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「はじまりのみち」公開記念〜木下惠介監督再評価のために/彼の性的嗜好に関する考察

木下恵介監督を主人公にした映画「はじまりのみち」が現在、公開中である。

僕が木下映画を初めて接したのは高校生くらいだったと想う。「二十四の瞳」「野菊の如き君なりき」「カルメン故郷に帰る」などを観た率直な感想は、「得体が知れない」「不気味だ」「理解に苦しむ」といった印象だった。

どうしてこの人の作品に登場する男たちは(優男で)ナヨナヨしていて、女々しいのか?何故この監督は男女の恋愛が描けないのか?女子大の学生運動を描く「女の園」で女性たちへの共感性が(異常に)高い理由は?「二十四の瞳」でデコちゃん(高峰秀子)が結婚しその夫は戦死するのだが、彼の存在感が希薄なのは意図的なのか?など、頭の中が疑問符だらけであった。このモヤモヤした違和感は一体何処から来るのだろう?僕は途方に暮れた。

大学生の頃NHKで放送された、木下監督(当時存命)へのインタビューもまた不可解だった。独身の木下は男の養子をとっているという。どうしてそんなことをするのか、当時の僕にはさっぱり分からなかった。

それから10年くらいたってからだろうか。同性婚を認められていない国では、ゲイ・カップルが養子縁組をすることがよくあるという事実を知ったのは。木下がゲイだったと仮定すれば、今までの疑問が全て氷解することに漸く考えが至った。

恩地日出夫(著)「砧撮影所とぼくの青春」によると、木下は女性的な言葉使いをすることが多かったという。

また、映画評論家の石原郁子はその著書「異才の人 木下惠介/弱い男たちの美しさを中心に」の中で1959年(昭和三十四年)の映画『惜春鳥』を「日本メジャー映画初のゲイ・フィルム?」と評し、

木下はこの映画で一種捨身のカムアウトとすら思えるほどに、はっきりとゲイの青年の心情を浮き彫りにする。邦画メジャーの中で、初めてゲイの青年が〈可視〉のものとなった、と言ってもいい。

ここには監督が男性同士に演じさせたかった肉体的接触が、かつてなく大胆に〈常識〉の枠に囚われることなく(木下映画ではこれまで、男性同士が裸体で、あるいは蒲団に入って近くにいるシーンはなかった)表現されており、その意味でも監督自身の〈好み〉を、さらにはっきり言えば〈性向〉を、堂々と主張した映画と言える。

ごく一般的には、ゲイでない男性の多くが、やはり『惜春鳥』に対して「気色悪い」という感じを持つようだ。「才能」「抒情」「女性的」。男性知識人たちは、そうした言葉で彼を評価するとき、もしかしたら、そこに自分たちには見えない、あるいは見えているのに語る言葉が分からない未知のものを感じ取り、密かに怯え、「辟易」し、しかもそれゆえにこそ魅了されたのではなかったか。

当時はおろか現在でさえ、日本の女性監督の数は世界に類を見ない少なさだが、じつはそこに木下惠介が、並み居る男性作家たちを凌駕して屹立していた。「女」「女性的」という言葉を冠されながらこれほど活躍し、高く評価された映画作家は他にない、というだけではなく、彼はそのことによって、実際に日本映画の男性性の中に、彼らの持つ原理や原則とはまったく無縁な「女性」として作用したのだ。

と語る。そして最後に

私にとって木下は、世界に類のないほど男性優位である日本映画界でほとんど唯一の例外としての〈女性監督〉だった。

(中略)もちろん、彼が実際に〈女性〉であれば、やはりこうした成功はあの時代にあり得なかったろうから、その点では、厳密に木下恵介が〈女性〉としてだけあったとは言えないが、しかし彼は、少なくとも何か〈男性〉ではないもの、ジェンダーの越境者、周縁者、あるいは家父長主義・男性優位社会からしなやかに降りた元・男性だ。

と結論付けるのである。

またシナリオ2008年6月号別冊「脚本家 白坂依志夫の世界 書いた!跳んだ!遊んだ!」の中で黒澤映画の脚本家・菊島隆三についての記載があり、次のように書かれている(209ページ)。

 戦後、黒澤・木下時代というのが、長くつづいた。二人の監督は、競うように、問題作を連打した。
 黒澤監督がシナリオを書き、木下さんが監督をするという企画が発表された時は、大変な話題になった。
 松竹映画で、「肖像」という題名であった。
 木下監督がホモ・セクシャルなことは、有名である。木下組の助監督は、そろって美青年で、そろいのスーツにそろいのネクタイ、華やかな現場だったと、後年、篠田正浩監督にきいた。
「肖像」の脚本にとりかかるために、木下監督と旅館にこもることになった黒澤さんに、
「黒さん(黒澤監督の愛称)」
 と、菊島さんが冗談まじりにきいたそうである。
「夜中、木下さんが、襲ってきたらどうしますか?」
「なにィ?」
 と、黒澤さんは目をムイて、
「尻をねらってきたら、かまわないから、クソをぶっかけてやるさ」
 破顔大笑した。

今年、NHK「クローズアップ現代」で木下が取り上げられた時(こちら)、僕は正直その内容にがっかりした。わざわざ番組の中でゲイであることをカミングアウトしている橋口亮輔監督(「二十歳の微熱」「ハッシュ!」)にインタビューしているのに、木下がゲイであったことに一切触れなかったのだ。その視点から彼の映画をどう観るかという話が聴きたいのに。故に木下恵介とは何だったのか?という核心に迫れなかった。本人がカミングアウトすることなく亡くなったということもあるのだろうが、やはり日本においてこの問題は未だにタブーなんだなと想った。

木下映画「日本の悲劇」や「楢山節考」のテーマはある意味、母殺しであると言える。その点で寺山修司の「田園に死す」や「書を捨てよ町へ出よう」に繋がっている。調べてみると案の定、寺山も(本人はカミングアウトしなかったが)ゲイだったと言われているようだ。

欧米で最初に”発見”された、日本映画の巨匠といえば1951年に「羅生門」でヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞した黒澤明だろう。「影武者」の製作を助けたフランシス・フォード・コッポラとジョージ・ルーカス、「夢」の企画を実現させたスティーヴン・スピルバーグなど黒澤を敬愛する映画作家は後を絶たない。さらに1953年「雨月物語」で銀獅子賞を受賞した溝口健二、「東京物語」の小津安二郎が続いた(ジム・ジャームッシュ監督「ストレンジャー・ザン・パラダイス」にはTokyo Storyという名の競走馬が登場する)。近年では成瀬巳喜男増村保造の名も次第に世界的に知られてきた(フランスでは増村の「赤い天使」の評価が際立って高い)。

しかし未だに木下惠介の名前が海外で取りざたされることは滅多にない。これは「臭いものには蓋をしろ」ではないが、木下がゲイだったことを日本人がひた隠しに隠してきたことが原因ではないかと僕は考える。

例えばスペインのペドロ・アルモドバル監督がゲイであることを抜きにして、「オール・アバウト・マイ・マザー」や「トーク・トゥ・ハー」を語ることが出来るだろうか?イタリアのルキノ・ヴィスコンティ監督がバイセクシャルだったことを抜きにして「ベニスに死す」や「ルートヴィヒ」「家族の肖像」で彼が何を描こうとしたか理解出来るだろうか?木下についても同じ事が言えるだろう。

日本の映画関係者達に強く訴えたい。木下がゲイだったことをむしろ積極的にアピールすることこそ、彼の海外での再評価に繋がると僕は信じて疑わない。

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