検証!日本のアニメ(ジャパニメーション)と米国のアニメはどう違うのか?
現在隆盛を極める日本のアニメーションのルーツは間違いなくウォルト・ディズニー作品である。
手塚治虫は1961年に自分のプロダクションに動画部を設立、1年かけ40分のカラー・アニメーション「ある街角の物語」を製作した。そして翌62年から日本初となる30分枠のテレビアニメ・シリーズ「鉄腕アトム」の製作に取り掛かった。虫プロは毎週放送の番組をこなすために絵の枚数を大幅に削減するリミテッド・アニメーションの手法を生み出したが、これは後に宮﨑駿らから「手抜き量産」と批判されることとなる。
手塚がディズニー映画から多大な影響を受けたことは有名である。彼は「バンビ」を漫画化しているし(しかしこれは著作権法に触れるので現在見ることは出来ない)、「ジャングル大帝」のプロットは「バンビ」の焼き直しである。後にディズニーが「ライオンキング」で「ジャングル大帝」をパクることになるのだが、こうした経緯があるので手塚プロダクションはディズニーの盗作疑惑を訴訟に持ち込まなかった(もし訴えていれば間違いなく勝っただろう)。また手塚の未完のアニメーション映画「森の伝説」(チャイコフスキー/交響曲 第4番を使用)は明らかにディズニーの「ファンタジア」へのオマージュである。
日本の漫画家は多かれ少なかれ手塚治虫の影響を受けているので、ルーツを辿ればディズニー映画に至る。宮﨑駿も若い頃書いた漫画があまりにも手塚の絵に近かったので、全て焼き捨てたと告白している。また宮﨑は次のように発言している。
「ウォルト・ディズニーがいた頃のディズニーは、その最盛期は10年ですよ。以降はやはり人材育成はうまくいかなかった。大変な努力をしたのにです。じゃあ、ジブリの10年はどこにあったのか。僕が思うにピークは『となりのトトロ』と『火垂るの墓』を作っていたときですね」
これは逆に彼がディズニーを強く意識していることを示している。
このようにアメリカのアニメーションも日本も、その起源を辿ればディズニーに行き着くわけだが、現在2つの世界はずいぶんと様相が異なっている。どうしてこんなことになったのか?
僕はその分岐点が1995年にあったと考えている。この年にピクサー・アニメーション・スタジオの「トイ・ストーリー」が公開されたのである。この初フルCGアニメーションはスティーブ・ジョブズ(製作総指揮)とジョン・ラセター監督による革命であった。
ピクサーは快進撃を続け、ディズニーなど他のスタジオも一気に従来のセル画アニメーションを捨て、CGに走った。今年公開されたアメリカのアニメの大半はフルCG作品である。
一方、日本でも「ファイナルファンタジー」(2001)や「ベクシル 2077 日本鎖国」(2007)などいくつかフルCGアニメは製作されたが、内容的・興行的に成功を収めたとはお世辞にも言えない。今年公開された「キャプテンハーロック」はジェームズ・キャメロンから絶賛されるなどある程度の評価を得たが、総製作費30億円に対し興行収入は10億にも到底届かず(7-8億円程度)惨敗であった。結局今年大ヒットし、質的にも賞賛されたのが「風立ちぬ」(興収120億円)、「魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語」(現時点で興収16億円突破、120万人動員)、「かぐや姫の物語」であったことからも明らかなように、いまだに手描きによる二次元アニメが我が国では主流なのだ。
落語家の柳家喬太郎が好んで高座で取り上げる逸話に次のようなものがある。ある日彼がテレビを観ていると、秋葉原にやって来たイラン人にレポーターが「あなたにとって日本の文化とは何ですか?」と質問していた。すると次のような答えが返ってきた。「わび(侘)・さび(寂)・もえ(萌え)」
天才・喬太郎の面目躍如、実に秀逸なマクラである。
日米アニメの決定的違いは日本には「萌え」文化があるけれど、アメリカにはないということである。ディズニーやピクサー映画はあくまで物語重視であり、登場人物に「萌え」を感じることはない。だからオモチャとか車とか無機物を平気で主人公にしたりする。日本の漫画やアニメで無機物が主人公になることはない(知性のあるロボットを除く)。だって「萌え」ないから。同じ理屈でポリゴン/CGキャラクターにも「萌え」る要素がないので日本ではCGアニメが根付かないのだ。技術的な問題ももちろんあるだろうが、「萌えるか、萌えないか」それが要だ。「萌え」とは「妄想を羽ばたかせる」と同意だというのが僕の考えだが、リアリティを追求するCGには「妄想」の許容範囲が少ないんだよね。
「萌え」のタネを蒔き、それを育んで日本に定着させたのは手塚治虫である。「ふしぎなメルモ」や「ブラック・ジャック」のピノコ、「鉄腕アトム」のウランが典型だろう。大林宣彦監督は手塚漫画の「萌え」の特徴を「シスター・コンプレックス」と表現している。
- 手塚治虫のマンガは”萌えマンガ”の元祖(手塚治虫公式サイト)
- 思わず萌える!手塚マンガの女性キャラクターランキング(goo)
だから当然、手塚漫画から多大な影響を受けた宮崎アニメにも「萌え」の要素はふんだんにある。「未来少年コナン」でコナンとラナが水中でキスする有名な場面、「天空の城ラピュタ」で沢山の鳩に囲まれるシータ……。きりがない。こうして「萌え」という日本独自の価値観は浸透していったのだ。
「萌え」が判らないアメリカ人はセル画に戻ることはないだろうし、日本のアニメは将来もCGに移行することはないだろう。文化の違いである。それでいいのだ。
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