夜は三たび微笑む」も推薦したい。後にこれを原作としてスティーヴン・ソンドハイム作詞・作曲のブロードウェイ・ミュージカル「ア・リトル・ナイト・ミュージック」が誕生する。またミュージカル「ウエストサイド物語」が「ロミオとジュリエット」のパスティーシュであることは論を俟たない。あとディズニーの「ライオンキング」は手塚治虫の「ジャングル大帝」だけではなく、「ハムレット」もベースにしている。

日本では黒澤明監督の「蜘蛛巣城」が「マクベス」の翻案である。黒澤の「」は「リア王」。因みに「乱」がランクインしている、米タイム誌が選ぶ「シェイクスピア映画のベスト10」リストはこちら。アカデミー作品賞を受賞した「恋におちたシェイクスピア」(1998)も是非観て欲しいのだが、「十二夜」がベースになっているので出来れば予習をして臨もう。

5)ミルトン「失楽園」

ジョン・ミルトン(1608-1674)はイギリスの詩人で共和派の運動家。「魔法少女まどか☆マギカ」テレビ・シリーズの方はゲーテ「ファウスト」を下敷きにしているが、劇場版[新編]「叛逆の物語」はミルトンの「失楽園」がベースになっている。暁美ほむらがどうして最後に自らを「悪魔」と名乗るのかは「失楽園」を読めば納得出来る。

またトールキンの「指輪物語」(ロード・オブ・ザ・リング)やプルマンの「ライラの冒険」三部作(黄金の羅針盤etc.)、ローリングの「ハリー・ポッター」シリーズなども間違いなく「失楽園」の影響を受けている(黄金の羅針盤は「失楽園」で言及されている)。つまりイギリスで隆盛を誇るファンタジー文学の原点が「失楽園」だと言えるだろう。余談だが「指輪物語」は神話「ニーベルングの指環」からの影響も見逃せない。こちらは本ではなく、ワーグナーのオペラを観ることをお勧めたい。ちなみに宮﨑駿「崖の上のポニョ」も「ニーベルングの指環」に繋がっている(くわしくはこちら)。

「失楽園」第6巻(全12巻)最後でサタン率いる反乱天使の軍団がことごとく追い詰められ、地獄の果てへと突き落とされる場面で、僕は宮﨑駿監督「天空の城ラピュタ」のクライマックス・シーン(破壊兵器であるラピュタの下層部分だけが地に堕ち、一本の大木に支えられた上層部が上昇していく)を想い出した。

なお、「神曲」の煉獄に相当するのが「失楽園」では「混沌(Chaos) と「夜」の領域である。

映画評論家・町山智浩氏はクリストファー・ノーラン監督「ダークナイト」と「失楽園」の関連性を指摘している。つまり一見目的がないようにみえるジョーカー(=サタン)が引き起こす犯罪の真の狙いは「神への挑戦」であり、だから彼は我々(神の創造物である人間)に選択を迫り、試すのである。そしてこの町山氏の解釈は諫山創進撃の巨人」に繋がってゆく(→諫山氏のブログへ)。「壁の中」は神に庇護されたエデンの園であり、家畜の安寧・虚偽の繁栄がある。一方「壁の外」は混沌(Chaos)であり、嵐が吹き荒び危険が待ち構えている。しかしそこには自由がある。だから人間は決して拐(かどわ)かされたのではなく、自らの意志で林檎を囓ることを選択し、自由の翼を得て羽ばたくのだ。実写版「進撃の巨人」のシナリオに町山氏が参加しているのは決して偶然ではない。

「失楽園」は平井正穂訳の岩波文庫版でどうぞ。名訳でサクサク読める。訳注が豊富なのも勉強になってありがたい。

6)ゲーテ「ファウスト」

シューベルトの歌曲「糸を紡ぐグレートヒェン」の出典はゲーテの「ファウスト」第一部である。この詩には他にグリンカヴェルディ(6つのロマンツェ)ワーグナーゲーテのファウストのための7つの小品)らも曲を付けている(ワーグナーにはファウスト序曲も)。

ベルリオーズ幻想交響曲」第5楽章は「ワルプルギスの夜の夢」。これは「ファウスト」に登場する。第4楽章「断頭台への行進」も「ファウスト」のイメージだ。この作曲家にはそのものズバリ「ファウストの劫罰」という作品もある。

メンデルスゾーンはゲーテのテキストに基づきカンタータ「最初のワルプルギスの夜」を、シューマンは独唱、合唱、管弦楽のための「ゲーテのファウストからの情景」という大作を書いている。またフランスのシャルル・グノーオペラ「ファウスト」を作曲し、ハンガリーのフランツ・リストは合唱を伴うファウスト交響曲を書いた。因みにリストに「ファウスト」を読むよう勧めたのは友人のベルリオーズである

俗に「千人の交響曲」と呼ばれるマーラー交響曲 第8番の後半は「ファウスト」第二部から最後の場面より歌詞が採られている。さらにイタリアの作曲家ブゾーニオペラ「ファウスト博士」を1916年に着手したが未完に終わった。ヴェルディの「オテロ」や「ファルスタッフ」の台本を書いたボーイトオペラ「メフィストフェーレ」を作曲している。

これだけ数多くの作曲家に刺激を与えた小説(戯曲)って、他にはシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」(ベッリーニとグノーのオペラ、ベルリオーズの劇的交響曲とチャイコフスキーの幻想序曲、プロコフィエフのバレエ、バーンスタインの「ウエストサイド物語」とプレスギュルヴィックによるフランス産ミュージカル←大好き!)くらいしか思い付かない。

そもそも「ファウスト」を日本語で最初に完訳したのは文豪・森鴎外である。そして太宰治は長編小説「正義と微笑」で森鴎外訳「ファウスト」を引用し、芥川龍之介も「三つのなぜ」でファウストについて考察している(全文は→こちら)。

天才・手塚治虫は生涯で3度「ファウスト」を漫画化している。まず20歳頃の赤本時代の「ファウスト」、42歳頃に「百物語」、そして未完の遺作となった「ネオ・ファウスト」である。ゲーテ「ファウスト」第二部にホムンクルス(人造人間)が合成される場面があるが、僕はこれを読みながら鉄腕アトム誕生の情景を連想した。あとアトムの最後は太陽に向かうわけだけれど、それってギリシャ神話のイカロスだよね(ファウストの息子オイフォリオンも同じ運命をたどる)。鉄腕アトムの物語は後にキューブリック/スピルバーグの映画「A.I.」に引き継がれる(「鉄腕アトム」を観たキューブリックは手塚治虫に「2001年宇宙の旅」の美術監督を引き受けてくれないかと打診している。しかし当時、多くの連載と「虫プロダクション」を抱えていた手塚にはそんな余裕はなく、断っている)。

黒澤明監督「生きる」で主人公が飲み屋で偶然知り合う小説家(伊藤雄之助)は次のような台詞を言う。「あなたの無駄に使った人生をこれから取り返しに行こうじゃないですか!私はね、今夜あなたのために喜んでメフィストフェレスの役を務めます。代償を要求しない善良なるメフィストの役をね。おあつらえ向きに黒い犬もいる。こらっ案内しろ!」つまり「生きる」は「ファウスト」を下敷きにしており、魂の救済者=小田切みきがグレートヒェンなのである。市役所の市民課長である主人公が自分の死を迎える直前に公園を完成させるのは、ファウストがその晩年に干拓事業を成し遂げることに符合する。

またアニメ「魔法少女 まどか☆マギカ」に登場するきゅうべえや、漫画「デスノート」の死神リュークは明らかに「ファウスト」のメフィストフェレスである。ついでに言えば、リュークがいつも持っている林檎は旧約聖書でアダムとイヴがエデンの園から追放される契機となった知恵の木に生える果実であり、それを食べることを唆したのが蛇に化身した悪魔=メフィストなのである。

それからディズニー「ファンタジア」でムソルグスキー/禿山の一夜のセクションはワルプルギスの夜の夢を描いていると申し添えておく。

西洋人は契約を重視する。これは口約束が慣例の日本人には中々理解し難いことである。しかしファウストはメフィストフェレスから差し出された契約書にサインするし、旧約聖書では神とユダヤ民族とが契約を結ぶ。ここから「選民思想」が生まれる。つまり聖書そのものが契約書なのであるそして後に神との契約関係はひたすら律法を遵守することであると考えられるようになる。

「ファウスト」を読むなら「ブリキの太鼓」新訳でも話題になった池内紀訳の集英社文庫版がオススメ。文豪ゲーテって内容が重くて読み難いのかなとずっと先入観を持っていたのだが、意外にもサラッと読めた。今まで知らなかったのだけれど、戯曲仕立てなのでほとんど会話文で進行するから難解なところが皆無なんだよね。池内のエッセイ「ゲーテさんこんばんは」もいい。ゲーテってイメージと全然違って、好奇心旺盛で親しみがわく人物だったんだね!「目から鱗が落ちる」体験だった(←ちなみにこの諺、由来は新約聖書「使徒行伝」である)。

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映画「トゥモローランド」と鉄腕アトム & ロケッティア

評価:C+

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公式サイトはこちら

いや、前半は良かったよ。SF映画が大好きな人間の琴線に触れる展開だ。

ジョージ・クルーニー演じる主人公の幼少期は要するに「ロケッティア」少年で、そこに「ターミネーター」少女(T-1000)が忽然と現れる。で現代に話が移り、17歳の女の子(ブリット・ロバートソン)が登場。彼女はNASAがシャトル打ち上げを止めたことに怒り(まるで「インターステラー」のクリストファー・ノーランみたいだ)、「遠い空の向こうに」のジェイク・ギレンホール同様、宇宙に憧れを抱いている。ちなみに「遠い空の向こうに」と「ロケッティア」はどちらもジョー・ジョルストンが監督しており、ブラッド・バードは余程ジョルストンのことが好きなんだね。そこでふたりの関係を調べてみたらビンゴ!何とブラッド・バードが監督したアニメ「アイアン・ジャイアント」のロボットをデザインしたのはジョルストンだった!!

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↑ロケットを見比べてみて!

物語の発端はディズニーが「イッツ・ア・スモールワールド」を提供した1964年のニューヨーク万博博覧会。この期間中、ブラッド・バードは6-7歳だった。つまり少年は間違いなく監督の分身である。後に彼は(短期間に終わったが)ウォルト・ディズニー・スタジオに入社することになる。

映画に描かれる未来都市トゥモローランドは流線型でタイヤのない乗り物が飛び交っている。正に手塚治虫が「鉄腕アトム」で描いた世界だ。で1964年というのが重要で、日本で「鉄腕アトム」の放送が開始されたのが1963年1月、Astro BoyとしてアメリカのNBCで放送が開始されたのが同年の9月なのである。つまり1964年の時点でブラッド・バード少年が「鉄腕アトム」を観ていた可能性は極めて高いのだ

ブリット・ロバートソンがおもちゃ屋に行く場面ではR2-D2とか「帝国の逆襲」でカーボン凍結されたハン・ソロ、「禁断の惑星」(1956)のロビー・ザ・ロボット、「地球の静止する日」(1951)のゴート(ロボット)等が登場。SF愛に溢れていてニヤリとさせられた。

面白かったのはここまで。終盤は腰砕けだ。

本作のテーマは明確である。「夢を追う人(Dreamer)だけがトゥモローランドへの招待状を受け取れる」。地球温暖化で南極の氷が溶けてニューヨークが水没するとか、悲観的未来感を持つのはやめようよ。原子力の平和利用が出来ると信じ、明るい未来(ユートビア)を夢見ていた鉄腕アトムの時代(1960年代半ば)に戻ろう!という訳だ。

しかし1968年に「猿の惑星」が公開され、社会的には光化学スモッグとか川や海の汚染など公害問題が深刻化、1971年には映画「ゴジラ対ヘドラ」、同年「帰ってきたウルトラマン」第1話「怪獣総進撃」にヘドロ怪獣ザザーンが登場。そして81年に「マッドマックス2」82年には「ブレードランナー」が公開され、とどめを刺した。僕達はもう、アトムの時代に回帰することは不可能なのである。

本作のDreamerという単語の使い方を見て、僕はジョン・レノンの「イマジン」を連想した。なぁブラッド、僕はビートルズが好きだけど、アナーキスト(無政府主義者)のジョン・レノンは大嫌いなんだ!!「イマジン」を聴くと虫唾が走って反吐が出るんだよ。国境がなくて戦争がない世界なんて実現するわけ無いだろう?なに戯言をほざいているんだ。「人々は僕のことをとDreamer言うだろう」(←「イマジン」の歌詞)違うよ、関西ではお前みたいな奴をアホって言うんだ。レノンが夢見た社会を実現しようと目指した国家はいくつかあったけれど、結果はどうなった?無残なもんだよ。絵に描いた餅だ。

というわけで「トゥモローランド」のラストは尻すぼみでお粗末極まりなかった。

「アナと雪の女王」「ベイマックス」「シンデレラ」と快進撃を続けてきたディズニーだが、「トゥモローランド」は本国アメリカでも中国でもコケて、赤字が確実となった。批評家の評価も肯定派(fresh、新鮮)と否定派(rotten、腐った)の割合がフィフティ・フィフティで散々である。ブラッド・バードよ、実写の世界で散々暴れたのだからもういいんじゃない?そろそろアニメの世界に戻っておいでよ……という訳で、企画が動き出した「Mr.インクレディブル」の続編に期待したい。

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タリス・スコラーズ

6月14日(日)兵庫県立芸術文化センターへ。

ピーター・フィリップス指揮/タリス・スコラーズ(ア・カペラ)で、

  • ジョスカン・デ・プレ:喜びたまえ、キリストのみ母なる乙女
  • パレストリーナ:教皇マルチェルスのミサ曲
  • アレグリ:ミゼレーレ
  • ペルト:彼は誰々の息子だった
  • ベルト:ヌンク・ディミッティス(主よ、今こそ御身のしもべを)
  • トレンテス:ヌンク・ディミッティス
  • パレストリーナ:ヌンク・ディミッティス

アンコールは、

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2年前に彼らの演奏を聴いていて、その時も「ミゼレーレ」はプログラムに入っていた。感想はこちら。今回も1階席上手サイドに1人、3階席下手サイドに4声部のコーラスが配され、サラウンド効果抜群だった。

ジョスカン・デ・プレは女声5:男声5、パレストリーナは女声3:男声5になり、終曲のみ5:5。

現代エストニアの作曲家アルヴォ・ペルトは「フラストレス」などで知っていたが、静謐な音楽を書く人だと想っていた。ところが今回歌われたのは力強く、堅固な信仰心に支えられている楽曲だったので意外だった。

プログラム最後の3曲は同じ歌詞をもつ楽曲を異なる国籍の作曲家で続けて聴かせるという趣向。トレンテスは16世紀スペイン、パレストリーナは16世紀イタリアの作曲家である。

全体として心洗われるような演奏。世界で最も美しい音色を奏でる楽器は人の声だと改めて確信した。

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《音楽史探訪》ヴォーン・ウィリアムズの田園交響曲あるいは、バターワースへの音の手紙〜藤岡幸夫/関西フィル 定期

第一次世界大戦が始まった1914年、レイフ・ヴォーン=ウィリアムズは41歳になっていた。兵役を逃れることが出来たにもかかわらず義勇兵として入隊。王立砲兵守備隊の少尉に任命された。砲火の爆音に長期間晒されたことが後の難聴の原因となった。田園交響曲(交響曲第3番)は大戦が終結した1918年から21年にかけて作曲された。軍隊で聴いたラッパ手の吹く音型が、ナチュラルトランペットにより第2楽章に登場する。またこの楽章最後には(可能なら)ナチュラルホルンを使用するよう指示も書かれている。

彼には13歳年下の友人がいた。作曲家のジョージ・バターワースである。ふたりは度々イングランドの田園地帯に民謡の採譜に出かけた。バターワースはヴォーン・ウィリアムズがロンドン交響曲(交響曲第2番)を仕上げる際にも協力している。

第一次世界大戦が勃発するとバタワースは志願して従軍し、フランスのソンムの戦いで狙撃され戦死した。享年31歳だった。

バターワースの代表作に「シロップシャーの若者 A Shropshire Lad」という管弦楽曲がある。これは元々イギリスの詩人A・E・ハウスマン(1859-1936)が1896年に出版した抒情詩集「シロップシャーの若者」を歌曲集として出版したもので、その一曲"Loveliest of trees(世界で最も〚うっとりするほど〛美しい花)"の旋律が引用されている。次のような歌詞だ。

Loveliest of trees,the cherry now
Is hung with bloom along the bough,
And stands about the woodland ride
Wearing white for Eastertide.

Now,of my threescore years and ten,
Twenty will not come again,
And take from seventy springs a score,
It only leaves me fifty more.

And since to look at things in bloom
Fifty springs are little room,
About the woodlands I will go
To see the cherry hung with snow.

世界で最も美しい花 桜は今
枝いっぱいに花で飾られている
そして森の馬車道の脇に立ち並ぶ
復活祭の季節の白い服を身に纏って

僕の人生が70年として
20歳の時はもう二度と戻らない
70回訪れる春から20を差し引くと
あと50回かそこらくらいしか残っていない

この花の盛りを見るには
50回分の春なんてあっという間だ
森へゆこう
雪のような花に彩られた桜を見るために

この詩が言わんとすることは、カルペ・ディエムCarpe Diem(その日を摘め)/メメント・モリMemento Mori(死を想え)ということだ。詳しくは下記記事に書いた。

つまり「今」という時は二度と訪れないのだから、その日その日を悔いが残らないよう精一杯生きろということである。

夭逝したバターワースの生涯を想うと、この詩は切実に響く。そして間違いなくヴォーン・ウィリアムズの田園交響曲にはバターワースへの哀悼の気持ちが込められている。

田園交響曲といえば誰もがベートーヴェンの第6番を思い浮かべるだろう。しかし両者には決定的違いがある。ベートーヴェンのシンフォニーからは田舎の人々の息遣いが聴こえ、賑やかな踊りが活写される。ところが一方、ヴォーン・ウィリアムズの描く田園風景には誰もいない。目の前にはフランス古戦場の風景が静かに広がっているだけだ。第4楽章にはソプラノによる(歌詞のない)ヴォカリーズが登場するが、僕にはそれが無人の野に吹く寂しい風の音のように聞こえる。あるいは死者を弔うレクイエムと言い換えても良いだろう。作曲家が「スロー・ダンス」と形容した、全篇の中では比較的活気がある第3楽章はまるで死んだ兵士たち(亡霊)の踊りだ。戦車の姿もそこに幻視出来る。

なお余談だが、天才指揮者カルロス・クライバーはコンサートで好んでバターワースイギリス田園詩曲 第1番を取り上げた。恐らくカルロスが生涯で振った唯一のイギリス音楽である。この曲はバイエルン州立(国立)歌劇場におけるカルロスの追悼コンサートでも指揮者なしで演奏された。閑話休題。

シベリウスに献呈されたヴォーン・ウィリアムズの交響曲第5番は第二次世界大戦中の1943年6月24日、ロンドン市民がドイツの空爆を恐れる日々を過ごす最中に作曲者自身の指揮で初演された(プロムスで有名なロイヤル・アルバート・ホール)。暴力的な不協和音と緊張感に包まれた第4番とは全く性格が異なり、第3番同様に(一見)穏やかな作風である。二つの大戦に跨がる第3番と第5番はある意味、姉妹のようなシンフォニーと言えるだろう。読者の皆さんはそこに、作曲家のどういう想いを見出すのだろうか?

さて、6月12日(金)、ザ・シンフォニーホールで藤岡幸夫/関西フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会を聴いた。曲目は、

  • ブラームス:ピアノ協奏曲第2番
    (独奏 横山幸雄)
  • シューベルト:即興曲 変ト長調 Op.90-3(ソリスト・アンコール
  • ヴォーン=ウィリアムズ:田園交響曲(交響曲第3番)
    (ソプラノ独唱 岩下晶子)

コンチェルトは力強く剛気、毅然としたブラームス。また爽やかな第1楽章を聴きながら、僕はブラームスが交響曲第2番などを作曲した避暑地、ヴェルター湖畔ペルチャッハの風景が脳裏に浮かんだ。写真はこちら。そして終楽章のロンドは実に軽やかで、花が舞い落ちていくようなイメージ。

さて、お待ちかねの田園交響曲である。ソプラノのヴォカリーズはクラリネットで代用されることもあるそうだ。またナチュラルトランペットとナチュラルホルンのパートも現代楽器が使用される場合が多いのだが、藤岡は徹底して作曲家の願いに寄り添った。あっぱれである。

プレトークで藤岡は「僕は若い頃、『ヴォーン・ウィリアムズなんてつまんねーなー』と思っていました。年をとって最近漸く良さが判ってきた。今ではこの田園交響曲とシベリウスの第5番のふたつが一番好きなシンフォニーです」と。「田園交響曲は暗いです。でも優しくて誠実。芝居がかったところが全くない。ヴォーン・ウィリアムズの音楽には(ショスタコーヴィチのような)皮肉とか怒りがないのです」そして第1楽章は「曇り空」、第2楽章は「挽歌」、第3楽章は「モンスター」、第4楽章は「慰めと祈り」と評した。

藤岡の指揮は丁寧に、慈しむように音を紡いでいく。第1楽章は静謐で透明感があり、心が洗われるようだった。第3楽章スケルツォは空恐ろしい音楽のように響いた。そして終楽章、ソプラノはまずステージより一段高いオルガン席に立って歌う。それはまるで美しい子守唄のようで、何だか懐かしかった。そして終盤、弦楽器群がつかの間ユニゾンで奏でる部分に、僕は作曲家の悲痛な心の叫びを聴いた。最後のヴォカリーズは舞台裏から歌われ、音楽は静かに虚空へと消えていった。魂が震えるような演奏だった。

藤岡さん、次は是非(東京シティ・フィルだけではなく)関西フィルでもヴォーン・ウィリアムズの5番を振ってください。切にお願いします。そして出来うることなら藤岡さんのバターワースも聴いてみたいなぁ。

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五嶋みどり、入魂のドヴォルザーク〜ICEP報告コンサート

6月10日(水)ザ・フェニックスホールへ。

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五嶋みどり弓 新(ヴァイオリン)、ドイツ出身ファイト・ヘルテンシュタイン(ヴィオラ)、ドミニカ系アメリカ人トニー・ライマー(チェロ)で、

  • モーツァルト:弦楽四重奏曲 第21番「プロシア王 第1番」
  • シュルホフ:弦楽四重奏曲 第2番
  • 活動報告
  • グリエール:ヴァイオリンとチェロのための8つの小品
    (弓 新、トニー・ライマー)
  • ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲 第12番「アメリカ」

五嶋はモーツァルトとドヴォルザークで1stをとり、シュルホフは2ndを担当。

ICEP活動報告コンサートは毎年聴きに来ているので、詳細は過去記事をご覧あれ。

モーツァルトは抑制されたヴィブラートで奏でられ、端正でしっとりと潤いがある。アルバン・ベルク弦楽四重奏団とは対極にある演奏。

チェコの作曲家エルヴィン・シュルホフ(シュールホフ)は初めて聴いた。ユダヤ人で共産主義に傾倒した彼の音楽はナチスにより「退廃音楽」の烙印を押され、1941年に逮捕、その翌年に強制収容所で亡くなった。享年48歳、死因は結核だった。第1楽章の第一声がヴィオラというのは大先輩ドヴォルザークへの敬意を感じた(ドヴォルザークはヴィオラ奏者でもあり、「アメリカ」第1楽章の第1主題はヴィオラで奏でられる)。風雲急を告げるというか、切迫感があり、鬼気迫る音楽だった。特に第2楽章は劇薬のよう。大いに気に入った。

ロシアーソ連の作曲家グリエール(1875-1956)の曲は優雅で憧れとか懐かしさ、ノスタルジーがあった。

ドヴォルザークの解釈は朴訥で禁欲的。そこにはピューリタニズム(潔癖主義)みたいなものすら感じられた。第2楽章を支配するのは寂寞とした感情。そして静かな哀しみ。アメリカで教鞭をとっていた作曲家と、現在南カリフォルニア大学ソーントン音楽学校弦楽学部主任教授を務める五嶋の、故郷への想いが重なる。さらに拒食症など心理的葛藤を乗り越えてきた彼女の人生そのものが音楽に滲み出ているようでもあった。稀有な体験をさせて貰った。

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オペラは演劇だ! 井上道義×野田秀樹「フィガロの結婚」

6月6日(土)兵庫県立芸術文化センターへ。

野田秀樹(翻訳・演出)、井上道義(指揮)、兵庫芸術文化センター管弦楽団、新国立劇場合唱団らで

  • モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」
    〜庭師は見た!〜

を最前列で観劇。

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配役は

アルマヴィーヴァ伯爵:ナターレ・デ・カロリス
伯爵夫人:テオドラ・ゲオルギュー
ケルビーノ:マルテン・エンゲルチェズ
スザ女(スザンナ):小林沙羅
フィガ郎(フィガロ):大山大輔
マルチェ里奈(マルチェリーナ):森山京子
バルト郎(ドン・バルトロ):森 雅史 ほか

また狂言回しの庭師役で演劇畑から廣川三憲が参加。他に8人の演劇アンサンブル・キャストが配された。

兎に角、テオドラ・ゲオルギューが凄い美人で驚いた!アンジェラ・ゲオルギュー(ルーマニア出身)と血縁関係はないのだろうか??美貌のソプラノという点ではマリア・カラス、モイツァ・エルトマン、ステファニア・ボンファデッリ、(痩せている頃の)アンナ・ネトレプコと同レベルと言えるだろう。ちなみに彼女の公式サイトは→こちら

僕はカール・ベーム/ウィーン国立歌劇場の1980年日本(引っ越し)公演DVDで予習して臨んだのだが、ナターレ・デ・カロリスはベーム版のベルント・ヴァイクルと比べても遜色なかった。さすがに日本人キャストの歌唱はヘルマン・プライ(フィガロ)とかルチア・ポップ(スザンナ)に及ぶべくもないが、小林沙羅はヴィジュアル的にキュートで好演していた。あとベーム版でメゾソプラノのアグネス・バルツァが歌ったケルビーノ役を今回はカウンターテナーが演じたというのが凄く面白かった。

井上道義の指揮はピリオド・アプローチ。爽快なテンポで小気味よい。

しかし何と言っても今回最大の功労者は野田秀樹だろう。黒船の時代の長崎に舞台を置き換えたアイディアが秀逸である。アルマヴィーヴァ伯爵夫妻とケルビーノが来航する冒頭(序曲)の3人の扮装はまるでシェイクスピア「真夏の夜の夢」のオーベロン、タイターニア、そしてパック(みな妖精)みたいだった。

この3人が登場する場面は原語のイタリア語で歌われ、日本人キャストのみの場面は日本語になる。ヨーロッパ文明が生み出したオペラ作品を、日本で、日本人が上演することの意味を徹底的に考えた末に到達した、卓越した手法と言えるだろう。

長崎といえば誰もがプッチーニの「蝶々夫人」を想い起こすに違いない。正妻がいるにもかかわらず女癖の悪さが治らないという点で、アルマヴィーヴァ伯爵と「蝶々夫人」のアメリカ海軍士官ピンカートンがピッタリ重なった。男はみんなこうしたもの(↔「コシ・ファン・トゥッテ」=女はみんなこうしたもの)。

また日本語台本に味があって、まさか「フィガロの結婚」に「ババア」とか「勇気凛々」、「カチカチ山の狸」「家臣が主の仇を討ったのは昔のこと(←要するに忠臣蔵)」とかいった台詞が飛び出すとは想像だにしなかった。野田らしい言葉遊びも満載。

あと第1幕&第2幕、第3幕&第4幕が続けて上演され、休憩が1回のみだったのもスピード感があって良かった。

このプロダクション、「NINAGAWA・マクベス」とか「身毒丸」「海辺のカフカ」みたいに世界で十分勝負できる完成度だと太鼓判を押したい。是非映像としても残して欲しいな。

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庄司紗矢香 × ジャンルカ・カシオーリ

6月4日(木)いずみホールへ。庄司紗矢香(ヴァイオリン)、ジャンルカ・カシオーリ(ピアノ)のデュオ・リサイタル。

  • モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ 第35番 ト長調
  • ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ 第6番 イ長調
  • ストラヴィンスキー:イタリア組曲
  • ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ ト長調
  • シュニトケ:祝賀ロンド(アンコール)

全て長調。さらにベートーヴェン以外の3曲はト長調で開始される。

モーツァルトはト長調の序奏とト短調の主部から成り、明暗の対比が鮮明。

以前から感じていたことなのだが、僕はどうも庄司のベートーヴェンがピンと来ない。ぼんやりした印象しか残らない。彼女自身、何をしたいのだかよく判っていないのでは?

で低調な前半が終わり、後半は見違えるような演奏が展開された。

イタリアの作曲家ペルゴレージへのオマージュであるイタリア組曲は優雅かつ典雅。

ラヴェルは濃密な演奏。ラヴェルは一般にフランス人と認識されているが、スペインと国境を接するバスク地方に生まれた。母はバスク人で父はスイス人。だからこのソナタにもスペインの情熱、滾(たぎ)る血潮が流れている。また第2楽章は「ブルース」でヴァイオリンはバンジョー風にかき鳴らされ、ジャズへの憧れを歌う。本作が完成されたのは1927年。ラヴェルはこの年にアメリカに演奏旅行に出かけ、彼の強い希望によりニューヨークでガーシュウィンに会っている。

カシオーリはイタリアのトリノ生まれ。その持ち前の明るさが特にプログラム後半作品の色合い(南ヨーロッパの風光)に似合っていた。

アンコール、シュニトケの「祝賀ロンド」は1973年にボロディン弦楽四重奏団の第一ヴァイオリン奏者であるロスティスラフ・ドゥビンスキー50歳の誕生日を祝うために書かれたもの。当時の「社会主義リアリズム」を標榜するソ連芸術家連盟の面々をあざ笑うかのような擬装古典様式。最後が不気味だった。面白い!

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大フィル事務局への苦言/エリシュカのスターバト・マーテル

6月8日(月)フェスティバルホールへ。

チェコ出身のラドミル・エリシュカ/大阪フィルハーモニー交響楽団定期演奏会を聴く。

  • ドヴォルザーク:スターバト・マーテル

独唱は半田美和子(ソプラノ)、手嶋眞佐子(アルト)、望月哲也(テノール)、青山貴(バス)、そして大阪フィルハーモニー合唱団。

大阪フィルの定期演奏会を聴くようになって8年位になる。個人会員として招待状を貰い、演奏会当日に会場で座席券と引き換える。招待状には「座席は選べません」と書いてあるが、つい最近までは「2階席サイドブロック」など希望を言えば、大体リクエストに応えてくれた。ところが今回、「座席の指定は出来ません」の一点張り。2階席を希望したのにもかかわらず、けんもほろろな対応で1階席券を渡された。怒り心頭に発した。

事務局に申し上げたい。建前と、実際の運用は違うでしょう?誰だって好みの場所というのはあるし、特にフェスティバルホールの1階は(音が天井に拡散して)音響が悪いから嫌なんだ。ピンポイントで座席指定をしているのではないのだし、ある程度融通を利かせてくれてもいいのでは?原理原則を押し通すなんて頭が硬すぎる。コンサート会場に足を運び、日頃から大フィルを支援している人間に対して余りにも礼を失してはいないだろうか?

大阪市はこの度、ふるさと寄附金のメニューのひとつとして「なにわの芸術応援募金」という制度を立ち上げた。僕は是非大フィルに寄付しようと考えていたのだが、今回の一件で心が折れた。そこで決めた。次回の定期で事務局の対応をもう一度見る。同じような心ない仕打ちを受けるのなら寄付は取りやめだ。大阪市音楽団か関西フィル、あるいは文楽協会を指定する。選ばれるかどうかはあなた達次第だ。

さて、演奏の方だが極めて充実した内容だった。第1曲から静謐な響きで特に女声合唱に透明感があった。一方、曲によっては武骨で獰猛な表情も見せ、かつて僕がエリシュカの「わが祖国」を肉食系と評したことを想い出した(その時の記事はこちら)。また日本人のみの独唱陣が健闘していたことも特筆に値する。

ドヴォルザークは長女を生後2日で亡くし、その死後に「スターバト・マーテル」第1〜4曲と第8〜10曲を作曲。2年後次女が生後11ヶ月に誤飲で逝き、翌月3歳の長男が天然痘で亡くなった。残る3曲はその後に完成したという。終曲は痛切な慟哭で開始されるが、やがて浄化に至り、「アーメン」という祈りで締めくくられる。ドヴォルザーク協会会長を務めたこともあるエリシュカの真骨頂をじっくり堪能させて貰った。

なお、今回は演奏中に飴の包み紙を開けるクシャクシャという音などノイズが目立ち、定期会員(老人たち)のマナーが非常に悪かった。事務局さん、もっと積極的にマナー向上のための啓蒙活動をしてくださいね。

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映画「サンドラの週末」とデュヴィヴィエの「舞踏会の手帳」

評価:B+

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「サンドラの週末」は2014年ベルギー・フランス・イタリアの合作。監督はカンヌ国際映画祭で2度パルム・ドール(最高賞)を受賞した経験があるダルデンヌ兄弟。マリオン・コティヤールが本作でヨーロッパ映画賞、ニューヨーク映画批評家協会賞の主演女優賞を受賞。アカデミー主演女優賞にもノミネートされた。映画公式サイトはこちら

コティヤールは「エディット・ピアフ 〜愛の讃歌〜」(2007)でフランス人女優としてはシモーヌ・シニョレに続いて史上2人目、49年振りの主演賞受賞者となった。また外国語映画(英語以外の言語の映画)での受賞は史上5人目である。

その後「パブリック・エネミーズ」「NINE」「インセプション」「ミッドナイト・イン・パリ」「ダークナイト ライジング」と立て続けにハリウッド映画に出演。一躍トップ・スターになった。

「サンドラの週末」は第1にコティヤールの演技を堪能するための映画である。パーフェクト!彼女がフランス語を喋っているのを久しぶりに聴いた。サンドラはうつ病で休職中。そして薬物依存症である。いかにもアカデミー会員が好む役柄だ(因みに今年受賞したのは「アリスのままで」のジュリアン・ムーア。若年性アルツハイマー病の役である)。

彼女が働く工場(不景気で経費削減を狙っている)の労働者たちが迫られる選択は、①サンドラの復職②サンドラを解雇し、その代わりに全員がボーナスを貰う

このボーナスが1,000ユーロということなのだが、調べてみると14万円くらい。そりゃ僕も同じ立場に追い込まれたら、サンドラは可哀想だけれど臨時収入は欲しいしと悩むわな。二者択一とは酷というものですぜ。雇用者の責任転嫁だ。


(以下ネタバレあり)




想定外の結末。しかし、物語の最初と最後を比べるとサンドラは確実に一歩前進している。いい映画だ。ヒロインが沢山の人々を訪ね歩くというプロットと、苦い結末という点で僕はジュリアン・デュヴィヴィエ監督のフランス映画「舞踏会の手帳」(1937)のことを想い出した。

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映画「新宿スワン」

評価:A

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公式サイトはこちら

いやぁ、正直びっくりした。そんなに期待していなかったので。園子温監督作品は今まで「愛のむきだし」「ヒミズ」「希望の国」「地獄でなぜ悪い」を観ている。一筋縄ではいかない、強烈な個性の持ち主だ。「地獄でなぜ悪い」はマッドな映画だ。ところが、今回はエンターテイメントに徹した作品で、凄く面白かった。それにしても今年は「新宿スワン」「ラブ&ピース」「ひそひそ星(「希望の国」同様、福島を舞台に原発がテーマとなる)」「リアル鬼ごっこ」「みんな!エスパーだよ!」+αと6作品が公開を予定されており、なんてパワフルな人なんだ!呆気にとられる。

クローズZEROシリーズを観ていないので、山田孝之を意識したのは「電車男」(2005)以来かも?何だか色気がある役者になったなぁと感心することしきり。彼に今年の助演男優賞をあげたい。

主演の綾野剛は目に「虚無」を感じさせる役者で僕は昔から好きだ(特に大河ドラマ「八重の桜」の松平容保役)。今回は金髪パーマ姿で一見「チャラ男?」と思わせておいて、蓋を開けてみるとお人好してピュアな役どころ。ビジュアルと内面のギャップがいいね!

伊勢谷友介は格好良かった。

天野会長役の吉田鋼太郎は風格(凄み)があって素敵。

また山田優のマダムもハマっていた。逆に精彩を欠いたのが沢尻エリカ。

あとこの作品のプロットって「ゴッドファーザー」を意識しているなと想った。ホラ、シャブを扱わない組と、シャブで縄張りを拡大しようとする組との抗争という点で。

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フィリップ・スパーク登場!「大阪市音楽団」改め、Osaka Shion 定期

6月2日(火)ザ・シンフォニーホールへ。

「大阪市音楽団」改め、Osaka Shion Wind Orchestra定期演奏会。

今回はイギリスの作曲家フィリップ・スパーク指揮による自作自演のプログラム。

  • オリエント急行
  • 風のスケッチ 〜2014年度新作〜
  • ドラゴンの年
  • ディザーツ(砂漠)
  • 故郷からの手紙
  • 宇宙の音楽

アンコールは

  • 陽はまた昇る(2011年、東日本大震災復興支援曲)
  • サンダーバード(バリー・グレイ作曲/P.スパーク編曲)

アルフレッド・リード亡き後、吹奏楽作曲家の世界3大巨匠はオランダのヨハン・デ・メイ(指輪物語)、ベルギーのヤン・ヴァン・デル・ロースト(スパルタクス、アルセナール)そしてフィリップ・スパークだと僕は思っている。ただスパークは実に優れた作曲家だが、指揮者としては?マークが付く。軽快だけれど淡白で、何か物足りないんだよね。右耳から左耳に音が通り抜けて、後に何も残らない。要するに詰まらない。

「オリエント急行」は明るく愉快な音楽。旅気分を満喫。

「風のスケッチ」第1楽章”貿易風”マーチはアイリッシュさが魅力的。第2楽章”風がやんで”はイベールの「寄港地」風でエキゾチック。第3楽章”嵐にのって”は力強いコラールがあり、モクモクと雲が湧いてくるようなイメージを抱いた。

「ディザーツ(砂漠)」冒頭はボロディンの「中央アジアの平原」を想起させる。途中、打楽器の強烈な連打が入るところはモーリス・ジャール「アラビアのロレンス」みたい。

「故郷からの手紙」は何だか懐かしく、爽やか。一服の清涼剤だった。

「宇宙の音楽」は2005年6月3日に、ザ・シンフォニーホールで山下一史/大阪市音楽団による吹奏楽版世界初演を聴いている(その日、スパークが臨席していた)。藤重佳久/精華女子高等学校が全日本吹奏楽コンクールで金賞を受賞した演奏も普門館で聴いた。さらに中川重則/なにわ《オーケストラル》ウィンズ2014@ザ・シンフォニーホールも生で聴いている。ワクワクするし、大好きな曲だ。で、今回の演奏は冒頭のホルン・ソロがお粗末でズッコケた。ライヴ・レコーディングを行っているようだが、到底商品化出来るレベルじゃない(多分、ゲネプロのテイクを採用することになるだろう)。その後もホルンはミスを連発。はっきり言う、普門館における精華女子の方が余っ程上手かった。プロとして失格、顔を洗って出直して来い!という訳で、「宇宙の音楽」については指揮者の解釈も含めて山下一史による2005年版CDに軍配を上げる。

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前代未聞のドヴォルザーク定期〜寺岡清高/大響 

5月29日(金)ザ・シンフォニーホールへ。

寺岡清高/大阪交響楽団でオール・ドヴォルザーク・プログラム。

  • 交響詩「水の魔物」作品107
  • 交響詩「真昼の魔女」作品108
  • 交響詩「金の紡ぎ車」作品109
  • 交響詩「野鳩」作品110
  • 交響詩「英雄の歌」作品111

今回の定期のユニークな点は全て交響詩であり、しかも作品番号が107から111まで連続しているところ。ちなみに交響曲 第9番「新世界より」は作品95、チェロ協奏曲は作品104。だから最晩年の作品群と言えるだろう。これら交響詩はCD時代になって単独なら交響曲との組み合わせでレコーディングされる機会も増えたが、まとめてというのは珍しい。また「英雄の歌」は単独でも演奏される機会が殆どない(寺岡の言葉を借りると「継子扱いされている」)。こういう挑戦的なプログラミングはドヴォルザークの母国チェコでもないそう。客の入りは7割程度でまずまず。

寺岡の指揮は「水の魔物」からキビキビしている。「真昼の魔女」は牧歌的に開始されるが、途中魔女が現れると緊迫感が走り、コントラストが鮮やか。「野鳩」は劇的な演奏でディクション(発音法)がくっきり。「英雄の歌」は感興豊か。とっても良かった。大満足。

なお、「野鳩」の葬送行進曲はマーラーを想起させる。考えてみればマーラーはボヘミア生まれであり、ドヴォルザークと同郷なのだ。ちなみに「英雄の歌」はマーラーがウィーンで初演を指揮している(その日はブラームス追悼として交響曲第2番も演奏された)。「野鳩」初演の指揮はヤナーチェク、「金の紡ぎ車」はハンス・リヒター。リヒターはワーグナー「ニーベルングの指環」全曲やブラームス:交響曲第2番、第3番の初演も振っており、当時の作曲家たちの面白い人間関係が浮かび上がってくる。

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神尾真由子/ジャン・ワン/キム・ソヌク「スーパー・トリオ」

5月31日(日)兵庫県立芸術文化センターへ。

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神尾真由子(日本)、ジャン・ワン(中国)、キム・ソヌク(韓国、2006年リーズ国際ピアノ・コンクールで史上最年少かつアジア人として初めて優勝)によるピアノ・トリオを聴く。日本だけではなく、それぞれの母国、中国と韓国でもツアーを行うという。

  • ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第5番「幽霊」
  • チャイコフスキー:ピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出に」
  • ブラームス:ピアノ三重奏曲第1番 第2楽章(アンコール)

ベートーヴェンはチョロが朗々と歌い、気持ちいい。ピアノは軽やか。僕はチャイコフスキー国際コンクール優勝直後から神尾の演奏を何度も聴いているが、当初は内燃する火の玉のようなエネルギーの噴出をコントロールするのに苦労しているという印象を受けた。しかし現在の彼女は肩の力が抜け、柔軟でしとやかな音楽を聴かせてくれるようになった。成熟が感じられた。

神尾は2013年にロシア人ピアニストのミロスラフ・クルティシェフ(神尾と同年のチャイコフスキー国際コンクールで最高位入賞)と結婚し、今年出産した。そのことと彼女の演奏スタイルの変化とは決して無関係でないだろう。

「幽霊」というニックネームの要因となった第2楽章冒頭はノンヴィブラートで奏でられ、幽玄の雰囲気が醸し出された。

神尾の十八番、チャイコフスキーは雄弁でしなやか。文句なし!繊細なppが印象的だった。

アンコールのブラームスも素晴らしく、中身の濃いアンサンブルを堪能。是非このコンビでレコーディングも実現して貰いたい。音楽家による親善大使たちの今後の活躍を期待する。

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