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2014年9月

2014年9月27日 (土)

大植英次/大フィルのマーラー交響曲第6番〜ハンマーは何度振り下ろされるか?

9月26日(金)フェスティバルホールへ。

大植英次/大阪フィルハーモニー交響楽団で、

  • マーラー:交響曲第6番「悲劇的」

この交響曲を聴く時の着目点が2つある。

まず第1に、第4楽章のハンマーは何度振り下ろされるのか?という点。通常(現行のスコアに記載されたもの)は2回。しかしレナード・バーンスタインはアルマ・マーラーの回想に基づき3回、その「弟子」佐渡裕も追随している。

次に第2楽章と第3楽章の順番である。1963年に出版された国際マーラー協会による全集版を校訂したエルヴィン・ラッツはウィーン初演においてマーラーが楽章順を変更してスケルツォ-アンダンテの順で演奏したとの報告を採用し、これを作曲家の最終意思としていた。ところが2003年に協会は、従来とは逆にアンダンテ-スケルツォの順序がマーラーの最終決定であると発表した。協会HPに掲載されたクービック(校訂者)の見解では、マーラー自身がスケルツォ-アンダンテの順で演奏したことはないとしている。

よってバーンスタイン、テンシュテット、ハイティンク、ブーレーズ、インバル、サロネンらの指揮では従来のスケルツォ→アンダンテの順番になっている。

一方、アンダンテ→スケルツォに変更した録音は以下のものが挙げられる。

  • バルビローリ/ベルリン・フィル(1966)
  • アバド/ベルリン・フィル(2004)
  • ゲルギエフ/ロンドン響(2007)
  • シャイー/ライプツィヒ・ゲバントハウス管(2012)

面白いのはヤンソンスで2005年ロンドン響との演奏はアンダンテ→スケルツォなのに、2011年バイエルン放送響との録音ではスケルツォ→アンダンテに戻している。

今回の大植英次はハンマー2回、楽章順はスケルツォ→アンダンテを採用した。この順で聴いて、本作は2部に分かれていると解釈することが可能だなと感じた。

  1. 家族について(第1楽章:妻アルマ、第2楽章:娘たち)
  2. 天国と地獄(第3楽章:天国篇〜天使が私に語ること、第4楽章:地獄篇〜「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」)

「天国篇」と「地獄篇」という命名はダンテの「神曲」に基づく。これにはちゃんと根拠があって、未完に終わったマーラーの交響曲第10番 第3楽章は楽譜に「プルガトリオ(煉獄)またはインフェルノ(地獄)」と書かれている。そして「神曲」は地獄篇・煉獄篇・天国篇に分かれているのである。

なお、アルマ・マーラーは第2楽章(スケルツォ)について「よちよち歩きする2人の子供たちの姿を描いているが、それは次第に悲しそうになり、消えてしまう」と回想録に書いているが、実際に長女マリア・アンナがジフテリアで亡くなったのは1907年7月であり、このシンフォニーが完成した1904年よりずっと後のことである。つまりマーラーが娘の死を予感していたなどあり得ず、これはアルマによる後付の「解釈」に過ぎない。そもそも彼女は恋多き女であり、浮気で夫を悩ませマーラーの死後は2度再婚している。全く信用出来ない。

さて、演奏の感想に移ろう。

佐渡裕によるとレナード・バーンスタインは生前、第1楽章について「マーラーはナチスの台頭を予言した」と語ったという。ユダヤ人らしい発想、共感性だ。凶暴な冒頭はあたかも重戦車の行進のように響く。大植は激しくドラマティックにオーケストラを煽る。第2主題(アルマのテーマ)が登場する直前に木管が奏でる経過句は祈りの音楽。そしてアルマのテーマで大植はテンポをグッと落とす。まるで夢見るよう。そこからはアクセルを踏んだり急ブレーキを掛けたりと伸縮自在、やりたい放題。デフォルメされた展開部はマーラーの音楽が内包するグロテスク(不気味)さを白日のもとに晒す。歌舞伎役者が大見得を切るような大植の指揮ぶりはケレン味たっぷりで、あざといとすら言える。しかしマーラーは本質的にそういう音楽であり、僕は大植の病的な解釈を断固支持する。これぞ「なにわのストコフスキー」の真骨頂!終結部はアルマのテーマが高鳴り、「愛の勝利」を宣言する。しかし結局それはマーラーの妄想、幻影に過ぎないのだが。

僕は2009年のあの演奏会のことを想い出した。これはその続きなのだ。

第3楽章アンダンテは息の長い旋律を弦楽器が歌い、波のうねりのよう。天使の微睡み。高橋将純のホルン・ソロがパーフェクトだった。

そして第4楽章は地獄めぐり。阿鼻叫喚、音楽は錯綜し、狂気を剥き出しにする。僕は大植の解釈を聴きながら、「これってベルリオーズ/幻想交響曲の第5楽章《ワルプルギスの夢》に近いものがあるな」と感じた。あれも狂った音楽だ。ハンマーが振り下ろされる瞬間はさながら最後の審判であり、時折ステージ裏から聴こえて来るカウベルは地獄で聴く天国からの音と言えるだろう。因みに帰宅して調べてみると案の定、指揮者としてマーラーは好んで幻想交響曲を取り上げたらしい。

今回の演奏会に対し、生理的嫌悪感や否定的意見を表明する人たちが喧しい。色んな意見があっていいし、僕は「愉しんだ者が勝ち」だと想っている。今日レオポルド・ストコフスキーを「偉大な指揮者」と賞賛する人は少なく、「色物」だと見なされている。そう、大植英次も「色物」指揮者なのだ。それでいいじゃないか。

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2014年9月23日 (火)

世界よ、これがジャパニメーションだ。〜「進撃の巨人」論

アニメーション「進撃の巨人」が話題になっているのは放送中から知っていたが、観逃していた。そこでTSUTAYAでDVDをレンタルし全話視聴。その面白さにびっくりした。

2014年10月から地上波やBSで一斉に再放送が始まり(放送予定はこちらをご覧あれ。ちなみにBSのD-lifeは無料放送)、総集編の劇場公開や来年には実写版の公開(樋口真嗣 監督、脚本は映画評論家の町山智浩ほか)も決まっているので、ここで本作の魅力を大いに語っておきたい。

「進撃の巨人」が描く世界は極めてハードである。登場人物はバタバタと死んでゆくし、容赦ない。ちょっと中学生以下には見せられない。欧米での地上波放送も難しいのではないかと思われる。実際アメリカでの放送は大人向けに番組を編成するCS放送アダルト・スウィム(Adult Swim)が土曜 23:30 - 24:00 という深夜枠で放送している。

第8話までは正直観続けるのがキツかった。内容が陰惨だし、ユーモアはないし、登場人物が常に躁状態で、眼球が飛びださんばかりに目をひん剥いて怒号を飛ばしている。「君たち全員甲状腺機能亢進症か!それとも一日中アドレナリンが分泌しまくっているのか!?」と問いたくなる感じ。本作に「緩急」のメリハリとか「緊張の緩和」「戦士の休息」という言葉は無縁で、張り詰めた空気が途切れることなく延々と続くので疲れる。何度か挫折しかけた。

しかし第9話からリヴァイ兵長が本格的に登場すると、俄然話が盛り上がってきた。ニヒル(虚無的)な表情で、全身から諦念を漂わせる彼の吸引力は凄い。しかしやるときはしっかり決める男で、ボソッと吐く台詞も熱い。世界的に熱狂的女子人気を誇るのも理解出来る。そのギャップに萌えるんだろうね。

Frau

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アニメ「進撃の巨人」の世界を紐解くキーワードはドイツだ。まずLinked Horizonが歌うオープニング・テーマ「紅蓮の弓矢」(前半)と「自由の翼」(後半)にはドイツ語が使われている。日本のポップスはサザン・オールスターズやミスチルを例に挙げるまでもなく、日本語と英語のちゃんぽんが多い(だからといって彼らが英語に堪能なわけでもない。つまりファッションということ)。だからドイツ語混じりというのは新鮮だ。そして主題歌や劇伴の曲調がどことなくカール・オルフ(ドイツの作曲家)の「カルミナ・ブラーナ」に似ている(特に合唱パート)。「カルミナ・ブラーナ」の特徴であるオスティナート(短い音形の繰り返し)技法もある。聴いていると燃えるね!

「進撃の巨人」で描かれる城塞都市を見て、僕は即座に一度訪れたことがあるドイツバイエルン州のローテンブルク(オプ・デア・タウバー)のことを想い出した(写真は→こちら)。屋根の感じがソックリ。ファンの間ではドイツのネルトリンゲンがモデルというのが定説になっている(→こちら)。

「進撃の巨人」最大の魅力は何と言っても立体機動装置であろう。こんなの見たことない。カッケー!物理的にこんな芸当が可能がどうかはさておき、そのスピード感、躍動感には痺れる。近い将来ハリウッドでも実写映画化されるのは絶対間違いない。世界が放っておくわけがない。また建物や木がない平地ではこの装置が使用出来ないという条件付きなのがいい。つまり万能じゃない。あと立体機動装置はその仕組から言ってコンクリートの建物でも使用不能である。だからこそ舞台がドイツ中世都市なのだろう。

この世界は残酷だ…
そして…とても美しい
(by ミカサ・アッカーマン)

何かを変えることの
できる人間がいるとすれば

その人は きっと…
大事なものを捨てることが
できる人だ

何も捨てることができない人には
何も変えることはできないだろう
(by アルミン・アルレルト)

こういった台詞がグッと来るね。

アニメ「進撃の巨人」は熱い。絶対観逃すな!!

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2014年9月22日 (月)

三谷幸喜 作「其礼成心中」「君となら」

8月7日(木)に京都劇場で三谷文楽「其礼成心中」を鑑賞。

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近松門左衛門の「曽根崎心中」が大評判をとった後日談という設定。秀逸なパロディである。正直、文楽でこれほど笑えると想っていなかった。冒頭で三谷幸喜人形が前説を述べるという趣向も面白かった。立川談志の「伝統を現代に!」という言葉を想い出した。ちなみに英語タイトルMuch Ado about Love Suicidesはシェイクスピア作「空騒ぎ(Much Ado About Nothing)」のパロディになっている。

9月17日(水)シアタードラマシティで「君となら」。

Kimitonara

1995年初演のお茶の間コメディ。僕は97年の再演を観ている。その時のキャストは、

斉藤由貴/佐藤慶/角野卓造/宮地雅子/高林由紀子/小倉久寛/伊藤俊人

今回は

竹内結子/小林勝也/草刈正雄/イモトアヤコ/長野里美/長谷川朝晴/木津誠之

これが初舞台となる竹内結子がコメディエンヌとしての魅力を発散していた。ヒロインの恋人役は初演の佐藤慶(故人)の方が味があった。床屋を営む父親役の草刈正雄は◯。その弟子は伊藤俊人(故人)の方が好きだった。ま、あて書きだから仕方ないよね。

初演/再演は山田和也が演出を務めたが、今回の演出は三谷幸喜自身が担当。だから舞台となる家の間取りが随分変わった。有名な「そうめん流し」の場面も前回と比べ急流(急傾斜)に。極端な方が面白さを増す。

小磯家で巻き起こる一代騒動を描くのだが、これは「サザエさん」の磯野家を明らかに意識した命名である。竹内結子の髪型や雰囲気もサザエさん風。昭和の空気が濃厚だった。ポケベルを使ったギャグも変更がなく、時代設定は(携帯電話が普及していない)初演当時のままなのだろう。「ダイ・ハード2」(1990)を観たとかどうとかいう会話もあるので。

ちなみに三谷幸喜はTVアニメ「サザエさん」の脚本を4本執筆している。その中に「タラちゃん成長期」という作品があり、タラちゃんが筋肉増強剤を打ってオリンピックに出場する夢を見るという内容で、それに激怒したプロデューサーが三谷を解雇したという逸話が残っている。

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2014年9月19日 (金)

大阪クラシック2014「9の呪い」

今年が9回目となる大植英次プロデュース「大阪クラシック」を聴いた。僕は第1回目から毎年足を運んでいる。今年のテーマは「9曲=究極」。ベートーヴェンの交響曲(第九)に端を発する「9の呪い」についても取り上げられた。

9月8日(月)第20公演@大阪証券取引所ビル1階アトリウム

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日本センチュリー交響楽団の女性奏者による

  • ボロディン/弦楽四重奏曲 第2番

大好きな曲。特に第3楽章 夜想曲 が有名。科学者・医学者として活躍し、同時に「日曜作曲家」でもあったアレクサンドル・ボロディンが、愛を告白した20周年記念として妻に捧げたカルテットというのが何ともロマンティックではないか。

第23公演@大阪市中央公会堂 中集会堂

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クラリネット:田本摂理、ホルン:高橋将純、ファゴット:常田麻衣、ヴァイオリン:田野倉雅秋、石塚海斗、ヴィオラ:岩井英樹、チェロ:林口眞也、コントラバス:山田俊介で、

  • シューベルト/八重奏曲

朗々としたホルンの響きに魅了された。気持ちいい!弦の音色も瑞々しい。ただ、チェロはもっと雄弁に歌って欲しいと想った。クラリネットはまろやかで控え目。調和の美しさがあった。田野倉コンサートマスターは「俺が俺が」という自己主張はせず、その清潔感が好ましい。前任の長原幸太との大きな違いだ。

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作家の村上春樹も指摘しているが、シューベルトの音楽は冗長で緩い(特に弦楽五重奏曲や交響曲 ハ長調「ザ・グレイト」など)。しかしその「退屈さを楽しむ」ことに独特の味わいがあることを僕は最近発見した。

9月9日(火)第34公演@ザ・フェニックスホール

ヴァイオリン:田野倉雅秋、チェロ:近藤浩志、ピアノ:澤田智子で、

  • チャイコフスキー/ピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出に」

ピアニストは田野倉夫人とのこと。生で聴くと、ピアノが難しい曲だなと感じた。いくつか音抜けがあった。考えてみれば本作は旧友ニコライ・ルビンシテインへの追悼として作曲されたが、ルビンシテインはチャイコフスキーが献呈しようとしたピアノ協奏曲第1番を「演奏不可能」と酷評し、書き直しを要求したというエピソードが残っている。今回のトリオはよく歌い、時に激しい火花を散らせた。ヴァイオリンは抑制が効いている。第2楽章の変奏曲はマズルカやロシアの民族舞踏、ワルツあり、フーガありとバラエティに富む。フィナーレで冒頭のテーマが戻っくてくると詠嘆の心情を強く訴えかけてくる。そして最後は葬送行進曲になり、静かに消え入る。聴き応えがあった。

9月10日(水)第47公演@ザ・フェニックスホール

ヴァイオリン:崔 文洙、ピアノ:吉山 輝で、

  • ベートーヴェン/ヴァイオリン・ソナタ 第9番「クロイツェル」
  • ベートーヴェン/ロマンス 第2番(アンコール)

野太い音でwildな演奏。ちょっと荒っぽいかな?とも想った。

9月12日(金)第68公演@ザ・シンフォニーホール

大植英次/大阪フィルハーモニー交響楽団で、

  • ドヴォルザーク/交響曲 第9番「新世界より」第2楽章
  • ブルックナー/交響曲 第9番 第2楽章
  • マーラー/交響曲 第9番 第4楽章

いわゆる「9の呪い」特集。

大植英次は自筆譜の楽譜を聴衆に示し、「大フィルは本物しかやりません!」と力強く宣言した。

しかし、何と「新世界より」第2楽章はトリオ(中間部)をカットした短縮版での演奏。「それでええんかい!」とツッコミを入れておく(多分、時間の関係だろう)。

ブルックナーはテンポを動かし過ぎだと想った(些かあざとい)。ゲネラルパウゼ(総休止)直後の音の出だしを一部の奏者がフライングしたりと、練習不足も垣間見られた。

しかし大植得意のマーラーはお見事の一言。粘り腰で弦の強奏が鮮烈。高橋将純のホルン・ソロがまた心地よく胸に沁みる。万感の想いが込められた演奏で、「ああ、大植さんは今、レニー(レナード・バーンスタイン)と一緒に指揮台に立っているんだなぁ」と感じられた。僕は映画「砂の器」のクライマックスで、コンサートホールに響くピアノ協奏曲「宿命」を聴きながら丹波哲郎演じる刑事が言う台詞を想い出した。

「今、彼は父親に会っている。 彼にはもう音楽の中でしか父親に会えないんだ!」

終始鬱々と、黒雲が立ち込め悪天候の「大地の歌」とは異なり、第9番の終楽章は晴れ渡り、音楽は青空の彼方に吸い込まれるように消えてゆく。ロマン派、そして調性音楽の終焉。死の受容、魂の解放。けだし名演だった。

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2014年9月 8日 (月)

映画「ホットロード」

評価:C-

Hot

映画公式サイトはこちら

原作が紡木たくの漫画とのことで、僕はてっきり少年漫画だと勘違いしていた。名前から判断して作者が女性だと思っていなかったのである。映画を観ている途中で、「エッ、これって少女漫画??」と気がついた。内容が甘いのだ。こんな状況下で、死人が一人も出ないということ自体が不自然だ。あと基本的に暴走族の話でありながら、「いつか王子様が(Someday My Prince Will Come)」という少女の夢を描くお伽話仕立てになっており、鼻白んだ。

恐らく原作者も三木孝浩監督もバイクに対する思い入れが全くないのであろう。オートバイ(=現代の馬)に乗り、風になることへの快感が全く描かれていないことに失望した。三木監督が私淑する大林宣彦監督の傑作「彼のオートバイ、彼女の島」(知る人ぞ知る、あの竹内力のデビュー作!)にはそれがあった。これは致命的欠陥である。

撮影当時20歳の能年玲奈が中学生という設定には仰天した。悪くはないが演技が「あまちゃん」と変わらない気がした。相手役の登坂広臣はなかなか良かった。女子に人気が出るのでは?また木村佳乃演じる身勝手な母親がはまり役だった。

嫌いではないが、総じて残念な出来であった。

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