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2014年10月 4日 (土)

「ノン・ヴィブラート原理主義者」ノリントン、いずみホールで大いに暴れる。

10月2日(木)いずみホールへ。

ロジャー・ノリントン/チューリッヒ室内管弦楽団HJ リム(ピアノ)で、オール・モーツァルト・プログラム。

  • 交響曲 第1番
  • ピアノ協奏曲 第21番
  • 交響曲 第41番

韓国→香港→タイとめぐるアジア・ツアーの合間にやってきた彼ら。日本公演はここ大阪のみという贅沢さ。ざまあみろ東京。常に自分たちが文化の中心にいると思うなよ。

1980年代にノリントンが古楽器のロンドン・クラシカル・プレーヤーズとベートーヴェンやモーツァルトなどを録音していた頃は「学術的根拠に基づいて演っているのだろうな」と好意的に受け止めていた。マーラーを、ノリントンの言うところのピュア・トーンpure tone=ノン・ヴィブラートで奏でることについても、1938年にワルター/ウィーン・フィルが録音した交響曲第9番を例に挙げて「この時代はノン・ヴィブラートで演奏するのが当たり前だった」という理屈を彼が展開しているのを耳にして、「成る程」と感心したものだ。

ところが、である。NHK交響楽団と共演したエルガーやヴォーン・ウィリアムズの交響曲(20世紀の作品)までいわゆるピュア・トーンで弾かせるのを聴いて、「ノリントンって時代考証とか御託はどうでもよくて(所詮は言い訳)、ただ単にピュア・トーンが好きってことなんだな」と得心が行った。そこで僕が名付けたのが「ノン・ヴィブラート原理主義者」。だってその通りでしょ?

しかしプロムス・ラストナイト@ロイヤル・アルバート・ホール(収容人数約7,000人)の指揮者に抜擢されたノリントンは「ピュア・トーンで行く!」と宣言したものの、マスコミや音楽関係者から猛反発を喰らい、結局抵抗勢力に屈してエルガーの「威風堂々」が通常営業(普通にヴィブラート)に終わったのは実に残念だった。急進的な原理主義者も時には挫折を味わうことがあるのだ。

さて、演奏の感想に移ろう。オケは古典的対向配置、クラシカル・ティンパニを使用(”バロック・ティンパニ”という用語を使う人がいるが、モーツァルトはバロック時代の作曲家ではないので齟齬が生じる)。交響曲でノリントンは指揮台を使わず立って指揮、管楽器奏者も起立して演奏した。協奏曲でピアノは反響板を外しステージ中央に縦に置かれた。つまりピアニストは客席に背を向け、ピアノの奥に回転椅子を置いてそこにノリントンが陣取る。そして何と!弦楽奏者は指揮者に向かって放射状に配置。ノリントンはピアニストと見つめ合う形でタクトを振り下ろす。つまり客席に向いて指揮し始めたのだ。「なんじゃこりゃあ!(by 松田優作)」”胡散臭い見世物小屋の興行主”(←僕のイメージ)の面目躍如。聴衆を煙に巻き、怪しさ爆発。「私が(音楽という)宇宙の中心である」という宣言だと僕は受け止めた。

モーツァルトの交響曲第1番と41番という組み合わせは、最初と最後というだけではなく大きな意味を持っている。8歳の時に作曲した第1番 第2楽章の後半部でホルンがジュピター音型(第41番 終楽章に登場する「ドレファミ」という第1主題)を吹くのである。なんという完結性。天才のみ成せる技と言えるだろう。

第1番でノリントンは強弱を強調。スマートな演奏でスポーツ・カーが海岸線をすっ飛ばしている情景が目に浮かんだ。最後はクルッと客席の方を振り返り、「どうです、お気に召しました?」とドヤ顔。愛嬌のある好々爺である。

韓国出身のリムが弾くピアノはモダンで切れがある。何だかジャズのジャム・セッションを聴いているような錯覚を覚えた。スリリングかつエキサイティング、意表を突くカデンツァにも呆気にとられた。これは作曲家でピアニストとしてアルゲリッチと共演したこともあるアレクサンドル・ラビノヴィチ=バラコフスキー(1945- )作とのこと。「楽しけりゃ、何でもありのノリントンでっせ」という感じ。

「ジュピター」はのっけから驚かされた。第1楽章 第1主題「ド、(3連符)ソラシ ド、(3連符)ソラシ ド」がクレッシェンドで開始されたのである!帰宅してスコアを確かめてみたがf(フォルテ)としか記載がない。念のためブリュッヘン、ガーディナー、コープマン、インマゼールら古楽系指揮者の録音を確かめてみたが、誰もクレッシェンドなんかしていない(唯一、アーノンクール/ロイヤル・コンセルトヘボウの演奏に若干そのニアンスがあった)。あくまでオレ流を貫くノリントン、天晴なり。清新な「ジュピター」だった。第4楽章は疾風怒濤。最後は曇天の間から強烈な陽光が差し込む。それは神の啓示であり、正に宗教的体験だった。

アンコールは「ジュピター」第4楽章を繰り返すも展開部からという仕掛け。テンポも変えてきてさすが一筋縄ではいかない指揮者だ。

お茶目な異端児ノリントン、万歳!

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コメント

初めて書き込ませていただきます。

>ただ単にピュア・トーンが好き
これは既にインタビュー等で本人が言ってます。単純にこの方が美しいから好きなんだそうで。ライプツィヒでウォルトンの交響曲第1番を振った時も同様でしたが、ささくれ立った響きが実に面白かったです。

あと、今回の公演は本来は4月に東京で行われる予定でしたが、諸般の都合でアジアツアー全体が延期されたために小屋の関係で大阪に変更されたと思われます。

投稿: てれすけ | 2014年10月 4日 (土) 16時57分

てれすけさん、コメントありがとうございます。

ノリントンに学者的な「時代考証的に正しい」演奏を求めるのは間違いなのだと思います。「音楽は自由だ、一緒に楽しもう」という姿勢が今回の演奏会で貫かれており、僕はそれに清々しさを感じました。

投稿: 雅哉 | 2014年10月 5日 (日) 01時17分

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