« 2014年1月 | トップページ | 2014年3月 »

2014年2月

2014年2月25日 (火)

新たなる旅立ち/大阪市音楽団 定期演奏会

老婆心ながら一言。昔「宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち」というアニメ作品があり(1979年テレビ放送/81年劇場公開)、本記事のタイトルはそれに由来する。

2月19日(水)フェスティバルホールへ。大阪市直営だった大阪市音楽団(プロの吹奏楽団)は本年4月より一般社団法人として再出発することになった。今回は市音に縁の深い4人の指揮者が登場した。

2,700席のホールが満席。1,704席のザ・シンフォニーホールでの定期は満席になることがなかったのに!

  • エルガー(リード 編)/行進曲「威風堂々」第1番
     指揮:秋山和慶
  • スパーク/鐘の歌
     指揮:吉田行地
  • 宮川泰、宮川彬良/「宇宙戦艦ヤマト 2199」からの音楽
     指揮:宮川彬良
  • プッチーニ(飯島俊成 編)/歌劇「トスカ」第3幕より
     指揮:牧村邦彦
  • ラヴェル(佐藤正人 編)/バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第2組曲
     指揮:秋山和慶

今までの市音は定期演奏会で沢山の世界初演/日本初演を成し遂げてきた。しかし今回新曲と言えるのはスパークだけ。5曲中3曲はクラシック音楽の有名曲をアレンジしたもの。守りの姿勢が目立つが、今後は生き残るために集客を考えなければならないという苦渋が滲み出していた。

冒頭で団長が登場し挨拶。市の直営から離れる準備をこの1年半、団員は必死でしてきた。今年は創設から90周年だが、100周年までなんとしても生き残りたい。どうかご支援をと涙ながらに訴えた。なんだかお通夜みたいな、しんみりした空気になった。

コンサートマスターだったサクソフォンの長瀬敏和がいつの間にか退団し今回は客演として参加、コンマスがオーボエの福田淳になっていたのには驚いた。

威風堂々」はカチッと引き締まったリズムで明快な解釈。誇り高く英国の栄光を讃える。

フリードリヒ・シラーの詩にもとづく「鐘の歌」は3つの部分に別れる。
1)ライフ・セレブレーション(人生を祝して) は爽やかで、明朗な知性を感じさせる。
2)サウンド・ザ・アラーム(警報を鳴らせ) はメロディアスに歌い、まるでヴェルディのオペラのよう。
3)ジャーニーズエンド(旅の終わり)は葬送行進曲。僕は映画「ゴッドファーザー」のシチリア島での葬列の風景を想い出した。

昨年、テレビ放送された「宇宙戦艦ヤマト2199」全26話を観て、宮川泰という作曲家は天才だったのだなと再認識した。その散逸したスコアを耳コピーで息子の彬良が完璧に現代に蘇らせ、さらに新曲を巧みに挿入した技も卓越していた。完全オリジナル・エピソードである第9話「時計仕掛けの虜囚」や第14話「魔女はささやく」の音楽も全く違和感なく溶け込んでいた。

関連記事:

Yama1

本コンサートではたっぷり11曲が演奏され、聴いていて胸が熱くなった。吹奏楽アレンジもお見事の一言である。

「宇宙戦艦ヤマト 2199」の構成はオーバーチュア(ヤマト音楽団大式典2012のために特別に作曲されたもの)~無限に広がる大宇宙(交響組曲から第1曲)~宇宙戦艦ヤマト(交響組曲から第2曲)~地球を飛び立つヤマトコスモタイガー永遠に讃えよ我が光(ガミラス国歌、新曲)~艦隊集結出撃(交響組曲から第3曲)~ヤマト渦中へ(ブンチャカヤマト、新曲)~イスカンダル大いなる愛(交響組曲から第4曲)

コスモタイガー」は1970年代ディスコ・サウンド調。なんだか「マツケンサンバ」を彷彿とさせる所も。「イスカンダル」で彬良はピアノの弾き振りだった。

Yama2

どうやら関東方面からもヤマト・ファンが集結していたようで、休憩時間中に以下のような会話が耳に入ってきた。

「いや〜良かった。感無量だったのは『艦隊集結』でした」
「やっぱり肩入れしてしまうのはガミラス派だよね」
「『ガミラス国歌』では、思わず一緒に歌いそうになりませんでした?」
「なったなった!」

これには爆笑した。愛だね、愛っ。

さて後半。僕はプッチーニの歌劇「トスカ」が好きだし、生の舞台を観たこともある。しかし第3幕を歌抜きで、そのまま吹奏楽で演奏することに何の意味があるの?と疑問に感じた。その激しい違和感は最後まで払拭出来なかった。コンクールで演奏するほど難易度が高くないし、アレンジする目的が分からない。いや、仮に弦楽器も入ったオーケストラだったとしても変でしょう?ここではホルンのミスが目立った。一連の騒動で、市音のレベルが低下しているのではないかという懸念が残った。

ダフニスとクロエ」は明晰で曖昧さが皆無、精巧緻密な演奏だった。

アンコールは宮川彬良の自作自演で「大ラッパ供養」。冒頭は「ツァラトゥストラはかく語りき」風で、途中からパンチが効いたノリノリの音楽に。彬良得意の腰振りダンスも飛び出して、最高潮に盛り上がり幕を閉じた。

なお来年度から宮川彬良が大阪市音楽団の音楽監督に就任することが決まっている。

| | | コメント (4) | トラックバック (0)

イタリア人の指揮するドイツ・オペラ~デスピノーサ/大フィル 定期

2月21日(金)ザ・シンフォニーホールへ。

1978年イタリアのパレルモで生まれた指揮者、ガエタノ・デスピノーサ/大阪フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会を聴く。

  • ワーグナー/楽劇「トリスタンとイゾルデ」
     ~前奏曲と愛の死
  • マーラー/交響曲 第4番

ソプラノ独唱はワルシャワ@ポーランド生まれのマグダレーナ・アンナ・ホフマン

カルロ・マリア・ジュリーニ、クラウディオ・アバド、リッカルド・ムーティ、リッカルド・シャイーといったイタリア出身の指揮者に共通する特徴はロッシーニやヴェルディといったイタリア・オペラは得意だけれど、ワーグナーは滅多に振らない/あるいは苦手という点である。だからデスピノーサが大フィル初登場でワーグナーを取り上げるというのは異例と言える。

実は彼、ヴァイオリニストとしてキャリアを出発しており、2003-2008年の間ドレスデン国立歌劇場@ドイツでコンサートマスターを務めていた。つまり演奏家として頻繁にワーグナーを演奏していたわけだ。ここがユニークなところである。

「トリスタンとイゾルデ」前奏曲は振幅が大きく、波のうねりを感じさせる。オーケストラはたっぷりと歌う。マグダレーナ・アンナ・ホフマンは静かに歌い出し、やがて豊かな声量で聴衆を魅了。ワーグナーが紡ぎ出す、めくるめく官能の世界に陶酔した。

マーラーはゴムボールがはね飛ぶように弾力ある演奏。デスピノーサは積極的にテンポを動かし、自己主張する。英語でいえばanimate,イタリア語ならanimare=「生命を吹き込む、活気を与える」という言葉がピッタリの指揮者だ。

第4楽章でソプラノはオーケストラ後方、ティンパニの横に立った。弱音の美しさが際立つ。また歌のない箇所ではオケが激しく鳴り響いた。

聴き応えのあるワーグナーとマーラーだった。この新しい才能を見つけた歓びは、初めてポーランドのクシシュトフ・ウルバンスキチェコのヤクブ・フルシャを聴いた時の驚きに匹敵するものがあった。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年2月22日 (土)

蘭寿とむ主演 宝塚花組「ラスト・タイクーン」/作・演出の生田大和に物申す!

関連記事

小説家スコット・フィッツジェラルドをこよなく愛する宝塚の演出家は言うまでもなく小池修一郎である。小池は1991年に「華麗なるギャツビー」を世界で初めてミュージカル化し宝塚雪組で上演、菊田一夫演劇賞を受賞した。また小池が台本を書いた1997年花組公演「失われた楽園-ハリウッド・バビロン-」(真矢みき・千ほさち主演)はフィッツジェラルドの「ラスト・タイクーン」にインスパイアされた傑作である(ただ楽曲はイマイチなので再演時には一新した方がいいと想う)。

ハリウッドを舞台にした「ラスト・タイクーン」はフィッツジェラルド未完の遺作で、1976年にエリア・カザン監督、ロバート・デ・ニーロ、ジャック・ニコルソン、ジャンヌ・モロー、ロバート・ミッチャムらが出演し映画化されている。脚色はイギリスの劇作家でノーベル文学賞を受賞したハロルド・ピンター。

フィッツジェラルドは妻ゼルダと連日連夜繰り広げた放蕩の挙句、嵩んだ借金返済のためハリウッドの脚本の仕事を請け負った。映画「風と共に去りぬ」に携わったライター17人の中にも彼の名前がある。その経験が「ラスト・タイクーン」の礎となっている。

Last1

今回宝塚花組が上演した版の作・演出は生田大和(いくたひろかず)。本作が大劇場デビューとなる。

とにかく台本が酷い。壊滅的である。映画スタジオに労働組合を作りストライキするとか、共産党指導者がやってくるとか、こんな辛気臭い話はフィッツジェラルドの世界ではない。原作への愛が感じられないし、また宝塚歌劇にも全然合ってない。新劇や「レ・ミゼラブル」みたいなシリアスな芝居がしたいなら宝塚を辞し、他所でおやりなさい(おぎーこと、荻田浩一のように)。

そもそもこの労働組合の目的・目指すところがサッパリ分からない。結局、蘭寿とむ演じる大物プロデューサー、モンロー・スターとともに全員スタジオから解雇されるのだが、それでも彼らは映画の製作を続けようとする。その設定も無茶苦茶だ。だって不可能じゃない?考えてもご覧よ、既に撮影したフィルムはスタジオのもので彼らが勝手に持ち出すことは出来ないし、映画化権だってスタジオが所有している。袋小路、Dead Endだ。

で資金調達に奔走する主人公は飛行機事故であっけなく死んでしまう。エッ、解雇されたスタッフのその後はどうなるわけ??放置プレーかよ!また蘭乃はな演じるヒロインは酒に溺れ、暴力をふるうDV男との腐れ縁から抜け出すことが出来ない。主人公が死んだ後の彼女の人生は不幸になるしか道がなさそうだ。つまりそれまで広げてきた風呂敷を何も回収することなく、登場人物たちを突き放したまま突如物語は終了を宣言するのである。呆気にとられた。これでは身勝手・無責任と言わざるを得ない。生田はもう一度台本をいろはから勉強し直したほうがいい。

それから主人公と対立する映画プロデューサーを演じた明日海りお(蘭寿退団後、花組トップに就任予定)の扱いが酷すぎる。まず髭を生やしたスーツ姿が全然似合っていない。彼女の持ち味が生かされていないのだ。この男、することなすことがセコくて、ずる賢い嫌な奴にしか見えない。魅力が皆無。つまりあて書きが出来ていない。座付作家として失格である。

「記録は消せても人々の記憶は消せない」とか、使い古された台詞も陳腐なんだよ。「翼ある人びと ーブラームスとクララ・シューマンー」の上田久美子とは雲泥の差だ。

Last2

僕は以前から、宝塚歌劇の問題点の一つは演出家に台本を書かせることだと想っている。優れた演出家が優れた劇作家とは限らない。演出部と台本部を独立させたらどうだろうか?物語冒頭の蘭寿とむの格好いい登場のさせ方とか、スムーズな場面転換、照明などの演出には光るものを感じたのだが……。惜しい。今後一切、生田大和が係る舞台には足を運ばないと固く心に誓った。

さて、後半のメガステージ「TAKARAZUKA ∞ 夢眩」の作・演出は齋藤吉正。僕は彼の大劇場デビュー作月組「BLUE・MOON・BLUE」から観ているが、演出家として優れたセンスを持っているなと常々想っていた。今回も、バラエティ・ショーみたいで何だかコンセプトは意味不明だが、個々の場面は十分愉しめた。ロケット(ライン・ダンス)の見せ方も変化球で凝っていて、並外れた才能を感じさせる。あと明日海りおのマタドール(闘牛士)の格好が無茶苦茶はまっていて、惚れぼれと見た。ピエロが登場するおもちゃ箱的場面はファンタスティックだし、大階段で黒燕尾の男役たちをV字に並ばせるのもイカしている。また娘役の透ける衣装に背後から光を当てる照明が美しかった。全般に前半の芝居の大量失点を挽回し、満足出来る作品に仕上がっていた。

これが退団公演となる蘭寿とむは朗々とした歌唱力、ダンス力、そして演技力と三拍子揃った男役だった。彼女は何でも出来た。宝塚音楽学校時代、入学から卒業まで一度も首席の座を他に渡さなかったというエピソードも頷ける。今まで素晴らしい舞台を本当にありがとう。そして卒業後の活躍も期待しています。

最後に、蘭乃はなは美人なんだけれど、如何せん歌唱がお粗末。聴けたもんじゃない。明日海りおがトップお披露目となる次回花組公演「エリザベート」で彼女はタイトルロールを演じるわけだが、「本当に大丈夫か?」と不安が募る一方である。

| | | コメント (2) | トラックバック (0)

ホルショフスキ・トリオ@兵庫芸文

2月16日(日)兵庫県立芸術文化センターへ。

Ho

ニューヨークを拠点に活躍するホルショフスキ・トリオは2011年に結成。名前の由来となったミチエスラフ・ホルショフスキはかの有名なカザルスのホワイトハウス・コンサートでも演奏しているピアニストである(メンデルスゾーン/ピアノ三重奏曲 第1番など)。トリオのメンバーはホルショフスキ、最後の弟子・相沢吏江子(ピアノ)と、ジェシー・ミルス(ヴァイオリン)、ラーマン・ラマクリシュナン(チェロ)。ラーマンの父はなんとノーベル化学賞受賞者で、彼自身ハーバード大学で物理を専攻し優秀賞を得て卒業。その後音楽に本格的に専念したという変わり種。

  • ベートーヴェン/ピアノ三重奏曲 第5番「幽霊」
  • サン=サーンス/ピアノ三重奏曲 第1番
  • ドヴォルザーク/ピアノ三重奏曲 第3番
  • シューベルト/ピアノ三重奏曲 第2番 第3楽章 (アンコール)

冒頭のベートーヴェンから丁々発止のアンサンブルの妙に惹きつけられた。押しては引く波のような音楽に身を委ねる心地よさ。

サン=サーンスは溌剌とした瑞々しい演奏。相沢のピアノの上手さに舌を巻く。速いパッセージも軽やかに弾きこなす。第1楽章はしなやかに歌い、第3楽章は春の訪れを感じさせる。

僕はサン=サーンスやフォーレがその実力に比べ、過小評価されていると想っている。ドビュッシーやラヴェルらの「印象派」と違い、キャッチ・フレーズがないことがその一因かも知れない。時代的にはロマン派だけれど、フランス人だしそんな感じじゃないからね。言い表しにくい。ほら、「日本のベートーヴェン」の呼び名で一世風靡し、CDがバカ売れしてゴールドディスク認定まで受けた「自称」作曲家もいたでしょ?キャッチ・フレーズってセールスの上で重要だ。ハイドンの交響曲も売れているのはニックネームの付いたものだけ。閑話休題。クラシック・ファンのうちサン=サーンスの曲で聴いたことあるのは「動物の謝肉祭」と交響曲第3番「オルガン付き」だけの人が多いのではないだろうか?あとはせいぜいピアノ協奏曲くらい。しかし今回演奏されたピアノ・トリオとか、チェロ・ソナタなど彼には珠玉の室内楽がある。是非もっと多くに人々に知ってもらいたいものだ。

プログラム後半はドヴォルザーク。彼の室内楽における最高傑作は民族色豊かなピアノ三重奏曲 第4番「ドゥムキー」だと確信しているが、3番も名曲である。ホルショフスキ・トリオは雄弁な演奏だった。歌心に満ちており、一方で背筋を伸ばして毅然とした一面も見せる。

室内楽の愉しさを堪能した。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年2月18日 (火)

バッハ・オルガン作品全曲演奏会 Vol.3〈喜びに満ちて、晴れやかに〉

2月14日(金)いずみホールへ。

デンマークの女性オルガニスト、ビーネ・ブリンドルフの演奏で、オール・J.S.バッハ・プログラム。

  • プレリュードとフーガ ト長調 BWV541
  • パルティータ《喜び迎えん、慈しみ深きイエスよ》 BWV768
  • 《主イエス・キリストよ、われらを顧みて》 BWV709
  • 《主イエス・キリストよ、われらを顧みて》 BWV726
  • 《いまぞ喜べ、汝らキリストの徒よ》 BWV734
  • 《かくも喜びに満ちるこの日》 BWV719
  • プレリュードとフーガ ト長調 BWV550
  • 《バビロンの流れのほとりに》 BWV653b
  • トリオ・ソナタ 第5番 ハ短調 BWV529
  • 幻想曲(ピエス・ドルグ) ト長調 BWV572

2曲目のパルティータ以外全て長調で、しかもト長調が多いのが特徴。

1曲目のプレリュードとフーガ BWV541から晴れやかな気分に包まれ、陽光が燦々と降り注ぐ情景が目に浮かんだ。ブリンドルフのタッチは軽やかで、でも軽すぎない絶妙な塩梅。

ハ短調のパルティータは素朴な音。荘厳な世界が広がる。

休憩を挟んでのプレリュードとフーガ BWV550はバッハ最初期の作品らしいが、拍子抜けするほど素朴。

《バビロンの流れのほとりに》には朴訥とした信仰が感じられ、トリオ・ソナタにはシンプルな力強さがあった。

プログラム最後の幻想曲は華やかで、頭上から強烈な光が差し込むような劇的効果があった。

バッハ・オルガン作品の醍醐味は絶対にライヴでなければ分からない。是非多くの人々にホールで、生の音のシャワーを体感してもらいたいものだ。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

いずみホール音楽講座/作曲家・西村朗が案内するクラシック音楽の愉しみ方〈管楽器~その魅力の領域〉

2月13日(木)いずみホールへ。西村朗によるレクチャーを聴講。

演奏は安藤史子(フルート)、大島弥洲夫(オーボエ)、野々口義典(ホルン)、横田健徳(トランペット)、碇山典子(ピアノ)で、

  • J.S.バッハ/無伴奏フルート・パルティータ BWV1013
  • ドビュッシー/シランクス
  • プーランク/オーボエとピアノのためのソナタ
  • 西村朗/独奏オーボエのための迦楼羅(かるら)より
  • ベートーヴェン/ホルン・ソナタ op.17
  • 西村朗/トランペットとピアノのための〈ヘイロウス〉

オーケストラの総譜(スコア)はまず一番上に木管楽器がきて、フルート→オーボエ→クラリネット→ファゴットと順番が決まっている。次が金管楽器でホルン→トランペット→トロンボーン→チューバの順。一番下が弦楽器群。これを替えてしまうと指揮者が混乱するそう。喩えるなら弦楽器群は母なるもの/海のような存在で、その上を各々個性的な管楽器=生物が自由に飛び交っているイメージだと。成る程!腑に落ちた(「腑に落ちる」は正しいか?→NHKサイトへ)。

また西洋の木管楽器は時代とともに進化してきた。現在のフルートは16の穴があり、オーボエは23個ある。それを複雑なキーシステムを駆使して10本の指で制御している。しかし邦楽器は全く逆で、尺八は中国伝来のものより穴の数は少なくなり、龍笛も日本で簡素化され篠笛となり、後退していると。へ~根本的な文化・価値観の違いだね。興味深い。

ドビュッシー/シランクスについては「低音の魅力に注目して欲しい」と。安藤の使用するフルートはプラチナ製。他の材質より重厚な音がするそう。

プーランクは軽妙洒脱、洗練された美しさがあった。

オーボエは鼻で吸気しながら吹く「循環奏法」が出来るそうで、ブレスが必要ないと。西村の曲はまるで汽笛のような響きがする「重音奏法」やダブル・トリルなど特殊が技法を駆使した面白い楽曲だった。オーボエのリードはケーン(葦・あし)から作られる。フランス産が多いという。3回コンサートに出演すると使い物にならなくなるので、オーボエ奏者は絶え間なくリードを削っていなければならない。

ホルン・ソナタはなんとベートーヴェンが生涯で書いた唯一の管楽器のためのソナタなのだそうだ。なんだか意外。ホルンはまっすぐ伸ばすと全長4mとか。

トランペットの場合は全長1m70cm。〈ヘイロウス〉とは光輪のことで、トルコのイスタンブールではかつてビザンチン文化/ギリシャ正教が栄えたが、そこにイスラム教が侵入し宗教画が傷付けられた。それを見て痛ましく想った西村が作曲したと。トランペットが朗々とした響きで神聖な雰囲気を醸し出すが、そこにピアノの不協和音がぶつかり不穏な空気が漂ってくるという構想。

勉強になったし、バラエティに富む楽曲も良かった。これで指定席がワンコイン=500円なのだからお値打ちだ。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年2月16日 (日)

スノーピアサー

評価:A

Snowpiercer_poster_1_3

アメリカ合衆国、韓国、フランスの合作。アメリカではワインスタイン・カンパニーが配給するが、現時点では未公開。ポン・ジュノ監督初の英語作品である。公式サイトはこちら

地球温暖化を食い止めるべく空中散布された化学薬品のため世界が雪と氷で覆い尽くされ、わずかに生き残った人類は永久機関によって動き続ける列車「スノーピアーサー」の中で暮らしているという設定。

殆どの人類が滅亡したという設定は冷戦時代に流行った、核戦争後の地球を彷彿とさせる。その代表例が「猿の惑星」(1968)であろう。あと「渚にて」(1959)とか「リチャード・レスターの不思議な世界」(1969)とか。

2004年5月に映画「殺人の追憶」を観た時、僕はポン・ジュノのことを”韓国の黒澤明”と評した(記事はこちら)。日本で最も早かったと自負している。そしてこの呼称は今や完全に定着した(こちら)。

これってポン・ジュノ版「暴走機関車」だよね?というのが「スノーピアサー」を観ての率直な感想。「暴走機関車」は1966年に黒澤明がハリウッドで撮る予定だったカラー/70mm大作で黒澤明・菊島隆三・小国英雄がシナリオを書いた。しかしアメリカ側プロデューサーとの意見の食い違いで実現しなかった。

列車「スノーピアサー」というのはそれ自体が人間社会のメタファーとなっている。厳然とした階級制があり、反乱が繰り返される所も。奥が深い。

ティルダ・スウィントン(「フィクサー」でアカデミー助演女優賞受賞)の怪演が愉しい。韓国を代表する名優ソン・ガンホが翻訳機を使用し、決して英語を喋ろうとしないのも傑作だ。


(以下ネタバレあり)


あと映画終盤でエド・ハリスが登場し、彼が影の支配者だったと判明するのは、まんま「トルーマン・ショー」(1998)だよなと想った。いやもうそっくり!……というわけで過去の様々な映画へのオマージュがふんだんに盛り込まれている。

最後は列車が雪崩で脱線し、新世紀のアダムとイヴだけが生き残る。宮﨑駿「崖の上のポニョ」を彷彿とさせる(僕のレビューはこちら)。しかしそのふたりが白人ではなく、有色人種というのが痛快だ。さすがポン・ジュノ、やるね!

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年2月15日 (土)

ウルフ・オブ・ウォールストリート

評価:A-

Thewolfofwallstreet

アカデミー賞では作品賞・監督賞・主演男優賞(レオナルド・ディカプリオ)・助演男優賞(ジョナ・ヒル)・脚色賞の5部門にノミネート。映画公式サイトはこちら

実在の株式ブローカーの半生を描く。レオ×マーティン・スコセッシ監督5回目のタッグだが、今回の出来が一番いい。主人公はコールガールとセックスし放題、ドラッグもやりたい放題。破天荒でモラルも全くない。欲望のまま生きるって感じ。どうしようもない俗物なのだが、そこが人間臭くて魅力的なんだ。上映時間2時間59分と長尺だが、映画は一瞬たりとも弛緩することなく始終ハイテンション/躁状態で突っ走る。これはある意味アメリカという国家の縮図でもある。例えばヨーロッパやアジアの国々で同じ物語は成立しないだろう。

最初に主人公が入社した投資銀行社長を演じたマシュー・マコノヒーが最高だ。ブローカー指南の内容が可笑しいし、本人も楽しそうに演じている。あとレオの父親役をロブ・ライナー監督(「恋人たちの予感」「ミザリー」)が演じており、久しぶりに彼の演技を観た。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年2月14日 (金)

アメリカン・ハッスル

評価:B

Americanhustleposter

アカデミー賞では作品・監督・主演男優(クリスチャン・ベール)・主演女優(エイミー・アダムス)・助演男優(ブラッドリー・クーパー)・助演女優(ジェニファー・ローレンス)・脚本・編集・美術・衣装デザインと最多10部門ノミネート。映画公式サイトはこちら

結論から言えば過大評価だと僕は想う。多分受賞は0じゃないかな?

要するにコンゲーム(信用詐欺/策略により騙したり騙されたり、二転三転する物語)映画である。で、その代表作といえばジョージ・ロイ・ヒル監督の「スティング」だが、本作のクライマックスも「スティング」を彷彿とさせる。しかし「スティング」ほど爽快感がない。質が劣る。

男優の場合、イケメンはアカデミー賞を受賞できないというジンクスがハリウッドにはある。その代表例がロバート・レッドフォードであり、ブラッド・ピット、レオナルド・ディカプリオもそう。クリスチャン・ベールもイケメンなのだが、この人は役によって歯を抜いたり、髪の毛を抜いたりしてわざと自分の顔を醜くして演技を評価されている面白い役者である。そして「ザ・ファイター」で見事にアカデミー助演男優賞を射止めた。本作でも「何もそこまで……」というくらい変装しているので、そこが見どころかな。それからエイミー・アダムスが1970年代セクシー衣装をとっかえひっかえして登場するので、男性諸君には目の保養となるだろう。以上。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年2月12日 (水)

稀代の詐欺師・自称「作曲家」佐村河内守について

ゴーストライターの存在が発覚し、全聾の嘘もバレた佐村河内守の問題は前代未聞の詐欺事件である。プロの音楽家・評論家を翻弄し、NHKスペシャルで「魂の旋律〜音を失った作曲家」という特集が組まれるなどマスコミに大々的に取り上げられ、広島市長(行政)を騙して広島市民賞を授与され(後に取り消し)、最終的にはオリンピックを通して世界進出をも目論んでいた(ゴーストライターの勇気ある証言で食い止められたわけだが)。これだけスケールの大きな詐欺は(少なくとも日本で)有史以来初なのではないだろうか?

佐村河内守の名前を知ったのは2012年頃だろうか。彼が作曲した(ことになっていた)交響曲第1番《HIROSHIMA》を大阪交響楽団が定期演奏会で取り上げたのだ。指揮は同曲をレコーディングし、佐村河内のプロモーションに熱心だった大友直人。また2013年には金聖響の指揮で全国ツアーが行われ、大阪公演もあった。佐村河内も来場したらしい。しかし幸いにも僕は行かなかった。作曲家に胡散臭さを感じたからである。

被曝二世。さらに35歳で聴力を完全に失ったという。そんな二重苦の中で広島に投下された原爆を告発するシンフォニーを書く。余りにも劇的で、出来過ぎた話じゃない?爆発したような髪型といい、自己をベートーヴェンに似せようとしていることは明らかだ。実際チラシの宣伝文句には「日本のベートーヴェン」とか書いてあるし!ペテンの匂いがプンプンした。

また所属プロダクションのプロフィールによると4歳で母親からのピアノの英才教育が始まり、10歳で「もう教えることはない」と母から言われ、以後は作曲家を志望したという。しかしクラシック音楽に少しでも慣れ親しんだ人間なら「そんなことは絶対にあり得ない」ということが分かる筈だ。たとえショパン・コンクールやチャイコフスキー・コンクールに優勝しようと、その後もジュリアード音楽院などで研鑽を積むのが当たり前の世界だ(それを怠ったスタニスラフ・ブーニンは駄目になった)。プロフィールの嘘を見抜けない者は間抜けとしか言いようがない。「天才作曲家」に見せかけるための設定が盛り込み過ぎ(too much)なのだ。

2014年にはサモンプロモーションによりピアノ・ソナタの全国50ヶ所初演ツアーが企画されており、別のコンサートでチラシを貰ったが、この商売方法もいかがわしいものだった。

Main_image5

だって「初演」って普通1日限りでしょ?「初演ツアー」って一体何??さらに作曲家の言葉が決定的だった。

Explanation_01_4

どうして耳が聴こえないのに「天才的な才能を持ち」「心技体すべてを持ち合わせた」ピアニストと判断出来るの?指の動きを目で見て??ピアノ本体の振動を手で触れて???あり得ない。喩えるならショパン・コンクールの審査員がその方法で優劣を決められるか?という話である。ぼくはこのコメントで佐村河内の耳が聞こえる筈だと確信した。

しかしこの詐欺が巧妙なのは聾(ろう)者を騙っているという点だ。現在の日本において障がい者は絶対弱者/絶対正義であり、彼らに疑いの目を向けるということはタブーとなつている。そんなことをしたらたちまち”善意の人々”から「性格が歪んでいる!」「差別だ!」と非難の集中砲火を浴びるだろう。脳波を調べるABR検査(聴性脳幹反応)をしない限り、「本当は耳が聞こえる」ということを第3者が客観的に証明することは出来ない。つまり理屈で論破することは事実上不可能なのである。おまけに相手は障害者手帳(聴力障害2級)という公のお墨付きもある。勝ち目はない。名誉毀損で訴えられるのが落ちだ。だから僕は完全無視で事態の推移を静観することにした(おそらく疑問を感じた多くの人がそうだったろう)。

僕は昔から、あざとい野島伸司が脚本を書いたテレビドラマに違和感を感じていた。例えば知的障害者を聖者とみなした「聖者の行進」。それは違うでしょう?障がい者を差別することは勿論いけないが、だったら彼らを我々と同等に扱うべきであって、天使と見なしたり神聖化するのは行き過ぎではないだろうか?また大江健三郎がノーベル文学賞を受賞した頃、息子で知的障害がある「大江光の音楽」というCDがブームになった(第2集「大江光ふたたび」は日本ゴールドディスク大賞を受賞)。しかし僕には単純で退屈な音楽としか思えなかった。どうも世間では「障がい者」というだけで作品の評価に下駄を履かせ、「決して悪口を言ってはいけない」という強迫観念に囚われている人が多いのではないだろうか?ちなみに「大江光の音楽」のプロデューサーは佐村河内守/交響曲第1番《HIROSHIMA》のレコーディングにも立ち会ったようだ→こちら

慶応義塾大学教授/音楽評論家の許光俊HMVに掲載された「世界で一番苦しみに満ちた交響曲」で次のように書いている。

 もっとも悲劇的な、苦渋に満ちた交響曲を書いた人は誰か? 耳が聞こえず孤独に悩んだベートーヴェンだろうか。ペシミストだったチャイコフスキーか。それとも、妻のことで悩んだマーラーか。死の不安に怯えていたショスタコーヴィチか。あるいは・・・。
 もちろん世界中に存在するすべての交響曲を聴いたわけではないが、知っている範囲でよいというなら、私の答は決まっている。佐村河内守(さむらごうち まもる)の交響曲第1番である。

  (中略)

 現代が、ベートーヴェンやブルックナーのような交響曲を書けない時代であることは間違いない。人々はあまりにも物質的に豊かになり、刹那的な快楽で満足 している。日本の若者を見てみればわかる。夢も希望もないのだ。いや、必要ないのだ。救いを探し求める気持などないのだ。日々を適当におもしろおかしく生 きて行ければいいだけだ。だが、佐村河内は違う。彼は地獄の中にいる。だから、交響曲が必要なのだ。クラシックが必要なのだ。
 演奏が困難な交響曲第1番。それが書名になっていることからも、この曲が作曲者にとってどれほど大事かがよくわかる。まさに命がけで書かれたのである。

これを読んで僕は麻原彰晃を擁護した評論家・吉本隆明や宗教学者・島田裕巳のことを想い出した。江川紹子も本件とオウム真理教事件の共通点を指摘している→「彼はなぜゴーストライターを続けたのか?~佐村河内氏の曲を書いていた新垣隆氏の記者会見を聴いて考える

玉川大学教授・野本由紀夫は《HIROSHIMA》を次のように評した。

「これは相当に命を削って生み出された音楽」
「本当に苦悩を極めた人からしか生まれてこない音楽」

作家・五木寛之はこう述べた。

佐村河内守さんの交響曲第一番《HIROSHIMA》は、戦後の最高の鎮魂曲であり、  未来への予感をはらんだ交響曲である。  これは日本の音楽界が世界に発信する魂の交響曲なのだ。 

しかしゴーストライターだったと告白した新垣隆は週刊文春の記事で、この交響曲を作曲した当時は「現代典礼」というタイトルで、広島や原爆は全く念頭になく、数年後に《HIROSHIMA》に変更になったと知り驚いたと述べている。

三枝成彰はこの交響曲について「作曲者はベートーベン並みの才能の持ち主」と語っている。

一方、新垣隆は週刊文春で次のように語った。「あの程度の楽曲だったら、現代音楽の勉強をしている者なら誰でもできる、どうせ売れるわけはない、という思いもありました」

どうしてこのようなことになったのか?一体彼らは音楽そのものを聴いていたのか?それとも佐村河内が創作した物語に目を奪われ、「被爆二世+全聾の作曲家」の作品に感動する自分自身に酔い痴れていただけだったのだろうか?

NHKやTBSに特集の企画を持ち込んだフリーディレクター・古賀淳也は局や番組を超えて佐村河内と5年間親しくしていた間柄だという。古賀は本当に事実関係を知らず、騙されただけなのだろうか?興味深いところである。

今回の事件は現代日本を巣食う偽善を白日のもとに晒し、劇的な物語を求めるマスメディアが抱える問題点を浮き彫りにした。私達が学ぶべき教訓は多い。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年2月10日 (月)

アメイジング!!~宝塚宙組「翼ある人びと ーブラームスとクララ・シューマンー」

2月9日(日)シアター・ドラマシティへ。宝塚宙組「翼ある人びと ーブラームスとクララ・シューマンー」を観劇。

関連記事:

Br

まず特筆すべきは作・演出:上田久美子の功績だろう。とにかく台本が素晴らしい!ロマン派の作曲家たちの前に立ちはだかるベートーヴェンという高い山。それを一生懸命登って行き、仮に頂上に立てたとしてその先に一体何があるのか?というブラームスの疑問/絶望感に対して、死の床にあるシューマンはある明快な回答を示す。その台詞の鮮やかなこと。またブラームスの眼の前に現れたベートーヴェンの幻がこう言う。「私がお前の妄想なら、お前は私の影だ!」そして最後のブラームスの独白「ロベルト(・シューマン)が私に翼の片方をくれ、クララがもう片方をくれた。その翼で飛んだ空は孤独で寂しくて、そして美しかった!」いやもう、涙腺が崩壊しそうになった。こんな台詞が書ける作家は天才ではなかろうか?また冒頭が枯葉散る秋というのがいいし(ブラームスの音楽は憂愁の秋がよく似合う!)、第1幕フィナーレがカーニバルの場面で、ブラームスがクララに愛を告白し、同時にロベルトが橋から飛び降りて入水自作を図るという劇的なクライマックスの作り方が上手い。そしてショーの場面ではブラームス/交響曲第4番 第1楽章をタンゴ風に編曲し踊らせる。何て粋な演出だろう!宝塚歌劇団は本当に才能のある座付作家に恵まれたと言えるだろう。なお彼女は2013年5月に演出家デビューしたばかりの期待の新人である。

あと感心したのは、シューマンの死因はスメタナ同様に脳梅毒(梅毒第4期)だったというのが現在の定説である。しかし宝塚歌劇には「清く正しく美しく」というすみれコードがあるので、これには触れないだろうと高を括っていた(実際ミュージカル「エリザベート」でもヒロインが夫のフランツ・ヨーゼフ1世から梅毒を移される場面はカットされていた←東宝版にはあり)。ところが劇中、病名には触れないが医師がはっきりと「精神疾患ではなく、感染症がシューマンの中枢神経を侵した」と明言しているので脳梅毒説を採っていることが分かり、びっくりした。上田久美子、偉い!よくぞここまで踏み込んだ。

ヨハネス・ブラームス役:朝夏 まなとは長身で、ダンスでは足がまっすぐ高く上がり格好いい。ただ音程は不安定。クララ・シューマン役:伶美 うららは老け顔だが飛び切りの美人。実際にクララはブラームスより14歳年長だったので、違和感はない。細い声で声量がないのは些か残念だった。

シューマンからヴァイオリン協奏曲を献呈され(しかし生涯弾くことはなく自筆譜を封印)、ブラームスのヴァイオリン協奏曲を初演したヨーゼフ・ヨアヒム(澄輝 さやと)やフランツ・リスト(愛月 ひかる)、リヒャルト・ワーグナー(春瀬 央季)らが登場。華やかで愉しかった。特に「金に困っているんなら貸してやろうか?」とクララに無神経に言いつつ、その一方で思いやりもある屈折したキャラクターとして描かれたリストが秀逸。あと「人は音楽そのものではなく、パフォーマンスで(価値を)判断する」という台詞は、まるで佐村河内守事件を皮肉っているようで笑った(ベートーヴェンも登場するしね)。

ロベルトとクララには7人の子供がいたが(8人生まれ、1人死去)、舞台では3人に減らされていた。これは作劇上、適切な処置であったと思う。

というわけでこれは宝塚ファンだけに独占させておくにはあまりにも勿体ない。クラシック音楽を愛している人々にこそ、幅広く観てもらいたい珠玉の傑作であると断言しよう。僕は今後、上田久美子が作・演出する作品は絶対に見逃さないようにしようと固く心に誓った。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年2月 8日 (土)

音楽の捧げもの/曽根麻矢子 チェンバロ・シリーズ 第2回

2月2日(日)兵庫県立芸術文化センターへ。

Sone_2

曽根麻矢子
(チェンバロ)、寺神戸亮(バロック・ヴァイオリン)、菅きよみ(バロック・フルート)、上村かおり(ヴィオラ・ダ・ガンバ)で、

  • F.クープラン/「新しいコンセール」から第8コンセール「劇場風」
  • テレマン/新パリ四重奏曲 第6番
  • J.S.バッハ/音楽の捧げもの

面白いのは寺神戸、菅、上村はそれぞれシギスヴァルト、バルトルド、ヴィーラント・クイケンに師事しており、「クイケン3兄弟の子供たち」なのだ。ここらあたり、古楽器演奏の歴史がよく俯瞰出来る。つまり古楽運動(ピリオド・アプローチ)はベルギーのクイケン3兄弟、オランダのグスタフ・レオンハルト(チェンバロ)やアンナー・ビルスマ(チェロ)らが興し、それを彼ら日本人(他に有田正広、鈴木秀美ら)が学んで母国に持ち帰ったという図式である。

さて、クープランではアンサンブルの愉しさを堪能した。バロック・ヴァイオリンはモダン楽器と比べると音に雑味が多い。それは豊かな倍音を含んでいるということである。またフラウト・トラヴェルソ(木製バロック・フルート)はか細く、ヴァイオリンの音量に負けてしまいそうなくらい頼りない。でもだからこそよく溶けこんで味わいがある。

テレマンでは丁々発止の遣り取りが耳に心地よい。典雅で華やかな雰囲気があった。

音楽の捧げもの」は大バッハがプロイセン王フリードリヒ2世に対して仕掛けた謎解きゲームなのだそう。リチェルカーレ(探求、リサーチ)、カノン、フーガ、トリオ・ソナタなどに分かれ、各々演奏の間に寺神戸の解説があって分かり易かった。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

復活?! アルカリ落語の会

2月1日(土)天満天神繁昌亭へ。

Al

  • 桂雀喜/大阪環状双六ゲーム(雀喜 作)
  • 笑福亭鶴笑/茨木童子(鶴笑 作)
  • 桂あやめ/京阪神日常事変(あやめ 作)
  • 弁士・桂雀三郎/8mm映画「噺家王・アルカリキッド1」
  • 長谷川義史、ガンジー石原、小佐田定雄、雀三郎、あやめ/対談
  • テント/漫談
  • 桂雀三郎/雨月荘の惨劇(小佐田定雄 作)

補助席も出る盛況ぶり。お茶子は女装してヒョウ柄の服を身にまとった桂雀太。登場しただけで客席は爆笑。

僕は今まで雀喜の新作落語を聴いて面白いと思ったことが一度もなかった。「数作ればいいってもんじゃないんだよ」といつも心の中で呟いていた。しかし今回は違った!環状線でスゴロク、各駅でいろんなイヴェントが待ち構えている。アイディアが秀逸。そして綺麗なサゲ。もう手放しで賞賛したい。

鶴笑は昔「アルカリ落語」に出演していた時は「一人大喜利」をやったり、「笑点落語」を披露したと想い出話を。「茨木童子」はゆるキャラが活躍するパペット落語。熱演で愉しかった。

あやめはマクラで出身地神戸のメロンパンには白あんが入っており、あん抜きは別に「サンライズ」という名称があると紹介。だから大阪に出てメロンパンが別物で驚いたと。西宮はどうかとデパートに電話で問い合わせてみると「あんが入っている時と入っていない時があります」との回答。「なんて中途半端なんや!」京都のメロンパンにはクリームが入っていて、広島県呉市の「メロンパン」本店は中がカスタードクリームなのだそう。色々勉強になった(?!)

無声映画で弁士を務めた雀三郎は燕尾服姿。自前とか。

ここで仲入り。トークにはプロデューサーのガンジー石原と絵本作家で当時チラシをデザインしていた長谷川義史が加わった。

1980年台後半、扇町ミュージアムスクエア内にあった名画を上映するミニシアター「コロキューム」で開催していた「雀三製(じゃくさんせい)アルカリ落語の会」には「アルカリ家族」という対談コナーがあり、生瀬勝久、古田新太、中島らもらがゲストで登場したこともあるそう。同館の小劇場「フォーラム」で劇団☆新感線ら小劇団が活動していたので、稽古の帰りなどに呼びやすかったのだとか。

そもそも「雀三製アルカリ落語の会」は祝々亭舶伝(しゅくしゅくていはくでん←桂春輔 改め)が「メタ落語の会」というのをやっていて短期で中断、その路線を継承して始めたのだそう。

小佐田定雄はアルカリ落語の会のために40弱の新作落語を書いた。ここから「神頼み 青春篇」「神頼み 筑豊編」「13日の木曜日」「紅薔薇組の滅亡」などが生まれた。

あやめや雀三郎らが落語のネタでしりとりしていた時、頭が「る」のネタが思いつかず小佐田邸に午前2時に電話したことも。小佐田曰く、「『る』で始まるネタは林家染語楼の新作『留守バイト(?)』しかなかったので、新たに『ルーマニア』というネタを書きました」さらに、あやめ作の「ルンルン大奥絵巻」が加わった。

また林家染二(当時:染吉)が手製の蝶の羽を付けて「ビューティスカイメモリー」を演ったことも話題に。

雨月荘の惨劇」はハイテンションでクレイジー。むちゃくちゃ面白かった!

| | | コメント (2) | トラックバック (0)

2014年2月 3日 (月)

邦楽器との響演/いずみシンフォニエッタ大阪 定期

1月31日、いずみシンフォニエッタ大阪 定期演奏会を聴く。当初予定されていた指揮者の飯森範親はインフルエンザで降板し、それぞれ作曲家本人が指揮台に立った。

  • 川島素晴/尺八協奏曲 初演
  • 鶴澤清治、猿谷紀郎/三井の晩鐘
     
    ~ソプラノ、浄瑠璃、室内アンサンブルのための

また開演に先立ち、ロビー・コンサートあり。オーボエ:古部賢一、ハープ:内田奈織で、

  • 中田章/早春賦
  • 宮城道雄/春の海
  • イベール/間奏曲

満席。いずみホールは普段と異なる客層で、文楽ファンが多数詰めかけていたようである。

尺八協奏曲の独奏は藤原道山。第1楽章「春の藤」は下降音型が繰り返され、藤が垂れ下がっている情景が目に浮かぶよう。第2楽章「夏の原」は上昇気流を感じさせる。作曲家の弁によると、《草いきれ・命が這う・蝉・蛙・花火・風》などのイメージが挿入されているという。第3楽章は「秋の道」で第4楽章「冬の山」は山彦(言霊:ことだま)が聞こえてくる。

尺八とは「一尺八寸管」の略称だが、それぞれの楽章で長さの異なる楽器が使用された。第1楽章は最も短い一尺三寸管で、リコーダーやフラウト・トラヴェルソ(木製バロック・フルート)に近い響きがした。

三井の晩鐘」は琵琶湖の画家・三橋節子の描いた同名絵画によりこの昔話を知った梅原猛が原作を書き、それを基に石川耕士が浄瑠璃の台本を作成した。三橋は33歳の時に鎖骨腫瘍で利き腕の右手を切断、その後ガンが転移し2人の子供を残して35歳で死去した。彼女の無念の想いがこの物語に反映されている。また梅原は「湖の伝説」という三橋の伝記を書いている。

浄瑠璃部分を鶴澤清治が、オーケストラ部分を猿谷紀郎が作曲した。演出は岩田達宗、浄瑠璃:豊竹呂勢太夫、三味線:鶴澤清治、ソプラノ:天羽明惠が担当した。なお岩田はかつてびわ湖ホールで三橋節子の絵本「雷の落ちない村」をアニメーション・オペラ化し、上演したことがあるという。

舞台上手(客席から向かって右)に浄瑠璃と三味線奏者が、下手にオーケストラが配され、中央は白い半透明のカーテンが下ろされ、その内側にソプラノ歌手が立った。カーテンに照明が当てられ、滝のようにも龍のようにも見えるという趣向。

浄瑠璃とオーケストラ(+ソプラノ)が交互に演奏する形で進行された。時に義太夫とオケが重なることもあったが、殆ど両者は交わることがなかった。浄瑠璃にはもののあわれ、(古語的意味での)すさまじさ、わび・さび(侘・寂)が感じられた。一方、猿谷が担当したオーケストラ・パートは叙情的でロマンティック。最初はそれに違和感を覚えたが、次第に「こういう構成もありだな」と感じるようになった。全く別物なのだから無理して歩み寄る必要はないだろう。むしろ異文化の衝突で生じる摩擦熱、軋みこそがこの作品の真骨頂なのだと納得した。

クラシック専用のホールで浄瑠璃を聴く機会なんて滅多にないし、漲る緊張感と迫力があってすこぶる面白かった。「三井の晩鐘」に漂う哀感も切々と胸に迫った。是非また体験したい(CDとか音だけでは物足りない!)大切な作品となった。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年2月 1日 (土)

仲道郁代/シュタインとスタインウェイで聴くモーツァルト

1月26日(日)兵庫県立芸術文化センターへ。仲道郁代さんの演奏で、オール・モーツァルト・プログラム。

Naka_2

1790年製フォルテピアノ「シュタイン」(61鍵、ピッチ430Hz)Fと現代のピアノ「スタインウェイ」(88鍵、ピッチ442Hz)Mを弾き分けた。

  • きらきら星変奏曲 K.265 M
  • ピアノソナタ 第11番 イ長調「トルコ行進曲付き」 K.331 M→3楽章のみF
  • ロンド イ短調 K.511 F
  • ピアノ・ソナタ 第8番 イ短調 K.310 聴衆の多数決でFに
  • ロンド ニ短調 K.485 M&F 交互
  • 幻想曲 ニ短調 K.397 M&F
  • ピアノ・ソナタ 第3番 変ロ長調 K.281 M
  • グラスハーモニカのためのアダージョ ハ長調 K.356 (K.617a)
    (アンコール) M

途中、調律師が両方の鍵盤部分を取り外し、ハンマーが弦を叩く機構の違いなどの解説もあった。

モダン・ピアノと比べると、シュタインは弾いた時の鍵盤の沈む深さも、重さも半分ぐらいだそう。ちなみに鋼鉄の箱で出来ているスタインウェイ全体の張力は20トン。対するシュタインはたった5トン。だから華奢な木の枠で支えられるのだと。

仲道さんの奏でるモーツァルトは無邪気で、柔らかい音色で優しく包むかのよう。

アンコールの「グラスハーモニカのためのアダージョ」は初版のケッヘル番号で356を与えられたが、第6版で617aと改められた。現在では最晩年の1791年作曲と考えられている。仲道さんからも「恐らくモーツァルト最後の作品」と紹介された。

勉強になったし、面白かった!

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

文都・はだか・仁智/繁昌亭昼席(1/30)

1月30日(木)天満天神繁昌亭昼席へ。

  • 桂雀太/子ほめ
  • 桂三ノ助/にぎやか寿司(桂三枝 作)
  • 笑福亭竹林/仏師屋盗人
  • 寒空はだか/漫談
  • 桂楽珍/半分垢
  • 月亭文都/佐々木裁き
  • 露の吉次/ちりとてちん
  • 桂文喬/住吉駕籠
  • 伏見龍水/曲独楽
  • 笑福亭仁智/多事争論(上方落語台本大賞佳作:木下真之)

雀太は滑らかで威勢がいい。将来が楽しみな若手だ。

文都は「憎たらしいくらい」上手い。マクラで江戸時代に水の都大阪でどのように河が流れていたかを巧みに説明し、長堀川・道頓堀川・東横堀川・西横堀川に囲まれた地域が「島之内」その北側が「船場」と、まるで目の前に古(いにしえ)の地図が見えるかのよう。

仏師屋盗人」は初めて聴くネタだったのでラッキー!

はだかは「明日があるさ」「見上げてごらん夜の星を」「ひょっこりひょうたん島」などを歌い継ぎ、最後はオリジナルの「東京タワー」へ。久しぶりだったけれど、やっぱりほっこりするねぇ。

多事争論」は4年前に初演を聴いている→感想はこちら。相変わらず面白かった。陪審員制度を導入し、客席参加型というのが盛り上がっていい。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2014年1月 | トップページ | 2014年3月 »