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秋元康と仄暗い欲望/AKB48「鈴懸なんちゃら」、乃木坂46「バレッタ」

僕は秋元康を作詞家として高く評価しているが、なにしろ多作な人なのでその9割は「テキトーに書き飛ばしました」というやっつけ仕事である。ところがたまに本気を出すと、例えばAKB48の楽曲でいえば「夕陽を見ているか?」「Beginner」「風は吹いている」みたいにびっくりするくらい良い詩が生まれることがある。ノースリーブスに提供した「キリギリス人」はその人生哲学に甚く共感したし、いじめられっ子で孤立した男の子の心情を歌った乃木坂46の「君の名は希望」なんかも感動的な神曲だ。

ところが前田敦子卒業後、AKB48への楽曲がどうも質的に低下した気がして仕方がない。やる気が感じられない。選曲眼も鈍っている(秋元は常々1000曲以上ストックがあるデモを聴き、シングル曲を決定。それに詞を当てるという「曲先」という方式を採用している。その逆が「詞先」)。特に「ギンガムチェック」はもう救いようがない。最低最悪である。

思うに前田敦子という存在は秋元康にとってインスピレーションの源、ミューズだったのだろう。それは「オペラ座の怪人」のアンドリュー・ロイド=ウェバーがサラ・ブライトマンのことを「私の音楽の天使(Angel of music)」と呼ぶのに似ている。サラが去って以降、ウェバーの才能は枯渇してしまった。

しかし12月11日にリリースされるAKB48のシングル『鈴懸(すずかけ)の木の道で「君の微笑みを夢に見る」と言ってしまったら僕たちの関係はどう変わってしまうのか、僕なりに何日か考えた上でのやや気恥ずかしい結論のようなもの』(公式略称「鈴懸なんちゃら」)は久々に秋元の「本気」を感じさせる傑作である。そもそも長ったらしいタイトルからして「気合」が入っている。

映画だったら「ウディ・アレンの誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXのすべてについて教えましょう」「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」「マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院患者たちによって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺」など長いタイトルの作品はあったが、アイドルの曲名としては前代未聞だろう。

鈴懸なんちゃら」のメンバーはじゃんけん選抜である。センターを仕留めたのは松井珠理奈。彼女は1回戦から決勝までパーを出し続けて優勝した(ちなみに前年はぱるること島崎遥香がチョキを出し続けて優勝)。

当然「ヤラセ」疑惑が浮上するわけだが、事の真偽はさておき僕は少なくとも2位となったNMB48(チームB IIキャプテン)の上枝恵美加は決勝戦で意図的に負けたのではないかと考えている(珠理奈がパーを出すことは事前に予想できたわけだから)。

センター(立ち位置0)に対するプレッシャー、「もし私がセンターになったら、他のメンバーのファンからどんな激しいバッシングを受けるだろう?」という恐怖。「珠理奈でなく私がセンターになっても、秋元先生は決して祝福してくださらないだろうな」という不安。様々な感情が彼女をよぎったのではないだろうか?妄想するのは僕の自由だ。そもそもヲタのアイドルに対する疑似恋愛という感情も妄想の産物だしね(その妄想を壊さないために恋愛禁止というルールがある)。

秋元康が松井珠理奈(16)をAKB48シングル「大声ダイアモンド」のセンターに抜擢したのは彼女が11歳、未だ小学生の時だった。

鈴懸なんちゃら」には次のような詞がある。

小さい頃から知ってる 妹みたいな君が
いつのまにか 大人になってて はっとした

僕はこの想い 語らない
今の距離がちょうどいい
あの頃のように 大声で笑う 君を見守りたい

あと「鈴懸なんちゃら」には次のような掛け合いが登場するが、

好き!好き!好き!好き!
あーーーーーだ・い・す・き・だ!

これは「大声ダイアモンド」の、

大好きだ 君が 大好きだ
僕は全力で走る
大好きだ ずっと 大好きだ
声の限り叫ぼう

に呼応している。つまり鈴懸なんちゃら」は明らかに秋元康の松井珠理奈に対する想いを歌っているのである。これを「キモい」と嫌悪するヲタたちがいるが、僕は敢えて言おう。「キモいから最高なんだ」と。得てして創作活動(Creation)とはそういうものだ。「鈴懸なんちゃら」を歌えるじゃんけん選抜メンバーは幸せだ。もし珠理奈がセンターにならなければ、こんな名曲が生まれる可能性は決してなかったわけだから。

なお、念のため申し添えておくが僕はヴィブラート過多なサラ・ブライトマンの歌唱は嫌いだし、松井珠理奈も彼女の何処に魅力があるのだかサッパリ理解出来ない。

さて、11月27日に発売された乃木坂46のシングル「バレッタ」(作詞:秋元康)を聴いて、淫靡な歌詞だなと想った。

大きな蝶の形の「バレッタ(髪留め)」をした美しいクラスメイトに恋をする少年の心情を歌っており、彼は学校の図書室でヘミングウェイを読みながら、窓際で「男子でカッコいいのは誰か?」と会議中の女子をチラ見するという内容。

一方、「バレッタ」のミュージック・ビデオ(MV)は次のような内容だ。

少女を誘拐し、人間剥製にして客に売る闇組織。捕われた仲間(新センターに大抜擢された二期生の堀未央奈)を救うべく、八福神が敵のアジト(雑居ビル地階のショーパブ)を急襲する。

このMVはファンの間で「全然曲の歌詞と関係がない!」と不評で、物議を醸している。しかし僕の意見は違う。

蝶々といえば想い出すのは巨匠ウィリアム・ワイラー監督、テレンス・スタンプ主演の映画「コレクター」(1965)である。蝶の採集が趣味の孤独な銀行員フレディーはある日、美術大学に通う女性ミランダを誘拐し、地下室に監禁する。そして……というあらすじ。つまり「バレッタ」MVのプロットは「コレクター」を下敷きにしているのである。「少女を人間剥製にする」という行為は「蝶々を採集し、標本箱にピンで留める」ことのメタファーである。またこの世界観はマリオン・コティヤールが出演したフランス映画「エコール」(2004)にも近似性があるので、未見の方にはご覧になることをお勧めしたい。

とすれば「バレッタ」の歌詞、

昆虫の図鑑には
きっと載っていないって
思ってた
妄想からロマンスが
ふいに 動き出す

これって意味深だと思いません?僕には語り手の暗い情念、欲望が垣間見られる気がするのだ。

あと注目すべきは語り手の少年がヘミングウェイを読んでいることである。何故ヘミングウェイなのか?

ヘミングウェイには「蝶々と戦車」という短編がある。時はスペイン内戦、舞台となるのはマドリードにあるバー「チコーテ」。ここで喧嘩騒ぎが勃発し、ひとりの男が大勢に取り押さえられ、拳銃で撃たれる。そしてバーの支配人が最後にこんなことを言う。

「つまり、彼の陽気さが、戦争の深刻さとぶつかったんです。さながら蝶々みたいにー (中略)おわかりですか?あれはちょうど、蝶々と戦車みたいなものだったんです」(高見浩 訳、新潮文庫)

蝶々=少女、戦車=語り手の少年 と読み替えたらどうだろう?「バレッタ」に繋がってきはしまいか?つまり「バレッタ」の歌詞は少年の持つ破壊衝動を暗示しているという解釈も成り立つのである。

秋元康、一筋縄ではいかない男である。

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