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神尾真由子×井上道義/大フィル 定期(ミッキーに質問!「ショスタコーヴィチの謎」)

この4月から大阪フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者に就任した井上道義氏(公式愛称はミッキー、ミッチーじゃないよ。由来は→こちら)は以前、日本ショスタコーヴィチ協会会長を務めていた(この協会の実態が現在どうなっているかは不明)。また2007年には日比谷公会堂でショスタコの全15交響曲を1ヶ月で演奏するというプロジェクトを完遂した。

ミッキーに、以前からどうしても質問したかった「ショスタコーヴィチの謎」がある。それは「どうしてショスタコの交響曲はやたらとユニゾンで演奏させる所が多いのか?」ということである。尋常ではない割合だ。僕が初めて彼の交響曲を聴いたのは小学校5,6年生の頃。交響曲第5番だった。その時からユニゾンの多さに唖然とした。響きが単純明快(薄っぺら)で、「この作曲家はオーケストレーションが下手なのか!?」とすら感じた。ジョン・ウィリアムズ作曲の「スター・ウォーズ」の方がよっぽど凝っていると想った(今でもそう確信している)。交響曲第13番「バビ・ヤール」でもご丁寧に男声合唱はほとんどユニゾンである。

その後、ショスタコとスターリンとの確執、絶えず生命の危機(粛清)の不安に慄きながら作曲したという事実を知った。彼の音楽がアイロニー(皮肉、二重性)や諧謔精神に満ちているのはそのためだったのだ。ショスタコの音楽は一筋縄ではいかない。表面に隠された意図を汲み取らねば真の価値は分からない。聴き手は作曲家の深層心理の第4層、第5層へと潜り込む必要がある。まるで映画「インセプション」みたいだ。

ユニゾンが多いことに関しては諸説がある。

  1. 旋律を強調する:例えばヴェルディのオペラみたいに、多数の楽器で同じ旋律を奏でれば、強烈な印象を与えることが出来る。しかしショスタコの発想がそんな単純なことだけである筈はない(勿論、理由の一つではあるだろうが)。
  2. ソビエト共産党政権の「統制」「強制」を象徴している:スターリンが「これは社会主義リアリズムから逸脱した音楽だ!」と断じれば、他の者達も全て「そうだ!」と唱和する。異論は許されない。この説にはかなり説得力がある。

さて、ミッキーの解釈は如何に?

4月4日(木)フェスティバルホールへ。

Mickey

井上道義/大阪フィル、神尾真由子(独奏)で、

  • チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲
  • ショスタコーヴィチ/交響曲 第4番

ミッキー×神尾の組み合わせなら、是非コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲を聴きたかった!神尾は昨年東京で演奏しているし、ミッキーはコルンゴルトのオペラ「死の都」を初演している。しかし2,700席のフェスティバルホールを2日間いっぱいにしないといけない使命を帯びていることを考えると、「客寄せパンダ」としてのチャイコフスキーも致し方ないのかも知れない。大フィルが定期で一度も取り上げたことがないコルンゴルトは来期以降の課題としたい。

神尾のヴァイオリンは粘り腰で野太い音。強い意志を感じさせる。チャイコフスキー国際コンクールで優勝した頃の演奏はもっと攻撃的で猪突猛進だったが、現在の彼女は角が取れエレガントさを増した。より緻密に、より自在に。第1楽章はゆったりとしたテンポで進行する。第2楽章は密やかに、咽び泣くよう。ニュアンス豊かで美しい弱音をじっくり聴かせる。第3楽章は一転して軽やかで機敏。一気に感情を開放し、燃え上がる。鮮やか!

オペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」に対する「プラウダ」批判にさらされ、生命の危険を察知したショスタコービチ交響曲4番の初演を取り下げる。その後このシンフォニーは実に25年間も封印され、スターリンの死後1961年に漸く日の目を見た。しかも親友のムラヴィンスキーに拒絶され、コンドラシンがタクトを振ったというオマケ付きで。

ミッキーは「私の最も好きな交響曲です」と断言する。実際、交響曲第4番こそショスタコの最高傑作とする意見は多い。でショスタコは「生き延びるために」誰にでも理解出来て、単純な人間ほど熱狂する交響曲第5番を代わりに書いた。

ミッキー/大フィルは第1楽章(約30分!)からモーレツでパンチが効いた演奏を繰り広げる。阿鼻叫喚、激情の音楽。クライマックス、プレストのフーガは狂騒的で完全に常軌を逸している。邪悪さすら感じられた。ある意味ドストエフスキーの小説に登場する「過剰な登場人物」と相通じる所がある。僕だったらこれを「悪霊交響曲」と名付けたいな、などと考えながら聴いた。間奏曲(小休止)的な第2楽章(8分)を経て第3楽章(約30分)へ。滑稽な、調子はずれのワルツや行進曲が展開される。ふと連想した言葉は「死霊の盆踊り」。「禿山の一夜」か、はたまた「ワルプルギスの夜」か!?いずれにせよ最後に夜は開けるが、そこに広がるのはペンペン草も生えない不毛の荒野だった……。

そら恐ろしい音楽、そして超弩級の名演だった。ミッキーの指揮ぶりは鬼気迫るものがあり、オーケストラもそれによく応えた。いやはや参りました。

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