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2014年11月

2014年11月26日 (水)

アナログ野郎=クリストファー・ノーラン吠える!〜映画「インターステラー」

評価:A

Inter

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ダークナイト」「インセプション」のクリストファー・ノーラン監督が大胆(無謀!?)にもスタンリー・キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」に挑んだ野心作。

映画冒頭からいきなりハンス・ジマーの音楽がパイプオルガンの重低音で開始され、明らかに「2001年宇宙の旅」への宣戦布告をするのだからおったまげた。R.シュトラウス作曲「ツァラトゥストラはかく語りき」への対抗心むき出し。帰宅し調べてみると監督たっての希望でテンプル教会@イギリスのパイプオルガンが使用されているとのこと。登場するロボットのTARS(ターズ)CASE(ケイス)は黒光りする石版で、要するに「2001年」のモノリスを彷彿とさせる。「2001年」におけるHAL 9000の反乱に相当するイベントもあり(今回はコンピューター vs. 人間でないところがミソ)。

その他にも多くの人が指摘するように「フィールド・オブ・ドリームス」「ライトスタッフ」「未知との遭遇」「コンタクト」などへのオマージュあり。因みに本作を監修している理論物理学者キップ・ソーンはカール・セーガンが小説「コンタクト」を執筆する際にワームホール理論について情報提供をしている。あと僕が気がついたのはピーター・ハイアムズ監督の最高傑作「カプリコン・1」へ目配せ。本作で描かれる世界はNASAのアポロ計画の成果が政府によって否定され、アポロ11号が月に着陸したのはフェイクで、ソ連が宇宙開発に無駄に資金投資させるための戦略だったと教科書を書き換えさせたという設定。これって有人火星探査宇宙船カプリコン1号の物語をアポロ11号に置き換えただけだよね?

ウェールズの詩人ディラン・トマス(←ボブ・ディランの名前の由来となった)が父親の死に直面した時に作った詩が劇中で引用される(マイケル・ケインが朗読)。

Do not go gentle into that good night,
Old age should burn and rave at close of day;
Rage, rage against the dying of the light.

穏やかな夜に身を任せるな
老いたる者よ怒りを燃やせ、終わりゆく日に
怒れ、怒れ、消え行く光に抗って

要するに「親父、死ぬな!」と訴えているのであるが「インターステラー」に当てはめると、この「夜」とは「アメリカという国家の死」と言い換えることが出来るだろう。「怒れ」とは宇宙を目指すことを諦めたことに対して。そして「上を向いて歩こう」「いつでも夢を」これが監督からの熱いメッセージである。

クリストファー・ノーランは徹底的にデジタルが嫌い。本作で描かれるのはパソコンもスマートフォンも存在しない世界。代わりに本が重要な役割を果たす。現在世間ではデジタル撮影→デジタル上映が主流なのに、ノーランはフィルムで撮影することに固執し、3D上映も否定する。SF映画を沢山撮っているが極力CGは使わず、ミニチュアや“マックスチュア”(最大7m以上の模型!)を活用する。そもそもこの命名は「ロード・オブ・ザ・リング」の特撮工房WETAが作成した巨大ミニチュア=”ビガチュア”への対抗心だろう。「オレの方がもっと大きいぜ」と言いたいわけ。まるで子供だね。でもそこが愛おしい。要するに撮影方法も「2001年」が創られた時代(1968年)のスタイルを踏襲しているのだ。徹底したアナログ野郎である。

「2001年宇宙の旅」「未知との遭遇」「ゼロ・グラビティ」そして「インターステラー」に共通して言えることは、宗教映画だってこと。勿論、キリスト教とか既存宗教の概念を遥かに超越しているけどね。我々はどこから来て、どこへ向かうのか?生きることの意義、目的は?知的生命体は地球以外にも存在するのか、それとも我々は天涯孤独なのか?神は存在するか? ……そういった諸々の事を考えさせられる。所詮は「答えのない質問」なのだけれど、死ぬ間際までその問いを発し続けなければならない、それが人間なのだ。天空の星々を見上げる時、誰もが哲学者になる。星に願いを(When You Wish upon a Star)。←ちなみにこの「ピノキオ」の主題歌はスピルバーグ監督「未知との遭遇」の音楽にも引用されている。

ただ寡黙でダイアログの少ない「2001年宇宙の旅」や「ゼロ・グラビティ」と比べると、本作は饒舌で全篇が台詞で覆い尽くされているのが大きな違い。黙っている方が神秘性を増すと思うのだけれど、ノーランという監督は言いたいことが沢山あって、それが出来ない人なんだよなぁ。微笑ましい。

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2014年11月22日 (土)

映画「蜩ノ記」

評価:B

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原作は直木賞を受賞。小泉堯史(たかし)監督は「夢」以降の黒澤明監督作品の助監督を務めた。僕はその監督デビュー作「雨あがる」(2000)から、「阿弥陀堂だより」「博士の愛した数式」を映画館で観ている。突出した才気を持った人ではないが常にウェル・メイドな作品を撮り、ゆったりとした気持ちで心地良い時間を過ごすことが出来る。

時代劇「蜩ノ記」で感じるのは黒澤映画の残滓である。冒頭で地面に叩きつけるように激しく降る雨は「七人の侍」「羅生門」を彷彿とさせるし、遠方から超望遠レンズで被写体を捉えたロング・ショットを観ていると、そのDNAをひしひしと感じる。なんだか懐かしさとともに安心するのだ。

役所広司はいつもの安定感。僕は「JIN -仁-」の綾瀬はるかを観て初めて彼女を可愛いと思ったのだけれど、「蜩ノ記」の堀北真希も同様で、着物がよく似合うんだよね。「ALWAYS 三丁目の夕日」の彼女も好きだし、ホマキって現代物より一昔前の役の方がいいんじゃないかな?古典的な大和撫子なのである。

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2014年11月21日 (金)

今年は宮沢りえの年!〜映画「紙の月」

評価:A+

Kami

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吉田大八監督「桐島、部活やめるってよ」は最早映画ファンの間で伝説となり、神聖視されてると言っても過言ではないだろう。だから期待して映画館に足を運んだわけだが、またまたガツンとやられた!恐れ入った。吉田監督、貴方に一生ついてゆきます。

宮沢りえ(41)が凄い。なんか突き抜けている。今年の主演女優賞は彼女が総なめだろう。何と7年ぶりの映画出演だそうで、30代は舞台中心に活動し演技力を磨いたという。「こんなに上手かったっけ?」と感嘆した。

僕は昔から角田光代との相性がよく、直木賞を受賞した小説「対岸の彼女」とか「八日目の蝉」とか大好きである。ただ「紙の月」は未読で予備知識なしに観て、やはり面白かった。後で知ったのだが主人公が働く銀行の同僚、相川恵子(大島優子)と隅より子(小林聡美)は映画オリジナル・キャラクターだそうで、原作を大胆に脚本しているようだ。しかし全く違和感はなかった。大島優子とか「ファウスト」のメフィストフェレス的役回りで、可愛い小悪魔として魅力を放散していた。

あらすじを目にした時は「犯罪に手を染めた女が逃亡する」って、まるで「八日目の蝉」と同じじゃない?と危惧したのだが、「八日目…」は赤ちゃんを誘拐し逃げるのが物語の発端であり、対して本作は逃亡に至るまでの過程がメインだった。

「八日目…」と「紙の月」の共通点は女としてこの世に生を受けたことのあはれ、虚無感、そして諦念である。しかし「紙の月」が異なるのはその閉塞空間を主人公が最後に突破し、その彼方に希望を見出すことだ。

基本的に映画はまるで月の光を浴びているかのような青白い画面で進行するのだが、年下の大学生とヒロインが情事するホテルでいきなり壁紙が真っ赤になり、しかしその色彩も次第に褪せてゆく。ところがラストシーンではっきりとした暖色系に変化し、彼女がいま「(紙の月=贋物の世界ではなく、確かな現実を)生きている」のだという確信を観客に与えるのだ。実に鮮やかだった。

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2014年11月19日 (水)

アカデミー作品賞・監督賞最有力候補/映画「6才のボクが、大人になるまで。」

評価:A

映画公式サイトはこちら。非常に分かりやすい(説明的な)邦題だが、原題はシンプルにBoyhood(少年時代)。

Boyhood

リチャード・リンクレイター監督にはBefore Sunrise(1995), Before Sunset(2004),  Before Midnight(2013)という3部作があり、イーサン・ホークとジュリー・デルピー演じる男女の18年をリアル・タイムで描いている。Boyhoodはその手法を発展させた形で4人の役者が12年を費やして一つの家族を演じ切った。このクレイジーな(前代未聞の)企画にもイーサン・ホークが参加している。

あと僕が感じたのは、フランソワ・トリュフォー監督の「大人は判ってくれない」(1959)から始まるアントワーヌ・ドワネルの冒険 五部作(「二十歳の恋(アントワーヌとコレット)」'62、「夜霧の恋人たち」'68、「家庭」'70、「逃げ去る恋」'79 ←全てジャン=ピエール・レオが演じた)を映画一本で試みた作品とも言えるだろう。

確かな手応えのある味わい深い映画だ。上映時間2時間45分の長尺だが、一瞬たりとも飽きることはなかった。悠久の時の流れ、生きることの重さをしっかり堪能した。

スピルバーグの「E.T.」(1982)では母親が娘(ドリュー・バリモア)の就寝前に「ピーター・パン」を読み聞かせる(ティンカーベルが生き返る)場面があった。本作で少年がベッドで母親に読んでもらうのは「ハリー・ポッター」(女子トイレで嘆きのマートルが登場する場面)。時代の移り変わりを感じた。

ただ今年のベストワンか?と問われたら答えは否である。僕がアカデミー会員なら(多分)これには投票しない。「ゼロ・グラビティ」を観た時のような、脳天にガツン!と来る衝撃がなかったということだ。

本作以外にも本年度アカデミー賞の呼び声が高いクリストファー・ノーラン監督の「インターステラー」やデヴィッド・フィンチャー監督「ゴーン・ガール」などがこれから矢継ぎ早に公開されるので、今から愉しみだ。有力候補が軒並み授賞式前に日本で観られるなんて希なことだからね、嬉しい。

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2014年11月15日 (土)

「はじめてのお能」@兵庫芸文

11月9日(日)兵庫県立芸術文化センターへ。

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「はじめてのお能」は公演のタイトルで、僕自身は過去にブリテンのオペラ「カーリュウ・リヴァー」の原作となった「隅田川」などを観ている。

  • 舞囃子「融(とおる) 舞返
  • ワキ語り「藤戸」
  • 居囃子「勧進帳」
  • 素囃子「天鼓」より〈盤渉楽〉/「道成寺」より〈祈り〉
  • 半能「井筒」

半能とは後半部分のみ上演すること。

お能は室町時代に最盛期を迎えたが、世の無常もののあはれ幽玄を感じさせる芸能である。福永武彦の「風のかたみ」はそのお能の世界との親和性を強く感じさせる小説だ。

西洋の芸術は総じて空間・空白を埋め尽くそうという意図があり、例えば絵画で背景を塗りつぶさない(地のまま)ということは稀有だ(↔水墨画とは対照的)。西洋音楽も饒舌で、あたかも無音(全休止)を恐れているかのよう。対してお能は空白=無を愉しむところが特徴的。音曲はしばしば中断し、美術セットも殆どなく(「井筒」は井戸だけ)茫洋たる空間が広がっている。そこが味わい深い。

フルートという楽器は吐き出す息をできうる限り掠れない音に変換しようと務める。一方、能管(横笛)や尺八は意図的に風の音を強調する。音楽が自然と融合・調和しているのである。だから全く価値観が違うんだよね。

現代人がお能や文楽(浄瑠璃)を愉しむためのコツ。基本的に使用されている言語が分からないと思っていた方がいい。つまりイタリア・オペラを鑑賞するようなつもりで予習が必要ということ。この点で落語とか狂言とは異なる。

お能については「the 能 .com」というサイトが便利。「演目辞典」をクリックすると、あらすじ・現代語訳・英語訳などが手に入る。僕はこれを印刷して臨んだので「井筒」はバッチリだった。古典芸能の魅力を堪能した。

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アルカント・カルテット@兵庫芸文

9月28日(日)兵庫県立芸術文化センターへ。

アルカント・カルテットは2002年に結成。チェロの名手ジャン=ギアン・ケラスが参加していることで名が知られている。

  • ベルク:弦楽四重奏のための「抒情組曲」
  • ハイドン:十字架上のキリストの最後の七つの言葉

アルバン・ベルクの「抒情組曲」は現在、不倫音楽だということが判明している(お相手は彼がプラハで出会ったハンナ・フックス・ロベティン夫人)。カルロス・クライバーの伝記を読むと、何とカルロスの実の父親はベルクという根強い噂まであるそうだ!

芳醇で明晰、知的な演奏。アンサンブルの丁々発止のやりとりに魅了される。

ハイドンは気持ち良いくらい見事にピリオド・アプローチ!毅然とした音で切々と魂に訴えかけてきた。

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2014年11月12日 (水)

テーマは「港」〜波止場から宇宙戦艦ヤマトまで/大阪市音楽団 定期

10月28日(火)フェスティバルホールへ。

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宮川彬良/大阪市音楽団の定期演奏会。

  • ルグラン(宮川彬良編):映画「ロシュフォールの恋人たち」
    から”キャラバンの到着とマクサンスの歌”
  • L.バーンスタイン(J.ボコック編):映画「波止場」からの交響組曲
  • 宮川泰/宮川彬良:「宇宙戦艦ヤマト2199」からの音楽(全14曲)
  • 宮川彬良:開眼序曲
  • 宮川彬良:生業(ナリワイ)III. 易(Fortune-telling)〜生業(アンコール)

大阪市から見捨てられた市音は長らく本拠地としていた大阪城公園を追われ、南港に居を構えた。給料がガクッと減って何人かが去り(楽器を置き大阪市の職員として残った者もいた)、9名の新入団員を迎えた。大阪市に属した最後の6−7年は人件費の問題でオーディションが一切行われなかった。僕は高齢化に伴う実力の低下を懸念していた。しかし新生市音を聴くとアンサンブルが引き締まり、グッと上手くなった。民営化が功を奏した側面だろう。

今回はそうした経緯もあり、「港」を題材にした音楽がプログラムを彩った。

ロシュフォールの恋人たち」(1967)はミシェル・ルグランの作品中、僕が一番好きな音楽だ。ロシュフォールは港町で、同じジャック・ドゥミ監督の「シェルブールの雨傘」(1964)も「ローラ」(1961)も港町が舞台となる。港町三部作と名付けることも出来るだろう。ちなみに長編処女作「ローラ」で描かれるナントはドゥミの生まれ故郷である。

これぞルグラン・ジャズ!リズムはノリノリ、ハープとフルート2本の箇所も素敵で彬良のアレンジ最高。幸せな気持ちになった。特に転調を繰り返す終盤は快感で陶酔の境地に至った。

レナード・バーンスタインが書いた唯一の映画音楽「波止場」(「ウエストサイド物語」は元々ブロードウェイ作品)を初めて聴いたのはいつだったろう?とコンサート中に考えて、ふと想い出した。そう、あれはスタンリー・ブラック指揮/ロンドン・フェスティバルO.の演奏による「フィルム・スペクタキュラー Vol.2 」というLPレコードだったから僕が中学生か高校生の時である。一連の「フィルム・スペクタキュラー」は録音もよく、名演揃いで随分お世話になった。エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトの「シー・ホーク」と出会い、脳天をぶち抜かれるような衝撃を受けたのもこのシリーズだった。閑話休題。

パンチの効いた演奏で厚みのあるブラスの響きが何とも魅力的。そしてホルン・ソロが心に滲みる。

このコンビで「宇宙戦艦ヤマト」を聴くのは5回目くらいなのだけれど、今までで一番曲数が多いことと、今回は初めてヴォーカル付き(男声5人、女声1人)というのが白眉。特に彬良が新たに作曲した「ガミラス国家」がカッケー!痺れた。ただソプラノ(田上知穂)のヴィブラートが掛かり過ぎで萎えた。エンニオ・モリコーネの音楽におけるエッダ・デッロッソを彷彿とさせるスキャット(ヴォーカリーズ)は澄んだノン・ヴィブラートこそ相応しい。マツケンサンバを彷彿とさせる「コスモタイガー(ワンダバ・ヴァージョン)」とか、ミクロス・ローザ作曲「ベン・ハー」序曲そっくりのコード進行を持つ「艦隊集結(ベン・ハー・ヤマト)」とか、何度聴いても愉しい。

開眼序曲」は日本臨床眼科学会からの委嘱という異色作(オーケストラ版は2001年京都初演)。清浄でイノセントな響き。ちょっとコープランド風で美しい楽曲。

アンコール1曲めはパーカッションがノリノリ。そして「歌手は帰りました」と彬良が告げて観客が「宇宙戦艦ヤマト」の主題歌を大合唱してお開き。大いに盛り上がった夜だった。

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2014年11月 8日 (土)

ミュージカル「ミス・サイゴン」2014(映画化についても言及)

「ミス・サイゴン」2014@フェスティバルホールについてのレビューを書いていなかったので遅ればせながら。今までの観劇歴については下記記事に詳細に書いた。

今回観たキャストは以下の通り。

M2

M1

本当はエンジニア:市村正親でチケットを購入していたのだが、その後市村が早期胃癌治療(腹腔鏡手術)のため降板し、筧利夫が代演した。

フランス系ベトナム人のエンジニアといえば市村の印象が強すぎて、申し訳ないけれど筧利夫と駒田一はどちらも物足りなかった。何だか下品なんだよね。確かに女衒の役だから卑しくてもいいのだけれど、市村やロンドン・オリジナルキャストのジョナサン・プライスにはもっと品があった。人間としての誇りというか。身のこなし、ダンス力の差かも。

2011年にミュージカル「ロミオ&ジュリエット」を観た時から昆 夏美のキムには期待していた。確かに歌は上手いのだが、全身全霊を傾けて炎と化した魂をぶつけてくる笹本玲奈には敵わないなと想った。

クリス役の原田優一、上野哲也はどちらも充分な歌唱力があり、甲乙付け難し。

市村さん、次の再演では必ず戻ってきてください。

さて、9月22日にロンドンで「ミス・サイゴン」上演25周年を記念したガラ・パフォーマンスが開催され、オリジナル・キャストのレア・サロンガ(キム)、ジョナサン・プライス(エンジニア)、サイモン・ボウマン(クリス)らが登場、プロデューサーのキャメロン・マッキントッシュは映画化についても言及したらしい。その時の写真は→こちら

ミュージカル「レ・ミゼラブル」の映画版が世界的大ヒットをしたのを受けて、「ミス・サイゴン」のプロジェクトも本格的に動き出した模様。必ずいいものが出来るとキャメロンは自信満々だ。

エンジニアを今なら誰が映画で演じられるか?とアジアの役者を見渡したところ、(世界的知名度も考慮して)僕は一人の名前しか思いつかなかった。Ken Watanabe -考えてみたら渡辺謙は来年、ブロードウェイの「王様と私」に出演予定で、それってもしかして「ミス・サイゴン」への前哨戦なのでは!?

ちなみにキャメロン・マッキントッシュは「僕は映画版『オペラ座の怪人』(2004)に一切関われなかったのだけれど、正直言えばもっと違ったやり方で映画化したかったんだ」とコメントしている。ひょっとしてリブート(再起動)あるかも!?その時はヒュー・ジャックマンを希望。

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2014年11月 6日 (木)

宝塚月組/ミュージカル「PUCK」、ショー・ファンタジー「CRYSTAL TAKARAZUKA」

10月30日(木)、宝塚大劇場で月組公演ミュージカル「PUCK」、ショー・ファンタジー「CRYSTAL TAKARAZUKAーイメージの結晶ー」を観劇。

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「PUCK」はシェイクスピアの「真夏の夜の夢」をベースにしたミュージカルで作・演出は小池修一郎。1992年にフェアリーと呼ばれた涼風真世主演で月組が上演し、再演の呼び声が高かった作品。小池(作詞)/松任谷由実(作曲)による爽やかな主題歌「ミッドサマー・イヴ」が耳をくすぐる。「真夏の夜の夢」だけではなく「マクベス」に登場する三人の魔女の台詞「きれいはきたない、きたないはきれい」も引用される。

月組のトップ・スター;龍 真咲は気の毒な人だ。お披露目となった「ロミオとジュリエット」がまさかの明日海りおとの役替り(ロミオ⇔ティボルト)、今回の「PUCK」は涼風真世のお古(再演)。明日海りお(現・花組トップ)とか柚希礼音(星組)と比べると歌劇団から「大事にされていない」という印象が強い。

ところが意外にも(失礼!)、パックが似合っていたので驚いた。ちゃんと妖精としてそこに存在していた。彼女は「スカーレット・ピンパーネル」のショーヴランみたいな黒い(悪)役が相応しいと想っていたのだけれど、白い役もいけた!「これってあて書き?」と錯覚するくらい。そしてスカピン時代に比べるとずっと歌も上手くなった。さすがトップ、「男役十年」は伊達じゃない。ふたりきりで静かに幕を閉じる最後もほのぼの幸せな気持ちになれてジーンとした。僕は本作の涼風版をNHK-BSで観たのだが、正直つまらなかった。ところが今回はすこぶる面白かった。やはり舞台って生もの(ライヴが一番)だなと痛感した次第である。

ショーの作・演出は中村 暁。歴代の宝塚レヴューの最高傑作は「ノバ・ボサ・ノバ」(1971年初演、鴨川清作)と「パッサージュ」(2001年、荻田浩一)だと僕は確信しているのだが、「CRYSTAL TAKARAZUKA」は第3位にしてもいいというくらい気に入った。突出した才気を感じさせるわけではなくあくまでオーソドックスなのだけれど、極めて洗練されている。娘役トップの愛希れいかがまた抜群に踊れる娘(こ)なので、観ていて気持ちいい!

ところで水晶がゴツゴツ飛び出している舞台装置を観ていて、「何かに似ているな…」と既視感に襲われた。しばらく考えてふと思いだした。スーパーマンの故郷、クリプトン星だ!おしまい。

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2014年11月 3日 (月)

批評/reviewとどう向き合うか? (映画・音楽・演劇など)

基本的に当ブログは批評/レビュー・サイトであると自認している。では僕にとって他者の批評文・評価は何を意味してきたかということについて今回は語ってみたい。いずれ将来、これを読むであろう息子(現在3歳)に対するメッセージとでもいうか、いわば「人生の先輩」からの助言である。

僕は小学校5,6年生の頃から「レコード芸術」誌を購読し始めた。そして「推薦盤」(現在は複数の評価となり「特選盤」となった)のレコード(CD)を中心にクラシック音楽を聴いてきた。

中学生の頃から映画に夢中になり、何から手を付けていいのか分からないので、歴代の「キネマ旬報」ベストテンにランクインした作品や米アカデミー作品賞受賞作(第1回から全作制覇)、カンヌ・ヴェネツィア・ベルリンなど代表的国際映画祭で最高賞を受賞した映画などを手当たり次第観てきた。

すると次第に分かってきたことは、確かに「名作」とか「名演」などと呼ばれるものに当たりは多いが、ハズレも少なからずあるということである。世間の評価が必ずしも自分の嗜好と一致はしないーという当たり前の結論に到達した(でもそれが分かるまで15年位かかった)。そこで大切なことは自分の意見に自信を失っては駄目だということ。他人と違っていていい。真っ直ぐがいい。世間体など気にせず「王様は裸だ!」と言える勇気を持とう。

アカデミー賞とか映画のベストテン、音楽コンクールなどは集計による多数決で決まる。しかし最大公約数の意見が正しいとは限らない。例えば現在では名作の誉れ高い「市民ケーン」も「2001年宇宙の旅」もアカデミー作品賞や監督賞を受賞していない。ヒッチコックの「めまい」なんかノミネートすらされていない。逆に過去の受賞作で忘れ去られたものも沢山ある。名ピアニスト;イーヴォ・ポゴレリッチはショパン国際ピアノ・コンクール本選で落選し、審査員のひとりだったマルタ・アルゲリッチは「彼こそ天才よ!」と怒り辞任した。ウラディーミル・アシュケナージはショパン国際コンクールで第2位だった。その時の第1位はアダム・ハラシェヴィチ。聞いたことある?アシュケナージが優勝しなかったことに納得しなかったアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリは審査員を下りた。

時の洗礼を受けないと見えてこない真実は確かにある。ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」が初演時に大ブーイングでスキャンダラスな混乱を招いたことは余りにも有名だが、他にも初演時に評論家から不評で現在では名曲と認知されているものは沢山ある。ブルックナーやマーラーの交響曲もそう。現在ではベートーヴェン/交響曲第7番の決定的名演とされるカルロス・クライバー/ウィーン・フィルの録音は発売当初、「レコード芸術」の推薦盤にならなかった。時代を先取りし過ぎたのだ。

これは政治にも言えることだ。アドルフ・ヒトラーは「独裁者」と呼ばれるが、ナチスは普通選挙により正式な手続きでドイツの第一党となり、ヒトラーが首相に任命された。ドイツ国民が彼を選んだのだ。ロシア革命にしても帝政(ロマノフ朝)に反旗を翻し「民衆」が勝ち取った成果だが、その末路はどうだったか?

人は判断を誤ることがある。それは不可避だ。しかし一番大切なのは間違ったことに気付いた瞬間に立ち止まり、軌道修正することである。歴史はそうやって積み重ねられてきたし、その結果人類は良き方向に向かっている……そう信じたい。

芸術の話に戻ろう。では世間の評判を無視していいのか?と問われると答えは「否」である。自分の判断、殻に閉じこもっていれば世界は広がらないし、映画/CDとかは毎年無数に公開/発売されるわけだからその全てを観る/聴くことなど不可能なわけで、途方に暮れるだろう。指針(ナビゲーター)は必要だ。心の門を開き、他人の意見に素直に耳を傾け身を委ねてみよう。その上で取捨選択をすればいい。そのうちに自分と気の合う同士、感性が似たNavigator(Reviewer)と出会うだろう。要はバランス感覚だ。

息子へー

まずは先人の意見、賢者の知恵に耳を傾けなさい。ただそれを鵜呑みするのではなく、常に疑いの目で見てごらん。お父さんが言っていることだって正しいとは限らない。そのためにはブレない軸=自分の感性を磨きなさい。沢山観る/聴くこと。そして直感を信じなさい。他人と違う意見を言うことは勇気がいる。でもそれが出来る人は美しい。

読者へー

これが僕の人生哲学である。だから当ブログに書いていることが正しいなんて全く想っていない。違った意見があっていい。ただ、これから貴方が観る映画や聴く音楽を選ぶ参考になれば嬉しい。そういうスタンスでこれからもお付き合い頂ければ幸いである。

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