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2013年4月19日 (金)

「リッケンバッヒャーって、誰?」〜大阪フィル定期/ワーグナーとブルックナー

4月18日(木)ザ・シンフォニーホールへ。大阪フィルハーモニー交響楽団定期演奏会。

当初指揮者として予定されていたヴォルフ=ディーター・ハウシルトが体調不良のためキャンセルとなり、急遽代役の白羽の矢が当たったのが1940年スイス・バーゼル生まれのカール・アントン・リッケンバッヒャー。僕だけではなく恐らくほぼ全員の大阪フィル会員はこう思った筈だ。「リッケンバッヒャーって、誰??」

これまで日本のオーケストラを振ったことも殆ど無いようだ(検索しても全くヒットしない)。オリヴィエ・メシアンからの信頼が厚く、現代音楽やマイナーな作品を紹介することに情熱を注いでいる人らしい。またベルリンで、朝比奈隆が指揮するブルックナーを聴いたことがあるそう。

プログラムは指揮者が交代する前に発表されたものから変更なし。

  • ワーグナー/ジークフリート牧歌
  • ブルックナー/交響曲 第9番

ブルックナーの時は大体そうなのだが、観客の男女比は4:1くらい。この作曲家は女性にとことん人気がない。

ジークフリート牧歌」は1870年に、長男ジークフリートを産んでくれた妻コジマへの感謝の気持を込めて彼女の誕生日とクリスマスの贈り物として12月25日にワーグナー邸でサプライズ初演された(コジマの誕生日は12/25)。子供たちは演奏された場所から「階段の音楽」と呼んだ。演奏者は15人だったという。この様子はルキノ・ヴィスコンティ監督の映画「ルートヴィヒ」(1972)で克明に再現されている。

第1ヴァイオリンと第2が指揮台を挟んで向かい合う対向配置。第1ヴァイオリンが10名という小編成の10型。室内楽的響きで、穏やかで優しい。ヴィブラートは控えめで淡い色彩のワーグナーだった。

そういえばドイツの指揮者ヘンゲルブロックの研究によると、ワーグナーは「ソリストだけでなくオケの者達にすら常時ヴィブラートが浸透してきたとはなんと気色悪い傾向か」と発言しているそうである。長大な舞台神聖祝典劇 「パルシファル」の中でスコアに「ヴィブラート」と書いたのは一箇所だけなのだとか。

なおオケは2名のホルン奏者が連符のタンギング、アインザッツが全く揃っておらず、お粗末だった。はっきり言って全日本吹奏楽コンクール出場時の大阪桐蔭や淀工生の方がよっぽど上手い。アマチュアの高校生でも限られた曲数を半年間、毎日毎日みっちり練習していればプロを凌げるということだ。しかし、本当にそれでいいのか?大フィルのホルン・パートも、もっと死ぬ気で練習に励んで頂きたい。もしそれが出来ず、今後も他のセクションの足を引っ張るようならこの場から去るべきだ。キツイことを言うようだが僕は間違っていないと信ずる。プロフェッショナルの厳しさって、そういうものでしょう?

さてブルックナー未完の遺作である。やはり対向配置で編成は16型に拡大された。第1楽章 第1主題はかなり遅いテンポで開始。しかし第2,第3主題になると尻上がりに速くなる。各フレーズは明快に切られ、くっきりとしたアクセントで表情が付けられる。メリハリのあるブルックナー。第2楽章スケルツオはダイナミック。第3楽章アダージョは浄化され、透明感があった。

リッケンバッヒャーは自己主張よりも作品自体に語らせるタイプの指揮者と見た。個性的とは言えないが、好感が持てる過不足のない解釈であった。またいつか、聴いてみたいな。

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