児玉宏/大阪交響楽団のブルックナー第8番 第1稿
9月27日(金)ザ・シンフォニーホールへ。
児玉宏/大阪交響楽団で、
- ブルックナー/交響曲 第8番
(1887年 第1稿 ノヴァーク版)
を聴いた。
現在、最も演奏されるのはノヴァーク版の第2稿である。
ブルックナーは完成させた第1稿を指揮者のヘルマン・レーヴィに送るが、「演奏不可能だ」と拒絶される。そこで2年半を費やして改訂したのが第2稿である。ハース版は両者の折衷案となっている。
第1稿を初めて録音したのはエリアフ・インバル/フランクフルト放送交響楽団で1982年のことだった。その後ゲオルグ・ティントナーやシモーネ・ヤングらがレコーディングしている(これら3種類の音源はナクソス・ミュージック・ライブラリーNMLで聴くことが出来る)。またインバルは1998年に読売日本交響楽団を指揮して第1稿の日本初演を果たしている。
ノヴァーク版第1稿はノヴァーク版第2稿よりどれだけ小節数が多いか各楽章で比較してみよう。
第1楽章:+126小節、第2楽章:+28小節
第3楽章:+38小節、第4楽章:+62小節
つまり第2稿は全曲を通して254小節もカットされているのである。
今回初めて第1稿の実演を聴いた率直な感想は、アカデミー外国語映画賞を受賞したイタリア映画「ニュー・シネマ・パラダイス」(上映時間:2時間4分)を観て感激し、その後2時間50分ディレクターズ・カット完全版を観た時のあの落胆、あるいはフランシス・フォード・コッポラ監督「地獄の黙示録」を観た数年後、53分もの未公開シーンが追加された特別完全版を観た時の気持ちに似ている。
つまり、「長けりゃいいってもんじゃないんだ!」と叫びたい気持ち。
兎に角、冗長でくどい。第1楽章コーダが突然fff になる唐突さ!違和感ありまくり、なんとも居心地が悪い。イライラする。
僕がブルックナーの交響曲の中で一番好きなのは第7番なのだが(小学生の時初めて聴いたのがベーム/ウィーン・フィルの7番だった)、客観的に見れば第8番(第2稿)こそがブルックナーの最高傑作だと想う。それは多くの音楽愛好家も認めるところである。しかし第1稿はひどい。もし世の中にこの版しか存在しないとしたら、僕はベスト5にも入れないだろう。好事家相手にしか価値がない代物と断言出来る。
「第1稿にダメ出ししたヘルマン・レーヴィよ、ありがとう!」と心から言いたい。
些か金管(特にホルン)の乱れが気になるくらいで演奏自体は悪くはなかった。歯切れがよく、動的。第3楽章アダージョでも無駄に溜めず、音楽は決然と進む。そして終楽章の確信に満ちた足運び。しかし作品の出来がお粗末なので、聴く方としては始終モヤモヤしたじれったい気持ちで不完全燃焼に終わった。
まぁ滅多にない体験だし、傑作が生まれるまでの途中経過を垣間見られたという点では児玉シェフに感謝したい。
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コメント
お邪魔します。私は何年も前から第一稿主義者でして、「作曲者が自信持ってたから」とかの頭での理由ではなく、心からの第一稿に感動して、この夜(大阪交響楽団)も聞きに行って大感激したクチです。
朝比奈指揮大フィルで、ブルックナー8番を聞いて、それ以来ブルックネリアンで、クラシックに魂を売ったような人間ですが、
今では第一稿が本当の芸術的価値は上と感じてます。(ティントナー盤で目覚めました)
第ニ稿以降は、ポピュリズムに身を売り、真の芸術ではなく、演出の効いた「舞台劇」に成り下がったとすら感じます。
もちろん、それが舞台芸術として必須の要素であり、成功作としての条件だともわかってますが、
どうか第一稿を見捨てないで時々聞いてやってください。
おせっかい極まりないコメントですみません!
投稿: 通りすがりの第一稿 | 2013年9月28日 (土) 23時14分
私はその演奏会を聴いた訳ではありませんが、インバルのCDを聴く限り、全く同意見であります。
ブルックナーに限らず作曲家あるいは創造者には、おしなべて推敲、そして第三者の意見を聞くことが大切だということを私たちに知らしめてくれる典型的な例のような気がします。
私も含めてブルックナー・ファンには版へのこだわりのようなものがありますが、行き過ぎると、何が何でもオリジナル偏重になってしまいかねないので、程々にしておかねばなりませんね。
投稿: gijyou | 2013年9月29日 (日) 10時14分
ブルックナー8番第1稿の日本初演は、インバル指揮の読響です、都響ではありません。
私は、8番の第1稿もヤングのCDを聴くと悪くないと思います。今回は8番第1稿の関西初演ではありませんでしたか?
投稿: 恐怖のタヌキ野郎 | 2013年9月29日 (日) 19時14分
通りすがりの第一稿さん、gijyouさん、コメントありがとうございます。
第1稿を支持する方もいらっしゃるのですね。新鮮な驚きがありました。
第1稿と第2稿の関係は本文でも書きましたが、映画の編集作業に喩えられると想います。監督は撮影したフィルムをたくさん使いたい。しかし興行的観点からプロデューサーや映画会社は短くしたい。そこに葛藤が生じます。その過程で作品は余分なものを削ぎ落とされ、洗練されていくのですね。最近はディレクターズ・カットと称して長尺版が後に公開されることが増えてきましたが、後者の方が優れていることは希です。やはり「他者の目」を通して揉まれることは大切なんですね。
投稿: 雅哉 | 2013年9月30日 (月) 08時29分
恐怖のタヌキ野郎さん、ご指摘ありがとうございます。Wikipediaを参考にして記事を書いたのですが、Wikiの記載が間違っていたようですね。本文訂正しておきました。それから今回が多分関西初演だと思われますが、確かなところはよく分かりません。
投稿: 雅哉 | 2013年9月30日 (月) 08時33分