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2014年6月

宝塚バウ・ミュージカル「ノクターン -遠い夏の日の記憶-」

6月26日(木)宝塚バウホールへ。花組「ノクターン -遠い夏の日の記憶-」を観劇。

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台本・演出は原田 諒ロシアの文豪イワン・ツルゲーネフの「初恋」が原作である。

ツルゲーネフ「初恋」の評判は中学生の頃から耳にしていたが、「どうせ古典的で退屈な恋愛小説だろ」という先入観から読む気になれなかった。しかし今回、この作品を観てびっくり!ドロドロした大人の話だった。

兎に角、瀬戸かずや演じる主人公の父親のキャラクターが最高に可笑しい。普通、息子の初恋の相手を愛人にしようとする!?鬼畜の、どスケベオヤジである。世の中を斜めから見た虚無的な台詞もいい。「所詮、この世は夢」なんて痺れたね。ヒロイン・ジナイーダの母親がどうしようもない守銭奴で、かつてはモスクワの高級娼婦だったという設定にもぶっ飛んだ。

主役の柚香 光はけだし美形の男役である。ヴィジュアル的に完璧といえるだろう。彼女が将来、トップ・スターになることは間違いない。歌はそこそこだが、キレのあるダンスが素晴らしい。惚れ惚れした。

ジナイーダは高飛車な女王様(あばずれ)として登場するが、主人公に恋心を抱くあたりから純情な乙女心が垣間見られ始め、その変化が鮮やか。主人公の父親が「彼女が毒婦であろうと聖女であろうと、私にはどうでもいいことだ」という旨の台詞を言うが、正に観客にも彼女がどちらなのか最後まで掴めない。その多面性を華耀きらりは見事に演じ切った。

母親役の桜一花も気品があって好印象。

主人公ひとりだけが世間知らずの「おこちゃま」で、周りの人々全員が大人という設定がいいね!つまりひと夏の経験で初(うぶ)な男の子が大人へと成長してゆく「通過儀礼」が本作の核であり、これは例えば映画「おもいでの夏」とか「マレーナ」、小説「ふがいない僕は空を見た」などに決定的な影響を与えている。「おもいでの夏」(Summer of '42)もひと夏の体験だしね。

あと特筆すべきは美術の素晴らしさ。最初、屋敷の柱が大理石ではなく大木だったので「何で?」と思ったが、続く場面でそれがそのまま森になる演出は鮮やかだった。また木の一本一本に下から照明を当て、光の色が変化することで様々な表情を見せる。つまり本作の第二の主人公は「森」だと言っても過言ではなく、ソンドハイムのミュージカル"Into the Woods"(まもなく映画が公開)に通じるものを感じた。

充実したカンパニーで、話もすこぶる面白く、これは絶対観逃せない公演である。ツルゲーネフ、やるじゃん!

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弦楽四重奏でプログレ!?〜モルゴーア・クァルテット 大阪公演

6月23日(月)ザ・フェニックスホールへ。

モルゴーア・クァルテットで、

  • リゲティ:弦楽四重奏曲 第2番 (1968)
  • ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲 第13番 (1970)
     (休憩)
  • ピンク・フロイド:原子心母 (1970)
  • キング・クリムゾン:レッド (1974)
  • イエス:危機 (1972)

前半が20世紀のクラシック音楽で後半がプログレッシブ・ロック。いずれも1968-1974というほぼ同時代に作曲されたもの。極めてユニークなプログラムである。昨年のコンサートの感想は下記。

リゲティの曲は室内楽の森へ〜厳選!これだけは絶対聴いておきたい80曲でも取り上げたが、体の皮下組織を虫がモゾモゾ蠢き、「痒い〜っ!!」とのたうち回るような音楽。様々な技法を駆使し次々と趣向が凝らされており、変化に富んで面白い。激しくて、「とんがった」演奏。

ショスタコーヴィチは沈鬱で、諦念の感情が色濃い。死の淵からの叫びが聴こえた。

後半プログレッシブ・ロックのアレンジは全て第1ヴァイオリン荒井英治氏が担当。

ピンク・フロイド原子心母」は原題Atom Heart Motherの直訳。プログラムノートで荒井氏は「3.11のショックがなければ、恐らくこの曲を手がけることはなかったろう。小野富士(ヴィオラ)の出身地、福島への思いを込めた」と書いている。原子力エネルギー(atomic energy)に対する切実な、切羽詰まった警鐘、大地の怒り、祈りといったもろもろの要素が詰まった作品に仕上がっていた。僕はこのカヴァーを聴いていて、震災後の福島でロケを敢行した園子温監督の映画「希望の国」のことを想い出した。「希望の国」では全篇にマーラー/交響曲第10番が流れる。そう、「原子心母」はマーラーのシンフォニーに繋がっている。

レッド」は体でビートを刻み、髪を振り乱してシャウトする感じ。ベトナム戦争への抗議とか、怒れる若者たちの反逆・反骨精神に溢れ、ノリノリの演奏。「さぁ、パーティの始まりだ!」聴衆は熱狂の渦へと巻き込まれた。僕はスティーブ・ジョブズがスタンフォード大学でしたスピーチを締めくくる言葉"Stay hungry,stay foolish"を想い出した。

イエス危機」第1部からは鳥の声が聞こえ、第2部はフォーク調で踊りたくなる気分。第3部は天上の音楽。マーラー/交響曲 第4番 終楽章を彷彿とさせる。第4部は混沌(カオス)。時は遡行し、ビッグバンから無に還る。

荒井氏から挨拶。「(おじさんがプログレを演奏するのは)大変ですわぁ。あと5年位したら弾けなくなるんじゃないかと思います。まだ音大生だった若い頃は周りに『イエスとかキング・クリムゾンって、すごいよね』と語り合える友達がいなくて悲しかったけれど、今はこうして仲間が出来ました」と。

アンコールは東日本大震災にショックを受けてキース・エマーソンが書き上げた「ザ・ランド・オブ・ライジング・サン」。瞑想的で心に沁み入る音楽だった。

僕がこれからのモルゴーア・クァルテットで聴きたい曲はまずなんといってもアルベリク・マニャール/弦楽四重奏曲。あとフィリップ・グラス/弦楽四重奏曲 第3番「MISHIMA」もいいな。スティーヴ・ライヒ/ディファレント・トレインズも是非聴きたいのだが、言葉や汽車の音、サイレンなどを録音したテープとの共演なので、果たしてライヴで演奏可能なのかな?

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またまた兵庫芸文でトラブル発生!/エマーソン弦楽四重奏団

6月22日(日)兵庫県立芸術文化センターへ。エマーソン弦楽四重奏団を聴く。

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  • モーツァルト/弦楽四重奏曲 第16番
  • ショスタコーヴィチ/弦楽四重奏曲 第14番
  • ベートーヴェン/弦楽四重奏曲 第8番
     「ラズモフスキー第2番」
  • ハイドン/弦楽四重奏曲 Op.20 No.3(「太陽四重奏曲」集)
     より第3楽章(アンコール)

モーツァルトはしっとり濡れた印象。現在主流のピリオド・アプローチによる歯切れよい演奏とは一線を画するものだった。終楽章は決然と進む。

ショスタコーヴィチの第1楽章は動的。楽器がよく鳴り雄弁。一転2楽章は沈鬱で仄暗い情念が感じられた。第3楽章と第4楽章の繋ぎはアタッカで間髪入れず突入し、勢いがあった。

創設メンバーで来日したのはヴァイオリン奏者のふたり。プログラム前半と後半で第1と第2が交代した。2013年にチェリストが退団し、さらに今回ヴィオラ奏者が本人の都合で来日出来なくなってポール・ニューバウアーが務めた。しかし水も漏らさぬアンサンブルで丁々発止とやりあり、申し分なかった。ベートーヴェンも聴き応えがあった。

ただ残念なことにモーツァルトとベートーヴェンではハミングのような唸り声が前方から聞こえた。最初は奏者が発しているのかなと想ったが、ショスタコでは聞こえなかったので多分客席だろう。だってあの曲で鼻歌を歌うのは素人には難しいから。

またショスタコーヴィチの第1楽章で僕の隣りに座ったオバチャンの携帯電話のバイブレーションが長時間鳴った。ビクッとするオバチャン。しかし次への楽章間で電源を切ろうともしない!案の定、後半の楽章でも2回も携帯がブルったので怒り心頭に発した。終演後、ホール・スタッフに「小ホールでは電波遮断装置が作動しないのですか?」と苦情を言うと、「携帯の機種によってはスルーしてしまうこともあるのです」と。役立たず!

兵庫芸文は過去に大ホールで補聴器ハウリング事件もあったし、ホトホト困ったものである。

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萩原麻未ピアノリサイタル

6月19日(木)いずみホールへ。

日本人として初めてジュネーヴ国際コンクール〈ピアノ部門〉で優勝した(年によって1位を出さないこのコンクールでの8年ぶりの優勝)萩原麻未を聴いた。

  • フォーレ/ノクターン 第1番
  • フォーレ/ノクターン 第4番
  • ドビュッシー/ベルガマスク組曲
     1.前奏曲 2.メヌエット 3.月の光 4.パスピエ
  • ラヴェル/高貴で感傷的なワルツ
  • ラヴェル/ラ・ヴァルス
  • ジェフスキー/ウィンズボロ・コットン・ミル・ブルース
  • ドビュッシー/亜麻色の髪の乙女(アンコール)

萩原はパリ国立高等音楽院で学び、現在もパリを拠点に活躍している。またコンクールのファイナルではラヴェル/ピアノ協奏曲 ト長調を弾いた。つまりフランス音楽のスペシャリストである。今回のプログラムもフランスものが主体で、最後だけアメリカの現役作曲家が取り上げられた。

フォーレは優しく繊細。「たゆたう」感じが心地よい。

「ベルガマスク」組曲はppの美しさが際立っていた。2.メヌエットは敏捷。3.月の光は目の前に幻夢の世界が立ち現れゾクゾクした。間のとり方、テンポ・ルバート(揺らし方)が絶妙。

喜びの島」はダイナミクスに幅があった。幻想的でありながら力強さとキレ、情熱や艶がある。完璧なテクニックで聴衆を圧倒した。

ラ・ヴァルス」は流麗で躍動感があった。この曲には2台のピアノ版もあり、独奏するには極めて難曲だがミス・タッチは皆無。人間技とは思えなかった。

フレデリック・ジェフスキーはマルクス(共産)主義者である。ウィンズボロ・コットン・ミル・ブルースは非人間的な工場の機械音が鳴り響き、それが次第にブルースのリズムへと変化していく。そもそも原曲のブルースは紡績工場の労働者の悲哀を歌ったものだという。ピアノの最低音から始まり最高音で終わるこの曲は鍵盤の隅から隅まで駆使、手のひらを使って鍵盤を押さえるクラスター奏法も取り入れられたりと、見ていてすこぶる面白かった。

現役の日本のピアニストでフランスものを弾かせたら彼女の右に出るものはいないと確信した夜だった。いや、世界的に見ても10指に入る存在であることは間違いない。

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激震!コパチンスカヤ

6月11日(水)ザ・フェニックスホールへ。

パトリツィア・コパチンスカヤ(ヴァイオリン)とコンスタンチン・リフシッツ(ピアノ)で、

  • C.P.E.バッハ/幻想曲 嬰ヘ短調 Wq80
  • シマノフスキ/神話ー3つの詩
    1.アレトゥーサの泉
    2.ナルシス
    3.ドリアードとパン
  • シェーンベルク/幻想曲
     <休憩>
  • プロコフィエフ/ヴァイオリン・ソナタ 第1番

コパチンスカヤは1977年モルドヴァ生まれ。モルドヴァは旧ソビエト連邦を形成していた東ヨーロッパの国家で、ルーマニアのお隣に位置する。父親ヴィクトル・コパチンスキーはツィンバロン(ハンガリーを中心に中欧・東欧地域で演奏されている打弦楽器)奏者として有名で母はヴァイオリニスト。

コパチンスカヤの演奏は一言で表現するならデモーニッシュ。獣(けもの)の匂いというか、「ヴァイオリニスト」という枠を明らかに逸脱した凄みがある。肌は透き通るように白いが、彼女が奏でる野太い音色はもしかしたらロマの血が入っているのかな?と想った。ビョークとか一青窈、中島美嘉みたいに裸足でステージに立ち、熱がこもってくると激しく足踏みをする。

ウクライナに生まれたリフシッツのピアノも強い自己主張があり、野性味を感じた。

プログラム前半は大バッハの次男が18世紀に発表した「幻想曲」と20世紀の半ば1949年にシェーンベルクが書いた同名曲を最初と最後に持ってくるユニークな構成。C.P.E.のそれは元々鍵盤楽器のために書かれ、それにヴァイオリン・パートが添えられたもので、シェーンベルクの方はまずヴァイオリン・パートが完成し、後にピアノ部分が作曲されたと言われている。非常に対照的。

C.P.E.でコパチンスカヤは意表を突き、ピアノの後ろで弾いた。「あくまでピアノが主人公よ」と主張しているかのよう。ノン・ヴィブラート主体の奏法だった。

シマノフスキは掠れたハーモニクス(倍音)が印象的。妖しく濃密なロマンティシズムが漂う。官能と陶酔。第3曲「ドリアードとパン」はすばしっこく激烈で、パンチが効いている。ディズニー「ライオンキング」のナラみたいだと想った。

シェーンベルクからは魂の叫びが聴こえてきた。あまりの激しさに前方に座っている女性が肩を震わせて笑っていたのだが、その気持が分かると想った。人間は理解を超えた恐怖とか衝撃に遭遇すると、笑わずにはいられなくなることがあるのだ。シェーンベルクの演奏中、地震が起こり建物が揺れたのだが、震源は彼女じゃないかと一瞬錯覚した程(実際の震源は京都で震度3、マグニチュード4.1)だった。

プログラム後半は第二次世界大戦直前の1939年頃から構想が練られ、戦後の46年に完成したプロコフィエフのヴァイオリン・ソナタ。第1楽章を支配するのは暗雲立ち込める気分。不安と焦燥。喉に棘が刺さるような絶望感に固唾を呑んだ。第1楽章の末尾、ピアノが弾く寂しい和音の上をヴァイオリンの音階が駆け上がり駆け下りる場面について作曲家は初演者のオイストラフに「墓場を吹き抜ける風のように」とリクエストしたという。救いようのない虚無感。”祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり”という「平家物語」の一節を想い出した。第2楽章は粗野なアレグロ。コパチンの演奏は一転して苛烈で、その熱にやられ息苦しくなったほど。第3楽章アンダンテで僕がイメージしたのは「禿山の一夜」の夜明け。亡霊たちは墓場に還る。そして第4楽章アレグリッシモに至ると「これはロック・コンサートか!?」と錯覚を覚えた。爆発するエネルギー、激しい足踏み。聴衆は興奮の坩堝と化した。

アンコールはベートーヴェン/クロイツェル・ソナタの第3楽章。松明が煌々と焚かれた闇夜の野営地でジプシー(ロマ)の女がベートーヴェンを弾いている、そんな風景が幻視された。もしコパチンスカヤが魔女狩りの時代に生きていたとしたら「こいつはヤバイ、危険だ!」と異端者の烙印を押され、火あぶりの刑に処せられたのではないか?そう想った。つまり彼女とヴェルディのオペラ「イル・トロヴァトーレ」に登場するアズチェーナのイメージがピッタリ重なった。

魂が吸い取られるような凄まじい体験だった。「ハリー・ポッター」のディメンター(吸魂鬼)に遭遇したような感じ。

クラシック音楽の演奏会でこれだけの衝撃的体験はいつ以来だろう?と考えてみた。思いつくのは中学生の時、旧フェスティバルホール@大阪で鑑賞したカルロス・クライバー指揮ミラノスカラ座引っ越し公演プッチーニ/歌劇「ボエーム」(ミミ:ミレッラ・フレーニ、演出:フランコ・ゼッフィレッリ)くらいだろうか。

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シリーズ《映画音楽の巨匠たち》第3回/モーリス・ジャール 篇

シリーズ《映画音楽の巨匠たち》も3回目を迎えた。

モーリス・ジャール(1924-2009)はフランス・リヨン出身の作曲家。パリ音楽院で作曲(オネゲルに師事)と打楽器を学び、パリ音楽院管弦楽団ではティンパニ奏者を務めていた。だから「アラビアのロレンス」など打楽器が大活躍するのが彼の音楽の特徴である。

まずモーリス・ジャールの音楽ベスト17を列記してみよう。音源を聴いてみたい方のために原題(あるいは英題)も併記する。You Tubeなどで「原題 (スペース) soundtrack」あるいは「原題 (スペース) Jarre」で検索すればヒットするはずだ。

  1. ライアンの娘 Ryan's Daughter
  2. ドクトル・ジバゴ Doctor Zhivago
  3. アラビアのロレンス Lawrence of Arabia
  4. インドへの道 A Passage to India
  5. コレクター(注!1965年版) The Collector
  6. ブリキの太鼓 The Tin Drum
  7. ランボー/地獄の季節 A Season in Hell
  8. 日曜日には鼠を殺せ Behold a Pale Horse
  9. 敵、ある愛の物語 Enemies A Love Story
  10. 刑事ジョン・ブック 目撃者 Witness
  11. 王になろうとした男 The Man Who Would Be King
  12. エル・コンドル El Condor
  13. 愛する者の名において Au nom de tous les miens
  14. グラン・プリ Grand Prix
  15. いまを生きる Dead Poets Society
  16. 砂漠のライオン Lion of the Desert
  17. パリは燃えているか? Is Paris Burning?
    (注!加古隆の同名曲と間違わないよう)

トップ4はイギリスのデイヴィッド・リーン監督作品ばかりずらりと並んだ。恐らく誰が選んでも同様の結果になる筈だ。ジャールは生涯に3度アカデミー作曲賞を受賞しているが、「アラビアのロレンス」「ドクトル・ジバゴ」「インドへの道」と全てリーンの映画なのである。両者の相性の良さはフェデリコ・フェリーニ監督とニーノ・ロータ、ヒッチコックとバーナード・ハーマン、スピルバーグとジョン・ウィリアムズの関係に似ていると言えるだろう。

リーンは当初、「アラビアのロレンス」の作曲をミュージカルの大家リチャード・ロジャースに依頼していた。しかしロジャースは映画自体を観ようともせず、イメージとかけ離れた音楽を送ってきたので、業を煮やしたリーンはフランスの無名の若者モーリス・ジャールに白羽の矢を立てた。これが結果的に大成功を収めたのだが、劇中に流れる軍隊行進曲は「戦場にかける橋」の”クワイ河マーチ(ボギー大佐)”と同じ、ケネス・アルフォードの作品を使った。しかしその後、「ライアンの娘」や「インドへの道」に登場する軍隊行進曲はジャールが作曲している。両者の信頼関係が窺い知れるエピソードだろう。「インドへの道」の”ボンベイ・マーチ”は、そこはかとなく漂う哀感が好きだ。

打楽器が目立つだけではなく、ジャールの音楽は編成のユニークさや珍しい楽器の使用にも特徴がある。彼は「ドクトル・ジバゴ」で110人のシンフォニー・オーケストラを指揮。24人のバラライカ楽団をはじめ、琴、三味線、オルガン、チェレスタ、ツィター(チター)などが入っている。有名な「ラーラのテーマ」はバラライカの大合奏で聴かないとその真価は絶対に分からないとここで断言しておこう。つまり通常のオーケストラ用編曲では物足りないということだ。是非映画のサウンドトラックをお聴きください。

アラビアのロレンス」では電子楽器オンド・マルトノやハンガリーの民族楽器ツィンバロンが印象的に使用されている。

王になろうとした男」ではシタール、タブラ・パーカッションなどインド楽器が、インドへの道」でもシタールやオンド・マルトノ(アデラのテーマ)が、日本を舞台にしたテレビ映画「将軍」では尺八・琵琶・琴・三味線などが導入されている。

日曜日には鼠を殺せ」はハープの短い序奏に続いてチェンバロとギターの二重奏でテーマが開始され、それにフルート、オーボエ、ファゴット、ホルンなどの管楽器群が加わる。弦楽器の音が聴こえてくるのは映画の最後になってからである。

コレクター」も木管五重奏(フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン)を中心に打楽器やハープ、ベース(コントラバス)が脇を固める。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロは最後まで登場しない。メルヘンティックだが、そのあどけなさが却って恐ろしくもある。

ランボー/地獄の季節」はアフリカン・サウンドが魅力。フランスの詩人アルチュール・ランボーが主人公なのだが、彼は晩年武器商人となり、エチオピアに渡った。

敵、ある愛の物語」はノーベル賞を受賞したアメリカのユダヤ人作家の原作をポール・マザースキー監督が映画化。 ジャールはツィンバロンをフィーチャーし、ジプシー・ブラスとヘブライ(ユダヤ)の旋律を融合させたようなユニークな音楽を書いている。これ程クラリネットが活躍する作品は珍しい。

ブリキの太鼓」(1979)には耳慣れない特殊な楽器が使用されている。そのことについてジャールは次のようにインタビューに答えている。

シュレンドルフ監督から(音楽を)依頼されたとき、ギュンター・グラスの原作を読んでみたんだ。そこにはジャガイモのイメージがあった。そこで土とかジャガイモ の雰囲気を醸し出すサウンドが必要だと監督と話をしたんだよ。そして思い出したのは、かつてポーランドの山中で出会ったバンドに、「fujara/フュジャラ」という楽器があったんだな。バスーンみたいで、土の中からもりあがって聞こえてくるようなサウンドだった。これをロンドンで探し、シュレンドルフ に聞かせると、「そう、それだ!」と喜んでくれた。そもそも私は自分の音楽の中に、エスニックなサウンドを入れるようにしているんだ。興味深い音が出るし、耳をひきつけるからね。

このフュジャラの音は「インドへの道」(1984)でも聴くことが出来る。

西部劇「エル・コンドル」はハーモニカとギターをフィーチャーしたテーマ曲が格好いい。

砂漠のライオン」はシリア出身のムスタファ・アッカド監督の作品。もうひとつの「アラビアのロレンス」である。余談だがアッカド監督は2005年ヨルダンの首都アンマンのホテル3カ所で発生した同時爆弾テロで負傷し、亡くなった。

アカデミー外国語映画賞を受賞した名作「シベールの日曜日」(1962)を最後に、ジャールは母国フランスの映画音楽を書く機会が殆どなくなってしまった。同年公開された「アラビアのロレンス」で時代の寵児となり、世界中から引っ張りだこになったからである。だから「パリは燃えているか?」(1966)と「愛する者の名において」(1982)は数少ない貴重なフランス映画。アコーディオンが活躍し、どこかノスタルジックである。ジャールは映画主題歌を書くタイプの作曲家ではなかったが(僕が思いつくのは「ロイ・ビーン」くらい?)、パリは燃えているか?」の”パリ・ワルツ”は後にシャンソンになり、ミレイユ・マチューが歌っている。これは彼女の代表作と言える仕上がりで、必聴。エッ、試聴?→こちらでどうぞ。なんという華やかさ!

グラン・プリ」は豪快なブラス・サウンドが痛快。特にレーシングカーが高速で次々と観客の目の前を走り去る様子を金管が表現する箇所はむちゃくちゃカッケー!

危険な年」(1982)以降、ジャールの音楽は電子化が顕著となる。「刑事ジョン・ブック/目撃者」(1985 アカデミー作曲賞ノミネート)、「危険な情事」(1987)、「愛は霧のかなたに」(1988 アカデミー作曲賞ノミネート)、「ゴースト/ニューヨークの幻」(1990 アカデミー作曲賞ノミネート)などがそれに当たる。これは息子のジャン・ミッシェル・ジャールがシンセサイザー奏者になったことと無縁ではないだろう(ジャン・ミッシェルがシンセサイザー音楽としてのアルバム第1作「幻想惑星」を発表したのが1976年)。この時期の代表作は何と言っても「刑事ジョン・ブック/目撃者」である。特にアーミッシュの人々が力を合わせて「納屋を建てる」場面で音楽は最高潮に達する。ある意味「パッヘルベルのカノン」にも似た古典性がある。また「いまを生きる」終盤のクライマックスでシンセサイザーとバグ・パイプの響きが融合する場面は鳥肌が立つくらい素晴らしい。ただし僕は晩年のジャールをあまり高く評価していない。電子音楽というのは経年劣化・風化が著しく、今聴くとどうしても音が薄っぺらく、安っぽく感じてしまうのだ。

さて、シリーズ《映画音楽の巨匠たち》次回はバーナード・ハーマンを取り上げる予定。そして第5回がミクロス・ローザ(ロージャ・ミクローシュ)で、第6回が”知られざるジョン・ウィリアムズの世界”にしようかな?←いや、勿論「ジョーズ」「スター・ウォーズ」「未知との遭遇」「スーパーマン」「ジュラシック・パーク」「シンドラーのリスト」「E.T.」「ハリー・ポッター」なんかは無視するよ。だって”知られざる”がテーマだから。

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未来を生きる君へ

息子が3歳の誕生日を迎えた。

2歳の頃からディズニーの「ファンタジア」を観せていたが、最初は「トッカータとフーガ」やベートーヴェンの「田園」が好きだった。しかし最近はお化けや恐竜がお気に入りで「禿山の一夜」や「春の祭典」を夢中になって観ている。ストラヴィンスキーの「春の祭典」は初演時のスキャンダル/大騒動が有名だが、息子はどうもこの曲を聴いていると精神的に落ち着くようで、途中で眠ってしまうこともしばしば。こんなうるさい曲が子守唄になるなんて不思議だ。

定番の「となりのトトロ」も大好き。「おとうさん」「おかあさん」という言葉はトトロで覚えた。オープニング・ソング「さんぽ」もしばしば歌う。

あと紙飛行機を飛ばすようになって、アカデミー短編アニメーション賞を受賞したディズニーの「紙ひこうき」(2012)をキャーキャー嬉しそうに観る。

ロシアのユーリ・ノルシュテインが創った切り絵アニメーション「霧につつまれたハリネズミ」や「あおさぎと鶴」も静かに観るようになった。お陰で最近は想像力が豊かになってきた気がする。

1週間に1度は「水族館に行こうか!」と言い、海遊館に通っている。近々ピクサーの「ファンディング・ニモ」を観せなくちゃいけないな、と考えているところだ。

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宝塚雪組/「一夢庵風流記 前田慶次」「My Dream TAKARAZUKA」

6月12日(木)宝塚大劇場へ。

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壮 一帆、愛加あゆのサヨナラ公演を観劇。

宝塚傾奇絵巻「一夢庵風流記 前田慶次」の台本・演出は和物を得意とする大野拓史。

傾奇者(かぶきもの)が主人公である。異風を好み、派手な身なりをして、常識を逸脱した行動に走る者たちのこと。茶道や和歌など芸事に執心する数奇者(すきもの、すきしゃ)よりもさらに数寄に傾いた人という意味で、その美意識は現在の歌舞伎に継承されている。つまり本作は宝塚歌舞伎でもあるのだ。

原作の隆慶一郎は「影武者徳川家康」で名高いが、兎に角エンターテイメントに徹したプロットがケレン味たっぷりで愉しい。ワクワクする。そもそも外連(けれん)とは歌舞伎において宙乗りや早替りなど大掛かりで奇抜な演出を指す演劇用語であり、傾奇と同義であると言って良い。

色彩的にも派手で宝塚らしい作品だった。

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後半「My Dream TAKARAZUKA」の作・演出は中村 一徳。オーソドックスだがスッキリ洗練されており、見応えのあるショーに仕上がっている。ただ歌詞が引退を強調し過ぎで、「ありがとう」の繰り返しがしつこくて辟易したのも事実。

しかし総じて芝居もショーも水準以上の出来で、お勧めの公演である。

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グランド・ブタペスト・ホテル

評価:A

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ベルリン国際映画祭 銀熊賞/審査員グランプリ受賞。映画公式サイトはこちら

とにかくおしゃれな映画だ。薄ピンク(桜色)を主体とする美術もおしゃれ、役者たちが着こなすファッションもおしゃれ、物語もおしゃれ。

可愛らしい映画だが単なるお伽話には終わらず、迫り来るファシズムの影(明らかにナチスがモデルになっている)等、シリアスな要素が背景に散りばめられているのも巧みだ。紛れも無くウェス・アンダーソン監督の最高傑作。

バラライカ(三角形の本体に3本の弦を張ったロシア産のマンドリンの一種)やツィンバロン(ハンガリーの打弦民族楽器)を使用したアレキサンドル・デスプラの音楽も実にユニークで耳をそばだてて聴き惚れた。中部ヨーロッパの魅力が濃密に詰まっている。

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曽根麻矢子/ゴルトベルク変奏曲

6月8日(日)兵庫県立芸術文化センターへ。

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曽根麻矢子のチェンバロで

  • J.S.バッハ/ゴルトベルク変奏曲

を聴く。つい先日、イリーナ・メジューエワのピアノで同曲を聴いたばかり。

早いテンポで決然と進む。カチッとして潔い。

第15変奏で休憩が入り、勇ましく、華麗な第16変奏「フランス風序曲」から後半の第2部へ。

各曲は2部構成で前半後半をそれぞれリピートするよう楽譜に指示されている。しかし反復は省略されることが多く、グレン・グールドのCDは完全無視である。

曽根はアリアや前半の変奏はリピートを順守していたが、曲が進むと省略する場面も散見された。

演奏後に挨拶があり、ゴルトベルクを弾くのは3年ぶりで、この曲を演奏すること=戦争であり、音楽家にとって体と戦うことを意味する。手の交差が多く、肩甲骨がずれる。整体に行くとびっくりされる……といったことを語った。

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アンコールのフランソワ・クープランは典雅で、彼女の資質に合っていた。

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ラ・プティット・バンドのJ.S.バッハ

6月2日(月)ザ・シンフォニーホールへ。
ラ・プティット・バンドの演奏でオール・大バッハ・プログラム

  • 管弦楽組曲 第1番 10人によるアンサンブル(うち弦6人)
  • ブランデンブルク協奏曲 第5番 7人(弦5)
  • 管弦楽組曲 第3番 14人(弦7)
  • 管弦楽組曲 第2番 6人(弦4)
  • 管弦楽組曲 第4番 16人(弦7)

基本的にシギスヴァルト・クイケンが第1ヴァイオリンを担当したが、ブランデンブルクの5番のみヴィオロンチェロ・ダ・スパッラを弾いたので、ここでは娘のサラ・クイケンがファーストを担った。

シギスヴァルトはいわば20世紀におけるバロック・ヴァイオリニストの元祖みたいな存在であり、彼の前に古楽奏法をする人は皆無に等しかった。日本の名手、寺神戸亮や若松夏美らは彼のもとで研鑽を積んでいる。

だからシギスヴァルトの演奏には全く文句のつけようがないのだが、はっきり言って娘のサラは二流である。ブランデンブルクのソロも大人し過ぎて物足りなかった。

才能がない家族を起用する彼の姿勢はフランシス・フォード・コッポラ監督が「ゴッドファーザー PART III」で撮影直前に降板したウィノナ・ライダーの代わりに娘のソフィア・コッポラを抜擢したあの悪夢を想い出させる。芸術家にとって(肉親への)温情は最大の敵である。

少人数による演奏なのでスッキリした響きで透明感があった。特に各パート1人に絞った組曲 第2番には潔さを感じたし、スティーブ・ジョブズの座右の銘”洗練を極めると簡素(simple)になる”を想い出した。

逆に人数の多い組曲 第4番は晴れやかで祝祭的気分があった。

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キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー

評価:C

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アメコミを原作とする映画としてはクリストファー・ノーラン監督の「『ダークナイト』以来の傑作!」とか、「いや、『ダークナイト』を凌ぐ!」などといった前評判/煽り文句にまんまと釣られ、重い腰を上げて映画館に足を運んだのだが、退屈で途中でウトウトした。

全篇「これでもかッ!」というくらいクライマックスの連続なのだが、こう派手なアクションが続くと次第に飽きてくる。人間って、アドレナリン全開で2時間は持たないね。宮崎アニメみたいに静と動、緩急がないと。単調なんだ。

絶賛する輩は「近頃珍しい肉弾戦」とか言うけれど、所詮(人間も)CGじゃん。

こういう映画は単細胞のアメリカ人とか、「アメリカ脳」を持つアホな日本人が喜んでいればよろしい。以上。

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児玉宏/大阪交響楽団「忘れられた北欧の作曲たち」

5月30日(金)ザ・シンフォニーホールへ。

児玉宏/大阪交響楽団で、

  • ゲーゼ/序曲「ハムレット」
  • ベルワルド/交響曲 第3番「風変わりな交響曲」
  • ニールセン/交響曲 第1番

ゲーゼとニールセンはデンマーク、ベルワルドはスウェーデンの作曲家。考えてみれば北欧の作曲家って、一般に知られているのはフィンランドのシベリウス、ノルウェーのグリーグ、そしてニールセンくらいで他は殆ど演奏されることがない。ノルウェーのスヴェンセンやスウェーデンのステーンハンマルなんかもそうだよね。実際僕もニールセンの有名な交響曲第4番「不滅」ですら実演を聴いたことがない。調べてみると大阪フィルが定期演奏会で最後にニールセンを取り上げたのが1996年。実に18年前だ。

さてゲーゼの「ハムレット」はドラマティックで盛り上がる曲。第1主題には悲劇の予感。美しい第2主題は恐らくオフィーリアのテーマなのだろう。考えてみれば「ハムレット」はデンマークの話なのでピッタリだね。

ベルワルドは幼い頃からヴァイオリンを弾いていたが、33歳の時奨学金を得てベルリンに出立した。しかし作曲家として認められず、整形治療院を開業し大成功を収めたという。後年にスウェーデンに戻り、今度はガラス工場の支配人となり商才を発揮した。実にユニークな経歴の持ち主である。

「風変わりな交響曲」は可愛らしい曲調。第1楽章は優しい表情で爽やか。高揚感があり愉しい。第2楽章はたおやかで夢見るようなアダージョとして始まる。途中で「びっくり交響曲」みたいに強烈なティンパニの一撃があり、メンデルスゾーンを彷彿とさせるスケルツォに移行。軽快なドライヴ感がありグイグイ進む。第3楽章は切れ味するどい演奏でスカッとした。

ニールセンの第1番は27歳の時の作品。エネルギッシュで若者らしい生命力に満ちている。第1楽章は気高く、第3楽章はプログラム・ノートにスケルツォと書かれているが、牧歌的で僕はむしろメヌエットみたいだと想った。第4楽章には過剰な転調があり、その「やり過ぎ感」が微笑ましい。若いって、いいね!そして最後はド派手に終わった。

珍品ばかりのメニューだが、児玉シェフの「おまかせコース」には間違いがないと再確認した夜だった。

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アルテミス・カルテット

5月25日(日)兵庫県立芸術文化センターへ。

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1970年に東京カルテットが優勝して以来25年間優勝者を出さなかったミュンヘン国際音楽コンクールにおいて96年にアルテミス・カルテットは第1位となった。しかし創立メンバーで残っているのはチェロのエッカート・ルンゲだけで、2012年には第1ヴァイオリン奏者としてラトヴィア出身のヴィネタ・サレイカを迎えた。ちなみにギドン・クレーメルも彼女と同郷である。

今回のプログラムは、

  • ブラームス/弦楽四重奏曲 第1番
  • クルターグ/小オフィチウム〜アンドレーエ・セルヴァンスキーを追悼して
  • ベートーヴェン/弦楽四重奏曲 第14番

ブラームスの第1楽章は鋭利で怜悧な演奏。速攻で畳み掛け、知性のひらめきを感じさせる。第2楽章は囁くようで繊細。第3楽章の憂鬱なセレナーデを経て最終楽章は激しく感情が迸る。

現代ハンガリーの作曲家クルターグの作品は詰まらない。語る価値なし。

そしてベートーヴェンの最高傑作、深淵の森へ。研ぎ澄まされたpp。水も漏らさぬ緊密なアンサンブル。推進力がありグイグイ前へ。この作品は全7楽章で変奏曲の第4楽章を中心としてシンメトリーを形成している。揺るぎない構築性。第5楽章がスケルツォで第6楽章が緩徐楽章、そして終楽章がソナタ形式。これって通常の第3→第2→第1楽章に相当するよね。つまり逆走するんだ。アルテミスの演奏はスケルツォが小気味よく切れ味があり、終楽章は運命に抗うように決然と歩む。中身がギッシリ詰まった充実したパフォーマンスであった。

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インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌

評価:A

スピルバーグが審査委員長を務めたカンヌ国際映画祭でグランプリ(次点)を受賞。カンヌの最高賞はパルムドールだが、そちらを受賞した「アデル、ブルーは熱い色」より断然本作の方が良かった。映画公式サイトはこちら

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そもそも僕はコーエン兄弟の映画が好きじゃない。代表作「ファーゴ」もアカデミー作品賞・監督賞を受賞した「ノーカントリー」もちっとも面白くなかった。だけど本作で初めていいと想った。

実話かフィクションかも知らずに観に行ったのだが、ボブ・ディランが憧れた実在のフォーク・シンガー、デイヴ・ヴァン・ロンクの回想録にインスパイアされてシナリオが書かれているそうだ。主人公を演じるオスカー・アイザックは一切吹き替えなしでギターを弾き、歌っているという。大したものだ。ある意味ミュージカル映画とも言えるだろう。

コーエン兄弟作品の撮影監督といえばロジャー・ディーキンスと相場が決まっていたが、今回は「アメリ」「ロング・エンゲージメント」のブリュノ・デルボネル。寒色系の硬質な映像が魅力的だった。特に猫の目線で走る地下鉄の車窓からの光景を捉えたショットはお見事!

演出については猫の扱い方が上手い。ふらっと放浪の旅に出るあたり、主人公の人生と重なりメタファー(暗喩)としての役割を果たしている。映画の後半からロード・ムービーになる構成もユニークだし、彼が出会う人々が奇妙に個性的で心に残る。また最後が円環構造になっているのも洒落ている。必見。

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「ブルージャスミン」〜どうして大スターたちはウディ・アレンの映画に出たがるのか?

ケイト・ブランシェットがぶっちぎりの独走でショー・レースを駆け抜け、アカデミー主演女優賞を受賞したウディ・アレン脚本・監督の映画。公式サイトはこちら

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評価:A

ウディ・アレンは役者の魅力を引き出す達人で、彼の監督した作品でアカデミー賞を受賞した役者のリストを列記すると

  • 「アニー・ホール」ダイアン・キートン 主演女優賞
  • 「ハンナとその姉妹」ダイアン・ウィースト 助演女優賞
      マイケル・ケイン 助演男優賞
  • 「ブロードウェイと銃弾」ダイアン・ウィースト 助演女優賞
  • 「誘惑のアフロディーテ」ミラ・ソルヴィノ 助演女優賞
  • 「それでも恋するバルセロナ」ペネロペ・クルス 助演女優賞
  • 「ブルージャスミン」ケイト・ブランシェット 主演女優賞

ものすごい数である。さらに(受賞に至らなかったが)ノミネートされた役者はアレン自身を含め11人に及ぶ。またスカーレット・ヨハンソンが今までで一番魅力的に撮られた作品はアレンの「マッチポイント」(ゴールデングロー受賞ノミネート)だと僕は確信している。だからいくらギャラが安くても、大スターがこぞって彼の映画に出たがるのだ。

さて「ブルージャスミン」の話である。ケイト・ブランシェットの演技は、言わずもがな、圧巻である。彼女が演じるヒロインは神経質で医者から処方された精神安定薬を5-6種類飲んでいる(彼女はそれを「カクテル」と呼んでいる)。これって「アニー・ホール」をはじめウディ・アレンが繰り返し演じてきた男を女に置き換えただけだよね?アレンの「神経質なユダヤ人」役はつくづく飽きたけれど、今回の女版は新鮮だった。

決して救いがある物語ではないけれど、かといって悲壮感もない。基本的にウディ・アレンはヒロインの生き方を肯定している。そりゃそうだよね、自分自身のことだもの。「人間ってこういう生き物だよね」という悲喜劇である。

 

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