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宮崎駿「風立ちぬ」とエリア・カザン~ピラミッドのある世界とない世界の選択について

宮崎駿は映画「風立ちぬ」の企画書で次のように書いている。

 自分の夢に忠実にまっすぐ進んだ人物を描きたいのである。夢は狂気をはらむ、その毒もかくしてはならない。美しすぎるものへの憬れは、人生の罠でもある。美に傾く代償は少くない。二郎はズタズタにひきさかれ、挫折し、設計者人生をたちきられる。それにもかかわらず、二郎は独創性と才能においてもっとも抜きんでていた人間である。それを描こうというのである。

芸術家は時代に翻弄されることがある。美を追求しようとするものは時として政治に巻き込まれ、迎合することを余儀なくされる。もしそれを拒否した場合、芸術家としての道が絶たれることもあるのだ。

「風立ちぬ」のキャッチコピーは「生きねば。」「もののけ姫」のコピーが「生きろ」だったから僕は最初、どこが違うの?と疑問に感じた。しかし決定的な違いがある。「生きろ」は命令文であり、宮崎駿が子どもたちに向けたメッセージだ。しかし「生きねば」は自分に向けた決意である。つまり「風立ちぬ」は芸術家/クリエーターとしての宮崎駿自身のことを語っており、そこに子どもたちは介在しない。また「生きろ」は明快で直球の表現だが、「生きねば」は苦渋に満ちており屈折している。つまり、(それでも)「生きねば」という逆説的ニュアンスが感じられる。

僕は「風立ちぬ」の主人公・堀越二郎の生き様を見ながらエリカ・カザンのことを想い出した。

エリア・カザンはオスマン帝国の首都イスタンブルに生まれたギリシャ人で4歳の時に家族とアメリカに渡った。若いころには米国の共産党に短期入党していた。やがて「欲望という名の電車」「セールスマンの死」などの演出により演劇界で名を馳せ、映画界に進出。「紳士協定」や「欲望という名の電車」を監督し、いくつものアカデミー賞を受賞した。

1952年下院非米活動委員会による「赤狩り」でカザンは共産主義者の疑いがかけられ、それを否定するために司法取引をした。彼は共産主義思想の疑いのある者として友人の劇作家・演出家・映画監督・俳優ら11人の名前を同委員会に証言した。その中には作家ダシール・ハメットや劇作家リリアン・ヘルマン(映画「ジュリア」はヘルマンの自伝小説を元にしている)の名もあった。

こうして”裏切り者”カザンはハリウッドに留まることが許され、1954年に監督した「波止場」がアカデミー賞で8部門受賞し、「エデンの東」(1955)や「草原の輝き」(1961)などの名作を撮り続けた。

一方、非米活動委員会で証言を拒否した映画人たちはブラックリストに載り、ハリウッドから追放された。その代表格がハリウッド・テンである。ハリウッド・テンで最も有名なのはダルトン・トランボ。かれは追放後も偽名や友達の名を借り、映画の脚本を密かに書き続けた。そして何と別人に成りすましたまま「ローマの休日」(1953)と「黒い牡牛」(1956)で2度もアカデミー賞を受賞している。

ただトランボは脚本家という特殊事情があったから覆面のまま活躍出来たのであって、ハリウッド・テンの他の9人はその後まともな仕事をしていない。キャリアは完全に絶たれたのである。

カザンとトランボ。ここに人生における大きな命題がある。つまり「ひたすら美(芸術)を追求するのか、自分の信念(倫理)を貫くのか」。答えは一つじゃない。多分どちらも正解なのだ。

1998年、カザンの功績に対するアカデミー名誉賞の授与は波乱含みだった。会場の外では反対派がデモをし、リチャード・ドレイファスが授与反対の声明を出した。カザンが登場すると一部がスタンディング・オベーションする中、ニック・ノルティやエド・ハリスらは腕組みし座ったまま無言の抗議をした(僕はBSを通しリアルタイムで観た)。

カザンと似たような選択を迫られた例として、ナチス・ドイツの党大会を記録した「意志の勝利」や1936年ベルリン・オリンピックの記録映画「民族の祭典」「美の祭典」(「キネマ旬報」外国語映画ベストテン第1位)を撮ったレニ・リーフェンシュタール、ナチスを讃えるカンタータの作曲を依頼され、未完のまま亡くなったフランツ・シュミット、ナチスの党員だったオーストリア出身の指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤン(映画「愛と悲しみのボレロ」にはカラヤンをモデルにした指揮者が登場する)、ナチス政権下にベルリン・フィルの常任指揮者だったヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1946年ベルリンにおける非ナチ委員会でのフルトヴェングラー最終弁論はこちら)らが挙げられるだろう。

映画「風立ちぬ」には次のような問答が用意されている。

カプローニ「君はピラミッドのある世界と、ピラミッドのない世界のどちらが好きかね?」
二郎「僕は美しい飛行機を作りたいと思っています」

つまり宮崎駿はたとえ王が無辜の人民を搾取し、強制労働させて創ったピラミッドであろうとも、「美しい」という理由で肯定するのである。これは芸術家として生まれた者の挟持・覚悟を示している。

もし僕が「君は映画『エデンの東』や『草原の輝き』が存在する世界と、ない世界のどちらを選ぶかね?」と問われたら、「ある世界を望みます」と即答するだろう。カザンがハリウッドから追放されていれば「エデンの東」は存在しなかったし、ジェームズ・ディーンも今ほどのスターではなかっただろう。故に僕は赤狩りにおけるエリア・カザンの行動を100%肯定する。

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