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2013年7月

2013年7月31日 (水)

ヴェネツィア国際映画祭コンペ出品決定!/宮崎駿監督「風立ちぬ」

評価:AAA(これ以上はありません)

Kaze2

何度も書いていることだが、宮崎駿(以下「宮さん」と書く)は自己矛盾に満ちたアニメーション作家である。バリバリの左翼(「の豚」は「俺はアカ=共産主義者で、太った醜い豚だ」という開き直りである)のくせに、資本主義の権化とも言えるディズニーに北米配給を任せ、アカデミー長編アニメーション賞を受賞しているし、平和主義者(蟲=オームすら殺してはいけない)のくせに、戦車とか戦闘機が大好きである。その最たるものが「風の谷のナウシカ」で、メーヴェで脱出したナウシカを追い回していたコルベットが風の谷のガンシップに撃沈される場面だろう。一瞬ナウシカは「助かった!」と笑顔になるが、後方を振り返り墜落するガンシップを見ながら「あの乗員たちは死ぬんだ」と悲しい表情をする。これぞ矛盾の真骨頂である。

「風立ちぬ」は宮さんがその自己矛盾に真っ向から対峙した作品である。主人公は零戦を設計した航空技術者・堀越二郎。純粋に飛行機が大好きで物づくりしただけなのに、それが殺戮兵器として使用され、一機も帰って来なかった。パイロットも全員死んでしまった。正に背反する《夢=天国》と《地獄》を背負って生きた男である。

二郎の友人・本庄(季郎)の「(戦争をするために)貧乏な国が飛行機を持ちたがる。それで俺たちは飛行機を作れる。矛盾だ」という台詞が、今まで僕が論じてきたことを端的に象徴している。

軽井沢に滞在する謎のドイツ人・カストルプは日本の特高警察に追われている。実はハンス・カストルプとはトーマス・マンの小説「魔の山」の主人公であり、従兄弟の見舞いにスイスのサナトリウムと訪ねると彼自身が結核を患っていることが発覚、長期滞在を余儀なくされる。つまり「風立ちぬ」に繋がっているのだ。映画本編でも「魔の山」に言及されている。

また主人公は夢のなかで数々の航空機を開発したイタリアのジャンニ・カプローニ伯爵と交流する。

考えてみればこの映画に登場するのは日本人・ドイツ人・イタリア人のみで、日独伊三国同盟を結んだ敗戦国の人間ばかりというのも興味深い。主人公がドイツの航空機メーカー・ユンカース社を訪ねる場面もある(創業者のフーゴー・ユンカースはナチ党に批判的だったため自宅軟禁され、1935年に死去)。

宮さんは「千と千尋の神隠し」以降、美少女をヒロインに据えることを意識的に避けてきた。しかし「風立ちぬ」の里見奈穂子はクラリスやナウシカを彷彿とさせる顔立ちで、直球ど真ん中を攻めてきた!逡巡なしの純愛物語には参ったね。宮崎駿、72歳。老いてなお瑞々しい感性を失っていない。主人公とヒロインが接吻(mouse to mouse)するのって、宮崎アニメでは「未来少年コナン」における海中のキス・シーン以来じゃない?(←後にハリウッド映画「カット・スロート・アイランド」がこの伝説的名場面を模倣した)

ただ「風立ちぬ」の奈穂子が従来の宮崎アニメのヒロインと一線を画すのは、死の影を帯びていることである。特に主人公と祝言を挙げる夜の場面のこの世のものとは思えぬ幽玄な美しさには息を呑んだ。映画作家として宮さんは前人未到の驚くべき地点にまで到達してしまった。凄い、スゴすぎる……。

崖の上のポニョ」(←筆者は「ポニョと宗介以外、全員死亡説」を説く)同様、「風立ちぬ」も夥しい死のイメージに満ちている。主人公が見る夢は飛行機が墜落したり、爆撃弾が投下されたりといった類のものばかりである。しかし直截的に人の死を描くことはない(奈穂子の死すら観客の想像力に委ねられている)。ではペシミスティックな作品かといえば決してそうではなく、「それでもジタバタして生きていくしかない」という覚悟、人生を丸々肯定して力強く映画は幕を閉じるのである。

「風立ちぬ」は最初から最後まで主人公の見る夢と現実が渾然一体となって、その境目が明確ではない構成になっている。これはある意味、黒澤明監督の「夢」と似たポジションの作品と言えるだろう。しかし「夢」の時点で黒澤監督の力量は明らかに衰えていたが、宮崎駿は「千と千尋の神隠し」をも上回る最高傑作を創ってしまった。なんと恐ろしい人だろう。

声優について。「素人丸出し」と巷で非難轟々の庵野秀明だが、僕はその朴訥で誠実な語り口に好感を覚えた。いいんじゃない?あと西島秀俊(本庄)、西村雅彦(黒川)、國村隼(服部)ら男声陣が極めて充実していた。

久石譲さんの音楽は冒頭からバラライカとマンドリンを使用し、実に爽やかであった。

音響効果(SE)についても触れなければなるまい。飛行機のプロペラ音や蒸気機関車、車のエンジン音などが人の声で表現されている。これが不思議と違和感はなかった。特に関東大震災直後の風鳴は恐ろしく不気味で、まるで魔物のようであった。必聴。

Kaze

「風立ちぬ」はまず間違いなく、米アカデミー長編アニメーション賞を制覇するだろう。そしてヴェネツィア国際映画祭のコンペティション部門への出品が正式に決まっている。今年ヴェネツィアの審査委員長を務めるのはベルナルド・ベルトルッチ(「ラストタンゴ・イン・パリ」「1900年」)。また「ラスト・エンペラー」「シェルタリング・スカイ」でベルトルッチと組んだ坂本龍一も審査員に加わる。金獅子賞を期待したいが、果たしてベルトルッチはアニメーションに対して理解があるのだろうか!?そこに一抹の不安を禁じ得ない。

僕は本作を今年スティーヴン・スピルバーグが審査委員長を務めたカンヌ国際映画祭に出すべきだったと想っている。スピルバーグはアニメーション映画「アメリカ物語」を製作総指揮しているし、モーション・キャプチャーの「タンタンの冒険 ☆ユニコーン号の秘密☆」を監督している。さらに彼は戦闘機フェチでもある(「太陽の帝国」「1941」を観れば明らかだ)。きっとパルム・ドールが獲れた筈。しかし残念なことにカンヌ開催中も「風立ちぬ」は未だ完成していなかったのだ。

まぁベルトルッチはイタリア人だし、宮さんと同じ左翼(嘗て存在したイタリア共産党支持者)なので、「風立ちぬ」の世界観に共感してくれるのでは?と希望を繋ぎたい。

最後に、堀辰雄の小説「風立ちぬ」は大学生の頃読んでいたので、「風立ちぬ、いざ生きめやも」という言葉は記憶していたが、 ポール・ヴァレリーの詩「海辺の墓地」の一節を堀が訳したものだということは今回初めて知った。

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2013年7月29日 (月)

言の葉の庭

「時をかける少女」「おおかみこどもの雨と雪」の細田守監督とともに、「ポスト宮崎駿」と言われる新海誠監督の最新アニメーション映画である。新海監督の「雲のむこう、約束の場所」(2004)は「ハウルの動く城」を抑え、毎日映画コンクール・アニメーション映画賞を受賞した。

Kotonoha

評価:B-

公式サイトはこちら

この映画を観た感想を一言で表現するのは難しい。「好きだけど、嫌い」というのが多分一番近いだろう。つまり背反する感情を覚えるのだ。

アニメーションとしてのクオリティは極めて高い。特に雨など自然描写が美しい。間の取り方、編集も巧みである。心地良いリズムがある。つまり技術的にはパーフェクトなのだ。

しかしセンチメンタルで自己陶酔的な脚本はいただけない。身も蓋もない青臭さに鼻白む。男が夢見る理想の女性像。こんな女(ひと)、現実にはいないよ。新海アニメには熱狂的男性信者がいるが、多分女性ファンは少ないんじゃないだろうか?「ふん」と鼻であしらわれそう。

あと「全てが借り物」感が強かった。例えば主人公の15歳の高校生は将来靴職人になることを夢見ているが、どうしても「耳をすませば」の少年(やはり15歳)がヴァイオリン職人になるためにイタリア留学を志すことを思い出してしまう。また新宿御苑で佇む男女という構図はトラン・アン・ユン監督「ノルウェイの森」における井の頭公園の場面を彷彿とさせる。さらに言えば新海監督「星を追う子ども」(2011)の世界観、キャラクターデザインは宮崎駿の絵物語「シュナの旅」とそっくりである。既視感デジャヴュ)が強い。つまり、この人にはオリジナリティ(特筆すべき個性)というものが欠けているのだろう。

そういう意味で「雰囲気はあるけれど、中身が空っぽ」という、新海監督に対する巷での評価には頷けるものがある。

しかしこれだけ悪口を書いても、バッサリ斬り捨てられない魅力も確かにこの作品にはあるんだなぁ。複雑な心境である。

また、最後に流れる大江千里(作詞・作曲)「Rain」(秦基博がカヴァー)が凄くよくて、映画の内容にぴったり寄り添っていた。調べてみるとシングル・カットされていない曲で、1988年に発表されたアルバムに収録されているらしい。25年も前の歌なんだね。

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2013年7月28日 (日)

モルゴーア・クァルテット/辺境の弦楽四重奏

6月26日(水)ザ・フェニックスホールにてモルゴーア・クァルテットを聴いた。東フィル、東京シティ・フィル、N響のメンバーらで構成され、ショスタコーヴィチ/弦楽四重奏曲を全曲演奏するシリーズなど20世紀以降の音楽に力を入れている。

  • シュニトケ/弦楽四重奏曲 第3番 (1983)
  • グバイドゥーリナ/弦楽四重奏曲 第3番 (1987)
  • シベリウス/弦楽四重奏曲「親愛なる声」

プログラムノートを作曲家・池辺晋一郎さんが執筆、キーワードは「辺境」の音楽だと書かれていたので、成る程と想った。シュニトケは旧ソ連のヴォルガ・ドイツ人自治共和国、グバイドゥーリナはソ連のタタールスタン自治共和国生まれ。シベリウスは言うまでもなくフィンランドだ。音楽の中心地といえば17世紀はヴィヴァルディ、コレッリを輩出したイタリア。18世紀はフランソワ・クープラン、ルクレールのフランスと大バッハのドイツ、そしてモーツァルトの生まれたオーストリア。19世紀もベートーヴェン以降ドイツ/オーストリア時代が続き、世紀末頃から印象派の隆盛でフランスが復活してくる。オペラの主流もドイツとイタリアが2分して来た。だから音楽的に見ればイギリスも「辺境」の地である。

シュニトケはノン・ヴィブラートで開始された。第2楽章が劇的でインパクトあり。

グバイドゥーリナは雨だれのような音が気持ちいい。ピチカートで弾(はじ)いた後に音程を変える手法が面白い。またヴァイオリンをマンドリンのように持って演奏する場面も。

シベリウスはメランコリックな曲調。モルゴーアは張りのある音で、緊密なアンサンブル。エモーショナルに強く聴衆に訴えかけてくる。低音が雄弁で音楽が引き締まる。何かに駆り立てられるような、鬼気迫る演奏であった。終楽章でチェロ(藤森亮一)の弦がブツン!と大きな音を立てて切れたが、最後まで弾き切った。

アンコールは、

  • ショスタコーヴィチ/弦楽四重奏曲 第10番 第4楽章
  • クレバノフ/弦楽四重奏のためのスケルツォ

ドミトロ・クレバノフ(1907-1987)はウクライナの「忘れられた作曲家」。スターリン時代の1940年代後半に巻き起こったジダーノフ批判(前衛芸術に対する圧政)により、作風の転向を余儀なくされた。活気ある曲ですごく良かった!

珍しい曲が並び、聴き応えのある演奏会であった。先日解散した東京クヮルテットより好きかも。

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2013年7月24日 (水)

大植英次/大フィルでラヴェルの歌劇「子どもと魔法」ほか~音楽と色彩についての考察

7月23日(火)ザ・シンフォニーホールへ。

大植英次/大阪フィルハーモニー交響楽団で、

  • ブラームス(シェーンベルク 編)/ピアノ四重奏曲 第1番
  • ラヴェル/歌劇「子どもと魔法」(演奏会形式)

ラヴェルの独唱はステラ・ドゥフェクシス、インゲボルグ・ダンツ、天羽明惠、レイチェル・ギルモア、アネリー・ゾフィ・ミューラー、セバスティアン・ノアーク、ドミニク・ヴォルティッヒ、ルドルフ・ローゼン。合唱はザ・カレッジオペラハウス合唱団、大阪すみよし少年少女合唱団。

ブラームスのピアノ・カルテットはナチスを逃れアメリカに亡命したシェーンベルクが1937年に編曲し、翌38年にクレンペラー/ロサンゼルス・フィルの手で初演された。メランコリーが感じられ、ロマンティック。演奏は推進力があり、潤いのある音がうねる。たゆたうような浮遊感があり、根無し草のような印象を覚える。僕は村上春樹の小説「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の中で、主人公が自分のことを”空っぽの容器”と表現していたのを想い出した。つまり、ブラームスの音楽には人間の弱さがある。強靭な意志を持つベートーヴェンとは対極にある。そこに共感出来るのだ。なお未亡人となったクララ・シューマンをブラームスが終生愛し、独身を貫いたことは余りにも有名。このピアノ四重奏曲の初演もクララがピアノを弾いた。

一転して第4楽章は「ジプシー風ロンド」つまりハンガリー舞曲である。情熱的で血がたぎる。後半に登場する、ツィンバロンの響きを再現した箇所には驚愕する。魔術的とも言える。シェーンベルクはラヴェル同様にオーケストレーションの達人だったのだということがよく分かる。大植さんの解釈はケレン味たっぷりで、あざとい迄に極端にテンポを動かしてきたが、終楽章はこれでよかったと想う。

さて、ラヴェルは「子どもと魔法」(1925年初演)でピアノの弦の上に紙片を置くように指示しているが、これって1940年にジョン・ケージが「発明」したとされる、プリペアド・ピアノのはしりだよね?

チャイコフスキー、ラヴェル、プーランク、ブリテン、ニーノ・ロータ、ジョン・コリリアーノらゲイの作曲家たちを、他のストレートの作曲家たちと分かつのは、匂い立つ、鮮やかなだと想う。ラヴェルの音楽はとにかく響きがなのだ。

村上春樹のエッセイによるとプーランクは「私の音楽は、私がホモ·セクシュアルであることを抜きにしては成立しない」と語っているという。

ファッション・デザイナーにゲイが多いのも、この独特のと関係あるのではないか、と僕は考えている。

それに対しブラームスの音楽は、しばしば「いぶし銀」と表現されるようにモノトーンだ。

子供と魔法」はおどけた感じで、ユーモラスなオペラである。エレガントで妖しく、時に優しく微笑み、時に残酷にもなる夢の世界。

大植/大フィルはこのオペラの多彩な輝きを充分に表現し尽くした。また8人のソリストのうち7人までを欧米(主にドイツ)から招聘しており、声楽陣のレベルの高さが際立っていた。大植さんが今まで築いてきた人脈の力だろう。

特にレイチェル・ギルモア(火、うぐいす)が澄んだ美しいコロラトゥーラを聴かせてくれ、魅了された。彼女はどうやらアメリカ人らしい。

子供を演じたステラ・ドゥフェクシスはショート・ヘアでボーイッシュな雰囲気があり、チャーミング。すごく役に合っていた。

何よりも今回の定期は、選曲センスの勝利であった。演奏会形式ではあるが、豊穣なオペラの世界を堪能した。

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2013年7月20日 (土)

ウィーン・ミュージカル・コンサート2

7月11日(木)梅田芸術劇場へ。

Wien

2008年の「ウィーン・ミュージカル・コンサート」に続く第2弾。前回も鑑賞した。今回の来日メンバーは半数異なる。

  • マヤ・ハクフォート:2007年ウィーン版「エリザベート」引越し公演でタイトルロールを演じる。同役で1000回以上出演。現在はエリザベートを卒業し、ザンクトガレン@スイスのオペラハウスで上演されているミュージカル「レベッカ」にダンヴァース夫人役で出演中。
  • マーク・ザイベルト:2004-2005年にウィーンで上演された「ロミオとジュリエット」にティボルト役で出演。2012年9月よりウィーン・ライムント劇場の「エリザベート」にトート役で出演中。また今年10月からはドイツの「ジーザス・クライスト=スーパースター」でジーザスを演る予定。初来日
  • アンネミーケ・ファン・ダム:2011-2012年に「エリザベート」ドイツ・ツアー公演でタイトルロールを演じ、現在はウィーン・ライムント劇場の「エリザベート」に出演中。初来日
  • ルカス・ペルマン:「エリザベート」ルドルフ役、「ダンス・オブ・バンパイヤ」アルフレート役、「ロミオとジュリエット」ロミオ役などを演じる。2007年ウィーン版「エリザベート」で初来日。以降、今回が日本で10回目のカンパニー出演とのことで、こちらでもすっかりお馴染み。
  • イングヴェ・ガーソイ・ロムダール:1999年にアン・デア・ウィーン劇場で初演されたミュージカル「モーツァルト!」ヴォルフガング役のオリジナル・キャスト。
  • ケヴィン・タート:ミュージカル「ダンス・オブ・ヴァンパイア」に1000回以上出演。ドイツではクロロック伯爵として親しまれている。初来日

他に、男女3人ずつアンサンブル・キャストも来日。卓越した歌と踊りで魅了した。衣装は全て現地で使用されているものとのことで、こちらも豪華だった。

また”踊る指揮者”塩田明弘さんがタクトを振った。

今回演奏されたのは「ダンス・オブ・ヴァンパイア」「ルドルフ」「モーツァルト!」「ロミオ&ジュリエット」「レベッカ」「エリザベート」(第一幕はアンネミーケ、第二幕はマヤがタイトルロールを演じた)からの抜粋。またアフターボーナスショーとして下記が歌われた。

  • 「マリー・アントワネット」より”ILLUSION -あるいは希望-”
  • 「三銃士」より”ひとりは皆のために” (男性全員)
  • 「ジキル&ハイド」より”時は来た” (ケヴィン)
  • エリザベート」より”私だけに” (マヤ)

エリザベート」の”私だけに”はアンネミーケも歌ったので、新旧キャストで聴けたことになる。アンネミーケは伸びる高音が素晴らしく、歌唱力抜群。しかしマヤも有無を言わさぬ圧倒的説得力で聴衆をねじ伏せた。またマヤの「レベッカ」ダンヴァース夫人もパワフルで強烈だった。

ダンス・オブ・ヴァンパイア」の舞台は未見だが、今回の「序曲~愛のデュエット~サラへ~抑えがたい欲望」を聴いて、コンセプトが「オペラ座の怪人」に凄く似ているなと感じた。ケヴィンはバリトンの音域で、低音が魅力的だった。

ルドルフ」で歌ったルカスはイケメンで、軍服がよく似合う。フランク・ワイルドホーン(ジキル&ハイド」「スカーレット・ピンパーネル」)による楽曲が美しい。いいね!

モーツァルト」についてはオリジナル・キャストのイングヴェの歌唱が張りがなく、ぼやけた感じでいただけない。これなら日本版キャストの中川晃教や山崎育三郎の方が上手い。日本人キャストもウィーンと互角の勝負ができるくらいのレベルに達しているのだなと嬉しく想った。「星から降る金」を歌ったマヤは流石の貫禄だった。またコロレド大司教に従う女性アンサンブルの衣装が素敵だった。

ロミオ&ジュリエット」はティボルトを演じたマークが筋肉ムキムキで可笑しかった。

一方、「エリザベート」のマークは自己陶酔型のトートで耽美かつセクシー。僕は大いに気に入った。ウィーン版引越し公演でトートを演じたマテ・カマラスよりもマークの方がいい。

というわけでドイツ・オーストリア圏でトップの実力を誇るメンバーによるパフォーマンスを堪能し、夢のような時間を過ごした。

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2013年7月18日 (木)

宝塚生活始まる。

僕が郷里岡山を離れ、関西に移り住んだのが今から8年前の3月。それ以来、大阪府堺市に生息していた。しかし、そろそろ手狭になったので、思い切って引っ越しをすることにした。第1候補に上がったのが宝塚市であった。

宝塚市に初めて足を踏み入れたのは忘れもしない、1998年宝塚宙組エリザベート(姿月あさと、花總まり、湖月わたる、朝海ひかる 他)観劇目的であった。静かで上品な街だなというのが第一印象であった。それ以来、宝塚歌劇観劇目的で何度も訪れ、ますます好きになっていった。

関西移住が決まって最初に検討したのも宝塚市だったのだが、仕事の都合で断念した。しかしこうして今、15年越しの夢が実現したわけだ。

新居購入の決め手になったのはベランダから宝塚大劇場が見えたこと。来年は宝塚歌劇100周年だそうで、これから色々愉しみである(今年は宝塚音楽学校100周年だそう)。

宝塚はガーリー(フェミニン)な街だ。ジェンヌや音楽学校の生徒さんも住んでいるので、歩く女性たちの美人率が極めて高い。だから街全体が華やかで気品がある。

「図書館戦争」「県庁おもてなし課」「「空飛ぶ広報室」など次々と映像化され、飛ぶ鳥を落とす勢いの作家・有川浩。彼女は高知県出身だが、現在は宝塚市在住。そして宝塚駅から西宮北口駅までの阪急今津線で紡がれる人生模様を群像劇として描いた小説が「阪急電車」である。有川も余程気に入っているのであろう、行間から宝塚愛が滲んで来た。これを読み、映画も観たことが「僕も住みたい」という気持ちを一層強くした。

大阪の中心地・梅田界隈まで電車で30分強という地の利の良さにもかかわらず、宝塚市は程よい田舎である。宝塚歌劇が出来る前はのんびりした温泉地だったという。今でも源泉かけ流しの温泉があるようなので、そちらの方もじっくりと味わいたい。泉質は有馬温泉に近いらしい。

今後も「宝塚便り」を時々ブログでご報告したいと想う。

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吉松隆/交響曲第6番初演と、天使に関する考察~いずみシンフォニエッタ大阪 定期

7月13日(土)いずみホールへ。

Yoshi

飯森範親/いずみシンフォニエッタ大阪による定期演奏会。今回は映画やテレビ・ドラマに携わる作曲家によるコンサート用作品がテーマである。

  • エンニオ・モリコーネ/ヴィヴァルディのための4つのアナコルーティ
  • ニーノ・ロータ/トロンボーン協奏曲 (独奏:新田幹男)
  • 吉松 隆/鳥は静かに...  op.72
  • 吉松 隆/交響曲 第6番「鳥と天使たち」 op.113 (委嘱作・初演)

また恒例のロビー・コンサートもそれに先駆けてあった。安藤史子(フルート)、内田奈織(ハープ)で、

  • ニーノ・ロータ/映画「ロミオとジュリエット」~青春とは何か
  • エンニオ・モリコーネ/映画「ニュー・シネマ・パラダイス」抜粋
  • ニーノ・ロータ/フルートとハープのためのソナタ 第3楽章

吉松隆/交響曲第6番は初演の二日前に作曲家立ち会いのもと行われたリハーサル見学会も聴いた。静謐で超絶的に美しい!「鳥と天使たち」と題されているが、僕は吉野山で静御前が舞っている姿を幻視した。吉松さんは「平清盛」を作曲しているし、あながち的外れでもないだろう。

吉松さんの風貌は大阪フィルの指揮台に立ったフィンランドの作曲家レイフ・セーゲルスタムにすごく似ていた。吉松さんは高校1年生の時にシベリウス/交響曲第6番を聴いて作曲家を志した人で、セーゲルスタムもシベリウスに私淑している。

演奏の方は見通しがよく精緻で、透明感溢れるものだった。1管編成の室内オーケス トラのために作曲されたという要素も大きいだろう。吉松作品の特徴である鳥の鳴き声が飛び交い、まるで森林浴を体験しているような気持ちの良さであった。

第1楽章「右方の鳥」の序奏はピアノと弦の対話。弦はノン・ヴィブラートで開始され、やがて躍動する舞へ。あくまで調性音楽にこだわりつつ、時に大胆な不協和音が用いられる。変拍子のリズムは絶え間なく変幻する(metamorphose)。楽章半ばからドラムスが大活躍し、プログレッシブ・ロック/フリー・ジャズ的展開を見せる。

リハーサルでは作曲家から「リズムが重い、(リズム・セクションを)デッドにして」「このホールは響くので、ハープやホルンはもっと軽めに」「出だしと最後はもうちょっと(テンポが)速いよ」「もっと乾いた感じで」「そこはモーツァルトっぽく」といった指示が飛んだ。

第2楽章「忘れっぽい天使たち」にチャイコフスキー/交響曲第6番「悲愴」 第4楽章の断片が現れたのを聴き、僕はニヤッとした。1990年代以降「天使」は「ゲイ」の暗喩になっているからである。

このイメージはトニー・クシュナーが書いた戯曲「エンジェルズ・イン・アメリカ」(第1部は1989年に初演、第1部、第2部を通しで1992年に初演)が先鞭をつけた。ニューヨークを舞台にエイズに冒された同性愛者たちとその周囲の人々を描く作品で、1993年にはトニー賞やピュリッツァー賞を受賞、またマイク・ニコルズ監督で2003年にテレビ・ミニ・シリーズとなり、エミー賞で11部門、ゴールデングローブ賞で5部門受賞した。僕はWOWOWで観たがアル・パチーノ、メリル・ストリープ、エマ・トンプソンら錚々たる出演陣だった。天使=ゲイのメタファーとして描かれている。

また1996年にはオフ・ブロードウェイでジョナサン・ラーソン台本・作詞・作曲のミュージカル「RENT」が初演され大ヒットを飛ばし、オンに進出。トニー賞で最優秀作品賞など4部門受賞、ピュリッツァー賞でも最優秀作品賞を受賞した。このミュージカルもエイズに罹患したゲイがテーマである。そして登場人物のひとりにそのものズバリ「エンジェル」がいる。

この楽章は天使というよりも、むしろ「天女の舞」といった感じだなと思った。風の音がして、特殊な和(打)楽器が活躍。懐かしいオカリナ響きから開始され、スライド笛、トイピアノなども使用されて「おもちゃ箱」の様相を呈する。そして全体を支配するのはワルツの気分だ。

リハーサルでは「(トイピアノは)もっとちゃちい音が欲しい」「ここのヴァイオリンはノイズ音。キツツキが木を叩く感じ」といった注文が作曲家から飛んだ。

活発な第3楽章「左方の鳥たち」には「平清盛」の旋律なども登場。リハーサルでは「ここは木管がメイン。弦がちょっと強い」「マリンバは固いマレットの方がいいい。その方が音がクリア」などといった注文も。吉松さんは交響曲第6番を「元気で喧しい女の子」のイメージで作曲したそうで、この楽章は正にその通りだった。

新作の前に演奏された弦楽アンサンブルのための「鳥は静かに...」は叙情的で、磨き上げられた音に魅了された。

吉松さんと、企画・監修を務める作曲家・西村朗さんによるトークもあった。「どうして鳥にこだわるの?」という西村さんの問いに対し「人間以外で歌う先輩だから。また翼を広げ飛翔するイメージに惹かれる」と。さらに天使は「音楽になる前。透明感がある」から好きなのだそう。

「ニーノ・ロータは天使のような人だった」朋友フェデリコ・フェリーニ監督の言葉である。

ニーノ・ロータはゲイだった。1976年にロータが来日し日本のオケを指揮して自作を演奏した時、若い男の恋人を連れてきていたと関光夫(ラジオ・パーソナリティ)が証言している。生涯独身だったロータに対し関が「どうして結婚されないのですか?」と尋ねると、「母が良すぎたから」と答えたという。同様な受け答えを故・淀川長治(映画評論家)もしているので、これはゲイの常套句なのだろう。ただフェリーニがロータのことを「天使」に喩えた時、そこにゲイのニュアンスを含めていたのかどうかは僕には分からない。

ロータのトロンボーン協奏曲は機知に富む。新田幹男さんのソロは朗々と伸びる音が素晴らしい。精緻な演奏。第3楽章はギャロップ風でお調子者の道化師を連想させた(フェリーニの映画で道化師は重要なテーマである)。

モリコーネの楽曲は第1部で基本音形がエコーのように交差し、第2部では重層的掛け合いとなる。ゆったりとした第3部を経て第4部は鋭利な響き。冷たい刃物で切り刻むような音楽であった。ノスタルジックな映画「ニュー・シネマ・パラダイス」におけるモリコーネとは全く別の前衛的側面を見せてくれて、凄く面白かった。ちなみに「アナコルーティ」とは破格構文(一文の中で構文が変化する)のことだそうだ。

とにかく今回はプログラムがユニークで、曲自体がどれも良かった。大阪でこれほど質の高い演奏を聴けることを、僕は誇りに想う。

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2013年7月 9日 (火)

奇跡のリンゴ

評価:A

Kiseki

映画公式サイトはこちら

NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」でも紹介された実話である。主人公:木村秋則氏も実在する(映画では阿部サダヲが演じた)。

監督は「アヒルと鴨のコインロッカー」「ゴールデンスランバー」など伊坂幸太郎とのコラボで知られる中村義洋

とにかく壮絶な話で唖然とした。そして泣いた。無農薬でリンゴを栽培することがどれほど困難なことか初めて知ったし(非常に分かりやすく描かれている)、ある意味狂気を孕んでいると表現しても過言ではない主人公の行動に驚きつつも、不可能に挑戦する勇気こそ人間の偉大さなのだということも痛感させられた。ただただ脱帽である。

映画はアダムとイヴに始まり、リンゴがどういう経路を辿りヨーロッパから日本に伝わったかをアニメーションで描く。見事な導入部である。

主人公の幼少期はコメディ・タッチで描かれ笑わされるが、次第にシリアスな様相に変貌していく。その辺りの演出プランも巧みだ。

主人公の妻を演じる菅野美穂が素晴らしい。滲み出る夫婦愛が麗しく、生まれて初めて彼女をいいと想った。特に終盤の泣き笑いのような表情にはやられたね。今年の(個人的)主演女優賞、洋画は「華麗なるギャツビー」のキャリー ・ マリガンと早々に決めているが、邦画なら絶対に菅野美穂だ。

実は元々、僕はこの映画に興味がなかった。しかし観る気になったのは巨匠・久石譲が音楽を担当していたからである。しかも中村監督とは初仕事。「これはただならぬことが起こっている。久石さんの心を動かした何かがあるに違いない」とビビビときた。そしてその直感は間違っていなかった。「舟を編む」と並び、今年の日本映画を代表する一本である。

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2013年7月 8日 (月)

福笑仁智二人会 ~おばぁさんを讃える会~

7月3日(水)、天満天神繁昌亭へ。

  • 笑福亭たま/永遠に美しく
  • 笑福亭福笑/裏切り同窓会
  • 笑福亭仁智/恐怖の民宿百物語
  • 笑福亭仁智/鶴カントリークラブ亀コース
  • 笑福亭福笑/懺悔の値打ちもない

笑福亭きっての新作派精鋭が揃い踏み。初めての二人会だそう。

日本のチャッチコピーで最も宣伝効果があったのが「ベンザエースを買って下さい」(小泉今日子を起用した1985年の広告)だと言われているが、この手は1回しか通用しない、とたまさん。だから、「笑って下さい!」というマクラから本篇へ。つかみが上手い。「永遠に美しく」はネタおろしで一度だけ聴いていたが、その時は後半の1/3しかなかった。ネタが成長していく姿を見守るのも新作を聴く醍醐味のひとつ。老人の描写が面白い。

福笑さんはマクラで辛坊キャスターのヨット事件や鳩山元首相の尖閣問題発言を斬り(具体的中身はとてもここに書けない)、大いに湧いた。一見過激だが、筋が通っている。知性的かつ論理的。「裏切り同窓会」は巷で評判が高く、どうしても聴きたかったネタ。やっと「ババフミ」の正体が分かった!サディスティックな笑いで、これぞ福笑落語の真骨頂。

続いて登場した仁智さん、一言「濃いな」とボソリ(場内爆笑)。「モニターで見ていたんですが、思わずボリューム下げたわ」と。

かくれんぼ 発見されず 白骨化

など秀逸な「恐怖川柳」を紹介し、ネタへ。百物語に至ると照明を落とし、真っ暗闇の中に蝋燭の火が灯されるという趣向も。

実力のある二人(+弟子)だけあって新作の面白さを堪能した。

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2013年7月 3日 (水)

児玉宏/大阪交響楽団「トリスタン秘話」/カイルベルトとモットル

6月18日(火)ザ・シンフォニーホールへ。児玉宏/大阪交響楽団による定期演奏会。

  • ワーグナー/楽劇「トリスタンとイゾルデ」第1幕への前奏曲
  • ワーグナー/ヴェーゼンドンク歌曲集(女声のための5つの詩)
  • ワーグナー/楽劇「トリスタンとイゾルデ」”愛の死”
  • マルトゥッチ/交響曲 第1番

ソプラノ独唱はベルギー出身のエレーヌ・ベルナルディ

ワーグナーが友人で指揮者のハンス・フォン・ビューローからその妻コジマを寝取ったのは有名な話だが、それ以前にも人妻マティルデ・ヴェーゼンドンクと不倫関係にあったという。そのワーグナーの恋と「トリスタンとイゾルデ」の物語をリンクさせたのがプログラム前半である。ヴェーゼンドンク歌曲集の合間に「トリスタンとイゾルデ」からの管弦楽曲を挟むという巧みな構成で、全く違和感はなかった。息の長いフレージングで曖昧さは皆無。パウゼ(休符)はたっぷり取る。押しては返す感情の波が次第に昂ぶり、やがて官能の頂点に達する。法悦と陶酔。何と劇的な音楽であろうか。

現在までに「トリスタンとイゾルデ」を指揮している最中に死亡した指揮者はふたりいる。1911年のフェリックス・モットルと1968年のヨーゼフ・カイルベルトである。カイルベルトは生前、口癖のようにこう言っていたという。

「モットルのように『トリスタン』を指揮しながら死にたい」

正にその夢は実現したわけだ。指揮者冥利に尽きるだろう。今回、児玉/大響で実演に接し、その心情を少し理解出来たような気がする。

イタリアの作曲家マルトゥッチの交響曲はブラームスに似ていると言われているが僕はそう思わない。ブラームスの「陰」=negativeに対し、マルトゥッチはあくまで「陽」=positiveだ。第1楽章は弾み、リズミカル。動的な演奏。穏やかな第2楽章は叙情的。ウィットに富む第3楽章はコミカルなパントマイム劇を観ているかのよう。第4楽章はノーブルで威風堂々としている。どちらかと言うとエルガーなど英国風に聴こえた。マルトゥッチは指揮者として「トリスタン」のイタリア初演を振ったが、この交響曲の終楽章は「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲に近いと感じた。

曲的にマルトゥッチはイマイチだが、とても面白いプログラムだった。

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2013年7月 2日 (火)

笑福亭たま VS 旭堂南湖「激突二人会」

天満天神繁昌亭にて落語家・笑福亭たまさんと講談師・旭堂南湖さんの二人会。それぞれ古典と新作(自作)を一作ずつ披露した(Myselvesはたまさんと放送作家・米井敬人さんのユニット「たまよね」作)。

一日目(6/19)

  • 桂 福丸/金明竹
  • 旭堂南湖/太閤記より織田信長の死・前編(本能寺の変)
  • 笑福亭たま/ドーベルマン刑事
  • 旭堂南湖/祝島 原発反対三十年
  • 笑福亭たま/口入屋

二日目(6/20)

  • 桂 治門/動物園
  • 旭堂南湖/エベレストに眠る
  • 笑福亭たま/猿後家
  • 旭堂南湖/太閤記より織田信長の死・後編(大徳寺焼香場)
  • 笑福亭たま/Myselves

福丸さんは快調なリズム感で明るい高座。

たまさんは南湖さんがラジオ大阪のパーソナリティーを務めていた時のエピソードなどを紹介。

太閤記」で南湖さんは珍しく釈台に本を置いて読み聞かせた。石州和紙を和綴じしたもので表紙に「不許他見」(他の人が見ることを禁ずる)と書かれている。昔はこういうスタイルが普通だったそう。ダイナミックで迫力のある高座だった。「大徳寺焼香場」をする講談師は現在、日本で5人しかいないそう。

祝島の祝は「ほうり」とも読み、「祝部(ほうりべ)」とは神社に属して神に仕える職の一だという。

ドーベルマン刑事」でたまさんは「8分間でエッセンスを凝縮しました」と。ギャグの連続技で場内爆笑。

現在の人材派遣会社に相当する「口入屋」のマクラで、当時の女性たちは「一期」または「半期」の出替わりが普通だったと。腹黒い丁稚、カッコつけの番頭が可笑しい。

エベレストに眠る」は南湖さんのおじさんの話。エベレストでは初登頂後現在までに216人が命を落とし、うち150人の遺体は凍結放置されたままだという。シェルパ族を雇いベース・キャンプまで行くとか、「登山家の墓場」など、色々知らないことが聴けてよかった。

Myselves」は奇想が面白かった。不条理な噺。

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2013年7月 1日 (月)

ドストエフスキー「罪と罰」→野田秀樹「贋作・罪と罰」→ミュージカル「天翔ける風に」

ドストエフスキーの小説「罪と罰」の舞台を帝政ロシアから幕末の江戸に置き換えたのが野田秀樹の戯曲「贋作・罪と罰」である。殺人を犯す主人公は男から女に変更された。1995年にNODA・MAP第2回公演として初演され、僕は松たか子古田新太段田安則宇梶剛士らが出演した2005年の再演を観た。

これをミュージカル化したのが「天翔ける風に」である。音楽は玉麻尚一で演出・振付は謝珠栄。香寿たつき主演で初演されたのが2001年。今回が4回目の上演となり、朝海ひかる石井一孝彩乃かなみらが出演した。

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6月30日(日)梅田芸術劇場での千秋楽を観劇。

優れた和製ミュージカルにお目にかかれる機会は滅多にないが、本作は数少ない例外である。まず何より野田秀樹の脚色が卓越している。「ええじゃないか」運動を取り入れたり、坂本龍馬が登場したりと、すこぶる面白い。海外に持っていけるクオリティだと想う。ただ、江戸時代なのに「1万円」とか「5千円」という台詞があるのには違和感があった。

朝海ひかるはとても美しく、翳りを帯びた彼女のキャラクターが役柄に合っている。

石井一孝は歌が上手いし、舞台映えがする容姿なので役柄にピッタリ。

彩乃かなみが演じた主人公の妹役は初演・伊東恵里の歌唱が素晴らしかっただけに、聴き劣りがした。

宝塚歌劇団・男役出身の謝珠栄の振り付けは女性とは信じられないくらいダイナミック。特に天地がひっくり返るような狂騒の第2幕は迫力があった。

全体として大変見応えのある作品で、とても満足した。

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