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2015年3月

隠しテーマは【3・11】!!〜明日海りお主演 宝塚花組 レヴュー・ロマン「宝塚幻想曲(ファンタジア)」/ミュージカル「カリスタの海に抱かれて」

3月29日(日)宝塚大劇場へ。花組公演を鑑賞。

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レヴュー・ロマン「宝塚幻想曲(タカラヅカファンタジア)」の作・演出は稲葉太地。初体験だったが、スタイリッシュな人だと感じた。

ヘンリー・マンシーニの「シャレード」を「シング・シング・シング」風のビッグバンド・ジャズ・スタイルでアレンジしたり、津軽三味線で「さくら」を演奏、それに黒燕尾の男役が踊るという「異種格闘技」みたいな組み合わせが斬新。組子が太鼓を叩く中国風の場面で、ドヴォルザークの「新世界より」が響き渡るのにも意表を突かれた。選曲のセンスがいい。洗練されている。

花をテーマに四季折々の情景が描かれるのだが、夏の場面で舞台上には葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」風セットが登場。どうして海?と疑問に感じた。花と関係ないし。

Kanagawa

しかし、蓮の花が咲く冬(=明らかに死のイメージ)を経て、東日本大震災の復興支援ソング「花は咲く」が歌われるに至り疑問が氷解した。本作の隠しテーマは【3・11】だったのだ!!だから津波に襲われ、それでも必ず春は巡ってくるのだという力強いメッセージが込められていたのである。やるな、稲葉太地。侮れない。

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「カリスタの海に抱かれて」を執筆したのはテレビドラマ「ふたりっ子」「セカンドバージン」の脚本で有名な大石静。2011年宙組公演「美しき生涯」以来、2度目の描き下ろし。「寿美花代さんの時代から50年以上タカラヅカを見てきた」というだけに要所要所を的確に押さえており、大どんでん返しもあったりと達意の台本であった。独立運動がテーマとなると重い内容を想像しがちだが、以外なことに爽やかな作品に仕上がっていた。

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演出は座付きの石田昌也。石田には全く期待していなかった。同期の谷正純と同様、手法が古臭いのである。《一旦幕を下ろし幕前で芝居→セットの場面転換→幕が上がる》の繰り返し。実に単調なのだ。ベルばらの植田紳爾もそうなのだが、如何にも《昭和の演出家》という感じ。今の時代にそぐわない。にも関わらず、飽きることなく愉しい時間を過ごせたのは台本の出来が良いからだろう。

娘役トップに抜擢された花乃まりあについて。歌は悪くないのだがどうも老け顔で、顔の表面積が彼女よりずっと背が高い明日海りおの1.5倍くらいあるのが気になった。ふたりのバランスが取れていないんだよね。またアニータ・ロッカ役の美穂圭子が見事な歌唱で観客を魅了した。あと若きナポレオン役の柚香光が最高のはまり役で可笑しかった。

SS席前から2列目で鑑賞。1列目に座っていた小学生の女の子が目の前まで来た明日海りおをウットリ眺めているのが印象的だった。また僕の隣りに座ったおばちゃんがどうも男役2番手・芹香斗亜のファンらしく、明日海のソロに拍手をしないし、彼女が銀橋を渡る場面でも俯いて無視していたので驚いた!女って怖い。

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映画「ソロモンの偽証」前篇・事件

タイトルが「宮部みゆき ソロモンの偽証」と出てくるところから意表を突かれた。日本映画で原作者がタイトルに出てくるのは珍しい。「風と共に去りぬ」がMargaret Mitchel'sとなっていたり、外国映画では観たことがあるけれど。

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映画公式サイトはこちら

評価:AAA

本当は後篇を観てから評価するつもりでいた。前半を観ただけでは無理だと想ったからだ。ところが!僕の見通しが甘かった。観始めるやいなや、20年に1本しか現れない途轍もない怪物だということが直ちに判ったので断を下した。つまり日本映画史で言えば小津安二郎の「東京物語」、黒澤明の「七人の侍」「羅生門」、溝口健二の「雨月物語」「西鶴一代女」、成瀬巳喜男の「浮雲」レベルの作品であるということだ。長尺ということがネックになるかも知れないが、来年の米アカデミー賞外国語映画部門の日本代表は絶対にこれを選ぶべき。もし本作を出品すれば受賞は100%間違いなし。だって「おくりびと」を遥かに凌ぐ傑作だから。

映画冒頭、尾野真千子が中学校にやって来る。遠景に東京スカイツリーが見える。尾野は正門から入らず、通用門を通る。そこには「防犯カメラ設置中」とプレートが掲げられている。ふっと校舎を見上げる尾野。カメラが俯瞰ショットで桜の木の下に佇む彼女を捉える。……この一連の動作が、後に伏線としてしっかり活かされているのには唸った。凄い。

主役の新人・藤野涼子は勿論だが、死体で登場する望月歩、秀才君役の西村成忠、ニキビで虐められる石井杏奈、その友達で太っちょの富田望生、イジメの主犯格・清水尋也など子どもたちが適材適所で素晴らしい。見事なアンサンブルである。

イジメ、家庭内暴力、人の悪意、大人の事情(世間体、事なかれ主義)といった様々な要素が複雑に絡み、壮大なシンフォニーを奏でてゆく。雪の中から発見される目を開けたままの死体はどこか美しく、また「リング」の貞子みたいな女が登場したりしてゾクゾクっと背筋が凍るホラー要素もある。これを観逃したら貴方が2015年という今に生きている意味がない、末代までの恥とまで言い切らせて貰おう。直ちに映画館に駆けつけろ!!

以下余談。エンドロールでアルビノーニのアダージョが静かに流れる。僕はNHKで放送された向田邦子のドラマ「あ・うん」のことを想い出した。考えてみれば宮部みゆきは《現代の向田邦子》と言えるだろう。またこの曲はオーソン・ウェルズ監督の映画「審判」(1963)でも使われている。やはり裁判がテーマになっている「審判」への想いがあるのかも知れない。

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映画「博士と彼女のセオリー」

評価:A

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エディ・レドメインがアカデミー主演男優賞を受賞。他に作品賞・主演女優賞・脚色賞・作曲賞にノミネートされた。公式サイトはこちら

理論物理学者スティーヴン・ホーキング博士の伝記である。博士が筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患ったのはケンブリッジ大学在学中で、それまでは普通に自転車に乗ったり、ボート部でコックスをしていたという事実はこの映画で初めて知った。

博士の妻を演じるのはフェリシティ・ジョーンズ。つい先日「スター・ウォーズ」のスピンオフ"Rogue One"の主役に抜擢されたと報道された。それほど美人とは思わない。むしろ、アカデミー賞授賞式でエディ・レドメインの隣に座っていた奥さん=ハンナ・バグショー(イートン校に在学中のころ知り合ったそう。一般人)の方が断然美人だった。ただ映画で動いている彼女を観るとフェリシティってとってもチャーミングなんだ。Funny face(個性的で魅力のある顔立ち)って感じかな?

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監督は「マン・オン・ワイヤー」でアカデミー長編ドキュメンタリー賞を受賞したジェームズ・マーシュ。ドラマ(劇映画)の演出も見事である。

兎に角、物語の展開に驚かされた。僕は物心ついてから今までに数千本の映画を観ているので、基本的にありとあらゆる「起承転結のパターン」は熟知しているつもりである。しかし、本作はどんどん僕の予想を裏切って進行する。まんまとしてやられた。博士は宇宙の始まりと終わりの謎が方程式で解けると考えているが、実のところ「人の心」は方程式や一定の法則で解くことが出来ない、実に不可解なものであるとこの映画は結論付けるのである。つまり原題"The Theory of Everything"は「そんなもの存在しないよ!あっかんべ〜」という反語なのだ。

理論物理学者の実話というと、数学者の実話を映画化しアカデミー作品賞・監督賞を受賞した「ビューティフル・マインド」を想い出すが、両者の結末はぜんぜん違う。ただ、音楽はどちらも短い音型を反復するオスティナート技法が用いられているのが面白い。その規則正しさが数列みたいなんだよね。

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武満徹ソングス/林美智子&大萩康司 デュオ・リサイタル

2月21日(土)兵庫県立芸術文化センター小ホールにて。

Take

林美智子(メゾソプラノ)、大萩康司(ギター)、斎藤和志(フルート)、武満眞樹(「小さな空」朗読)で、

  • J.ルノアール:聞かせてよ愛の言葉を
  • 武満徹:翼(武満徹 作詞)
  • 武満徹:◯と△の歌(武満徹 作詞)
  • 武満徹:小さな部屋で(川路明 作詞)
  • 武満徹 編曲「ギターのための12の歌」より
    • ロンドンデリーの歌(アイルランド民謡)
    • ヘイ・ジュード(レノン=マッカートニー)
    • イエスタデイ(レノン=マッカートニー)
  • 武満徹:死んだ男の残したものは(谷川俊太郎 作詞)
  • 武満徹:小さな空(武満徹 作詞)
  • 武満徹:海へーアルト・フルートとギターのための
    I. 夜 II. 白鯨 III. 鱈岬
  • 武満徹:うたうだけ(谷川俊太郎 作詞)
  • 武満徹:恋のかくれんぼ(谷川俊太郎 作詞)
  • 武満徹:三月のうた(谷川俊太郎 作詞) アンコール
  • 武満徹:めぐり逢い(荒木 一郎 作詞) アンコール

聞かせてよ愛の言葉を」はジャン・ルノアール(「大いなる幻影」で有名な映画監督とは別人)が1923年に作詞・作曲したシャンソン。武満は終戦間近の14歳の時に勤労動員先で見習士官からこっそりこの曲のレコードを聴かせてもらい(敵性音楽だから禁止されていた)、作曲家になる決意をしたという。

「翼」はスケールが大きくロマンに溢れ、悠揚としたユーモアを感じさせる曲。

「○と△の歌」は凝りに凝った編曲(1曲毎に編曲者が違う楽譜が採用された)。

「小さな空」は泣きたいくらい美しい。

「恋のかくれんぼ」は無伴奏で歌われた。

僕は昔から武満の歌曲が大好きで、おまけに心が水のイメージに満たされる、お気に入りの「海へ」まで聴けたのだから大満足。眞樹さんが父親について語るコーナーも愉しかった。

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森が私に語ること〜「イントゥ・ザ・ウッズ」暗闇の奥へ

「イントゥ・ザ・ウッズ」のレビューは下記に書いた。

本作についてつい最近、ネット上で次のような感想文を読んだ。

おとぎ話というと教訓があるものだが、それがなんだか判らない。結局何が言いたかったの? 「願い事には気をつけて」ということ? それとも「言葉の力に気をつけて」ということ?

いやもうびっくりした!青天の霹靂である。僕にとっては舞台ミュージカルの頃から長年親しんできた作品であり、そもそもこれを観て何が言いたいか理解できない人が存在するという発想そのものがなかった。多分それは「桐島、部活やめるってよ」や「風立ちぬ」、そしてフェリーニの「甘い生活」が判らない人たちがいるのと同じ現象なのだろう。決して少ない数ではない、大体2−3割くらいだろうか?つまり主人公の心情が台詞で説明されないと理解出来ない人々のことである。

そこで「イントゥ・ザ・ウッズ」のテーマについて改めて考えてみた。

上記レビューにも書いたとおり、本作における森は《人間の本能・恐怖心・願い・欲望・潜在意識》などもろもろの感情の暗喩(メタファー)である。対する森の外は《しきたり・秩序・モラル・世間体》などを示している。一方、子どもたちにとって森は《誘惑や危険に満ちた、混沌とした世界》であって、森の外は両親に庇護された《安全な場所》である。しかし、永遠に子どもの時間に居続けることは出来ない。彼らは必ず《森の中へ(Into the Woods)》入っていかなければならない。それが《大人になること》なのだ。

おとぎ話は最後に決まり文句が必ず登場する。「そして彼らはいつまでも幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし(And they lived happily ever after.)」

「イントゥ・ザ・ウッズ」はこの慣用句に疑問を投げかける。「本当に彼らの末路は幸せだったの?人生ってそんなものじゃないでしょう。波風があって当たり前なんじゃない?」そしてさらに、「嘘と知っていて子どもたちにそんな作り話をしていいの?」「『願いはきっと叶う』とか、『努力すれば必ず報われる(by 高橋みなみ)』とかいった戯言を子どもたちに信じさせることは本当に有意義なの?」と本作は問うのである。

ここで物語の終盤、シンデレラが赤ずきんに歌う"No One is Alone"の歌詞を見てみよう。

Mother cannot guide you.
Now you're on you're own.
Only me beside you.
Still, you're not alone.
No one is alone, truly.
No one is alone.
Sometimes people leave you
Halfway through the wood.
Others may deceive you.
You decide what's good.
You decide alone.
But no one is alone.

(死んでしまった)お母さんは貴方を導けない。
貴方は今、自分自身の道を歩んでいる。
私だけが貴方のそばにいる。
でも、貴方はひとりじゃない。
誰もひとりぼっちじゃない。本当よ、
ひとりじゃないの。
時に人々は貴方から離れてゆくでしょう、
森(=人生)の中ばで。
またある人は貴方を騙そうとするかも知れない。
貴方は自分で何が正しいか決めなければならない。
ひとりきりでね。
でもひとりぼっちじゃないの。

また魔女歌う"Children will Listen"の歌詞はこうだ。

How do you say to your child in the night?
Nothing's all black, but then nothing's all white
How do you say it will all be all right
When you know that it might not be true?
What do you do?

貴方は夜、子供になんてお話を読み聞かせるの?
世界の全ては真っ黒(悪)じゃない、でも全て白(善)でもない。
貴方はどう言うの、万事めでたしめでたしと?
それが本当じゃないかもしれないと知っているのに?
貴方ならどうする?

Careful the things you say
Children will listen
Careful the things you do
Children will see and learn
Children may not obey, but children will listen
Children will look to you for which way to turn
To learn what to be
Careful before you say "Listen to me"
Children will listen

言葉に気をつけなさい、
子供達は真剣に耳を傾けている。
行いに注意しなさい、
子供達は貴方の振る舞いを見て学ぶ。
子供達は反抗するかも知れない、でも聴いている。
子供達は貴方を見守っている、どうしたら良いのか
そうありたい人になるために学ぼうとしている。
「お聞きなさい」と言う前に気をつけて、
子供達は耳を傾けているのだから。

Careful the wish you make
Wishes are children
Careful the path they take
Wishes come true, not free
Careful the spell you cast
Not just on children
Sometimes the spell may last
Past what you can see
And turn against you
Careful the tale you tell

願いをかけるときには気をつけて
願いとは子供達のこと。
どの道を選ぶか注意して
願いが叶う時、タダではない。
呪文を唱える時は気をつけて
子供達に唱えては駄目
時に呪文は貴方の目が届かない
(死後まで)効力を発揮するから。
そして貴方の意図に反する結果になる。
おとぎ話を語るときには気をつけて。

どうです?この作品のテーマが端的に表れているでしょう。

最後に、3歳の息子がいる僕の考えを述べたい。「進撃の巨人」でミカサ・アッカーマンが言うように、この世界は残酷だ。しかし、幼い子供にそんなことを教える必要はない。小学生、つまり12歳くらいまでは夢とかおとぎ話を信じさせておけばいい。そして中学生になったら世の中の暗い部分、人の悪意を描く物語や、映画を教えればいいのではないだろうか?

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映画「アメリカン・スナイパー」あるいは「羊」と「狼」、「番犬」の関係性について

評価:A

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この映画を巡って、日本の左翼や右翼が「これは好戦的作品だ」「いや、反戦映画だ!」と喧しい。アホくさ。結論から言うと、そのどちらでもない。まずクリント・イーストウッド監督の政治的立場から考察してみよう。

アメリカは共和党民主党の二大政党制である。共和党は保守主義であり、銃規制反対、妊娠中絶反対、不法移民反対、死刑制度存続の立場を取り、キリスト教福音派から絶大な支持を得ている(ゆえに同性愛者に対して否定的意見を持つ者が多い)。リンカーン、ニクソン、ブッシュ親子などの大統領を輩出した。一方の民主党はリベラル派であり、銃規制強化、中絶自由化、同性愛容認、不法移民容認、宗教多様化容認、死刑廃止などを掲げる。フランクリン・ルーズベルト、J・F・ケネディ、カーター、クリントン、オバマらの大統領を輩出した。

ハリウッドの映画人は圧倒的に民主党支持者が多い。ハリウッド大手映画会社役員の約60%がユダヤ人であることも一因だろうし、共和党ジョセフ・マッカーシー上院議員による赤狩り(マッカーシズム)により、辛酸を嘗めた過去も大きいだろう(ハリウッド・テン)。「ハリウッドの共和党員は、クリント・イーストウッド、チャールトン・ヘストン、マイケル・J・フォックス、アーノルド・シュワルツェネッガーの4人しかいない」というジョークがあるくらいだ。”裏切り者”エリア・カザン監督が名誉賞を受賞した年のアカデミー賞授賞式は大荒れに荒れた。

因みにチャールストン・ヘストンが生前、全米ライフル協会会長を務めていたことはアカデミー賞を受賞したドキュメンタリー映画「ボーリング・フォー・コロンバイン」で描かれている通りである。

クリント・イーストウッドは2012年に共和党大会に登場し、演説の中でオバマ大統領を批判した。彼はカリフォルニア州公認の共和党員であるが、面白いことにヴェトナム戦争やイラク戦争などに反対している。また妊娠中絶や同性婚についても擁護する立場を取る。彼は中間地点=グレーゾーンにいる。

「アメリカン・スナイパー」はアメリカ海軍特殊部隊SEAL所属の狙撃手クリス・カイルの自叙伝が原作である。

主人公が少年時代を回想するシーンで父親が言う「世の中には(sheep)と(wolves)、番犬(sheepdogs)と3種類の人間がいる」という台詞はこの映画のテーマに直結する。=反戦主義者であり=好戦的人間/タカ派、そして番犬とは治安を守る人間/監視人のことを指す。イーストウッドは少なくとも番犬を肯定している。だけでは治安を維持できない。に蹂躙され、人々は不幸のどん底に落とされるだけだ。番犬の存在は必要不可欠である。しかし、だからといって彼がジョージ・W・ブッシュ大統領の対テロ戦争を決して支持しているわけではないのが面白い。一筋縄ではいかない、ある意味不気味なところである。「俺達は番犬のつもりでイラクに行ったけれど、いつの間にかになってしまっていたんじゃないか?」と、本作は問う。世界は白か黒、右か左、戦争か平和の二元論で割り切れるもんじゃない。そんなに単純ではないのである。それを象徴するのが主人公の4回目のイラクへの派遣。激しい砂嵐に襲われ、敵も味方も識別不能になる。全ては混沌(カオス)に帰結する。「これが、テロとの戦いの本質だ」とイーストウッドは淡々と語るのだ。

イーストウッドは第二次世界大戦の硫黄島の戦いを題材に「父親たちの星条旗」をアメリカ側から、「硫黄島からの手紙」を日本側からの視点で描いた。彼は一方を正義、対する一方を悪と決めつけたりしない。常にニュートラルな立場(中間地点)にいる。その姿勢が「アメリカン・スナイパー」でも貫かれているのだ。

入隊後の教官による訓練(シゴキ)の激しさは「愛と青春の旅だち」や「フルメタル・ジャケット」を思い起こさせる。そしてアメリカン・スナイパーとイラク側のスナイパーの一騎打ちの物語へとなだれ込む。ある意味、往年の西部劇(ガンマン vs. ガンマン)を彷彿とさせる展開だ。そういったエンターテイメント要素を盛り込みながら、作品の本質は全く別のところにある。クリント・イーストウッド、実にしたたかな映像作家である。

以下余談。「アメリカン・スナイパー」の最後にエンニオ・モリコーネが作曲したFuneralという音楽が流れる。映画「続・荒野の一ドル銀貨」からの流用である。モリコーネは「荒野の用心棒」「夕陽のガンマン」(セルジオ・レオーネ監督)など若き日のイーストウッドが主演したマカロニ・ウエスタンの音楽を担当しているが、恐らくイーストウッドが監督した映画に彼の音楽が流れるのはこれが初めてではないだろうか?昨年、「ハリウッド・レポーター」誌はモリコーネが過去にイーストウッドから作曲依頼があったことを明かし、断ったことを後悔していると伝えた。久々の邂逅。感慨深いものがある。

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From Stage to Screen 〜映画「イントゥ・ザ・ウッズ」

評価:A+

Intothewoods

ミュージカル「イントゥ・ザ・ウッズ」は1987年にブロードウェイで初演された。作詩・作曲:スティーヴン・ソンドハイム、台本:ジェイムズ・ラパイン。2004年には演出:宮本亜門、魔女:諏訪マリー、ずきん:神田沙也加、シンデレラ:シルビア・グラブらというキャスティングで日本初演された。僕はこの初演@新国立劇場および、再演@兵庫県立芸術文化センター大ホール(2006年7月2日)を観ている。またバーナデット・ピータースが魔女を演じたブロードウェイ初演版DVDも所有している(北米版、日本未発売)。トニー賞では台本賞、楽曲賞(スティーヴン・ソンドハイム)、主演女優賞(パン屋の妻役;ジョアンナ・グリーソン)と3部門受賞。因みにこの年は作品賞、主演男優賞(マイケル・クロフォード)など7部門を「オペラ座の怪人」が制した。すなわち、スティーヴン・ソンドハイムはアンドリュー・ロイド=ウェバーに勝ったのである。

ロブ・マーシャル監督はミュージカル映画「シカゴ」でアカデミー作品賞を受賞。その前にディズニーが製作したテレビ映画「アニー」の監督・振付を担当し、こちらも掛け値なしの傑作であった(僕は北米版DVDで視聴。日本未発売)。「NINE」はお粗末な出来だったけれど、今回はすっかり復調。オリジナルの舞台を上回る完璧な作品に仕上がった。オープニングのロゴが「暗い」シンデレラ城なのも気に入った。公式サイトはこちら

まず配役が素晴らしい。アカデミー助演女優賞にノミネートされたメリル・ストリープといい、狼役のジョニー・デップも嬉々として怪演。観ているこちらも愉快な心持ちになる。しっとり落ち着いたパン屋の妻:エミリー・ブラント(英語版「風立ちぬ」では里見菜穂子の声を担当)や、弾ける生命力を抑えきれないシンデレラ:アナ・ケンドリックなど適材適所である。アナの歌唱力も抜群。ちなみに彼女は6歳のとき舞台「アニー」でデビュー。12歳のとき出演したミュージカル「High Society」でトニー賞にノミネートされた。来月公開される主演映画「ラスト5イヤーズ」もミュージカルである。またジャック(ジャックと豆の木):ダニエル・ハットルストーンは映画「レ・ミゼラブル」でガブローシュを演じた逸材だ。

以前ソンドハイムはインタビューに答え、ディズニー向けにシナリオの手直しをしていると発言していた(映画の脚色もジェイムズ・ラパインが担当)。「イントゥ・ザ・ウッズ」は「本当は怖いグリム童話」みたいな側面があり、シンデレラの義理の姉たちがガラスの靴に足が入るように踵を切断したり、鳥たちが彼女たちの目を潰す残酷なシーンがあり、てっきりカットされているのだろうと僕は想っていた。ところが(直接描写はないものの)そっくりその設定が残っていたので驚いた。映画的なスピード感がありながらも、舞台との齟齬を感じさせない。見事なアレンジである。

映画を観て初めて気付いたのだが、本作の本当の主役は森(Woods)なんだね。森は人間の願いとか欲望、本能、深層心理のメタファーでありカオスを形成。一方で森の外はしきたりやモラル、建前、秩序を象徴している。実に奥深い。

公開初日にTOHOシネマズ@兵庫県西宮市で鑑賞。なんとレイトショーなのに映画館が満席で驚いた。こんな盛況は久しぶりだ。報道によると本作は今年公開された洋画の中でNo.1のオープニング興行収入を記録。さらに、国内で公開されたミュージカル映画史上歴代No.1の興収58億円をあげた「レ・ミゼラブル」のオープニング成績を抜き、2000年以降に公開された実写ミュージカル映画の中でもNo.1のオープニング記録を樹立したそうである。スゲェな!

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花とアリス殺人事件

評価:B+

Hana

岩井俊二監督が初めてアニメーションに挑むということで、どこまでの完成度が期待出来るのか不安要素が多く、当初は観に行くつもりがなかった。 ところが新海誠監督やスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサー(業界関係者)が褒めるものだから、コロッと気が変わった。結論として足を運んで正解だった。

映画公式サイトはこちら。ロトスコープという技法が用いられているそうで、この用語は知らなかった。モデルの動きをカメラで撮影し、それをトレースしてアニメーションにする手法だそうだ。岩井監督はこれに3DCGを組み合わせるという新しい試みをしている。美術監督は新海誠監督「言の葉の庭」の滝口比呂志。

僕が大好きな新海誠監督のアニメ「秒速5センチメートル」は岩井俊二作品から多大な影響を受けている。例えば図書館の場面は「Love Letter」だし、踏切で明里が言う台詞は明らかに「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」における、なずな(奥菜恵)のそれを意識している。面白いことに「花とアリス殺人事件」では逆に岩井監督が新海アニメや細田守監督作品を徹底的に研究したようで、エンド・クレジットにSpecial Thanksとして「新海誠」が登場する。作家って互いに刺激を受けるんだね。

鈴木杏・蒼井優が主演した映画「花とアリス」(2004)の前日譚である。実写映画になる前にショートフィルム版「花とアリス」(2003)があって、キットカットの日本発売30周年を記念してネスレが運営するウェブサイト「ブレイクタウン」でネット配信された(僕はそちらも観ている)。「花とアリス殺人事件」にキットカットが登場するのはそういう経緯による。

岩井俊二は少女が最高に輝く瞬間をすくい取り、フィルムに永遠に封じ込めることに長けた作家である。天才的とも言える。「Love Letter」の酒井美紀しかり、「打ち上げ花火」の奥菜恵しかり。そして「花とアリス」で最後に蒼井優(アリス)がバレエを踊る場面の神々しいまでの美しさに、僕は目眩を覚えた。あの瞬間が彼女のピークだったと確信を持って言える。「花とアリス殺人事件」もアリスのバレエ・シーンから始まる。そして最後は「花とアリス」の冒頭に繋がり、懐かしいテーマ音楽が鳴り響く。至福の時であった。

取り立てて大した出来事(事件)は起こらず、ほのぼのとした映画なのだけれど、結局僕は岩井監督が醸し出す「空気感」が大好きなんだなぁと改めて自覚した次第である。

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アイドルの涙 DOCUMENTARY of SKE48

評価:B+

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映画公式サイトはこちら

兵庫県西宮市のTOHOシネマズで平日18時からの上映を鑑賞。なんと客が僕を含めて3人しかいなかった!大丈夫か、SKE48?続いて連チャンで20時半から「くちびるに歌を」を観たのだが、そちらは4人。ヲイヲイ、ガッキーに負けてるぞ。因みに別の日に同館のレイトショーで観た「幕が上がる」は12人いた。結論ーももクロの完勝。本編前に「DOCUMENTARY of 乃木坂46」予告編があった。

今回の監督は石原 真。NHKエンターブライズ所属のエグゼクティブ・プロデューサーで、NHKで放送されている「MUSIC JAPAN」や「AKB 48 SHOW !」の制作統括を務めている。48グループを熟知している人だから、実に内容が充実していた。

ドキュメンタリーは2014年2月2日、ナゴヤドームがオレンジ(SKEのチームカラー)のサイリウム一色に染まったSKE決起集会。「箱で推せ!」の様子から始まる。

続いて2014年末に発売されたシングル曲「12月のカンガルー」で北川綾巴(6期生)と宮前杏実(5期生)が、それまで選抜メンバーを牽引してきた松井珠理奈、松井玲奈の”ダブル松井”(共に1期生)に代わり、ダブルセンターに起用された瞬間をカメラが捉える。何が起こったか理解出来ずキョトンとしているふたりが可笑しい。そして一気に時は6年半前、1期生のオーディションに遡る。最後にはまたナゴヤドームと新センターの話に戻ってくるという、非常に巧みな構成だ。

40人以上のインタビューが核となっており、1期生の卒業生なんか殆ど登場するんじゃないかな?桑原みずきとか出口陽 、平松可奈子など懐かしかった。矢神久美には取材を何度も断られたそうだ。彼女はアイドル時代よりずっと綺麗になっていたし、ファッショナブルな大人の女性に成長していた。また小木曽汐莉(3期・卒業生)が恥じらいながらポロポーズされたことを告白する場面も素敵だった。膨大な数だが各々程よく短めに編集されており、観ていてダレない。

振付を担当している牧野アンナのシゴキっぷりが凄い。SKE結成から1ヶ月後、日比谷野外音楽堂でデビューした時に披露した”PARTYがはじまるよ”は人々から「あんなにハードなPARTYは見たことない」と言われたそう。

チームSの劇場公演3rd Stage「制服の芽」初日直前、”ピノキオ軍”を練習中に松井玲奈が「痛いっ!」と腰を押さえて倒れこんだ。しかし何もなかったようにレッスンは続行される。牧野は玲奈を無視して檄を飛ばす。The Show Must Go On. また他のメンバーがレッスン中に過呼吸に至る様子も映し出される。まるで鬼軍曹が新米の兵士をシゴイているようで、「愛と青春の旅だち」のルイス・ゴセット・ジュニア(アカデミー助演男優賞受賞)とか、「フルメタル・ジャケット」のロナルド・リー・アーメイ、間もなく公開される「セッション」で厳格な音楽教師を演じたJ・K・シモンズ(アカデミー助演男優賞受賞)などを想い出した。エキサイティングなシーンだった。

須田亜香里(3期)が、「『センターが変わります』とアナウンスされた瞬間、『あ、私だ!』と思いました」とニコニコしながら言い、古畑奈和(5期)は「センターになる約束をしている」と語る(あるインタビュー記事によると、卒業した同期の菅なな子と「一緒にセンターを取ろうね」と言っていていたそう)。東李苑(6期)は「(北川と宮前がセンターに選ばれたことについて)そりゃぁ悔しいですよ。でももしそういう気持ちがなかったら、私はSKEを辞めてます」とキッパリ断言する。彼女たちは強い。生存競争は過酷だ。タフでなければアイドルとして生きていくことは出来ないのだろう。

ただ本作で唯一残念だったのは向田茉夏(2期・卒業生)のインタビューが取れていないことである。2ndシングル「青空片想い」から選抜メンバーを務め、当初から長らくチームKIIのセンターを張っていた彼女の不在は痛い。多分取材を断られたんだろうな……。

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映画「フォックスキャッチャー」あるいは、アメリカ人のマッチョ信仰についての考察

 評価:A+

Foxcatcher_2

アカデミー賞で監督賞、主演/助演男優賞、オリジナル脚本賞など5部門にノミネートされた。映画公式サイトはこちら。面白いのは8本ノミネートされる作品賞に落選したのに、5人しかノミネートされない監督賞に入っているって一体どういうこと??理解不能。監督はベネット・ミラー。フィリップ・シーモア・ホフマンがアカデミー主演男優賞を受賞した「カポーティ」は傑作だった。

大富豪とオリンピックの金メダリスト(レスリング)との物語。実話である。描かれるデュポン財閥は名前から分かる通りフランス系である。南北戦争と2つの世界大戦で火薬を売り、巨万の富を築いた。

本作のシナリオがクレバー(巧妙)だなぁと想うのは歴史を踏まえたアメリカ人論になっていることである。財閥の御曹司のレスラーへの偏愛(執着)はアメリカ人のマッチョ信仰鍛えぬかれた肉体への崇拝と密接に結びついている。

例えばマーベルに代表されるアメコミにもマッチョ信仰が窺い知れる。スーパーマン然り、超人ハルクやキャプテン・アメリカ、マイティ・ソーなんかもそう。シルベスター・スタローンやアーノルド・シュワルツェネッガーがハリウッドでスターになれたのもマッチョ信仰のおかげであると言える。考えてもご覧。シュワちゃんはオーストリア出身だけれど、ヨーロッパ映画に彼の持ち味を活かす役どころなんてある?マーベルに似たヒーローって他の国に存在する?鉄腕アトムに端を発する日本のマンガやアニメのヒーローって、その多くはロボット/人造人間 萌えでしょ?アメリカとは根本的に違うんだ(「ロボコップ」は石ノ森章太郎の漫画「ロボット刑事」の模倣である)。アメフトもマッチョだよね。ジョージ・W・ブッシュ元大統領がホワイトハウスでNFL(アメフト)のゲームを観戦中に、興奮のあまりプレッツェルを喉につまらせたという事件もあった。

話を元に戻そう。御曹司がマッチョ信仰なのに対して、彼の母(ヴァネッサ・レッドグレイヴ)は名馬のコレクターであり、レスリングを「野蛮で下等なスポーツ」と嫌悪している。そもそもfoxcatcherとは「キツネ狩り」をする猟犬や馬を指した言葉である。キツネ狩りといえばイギリスやフランスの貴族に流行ったスポーツであり、つまり母と息子の確執はヨーロッパ文明とアメリカ文明の衝突を象徴している。息子の屈折した愛情表現はアメリカ人のヨーロッパに対する憧れと嫉妬、劣等感にイコールなのである。

深い映画だ。結末が「銃社会」でしか成立しないのと同様、本作の根幹は独立戦争から西部開拓史(先住民の掃討、奴隷売買)を経て、逞しい肉体を賛美する「宗教」を発展させて行ったアメリカという国家固有の物語なのだ。

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映画「くちびるに歌を」あるいは、大林映画×二十四の瞳×サウンド・オブ・ミュージック

評価:B+

Kuchi

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考えてみたら新垣結衣が出演する映画やドラマを観るのはこれが初めてだ。いまさらだけれどガッキー、可愛いね。

三木孝浩監督の「陽だまりの彼女」は恋愛映画を偽装した化け猫映画であり、大林宣彦監督「HOUSE ハウス」へのオマージュを高らかに歌い上げる作品であった。続く「ホットロード」は大林映画「彼のオートバイ、彼女の島」への挑戦状であったわけだが、残念な失敗作に終わった。監督の大林映画への想いはこちらで熱く語られている。

で長崎県・五島列島で撮られた「くちびるに歌を」も大林映画へのオマージュで溢れている。ガッキーがフェリーに乗っている姿が映画のファースト・ショットだし、少年が自転車を押しならが海沿いの坂道を少女と歩く場面があるが、これは明らかに「さびしんぼう」の再現であろう。ガッキーがピアノを弾く場面を観ながら、「そうそう、『大林映画はピアノ映画だ!』と看破したのは映画評論家の石上三登志(故人)だったなぁ、それにしても『ふたり』で石田ひかりがシューマンのノヴェレッテを弾く場面は迫力があった」などと懐かしく想い出していると、な、な、なんと、映画中盤にガッキーの死んだ母親役として石田ひかりが登場。オルガンを鳴らし始めたではないか。僕は「ウォォー!、キターッ!!」と映画館の暗闇で思わず叫びそうになった。

心に太陽を持て。
あらしが ふこうと、
ふぶきが こようと、
天には黒くも、
地には争いが絶えなかろうと、
いつも、心に太陽を持て。

くちびるに歌を持て、
軽く、ほがらかに。
自分のつとめ、
自分のくらしに、
よしや苦労が絶えなかろうと、
いつも、くちびるに歌を持て。

(詩:ツェーザル・フライシェン、訳:山本有三)

山本有三(著)「心に太陽を持て」単行本は大林宣彦監督が解説を書いている(こちら)。そして大林映画「なごり雪」にも「心に太陽を持て」が引用されているのだ。

「くちびるに歌を」のプロットは基本的に「二十四の瞳」を踏襲している。島に女性教師がやってきて、子どもたちと歌う。そして生徒たちにはそれぞれ様々な家庭的問題を抱えている。「くちびるに歌を」の子どもたちの人生は過酷だ。映画は最後まで彼らに救いを与えない。それでいい。そして(それでも)人生は続くのだ。

また「サウンド・オブ・ミュージック」との関連性も指摘できるだろう。あのミュージカルも合唱コンクールに出場する話だからね。小高い丘でガッキーが子どもたちに合唱の指導をする場面は「ドレミの歌」を彷彿とさせるし、クライマックスで合唱の和が広がっていくのは「エーデルワイス」@フェルゼンライトシューレだ。上に掲載したポスターに写っている子どもたちが7人であることにも注目!

五島列島の風景が美しい。爽やかないい映画だ。ただ合唱コンクールの本番で回想シーンになる演出は安易(ベタ)だと想った。三木監督の今後に期待する。

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21世紀に誕生した青春映画の金字塔「幕が上がる」

評価:A+

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僕はももいろクローバーZに全く興味がない。メンバーの名前も誰一人知らないし、彼女たちの歌も一切聴いたことがない。それでもどうしてもこの映画を観たいと想った。その理由はキネマ旬報誌で大林宣彦監督が本作を絶賛していたからである。

またAKB48のMVやドキュメンタリー映画を撮っている高橋栄樹監督も次のようにツィートされている。

ここまで言われたらもう、観るしかないでしょう。他の選択肢はない。

本広克行監督は大林監督との対談で本作を順撮り(シナリオ通りの順番で撮影すること)したと語っている。正にその効果が覿面(テキメン)で、当初は芝居に対してズブの素人だったももクロたちが、次第に演技に目覚めどんどん輝いていく姿がまるでドキュメンタリーのように捉えられ、フィルムに封じ込められている。彼女たちは原作者であり劇作家・演出家でもある平田オリザのワークショップに参加したそうだが、その功績も大いにあっただろう。

本広監督は元々演劇に対する関心が深い人だ。監督の故郷・香川県で撮られ、僕が大好きな映画「サマータイムマシーン・ブルース」は劇団ヨーロッパ企画の代表作であり、舞台の台本を書いた上田誠が映画のシナリオも執筆している。そして「幕が上がる」の冒頭で演劇部の部員が焼却する台本が何と、「ウィンタータイムマシーン・ブルース」なのである!

で「幕が上がる」の誰が凄いって、ももクロじゃない。美術教師役の黒木 華(くろき はる)、彼女に尽きる。何なんだ、あの強烈な存在感は!彼女が登場した途端に画面がキュッと引き締まる。そして突然の不在にも残り香が薫るのだ。間違いなく今年の助演女優賞は彼女が総なめするだろう。黒木 華演じる教師はかつて「学生演劇の女王」と呼ばれたという役どころだが、彼女自身も(大阪府の進学校)追手門学院高等学校演劇部時代に1年生の時から主役を務めていたそうで、大学時代に野田秀樹の演劇ワークショップに参加し、オーディションに合格してNODA・MAPの公演「ザ・キャラクター」でデビューしたという経歴を持つ。

本作の「発明」は未だ映画で一度も描かれたことがなかった高校演劇の世界をテーマにしたことにある。全国高等学校演劇大会の様子もダイジェストで登場するのだが、何と熱い空間だろう!驚きの連続であり、背筋が伸びる想いがした。アイドルと演劇の世界の融合という点では、恐らく薬師丸ひろ子主演、澤井信一郎・荒井晴彦脚色による映画「Wの悲劇」を参考にした側面もあるのではないか?「幕が上がる」の主人公が見る悪夢の中で演劇部の顧問から罵倒され灰皿を投げつけられる場面があるが、あれは蜷川幸雄がモデルであり、「Wの悲劇」にも蜷川幸雄が演出家役として登場するのである。

そして特筆すべきは「幕は上がる」のカーテンコール。ミュージカル仕立て、そしてメイキング映像も織り込むという手法は明らかに大林宣彦監督「時をかける少女」(1983)へのオマージュである。おまけにラストはももクロのメンバーがフィックス(固定)されたカメラに向かって走ってきて微笑むというカットなのだが、これも「時かけ」の原田知世とそっくりに仕上げているという念の入れよう。恐れ入った。

本広監督は本作を撮るにあたり、大林宣彦と山田洋次が若手の監督を呼んで語り合う「渋谷シネマ会」に参加し、アイドル映画を撮る極意について指南を仰いだそうである(詳細はこちら)。大林監督からの助言は「(被写体を)愛すればいいんだよ」だったという。そしてそれが結実したのが「幕が上がる」なのである。

本作は紛れもなく「桐島、部活やめるってよ」に拮抗する、21世紀に生まれた青春映画の金字塔である。読者諸君、直ちに映画館に駆けつけ、この世紀の大傑作を目撃せよ!

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Golden Songs 〜梅田芸術劇場10周年記念

2月28日(土)梅田芸術劇場へ。10周年記念コンサート。因みに前身は「劇場・飛天」。僕が初めて「レ・ミゼラブル」を観た時は飛天だった。

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出演者は朝海ひかる、安蘭けい、石井一孝、一路真輝、伊礼彼方、湖月わたる、姿月あさと、樹里咲穂、中川晃教、春野寿美礼、平方元基、マテ・カマラス、山崎育三郎ほか。この日のゲストは城田優。 

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第1幕

  • 「シカゴ」:RAZZLE DAZZLE(全員)
  • JAZZ MEDLEY
    「シカゴ」All That Jazz(湖月)~「ワンダフル・タウン」Swing(安蘭)~「絹の靴下」The Red Blues~「蜘蛛女のキス」Let's Make Love
  • 「ファニー・ガール」:People(春野)
  • 「絹の靴下」Satin And Silk(樹里)
  • 「蜘蛛女のキス」:She's a Woman(石井)
    Kiss of the Spiderwoman(朝海)
  • 「エリザベート」夢とうつつの狭間に(一路)
  • CHESS in concert:One Night in Bangkok~Someone else’s Story(中川・マテ他)
    You and I(安蘭、石井)
  • 「The Musical AIDA」:エジプトは領地を広げている(湖月、伊礼)
    月の満ちるころ(安蘭、伊礼)
    私に見えたもの(安蘭)
    王家に捧ぐ歌(全員)

第2幕

  • 「ロミオ&ジュリエット」世界の王(全員)
    どうやって伝えよう(平方)
    僕は怖い(山崎)
  • 「ファントム」:My Mother Bore Me(城田)
    This Place Is Mine(樹里)
    You Are My Own(姿月)
  • 「マルグリット」China Doll(春野、湖月)
  • 「モーツァルト!」:僕こそミュージック(中川)
    星から降る金(一路)
    何故愛せないの?(山崎)
  • 「エリザベート」:パパみたいに~夜のボート(伊礼、春野)
    闇が広がる(平方、マテ)
    私だけに(朝海)
    キッチュ(石井、湖月、樹里)
    私が踊る時(マテ、一路)
    最後のダンス(姿月)
  • 「おもひでぽろぽろ」私にしか見えない〜土の唄(朝海)
  • MITSUKO:西と東(マテ)
    後ろを振り向かずに(安蘭)
    愛は国境を越えて(全員)

僕が聴いたのは夜の部だが、後方席に座っているおばちゃんたちが、昼の部がどうだったこうだったと会話しているのが聴こえてきた。連チャンなんだ……。また前方の席では「昼にでーれー観てきた。足立梨花ちゃんて可愛いね」という話題が。岡山県のご当地映画「でーれーガールズ」のことだ。この作品、宝塚歌劇のOG,安蘭けいと白羽ゆりが出演しているのである。つまりこの会話の主は安蘭けいのファンであることを意味する。そのおばちゃん、あろうことか春野寿美礼が"People"を歌っている時にスマホをいじりはじめた。「安蘭けい以外はどうでもええんかい!」また僕の隣に座っている女性が、「モーツァ ルト!」で口をパクパク動かし始めた。チラチラ見ると、どうやら声を出さずに一緒に歌っている模様。この口パクは「エリザベート」やMITSUKOでも続いた。「MITSUKOの歌詞まで覚えているんかい!」と僕は内心でツッコミを入れた。コンサートの内容だけではなく、客も濃かった。

音楽監督・指揮は甲斐正人。「王家に捧ぐ歌(→後にThe Musical AIDA)」「おもひでぽろぽろ」の作曲家であり、ウィーン・ミュージカル「エリザベート」や「モーツァルト!」では音楽監督を務めている。初めて本人を見たが、好々爺という感じ。”パパみたいに”ではパパ役をちょこっと歌い、客席から笑いが起こった。

ちなみに僕は今回演奏された作品のうち、「絹の靴下」「おもひでぽろぽろ」以外は全て観ている(「王家」「ロミジュリ」は宝塚版&梅芸版、「エリザベート」はウィーン版&宝塚版&東宝版)。

とにかく絢爛たる豪華キャスト。「エリザベート」のトート経験者だけでもマテ、一路、姿月、春野、城田と5人いて、エリザベート役は一路、春野、朝海の3人、ルキーニが湖月、樹里(10周年ガラコンサート)、山崎(2015年予定)の3人といった具合。初代ヴォルフガングの中川くんは懐かしかったし(「君こそモーツァルト!」と叫びたくなった)、宝塚版と梅芸版でラダメスを演じた湖月と伊礼が競いあうように歌う”エジプトは領地を広げている”は実にエキサイティングだった。

マテを初めて観たのはウィーン版「エリザベート」引越公演だった。その後彼は日本の舞台にちょくちょく出演するようになり、最早お馴染みの顔に。日本語も大分上手くなった。時は流れる。

「王家に捧ぐ歌」を宝塚で観た時はラダメス:湖月、アイーダ:安蘭けい、そしてアムネリス:檀れいという配役だった。あの時の檀れいは絶頂期で輝くばかりに美しかったなぁ、と懐かしかった。いや、現在でも十分綺麗なのだけれど……(もう43歳だからね)。

一度も舞台でルキーニを演じたことがないという石井の”キッチュ”も迫力があって凄く良かった!彼は宝塚歌劇団・研1生「そよ風薫(そよかぜ・かおる)」という設定。脇をルキーニ経験者の湖月と樹里ががっちり固め、万全の体制。

「おもひでぽろぽろ」は初めて聴いたけれど、なかなかいい曲だね。

夢から醒めても、未だ夢の続きを見ているような贅沢な3時間であった。

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サロネン/フィルハーモニア管弦楽団 with ヒラリー・ハーン

3月1日(日)兵庫県立芸術文化センターへ。

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エサ=ペッカ・サロネン/フィルハーモニア管弦楽団の演奏会。

  • シベリウス:交響詩「フィンランディア」
  • ブラームス:ヴァイオリン協奏曲
  • バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番よりジーグ
    (ソリスト・アンコール)
  • シベリウス:交響曲 第5番
  • シベリウス:悲しきワルツ(アンコール)

ヴァイオリン独奏はヒラリー・ハーン。今年は生誕150年ということでシベリウス・メインのプログラムが組まれた。だったらヴァイオリン協奏曲もシベリウスにすればいいのにという想いもあるが、集客のことを考えた上での選択だろう。交響曲第5番の知名度が低いから仕方ない。作曲家としても知られるサロネンは現代音楽のスペシャリストだが、実はヘルシンキ生まれでシベリウス・アカデミーに学んだ経歴があるのでお手のものなんだね。

「フィンランディア」は拍子がはっきりしていて明晰な演奏。各フレーズがビシッと決まる。コントラバス、チューバ、ファゴットなど低音が力強く奏で、美しい音のピラミッドが築かれる。後半の畳み掛けが凄く、ドラマティックだった。

ブラームスのハーンは繊細でエッジが効いている。彼女に寄り添うオケは音尻がスッと減衰し、水はけが良い。ハーンは時に木管と対話するように奏者を見ながら弾く。サロネンの解釈はキレッキレで、まるで20世紀の音楽を聴いているよう。感受性豊かでナイーブなブラームス像が浮かび上がる。CDも含め僕が今までに聴いた同曲のベストだった。

後半のシンフォニーは躍動感があってフィンランドの大地の鼓動が聞こえてくる。管楽器のハーモニーには厚みがあった。僕はこの演奏を聴きながら次のように感じた。

第1楽章は厳冬の情景。誰もいない凍った湖の上を風が通り抜ける。

第2楽章は残雪や湖の氷が次第に溶けてゆく。

第3楽章は本格的な春の訪れ。草花が萌える時。

シベリウスは1915年4月21日の日記にこう記している。

 今日11時の10分前に16羽の白鳥を見た。人生最大の感動のひとつだ! 神よ、なんという美しさ! 白鳥達は長い間、私の頭上を旋回していた。そして輝く銀のリボンのように、太陽の光の霞の中へ消えていった。
 声は鶴のような木管楽器の類だが、トレモロがない。まぎれもなくサリュソフォーンの音色だが、白鳥の声はトランペットに近い。小さな子供の泣き声を思い起こさせる低い繰り返し。自然の神秘と人生の憂愁! 第5交響曲のフィナーレのテーマ、トランペットのレガート……。
 これは長い間、真の感動から遠ざかっていた私に起こるべきものであった。こうして今日、私は聖なる殿堂にいるのだ。

白鳥のテーマが登場する時、サロネンはグッとテンポを落とす。僕はそこに鳥が悠々と羽ばたく姿を幻視した。サロネンといえば怜悧な指揮者というイメージだが、彼のシベリウスは熱かった。

アンコール、「悲しきワルツ」の弦楽器は絹の肌触り。最後は死の影が忍び寄る。ゾクゾクっとした。

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