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シリーズ《音楽史探訪》ロマ(ジプシー)が近代西洋音楽に与えた影響を考察する/知られざるロマの歴史

ロマは従来ジプシーと呼ばれていた集団であり、その祖・ロマニ系の人々は北インド方面からヨーロッパへと複数の経路をたどり移動してきたと考えられる。

現在のルーマニアの前身であるモルドヴァ・ワラキア公国では14世紀頃からロマの人々に対する奴隷制が慣行され、それは約600年続いた。

ワラキア刑法典(1818年)
 第2条 ジプシーは生まれながらにして奴隷である。
 第5条 奴隷所有者は誰でも自分の奴隷を売却し、あるいは贈与する権利を持つ。
 第6条 所有者のいないジプシーは公の財産である。 

モルドヴァ刑法典(1833年)
 第154条 自由人と奴隷の法に則った結婚は認められない。
 第162条 奴隷どうしの結婚はその所有者の同意を必要とする。

ドイツではナチスが1935年にロマを「劣等民族」と見なす法律を施行、第二次世界大戦中には「最終解決策」として殺戮(絶滅政策)の対象とされた。彼らは流浪の民であり、ヨーロッパ各地で差別を受けていた点でユダヤ人の歴史に似ている。

現在ロマ民族はアイルランドからウクライナ、トルコまでとヨーロッパ全域に暮らしており、全体でおよそ880万人と推定される。そのうち600万人以上が東ヨーロッパの旧共産主義圏に居住していると言われている。ヨーロッパ諸国の中ではルーマニアが一番多く、推計150~250万人、総人口の11%を占める。またハンガリーに55~80万人(5~8%)、スペインに70~80万人(2%)いる。

ロマの音楽がヨーロッパの作曲家の作品に登場する最初期は大バッハと同時期に活躍したゲオルク・フィリップ・テレマン(1681-1767)@ドイツだろう。彼は西ポーランドの城で帝国伯エルドマン2世のカペルマイスター(楽長)に任命された。そこでロマやモラヴィアの民族音楽と出会って多大な影響を受けた。その代表作にして最高傑作が「リコーダーとフルートのための二重協奏曲 TWV 52:e1」である。

ロマの音楽の影響力は特にハンガリーにおいて顕著であり、今ではロマの音楽がハンガリーの代表的な音楽と見做されるに至っている。

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732-1809)はハンガリー西部の大貴族エステルハージ家に宮廷楽長として長年仕えた。ピアノ三重奏曲 ト長調 Op.73-2, Hob.XV:25は「ジプシー・トリオ」とも呼ばれ、第3楽章「ハンガリー風ロンド」はロマの音楽である。ピアノ協奏曲 ニ長調 Hob.XVIII-11の第3楽章も「ハンガリー風ロンド」となっている。

フランツ・シューベルト(1797-1828)はハンガリーのツェレスの別荘に滞在するエステルハージ伯爵令嬢の音楽教師として2度招かれ、1818年と24年の夏を過ごした。そこで生まれたのがピアノ独奏曲「ハンガリーのメロディ」と2台のピアノのための「ハンガリー風ディヴェルティメント」である。また未完成交響曲 第1楽章の主題にもその影響があるとする説もある。

ハンガリー生まれのフランツ・リスト(1811-1886)が作曲した「ハンガリー狂詩曲」は19曲あるが、その多くはハンガリー古来の民謡ではなく、当時ロマ(ジプシー)のバンドが演奏していたものだと考えられている。

我が国で「流浪の民」として親しまれている合唱曲の原曲はロベルト・シューマン(1810-1856)が作曲した「ジプシーの生活」だ。

シューマンと深い親交があり、その妻クララを生涯愛し続け独身を貫いたヨハネス・ブラームス(1833-1897)の「ハンガリー舞曲集」もロマの音楽に基づいて編曲されたものである。またブラームスのピアノ四重奏曲 第1番 第4楽章は完全にロマの音楽だ。この初演のピアノはクララ・シューマンが弾いた。さらに「ジプシーの歌」というピアノ伴奏付き四重唱曲もある。

ブラームスから強い影響を受けたのが、ボヘミア(チェコ)のアントニン・ドヴォルザーク(1841-1904)。「ハンガリー舞曲集」のひそみに倣い、「スラヴ舞曲集」を作曲したドヴォルザークにも「ジプシーの歌」という歌曲集がある。かの有名な「我が母の教え給いし歌」はこの第4曲である。

同じ頃、ヴェルディのオペラ「イル・トロヴァトーレ」(1853年ローマ初演)にジプシーが登場し、ビゼーの「カルメン」(1875年パリ初演)ではジプシー女が主人公の座を占めた。

またイタリアの作曲家モンティ(1868-1922)が作曲した「チャールダーシュ」やルーマニアのロマのヴァイオリニスト/作曲家ディニクが1906年に発表した「ホラ・スタッカート」もジプシー楽団がしばしば演奏する代表的楽曲である。

ルーマニアのヴァイオリニスト/作曲家ジョルジェ・エネスク(1881-1955)には「幼き頃の印象」というヴァイオリンとピアノのための作品がある。10の小品から成り、その第1曲が「フィドル弾き」。聴けば明らかだが、これはロマの辻音楽師(a street musician)のことを示している。

フランス印象派に目を向けてみよう。クロード・ドビュッシー(1862-1918)は1910年にハンガリー旅行をした際、ブタペストのカフェでロマ(ジプシー)の弾くヴァイオリンを聴き、それに触発され「レントより遅く」「ボヘミア舞曲」を作曲した。

モーリス・ラヴェル(1875-1937)はフランス南西部、スペインにほど近いバスク地方で生まれた。ここはスペイン系ロマが生活の場をおいている地域であった。そして母マリーはバスク人であった。ラヴェルが作曲したヴァイオリン独奏用狂詩曲「ツィガーヌ」とは「ロマ」を意味するフランス語である。

そしてスペイン生まれのヴァイオリニストであるサラサーテが1878年に作曲した「ツィゴイネルワイゼン」とは「ロマの旋律」という意味である。

サラサーテと同様に名ヴァイオリニストとして知られたウィーン生まれのフリッツ・クライスラー(1875-1962)も「ジプシー奇想曲」「ジプシーの女」等を作曲している。

バッハからベートーヴェンに至る時代の弦楽器は殆どヴィブラートを掛けなかった。しかしこうしてロマの音楽が一般に知られるようになるに従い、そのヴァイオリン奏法=恒常的ヴィブラート(continuous vibrato)も蔓延していったのだと思われる(現代では後者が主流となった)。つまりサラサーテクライスラーこそが恒常的ヴィブラート普及のキーパーソンだったのではないだろうか?ちなみにクライスラーはウィーン・フィルの入団試験を受けるが、審査員の一人だったコンサートマスター、アルノルト・ロゼから「そんなにヴァイオリンを啼かせるものではない」と言われ、「音楽的に粗野」という理由で不採用となった。

こうして見ていくと、ヨーロッパの近代音楽史は縦の時間軸だけではなく、横の空間的繋がりも無視出来ないことがご理解いただけるだろう。そしてその重要な役割を担ったのが流浪の民ロマだったのである。

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