ブリテン/戦争レクイエムとアン・ハサウェイ~下野/大フィル 定期
11月15日(金)ザ・シンフォニーホールへ。
下野竜也/大阪フィルハーモニー交響楽団・合唱団、大阪すみよし少年少女合唱団で
- ブリテン/戦争レクイエム
を聴く。独唱は木下美穂子(ソプラノ)、小原啓楼(テノール)、久保和範(バリトン)。30年の歴史を持つザ・シンフォニーホールでこの大作が演奏されるのは初めてなのだそう。
レクイエムとは「死者のためのミサ曲」のことであり、カトリック教会において死者の安息を神に願う典礼音楽を指す。ラテン語の祈祷文に従って作曲される。
一方ブラームスはプロテスタントの信者であり、「ドイツ・レクイエム」はラテン語ではなく、マルティン・ルターが訳したドイツ語版聖書に基づいたテキストに作曲されている。
そもそもラテン語が読める特権階級のためのものだった聖書を、一般庶民でも読めるようにルターがドイツ語訳したことがプロテスタント(=ローマ・カトリック教会に対する抗議者)の発端である。
さてベンジャミン・ブリテンの「戦争レクイエム」はラテン語による通常のミサ典礼文の間に、第一次世界大戦で戦死した詩人ウィルフレッド・オーウェンによる英語の詩が挿入されるというスタイルで構成されている。第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの空爆で焼け落ちたコヴェントリーにある聖マイケル教会(英国国教会)に新たに建立された大聖堂の献堂式のために作曲された。
ちなみに調べてみると現在イギリスにおける英国国教会信者は51%、カトリック信者は13.6%だそうだ。
ここで疑問が湧く。ブリテンはゲイだった。彼のパートナーは「戦争レクイエム」の初演でも歌ったテノール歌手ピーター・ピアーズである。ふたりは同棲生活を送り、現在は隣同士の墓で寄り添うように眠っている。ブリテンとピアーズが暮らした「レッドハウス」やお墓の写真は→こちらのブログをどうぞ。またブリテンのオペラ「ヴェニスに死す」や「ピーター・グライムズ」は同性愛(少年愛)をテーマにしている。
さらに公にはされていないがウィルフレッド・オーウェンも詩人ジーグフリード・サスーンとの関係を含め、ゲイであったと言われている。
しかしローマ・カトリック教会は同性愛を自然法に反する罪深い行為とし、否定している(詳しくはWikipedia「同性愛とカトリック」を参照あれ)。
ミュージカル映画「レ・ミゼラブル」でアカデミー助演女優賞を獲得したアン・ハサウェイの兄はゲイで、アンは幼いころカトリックの修道女になりたいと志望していたが、兄の性的指向を認めない宗教には属せないとそれを断念し、家族全員がカトリック教会から離脱した。
- アン・ハサウェイ、「同性愛者の兄のためにカトリックをやめた」と語る
(みやきち日記) - アン・ハサウェイ「ショートヘアの私はゲイの兄にそっくり」
(映画「レ・ミゼラブル」の役作りについての発言、ウォーカープラス)
だから「戦争レクイエム」はゲイを認めないカトリック教会の祈祷文と、ゲイが書いた詩が交差する(しかも初演で歌ったピアーズもゲイ)という、極めてアクロバティック(ある意味挑発的)な作品なのである。さらに言えばラテン語で歌うのは専らソプラノ独唱と合唱の役割であり、テノールとバリトンのソリストには英語詩しか歌わせていない。ここに明白な作曲家の意思が感じられる。
果たして1962年に初演された「戦争レクイエム」の宗派はカトリックなのか、あるいは英国国教会の立場で書かれているのか?また当時の英国国教会は同性愛者に対して寛容だったのか?ブリテンがこの仕事を引き受けた真の意図は何処にあるのか?色々と興味の尽きない事項である(もし明確な解答をお持ちの方がいらっしゃいましたら、コメントをお願いします)。ちなみに英国で同性愛が法的に認められたのは1967年からだそうだ。
下野の指揮は第1曲《永遠の休息を》から切れがあり、合唱には透明感があった。第2曲《ディエス・イレ(怒りの日)》は力強く迫力がある。第3曲《奉献唱》は輝かしい響き。そして第6曲《われを解き放ち給え(リベラ・メ)》冒頭は、あたかも地の底から死者たちがゾンビのように這い上がってくるよう。やがて世界は業火に包まれ、阿鼻叫喚の恐怖が描かれる。しかしフィナーレ《イン・パラディズム(天国にて)》で天使の歌声が響き、救済と安らぎがもたらされるのだ。
今回、合唱団はステージ後方上段に配置され、ソプラノ独唱はその最上部・パイプオルガンの横で歌った。そしてテノールとバリトン独唱は指揮台のすぐ横(最下層)。まるでローマ・カトリック教会(ソプラノ+合唱団)が地を這いつくばり泥に塗れて戦う兵士(=ゲイ・カップル:ピアーズとブリテンの暗喩)を見下ろすような構図となっており、面白いなと想った。「不寛容」と「被差別者」との対峙。しかし最終的に両者は許しあい、融和に至るのである。これは作曲家の願い・夢でもあっただろう(初演から半世紀経過した現在でも実現はしていない)。
穢れなき児童合唱の歌声は文字通り天上から降り注いだ。未曽有の感動がそこにはあった。僕は事前にデュトワ/NHK交響楽団による「戦争レクイエム」のブルーレイ録画を3回観て臨んだが、実演でなければこの曲の真価は分からないなと痛感した。例え5.1chサラウンドでも頭上からの音は再現出来ないからね。
ただ唯一残念だったのはデュトワ/N響のソリストが3人とも外国人だったの対し、大フィルは全員日本人だったこと。テノールは声が通らずメリハリがなく、バリトンは低音が出ない。ソプラノは澄んだ美しい声で良かったのだけれど。
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