The time has come. 〜映画「私の男」
評価:A+
モスクワ国際映画祭のコンペティション部門で最優秀作品賞・最優秀主演男優賞(浅野忠信)を受賞。公式サイトはこちら。
僕が二階堂ふみを初めて観たのは映画「悪の教典」だったが、特に印象には残らなかった。次に出会ったのはWOWOWで放送された園子温監督「ヒミズ」。最初、「エッ、この映画に宮崎あおいって出てたっけ?」と戸惑った。顔がそっくりだったのだ。強いて言うなら、あおいちゃんをもっと下品にした感じ(ごめんね!)。しかしその後、「脳男」のイカれた役や、強烈な「地獄でなぜ悪い」で彼女は独特な個性・持ち味を発揮し始めた。そして「私の男」である。僕ははっきりと悟った。「遂に二階堂ふみの時代が来た!」と。もう、宮崎あおいに似ているなんて言わせない。二階堂ふみは二階堂ふみでしかない。
この映画で彼女が演じるのはいわゆる「魔性の女」、ファム・ファタールである。真田広之と不倫していた頃の葉月里緒菜みたいな感じ(←分かってもらえるだろうか?)。しかし、例えば東野圭吾の小説「白夜行」のヒロイン雪穂ほど冷酷でも強くもなく、弱いし、繊細だし、寂しがりやでもある。そういう少女の多面性を彼女は完璧に演じ切った。浅野忠信が相変わらず素晴らしいことは言うまでもなく(「ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜」の彼を想い出した)、今年の映画賞演技部門はふたりが総なめにするだろう。
映画冒頭の10分間ぐらいでジワジワ来た直感は、「ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜」や中島哲也監督の「告白」、「桐島、部活やめるってよ」「舟を編む」などを映画館で観た時のそれに近いものがあった。つまり、「今年を代表する日本映画にめぐり逢った」という確かな実感である。
「私の男」はアザラシやセイウチの鳴き声を思わせる流氷が軋む音で始まり、指を口で吸ういやらしい音など、印象的な音に満ちている。
また流氷の場面は無論のこと、血の雨がふる中で浅野と二階堂が絡む場面など映像的にも秀逸。特に浅野演じる淳悟が元恋人の小町(河井青葉、32歳)と情交を結ぶ場面で、全裸の小町がベットにうつ伏せになっているのをカメラが俯瞰で捉えるショットには打ちのめされた。彼女の尻のたるみ・シワで、その”老い”を残酷なまでに物語るのである。
二階堂ふみは本作でバストトップを晒すことはないが、それでもエロい作品に仕上がっている。ビンビン感じる。熊切和嘉監督は「エロスとは(何でも)見せることではない」ことを我々に説得力を持って明示した。
ところで藤竜也が「私の男」に出演しているのだが、これは大島渚監督の「愛のコリーダ」や「愛の亡霊」に対する敬意と、その継承の意思表示であるというのは考え過ぎだろうか?
大胆な性描写で世界的に大センセーションを巻き起こし、本国イタリアでは公開後4日にして上映禁止処分を受けたベルナルド・ベルトルッチ監督の「ラストタンゴ・イン・パリ」よりも「私の男」の方が断然いやらしく、淫らで、インモラルであると僕はここに宣言しよう。大傑作。必見。
以下ネタバレあり、要注意。
淳悟が刑事・田岡(モロ師岡)を殺害した後から、映画は不思議な様相を呈し始める。淳悟と花がどうやって遺体を処理したのか、血に染まった畳はどうしたのか?それら一切が描かれないのである。田岡が彼らを訪ねたことを知っている人物も確かにいる筈なのに警察捜査の手が伸びてこないし、彼らは普通に暮らし続け、花は勤務する会社の専務の息子に嫁いでいく。これは果たして現実の出来事なのだろうか?
そこで僕がはたと気づいたのは、田岡殺害後のシーンの全ては淳悟が見た夢、彼の狂気が生み出した幻想という解釈も成立するのではないか、ということである。実に奥深い映画だ。
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