村上春樹と映画「華麗なるギャツビー」(3D 字幕版)
村上春樹がこよなく愛する小説はスコット・フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」である。因みに彼にとってのベスト3は「グレート・ギャツビー」、ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」、そしてチャンドラー「ロング・グッドバイ」だそうだ。中でもギャツビーは別格だという。
僕が最初にこの小説を読んだのが大学生の頃。新潮文庫から出ている野崎孝 訳であった。正直、何が面白いのかさっぱり理解出来ず、再読したがやはりピンとこなかった。
2006年に待望の村上春樹による新訳が登場し、さらに2回読んだ(訳者へのインタビュー記事はこちら)。そして漸く、この小説の持つ虚無感・諦念の味わいが体に沁みて来た。バズ・ラーマン監督自身、村上春樹が日本語に翻訳していることを力説し、映画化に難色を示すスタジオを説得したと語っている(その記事はこちら)。

実はこの映画、北米のプロの映画評を集約したRotten Tomatoesでは非常に評判が悪い(こちら!)。トマトメーターは(総計243のレビュー中)49%で 《腐ったトマト》の烙印を押されている。つまり肯定派より否定派のほうが多い。因みに「ライフ・オブ・パイ」は88%、「スター・トレック イントゥ・ダークネス」は87%で《新鮮》になっている。だから恐る恐る映画館に足を運んだのだが……。
評価:A+
いや~、もうパーフェクトな出来で驚いた!フィッツジェラルドの小説から必要な要素を何も引いていないし、余分なものを加えたりもしない。過不足ない、理想的な映像化である。原作との違いは(1929年)世界大恐慌の後、語り部であるニック・キャラウェイ(トビー・マグワイア)がアルコール依存症で更生施設(サナトリウム)に入所する場面が加わった程度だろうか。これは原作の地の文を活かすために必要な処置だった。特に、有名な最後のセンテンスをマグワイアがそのままナレーションしたのにはびっくりした。バズ・ラーマンの原作に対する愛をひしひしと感じた。
大恐慌前の1920年代(ジャズ・エイジ)。好景気に浮かれるニューヨークが舞台となる。人々の足が地に着いていない感じは、なんだか日本のバブル時代(1986-91年)を彷彿とさせる。フィッツジェラルドやヘミングウェイは「ロスト・ジェネレーション(失われた世代)」と呼ばれたが、日本でもバブルがはじけた1991年3月以降は「失われた20年」と言われていている。
この物語に登場するのは薄っぺらな人物ばかりである(ニックが一番まとも)。連日繰り広げられる狂騒的で虚しいパーティ、中身は空ろな張りぼての大邸宅。会話の中でギャツビー邸は「遊園地(コニー・アイランド)みたいだ」と評されるが、まさしく映画のデザインはディズニー・ランドのシンデレラ城を彷彿とさせた。また豪華な花火は僕がラスベガスで見たそれを想い起こさせた。
デイジーというヒロインは主体性がなく流される、むかつく女である。見ていてイライラする。究極のBitchであると断言しても過言ではない。彼女に翻弄されるギャツビーは本当に気の毒である。恐らく本作に否定的な人たちは、このキャラクター設定が気に入らないのだろう。しかし忘れてならないのは、フィッツジェラルドの小説で描かれたデイジーも全くこの通りなのである。極めて忠実なのだ。デイジーみたいな女は我々の身近にも沢山いる。例えば男にマンションを貢がせて、あっさりメールで振ってしまう蒼井優なんかその典型と言えるだろう。東野圭吾(著)「容疑者Xの献身」とか、白石一文(著)「一瞬の光」のヒロインもまた、彼女によく似ている。
デイジーのモデルはスコット・フィッツジェラルドの妻ゼルダである(ウディ・アレンの映画「ミッドナイト・イン・パリ」に登場)。ふたりは1920年代のニューヨークで放蕩の限りを尽くした。そしてスコットはゼルダの浮気に苦しんだ。ある意味彼女のせいで命を削られたと言ってもいい。では果たして、スコットは彼女と結婚したことを後悔しただろうか?僕はそう想わない。だってゼルダというミューズなくして世紀の傑作「グレート・ギャツビー」は決して生まれなかったのだから。ゼルダと共に生き、アルコール依存症となり44歳の若さで亡くなったスコットは仮にもう一度人生をやり直せたとしても彼女を選んだに違いない。それが男子の本懐というものだろう。堕ちていく快感。そしてデイジーを選んで滅びの道を歩むギャツビーにも同じ事が言える(蒼井優に捨てられた男たちもきっとそうだ)。いい夢を見させてもらったのだから、それだけで充分じゃないか。映画「ある愛の詩」の台詞にもあるだろう、
“Love means never having to say you’re sorry.”
(愛とは決して後悔しないことだ)
ギャツビーはニューヨーク郊外のウエスト・エッグ岸辺の邸宅から、湾を挟んで対岸イースト・エッグに住むデイジー宅の埠頭の青い光を毎夜眺めている。この光は「手を伸ばしても届かない憧れ」の象徴であり、小説の核(core)である。その辺のところをバズ・ラーマンもよく分かっていて、映画の冒頭からいきなりこの光が登場し、執拗なまでに繰り返し描写される。「やるねぇ、押さえるべきところはしっかり押さえてるじゃん」と嬉しくなった。
キャリー・マリガンが驚異的に素晴らしい!小説の中からデイジーがそのまま飛び出してきたのかと錯覚する位である。最早、彼女以外のデイジーは考えられない。そのハマりっぷりは「風と共に去りぬ」でスカーレット・オハラを演じたヴィヴィアン・リーに匹敵すると断言しよう。
ギャツビーをレオナルド・ディカプリオが演じると聞いたときはミス・キャストじゃないかと考えていた。しかし実際観てみると、レオはさすが演技派だからそんなに違和感はなかった。
デイジーの夫・トムを演じたジョエル・エガートンがいい味出していた。ピッタリ。
豪華な美術装置や洗練された衣装も見応えがある。アカデミー賞にノミネートされたらいいね。
そして「ムーラン・ルージュ」の監督だけあって、バズ・ラーマンは音楽の使い方が卓越していた。無駄に3D(虚仮威し・ハッタリ)というのも愉しい。It's show time, folks !
フィッツジェラルドの愛読者は必見である。
最後に余談だが、主人公がピストルで撃たれてプールに死体が浮かぶ設定はチャールズ・ブラケット&ビリー・ワイルダー脚本の名画「サンセット大通り」(1950)と同じだね。今回映像で観て初めて気が付いた。「グレート・ギャツビー」からの引用だったんだ。「サンセット」はハリウッドの虚飾を描く作品であり、内容的にも共通する所がある。
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