映画「セッション」
評価:AA
インディペンデントの祭典、サンダス映画祭でグランプリおよび観客賞を受賞、アカデミー賞では助演男優賞(J・K・シモンズ)、編集賞、録音賞の3部門を奪取した。公式サイトはこちら。
監督のデイミアン・チャゼルは撮影当時28歳。若い頃、プロのジャズ・ドラマーを目指していたが挫折、その時の経験が本作に生かされているという。次作はエマ・ワトソン主演のミュージカル映画「La La Land」とのことで、非常に愉しみだ。
原題は"Whiplash"。本編に登場するジャズの曲名である。1973年にハンク・レヴィ(Hank Levy)が作曲した。Whiplashとは「ムチで打つ」という意味であり、鞭がしなって「ビシッ!」と鳴る音と、「ウィプラッシュ!」という語感には近いものがある。つまりこのタイトルはニューヨークにある名門音楽大学の教師フレッチャー(J・K・シモンズ)の性格そのものを示している。邦題の「セッション」は余りにも説明的で凡庸だ。
主人公は大学でビッグバンドジャズのドラマーを志す。ビンタを食らわし、物を投げつける暴力的なフレッチャーの指導法は「愛と青春の旅だち」に登場する鬼教官(ルイス・ゴセット・ジュニアがアカデミー助演男優賞を受賞)やスタンリー・キューブリックの「フルメタル・ジャケット」におけるアメリカ海兵隊のシゴキを彷彿とさせる。あるいは「巨人の星」の星一徹(大リーグボール養成ギプス)みたいだと言ってもいい。
狂気を孕みつつ突き進むJ・K・シモンズの演技は最高にクールでカッケー!この映画に衝撃を受け役者になりたいと志す若者はさぞかし多いことだろう。当然だ。
注意!以下ネタバレあり!
フレッチャーは悪魔的キャラクターだ。時に涙を流し人間的側面を垣間見させ、「あれ?先生って、もしかしたらいい人かも」と油断をさせる。しかしそうなったら彼の思う壺で、必ず後で強烈なしっぺ返しが待ち構えているのだ。どんでん返しに次ぐどんでん返しに唖然とした。
最後10分のコンサートホールにおけるほぼ台詞のないクライマックスが壮絶である。楽譜の小節に完全にシンクロ(同期)してパッパッと切り替わる、切れ味鋭い編集が秀逸だ(ロバート・ワイズ監督の「ウエストサイド物語」や「サウンド・オブ・ミュージック」のことを想い出した)。
本作については映画評論家の町山智浩氏とジャズ・ミュージシャン菊地成孔氏が言論による熱いバトルを展開している→こちら。
町山氏はフレッチャー先生を「若い才能を、おそらくは無意識の嫉妬で潰そうとしてしまう」と評し、そしてクライマックスで見つめ合うふたりについて「音楽は楽しいんだ。忘れてた」とし、音楽によってふたりは救われるのだと解釈している。
僕の考えは少し違っていて、フレッチャーは本気でバード(チャーリー・パーカー)のような天才ジャズ・ミュージシャンを自らの手で生み出したいと希い、行動していたのだと想う。勿論生徒のためなんかではなく、自己満足のために。そこにジャズへの愛はあっても、他者への愛はこれっぽっちもない。目的を果たすためなら生徒の人生を台無しにしようが、自殺に追い込む結果になろうがどうでもよかった。故に徹底的にアンドリューをいたぶり続ける。しかしアンドリューは食い下がり、闘争心をむき出しにして反撃する。「お、コイツは今までの奴らとは違う。もしかしたら……」という確かな手応をフレッチャーは感じる。そこで初めてふたりは共感し、相手を認めるのだ。
だからある意味、本作は特異な性的指向についての映画だとも言える。S(サディスト)=フレッチャーとM(マゾヒスト)=主人公との倒錯的プレイ。最後のセッション@コンサートホールは差し詰めベッドイン後の組んず解れつであり、見つめ合いニヤリとする瞬間に両者はエクスタシー(絶頂)に達すると解釈も出来るのである。
どの説が正しいと主張するつもりは毛頭ない。様々な見方が可能だというのは優れた芸術作品の特権なのだから。
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