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シリーズ《音楽史探訪》Between Two Worlds ~コルンゴルトとその時代(「スター・ウォーズ」誕生までの軌跡)

「Between Two Worlds」は第二次世界大戦中の1944年にワーナー・ブラザースが製作したハリウッド映画のタイトルである。この音楽を作曲したのがエーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトであった。コルンゴルトは正にBetween Two Worldsー二つの世界の間(はざま)で翻弄された生涯を送った。

僕がコルンゴルトと出会ったのは高校生の時だった。スタンリー・ブラック/ロンドン・フェスティバル管弦楽団による「フィルム・スペクタキュラー」シリーズのLPレコードにエロール・フィリン主演の海賊映画「シーホーク」の音楽が収録されていたのだ。聴いた瞬間、「最高に格好いい!トランペットのファンファーレがまるでスター・ウォーズじゃないか!?」と思った。「シー・ホーク」が1940年公開で「スター・ウォーズ」が1977年だから当然、ジョン・ウィリアムズが影響を受けたことになる。後に聴いたコルンゴルトの「嵐の青春(Kings Row)」(1942)なんか、「スター・ウォーズ」メインテーマそっくりだった。

エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト(1897-1957)はモラヴィア地方のブリュン(現在チェコのブルノ)に生まれた。ヤナーチェクと同郷である。そして4歳の時に父ユリウスに連れられてウィーンへ移り住んだ(地図はこちらの記事を参照あれ)。ユダヤ系のユリウスは地元ブリュンで弁護士をしていたが、ウィーンでは高名な音楽評論家として活躍した。エーリヒは8歳からウィーン楽友協会音楽院教授ロベルト・フックスに対位法を学び、9歳で作曲したカンタータをマーラーが賞賛したというエピソードが残っている。

その後エーリヒはマーラーからの紹介でツェムリンスキーに数年間師事する。11歳の時に作曲したバレエ=パントマイム「雪だるま」はツェムリンスキーがオーケストレーションを手伝い、ウィーン宮廷歌劇場(現・ウィーン国立歌劇場)で初演された。皇帝フランツ=ヨーゼフ1世も臨席したという。

父親が熱心で幼少時から英才教育を受け、神童として名を馳せたという点においてヴォルフガングという名前の由来であるモーツァルトと似ていると言えるだろう。

コルンゴルトが住んでいたアパートの上階には名指揮者ブルーノ・ワルターが住んでいた。ワルターは「コルンゴルトのピアノの音がものすごいので、仕事に集中できない」と書き残している。彼は後にコルンゴルトのオペラ「ポリュクラテスの指環」Op.7と「ヴィオランタ」Op.8初演を指揮することになる。

12歳で作曲したピアノ三重奏曲には満を持してOp.1(作品番号1)が付けられた(「雪だるま」は作品番号なし)。若書きではあるが、既にコルンゴルトの特徴が刻印されている。これを初演したのはピアノ:ブルーノ・ワルター、ヴァイオリン:アルノルト・ロゼ(ウィーン・フィルのコンサートマスターを57年間務めた)、チェロ:フリードリヒ・ブクスバウム(ウィーン・フィル首席奏者)という錚々たるメンバーであった。

アルノルト・ロゼはヴィブラートを抑えた奏法が特徴で、同僚がヴィブラートをたっぷりかけて歌わせた時、「そんなにヴァイオリンを啼かせるものではない」と嗜めたという。また恒常的ヴィブラートで弾くフリッツ・クライスラーがウィーン・フィルの入団試験を受けた際、審査員だったロゼは「音楽的に粗野」「初見演奏が不得手」という理由で落としている。彼はマーラーの妹と結婚した。

1938年ナチス・ドイツがオーストリアを併合するとユダヤ系のワルターはスイスを経てアメリカに亡命した。ルーマニア出身のユダヤ人ロゼは国外追放処分となりロンドンに逃れ、そこで46年に客死。娘のアルマはゲシュタポに捕らえられ、アウシュビッツで悲劇的な死を遂げた。ブクスバウムもロンドンに亡命した。彼らがバラバラに旅立つ直前にレコーディングしたのが、今でも名盤の誉れ高いマーラー/交響曲第9番(1938)である。ほぼノン・ヴィブラートで演奏するウィーン・フィル最後の記録となった(「ピュア・トーン」を主張する指揮者ロジャー・ノリントンがしばしば言及している)。そのサウンドは戦後、失われてしまう。

オペラ作曲家としてコルンゴルトが頂点を極めたのは1920年にハンブルクとケルンで同時初演された「死の都」Op.12である。23歳のことだった。オットー・クレンペラーハンス・クナッパーツブッシュジョージ・セルら錚々たる指揮者がこのオペラを振った。台本を書いた「パウル・ショット」とは作曲家と父ユリウスの筆名。「パウル」はこの物語の主人公の名前であり、「ショット」は楽譜が出版されたショット社から採られた。この事実はコルンゴルトの死後18年経過した1975年にニューヨーク・シティ・オペラで再演されるまで公にされなかった。ユリウスは音楽評論家として高名な自分の名前が、作品の評価に影響を与えないよう配慮したのだと考えられる。馥郁たる芳香。爛熟する世紀末ウィーンの響き(オペラの舞台は死都ブルージュだが)。ある幸福な時代の終焉。何と上品で、エレガントな音楽だろう。

オペラ「ヘリアーネの奇跡」Op.20は1927年にハンブルクで初演された。抽象的で難解な内容から聴衆の受けは芳しくなかったが、作曲家は自身の最高傑作と考えていたようだ。僕は「死の都」を3つの異なるプロダクションで観ているが(レーザーディスクおよびDVD)、「ヘリアーネの奇跡」は残念ながら映像ソフトがない。ただCDで聴く限りライトモティーフ(示導動機)を駆使した非常に魅力的楽曲であり、コルンゴルドの自信も頷ける。ワーグナー→リヒャルト・シュトラウスと継承されたライトモティーフの手法はコルンゴルドにおいて結実した。そしてそれは後年、彼の手でハリウッド映画音楽に持ち込まれ、ジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」を生むことになる。

ベイビー・セレナーデOp.24は1928年の作品。コルンゴルトは24年に結婚、ほどなく息子が生まれ、二人目の息子ゲオルク誕生の際に作曲されたのがこの快活で愛らしい楽曲。いわば彼の「ジークフリート牧歌」である。

  1. 序曲 「赤ん坊が誕生!」
  2. 歌 「今日は佳き日」
  3. スケルツィーノ 「なんて素敵なおもちゃ!」
  4. ジャズ 「坊やが喋るよ」
  5. エピローグ 「そして坊やは自分に語りかけるように寝てしまう」

編成が実にユニークで、サキソフォン3本やバンジョー、ハープが加わった室内オーケストラ仕様となっている。ジャズの要素がふんだんに盛り込まれており、後の彼の映画音楽を予告する内容と言えるだろう。

室内楽の傑作、弦楽四重奏曲第2番Op.26(1934年)は、コルンゴルトが友人の演出家マックス・ラインハルトからの要請で初めてアメリカへ渡り、映画「真夏の夜の夢」の仕事(メンデルスゾーンの編曲)に携わった年の作品。ラインハルトはその前年に成立したナチス政権から追われ亡命していた。そして4年後の1938年には、ナチス・ドイツのオーストリア併合によって、自らもアメリカへの亡命を余儀なくされる。第4楽章は優雅なワルツになっており、古き良きウィーンの匂いがする。かくしてコルンゴルトはハリウッドで映画音楽に本格的に携わることとなった。

今やコルンゴルトの代表作として誉れ高いヴァイオリン協奏曲Op.35は1945年に作曲され、47年にヤッシャ・ハイフェッツにより初演された。日本での初演はそれから42年も経過した1989年。官能と陶酔。何とも美しいメロディに溢れ、濃密なロマンティシズムに彩られたコンチェルトである。各楽章のテーマは「砂漠の朝」「革命児ファレス」「風雲児アドヴァース」(アカデミー作曲賞受賞)「ロビン・フッドの冒険」(アカデミー作曲賞受賞)といった過去にコルンゴルドが作曲した映画音楽から採られている。しかしこれが仇となった。映画を「大衆の娯楽」と馬鹿にし、芸術とは決して認めないクラシック音楽の聴衆や批評家にこの名曲が受容されるにはさらに長い年月を要すことになる

チェロ協奏曲Op.37はベティ・デイビス主演の映画「愛憎の曲」(Deception,1946)のために作曲されたものを改稿したもの。ヴァイオリン協奏曲同様に浪漫的で芳醇な味わいがある。演奏時間12分と短め。映画の物語はこうだ。アメリカの女流ピアニストである主人公はウィーンで知り合ったチェコ出身のチェロ奏者と恋に落ちる。しかしヨーロッパが戦火に包まれ、ナチスの魔の手が伸びでふたりは別れ別れになり、彼女はニューヨークに戻る……。コルンゴルトの人生と重なる部分がある。映画のサウンドトラックでこのチェロ協奏曲を弾き、コンサート版の初演も務めたのがハリウッド弦楽四重奏団のメンバー、エレノア・アラー。指揮者レナード・スラットキンの母である。ちなみに父フェリックス・スラットキンは同四重奏団のヴァイオリニストだった。レナード・スラットキン自身もこの曲をレコーディングしている。

第二次世界大戦後、コルンゴルトはワーナー・ブラザースとの契約を更新せず、ウィーン楽壇への復帰に意欲を燃やす。しかし「時代錯誤」「映画に魂を売った男」と蔑まれ、評論家から袋叩きにあって失意のうちにアメリカに戻ることになる。その時期に作曲されたのが交響曲 嬰ヘ調Op.40であり1954年にウィーン交響楽団が初演した。「スター・ウォーズ」のように宇宙的壮大さを感じさせる傑作である。日本初演はそれから45年が経過した1999年、グリーン・ユース・オーケストラ '99。何とアマチュアの団体である。舐められたものだ。

「忘れられた作曲家」コルンゴルトは1957年脳溢血で死去、ハリウッドの墓地にひっそりと埋葬された。

僕がコルンゴルト/ヴァイオリン協奏曲を初めて聴いたのが1980年代後半だった。その時は日本初演も未だで、国内盤CDは皆無であった。そこで輸入盤専門店でパールマン、プレヴィン/ピッツバーグ交響楽団のCDを買い求めた。その後ハイフェッツ盤が日本でも再発売され、シャハム、ムターなど次々と新録音が登場する時代になった(ヒラリー・ハーンのDVDも)。現在では天下のウィーン・フィルが伴奏を務めるディスクも2種類ある(Vn.:B.シュミット×指揮:小澤征爾 / Vn.:スナイダー×指揮:ゲルギエフ)。正に隔世の感がある。漸く時代がコルンゴルトに追い付き、正当な評価が下されるようになったのだ。

僕は時々夢想する。もしナチス・ドイツの暴虐や第二次世界大戦がなければ、コルンゴルトはそのままウィーンに留まり、次々とオペラの名作を書いて人々から忘れ去られるような事態にはならなかったのではないか?しかし一方で、こう確信もする。コルンゴルトがハリウッドに渡らなければ、「スター・ウォーズ」の音楽が今日のような形で存在することは絶対にあり得なかったと。コルンゴルトの晩年は不幸だったが、人類にとってはこれで良かったのだ。ありがとう、エーリヒ。安らかに眠ってください。

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