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2013年8月23日 (金)

想像力についての考察(「風立ちぬ」「桐島」そして「秒速5センチメートル」を巡って)

映画「桐島、部活やめるってよ」は掛け値なしの傑作である。それはこの作品が日本アカデミー賞で最優秀作品賞・監督賞などを受賞し、キネマ旬報ベストテンで第2位、「映画芸術」誌でも第5位になったことからでも明らかだろう。

しかし「桐島」を観た現役高校生たちの反応は押し並べて「分からない」だったようだ。映画に登場する高校生たちは誰も本音を言わない。映画評論家・町山智浩さんの言葉を借りるなら、「そんなのダセェ」からだ。婉曲的に語られる彼らの会話や行動から、本心を探るしかない。観客の想像力・推察力が試されるのだ。人生経験の浅い若い人にはそれが難しかったのだろう。だが「分からない」のは高校生だけではない。大人でもこの映画が何を言いたかったかを理解出来ていない人たちが沢山いる。例えば「映画芸術」誌でこの映画はベストテンと同時に、ワーストテンで第8位にランク・インしている。

宮崎駿監督の「風立ちぬ」もそんな映画だ。主人公・堀越二郎は寡黙な人で、多くを語らない。彼の本心は直ぐに見えてこない。ここでも観客の想像力が問われている。だから本作を絶賛する人(主にクリエーターが多い)と、「分からない」人たちに、気持ち良いくらい真っ二つに分かれている。毎日新聞に《映画:賛否両論 「風立ちぬ」 「感動」×「違和感」》という記事が掲載されたが、「賛否両論」とは違う。「理解出来る人/出来ない人」の差だろう。作家・東浩紀 氏はtwitterで次のように呟いている。

普通のユーザーの感覚からすれば、風立ちぬは、戦争産業に従事したり恋人が結核で苦しんでたりするのにまったく主人公に葛藤がないのでびっくりするし、ちょっと共感しがたい(どこに共感すればわからない)映画だと思う。

僕の受け止め方はちょっと違っていて、主人公に葛藤がないのではなく、あるけどそれを直截的に語っていないだけだと想う。本心をそのまま台詞にするなんてみっともないじゃない?それは映画の行間から観客が想像力で補い、推察することだ。芸術とはそういうものだ。二郎は菜穂子の死を痛いほど哀しんでいるし、自分が好きな飛行機の設計が殺人兵器として使用されていることは十分自覚し、苦しんでいる。僕にはそのことがしっかりと伝わって来た。

風立ちぬ」が戦争シーンを描いていないという批判もあるが、見当違いも甚だしい。二郎の設計した零戦で多くの人々が死んでいった情景は観客の想像力で十分補える。「戦争反対!」と声高に叫ぶプロパガンダ映画じゃないんだ。格が違う。

「桐島」や「風立ちぬ」の論争を眺めていて、想い出したことがある。僕は高校生の時にフェデリコ・フェリーニ監督の「甘い生活」や「8 1/2」を観て、サッパリ意味が分からなかった。苦痛な時間でしかなかった。同じフェリーニの「道」とか「カビリアの夜」にはその年頃でも感動したのだが。しかしそれから25年経過して、再見してびっくりした。フェリーニが言いたかったことが今度は手に取るように分かるのだ。そして初めて「甘い生活」や「8 1/2」が映画史に燦然と輝く傑作と讃えられる理由が理解出来た。ついでに言えば「桐島」のラストシーンと「甘い生活」のラストは間違いなく繋がっている。菊池宏樹@「桐島」=マルチェロ@「甘い生活」なのだ。

だから「桐島」や「風立ちぬ」は高校生にはまだ早いかも知れない。世の中には人生経験や知識の積み重ねで見えてくるものもある。勿論、一生それが見えない人もいるけどね。

さて、漸く本題に入る。以前にも少し触れた新海誠監督の連作短編アニメーション映画「秒速5センチメートル」についてだ。新海監督の映画は色々と欠陥も多いのだが、それでもTSUTAYA DISCASで借りた「秒速5センチメートル」には強く惹きつけられた。そして立て続けに5回も観てしまった。高校・大学生の頃はこれくらい繰り返し観る作品もあったが、近年では極めて珍しい。動揺したと言ってもいい。そこで、どうしてこれ程までに魅了されたのかじっくり考えてみた。

5cm

秒速5センチメートル」は3本の短編から構成される。第1話「桜花抄(おうかしょう)」は主人公・遠野貴樹と篠原明里の小・中学生時代の淡い恋が描かれる。舞台は東京と栃木。

第2話「コスモナウト(宇宙飛行士のこと)」の舞台は種子島へ。高校3年の貴樹が同級生の澄田花苗という女の子の視点から描かれる。

第3話「秒速5センチメートル」は再び東京が舞台に。貴樹は26歳になっている。そして彼が3年間付き合った女性・水野理紗が登場する。

桜花抄」は貴樹の心情が直にナレーションで語られるのでベタな展開だ。自己陶酔的で感傷的な新海節に些か辟易する。また岩井俊二監督の映画からの借り物が多過ぎる。例えば桜のイメージは明らかに松たか子主演の「四月物語」だし、踏切の場面で明里が言う台詞は「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」のプールで奥菜恵が最後に言う台詞を彷彿とさせる。そして極めつけは図書館の貸し出しカード。これって「LOVE LETTER」そのものだ。

しかし「コスモナウト」になると俄然良くなる。語り部が花苗に代わるので、貴樹がぐっとミステリアスな存在になるのだ。彼が何を考え、どうしてそう行動するのか、観客は想像力を働かすしかない。

コスモナウト」と「秒速5センチメートル」を支配する感情は絶対的孤独である。貴樹も花苗も理沙も寂しい人達だ。相手に自分の気持を分かって貰えない。孤独に孤独を重ねても満たされることはない。ポッカリ開いた穴は決して埋まらない。そのやるせない切実な想いを山崎まさよしの歌「One more time, One more chance」が一層掻き立てる。

繰り返し登場する飛翔する鳥。届かない遠くのものへの憧れの象徴であり、また孤独そのものを示している。広大な空をひとりで飛ぶのは寂しいから。そのイメージは「コスモナウト」で花苗が飛ばす紙飛行機や宇宙探査機の打ち上げに繋がっている。

この世界観は僕が大好きな福永武彦の小説「草の花」や大林宣彦監督の一連の映画、例えば「時をかける少女」「さびしんぼう」「ふたり」「はるか、ノスタルジィ」に通じるものがある。だから惹かれたんだと、ここに至って漸く得心した。

しかし「秒速5センチメートル」もまた「風立ちぬ」同様に、高校生には分かり難いかも知れない。絶対的孤独感、憧れるものに手が届かない焦燥感・諦念を感じた経験は余りないだろうから。だからやっぱり大学生以上の大人向けのアニメーションかな。勿論、大人になっても本作と無縁の人たちは沢山いる訳だけれど。

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コメント

初めまして。いつも映画批評を楽しみにしています。

私は「風立ちぬ」を見て、「分からない」人間でした。

偶然にも町山さんの「風立ちぬ」の解説を読み、「主題歌の『ひこうき雲』の『今はわからない ほかの人にはわからない』という歌詞がこの映画を象徴している、この作品は分かる人向けに作られた映画」というようなことを述べられていて、腑に落ちました。

「風立ちぬ」はあまり好きになれませんでしたが、「桐島」は好きな映画です。(このブログで作品の存在を知り、観に行くことができました)なので、映画の魅力が「分かる」、「分からない」というのは、単純に「好き」、「嫌い」の感覚なのではないかと思います。流石に「風立ちぬ」が理解できる人が皆、「人生経験や知識の積み重ねた大人」ではないでしょうし、「風立ちぬ」が理解できない人イコール、想像力が欠けた人、子どもという捉え方は、少し大ざっぱすぎやしないかと思います。


投稿: takano | 2013年8月24日 (土) 00時54分

takanoさん、コメントありがとうございます。

反発を覚悟の上で挑発的文章を書いたので、不快な想いをされたのだとしたらごめんなさい。 拙ブログをお読みになり、「桐島」を観に行かれたとのこと。それを知り、とても嬉しいです。takanoさんが初めてコメントを下さっただけでもこの記事を書いた意義があったと確信しています。

「風立ちぬ」は奥深い映画です。僕は観終わった今もこの作品について考え続け、色々調べています。例えば前の記事に書いたモネの妻カミーユが結核だったという事実は観た後に知りました。カストルプ=ゾルゲというのは町山さんの解説で知りました。想像力というのは日々勉強し、養っていくものではないでしょうか?その努力をしない人もいるということです。

スタジオ・ジブリのブランド力で大ヒットしていますが、「風立ちぬ」という作品は本来、天才・宮崎駿が自分自身のことを語った非常にパーソナルな映画なのだと想います。テーマは自己矛盾。左翼のくせに民衆の犠牲の上に成り立ったピラミッドを「美しい」と肯定し、「汝殺すなかれ」と言いながら戦闘機が大好き。宮崎さんはそんな自分を最終的に肯定し、「矛盾だらけで何が悪い?オレはそれでも精一杯生き続けるぞ!」と開き直るのです。そういう意味でこれは映画監督グイドを主人公に妄想の羽を広げたフェリーニの「8 1/2」に非常に近い作品なのです。

自己矛盾は宮崎さん個人の問題ではなく、僕たちの人生にも共通する事項でしょう。人間は自然と共生しなければ存続できませんが、我々の築いた文明が自然を破壊している。矛盾です。地球環境を考えれば人間が存在しない方が良いのです。

本文でも書きましたが僕は「甘い生活」や「8 1/2」が理解出来るようになるまで25年掛かりました。中学生で「アラビアのロレンス」を観た時もサッパリ分かりませんでした。やはり第一次世界大戦の知識やエジプトやトルコの地理的関係を知らなければ想像力を働かすことすら出来ません。

最近ではテレンス・マリック監督の「ツリー・オブ・ライフ」も難解だった。町山さんの映画塾を視聴し、旧約聖書のヨブ記を勉強して初めて物語の意味が理解出来ました。

takanoさんも一度観て「分からない」からといって諦めないで下さい。また時を経て何時か「分かる」日が来るかも知れませんから。

投稿: 雅哉 | 2013年8月24日 (土) 12時57分

年始にi-tunesで無料レンタルだったので見てみました。アチコチ評論をみてここのが一番しっくりしましたよ。

投稿: jaway | 2014年1月 4日 (土) 16時54分

jawayさん、嬉しいコメントをありがとうございます。そういう言葉を掛けていただくと勇気が湧き、日々ブログを書く時の心の糧になります。

投稿: 雅哉 | 2014年1月 5日 (日) 13時17分

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