バードマン あるいは (映画で描く落語の世界)
アカデミー賞で作品賞、監督賞(アレハンドロ・G・イニャリトゥ)、脚本賞、撮影賞の4部門受賞。「バードマン あるいは (無知がもたらす予期せぬ奇跡)」の公式サイトはこちら。
評価:A+
ミドルエイジ・クライシス(英語ではMidlife Crisis)を描くコメディである。コメディだけど苦渋もあって、悲喜劇と言ったほうが相応しいかも。ちなみにドイツの思想家・批評家であるゴットホルト・エフライム・レッシング(1729-1781)は悲喜劇を「まじめさが笑いを誘い、痛さが喜びを誘う」感情の混合物と定義した。この定義って落語にも当てはまるよね。上方落語に登場する喜六と清八は大真面目なんだけれど、アホなことをして聴衆の笑いを誘うわけだ。
冒頭と終盤の数カットを除き、全篇があたかも「ワンカット」の長回しで撮られたかのようなエマニュエル・ルベツキの撮影が凄いのだが、主人公が人生という名の迷路を彷徨っているかのような印象を観客に与える。時に上昇し、下降するキャメラは彼の感情の浮き沈み(躁と鬱)を象徴している。主人公は自殺も考えていて、その道行(みちゆき)は上方落語「地獄八景亡者戯」のようでもある。また、かつてハリウッドで演じたアメコミヒーロー「バードマン」のキャラクターが彼の心象風景(内的対話)として登場するのは落語で言えば「天狗裁き」の天狗みたいなもの。そして最後に彼は「俺は飛べる!」と自信を持つのだが、これって立川談志が言うところの「人間の業(ごう)の肯定」だよね。つまり「バードマン」=落語なんだ。前例がないユニークな映画だけれど、強いて近い作品を挙げるなら川島雄三の「幕末太陽傳」じゃないかな?あるいは、フェデリコ・フェリーニ「8 1/2」の主人公を映画監督から役者に置き換えたものと言えるかも知れない(「8 1/2」のグイドも空を飛ぶ!)。
映画をワンカットで撮る手法はアルフレッド・ヒッチコック監督が「ロープ」(1948)で既に試みている。フィルムの1巻は10分から15分なので、繋ぎは人物の背中や背景を大写しにすることでフィルムを切り替えている。しかし現在はフィルムではなくデジタル撮影なので、無限に長回しが出来る。さらに途中で繋いでいる場合でもVFX(デジタル処理)により、あたかも繋ぎ目がないかのように見せることも可能だ。「バードマン」も途中で主人公が空中浮遊したり超能力を使ったりして、様々な趣向が凝らされている。あと大きな鏡の前での会話の場面で、当然キャメラやキャメラマンが鏡に写り込んでいるはずなのに消えているのもびっくりした。
マイケル・キートンは「バットマン」(1989)と「バットマン・リターンズ」(1992)で時の人となったが、その後鳴かず飛ばず。それが「バードマン」の主人公に被る。エマ・ストーン(顔がちっちゃい!目が大きい!)は「アメイジング・スパイダーマン」でヒロインを演じ、エドワード・ノートンは「インクレディブル・ハルク」に出演している。アメコミに縁がある役者を意識的に集めているのが面白い。
物語の舞台となるのはブロードウェイのセント・ジェームス劇場。僕は2001年8月末にここでトニー賞12部門を受賞したミュージカル「プロデューサーズ」(ネイサン・レイン、マシュー・ブロデリック主演)を観た。9 ・11同時多発テロ2週間前のことだった。セント・ジェームスの斜め前に、現在でも「オペラ座の怪人」を上演中のマジェスティック劇場が見える。何だか懐かしかった。1988年1月26日から上演されているので、もう27年目!30周年も目の前だ。
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