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2014年3月

2014年3月31日 (月)

杉本文楽「曾根崎心中」〜あるいは文楽のピリオド・アプローチ

3月28日(金)フェスティバルホールへ。

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杉本文楽「曾根崎心中」を鑑賞。

構成・演出・美術・映像:杉本博司、作曲・演出:鶴澤清治

杉本博司はニューヨークを拠点に活躍する写真家。神社や能舞台など建築に関する作品も手掛ける。

近松門左衛門「曾根崎心中」は実際に起こった情死事件を基に1703年に初演されたが、これに触発された心中が後を絶たず、1723年に江戸幕府は発禁、上演禁止の処分を下した。その後忘れ去られ、復活するのが昭和30年(1955年)のことである。脚色は野沢松之助。この時の改変台本が現在でも国立文楽劇場で上演されており、「そんなものに縛られる必要はないだろう」と橋下徹・大阪市長の槍玉に挙げられた。昭和30年版台本の最も大きな変更点は演劇における第1幕とも言うべき前半の段「観音廻り」がごっそりカットされたことである。

杉本文楽「曾根崎心中」はその「観音廻り」を完全復活、あくまで近松の「原文に忠実に!」というコンセプトにこだわった。これはクラシック音楽界で1980-90年代に隆盛を極めた古楽器によるピリオド・アプローチ(時代奏法)に相当すると言えるだろう。つまり後世についた垢を落とし、原点に回帰する姿勢、ルネサンス(再生・復活)運動である。

基本的に文楽の人形は三人で操作するが、「観音廻り」では桐竹勘十郎が操る「一人遣い人形・お初」がみどころとなっている。

杉本文楽は2013年にマドリード、ローマ、パリの観客を魅了。特にパリ公演初日の翌朝にはルモンド紙が一面トップで記事を掲載するなど絶賛された。

僕は以前、国立文楽劇場に足を運んだことがあるが、何を言っているのかサッパリ分からず退屈極まりなかった。3時間の公演が拷問以外の何物でもなかった。

現代の日本人にとって文楽の言語はイタリア・オペラを字幕なしで鑑賞することに等しい。つまり予備知識は絶対必要だと痛感した。

そこで徹底的に予習をした。まずDVDで宇崎竜童・梶芽衣子主演の映画「曾根崎心中」(監督:増村保造、音楽:宇崎竜童)を鑑賞。さらにクライマックスの「徳兵衛・お初 道行」は詞章の原文を通読した。また杉本文楽について取材したNHKのETV特集も観た。

今回はバッチリ内容を把握できたし、文楽の幽玄の美に心を打たれた。「観音廻り」冒頭、暗闇の奥の方からお初がふっと姿を現す。また「生玉社の段」では油屋九平次に騙られ、打ち据えられ、辱めを受けた徳兵衛が死を決意し、闇の中にすっと消えてゆく。そして「徳兵衛・お初 道行」の冒頭”此(この)世の名残 夜も名残”で始まる詞章の味わいの深さ。もののあわれが胸に沁みた。

杉本の洗練された美術も美しかったし、「観音廻り」における映像とのコラボレーションも見事で全く違和感がなかった。斬新でかつ、古典の精神を損なわないものであった。

鶴澤清治先日聴いた「三井の晩鐘」の音楽も印象深かったが、今回もプロローグにおける三味線独奏が素晴らしかった。

で結論を言うと「観音廻り」をカットするなんて言語道断だ。それは近松作品への冒涜ですらある。たとえばベートーヴェンの交響曲を第1楽章を省略して第2楽章から演奏するようなものだ。「観音廻り」の段があって初めて、ふたりの観音浄土への強い信仰心、あの世できっと結ばれるという確信が観客に伝わるのである。国立文楽劇場の上演方法は絶対に間違っている。

古典芸能を現代人に理解し、親しんでもらう方法は台本をいじくることではない。それは見せ方・演出の問題なのだ。オペラの上映のように、現代語訳を舞台両脇にLED字幕表示するのも一案だろう。必要がない人はそれを見なければ済む話である。はっきり言って音声ガイドは時代遅れだ。イヤホンで片耳が塞がって鑑賞の妨げにしかならない。上演形態の改革が急がれる。

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ブラームスの後輩、ヘルマン・ゲッツ〜児玉宏/大阪交響楽団 定期

3月18日(火)ザ・シンフォニーホールへ。

児玉宏/大阪交響楽団

  • ヘルマン・ゲッツ/ピアノ協奏曲 第2番
  • ブラームス/交響曲 第4番

ヘルマン・ゲッツはドイツの作曲家でブラームスより7つ年下。結核に罹患し、35歳で早逝した。

ピアノ協奏曲 第2番は伸びやかでロマンティック、どこかブラームス/ピアノ協奏曲 第2番を彷彿とさせる雰囲気がある。どちらも変ロ長調と調性が同じなのが興味深い。ゲッツの曲が作曲されたのが1867年、ブラームスのそれは1881年。ゲッツの死から5年経過していた。ゲッツはピアノ四重奏曲をブラームスに献呈しているし、ふたりの間には生涯友情関係があったという。つまりブラームスの第2番はゲッツへの追悼の意の表明ではなかったか?という推定も可能であろう。因みに彼の交響曲はシューマンへのオマージュになっている(ここでも調性が重要な役割を果たす)。

福間洸太朗のピアノはクリアなタッチでコロコロと指が動く。アンコールはショパン/別れの曲。これを聴くと僕は瞬時に18歳の自分に戻る。その年に大林宣彦監督の「さびしんぼう」に出会った。「別れの曲」を弾きながら富田靖子の横顔がふっと微笑む映画のラストシーン、そして尾道への旅、ロケ地巡りをしたこと、向島に渡る福本渡船に乗った想い出などが走馬灯のように一気に押し寄せた。

後半のブラームスはゆったりたっぷりした歌い出し。キレはなく、濡れた音色。第3楽章のスケルツォは生気があって小気味いい。第4楽章は重厚で荒波に揉まれるかのようであった。児玉はブルックナー指揮者として卓越しているが、ブラームスは今ひとつかな?と想った。

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2014年3月30日 (日)

《宝塚便り》宝塚音楽学校

宝塚大劇場前の「花のみち」も桜が咲きはじめた。

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3月29日(土)に宝塚音楽学校の合格発表があった。

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報道によると1065人が受験し、40人が合格。競争率は26倍だったそうだ。しかも全員が必ずしも卒業できるわけではない。厳しい世界だ。

東京都や新潟県と宛先が書かれた封筒を握りしめ、緊張の面持ちで発表の時を待つ受験生。自分の受験番号を見つけ、歓喜を父母や祖母、妹と分かち合う娘たち。その一方で真っ赤に泣きはらした瞳で母の胸元に泣き崩れる者もいる。悲喜こもごもである。

宝塚音楽学校は予科・本科合わせて2年制である。生徒の大半はいわゆる「すみれ寮」で生活する。

僕は現在宝塚市内に住んでいるので、通勤時に音楽学校の生徒さんが通学するのとよく一緒になる。

グレーの制服に赤いリボンタイ。デザインは森英恵による。10月1日から衣替えで、帽子を着用。これがまた可愛い。

予科生は5−6人からなる小隊を組み、2列縦隊で整然と行進しながら登校する。女性としてはかなり早足である。途中に上級生と出会うと「おはようございます!」と声を揃えて挨拶する。また大体30秒に1度くらい最後尾の生徒が振り返って(危険が接近していないか)後方確認をする。Wikipediaによると1989年より毎年、全校生徒が陸上自衛隊伊丹駐屯地で基本訓練の研修を受けているそうだ。

興味深いのは途中、武庫川に掛かる宝塚大橋を渡るのだが、彼女たちはわざわざ音楽学校に行くには遠回りとなる橋の右側を歩く。つまりあくまで右側通行を順守しているのだ。

予科生が持つバッグは黒〜グレーに統一されている。雨の日は傘も黒一色。しかし本科生になると規則が緩くなるらしく、バッグや傘は色とりどりになる。予科生は平靴を履いているが、本科生はヒールが許されているようだ。また本科生は小隊を組むことなく個人個人で登校している。たった1年で全然規則が違うのだから面白い。

というわけで普段音楽学校の生徒さんを見かけたら、僕は瞬時に予科か本科か見分けることが出来るようになった。

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パック・ウィンズ!(with セバスティアン・マンツ)

3月13日(木)兵庫県立芸術文化センターへ。

セバスティアン・マンツ(クラリネット)+兵庫芸術文化センター管弦楽団(PACオケ)木管セクション、三輪郁(ピアノ)で、

  • フランセ/小四重奏曲(マンツ編)
  • ベートーヴェン/ピアノ五重奏曲 op.16
  • モーツァルト/セレナード 第10番「グラン・パルティータ」

セバスティアン・マンツは2008年、滅多に1位を出さないことで有名なミュンヘン国際音楽コンクール・クラリネット部門で40年ぶりとなる第1位に輝いた。現在はシュトゥットガルト放送交響楽団首席クラリネット奏者を務める。

フランセ小四重奏曲は元々、4本のサキソフォンのために書かれた。マンツの編曲はオーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルンという組み合わせ。第1楽章 冷やかし第2楽章 しっとりとした歌第3楽章 滑稽なセレナード。第2楽章はオーボエなし。原曲でもソプラノ・サキソフォンがお休みとなる。滑稽で軽妙洒脱。第3楽章はユーモラスで愉しかった。このアレンジ、いいね!

ベートーヴェンの作品は初期のもので些か退屈。伸びやかな音楽。

グラン・パルティータ」にはバゼット・ホルンが使用されている。モーツァルトが愛した楽器で、元々クラリネット協奏曲もこの楽器のために書かれたという。フルートなしの13人による演奏。それぞれの音がよく融け合い、極上の響き。アカデミー作品賞・監督賞などを受賞した映画「アマデウス」でも大司教邸の音楽会の場面でこの第3楽章アダージョが流れる。作曲家本人が「僕の最高傑作」と言っていたそうだが、全く異論はない。天国的音楽を堪能した。

アンコールはピアノが加わり再びフランセ/小四重奏曲の第1楽章。これが冗談音楽のようにちょっとした仕掛けがあって(ピアニストは楽譜が見つからないという設定で演奏中にあちこち探しまわり、弾くのは最終の和音だけ)、会場は笑いに包まれた。

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2014年3月29日 (土)

映画「ウォルト・ディズニーの約束」〜人は何故フィクションを求めるのか?

評価:B+

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映画「メリー・ポピンズ」(1964)誕生秘話(ポスターの影に注目!)。公式サイトはこちら

原題は"Saving Mr. Banks"。どちらかと言うとウォルトは脇役で、主役は原作者パメラ・トラバースである。ミスター・バンクスとは「メリー・ポピンズ」に登場する子どもたち=ジェーンとマイケルのお父さんで、厳格な銀行家。どうしてその彼を救済する必要があるのかということが、映画のテーマに関わってくるという仕組み。まぁ、邦題の方は興行的なことを考えて”ディズニー”を入れたかったんだね。

兎に角エマ・トンプソンが演じた原作者が気難しくて、とんだ食わせ者なのだ。ウォルトは彼女に対し20年間も粘り強く映画化の交渉をしていたというのだからすごい。脚本は細部まで一々チェックするし、話し合いは全てテープに録音することを求めるし、「赤色を使ってはダメ」「アニメは一切認めない」など要求のモンスターぶりが凄まじい。ウォルトや脚本家、作曲を担当するシャーマン兄弟たちが彼女に翻弄される姿が可笑しい。

映画は「メリー・ポピンズ」の製作過程とパメラ・トラバースの幼少期@オーストラリアが並行して描かれる。そして次第にメリー・ポピンズやミスター・バンクスのモデルが誰だったのかが浮き彫りにされてゆく。また知られざるウォルト・ディズニー少年時代のエピソードにも驚かされる。そして人は何故フィクションを求めるのか?という物語を創造することの意義、その本質が明らかにされる。脚本が素晴らしい。

映画冒頭と最後はシャーマン兄弟が作曲した「チム・チム・チェリー」がピアノで演奏される。これが鍵盤が沈む時の木の軋みまで聞こえてきて、実に味がある。さらにエンディング・クレジットで実際にテープに残されたパメラ・トラバースの肉声が流れ、感銘深かった。

アカデミー賞には作曲賞しかノミネートされなかったけれど、作品賞と主演女優賞もされてよかったのではないかと想った。少なくとも僕は「それでも夜は明ける」より断然好きだな。

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2014年3月27日 (木)

フルート・ライブ・セッション/クドウ・シゲノリ・ウインド・アンサンブル

3月21日(金)ザ・フェニックスホールへ。

工藤重典(フルート)、古部賢一(オーボエ)、赤坂達三(クラリネット)、吉田將(ファゴット)、日橋辰朗(ホルン)、長崎麻里香(ピアノ)で、

  • モーツァルト(ロットラー編)/五重奏曲 第2番 ハ短調 K.406
  • ベートーヴェン/セレナーデ ニ長調 作品41
    (フルート&ピアノ)
  • ドビュッシー/「子供の領分」ゴリウォッグのケークウォーク
    (木管五重奏)
  • フランセ/木管五重奏とピアノのための「恋人たちの時間」
  • プーランク/六重奏曲

会場には大阪桐蔭高校吹奏楽部の生徒さんたちが大勢(20人位?)来ていて驚いた。若い頃から優れた室内楽を生で聴くのは良いことだ。

モーツァルトの原曲はフルートの入らない木管八重奏のために書かれ、後に弦楽五重奏にも編曲された。今回演奏されたフルートの入った編成には違和感があった。

ベートーヴェンのセレナーデは初めて聴いた。原曲はフルート、ヴァイオリン、ヴィオラのための三重奏曲で、後にフルートとピアノのデュオでも出版された。編曲に作曲家自身が関わったかどうかは不明だそう。実に魅力的な楽曲で明朗な知性、ひらめきがあった。長崎のピアノは敏捷で利発。フルートとの丁々発止のやり取りが快感だった。

ゴリウォッグのケークウォークの原曲はピアノだが、木管五重奏版もユーモラスな雰囲気が出ていた。解説を読んで今回初めて中間部に楽劇「トリスタンとイゾルデ」のパロディが登場することに気が付いた。洒落ている。ドビュッシーもワーグナーに関心があったんだね。因みに僕がこの曲に出会ったのは小学生の頃で、FMで放送された冨田勲のシンセサイザー編曲だったことを想い出した(1974年に発表されたアルバム「月の光」に収録)。

軽妙洒脱なフランセの楽曲。原題を直訳すると「羊飼いの時」だがフランス語でいうところのたそがれ時、恋人たちが夕闇に隠れることが出来る至福の時間というわけ。第1曲「枯れない二人」、第2曲「ピンナップ・ガール」、第3曲「せっかちな若者たち」=第2曲に登場した女の子を追いかける男の子たち。まるで艶笑コメディを観ているようなノリノリの演奏だった。

プログラム最後のプーランクは室内楽屈指の傑作で僕も大好きなのだが、これを演奏するために結成されたレ・ヴァン・フランセを生で聴いているので、実力の差を感じた。

日本の弦楽奏者は今や世界トップの実力にのし上がって来たけれど、管楽器奏者はまだまだだなと痛感した(弦高管低)。アンサンブルの乱れ、綻びが気になった。

ただ比べる相手が世界最高峰のプレイヤーたちなのでちょっと気の毒。日本人奏者の演奏としては十分愉しめた。

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堀米ゆず子/バッハ&ブラームス プロジェクト 《第2回》

第1回のレビューはこちら

3月16日(日)兵庫県立芸術文化センターへ。

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堀米ゆず子(ヴァイオリン)、佐々木亮(ヴィオラ)、木越洋(チェロ)、田村響(ピアノ)で、

  • ブラームス/ピアノ四重奏曲 第2番
  • ブラームス/ヴァイオリン・ソナタ 第2番
  • J.S.バッハ/無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ 第2番
  • J.S.バッハ/無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 
     第3番〜ガボット(アンコール

ブラームスのカルテットは「でもねでもね」と言っているような逡巡、優柔不断なじれったさが特徴。渋い。第2楽章は「いこかもどろか」、第4楽章は賑やかなホイリゲ(居酒屋)でロマ(ジプシー)の楽団を聴いている感じ。演奏の方は力強く雄弁だった。

続くソナタは仄かな憧れと憂鬱が支配的。堀米のヴァイオリンが野太い音を奏で、感傷とは無縁。低音はいぶし銀で無骨。しかし無味乾燥にはならず潤いがある。

大バッハのソナタはヴィブラートを抑制し、ピンと張り詰めた緊張感が全体を貫く。音楽が毅然と立ち上がり、有無を言わせぬ説得力があった。

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2014年3月22日 (土)

驚くべき物語「あなたを抱きしめる日まで」

評価:A+

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センスがない酷い邦題だ。原題は"Philomena"。主人公であるアイルランド人の老婆の名前である。キリスト・カトリック教会の聖女フィロメナがその由来。

公式サイトはこちら。アカデミー賞で作品賞・主演女優賞・脚色賞・作曲賞の4部門にノミネート。

事実は小説より奇なり。信じられないような実話だ。原作に惚れ込んだ俳優のスティーヴ・クーガンがプロデューサー、共同脚本を務め、50年前に生き別れになった息子を探すフィロミナに協力する元BBC記者のジャーナリストを演じた。

何よりジュディ・デンチが素晴らしい。「恋におちたシェイクスピア」でエリザベス女王を演じ、007シリーズではジェームズ・ボンドの上司Mを演じたデンチには知的で威厳があるイメージが付きまとう。しかし今回は信心深いが教養がなく、陳腐な恋愛小説(ハーレクイン・ロマン)が大好きという役どころで意表を突かれた。オックスフォードとケンブリッジがごっちゃになって「オックスブリッジ」と言ったりする。

そんな彼女をジャーナリストは初めバカにしている。彼はイギリス政府の報道官を務めたキャリアもあり、そもそも三面記事なんか書きたくない。そんな二人の珍道中が面白おかしく描かれ、次第にジャーナリストがフィロミナとの友情を深めていく過程が自然に描かれている。

本作のテーマは子どもの幸せを願う母の愛である。しかしそれだけではなくミステリー仕掛けにもなっており、最後には驚愕の事実が判明し社会派の様相も呈してくる。映画は静かに処女崇拝のカトリック教会と、アメリカの共和党政策(レーガン、ブッシュ時代)を批判する。

はっきり言って僕は道徳の教科書みたいな今年のアカデミー作品賞受賞作「それでも夜は明ける」よりも本作の方が遥かに優れていると確信する。しかし欧米での評価が「それでも夜を明ける」より低かったのは、カトリック教徒と共和党支持者を敵に回したからではないだろうか?恐らくそれだけでアカデミー会員の過半数を上回ったであろう。

またアレクサンドル・デスプラの音楽も印象深い。映画冒頭に10代のフィロミナが遊園地で若い男に出会う場面、ストリート(手回し)オルガンが奏でるワルツが全体のテーマ曲になっている。それは彼女にとって忘れられない大切な想い出であり、息子への想いにも繋がっているのだ。

兎に角物語が感動的だし(何度も泣いた)、大女優(Dame)ジュディ・デンチの偉大さにはひれ伏すしかない。上映館数は少ないが、ゆめゆめお見逃しなく。

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ディズニーの第三次黄金期到来!〜アナと雪の女王/ミッキーのミニー救出大作戦(3D字幕版)

ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ(Walt Disney Animation Studios)最初の黄金期は言うまでもなくウォルト・ディズニー在命中に訪れた。そのピークとなったのが1940年に公開された「ファンタジア」である。複数のセル画を異なった距離に配置し、それぞれ異なったスピードで動かし3次元的奥行きを表現するマルチプレーン・カメラは1933年にディズニー・スタジオが開発し、1937年の短編「風車小屋のシンフォニー」(アカデミー賞受賞)で初めて導入された。その実験を経て「ファンタジア」の「くるみ割り人形」では最大8段のプレーンを持つ装置が使用されている。

しかし「メリー・ポピンズ」(1964)を経て1966年にウォルトが亡くなると、スタジオは長期低迷期に入る。そんな時期の1983年に大学を卒業したばかりのある若いアニメーターがディズニーに入社する。CGアニメーションの可能性を感じた彼が企画を推し進めると、社内の猛烈な反発を買い84年に解雇された。それがジョン・ラセターである。失意の彼はジョージ・ルーカス率いるインダストリアル・ライト・アンド・マジック(ILM)に入社、後にアニメーション部門が独立しピクサー・アニメーション・スタジオが生まれ、アップル・コンピューターのスティーブ・ジョブズが会長に就任した。ラセターはそこで監督として「トイ・ストーリー」「カーズ」などの名作を生み出していく。

一方、ディズニーが破竹の快進撃を再開するのは1989年「リトル・マーメイド」からである。これはミュージカル・アニメーションという伝統を取り戻した作品でもあった。作詞家のハワード・アシュマン、作曲家アラン・メンケン、映画部門の責任者ジェフリー・カッツェンバーグの功績が大きい。第二次黄金期はアニメとして初めてアカデミー作品賞にノミネートされた「美女と野獣」(1991)で頂点に達する。「美女と野獣」はディズニー・アニメ史上初めて、一部にCGを用いた作品でもあった。しかしアシュマンがAIDSで亡くなり、カッツェンバーグが最高経営責任者であるマイケル・アイズナーと喧嘩してディズニーを飛び出しドリームワークスSKG(スピルバーグ・カッツェンバーグ・ゲフィンの頭文字)を創設した頃からディズニーは不作が続き、低迷期に逆戻りした。

暗黒の時代はアイズナーの失脚で終止符が打たれた。2006年にディズニーはピクサーを買収。しかし実質的にはジョブズがディズニーの筆頭株主となり、役員に就任。ラセターが両スタジオのチーフ・クリエイティブ・オフサーに就任することでピクサーがディズニーの実権を掌握したのである。

ラセターはスタジオの士気を高めクリエイティブなものに変え、遂に昨年「紙ひこうき」でアカデミー短編アニメーション賞を受賞した。

アナと雪の女王」の併映である「ミッキーのミニー救出大作戦」(Get A Horse !)は製作総指揮を努めたジョン・ラセターの”ミッキーマウスを現代の観客に再び紹介する”というコンセプトをもとに18年ぶりに製作されたミッキーマウス・シリーズの短編である。ミッキーの声には、やはりラセターの発案によりアーカイブから抽出されたウォルト・ディズニーの声が使用されている。ウォルトが声を担当するのは「ミッキーのダンスパーティ」(1947)以来、実に66年ぶりとなる。考えてみたら「美女と野獣」や「ライオンキング」時代のディズニー映画は長編しか上映していなかったわけで、前座として短編を上映するという方針はピクサー・アニメーション・スタジオのやり方を踏襲したもの。これもラセターがディズニーに復帰してからの改革なんだね。

ミッキーのミニー救出大作戦」はとある映画館でアニメが上映されているという設定である。スクリーンの中は白黒で、キャラクターもミッキーのデビュー作「蒸気船ウィリー」(1928)の頃の手描きスタイルで描かれている。しかしそこで乱闘が勃発、キャラクターがスクリーンから飛び出してくる。その外側の世界はカラー3DCGというわけ。つまりこの短編でアニメーションの歴史が一気に俯瞰できるように仕組まれている。はっきり言うが、3Dで観なければこの短編の面白さは半減だろう。またスクリーンの枠とかを使ったギャグは明らかに手塚治虫の実験アニメ「おんぼろフィルム」(第1回広島国際アニメーション映画祭グランプリ)の影響が色濃い。ただ単なるパクリというわけではなく、ちゃんと咀嚼して自分たちのものにしているのだからさすがである。

で「ミッキーのミニー救出大作戦」と同様に「アナと雪の女王」(Frozen)も絶対3Dで観るべきだと僕は力説したい。とにかく立体感が素晴らしい。特に空中で静止した雪の結晶の表現!もう溜息が出るくらい美しい。ほとんどの映画館が2D上映で3D上映は極限られているというのはとても残念だ(しかも日本語吹き替え版の3D上映はない)。

Yuki

評価:A+

公開当時「リトル・マーメイド」や「美女と野獣」が画期的だと言われたのは、ディズニー・アニメが受動的なお姫様ではなく、初めて強い意志を持ち自立したヒロインを描いたからである。また「美女と野獣」のベルが本を読んでいる(向学心がある)というのも新鮮だった。しかしこれは宮崎アニメでは当たり前のことであり、ディズニー・アニメの宮崎化現象でもあった。

アナと雪の女王」で度肝を抜かれたのが、そんな行動力がありどんどん前に向かって進むヒロインがダブルになったことである!遂にディズニー・アニメは宮﨑駿を追い越したのだ。エルサとアナという姉妹の強烈なキャラクターに打ちのめされた。まるでスカーレット・オハラが2人登場したようなものだ。

本作のスピード感、躍動感はパーフェクトである。また”凍った心を溶かす真実の愛”というのが実はミスリーディングであったのには恐れ入った。脚本もよく練られている。

さらにミュージカル映画としても卓越している。冒頭の男声合唱からすっかり魅了されてしまった。アカデミー歌曲賞を受賞した"Let It Go"を単独で聴いた時にはピンとこなかったのだが、物語の文脈の中で改めて聴くと歌詞の意味と音楽の力強さ・高揚感が心に響いた。これは抑制された自分の魂を一気に開放させる歌だったのだ。「雪だるまつくろう」とか「生まれてはじめて」など他の楽曲も質が高く、極めて充実している。

アカデミー賞長編アニメーション部門で我が国の「風立ちぬ」が破れてしまったのは本当に悔しいが、「アナと雪の女王」を観てしまった今、ぐうの音も出ない。降参である。ディズニーの第三次黄金期は紛れもなく本作で頂点を極めた。何度でも不死鳥のように蘇る、これぞ老舗の底力。

ジョン・ラセター、恐るべし。

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2014年3月18日 (火)

演出家・栗山昌良が語る日本におけるオペラ上演史

コルンゴルトのオペラ「死の都」ワークショップで、演出家・栗山昌良(88歳)が日本におけるオペラ上演史をレクチャーしてくれたので、ここに備忘録として書き留めておく。栗山がオペラの演出に関わるようになってから、既に50年以上経過しているという。

歌舞伎は江戸時代、庶民の娯楽であったがヨーロッパにおけるオペラは王様など権力者の庇護で発展してきたので、国の補助金なしに成立しない。採算の取れない芸術である(歌舞伎は今も補助金なしで頑張っている)。

日本に初めてオペラハウスが出来たのが明治44年(1911年)、それが帝国劇場である。

大正に入ると浅草オペラが絶大な人気を誇った。大正5年(1916年)5月の帝劇洋劇部の解散により行き場を失くしたオペラがこちらに流れてきた。

昭和9年(1934年)テノール歌手・藤原義江が藤原歌劇団を設立。歌舞伎座でオペラの上演をした。大倉財閥の大倉喜七郎や三井財閥がパトロンとして援助をした。

1937年に日独伊防共協定が結ばれ、第二次世界大戦に突入するが、ドイツ・オペラとイタリア・オペラは同盟国なので、戦争中も日本で上演され続けた。

しかし終戦後、封建的であるとして暫く上演できない時期が続いた。そこでオペラの上演に貢献したのが労働組合主導の勤労者音楽協議会(労音、1949年創立)や創価学会が1963年に創立した民音であった。

また日本に本格的オペラハウスを造ろうという動きが生まれ、浅利慶太、石原慎太郎、小澤征爾らの尽力により1963年に日生劇場が生まれた。こけら落とし公演はベルリン・ドイツ・オペラによるベートーヴェンの「フィデリオ」(指揮:カール・ベーム)であった。

1997年には新国立劇場が誕生した。ここではオペラ上演時に2〜3千人のスタッフが働いている。残念ながら専属のオーケストラはないが、専属バレエ団が目覚ましい活躍をしている。

びわ湖ホールは1998年に開館。初代芸術監督の若杉弘は日本人キャストによる上演にこだわった。またびわ湖ホール声楽アンサンブルが設立されたことは特筆に値する。

2005年には佐渡裕が芸術監督を務める兵庫県立芸術文化センターが出来て、若いオーケストラ(兵庫芸術文化センター管弦楽団)を育成している。

名古屋にはオペラが上演出来る愛知芸術文化センターが1992年にオープンしたが、ここには芸術監督もいなければ何も育成していない。つまりハコだけ作って理念がない。

以上、オペラ上演の歴史をざっと俯瞰し、現在我が国が抱える問題点が浮き彫りにされ、面白く傾聴した。

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2014年3月15日 (土)

コルンゴルト/オペラ「死の都」舞台版日本初演!(舞台写真付き)

3月9日(日)びわ湖ホールへ。

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コルンゴルトのオペラ「死の都」舞台での日本初演(2日目)を観劇。実はこの作品、コンサート形式では井上道義/京都市交響楽団が1996年9月8日の定期演奏会で初演している(マリエッタ:中丸三千繪 ほか)。それから舞台上演までなんと18年の歳月を要したわけだ。ちなみにハンブルクとケルンの二都市同時初演は1920年なのでそれから既に100年近く経過している。

僕がコルンゴルトの魅力に開眼したのが1982年頃。映画「シー・ホーク」の音楽に打ちのめされた。「死の都」はまずゲッツ・フリードリヒ演出で1983年にベルリン・ドイツ・オペラで上演されたプロダクションをレーザー・ディスクで観た。その後、ストラスブールのライン国立歌劇場公演(インガー・レヴァント演出)と今回、新国立劇場でも上演されるカスパー・ホルテン演出による2010年フィンランド国立歌劇場のプロダクションをDVDで鑑賞した。

ローデンバックの原作「死都ブルージュ」は最後、主人公が亡き妻とそっくりの容姿をした踊り子を絞殺するが、コルンゴルト父子が台本を書いたオペラの方は「夢オチ」に改変、第2幕以降はパウルの見た幻想として処理され、目を覚ました彼が友人と共にブルージュを旅立つ場面で幕を閉じる。しかしストラスブール版の演出は非常にユニークで、歌詞とは裏腹に主人公は狂気の世界に留まったまま友人と踊り子を殺し、さらに自ら手首を切って命を絶つという衝撃的なものとなっている(つまり「この世」から旅立つという読み替えだ)。大変面白い解釈で、僕は「これもありだな」と想った。今回の新国立劇場版とびわ湖版は従来のテキスト通りの終わり方である。

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びわ湖ホールは初めて訪れた。大阪や神戸からのアクセスは不便だが、ラウンジやホワイエからびわ湖が眺められ、環境が素晴らしい。建物もスタイリッシュで、大いに気に入った。

本番前のワークショップにも参加。撮影許可が下りたので、写真も掲載する。

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舞台上から客席の眺め。オーケストラ・ピット、指揮台が見える。一番手前の出っ張りはプロンプター・ボックス(歌詞のきっかけを与える人が配置される)。

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上写真は第2幕(装置:松井るみ)。なかなか美しいものに仕上がっている。

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教会は中に明かりが灯る仕掛けが施されている。

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上写真はバック・ステージの第1幕パウルの家。これは機械操作でスライド式に舞台前方に出てくるようになっている。実際の第2幕冒頭は幕が開くとこの部屋のままで、セットが後退し第2幕の装置が奈落からせり上がってくるのを観客に見せる。

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オーケストラピットの楽譜(第1ヴァイオリン)。Die tote Stadt(死の都)というタイトルが読み取れる。

僕は日本初演に期待すると同時に、キャスト&スタッフ全員が日本人というプロダクションに対して一抹の不安があった。そしてその予感は悪い形で的中した。先ず主役のパウル:山本康寛、マリー/マリエッタ:飯田みち代が弱い。声は美しいが、如何せん声量がない。オケはおろか、合唱にも負けている。山本は元々パウル役に起用された歌手が病気のため代役を務めたが、びわ湖ホール声楽アンサンブルのメンバー。ソリストとしての経験は乏しく、荷が重すぎたのではないだろうか?フランク:黒田博とフリッツ(ピエロ):晴雅彦のふたりが良かった。

舞台装置はシンプルながら洗練されたものだったが、いただけなかったのが栗山昌良(88)の演出。対話する時も歌手が向かい合わず、客席を向いて歌うのは余りにも不自然でどうかと想った。確かにその方が声がよく通るだろうが、考え方が古過ぎる。棒立ち状態で演技らしい演技もない。20世紀オペラとしての近代性が感じられないし、逆に歌舞伎的様式美にも至っていない。中途半端、ナンセンス。演出家の選択は明らかに失敗だった。はっきり言って演出家と歌手は海外から招聘した新国立劇場のプロダクションの方を観たかった。

沼尻竜典/京都市交響楽団は豊穣な音場を創り出し、理知的な演奏だった。ただ沼尻の解釈はあくまで作品と距離をとった客観的解釈であり、コルンゴルトの音楽はもう少し主観的にのめり込んで、むせ返るような官能的響きで観客を酔わせて欲しいなという欲求不満も若干残った。

しかしながら、生で聴くコルンゴルドの音楽は本当に溜息が出るくらい素晴らしかった。この「死の都」はヴェルディの「オテロ」、プッチーニの「トスカ」、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」そしてR.シュトラウスの「バラの騎士」に匹敵する、オペラ史に燦然と輝く傑作中の傑作であると僕は確信している。いろいろ問題がある舞台初演であったが、とにかく「死の都」が日本で上演されたことに乾杯!

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2014年3月13日 (木)

大阪フィル、最後の定期演奏会@ザ・シンフォニーホール

3月13日(木)ザ・シンフォニーホールへ。

尾高忠明/大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会を聴く。4月から大フィルは定期の場をフェスティバルホールに戻すので、今回がここでは最後となる。

  • ベートーヴェン/ピアノ協奏曲 第5番「皇帝」
  • シベリウス/交響曲 第1番

皇帝」のピアノ独奏はブラジル出身で今年70歳になるネルソン・フレイレ。アルゼンチン出身のマルタ・アルゲリッチとの共演でも名を馳せている。

フレイレは力むことなく正確なタッチで、指が鍵盤上を滑らかにコロコロ転がっていく感じ。音の粒が見事に揃っている。特に弱音が美しい。第2楽章はクリスタルの響きがした。オーケストラはシャキッとして端正。僕はこの曲を実演で3度くらい聴いているが、今回初めて満足のいくものに出会えたと想った。華麗なテクニックを求められる作品だけに、ピアニストの力量次第だなぁと痛感した。

尾高はエルガーのスペシャリストとして有名だが、シベリウスも得意としている。そういう意味では故ジョン・バルビローリに近い資質なのかも。交響曲 第1番 第1楽章冒頭、クラリネットのソロはうら寂しい。そして仄暗い主部は力強く動的。金管の咆哮がガツンと来て気持ちいい!今年1月、ホルン首席に高橋将純(たかはしまさずみ)が入団して、このセクションの躍進は目覚ましいものがある。残る補強の懸案はトランペットだけだね。第2楽章は粘りのある弦が何とも魅力的。第3楽章スケルツォは弾力と躍動感があった。

シベリウスの初期交響曲 第1-2番はチャイコフスキーからの影響が顕著で、特に「幻想曲風に」と指示された第1番 第4楽章は笑っちゃうくらいチャイコフスキー/幻想序曲「ロミオとジュリエット」に極似している。それはまぁ若書きのご愛嬌なのだが、だから作曲家・吉松隆やレイフ・セーゲルスタム、小説家・福永武彦など真のシベリウス・ファンが高く評価するのは交響曲第4番以降の作品である。是非、尾高/大フィルでシベリウスの後期交響曲を聴きたいなと想った。

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2014年3月11日 (火)

柳亭市馬・柳家喬太郎 二人会(2/16)

2月16日(日)、トリイホールへ。

  • 桂二乗/癪の合薬
  • 柳亭市馬/道灌
  • 柳家喬太郎/名人長二 仏壇叩き
  • 柳家喬太郎/草食系駅伝(喬太郎 作)
  • 柳亭市馬/猫の災難

癪の合薬(別名:薬缶なめ/茶瓶ねずり)」は林家(染丸)一門がよく演じる噺。米朝一門では初めて聴いた。元々上方のネタらしいのだが、どうしても違和感を感じるのは中盤から登場するお供を連れた武士の存在だ。上方落語は商家を舞台としたものが多く、武士が出てくることは殆ど無い。僅かな例外が「佐々木裁き」「次の御用日」「鹿政談」だが、これらは帯刀して往来を歩く武士ではなく、裁判官(お奉行さん)としての役割を担っている。よって「癪の合薬」のオジリナルは武士ではなく、その件は噺が江戸に移植された際に変えられたのではないか?というのが僕の仮説である。当ブログはプロの落語家さんも読まれているようなので、もしよかったらこの件に関してコメントを頂ければ幸いである。

市馬と喬太郎の一席目は枕なしでいきなり噺の世界へ。「道灌」は東京におけるいわゆる前座噺だが、市馬のようなベテランの手にかかると軽やかで味わい深いものになる。

喬太郎は三遊亭圓朝の「指物名人長二」発端を。職人気質、職人の心意気と、対する凡人の了見の狭さ、吝嗇家の愚かしさを描き、ある意味芸術論になっている。作家・圓朝の偉大さ、深遠さをまざまざと見せつけられた。「私の持ちネタの中でも3本の指に入る笑いのない噺でした」と喬太郎。でも十分聴き応えがあった。

仲入りを挟み後半の喬太郎はマクラで東京に記録的大雪が降り、羽田空港が閉鎖された前日15日に、大分に落語会へ行ったエピソードを披露。

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駄目元で羽田に向かう途中に主催者から携帯電話に連絡があり、どうしても来て貰いたいので大阪まで新幹線で行き、伊丹空港から大分に飛んで欲しいと。会場の収容人数は100人で木戸銭が1000円だったとか。だったら主催者の収益は10万円しかないわけで、その中から喬太郎の出演料と往復の交通費を捻出出来たのだろうか!?と要らぬ心配をした。

新作「草食系駅伝」は山手線の駅名が次々に出てくる噺で、関西の人間には今ひとつイメージが沸かなかった。喬太郎もこれを選んで失敗したとぼそり。天才喬太郎でも、たまにはつまらないものを書くのだなと想った。

市馬の二席目も飄々とした軽いネタ。手堅くまとめた。

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2014年3月10日 (月)

アカデミー作品賞受賞「それでも夜は明ける(12 Years a Slave)」〜邦題の意味するところ

評価:B+

米アカデミー賞で作品賞・助演女優賞(ルピタ・ニョンゴ)・脚色賞の3部門受賞。公式サイトはこちら

ダサい邦題だ。原題は"12 Years a Slave"。実は1987年に「遠い夜明け」(原題:Cry Freedom)というイギリス映画があった。監督は「ガンジー」のリチャード・アッテンボロー。舞台となるのは1970年代アパルトヘイト政権下の南アフリカ共和国。ディンゼル・ワシントンが演じるのは黒人解放活動家で、最後に彼は獄中で暴行を受け殺される。つまり「遠い夜明け」を受けての「それでも夜は明ける」なんだね。バカみたい。

《良心的》で立派な映画だ。今年のアカデミー賞は本作と「ゼロ・グラビティ」の一騎打ちだったわけだが、観ていてやはり「ガンジー」と「E.T.」が競った1983年第55回アカデミー賞のことを想い出した。結果は真面目で愚鈍で凡庸な「ガンジー」が勝ち、NYタイムズ紙は「オスカーはノーベル平和賞と取り違えているみたいだ」と書いた。ただ"12 Years a Slave"は「ガンジー」に比べれば演出や映像的に観るべき長所、美点はあると想った。でもね、100年後に人々の記憶に残る映画が「ガンジー」ではなく「E.T.」であるのと同様、"12 Years a Slave"より「ゼロ・グラビティ」の方が断然格が上、奥が深いとも感じた。

原作はソロモン・ノーサップが1853年に上梓した自伝である。つまり実話だ。彼はヴァイオリン奏者でニューヨークで自由黒人として暮らしていたが、拉致されアメリカ南部で奴隷として働かさせることになる。この物語を映像化するまで160年掛かったということが、アメリカ人が自分たちの恥部・暗黒史を認めるのにどれくらい長い歳月を要したかを象徴している。

ビリー・ホリデイが1939年にレコーディングした代表曲「奇妙な果実」という歌がある。当時アメリカ南部では黒人を縛り首にして木に吊るすリンチ殺人が横行しており、その情景を「奇妙な果実」に見立てているのだ。"12 Years a Slave"にも何度かこの「奇妙な果実」が登場するが、アメリカ映画が正面からこの描写をしたのは初めてではないだろうか?

スティーヴ・マックイーン監督の演出は、例えばソロモンがワシントンから蒸気船で南部に運ばれる場面で、回転する巨大な外輪(水車)を暴力的装置として、圧迫感を持って象徴的に描いたりと、上手いなと想った。

ルピタ・ニョンゴは言うに及ばず、一見善い人そうなベネディクト・カンバーバッチ、情状酌量の余地がない残酷な農園主を演じたマイケル・ファスベンダーなど脇役が充実。プロデューサーのブラッド・ピットが映画の後半ちょこっと出演しているのだが、これがむちゃくちゃ美味しい役どころで「ブラピ、それはないぜ!」と爆笑した。

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問題になったイタリアのポスター↑

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2014年3月 8日 (土)

フランツ・シュミット祭り!/大阪交響楽団 定期

2月28日(金)ザ・シンフォニーホールへ。

寺岡清高/大阪交響楽団の定期演奏会を聴く。スロヴァキアの首都ブラティスラヴァで生まれ、ウィーンで活躍した作曲家フランツ・シュミット(1874-1939)特集。ちなみにウィーンからブラティスラヴァまで列車や高速バスで1時間〜1時間30分程度の距離だそうだ。シュミットはアルノルト・シェーンベルクと同年に生まれたが、12音技法へ向かったシェーンベルクに対し、あくまで調性音楽に留まった。

シュミットはウィーン・フィルでチェロ奏者を務めていたが、音楽監督のマーラーとはウマが合わなかった。ウィーン・フィルのコンサートマスターでマーラーの妹と結婚したアルノルト・ロゼとも仲違いしていたそう。マーラーはシュミットの歌劇「ノートル・ダム」のウィーン宮廷歌劇場における初演を拒否している。

ロゼについては下記記事でも触れた。

なお、フローラン・シュミットというフランスの作曲家もいるので、ややこしい。F. シュミットと略してもどちらのことか分からないからフル・ネームを表記する必要がある。

集客は1階席が8割、2階席が4割の入り。

今回の曲目は

  • 歌劇「ノートル・ダム」より
    1.前奏曲 2.間奏曲 3.謝肉祭の音楽
  • ベートーヴェンの主題による協奏的変奏曲
    (ピアノ独奏:クリストファー・ヒンターフーバー)
  • 交響曲 第3番

歌劇「ノートル・ダム」前奏曲は調性音楽ではあるが、時に不協和音が忍び込み聴き手を不安な気持ちにさせる。カラヤン/ベルリン・フィルもレコーディングした間奏曲は得も言われぬハーモニーの美しさ!天国的で、ロマ(ジプシー)の節回しも紛れ込んでいる。謝肉祭の音楽は華やかだった。

ベートーヴェンの主題による協奏的変奏曲」は第一次世界大戦で右腕を失ったピアニスト、パウル・ウィトゲンシュタインからの依頼で作曲された。ヴィトゲンシュタインの委嘱により他にラヴェル/左手のための協奏曲コルンゴルト/ピアノ協奏曲(左手のための)、フランツ・シュミット/2つのピアノ五重奏曲ブリテン/主題と変奏(左手のピアノと管弦楽)、プロコフィエフ/ピアノ協奏曲 第4番などが作曲されている。主題はヴァイオリン・ソナタ第5番「春」第3楽章から。ヒンターフーバーは両手で弾いた。どうも弟子が改訂した両手バージョンがあるらしい。割と単調で、途中で眠くなったが教会コラール(賛美歌)風でオルガンの響きを連想させる変奏が印象的だった。ちなみにフランツ・シュミットはオルガン作品を多数作曲している。

上記記事にも書いたが、交響曲第3番はコロンビア・レコードの企画により1928年に開催された国際シューベルト作曲コンクールで第2位となった。第1楽章は冒頭から魔術的オーケストレーションで聴衆を陶酔的境地へと誘う。第2主題は寂しく、孤独で、宇宙に漂っている感じ。アルフォンソ・キュアロン監督の映画「ゼロ・グラビティ」を連想した。第2楽章アダージョは不気味で不安の影が忍び寄る。第3楽章はブルックナーを彷彿とさせるスケルツォだが、ブルックナーよりドロドロしていて魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)する印象。そして第4楽章の序奏(レント)はやはりコラール風。ブルックナーのそれが立派な大聖堂だとするとフランツ・シュミットの場合は人影もなく朽ちて崩れかけた廃墟という感じだろうか。

寺岡は本当に楽しそうに指揮しており、フランツ・シュミットが好きで好きで仕方がないというのが伝わってくる。僕は彼のベートーヴェンやブラームスの解釈は凡庸で退屈だと想っているが、シュミットになると突然音楽が生き生きとしてきて、まるで別人みたいだ。寺岡には是非、次の企画としてエーリッヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトを取り上げてほしいと切望する。やはりウィーンで活躍し、忘れられた作曲家だからね。

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2014年3月 7日 (金)

ベルリン・バロック・ゾリステン with エマニュエル・パユ

2月27日(木)いずみホールへ。

エマニュエル・パユのフルート、ベルリン・バロック・ゾリステンで、

  • C.P.E.バッハ/弦楽のための交響曲 第5番
  • パッヘルベル/カノン
  • J.S.バッハ/ブランデンブルク協奏曲 第5番
  • テレマン/フルート協奏曲 ニ長調 TWV51:D2
  • J.S.バッハ/6声のためのリチェルカーレ
     「音楽の捧げもの」より
  • J.S.バッハ/管弦楽組曲 第2番
  • C.P.E.バッハ/フルート協奏曲 ニ短調 Wq.22 H.426
     より第3楽章 (アンコール

ベルリン・バロック・ゾリステンはベルリン・フィルのメンバーを中心に結成された。現代楽器を使用しているが、ピリオド・アプローチ(古楽奏法)の団体。基本的にノン・ヴィブラート。コンサートマスターらはバロック弓だが、モダン・ボウの奏者もいた。

冒頭のC.P.E.(大バッハの次男)からシャープで透明感のある演奏が展開された。音楽が水を得た魚のようにピチピチしている。

パッヘルベルのカノンは魚が飛び跳ねるように生き生きしていて、小気味いい。

ブランデンブルク協奏曲は瑞々しい演奏。パユのフルートは弱音が掠れることもなく、絶妙なコントロール。ヴィブラートはごく控えめで、一音一音はっきりと発音し、歯切れが良い。

テレマンの協奏曲は第1楽章で鳥の鳴き声を模しており、爽やか。第4楽章はパユの奏でるppの美しさが際立っていた。柔らかい、まろやかな音に魅了された。

プログラム最後の管弦楽組曲は決然として気高い。「フルートの貴公子」パユの面目躍如。終曲は即興もあり才気煥発、当意即妙の鮮やかさ。

アンコールのC.P.E.はアレグロ・モルトの超特急。ジェットコースター並みに疾走する快感。まさにこれぞ疾風怒濤であった。

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ダラス・バイヤーズクラブ

評価:B+

映画公式サイトはこちら

アカデミー賞は作品賞・主演男優賞・助演男優賞・脚本賞・メイクアップ賞・編集賞と6部門にノミネートされ、主演&助演男優、メイクアップの3部門で受賞した。

実在のロン・ウッドルーフを主人公にした実話である。アカデミー主演男優賞を受賞したマシュー・マコノヒーは役作りのために22kg減量したとか。

アカデミー助演男優賞を受賞したジャレッド・レトはゲイ役で、妖艶で女そのものという感じだった。またアカデミー賞授賞式には母親同伴で出席しており、「この人本当にゲイなのかな?」と思い調べてみたら、過去にキャメロン・ディアスとかスカーレット・ヨハンソンと付き合っていたそうなので真性ストレートだね。しかも、めっちゃモテモテやん!

AIDSをテーマにした映画はトム・ハンクスがアカデミー賞を受賞した「フィラデルフィア」とかあるが、ぼくは「ダラス・バイヤーズクラブ」の方が断然好きだな。主人公がpositive thinkingの人で、決して諦めることなく生への執念が感じられるところが良かった。

AIDSの抗ウィルス薬AZTについてはミュージカルRENTにも登場するので、名前は知っていた。しかし副作用が強くいろいろ問題があったという事実はこの映画で知った。RENTの時代設定は1989-90年であり、「ダラス・バイヤーズクラブ」はAZTの治験(二重盲検試験、Double blind test)が行われていた1985年から物語が始まる。

主人公はテキサスのカウボーイで、ここは非常に保守的な地域。彼はストレートのHIV感染者であり、ゲイに対し強い偏見を持っている。ゲイを指す差別用語Faggot(オカマ野郎)が頻繁に出て来て、彼がAIDSだと知った仕事仲間から侮辱されたりもする。そんな主人公が病気を契機に真当な人間に変わっていく。そこが面白かった。

人生に遅すぎる時なんてない。何時からだってやり直せるんだ、という強いメッセージがこの映画には込められている。

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2014年3月 4日 (火)

宴の後に/アカデミー賞 2014を分析する

今年のアカデミー賞、僕の予想で的中したのは作品賞・監督賞・主演女優賞・助演女優賞・主演男優賞・助演男優賞・脚本賞・脚色賞・撮影賞・作曲賞・視覚効果賞・美術賞・衣装デザイン賞・録音賞・音響編集賞・外国語映画賞・短編ドキュメンタリー賞・メイクアップ賞の計18部門。まぁ、例年並みだった。昨年同様、分かれた作品賞と監督賞を当てたし、主要部門は抑えたので、まずまずといったところだろうか。最多受賞は「ゼロ・グラビティ」の6±1部門で(結果は7部門)、「アメリカン・ハッスル」は無冠だろうという予言も正鵠を射た。

作品賞と監督賞の行方が異なるというのはそれだけ多くの映画にスポットライトが当たるわけで、良い傾向ではないだろうか?「それでも夜は明ける」は黒人(アフリカ系アメリカ人)が監督した映画として初の作品賞受賞であり、「ゼロ・グラビティ」で監督賞を受賞したアルフォンソ・キュアロンはメキシコ人。ラテン・アメリカ出身者として初の快挙である。昨年2度目の監督賞を獲ったアン・リーは台湾人であり、最早アカデミー賞は白人の祭典ではなくなったことを端的に示している。これこそ真の国際化と言えるだろう。なお、助演女優賞を受賞したルピタ・ニョンゴはメキシコで生まれケニアで育った非アメリカ人だし、最近ではイタリア映画「ライフ・イズ・ビューティフル」でロベルト・ベニーニが主演男優賞を、フランス映画「エディット・ピアフ ~愛の讃歌~」でマリオン・コティヤールが主演女優賞を受賞しており、第84回に作品・監督賞を受賞した「アーティスト」はユダヤ系リトアニア人が監督したフランス映画である。アメリカ人が有利という神話は既に崩壊している。

今年の「それでも夜は明ける」と「ゼロ・グラビティ」の一騎打ちは1983年の第55回アカデミー賞を想起させる。この年は「ガンジー」と「E.T.」が賞を競い合った。一方が実録物の社会派で、もう一方がSFという状況が類似している。そしてスピルバーグの最高傑作「E.T.」は主要部門で敗れ、真面目だけれど凡庸/愚鈍な「ガンジー」が作品賞と監督賞を攫った。その後スピルバーグは「カラー・パープル」「シンドラーのリスト」「プライベート・ライアン」「リンカーン」などアカデミー会員好みの映画を撮るように転向していく。

「ガンジー」の受賞はアカデミー賞の歴史の中でミス・ジャッジとして有名だが(NYタイムズ紙は「オスカーはノーベル平和賞と取り違えているみたいだ」と書いた)、アカデミー会員は対外的に「善き人(良識派)」と思われたいという心理的欲求がある。だから今回も「ゼロ・グラビティ」ではなく奴隷制の罪を描く「それでも夜は明ける」が作品賞に選ばれた。司会のエレン・デジェネレスが授賞式冒頭に「今宵、はっきりするのは『それでも夜は明ける』が作品賞を受賞するか、それともあなたたちがレイシスト(人種差別主義者)であるか、どちらかよ」と言ったのはアカデミー会員の深層心理/恐怖心を突いた名言であった。因みに彼女はゲイであることをカミングアウトしており、やはりマイノリティ(かつての被差別者)に属す。

ただ、映画史に残る傑作「ゼロ・グラビティ」に監督賞を与えたのは「ガンジー」の頃に比べると進歩と言えるだろう。あれから30年。現在アカデミー会員の多くは幼少期に「トワイライト・ゾーン」や「宇宙大作戦(スター・トレック)」「スター・ウォーズ」などを観て育った世代だ。だから宇宙を舞台にした「ゼロ・グラビティ」も受け入れられたという背景が考えられるだろう。

また以前にも書いたが、イケメン男優は顔が邪魔をしてオスカーを受賞出来ないというジンクスがある。ロバート・レッドフォード、ブラッド・ピット、ジョニー・デップ、レオナルド・ディカプリオらがそれに該当する。しかし今回「それでも夜が明ける」でブラピがプロデューサーとして受賞したのはすごく良かったと想う。因みにロバート・レッドフォードは「普通の人々」で監督賞を受賞している。

最後に、気が付いていない人が多いと想うが「アナと雪の女王」は長編アニメーション部門でディズニー本社の初受賞となった。部門が新設された2001年の第1回受賞作品がドリーム・ワークスの「シュレック」で翌年が「千と千尋の神隠し」。その後ピクサー・アニメーション・スタジオの快進撃が続くが、ピクサーはあくまでディズニー傘下の別会社である。昨年の短編アニメ「紙ひこうき」に続き今年は長編部門を制し、長期低迷していたウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオは完全復活を遂げた。これはピクサーからディズニーに乗り込み、チーフ・クリエイティブ・オフィサーになったジョン・ラセター(「アナと雪の女王」製作総指揮)の功績である。

風立ちぬ」は残念な結果に終わったが、現在全米公開の準備が着々と進んでいる高畑勲監督「かぐや姫の物語」がきっと来年リベンジしてくれることだろう。

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2014年3月 1日 (土)

2014年アカデミー賞大予想!

日本時間の3月3日に米アカデミー賞授賞式が開催される。

過去4年間、僕がアカデミー賞を予想したうち的中した数は全24部門中、最低18部門、最高20部門である。予想で重要なことは作品の理解度とか審美眼とかでは全くなく、あくまで情報収集及び分析能力である。時には投票するアカデミー会員の行動心理も分析する。これらの作業が95%。残りの5%は映画を観た上での直感。しかし、オスカー・ナイトまでに日本未公開の作品が毎年少なからずあるので、この直感が行使出来ないのが辛いところ。今年は「それでも夜は明ける」(←ダサい邦題。原題は12 Years A Slave)がそれに該当する。オスカー効果を狙い、公開時期を遅らせている配給会社の意図は理解出来るが、僕たちから予想する楽しみを奪っていることも忘れないで欲しい。

では第86回アカデミー賞の受賞予想である。相当自信がある(鉄板)部門には◎を付けた。過去に僕がレビューを書いた作品はタイトルをクリックすればそちらに飛ぶ。

作品賞:それでも夜は明ける
監督賞:アルフォンソ・キュアロン「ゼロ・グラビティ」◎
主演女優賞:ケイト・ブランシェット「ブルージャスミン」◎
主演男優賞:マシュー・マコノヒー「ダラス・バイヤーズクラブ」◎
助演女優賞:ルピタ・ニョンゴ「それでも夜は明ける」◎
助演男優賞:ジャレッド・レトー「ダラス・バイヤーズクラブ」◎
脚本賞(オリジナル):her/世界でひとつの彼女
脚色賞(原作あり):それでも夜は明ける
視覚効果賞:ゼロ・グラビティ
美術賞:華麗なるギャツビー
衣装デザイン賞:華麗なるギャツビー
撮影賞:エマニュエル・ルベツキ「ゼロ・グラビティ」◎
長編ドキュメンタリー賞:アクト・オブ・キリング
短編ドキュメンタリー:The Lady in Number 6
編集賞:キャプテン・フィリップス
外国語映画賞:追憶のローマ(イタリア)◎
音響編集賞(Sound Editing):ゼロ・グラビティ
録音賞(Sound Mixing):ゼロ・グラビティ
メイクアップ賞:ダラス・バイヤーズクラブ
作曲賞:スティーヴン・プライス「ゼロ・グラビティ
歌曲賞:Ordinary Love 「マンデラ -自由への長い道-」
長編アニメーション賞:風立ちぬ
短編アニメーション賞:ミッキーのミニー救出大作戦◎
短編実写映画賞:The Voorman Problem

監督賞は「ゼロ・グラビティ」のキュアロンで確定。間違いない。しかし全然分からないのが作品賞。「それでも夜は明ける」と「ゼロ・グラビティ」が拮抗しており、予断を許さない。僕としてはどうしても「ゼロ・グラビティ」に獲って欲しいのだが……。昨年は作品賞の「アルゴ」が鉄板で監督賞が混迷していた(僕はアン・リーを的中させた)ので逆パターンだ。

最多受賞は「ゼロ・グラビティ」で6±1部門。同じく最多10部門ノミネートだった「アメリカン・ハッスル」は無冠と予想する。穫れたとしても脚本賞1部門止まりだろう。オスカーはコメディに冷たいのだ。

ゼロ・グラビティ」のアルフォンソ・キュアロン監督と撮影監督のエマニュエル・ルベツキは「リトル・プリンセス」(1995)の頃から大好きだったので、ふたり同時受賞は素直に嬉しい。世間では無視されたこのコンビによる近未来SF「トゥモロー・ワールド」も僕のお気に入り。

今回の予想で大冒険なのが長編アニメーション部門。巷では「アナと雪の女王」が本命視されている。でも僕は宮﨑駿監督にもワン・チャンスあると信じている。いや、日本人なら同胞を応援しないと!

歌曲賞も本命は「アナと雪の女王」と言われているが、僕には些か古めかしく感じられる。アラン・メンケンが作曲した「美女と野獣」「アラジン」の時代から進歩がないんだよね。ここはアカデミー会員の好みから考えてU2の"Ordinary Love"を推す。

作曲賞にノミネートされた楽曲で僕のイチオシはジョン・ウィリアムズの「やさしい本泥棒」だ。美しい。しかし如何せん地味な作品なので受賞は難しい。そこで「新しい」と感じさせる「ゼロ・グラビティ」に賭ける。

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「吹奏楽の神様」屋比久勲登場!~大阪桐蔭高等学校吹奏楽部 定期演奏会 2014@ザ・シンフォニーホール

2月23日(日)ザ・シンフォニーホールへ。

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大阪桐蔭高等学校吹奏楽部の第9回定期演奏会を聴く。過去のレビューは以下。詳しいプロフィールもこちらに書いたのでご参照あれ。

2013年定期の記事で、プログラムに編曲者の記載がないことの不満を書いたら、それを読まれた吹奏楽部総監督の梅田隆司先生が今回きちんと表記してくださったのでありがたかった。この場を借りてお礼申し上げます。

また昨年のコンクールでのハプニングについての経緯は下記。

今回の曲目は、

  • スメタナ(高橋徹 編)/交響詩「我が祖国」より「モルダウ」
  • コダーイ(バイナム 編)/組曲「ハーリ・ヤーノシュ」より
  • エルガー(杉本幸一 編)/エニグマ変奏曲
  • ラフマニノフ/交響的舞曲~ファリャ/火祭の踊り
    (杉本幸一 編)
  • ワーグナー(カイリエ 編)/エルザの大聖堂への行列
  • ロウ(R.ベネット 編)/マイ・フェア・レディ
  • メンケン(星出尚志 編)/塔の上のラプンツェル・メドレー
  • ラヴランド(星出尚志 編)/You Raise Me Up ~3年間の歩み
  • 菅野佑悟(金山徹 編)/大河ドラマ「軍師官兵衛」テーマ
  • 北川悠仁(相澤直人 編)/友 ~旅立ちの時~
  • ロイド=ウェバー(デ・メイ 編)/オペラ座の怪人

モルダウ」は冒頭から柔らかい木管の響きに魅せられた。

ハーリ・ヤーノシュ」はホルン20人、トロンボーン17人、チューバ11人、コントラバス6人と低音が充実。聴き応えあり。ここまでが全員での演奏。

吹奏楽コンクールに出場したメンバーによる自由曲「エニグマ変奏曲」を聴いた率直な感想は「ああ、これは選曲ミスだな」ということ。コンクール20日前に曲を変更したそう。たとえ出演直前に楽器が壊れる突然のハプニングがなくても金賞は無理だったろう。演奏は切れがあって精緻。しかし如何せん30分近く演奏時間を要する原曲をコンクール用に8分弱にカットするのは無理な話で、各変奏曲は細切れ、継ぎ接ぎは不自然。音楽として全く楽しめない。

僕はエルガーの音楽が大好きだ。特にチェロ協奏曲と、弦楽合奏+弦楽四重奏のための「序奏とアレグロ」を偏愛している。エニグマ変奏曲も良く聴くし、大植英次/大阪フィルで実演に接したこともある。しかし今回の吹奏楽版の居心地の悪さはどうしたことだろう?

過去に大阪桐蔭が吹奏楽コンクール全国大会で金賞を勝ち取った3回は自由曲がオルフ/カルミナ・ブラーナ、ヴェルディ/レクイエム、ワーグナー/楽劇「ワルキューレ」。全て原曲に歌が入る。そして歌のないクラシック音楽ーレスピーギ/ローマの祭り、ドビュッシー/海、エルガー/エニグマ変奏曲を選んだ年は全て銀賞止まりだった。因果関係は明らかであろう。歌こそが大阪桐蔭の生命線、魅力の根源なのだ。僕が桐蔭の定期演奏会で印象に残ったのも「ローエングリン」とか「レ・ミゼラブル」、「エリザベート」、「銀河鉄道999」など歌の曲ばかり。因みに梅田先生は音大で声楽科を専攻されている。

また吹奏楽コンクールデータベースを調べてみると、過去に「エニグマ変奏曲」で全国大会まで勝ち進んだのは大阪桐蔭を含めて3団体のみ。そして金賞は0である。つまりそもそも金賞が取れない曲なのだ。こういう例は他にもあって、天下の丸谷明夫/淀川工科高等学校吹奏楽部もイベール/交響組曲「寄港地」で2度全国大会にチャレンジして、どちらも銀賞に終わっている。2009年に全日本吹奏楽コンクールの審査員を務めた作曲家の西村朗氏は次のように総評し、物議を醸した。「どの学校も90~95点の仕上がり。選曲と細部の表現の繊細さが最後の勝負だった」つまり選曲で審査が左右されると認めているのである

シンフォニック・ダンス~火祭の踊り」ではなんとマーチングを披露!これには驚いた。というのは朝日放送が運営していた時代、ザ・シンフォニーホールは舞台上で行進することが禁止されており、だから淀工グリーンコンサートもこちらの会場に移ってからはマーチングが封印されたのだ。2014年から経営母体が変わったので、ルールも緩和されたのだろうか?一列に並んだラインが綺麗で格好よかった!

休憩を挟み第2部冒頭で”吹奏楽の神様”と呼ばれる鹿児島情報高校の屋比久勲先生が指揮台に立った。曲は屋比久先生の十八番、「エルザの大聖堂への行列」。これは先生が部活の最後に毎日合奏している曲である。鹿児島情報高の生徒も5人来阪し、演奏に参加した。今回は合唱付きで、屋比久先生も初めての経験だそう。丁寧で、息の長い歌。胸に染み入る透明感。甚く感銘を受けた。75歳。梅田先生がコッソリ鹿児島情報高の生徒に尋ねても、屋比久先生は一度も怒ったことがないそう。「怒らんでも子供は育つ」が持論。「”吹奏楽の神様”と呼ばれていますが、仏様みたいな先生です」と梅田談。

マイ・フェア・レディ」の編曲はロバート・ラッセル・ベネット。ジャズの要素を取り入れた作風の人で、オリジナル作品としては「バンドのためのシンフォニック・ソング」「古いアメリカ舞曲による組曲」がある。運がよけりゃ~君住む街角~ああ、なんて幸せ!~まずは教会へ~忘れられない君の顔~踊り明かそう のメドレー。「君住む街角」はイングリッシュ・ホルンのソロが○。また"Wouldn't It Be Loverly ?"は口笛が美しかった。"I've Grown Accustomed to Her Face"はミュート・トランペットによる伴奏が印象的。そして「踊り明かそう」は流麗で沸き立つ高揚感があった。

梅田先生は部室で生徒に映画「マイ・フェア・レディ」を観せたそうだが、感想は「音楽はええけど、話はよう分からん」「ヒギンズ教授が偉そうでムカつく」と不評だったそう。それはそうだろう。ぼくもこの映画を初めて観たのが高校生ぐらいで、その時はちっとも面白くなかった。「マイ・フェア・レディ」の原作はバーナード・ショウの戯曲「ピグマリオン」。これはさらにギリシャ神話「ピュグマリオン」に遡る。現実の女性に失望していたピュグマリオンは理想の女性・ガラテアを彫刻し、彼女に惚れ込んで人間になることを願った。彫刻から離れず衰弱していくピュグマリオンを哀れに想ったアフロディーテはその願いを叶え、彫像に生命を与える……つまりヒギンズ教授にとってイライザは自分が創造した芸術作品であり、それに恋をするという寓意なのだが(ピグマリオン・コンプレックス/ピュグマリオニズムとう心理学用語もある)、高校生に分かる筈もない。やっぱり大人のミュージカルだね。

ディズニー・アニメ「塔の上のラプンツェル・メドレー」は自由への扉誰にでも夢はある王国でダンス輝く未来自由への扉 という構成。この曲はハープの女の子の推薦で決まったそう。来年は「アナと雪の女王」を期待していますよ、梅田先生!

大合唱で歌われた「You Raise Me Up」は何だか「アメイジング・グレース」(イギリスの賛美歌)に曲調が似ているなと想った。調べてみるとアイルランド民謡「ダニー・ボーイ(ロンドンデリーの歌)」の旋律に基づいて作曲されたらしい。因みに今年の卒業生は3年間で約200回の演奏会(病院・幼稚園訪問を含む)をこなしたそう。

昨年の大河ドラマ「八重の桜」はピンとこなかった梅田先生。今年の「軍師官兵衛」は聴いた瞬間に「ええなぁ、格好ええ」と思われたそう。アマチュアの団体では1番最初の演奏だとか。

友〜旅立ちの時〜」はゆずの楽曲。2013年NHK合唱コンクールの課題曲だとか。難しいみたいだけれど桐蔭の生徒たちは見事に歌いこなしていた。ここで背景のスクリーンに卒業生ひとりひとりの動画と名前が映し出されるのだが(梅田先生編集)、今年はワイドスクリーンとなり、スプリット(分割)画面で左右2人同時進行(画面下方は歌詞付き)に進化していたので驚いた!まるでスティーブ・マックィーン、フェイ・ダナウェイ主演の映画「華麗なる賭けThe Thomas Crown Affair」みたいだ。すごい。

オペラ座の怪人」は音楽の天使夜の音楽手紙私を想ってAll I Ask of Youオペラ座の怪人墓場にて のメドレー。編曲は交響曲第1番「指輪物語」第3番「プラネット・アース」等で有名なヨハン・デ・メイだから洒落ている。このミュージカルの吹奏楽版は今までに沢山の種類を聴いたが、このデ・メイか建部知弘編曲のものが特に優れていると想う。

アンコールは再び屋比久先生が登場し、高橋宏樹/行進曲「希望の光」を伸びやかに歌い上げた。

続いて梅田先生の指揮で復興支援ソング「花は咲く」と定番「銀河鉄道999(樽屋雅徳 編)」「星に願いを」で〆。やっぱり桐蔭には「銀河鉄道999」が欠かせないね!サンタコンサートでは一番盛り上がるこれが聴けず、悲しかった。

2015年は10周年記念ということで2月14・15日にフェスティバルホールで開催されるとのこと。また絶対行くからね!

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