1作曲家1作品に絞った。だってベートーヴェンが何曲も入ったら詰まらないでしょ?30に絞るのは忍びなく、もうちょっと+αも掲載した。
20位あたりまでは至極真当な楽曲が並んでいるが、21位以降はかなり僕の個性が出ていると想う。まぁ100人選べば100通り異なるリストになるのは必定であり、それで良いのではないだろうか?
なおナクソス・ミュージック・ライブラリーで聴けるものは(NML)と表記した。
- フランツ・シュミット/交響曲 第4番
- シベリウス/交響曲 第7番
- ベートーヴェン/交響曲 第6番「田園」
- マーラー/交響曲 第9番
- ドヴォルザーク/交響曲 第8番
- チャイコフスキー/交響曲 第6番「悲愴」
- ブラームス/交響曲 第4番
- ヴォーン=ウィリアムズ/田園交響曲(第3番)
- ブルックナー/交響曲 第7番
- モーツァルト/交響曲 第40番 ト短調
- フランク/交響曲 ニ短調
- シューベルト/未完成交響曲 ロ短調
- ベルリオーズ/幻想交響曲
- メンデルスゾーン/交響曲 第3番「スコットランド」
- サン=サーンス/交響曲 第3番「オルガン付き」
- ハワード・ハンソン/交響曲 第2番「ロマンティック」
- 吉松隆/交響曲 第2番「地球(テラ)にて」
- コープランド/交響曲 第3番
- ハイドン/交響曲 第39番 ト短調
- ハチャトゥリアン/交響曲 第3番
- ショスタコーヴィチ/交響曲 第10番
- メシアン/トゥーランガリラ交響曲
- プロコフィエフ/交響曲 第7番
- アイヴズ/ホリデイ・シンフォニー(祭日交響曲)
- ルーセル/交響曲 第3番
- オネゲル/交響曲 第3番「典礼風」
- ニーノ・ロータ/ある愛の歌による交響曲(第4番)
- ウォルトン/交響曲 第1番
- エルガー/交響曲 第1番
- コルンゴルト/交響曲 嬰ヘ調
- ミャスコフスキー/交響曲 第27番
- 矢代秋雄/交響曲
- アッテルベリ/交響曲 第6番「ドル交響曲」
- グレツキ/悲歌のシンフォニー(交響曲 第3番)
- グラズノフ/交響曲 第4番
1933年に完成されたフランツ・シュミットの第4番は交響曲というジャンルがたどり着いた究極の到達点、完全無欠、音楽の極北である。
シュミットについては下記記事で詳しく述べた。交響曲第4番をどう「読む」かについても僕なりの考えを提示している。
お勧めのCDはメータ/ウィーン・フィル。現在廃盤だが、Amazonの中古品などで比較的手に入り易い。現役盤ならネーメ・ヤルヴィ/デトロイト交響楽団の交響曲全集(NML)を。僕が実演を聴いた寺岡清高/大阪交響楽団のライヴ録音もある。
下記のシベリウス論で第7番についても語っている。
交響曲第1、2番しか聴いたことのない者は未だ”真のシベリウス”に出会ったとは言えない。後期交響曲をどのように解釈するかについては福永武彦の小説「死の島」を読まれることを強くお勧めしたい。推奨CDはカラヤン/ベルリン・フィル(NML)とベルグンド/ヨーロッパ室内管弦楽団(NML)。因みに作曲家・吉松隆のお気に入りは第6番で宮沢賢治「銀河鉄道の夜」との関連性を論じている→こちら。チャイコフスキーの影響下にあった初期交響曲は4楽章形式だったが、シベリウスは楽曲の統合感を高める方向に進み、第7番で単一楽章に収斂させた。そして音楽はソナタ形式などの約束事から軽やかに抜け出しフィンランドの自然ー森や湖と一体化した。
ベートーヴェンは最初、徹頭徹尾舞踏音楽(dance music)である第7番を選ぼうと想っていた。お勧めCDは言うまでもなくカルロス・クライバー/ウィーン・フィル(NML)。しかし考えてみると、僕が小学生の頃から大好きなのは「田園」なんだよね。それも最初に聴いたカール・ベーム/ウィーン・フィル(NML)の演奏が今でもベストだと信じている。ディズニー映画「ファンタジア」の「田園」も印象深い。ギリシャ神話に基づき、ペガサス・ユニコーン(一角獣)・キューピッド・バッカス・ゼウス(天空神=雲・雨・雪・雷などを支配)・ウルカヌス(火の神・鍛冶神)・アポロン(太陽神)・ケンタウルス(半人半馬)・イリス(虹の女神)・ディアナ(狩の女神=月神ルーナ)・ニュクス(夜の女神)らが登場。推薦はベームか、インマゼール/アニマ・エテルナ(古楽器)(NML)、ド・ビリー/ウィーン放送交響楽団(NML)、ダウスゴー/スウェーデン室内管弦楽団(NML)、トーマス・ファイ/ハイデルベルク交響楽団(NML)(以上モダン楽器、ピリオド・アプローチ)。
ベートーヴェンやブルックナーが交響曲第9番を書いて亡くなっているので、マーラーは「大地の歌」に番号を付けなかった。「告別」と題された終楽章は生への執着に満ちている。しかしその後作曲された第9番には死の受容が感じられる。マーラーは穏やかに、この世に別れを告げる。第4楽章の余韻は澄み切った青空へと静かに消えてゆく。バーンスタイン/ベルリン・フィルかバルビローリ/ベルリン・フィル(NML)でどうぞ。
ドヴォルザークで一番演奏機会が多いのは「新世界より」だが、これはアメリカが舞台の作品なので、作曲家の郷里ボヘミア色が濃いのは第8番である。スメタナも描いた森と草原ー自然の息吹が感じられる。「イギリス」という副題が付けられていたことがあるが、単にイギリスで楽譜が出版されただけのことであり無茶苦茶な話だ。標題をつければ売れるという浅はかな発想である(ベートーヴェンの5番を「運命」と呼ぶのは日本だけ)。カラヤン/ウィーン・フィルの1985年録音(NML)を推薦。ドヴォルザークは仄暗い7番も好きだな。
交響曲第6番「悲愴」はチャイコフスキー自身の指揮で初演され、そのわずか9日後に彼は肺水腫で急死している。53歳だった。これは果たして偶然なのだろうか?最近、このシンフォニーは死を決意した作曲家の遺書なのだと僕は理解するようになった。チャイコフスキーは躁うつ病だったし、自殺の理由は彼が(ロシア正教会が認めない)ゲイであったことと無関係ではあるまい。一度偽装結婚をするが、直ぐに耐えられなくなりモスクワ川に入水自殺を図ったこともある。弟が手紙に書いた内容によると、「悲愴」の第3楽章は「遊戯に始まり、真剣となり、名誉ある勝利に終わる作者の音楽的発展史」だそうだが、子供みたいにすばしっこくて軽快な音楽が展開される。スキップするチャイコフスキー。そこにそりすべりなどをして遊ぶ作曲家の幼少時の姿が幻視される。この楽章をオーソン・ウエルズ監督の映画『市民ケーン』に喩えるなら、Rose bud(薔薇のつぼみ)に相当すると言えるだろう。第4楽章は慣例としてアダージョで演奏されてきたが、近年チャイコフスキーの自筆総譜が公開され、テンポ指定が本当はアンダンテであり、作者の死後この曲を指揮したナプラヴニークがアダージョに書き替えたことが判明した。終盤、銅鑼が重く響き渡ると曲は一気に虚無の世界へ。コントラバスが刻むリズムは臨終の時を迎えた病人の心音。次第に、次第に心拍数は落ちていき、やがて心電図モニターはフラットに。それでもポツリ、ポツリと期外収縮が散発するが、最終的にプツンと真っ白になって終わる。お勧めCDはカラヤン/ウィーン・フィル(NML)。
ブラームスの交響曲 第1番は「ベートーヴェンの10番」と呼ばれることもあるように、ブラームスらしくない。《次々と襲いかかる厳しい現実・苦難を克服し、歓喜へ!》というプログラムはベートーヴェン第5番を踏襲している。ブラームスらしさが滲み出るのは第3番以降だろう。諦念・苦渋・秋の憂愁。そういったネガティブな感情に満ちている。音楽評論家・宇野功芳は次のように述べている。 「どうもブラームスの音楽は苦手だ。ネクラでいけない。4つの交響曲はあとになるほど深刻になり、ブラ4を聴く前などは気がめいってしまう。(中略)一生独身で過ごした彼の、薄汚れた部屋に通され人生の淋しさをしみじみと語り合う趣がある。悪く言えばグチを聞かされるのだ」こういう意見も無理はない。でも第4番は僕にとって、しっくり来る音楽なのだ。CDはカルロス・クライバー/ウィーン・フィル(NML)かハーディング/ドイツ・カンマーフィル(NML)で。なお、どうしてブラームスの作風が途中から変化したのかに関して下記記事で僕なりに分析している。
ヴォーン=ウィリアムズの田園交響曲(第3番)についてはバターワースの「シロップシャーの若者」と切り離して語ることが出来ない。ベートーヴェンの田園交響曲との本質的違いを聴き比べてみるのも一興であろう。詳しくは下記記事をお読みあれ。
音源はトムソン/ロンドン響(NML)が良い。
ブルックナーの最高傑作は?と問われたら交響曲第8番と即答する。それは衆目の一致する所だろう。しかし一番好きということになると第7番だ。小学生の時に初めて聴いたブルックナーが7番(ベーム/ウィーン・フィル)だったし、兎に角たおやかで美しい。ルキノ・ヴィスコンティ監督のカラー映画「夏の嵐」(1954)でも効果的に使用されていた。ブルックナーは生涯オルガニストであり、現在も聖フローリアン教会にあるオルガン下の石床に眠っている。彼の交響曲は常に教会で演奏されることを意識して作曲されている(だからその残響を前提にしたゲネラルパウゼ=総休止が多い)ことに留意して聴きたい。
モーツァルトは長調の作曲家である(作品の9割以上が長調)。しかし、番号もないものも含めると約50曲ある交響曲のうち、ベストを選ぶとすればどうしても2曲しかない短調の交響曲、第25番か第40番になる。どちらもト短調。疾走する悲しみ。第25番は映画「アマデウス」で使用され、有名になった。第40番のお勧めはベーム/ウィーン・フィル(NML)、アーノンクール/ロイヤル・コンセルトヘボウ管(NML)またガーディナー(NML)、コープマン(NML)、ブリュッヘン(NML)ら古楽系の指揮者ならハズレはないだろう。
フランク(ベルギー→フランス)の交響曲は3楽章形式というのが珍しい。循環形式で書かれている。フランクは生涯にわたり教会のオルガニストを務め、そういう意味でブルックナーに似ている。ちょうど同世代だし(ブルックナーは1824年生まれ、フランクは1822年生まれ)。カラヤン/パリ管、バルビローリ/チェコ・フィルの演奏で。
シューベルトの「未完成」はつい最近まで交響曲 第8番として親しまれできたが、新シューベルト全集では第7番となっている。迷惑な話だ。ちなみに「ザ・グレート」と呼ばれる(←何故英語??)ハ長調交響曲は7番とか9番と呼ばれ混乱していたが、新シューベルト全集では第8番。いやはや。これが本当にファイナル・アンサー??
シューベルト(享年31歳)の死因は梅毒の治療による水銀中毒というのが現在の定説である。国際フランツ・シューベルト研究所機関紙に掲載された論文は→こちら。新潟薬科大学の解説は→こちら。シューベルトがもし水銀治療を受けていなければ、同じく梅毒だったシューマン(享年46歳)やスメタナ(享年60歳)くらいまで生きられたのではないか?と想像すると、ほんとうに惜しい。僕は「未完成」に悲劇の予感があると想うのだが、作曲時既に彼は自分の病気のことを知っていたのではないだろうか?指揮者の藤岡幸夫さんも僕と同様の推理をされている→こちら(2008/02/27の記事)。推奨CDはクライバー/ウィーン・フィルかダウスゴー/スウェーデン室内管(NML)、ミンコフスキ/ルーヴル宮音楽隊(NML)、インマゼール/アニマ・エテルナ(NML)。
幻想交響曲を一言で言えば狂っている、それに尽きる。ベルリオーズの失恋からくる妄想は限度を知らない。ラリっているみたいだ。ヤバイ、だから面白い。芸術家だからこそ可能な想像力の飛躍である。例えば第4楽章、主人公は夢の中で想い人を殺し死刑宣告を受け、断頭台に引かれていく。恐らく彼はこの妄想の中でエクスタシーに達している。第5楽章は「魔法少女まどか☆マギカ」にも登場するワルプルギスの夜が訪れ、彼女は魔女の姿となりグロテスクに踊りながら悪魔の大饗宴となる。何ともはや凄まじい展開だ。アバド/シカゴ響、クリュイタンス/パリ音楽院管あたりでどうぞ。
ヴィブラートたっぷりに弾かれるメンデルスゾーンのヴァイオリン・コンチェルトは砂糖菓子みたいに甘ったるく、食傷気味だった。しかし近年、古楽器演奏が台頭しピリオド・アプローチ(時代奏法)によるメンデルスゾーンに接する機会を得てから、この作曲家に対する見方が180度変わった。正に眼から鱗。つまりメンデルスゾーンをロマン派の作曲家として解釈し、演奏するのは間違いだという真実である。20歳の彼が指揮し、忘却の彼方にあったJ.S.バッハの「マタイ受難曲」をほぼ100年ぶりに蘇演したことがそれを象徴している。メンデルスゾーンはバッハに直接繋がっている。例えば彼が26歳の時に書いたオラトリオ「聖パウロ」は「マタイ受難曲」や「ヨハネ受難曲」の続きである。
交響曲「スコットランド」はブリュッヘン/18世紀オーケストラによる時代楽器による演奏(NML)を聴いて初めて腑に落ちた。第1楽章の序奏は古(いにしえ)の鄙びた響きがして、スコットランドの歴史が浮かび上がってくるのだ。お勧めはドイツの指揮者トーマス・ファイ/ハイデルベルク交響楽団(NML)の演奏。現代楽器によるピリオド・アプローチで、弦はノン・ヴィブラート。透明感があり、例えようもなく美しい。
サン=サーンスは1853年から1858年まで、サン・メリ教会(小ノートルダム)のオルガニストを務め、1858年から77年までパリのオルガニストにとって最高峰といわれたマドレーヌ教会の奏者となった。つまり18歳から41歳までオルガン漬けの毎日を送っていたのである。パイプ・オルガンが壮麗な響きを放つ交響曲第3番はそんな想いが詰まっている。循環主題を用いているという点でやはりオルガニストだったフランクに近く、第2楽章にフーガが登場するのもいかにも教会音楽的である。
アメリカの作曲家ハワード・ハンソンの「ロマンティック」(1930年初演)は映画「エイリアン」のクライマックスで使用されている。甘く芳しい薫りのする名曲。紛れもなくアメリカが産んだシンフォニーの最高峰。また終楽章冒頭部はジョン・ウィリアムズが作曲した映画「E.T.」~”地上の冒頭”とそっくりなので、ぜひ聴き比べてみてください。イチオシの演奏はゲルハルト/ナショナル・フィル、比較的手に入りやすいのはシュワルツ/シアトル交響楽団(NML)。
NHK大河ドラマ「平清盛」で有名になった吉松隆の交響曲は現在第6番まであるが、どれも遜色ない。シベリウスを感じさせる静謐さがある。フィンランドの民族叙事詩カレワラの代わりに吉松が見出したのがアイヌの伝承である。交響曲第1番は「カムイチカプ」と題されているがこれはアイヌ語で「神の鳥」という意味。鳥に対するこだわりも強い。シベリウスの白鳥に相当すると言えるだろう(シベリウスは日記に「今日、11時10分前に16羽の白鳥を見た。大いなる感動! 神よ、なんという美しさだろう! 白鳥は長い間私の頭上を舞い、輝くリボンのように、太陽の靄の中へ消えていった」と書いている。この情景が交響曲第5番 第3楽章に描かれた。また「トゥオネラの白鳥」も有名)。
交響曲第2番の推薦盤は藤岡幸夫/BBCフィル(NML)。
コープランドの存在なくしてエルマー・バーンスタイン「荒野の七人」などハリウッド製西部劇の音楽はあり得なかった。金管のファンファーレが格好いい。交響曲第3番の第4楽章冒頭には「市民のためのファンファーレ」が登場する。ジョン・ウィリアムズが作曲した映画音楽「華麗なる週末」「7月4日に生まれて」「プライベート・ライアン」にもコープランドの影響がある。推薦:大植英次/ミネソタ管(NML)、レナード・バーンスタイン/ニューヨーク・フィル(NML)。
ハイドンの交響曲で演奏機会が多いのは「告別」「驚愕」「軍隊」「時計」「ロンドン」「太鼓連打」などニックネームが付いたものばかり。日本人の標題音楽好きには辟易する。僕は後期の作品よりも疾風怒濤の時代(Sturm und Drang)の方が優れていると想う。39番はト短調交響曲であり、モーツァルトの25番に影響を与えたと言われている。フィッシャー/オーストリア・ハンガリー・ハイドン管弦楽団(NML)で。あと26番「ラメンタツィオーネ(哀歌)」 もいい。
グルジア生まれのアルメニア人・ハチャトゥリアンの特徴はバーバリズム(野性味)である。粗野だけど魅力的。交響曲第3番はド派手なトランペットによるファンファーレで開始され、コテコテのオルガン・ソロが「これでもかっ!」と展開される。「繊細」という言葉とは無縁、耳をつんざく大音響。これはアルメニアの「民族の祭典」か、はたまた乱痴気騒ぎか!?最後は暴力的とも言える。チェクナヴォリアン/アルメニア・フィル(NML)で。あと僕は未聴だが、コンドラシン/モスクワ・フィルが壮烈な豪快演奏としてファンの間で語り草らしい。
ショスタコの第5番は耳タコだ。もうウンザリ。だから選ばない。あの単純な曲想に熱狂できるアホだけが聴いていればいい。
ショスタコーヴィチの交響曲第10番を読み解く上で最も重要なのはDmitrii SCHostakowitchのイニシャルからとったDS(Es)CHの音型(レ・ミ♭・ド・シ)が執拗に繰り返されることである。
スケルツォの第2楽章はスターリンとその時代の闇が描かれ、終楽章はDSCH音型(つまり作曲家自身)が高らかに勝利を宣言する。そう聴いていくと非常に面白い。ショスタコでは何故かこの第10番しか録音していないカラヤン/ベルリン・フィル(NML)からどうぞ。ちなみにDSCH音型は弦楽四重奏曲 第8番でも大々的に登場する。併せてどうぞ。
メシアン/トゥランガリラ交響曲に関しては下記記事をお読み下さい。
CDはチョン・ミョンフン/パリ・バスティーユ管(NML)とかシャイー/コンセルトヘボウ管で。
ロシア革命で多くの作曲家が亡命し、ストラヴィンスキーはニューヨークでラフマニノフはビバリーヒルズで没した。ショスタコーヴィチやハチャトゥリアン、ミャスコフスキーらソ連に留まることを選択した者達もいた。そんな中でプロコフィエフが大変ユニークなのは革命を避け一旦亡命しアメリカやフランスに居住したものの、1933年に帰国したことである。それは結局彼にとって幸せだったのか、否か?答えは音楽の中に探るしかない。最後の交響曲 第7番は青春を懐かしむかのような穏やかな作品である。嘗て「先鋭」「知的」「鬼才」の名をほしいままにした作曲家の姿はそこにない。キタエンコ/ケルン・ギュルツェニヒ管の全集(NML)で。
アイヴズ(アメリカ)の交響曲第4番は2人の指揮者を要す。2つのオーケストラ群が別個に演奏をし、それが合わさることでカオス(混沌)を形成する。「宵闇のセントラル・パーク」もあちらこちらから雑音、都会のざわめきが聞こえてくる。これがアイヴズの特徴である。レナード・バーンスタインは「宵闇のセントラル・パーク」の録音で小澤征爾を副指揮者として起用している。ホリデイ・シンフォニーも全く異なる旋律がぶつかり合い、せめぎあい、カオスとなる。しかし決して乱暴ではなく、知的にコントロールされている。マイケル・ティルソン・トーマス/サンフランシスコ交響楽団(NML)でどうぞ。
ルーセル(フランス)の3番は1930年にボストン交響楽団創立50周年のためにクーセヴィツキーからの依頼で作曲したもの。強靭なリズム。野趣に富む舞踏音楽である。デュトワ/フランス国立管弦楽団の交響曲全集(NML)を推薦。
オネゲルの3番はフランスの伝統に則った3楽章形式。フランク同様循環主題も登場する。第二次世界大戦終結直後の1945-6年に作曲され、戦争の影が色濃い。カトリックの典礼から採った表題が付いており、第1楽章「怒りの日」は物凄い破壊力。第2楽章「深き淵より」は透明感ある祈り。第3楽章「我らに平和を」は不協和音を伴う死の行進。やがて音楽は静かになり、安息の日が訪れる。デュトワ/バイエルン放送響の全集(NML)か、カラヤン/ベルリン・フィル(NML)で。
ロータ(イタリア)の交響曲 第4番は日本初演を聴いている。
第1楽章の主題がイギリス映画「魔の山」(The Glass Mountain,1948)のテーマ曲となり、第3,4楽章はヴィスコンティ監督の映画「山猫」(1963)に転用された。限りなく美しい旋律、浪漫的で芳醇な香りに満ちた名曲である。マッシモ・デ・ベルナルド/シチリア交響楽団(NML)の演奏がいい。
1935年に初演されたウォルトン(イギリス)の交響曲第1番は調性音楽だが、先鋭なリズムとモダニズムを感じさせる傑作である。特に第4楽章が格好いい!途中からフーガになるのもいいね。同時代のプロコフィエフに通じる知性の輝きがある。デイヴィス/ロンドン交響楽団(NML)か、プレヴィン/ロンドン響で。
1908年に初演されたエルガーの交響曲第1番を聴くと、「大英帝国の落日/黄昏」を感じる。慈愛と慰めに満ちた音楽。バルビローリ/フィルハーモニア管(NML)、プレヴィン/ロイヤル・フィル(NML)で。
ユダヤ人だったコルンゴルトはオペラ作曲家としてウィーンで活躍し、ナチス・ドイツの台頭によりアメリカに渡り、映画音楽の仕事に携わった。
第二次世界大戦後、コルンゴルトはウィーン楽壇への復帰に意欲を燃やすが「映画に魂を売った男」と蔑まれ、評論家から袋叩きにあって失意のうちにアメリカに戻ることになる。その時期に作曲されたのが交響曲 嬰ヘ調であり1954年にウィーン交響楽団が初演した。ジョン・ウィリアムズが「スター・ウォーズ」を作曲した際、コルンゴルトの映画音楽「嵐の青春」や「シー・ホーク」を参考にしたことは有名だが、この交響曲も宇宙的壮大さを感じさせる傑作である。ケンペ/ミュンヘン・フィル、プレヴィン/ロンドン響あたりでどうぞ。
ミャスコフスキー(1881-1950)はロシアの作曲家。ベートーヴェン以降に27曲もの交響曲を作曲したのは異例なことである(他にはアメリカのアラン・ホヴァネスが67曲、フィンランドのレイフ・セーゲルスタムが現時点で交響曲 第270番を書いている)。ショスタコーヴィチの屈折したアイロニーやプロコフィエフのモダニズム、先鋭な知性とかとは無縁で、ロシア民謡を引用したりと素朴で土の匂いを感じさせる。だからチャイコフスキーやロシア5人組の時代の作風に近い印象を受ける。スヴェトラーノフ/ロシア国立交響楽団(NML)の演奏でどうぞ。安価に全集も手に入る。
矢代秋雄が1958年に作曲した交響曲はパリ留学後、日本フィルから委嘱されたもの。矢代が師事したメシアンの影響が随所に窺われる。第2楽章に登場する「テンヤ、テンヤ、テンテンヤ、テンヤ」という神楽太鼓のリズムが独特の雰囲気を醸し出している。実は本作、吹奏楽コンクールで「発見」された曲と言っても過言ではない。秋田南高等学校や根本直人/福島県立磐城高等学校吹奏楽部の演奏などが有名で、何故か東北の学校が第4楽章を好んで取り上げる。矢代自身は東京都出身で東北とは縁もゆかりもないのだけれど。推薦CDは湯浅卓雄/アルスター管弦楽団(NML)の演奏で。
1928年にコロンビア・レコードが企画したシューベルト没後100年記念コンクールで優勝したのがスウェーデンの作曲家アッテルベリ。彼は賞金として1万ドルを獲得し、フォードの高級車を購入したためたために「ドル交響曲」の異名を持つこととなった。この時第2位となったのがフランツ・シュミットの交響曲第3番である。コンクールの地方審査員にはラヴェル、レスピーギ、シマノフスキらがいて、最終審査はグラズノフやニールセンという錚々たる面々が名を連ねた。
上記はCDとして発売されているし、後お勧めはネーメ・ヤルヴィ/エーテボリ交響楽団の演奏(NML)。
アップショー(ソプラノ)、ジンマン/ロンドン・シンフォニエッタの演奏するグレツキの交響曲第3番 2楽章がラジオで放送されたのを契機にこの曲の人気に火が付き、イギリスのポップス系ヒットチャートでは6位まで上り詰めた。またアメリカでもクラシック・ヒットチャートで38週間トップを記録した。第1楽章は十字架上のキリストを想う聖母マリアの歌。第2楽章はナチス・ドイツ秘密警察の独房に刻み込まれた祈り。ヘレナ・ヴァンダ・ブワジュシャクヴナの署名あり。18歳、1944年9月25日より投獄される、と記される。第3楽章はポーランドの民謡。戦争で息子を亡くし、亡骸の所在も不明という母の嘆き。いずれも静謐な悲しみに満ちた音楽である。
グラズノフの特徴はロシア民謡に基づく国民楽派的側面と後期ロマン派の薫りのせめぎあいである。彼はまた教育者としてショスタコーヴィチらを育て、20世紀の音楽への橋渡しをした。交響曲第4番の実演を聴いた感想はこちら。第1楽章冒頭、イングリッシュ・ホルンによるノスタルジックな主題から魅了される。そして田園交響楽こと、第7番も素敵だ。レビューはこちら。
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