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2012年11月

宝塚雪組初演メンバー勢ぞろい!「エリザベート」スペシャル ガラ・コンサート

11月25日(日)梅田芸術劇場へ。「エリザベート」スペシャル ガラ・コンサートを鑑賞。演奏会形式だが、宝塚版の衣装とメイクで歌われた。「レ・ミゼラブル」や「オペラ座の怪人」25周年記念コンサートみたいな感じである。

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僕が生まれて初めて宝塚歌劇を観劇したのが1998年宙組「エリザベート」(トート:姿月あさと、エリザベート:花總まり、ルキーニ:湖月わたる)だった。 その後、宝塚で上演された「エリザベート」は全てのバージョンを観たし、東宝版、ウィーン版(マヤ・ハクフォート、マテ・カマラス)も体験した。数えてみると総計でエリザベートは9人(一路真輝朝海ひかる含む)、トートも9人の役者で観たことになる。

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今回の目玉は、なんといってもトート(死神):一路真輝、エリザベート:花總まり、フランツ・ヨーゼフ:高嶺ふぶき、ルキーニ:轟悠 という1996年雪組初演キャスト揃い踏みということに尽きる。それにゾフィー:出雲綾、ルドルフ:朝海ひかる という宙組キャストが合流した。 僕は花ちゃんの気品あふれるエリザと、出雲ゾフィー、朝海ルドルフは歴代のベスト・キャストだと信じているのでとても嬉しかった。そしてビデオ(後にDVD)でしか知らなかった轟ルキーニ!伝説の演技を観られるなんて、まるで夢のよう。ギリシャ彫刻のように彫りの深い顔。あたかも感情を欠いたような冷笑的眼差し。スッとした美しい立ち姿。これぞ理想のルキーニ!The One and Only.

花ちゃんは1994年から2006年の退団まで実に12年間、宝塚のトップ娘役に君臨した。正に空前絶後の記録であり、「女帝」の名こそ彼女に相応しい。この言葉を揶揄として使う人もいるが、僕は畏敬の念をもって呼びたい。花ちゃんは退団後、和央ようか(宙組「エリザベート」のフランツ)に寄り添うようにひっそりと活動してきたが、2012年よりFROM FIRST(フロムファーストプロダクション)に所属、7月からはブログを開設したらしい→こちら。僕は東宝「エリザベート」でも彼女の主演を待ち望んでいたので、今後の活躍に期待したい。

第1幕冒頭のシシィ少女時代はさすがに「花ちゃんも年をとったな」と感じたが、初演から16年、これは致し方のないことだろう。しかし第2幕以降になると役柄の設定と彼女の実年齢が一致し、全く違和感はなかった。むしろ宙組時代より深化した演技を堪能した。歌は以前と変わりなく、エリザのソロ「私だけに」最後の高音もしっかり出ていた(一路さんのエリザを観劇した時は、この音をオクターブ下げて歌ったので、席からずり落ちそうになった!)。

男役のビジュアルは殆ど変わっていなかった。皆さん、退団後も体型をしっかり維持しているのは驚嘆に値する。「オペラ座の怪人」クリスティーヌ役のサラ・ブライトマン、「ミス・サイゴン」キム役初演キャストのレア・サロンガらは最近ブクブク太って酷い有様なので(「レ・ミゼラブル」25周年記念コンサートにファンテーヌ役で出演)、タカラジェンヌは偉い!これぞ大和撫子の鏡である。

一路エリザベート@東宝は音域的にも違和感が強かったが、アルトで歌うトートは問題なし。文句なしの歌唱力。轟ルキーニは年齢のせいか、高音が些か苦しそう。

あとドイツ・エッセン版から追加され、宝塚では花組バージョンから採用された「私が踊る時」(トート&エリザのデュエット)が聴けたのが嬉しかった!宙組版でも花ちゃんはこのナンバーを歌っていない。前奏が始まった瞬間、「オォ(歌うのか)!」と観客がどよめくのが聞こえた。

1幕ラスト、フランツが「君の手紙、何度も読んだよ♪」と歌い出す場面で、花ちゃんが豪華なドレスを着て登場するであろう舞台上方に向け、客席のオペラグラスが一斉に上がったのには笑った。宙組公演の時もそうだった!(あと娘役でオペラが上がったのは陵あきのさん演じるヴィンディッシュ嬢登場の場面)。また「私だけに」やルドルフの死で花ちゃんが本当に涙を流しているのを見て、やはり14年前が鮮やかに蘇るような既視感(デジャ・ヴュ)を味わった。

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夢から醒めても、また夢の続きを見ているような心地で帰途に就いた。なお、このガラ・コンサートの模様は後日DVD化される予定だそうである。

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スダーン/大フィルのシューベルト「大ハ長調 交響曲」

11月25日(日)いずみホールへ。

ユベール・スダーン/大阪フィルハーモニー交響楽団、ピアノ:インゴルフ・ヴンダーで、

  • ベートーヴェン/ピアノ協奏曲 第4番
  • シューベルト/交響曲 第8番 ハ長調「ザ・グレイト」

弦は対向配置ではなく通常のもの。ノン・ヴィブラート奏法ではないが、アーティキュレーションに於いてピリオド・アプローチを取り入れた解釈だった。クラシカル・ティンパニ(ピリオド楽器)を使用。

明瞭な発音とアクセントで表情を付けた、弾けるベートーヴェン。決してテヌート気味になることなく、清々しい。第2楽章の弦楽器は強奏で決然としており、優しく奏でるピアノと好対照になっている。

オーストリア出身で2010年ショパン国際ピアノコンクールで2位となったヴンダーの弾き方は剛直で、「繊細・華麗・精緻」といった言葉とは対極にある。バックハウスとかケンプに連なる印象で、「ああ、これがドイツ・オーストリア系のピアニズムなのか」と想った。ちなみにバックハウスのカデンツァが使用された。

ソリストアンコールは

  • ショパン/子守唄 変ニ長調 OP.57

シューベルトの「ザ・グレイト」は7番とか9番とか呼ばれていた時期もあり混乱していたが、新シューベルト全集楽譜およびシューベルト協会の合意で8番に落ち着いた模様。ロ短調「未完成」は第7番だそう。

しかしシューベルトはオーストリアの作曲家なのだから、英語読みは変だろう。イギリスの楽譜出版社が「ザ・グレイト」と名付けたのだそう。実にくだらない理由だ。第6番が「小ハ長調」、こちらが「大ハ長調」でいいんじゃない?

シューマンはこのシンフォニーを「天国的」と評したが、彼がそう言う時は「冗長で退屈」であることを意味する。今回のスダーン/大フィルはその従来のイメージを根底から覆し、躍動し、踊るシューベルト像をくっきりと描き出した。

第1楽章から颯爽として生命力・活力に富み、歯切れがいい。提示部の繰り返しは省略。第2楽章も弾けるリズムが心地よい。第3楽章は天地鳴動し、弦と管のコントラストが鮮明。そして第4楽章。推進力があり、そのドライヴ感に胸がすく想いだった。

クラシカル・ティンパニが絶大な効果を発揮したことも特筆に値する。ウィーン音楽祭 in OSAKAの掉尾を飾るに相応しい、画期的名演だった。

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炸裂ライヴ!宮川彬良&大阪市音楽Dahhhhn!

11月23日(祝)ザ・シンフォニーホールへ。

宮川彬良(以下、親しみを込めてアキラと呼ぶ)/大阪市音楽団の演奏会。先日の市音定期では客席の入りは6割程度で閑散としていたが、今回は8割強。1階席は9割埋まっていた。

第1部は「宮川音楽の勉強会」あり。すべての編曲はアキラの手による。

  • 宮川泰/「宇宙戦艦ヤマト」より
    ファンファーレ
    サスペンス
    組曲「宇宙戦艦ヤマト」(序曲・宇宙戦艦ヤマト・出撃・大いなる愛)
    探索艇
    無限に広がる大宇宙
    艦隊集結
    月のクレーター
    美しい大海を渡る(イスカンダル)
    ワープ
    地球を飛び立つヤマト
    コスモタイガー2199ver.
  • 萩原哲晶/クレージーキャッツ・メドレー
    (スーダラ節-ホンダラ行進曲-無責任一代男-ハイそれまでヨ)
  • 宮川泰/ゲバゲバ90分
  • 宮川彬良/バレエ音楽「欲望という名の電車」から

アキラから「(民営化問題で)急に注目されるようになった大阪市音楽音楽Dahhhhn!です」と紹介あり。「楽員はみな、胸を、いや、頭を焦がす想いで日々活動しています。是非、応援してあげて下さい」と。「また今年注目されているというと、宇宙戦艦ヤマトがあります。現在、宇宙戦艦ヤマト2199というリメイク作品が製作進行中です。なんと!その音楽を担当しているのが私、宮川彬良なんですねぇ」ここで会場から拍手。「宇宙戦艦ヤマトは今から38年前にテレビで放送されましたが、視聴率はよくありませんでした。裏番組が『アルプスの少女ハイジ』だったのです。しかしその後映画化され、徐々に人気が上がって来ました。父・宮川泰はテレビのために73曲を作曲、その後続いた一連のシリーズでは920曲に達しました。楽譜は一切残っていなかったので、今回のリメイクに当たり私は音楽を聴いてスコアを書き起こしました。つまり耳コピです」

ここで「みのもんたの朝ズバッ!」みたいなフリップが登場。勉強会に突入。

  • ヤマトは意外とロックである
  • 降り注ぐプロデューサーからの無理難題

と書かれていた。

「ヤマトは映画『サタデー・ナイト・フィーバー』より前の時代の作品で、当時は未だロックが主流だったのです」探索艇というナンバーにはエレキギターやマラカスが使われており、無限に広がる大宇宙ではドラムスが活躍する。また、この曲は葬式のイメージで書かれ、低音が下がってくるところは宗教的でバッハを連想させるとも。

艦隊集結という曲はファンの間で「ベン・ハー=ヤマト」とも呼ばれているそうで、ミクロス・ローザが作曲した映画「ベン・ハー」の音楽と聴き比べ。確かに似ている。「多分プロデューサーから『ベン・ハーの戦車競争シーンのイメージで』と言われたのでしょう」また空母の整列という曲もあるそうで「どう違うんだ!」と。

アキラは子供の頃から美しい大海を渡る(イスカンダル)が大好きで、そのことを父親にも言ったが、反応が何だか曖昧だった。すると今年、あるアニメ評論家からこう指摘されたそう。「宮川さんご存じなかったんですか?あれはプロデューサーから『オズの魔法使い~”虹の彼方に”みたいな曲を書いて欲しい』と要望があり、誕生した曲なんですよ」これを聴いて目から鱗が落ちたという。ここで(前半)美しい大海を渡る~(後半)虹の彼方にを続けて演奏。そっくりなので場内爆笑となった。

ワープはエレキ・ギター、ピアノ、ドラムスという3つの楽器だけで表現。「オーケストレーションする時間もなかったのでしょう。でもその悪条件を逆手に取り、ここには《そぎ落としの美学》があります」とアキラ。コスモタイガー2199ver.はムチャ格好いい曲!

市音の演奏はサウンドに厚みがあり迫力満点。金管の咆哮が気持ちいい。アキラはメリハリに富む指揮ぶり。

クレージー・キャッツ・メドレーはコミカルで洒落たアレンジ。

ゲバゲバ90分は「今や市音のテーマ曲だと僕は勝手に言っています」とアキラ。これは楽員が立ち上がったり回転したりと振り付けもあり、実に愉快だ。

欲望という名の電車I.鏡~回想はJazzyな曲。II.街は都会の喧騒。III.孤独はアルト・サックスのソロ。IV.賭博は暴力的でパンチが効いている。打楽器奏者の高鍋さんがボンゴを叩き、奇声を上げる場面も。V.少年は美しくロマンティック。デイヴィッド・ラクシンが映画「ローラ殺人事件」のために書いたテーマを想い出した。VI.愛欲を経てVII.迷宮はアキラがアコーディオンを弾く、哀切極まるワルツ。そしてVIII.幻はやすらぎと許しの音楽。僕がこの曲を聴くのは今回2回目だが、好きだなぁ。

アンコールは、

  • いずみたく/見上げてごらん夜の星を(ファイブ・サックス・コンチェルト)
  • 宮川彬良/大ラッパ供養
  • 宮川彬良/マツケンサンバ II

大ラッパ供養はトランペットがコープランド「市民のためのファンファーレ」みたいな厳かなメロディを奏でるところから始まるのだが、途中からホーン・セッションがノリノリで吹き鳴らし、ビル・コンティの「ロッキー」的展開へ。ワクワクする!

午後2時開演で終わってみると4時24分。出血大サービスのご機嫌な演奏会だった。市音に幸あれ!

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ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q + 巨神兵東京に現る 劇場版

評価:不能(保留)

一言で感想を述べれば、「僕たちはこんな続きを観たかったのではない!」に尽きる。

シリーズ前回までのレビューは下記。

Q

1995-96年にテレビで放送された「新世紀エヴァンゲリオン」は画期的アニメーションだった。しかし製作期間が足りず現場は混迷を極めた。スケジュールが行き詰まり、最終2話は完全に破綻した。続く劇場版でも物語前半に散りばめられた伏線が回収されることなく、大風呂敷を広げたまま消化不良のうちに終わった。

そしてreboot(再起動)された新劇場版が始動した。ファンとしては総監督・庵野秀明にいくら時間を掛けてもいいから、こんどこそいいものを作って欲しい、物語を綺麗に完結して欲しいという気持ちだった。

しかし第3作「Q」を観て、どうもその願いは叶えられそうにないと悟った。庵野はどんなに時間を与えられても同じ事を繰り返す。また「自意識の井戸」をせっせと掘り始めた。その先には虚空しかなく、豊かに水が湧いてくるはずもないのに。所詮、それだけのクリエイターに過ぎなかったのだ。しかし、ヱヴァ・ファンは裏切られることに慣れている。未だ見限らない。諦めない。今回は判断を保留して、第4作目に微かな希望を繋ぎたい。

「Q」の目玉は新キャラクター、鈴原サクラ(トウジの妹)だろう。可愛い。変なイントネーションの関西弁を喋るというのも兄貴譲りだ(もしかして意図的!?)。彼女は良かったが、それはあくまでキャラクターデザイン・貞本義行の功績であって、庵野ではない。また渚カヲル君は主人公・碇シンジとピアノの連弾をしたり延々とボーイズラブを展開するので、彼のファンにとっては美味しい(萌え)だろう。僕はなんの興味もないが。

今回詰まらないと感じたのはまずサード・インパクトの後ということで登場人物が少数に絞られてしまったこと。鈴原トウジはおろか加持リョウジすら出てこない。閉ざされた世界。まるで禅問答みたいだ。そして第2作「破」から14年後という設定なのに、ヱヴァのパイロット(子どもたち)だけ歳をとっていないというのもどう考えても不自然。最初僕は「これはシンジの夢なのかな?」と考えたが、映画の最後まで覚めることはなかった。

本篇の前に「巨神兵東京に現る 劇場版」(スタジオ・ジブリ)が併映された。これは東京都現代美術館で開催された展覧会「館長 庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技」の展示映像として製作されたもの。監督はヱヴァにも絵コンテ等で参加している樋口真嗣(ひぐちしんじ)。ちなみに碇シンジの名前は樋口真嗣に由来する。僕は「ローレライ」など、彼の映画監督としての才能はゼロだと想っているが、平成「ガメラ」シリーズなど特技監督としては優れた手腕を発揮してきた。本作も特撮に対する愛が溢れ、ミニチュアも精巧にできていて素晴らしい。特に爆破シーンにおける炎のコントロールが天才的だ。美しい。「僕たちの樋口真嗣が帰ってきた!こういうのが観たかったんだ」と快哉を叫んだ。ちなみにキャラクターデザインは当然、宮崎駿であり、「風の谷のナウシカ」に繋がるプロットになっている。ナレーションが綾波レイの林原めぐみというのも嬉しい。

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僕とミュージカル「レ・ミゼラブル」、愛憎の20年 (+オールタイム・ベスト・キャスト選出あり)

僕が初めてミュージカル「レ・ミゼラブル」に興味を抱いたのは、島田歌穂さんが1988年の紅白歌合戦に出演し、レミゼのナンバー「オン・マイ・オウン -On My Own」を歌った時である(ちなみに翌89年の紅白は市村正親さんが「オペラ座の怪人」を歌った)。島田さんは世界の「レ・ミゼラブル」ベスト・メンバーに選ばれ、エリザベス女王御前コンサートでも歌った。さらにインターナショナル・キャスト(コンプリート)盤に抜擢され、同CDはグラミー賞を受賞している(英語で歌唱)。

そして1993年に舞台「フォービドゥン・ブロードウェイ」で初めてレミゼの楽曲を聴いた。出演者は5人。ブロードウェイ・ミュージカルの名作やヒット作、出演したスターなどを茶化したり、からかったりするパロディ・ショーである。レミゼについては「照明が暗く、衣装はボロボロ。盆(回転舞台)が作動しグルグルグルグル、出演者は目が回る」といった内容の替え歌で、ゲラゲラ笑い転げながら、同時に音楽の美しさにも心に刻み込まれた。

1994年、大阪の劇場飛天で遂に本篇を観た。ジャン・バルジャン:鹿賀丈史、ジャベール:村井国夫、エポニーヌ:島田歌穂、コゼット:佐渡寧子らといった面々だった。

1997年はバルジャン:山口祐一郎、コゼット:純名里沙らの配役で観た。エポニーヌは島田さんの回ばかりに足を運んだ。後に、一度は本田美奈子(2005年死去)を選ぶべきだったと後悔することになるのだが……。

その後、飛天が梅田芸術劇場に改称されてからもバルジャン:別所哲也今井清隆、エポニーヌ:笹本玲奈新妻聖子などのキャストで観ている。

こうして何度も観劇している作品だが、それほど愛着があるのか?と問われたら首を傾げざるを得ない。確かに楽曲は素晴らしい。文句ない。僕は特に第1幕のフィナーレ "One Day More"が大好きだ。登場人物たちがそれぞれの心中を同時に歌う八重唱+合唱という極めて複雑な曲で、声の力に圧倒される。映画版でトム・フーパー監督がこの場面をどう処理するのか注目される。また「一日の終わりに - At the End of the Day」もいい。このミュージカルは合唱のナンバーが傑出している。

しかし、どうしても気に入らないのがプロットである。(照明を含め)とにかく暗い。救いがない(ジャン・バルジャンは死をもってのみ救済される)。そして貧乏臭く左翼的である。日本の小説で言えば「蟹工船」みたい。本作に登場する学生たちがバリケードを築き、夢見るのは共産主義革命である。彼らに共感することは出来ない。

原作者のヴィクトル・ユーゴーはナポレオン3世の時代に生きた。このとき勃発したのがパリ・コミューン(第三共和国政府に反対し、蜂起したパリ民衆の革命政府。プロレタリアート政権)。しかしたった2ヶ月(72日)で共和国政府軍により鎮圧され、ユーゴーは軍の苛酷な殺戮を激しく非難した。ちなみにユーゴー自身もナポレオン3世の独裁に異を唱えたため弾圧され、19年間に及ぶ亡命生活を余儀なくされる。この時亡命先のガーンジー島で次女に起こった出来事(狂恋)を描いたのがフランソワ・トリュフォー監督の映画「アデルの恋の物語」である。

余談だが宮崎駿監督のアニメーション「の豚」挿入歌”さくらんぼの実る頃”(唄:加藤登紀子)はパリ・コミューン時代に流行ったシャンソンで、人々は歌詞にある「恋の痛み」を「パリ・コミューンを鎮圧された痛み」に読み替え、「短い季節=パリ・コミューン」を偲んだという。ちなみに「共産主義」と言う意味の英語communismは「共同体」=commune(コミューン)から派生している。宮崎アニメで言えば自給自足の「風の谷」や「たたら場」(もののけ姫)がそれに相当する。なお、ミュージカル「レ・ミゼラブル」でリトル・コゼットが"There is a castle on a cloud."(雲の上にはお城があるの)と自分の空想を歌うのだが、これって「天空の城ラピュタ」のことだよね!?宮崎駿とユーゴーは繋がっている。閑話休題。

「レ・ミゼラブル」第1幕で学生アンジョルラスが歌う「民衆の歌」(Do You Hear the People Sing ?)を初めて聴いた時、ロシア革命などで歌われた労働歌「インターナショナル」が思い浮かんだのは僕だけではあるまい。それこそが作詞・作曲家の狙いであろう。

作詞家アラン・ブーブリルはチュニジア生まれ、作曲家クロード=ミッシェル・シェーンベルクはフランス生まれ。2人は1973年にロック・オペラ「フランス革命」でミュージカルに進出(ブーブリルはNYで「ジーザス・クライスト・スーパースター」を観て刺激を受けた)、80年にパリで「レ・ミゼラブル」を初演し成功を収めた。12音技法を生み出し、「グレの歌」「浄められた夜」で有名な作曲家アルノルト・シェーンベルクはクロード=ミッシェルの祖父の兄に当たる。先祖はハンガリーで靴屋を営むユダヤ人だったという。またこのコンビは後にミュージカル「ミス・サイゴン」を生み出すが、これも反米(反アメリカ帝国主義)のメッセージが強い作品である。

こういうあからさまな左翼思想の作品に大量の資本を投じ、スペクタクル・ミュージカルに仕上げ、アメリカを含め世界で大ヒットさせ大儲けしたプロデューサーのキャメロン・マッキントッシュは只者ではない。実にしたたかである。が、僕は「レ・ミゼラブル」に通底するその思想を憎んだ。

しかし音楽は好きだったので繰り返し観劇している内に、次第に思想的に偏った胡散臭さが気にならなくなってきた。むしろレミゼは「誇り高い人々の物語」であると捉えるようになった。テナルディエ夫妻は別として、ジャン・バルジャンもファンテーヌ、マリウス、アンジョルラス、エポニーヌもみな気高い。そしてバルジャンを執拗に追うジャベール警部もその誇り故に、最後は自分の信じてきたもの(法)の価値が瓦解し、自殺せざるを得なくなるのだ。最初観劇した時はジャベールが死を選ぶ意味が理解できなかったが、今ではそれが必然であったことが僕には判る。物語の見方が変わってきたもう一つに、若い頃はエポニーヌの失恋に感情移入していたのに、現在はむしろファンテーヌの娘コゼットを思う気持ちが切実に感じられるようになったことも挙げられる。彼女が歌う 「夢やぶれて - I Dreamed a Dream」は哀しく、心に沁みる逸品だ。

このミュージカルには画家エミール・バヤールによって描かれたコゼットの木版画が象徴的イコンとして使用されている。

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この意味も当初は不明だったが、最近になって漸くコゼットこそこの作品で各登場人物を結びつけるキー・パーソンなのだということが納得できるようになった。コゼットがバルジャンとマリウスを出会わせ、バリケードに導く。そして皆が不幸な結末を迎える中、彼女だけがこの悲惨な物語の中で唯一の希望になるのだ。そのコゼットにソロ曲がないというのも面白い。

ミュージカル「レ・ミゼラブル」を映像で愉しむには主に3つのソフトがある。

1995年ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで10周年記念コンサートが開催され、17カ国のジャン・バルジャンが登場し「民衆の歌」(Do You Hear the People Sing ?)を歌い継いだ。日本からは鹿賀丈史が参加した。こちらはDVDでどうぞ。

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そして25周年記念コンサートはDVD,Blu-rayで発売中。なお10周年記念もそうだが、役者たちは舞台衣装を着て歌う。最後は1985年初演キャストが勢ぞろいというお楽しみも用意されている。

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さらに偉大なプロデューサー、キャメロン・マッキントッシュを讃える"HEY,MR.PRODUCER !"もある。

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「オペラ座の怪人」(ファントムをコルム・ウィルキンソン!)「キャッツ」なども収録、「ミス・サイゴン」はオリジナル・キャスト、レア・サロンガジョナサン・プライスで観れるのが嬉しい。

では次に「レ・ミゼラブル」オールタイム・ベスト・キャストを選出してみよう。

ジャン・バルジャン(映画版ではヒュー・ジャックマンが演じる)はやはりこの人しかいないでしょう。ロンドン/ブロードウェイのオリジナル・キャストで10周年コンサートでも抜擢されたコルム・ウィルキンソン。伸びる高音域が素晴らしい。映画版では司教役を演じる。25周年バージョンのアルフィー・ボーは、バズ・ラーマン監督(ムーランルージュ等)がブロードウェイで演出した「ラ・ボエーム」で主役を演じ、トニー賞に輝いた。オペラ歌手だから確かに歌は上手いのだが、演技力となるとやはり慈愛が滲み出るコルムの方が格上。

ジャベール警部(映画版:ラッセル・クロウ)はオーストラリア・オリジナル・キャストでインターナショナル・キャストCD、25周年コンサートでも歌っているフィリップ・クワストも渋くていいし、25周年のノーム・ルイスは背筋が伸びた立ち姿が格好よく、また声量の豊かさ、低音の魅力に聴き惚れる。彼が出てきた時は「えっ、黒人のジャベール!?」と違和感があったけれど(時代的にありえない)、次第に気にならなくなる。

ファンテーヌ(映画版:アン・ハサウェイ)は10周年コンサートのルーシー・ヘンシャルにとどめを刺す。その劇的表現力は他の追随を許さない。僕が1998年にイギリスを訪れた時、彼女とウテ・レンパーが出演しているミュージカル「シカゴ」のチケットを事前に日本で予約していた。ところが劇場に着くと、その日はルーシーの休演日で代役(アンダースタディ)だったのでがっかりした想い出がある。

マリウスはこの役を演じるために生まれてきたと称しても過言ではないマイケル・ボール。The One and Only.ロンドン・オリジナル・キャスト、10周年コンサート、インターナショナル・キャスト盤も担当。その甘い歌声は役柄にピッタリ。マリウスってのはやっぱり優男(やさおとこ)でないと。

エポニーヌはインターナショナル・キャスト盤も歌った島田歌穂を第1に推す。少し鼻にかかったような、甘えた声がキャラクターにピッタリ。僅差で10周年コンサートのレア・サロンガ。フィリッピン出身で「ミス・サイゴン」キム役オリジナル・キャスト。ディズニー映画「アラジン」「ムーラン」でもヒロイン役を歌っている(レアは25周年でファンテーヌを歌ったが、こちらはいただけない)。なお25周年のエポニーヌ役サマンサ・バークスは映画版にも起用された。でも彼女の顔は好きじゃない。顎が気になる。

アンジョルラスはインターナショナル・キャスト盤のアンソニー・ワーロウ(オーストラリア・キャスト)と25周年コンサートのラミン・カリムルー(ロンドン・キャスト)が双璧。カリムルーは「オペラ座の怪人」25周年記念公演でファントムを歌い、張りのある声で圧倒的存在感を示した。

コゼット(映画版:アマンダ・セイフライド)は純名里沙がずば抜けた歌唱力と可憐さで印象深い。25周年のケイティ・ホールはグラマーでキュート。彼女も捨てがたい魅力がある。

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ところで皆さんはトレイ・パーカー&マット・ストーンのアニメーション「サウスパーク/映画無修正版」(1999)をご存知だろうか?全編ミュージカル仕立てになっており、特に「レジスタンス -La Resistance」というナンバーは明らかに「レ・ミゼラブル」One Day Moreのパロディになっている。彼らの愛が溢れ抱腹絶倒なので、レミゼ・ファンに是非お勧めしたい。トレイとマットは後にブロードウェイに進出。2011年に「ブック・オブ・モルモン」でトニー賞の最優秀ミュージカル作品賞・演出賞・楽曲賞など9部門を独占したことは記憶に新しい。

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第25回全日本マーチングコンテスト(高校以上の部)2012 前編

吹奏楽連盟に物申す。

全日本マーチングコンテストは今年から規定でドラムメイジャーのバトンとカラーガードのフラッグの放り投げが禁止になった。マーチングの魅力が減じられ、がっかりした。どうしてこんなくだらない規制をかけるのか?「放り投げは点数に加算されない」でいいではないか。したい団体にはさせればいい。「安全性」など、次元の低い言い訳である。

全日本マーチングコンテストは所詮後発であり、先行するマーチングバンド・バトントワーリング大会と差別化を図りたい気持ちは分かる。しかし、そんなことは「大人の事情」に過ぎない。子供たちを巻き込むな。来年からこの愚かな新ルールが撤廃されることを心から望む。

11月18日(日)大阪城ホールへ。

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今年金賞を受賞したのは以下の団体。

東関東代表 柏市立柏高等学校(千葉)、習志野市立習志野高等学校(千葉)、千葉県立松戸六実高等学校

西関東代表 埼玉県立伊奈学園総合高等学校

関西代表 箕面自由学園高等学校(大阪)、大阪桐蔭高等学校大阪府立淀川工科高等学校滝川第二高等学校吹奏楽部(兵庫)

九州代表 熊本県立熊本工業高等学校精華女子高等学校(福岡)

千葉と大阪強し!北海道(1)は、東北(2)は2,四国(2)は2。例年のことだが、地域格差が歴然としている。

地元関西から感想を書いていこう。淀川工科高等学校(淀工)は毎年内容が同じなので省略。

箕面自由学園高等学校 曲目は輝ける時(真島俊夫)-シン・レッド・ライン(アルフォード)-シャンソン・メドレー「モンマルトルの小径」(真島俊夫)。弾けるステップ。よく揃っている。そして歯切れのいい演奏だった。

滝川第二高等学校吹奏楽部 祝典歌劇「リプシェ」ファンファーレ(スメタナ)-マーキュリー(ヴァン=デル=ロースト)-マラゲーニャ(レクオーナ)。滝二といえばヴァン=デル=ローストの「アルセナール」が十八番。曲を替えてきたのでびっくりした。人数は意外と少ない。ズボンのせいか、すらっとした足が揃っていて美しい。またステップの変化が見ていて愉しい。

大阪桐蔭高等学校 戴冠行進曲「宝玉と勺杖」(ウォルトン)-女王への忠誠(アーノルド)。まず梅田隆司先生の選曲センスが抜群にいい。今年は20世紀イギリスの作曲家で統一してきた。洒落ている。ウォルトンの「宝玉と勺杖」(ほうぎょくとしゃくじょう。別名「宝玉と王の杖」)は1953年エリザベス2世の戴冠式のために作曲された行進曲。アーノルドは映画音楽「第六の幸福をもたらす宿」でも吹奏楽ファンにお馴染み。「女王への忠誠」は元々バレエ音楽で、超高速の途轍もない難曲だった。吹奏楽コンクール自由曲で取り上げる団体もあるらしい。僕は「熊蜂の飛行」を連想した。桐蔭は恐らく100人を超える大人数で壮観。音の迫力もすごい。途中、合唱(ハミング)付き。精緻な演奏でパーフェクト。

関西以外の団体は後編にて。Coming soon...

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ウィーン弦楽四重奏団@いずみホール

11月14日(水)いずみホールへ。ウィーン弦楽四重奏団を聴く。

  • ハイドン/弦楽四重奏曲 第39番「鳥」
  • ベートーヴェン/弦楽四重奏曲 第16番
  • シューベルト/弦楽四重奏曲 第14番「死と乙女」

第1ヴァイオリンのウェルナー・ヒンクは元ウィーン・フィルのコンサートマスターで御年69歳。高齢なので技術の衰え、綻びは覆い隠せないものがあった。

やはりウィーン・フィルのコンサートマスターを務めたことがあり、2008年にアルバン・ベルク弦楽四重奏団を解散したギュンター・ピヒラーが72歳なので、同世代といえるだろう。引き際は肝心だなと想った。

だからウィーン弦楽四重奏団はヒビの入った骨董品ではあるが、同時にそれはそれなりの年季が入った良さ、味わいがあったのも確かである。

ハイドンベートーヴェンは穏やかで気品がある。たおやかで馥郁たる表現力。節度あるヴィブラートにも好感が持てる。鋭利な刃物のようにモダンだったアルバン・ベルク弦楽四重奏団とは対極にある演奏。

シューベルトも緊張感より親密さ。作曲家自身がそう音楽を愉しんだように、親しいもの同士でホーム・コンサートをしているような雰囲気があった。

アンコールは、

  • ハイドン/弦楽四重奏曲 第77番「皇帝」第3楽章
  • ドヴォルザーク/弦楽四重奏曲 第12番「アメリカ」第4楽章

ハイドンではウィーンのカフェでウィンナ・コーヒーを飲んでいる気分になり、ドヴォルザークからは花の香りがした。

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コリリアーノ「ハーメルンの笛吹き」!〜下野竜也/大フィル定期

11月15日(木)ザ・シンフォニーホールへ。

下野竜也/大阪フィルハーモニー交響楽団による定期演奏会 第1日目。

Dai

  • ベートーヴェン/「レオノーレ」序曲 第1番
  • ベートーヴェン/交響曲 第8番
  • コリリアーノ/「ハメルーンの笛吹き」幻想曲
    (フルート協奏曲、独奏:瀬尾和紀

下野さんのベートーヴェンはピリオド・アプローチではない(弦はノン・ヴィブラート奏法をしない)が、ティンパニはピリオド(クラシカル)楽器を使用していたのがユニークだった。

歯切れよく、躍動する演奏。「レオノーレ」序曲 第1番は耳慣れた第3番とは随分違うが、第2主題はお馴染みの旋律。

交響曲 第8番も水捌けがよく、第1楽章の展開部は激しい印象。これはよく「小規模な交響曲」と呼ばれるが、決して小さく感じない。第2楽章は緊張と緩和のコントラストが鮮明。そして極めてテンポが速く、急き立てられるような終楽章。疾風怒濤のベートーヴェンだった。

休憩を挟み現代アメリカを代表する作曲家コリリアーノの「ハメルーンの笛吹き」。映画「レッド・バイオリン」でアカデミー作曲賞を受賞(独奏はジョシュア・ベル)。僕が大好きな曲だ。プログラム・ノートに掲載された作曲家の写真(服装)を見た瞬間、「この人、ゲイっぽい」と直感した。

Corigliano

調べてみると案の定、彼はゲイをカミング・アウトしており、パートナーは作曲家マーク・アダモだそう。

チャイコフスキー、ラヴェル、ブリテン、プーランク、ニーノ・ロータらゲイの作曲家たちに共通する特徴は、豊かな色彩感である。村上春樹さんの著書によると、プーランクは「私の音楽は、私がホモ・セクシュアルであることを抜きにしては成立しない」と語っていたそうだ。

コリリアーノの楽曲も色とりどりの花束を連想させた。

まずステージが真っ暗になり、譜面台だけライトが灯される。そして静かに音楽は開始され、次第に明るくなってゆく。

1.夜明けと笛吹き男の歌 はまことに美しく、はかなげで幻想的。

2.ネズミ はオーボエ奏者がリードだけで「チュウ」と鳴く。鋭い音楽。

3.ネズミとの戦い はフルート・ソロがフラッター奏法など超絶技法を駆使して華麗。

4.戦いのカデンツァ は打楽器が大活躍。

6.市民の合唱 は古楽的響き。からくり時計塔の音楽を連想させる。ここで複雑にリズムが絡み合い、指揮者とは別にコンサートマスターも弓で指揮する場面も。アイヴズの交響曲 第4番を思い起こした。

7.子どもたちの行進 で客席からフルート9人+打楽器2人の中学生たちが私服姿で登場、マーチングしながらステージへ。独奏フルート奏者はティン・ホイッスルに持ち替え、彼に引き連れられ子どもたちは去っていった。やがてステージは暗転。

「現代音楽は小難しい」という従来のイメージを払拭、視覚的にも実に愉しい楽曲だった。この面白さは決してCDでは伝わらないだろう。ライヴだからこその醍醐味を堪能した。

下野/大フィルには近い将来、コリリアーノ/レッド・バイオリン・コンチェルトも取り上欲しいな、と大いに期待する。

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林家正雀・桂文我 東西落語会

11月8日(木)梅田・太融寺へ。

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  • 桂まん我/時うどん
  • 桂 文我/鍬盗人(くわぬすっと)
  • 林家正雀/安中草三郎(あんなかそうざぶろう)
    三遊亭円朝作「後開榛名梅ヶ香」(おくれざきはるなのうめがか)より
  • 正雀・文我/東西対談
  • 桂 文我/古事記

まん我さんの「時うどん」は「虫養い(むしやしない)」とか「意気と間」という言葉が出てきたり、なかなかユニークだった。

鍬盗人」は説明が多く、くどい。

関西で滅多に聴く機会のない「安中草三郎」は半ばまで。それでも1時間を超える長講で大変な熱演。聴き応えがあった。

古事記」は今まで詳しい内容を知らなかったので、大変勉強になった。面白いか?と問われたら微妙かな。

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バッハ・コレギウム・ジャパン/メンデルスゾーン《パウルス》

10月12日(金)、神戸国際会館こくさいホールへ。

鈴木雅明/バッハ・コレギウム・ジャパン(コンサートマスター:寺神戸亮)でメンデルスゾーンのオラトリオ「聖パウロ」全曲を聴いた。ユダヤ教からキリスト教に改宗したパウロを題材にしたオラトリオ。作曲者自身もユダヤ人家庭に生まれたが、7歳の時に父が子どもたちをプロテスタント(ルター派)に改宗させている。

Bcj

聴いて想ったのは、これはJ.S.バッハ「マタイ受難曲」の続きみたいな作品だなということ。メンデルスゾーンが、当時人々から忘れ去られていた「マタイ受難曲」を100年ぶりに蘇演したことはあまりにも有名。彼が20歳の時である。そして「パウルス」は26歳の作品。

メンデルスゾーンという作曲家は穏やかで、幸福感に満ちた曲を書くというイメージを抱いていたが、本作でそれは見事に覆された。音楽は劇的であり、時に激しい感情をむき出しにする。逆説的だが、むしろこの宗教音楽の方が彼の交響曲などより「人間的」かも知れない。最高傑作と呼んでも過言ではないだろう。本作をオリジナル楽器で聴けたことは僥倖であった。

ソプラノ:澤江衣里、バス:ドミニク・ヴェルナーらが好演。レコーディングを待望する。

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補聴器のハウリングで場内騒然!ブロムシュテット/バンベルク交響楽団@兵庫芸文

11月11日(日)兵庫県立芸術文化センターへ。

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ヘルベルト・ブロムシュテット/バンベルク交響楽団(ピアノ:ピョートル・アンデルシェフスキ)で、

  • モーツァルト/ピアノ協奏曲 第17番
  • ブルックナー/交響曲 第4番「ロマンティック」

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指揮者とソリストが登場したあたりから客席でピーという高音が流れ始めた。僕の経験上、補聴器のハウリングと思われる。しかし意に介する事なくタクトは振り下ろされた。演奏会において指揮者はMaster of Ceremonyであり、絶対的存在だ。彼が腕を降ろさない限り奏者も、聴衆も、ホール・スタッフもその演奏を止めることは出来ない。 耳障りな高音はモーツアルトの演奏中、そしてソリスト・アンコール(シューマン/幻想曲ハ長調 Op.17)の最後まで流れ続けた。

ブロムシュテットは御年85歳。ご高齢なので超高周波のハウリングが聞こえていなかったのかも知れない(高音域の感音性難聴)。読者の皆さんは若年者にしか聞こえないモスキート音をご存知だろうか?詳細は→こちら

演奏の方はアンデルシェフスキのタッチが柔らかく、繊細な弱音(pp)と優しい響きが魅力的だった。第3楽章は生き生きとして、水面を跳ねる魚を連想させた。

休憩時間になるとロビーは騒然とした雰囲気になった。ホール・スタッフに詰め寄る人々。後で聞くところによると、払い戻しを要求した人もいたという。「あの高音で頭が痛くなった……」と意気消沈して項垂れる男性の姿も。とにかく心から音楽を楽しめる状況では全くなかった。

後半冒頭にマイクを持ったゼネラル・マネージャーが登場し、謝罪した。「第1楽章で雑音の報告を受け直ちに確認させましたが、当施設で音を発している機材はありませんでした。恐れ入りますがお客様がお持ちの電子機器を今一度お確かめ下さい。特に補聴器の可能性が高いと考えられます。ご本人が自覚されていない場合もありますので、周囲の方で気付かれた方はスタッフにお声を掛けて下さい」ここでホール内を無音状態にしてハウリングがないか確認。客席から「補聴器を持っている方に一度スイッチを入れて貰ったらどうでしょうか?」「ステージが明るくなってから雑音が聞こえたので、客電を落としてみて下さい」などといった意見が飛び交う。一発触発、ピリピリと険悪な空気が流れる。しかし今回は大丈夫だった。そこでおもむろにオケの楽員が登場。

ブルックナーは第1楽章冒頭、ホルンの突き抜ける音から一気に魅了された。バンベルクのオケはくすんだ、いぶし銀の響きがする。弦楽器は黒ずんで光沢のある木の柱、そして金管楽器は多少錆びが入った真鍮を連想させる。「嗚呼、これがドイツの音なんだ!」と感じ入った。

ブロムシュテットはとても85歳とは想えない快調なテンポで、矍鑠(かくしゃく)たるタクトさばき。第1楽章 第2主題は歯切れよく曖昧さは皆無。明晰な解釈だった。またズシリと腹に響くフォルテシモも鮮烈。「決然としたブルックナー」と評したい。なかなかこれだけのレベルの「ロマンティック」を聴けるチャンスはないのではないだろうか?

以前、同じ兵庫芸文で佐渡裕さんが指揮するオペラを鑑賞した際も一幕の間中ずっと補聴器のハウリングが鳴っていたことがあった。同一人物の可能性は高い。ということは今後も繰り返されることが予想される。さて次はどう対応する、芸文?

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飯森範親&岐路に立つ大阪市音楽団 定期

11月7日(水)ザ・シンフォニーホールへ。

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大阪市音楽団(市音)の定期演奏会を聴く。ここは全国で唯一、地方自治体が運営するプロの吹奏楽団である

しかし2011年12月19日に橋下徹氏が大阪市長に就任すると、市音を民営化する方針を打ち出した。

今年6月には俊英・山田和樹 指揮で市音定期が予定されていたが、これで急遽中止となり、1年ぶりの定期演奏会となった。

橋下さんは大阪府知事時代に、大阪(現・日本)センチュリー交響楽団を運営する財団法人に対する府からの年間4億円の補助金打ち切りを表明した。これに対し有識者や労働組合が中心となり「大阪センチュリー交響楽団を応援する会」を立ち上げ、「大阪からオーケストラ文化の灯を消すな!」を合言葉に全国から10万7千人の反対署名を集めた。しかしその実態はコンサートに行けない未就学児童を含む家族全員の名前を書いたり、大阪府在住ですらない人たちが署名するといった有様だった。署名した10万7千人のうち、果たして何人がその後センチュリーのコンサートに足を運んだのであろうか?仮にこの人達が全員、毎年4千円出せば、年間4億の補助金を賄えた筈である。結局センチュリーへの補助金は打ち切られたが、楽団は未だ存続している。

さて、今回白羽の矢が当たった飯森範親さんは2009年定期に登場し、「華麗なる舞曲」などを振った。僕のレビューはこちら。その時はS席3,000円(前売り2,500円)、A席2,500円(前売り2,000円)だった。

それがS席5,500円、A席4,500円と一気に値上がりし、昔なら8割以上は埋まっていた客席も6割程度と閑散としていた。中高生はこの値段だとキツイだろう。

  • 西村朗/秘儀 I -管楽合奏のための
  • 和田薫/吹奏楽のための俗祭
  • 真島俊夫/三つのジャポニスム
     I. 鶴が舞う II. 雪の川 III. 祭り
  • 三善晃/吹奏楽のための「クロス・バイ マーチ」
  • 山下康介/ブルー・ファンタジア
  • 三枝成彰(長生淳 編)/交響組曲「機動戦士Zガンダム」
     I. Zガンダムのテーマ II. 戦争と平和 III. 恋人たち
  • 和田薫/吹奏楽のための土俗的舞曲(アンコール)

秘儀 I 」は複雑なリズムで土俗的。トランス状態になったシャーマン(巫女)がのたうちまわり、踊り狂う情景が克明に活写される。

吹奏楽のための俗祭」は冒頭のホルンが日本の山々を連想させ、夏祭りの気分が盛り上がる。パンチが効いてノリノリ。作曲した和田薫さんが会場に来られており、飯森さんとのトークあり。

三つのジャポニスム」は明晰で透明感ある演奏。端正な中に和の美が感じられる。I. 鶴が舞うはダイナミックで切れがある。II. 雪の川は日本の叙情豊か。狂騒のIII. 祭りは速いテンポでぶっ飛ばし、スカッとした。3年前このコンビによる「華麗なる舞曲」の爆演を想い出した。

クロス・バイ マーチ」は旋律が複雑に絡み合い、まるでアイヴズの交響曲や「宵闇のセントラル・パーク」のよう。

航空自衛隊中部航空音楽隊のために作曲された「ブルー・ファンタジア」は晴れ渡る青空を飛行機が飛んでいくような気持ちのいい曲!クライマックスで飯森さんの指揮棒が吹っ飛んだのも面白かった。これは難易度が低そうなので、小学生バンドでも演奏可能かも知れない。

機動戦士ZガンダムI. Zガンダムのテーマ は勇壮で格好よく、ロマンティック。II. 戦争と平和 はシャープで畳み掛けるような緊迫感があった。特にティンパニの太鼓連打は凄まじい迫力で、突如甘美なメロディーが登場するのも意外性があって面白い。III. 恋人たち はヘンリー・マンシーニの「シャレード」みたいに洗練され、心浮き立つ音楽だった。金管の響きが輝かしい。

アンコールの「吹奏楽のための土俗的舞曲」は1984年度吹奏楽コンクール課題曲。これを作曲した当時、和田薫さんは21歳で、同世代の飯森さんは桐朋学園大学指揮科在学中。母校の高校に頼まれ、この曲を指導したそう。沸騰するリズム。「ゴジラ」で有名な伊福部昭の影響が色濃く感じられた。

最後に飯森さんから次のような旨のご挨拶があった。「ここにいらっしゃっている皆様は市音が置かれた状況をよくご存知のことと思います。この大阪の宝を今後も応援して頂きたい。私も微力ながら出来る事をしていきたい」客席から温かい拍手が沸き起こったことは言うまでもない。

「大阪市は大阪市音楽団を見捨てるな!」「大阪の大切な文化の灯を消すな!」「橋本市長の暴挙は許せない!」とネット上で叫んでいる人たちが数多くいる。どうかそういう方々にお願いしたい。綺麗事ならいくらでも言える。口先だけではなく市音の有料公演に実際足を運び、お金を落として頂きたい。友の会(年間3,000円)に入会されると尚更いい。それこそが真の意味で楽団を「支える」ということだ。行動が伴わなければ意味はない。

次の演奏会は11月23日(金・祝)@ザ・シンフォニーホール。宮川彬良さんとの炸裂ライヴ!「宇宙戦艦ヤマト」も演奏される。詳細は→こちら。是非会場を満席にして、市音ファンの心意気と覚悟を示そう。僕も勿論、聴きに行きます。

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ラドゥ・ルプー@いずみホール/シューベルトと村上春樹、AKB48

11月6日(火)いずみホールへ。

ウィーン音楽祭 in OSAKA 2012、ルーマニア出身のピアニスト、ラドゥ・ルプーによるオール・シューベルト・プログラム。

  • 16のドイツ舞曲 D783,op.33
  • 即興曲集 D935,op.142
  • ピアノ・ソナタ 第21番 変ロ長調 D960(遺作)
  • スケルツォ 変ニ長調 D593-2(アンコール)
  • 楽興の時 D780より第2曲 変イ長調(アンコール)

村上春樹氏は小説「海辺のカフカ」でシューベルトのピアノ・ソナタについて言及している。シューベルトのソナタは聴いていて退屈だという会話の流れの中で、

「ある種の不完全さを持った作品は、不完全であるが故(ゆえ)に人間の心を強く引きつける」
「シューベルトというのは、僕に言わせれば、ものごとのありかたに挑んで敗れるための音楽なんだ。それがロマンティシズムの本質であり、シューベルトの音楽はそういう意味においてロマンティシズムの精華なんだ」
「この世界において、退屈でないものには人はすぐに飽きるし、飽きないものはだいたいにおいて退屈なものだ」

また村上さんは別の小説で、人は必ずしも「100パーセントの女の子」に恋するわけではないと書いている。言いたいことは同じだ。僕はこれを読んでいて、AKB48も似たようなものだなと想った。

中森明夫さんは新書「AKB48白熱論争」において、KARAとか「少女時代」など韓流の女性グループを例に挙げ、彼女たちは美人揃いで容姿は完璧なのだけれど、だからこそすぐに飽きてしまうと語られている。逆にAKB48は不揃いで、中には不細工な女の子もいるが、個性的で飽きない。つまりシューベルトの音楽と同じ理屈だ。

シューベルトとシューマンは構成力が欠如した作曲家だというのが僕の持論だ。だから即興曲とか楽興の時、幻想曲など小品はいいが、ソナタとか交響曲といった大規模な作品になると、冗長で散漫、気まぐれ、脈絡がないといった欠点が露呈する。しかし、そういった「退屈さ」こそ魅力なのかもしれないと最近感じるようになった。

Lupu

照明を落としたステージにルプーは登場。時折、鼻歌交じりにピアノを弾いた。ちょっとグレン・グールドみたい。

16のドイツ舞曲」は軽くもなく、キレがある演奏でもない。トゥシューズでおどるバレエとは対極的に、足を踏み鳴らしながら踊るドイツ的重厚さが魅力的。心地よい倦怠感があった。

即興曲集」第1曲はいぶし銀の輝き。薄明を歩むような雰囲気が支配的。第2曲はリズムがかすかに揺れ、ゆりかごを連想させる。気高い和音がそこに重なる。第3曲の変奏曲は歌謡性豊か。音楽は自由闊達で、生を謳歌する。第4曲はリズミカルで活力に満ちている。

ピアノ・ソナタの第1楽章は左手が力強く動的。しかし決して作為的にはならない。音楽の表情はニュアンス豊か。穏やかな旋律は、聴く者を優しい気持ちにさせる。第2楽章を支配するのは儚さ。シューベルトの歌曲「水の上で歌う」D774に近い気分を感じた。第3楽章スケルツォにはまるで子供のような、純真な魂が宿っている。そして第4楽章(アレグロープレスト)になってもルプーは決して焦らず、慌てず、悠々自適。嗚呼、なんて気持ちいい音楽だろう!

僕はこの演奏会を通じて、生活の豊かさ(ゆとり)とは、無為な時間を過ごすことにあるのだということを学んだような気がする。たっぷり2時間、シューベルトの「退屈さ」を愉しみ、じっくり味わい尽くした。

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ハンガリーの風景~バルトーク、コダーイからロージャ・ミクローシュ、ドホナーニ一家へ

バルトーク・ベーラ(1881-1945)はハンガリー領トランシルヴァニア(現在のルーマニア)に生まれた。1906年からコダーイ・ゾルターンと共にハンガリー各地の農民音楽の採集を始め、1918年まで続けた。1907年、26歳でブタペスト音楽院ピアノ科教授となるが1934年に辞職し、科学アカデミーの民俗音楽研究員となった。

民族色の強い作品としてルーマニア舞曲(ビアノ版・オケ版)、、ルーマニア民族舞曲(ビアノ版・オケ版)、トランシルヴァニア舞曲、舞踏組曲、ハンガリーの風景、9つのハンガリーの農民歌(以上オケ)、ハンガリー民謡による8つの即興曲(ピアノ)、民謡様式による3つの歌などがある。

1939年に第二次世界大戦が勃発。ナチスを嫌ったバルトークは1940年コロンビア大学客員研究員として民俗音楽の研究に取り組む手はずを整え、アメリカに移住した。しかしまもなく白血病に罹り入院。戦争で収入源も絶たれ極貧生活を送ることになる。同じハンガリー出身の指揮者フリッツ・ライナーら友人たちは彼の窮状を見るに見かねてボストン交響楽団の音楽監督だったクーセヴィツキーに働きかけ、その財団からの委嘱という形で完成されたのが最高傑作の呼び名が高い「管弦楽のための協奏曲」(1943)である。44年に初演され、その翌年に作曲家は亡くなった。

「ハーリ・ヤーノシュ」で有名なコダーイ・ゾルターン(1882-1967)はハンガリーに生まれ、ブタペスト大学で学び、哲学と言語学において博士号を授与された。1905年から人里離れた村を訪ね民謡を集め、1906年にはハンガリー民謡に関する論文を発表した。ちょうどその頃バルトークと出会い、彼に民謡学の手ほどきをした。舞踏音楽、マロシュセーク舞曲、ガランタ舞曲、ハンガリー民謡「孔雀は飛んだ」による変奏曲などがある。

一方、1943年11月14日にレナード・バーンスタインはニューヨーク・フィルにデビューした。本来この演奏会はブルーノ・ワルターが指揮台に立つ筈だったが急病にて、コンサート直前になってアシスタントとして同楽団にいたレニーにお鉢が回ってきたのである。この時プログラムにミクロス・ローザの「主題、変奏とフィナーレ」があった。この曲は1933年にパリで初演されており、シャルル・ミンシュ、カール・ベーム、ゲオルグ・ショルティ、ユージン・オーマンディらも取り上げている。

ロージャ・ミクローシュ(英語読みでミクロス・ローザ1907-1995)はハンガリーのプタペストに生まれた。ライプツィヒ音楽院を経て1931年にパリに移住。1937年にロンドン、そして39年にアメリカ合衆国に渡った。ハリウッド映画「白い恐怖」(1946)、「二重生活」(1948)、「ベン・ハー」(1960)で3度アカデミー作曲賞を受賞。映画音楽は1934年にパリの友人オネゲルからの勧めで手掛けるようになったという。

ロージャの弦楽のための協奏曲Concerto for string orchestraは奇しくもバルトーク/管弦楽のための協奏曲Concerto for orchestraと同じ1943年に作曲されている。

彼は1956年にハイフェッツの委嘱によりヴァイオリン協奏曲第2番を作曲(後にビリー・ワイルダー監督の映画「シャーロック・ホームズの冒険」に使用された)。さらにハイフェッツとピアティゴルスキーのためにヴァイオリンとチェロのための協奏交響曲を書いている。

民謡などを取り入れた作品としてハンガリー風セレナード、ハンガリー風夜想曲、3つのハンガリーのスケッチ、ハンガリー農民の歌による変奏曲、北部ハンガリー民謡と踊り、狂詩曲などがある。

ロージャの作品には映画音楽を含め、ハンガリー的節回しが常に息づいている。彼は紛れもなくバルトークとコダーイの後継者なのである。

こうした民謡を基盤とする作曲家たちが20世紀に生まれた理由はハンガリーの独立運動と無関係ではないだろう。1867年、オーストリア皇帝フランツ=ヨーゼフ1世の支配下でオーストリア=ハンガリー帝国が形成された。19世紀末には近代化の中で民族主義が高まりを見せた。1914年に第一次世界大戦が勃発、敗れたオーストリアは弱体化した。戦争終結後の1919年にハンガリー共産党による革命が起こるが数ヶ月で崩壊。その後生まれた政権はナチス・ドイツと協力関係を結ぶことになる。こうした混乱の中でバルトークやロージャはアメリカに亡命した。

バルトークやコダーイの音楽にはシューマンやブラームスら、19世紀ドイツロマン派の作曲家の影は殆ど感じられない。むしろ彼らはフランス印象派と直接結びついている。バルトークは1905年、パリのルビンシュタイン音楽コンクールにピアノと作曲部門で出場したが作曲部門では入賞せず奨励賞、ピアノ部門は第2位だった(優勝はヴィルヘルム・バックハウス)。この時クロード・ドビュッシーの音楽を初めて知り、またコダーイと出会った。コダーイはその時パリへ音楽留学中であり、ドビュッシーの音楽に多大な影響を受けていた。

彼らとは全く潮流を異にする、もう一人のハンガリー人もご紹介しよう。エルンスト・フォン・ドホナーニ(1877-1960)である。ドホナーニは完全にブラームスの流れを汲む作曲家で、ピアニストとしても活躍した。ピアノ五重奏曲第1番 作品1は、まるで新発見されたブラームスのピアノ五重奏曲第2番じゃないかと見紛うばかりにロマンティックで美しい作品である(お勧め!)。ちなみにブラームス自身もこの曲を大いに気に入り、ウイーン初演に尽力したと伝えられている。ドホナーニはハンガリー民謡を主題とする変奏曲も書いているが、そのアプローチはバルトーク、コダーイ、ロージャらのそれとは全く異なる。

エルンストの息子ハンス・フォン・ドホナーニはドイツで高名な法学者となり、反ナチス抵抗運動に参加、彼が偽造した書類により13人のユダヤ人がスイス経由で亡命を果たした。ドホナーニはヒトラー暗殺計画にも関与し、それが発覚して死刑宣告を受け、1945年に絞首刑が執行された。享年43歳だった。2003年イスラエルは彼の功績を讃え、ヤド・ヴァシェム(ホロコースト)記念館の壁にドホナーニの名を刻んだ。ちなみに、ここには杉浦千畝の名もある。

ハンス・フォン・ドホナーニの息子が現在も指揮者として活躍するクリストフ・フォン・ドホナーニである。クリストフは1952年にゲオルグ・ショルティ(1912-1997)の指名でフランクフルト歌劇場の助手になった。ショルティはハンガリーの首都ブタペスト生まれ。リスト音楽院でバルトーク、コダーイ、エルンスト・フォン・ドホナーニらから指導を受け、ピアノ・作曲・指揮法を学んだ。このように歴史は繋がっているのである。

最後にお勧めCDをいくつかご紹介しよう。バルトークのオーケストラ曲についてはショルティ/シカゴ交響楽団か、ピエール・ブーレーズが指揮したものを選べば間違いなし。最初は「管弦楽のための協奏曲」からが入りやすいだろう。そしてピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、オペラ「青ひげ公の城」に進もう。最終目標は深遠な6つの弦楽四重奏曲だ。アルバン・ベルク弦楽四重奏団の演奏にとどめを刺す。

コダーイの最高傑作は間違いなく無伴奏チェロソナタである。一聴すれば魂を揺さぶられるような体験となるだろう。ペレーニ・ミクローシュの新旧録音がベスト(ナクソス・ミュージック・ライブラリー NML所蔵)。

ロージャならガンバ/BBCフィルの「管弦楽作品集1・2」(シャンドス、NML所蔵)がいい。チェロ協奏曲も収録されている。最も有名なヴァイオリン協奏曲第2番ならやはりハイフェッツの演奏。幸いなことにステレオ録音が残されている(RCA)。

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マウリッツハイス美術館展と「真珠の耳飾りの少女」

僕は数年前から、オランダ、デン・ハーグにあるマウリッツハイス美術館に行こうと本気で計画していた。ここは古楽のメッカ、オランダ王立デン・ハーグ音楽院(フラウト・トラヴェルソの有田正広さん、バロック・ヴァイオリンの寺神戸亮さん、バロック・チェロの鈴木秀美さんらがここで学んでいる)があることでも知られている。

その目的はフェルメールが描いた「真珠の耳飾りの少女」を鑑賞することにあった。

2003年にイギリス・ルクセンブルク合作の「真珠の耳飾りの少女」という映画があった。アカデミー賞で撮影賞・美術賞・衣装デザイン賞にノミネートされたことでも伺えるように、高い評価を得た作品であった。画家フェルメールを演じたのは後に「英国王のスピーチ」でアカデミー主演男優賞に輝くコリン・ファース。モデルの少女をスカーレット・ヨハンソンが演じた。僕はこの映画がすごく好きで、特に撮影と音楽の美しさに陶酔した。ちなみに音楽は「ラスト、コーション」「英国王のスピーチ」「ハリー・ポッターと死の秘宝」「アルゴ」のアレクサンドル・デプラ(デスプラ)である。

どうしてもこの絵を、本物を観たいと希った。そしてその願いは、何と日本で叶うことになった。

神戸市立博物館へ。

Kobe

マウリッツハイス美術館展でまず印象に残ったのがルーベンスの「聖母被昇天」(アントワープの大聖堂にある作品の下絵)。小説「フランダースの犬」でネロとパトラッシュが死ぬ瞬間まで見つめていた絵だ。

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この絵の美しさの秘密はその構図にある。絵の左下端を焦点として、放射状に人物や事物が描かれているのだ。

そして待望の「真珠の耳飾りの少女」。

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吸い込まれそうなくらい白い肌、何かを語りかけてくるような眼差し。少女は微笑んでいるようでもあり、同時に哀しみを湛えているようでもある。貴重な鉱石ラピスラズリを原料とする絵の具「ウルトラマリンブルー」も勿論、印象的。観ていて出るのはただ、感嘆の溜め息ばかり。生きててよかった。

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希望の国

評価:A+

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原発事故後の福島をモチーフにした映画(長島という架空の町が舞台になっている)。津波の被害を受けた宮城県気仙沼市でもロケされている(現地では無料上映されたという)。公式サイトはこちら

主人公の家の庭には一本の木がすっくと立っている。それを見て僕は直ちにロシアの映画監督アンドレイ・タルコフスキーの遺作「サクリファイス」を連想した。そして映画の結末まで来て、これは紛れもなく園子温 監督版「サクリファイス」なのだと確信した。ちなみにタルコフスキーの父親はウクライナの著名な詩人であった。そして園子温の肩書きは「詩人・映画監督」である。

武満徹も書いている通り「サクリファイス」にはバッハのマタイ受難曲が流れる。対して「希望の国」で使用されるのはマーラー/交響曲第10番 アダージョだ。これがピタリとはまった。被災地の荒涼とした風景にマーラーの音楽が悲痛な、大地の叫びにように響く。胸にズシンと来た。効果音にこだわった演出も見事だった。

夏八木勲と大谷直子が素晴らしい。こういう典型的「日本の頑固親父」って、すごく久しぶりに見た気がする。なんだか懐かしかった。

想うに福島原発はパンドラの箱だった。3・11でその蓋は開け放たれ、封印されていた災厄が日本中にばら撒かれた。しかし箱の中に最後に希望が残った。園監督は力強く語る。「その希望とは愛だ」と。

エンディングクレジットで初めて監督直筆の「希望の国」という題字がドドーンと登場するのが鮮烈な印象を残す。もしあなたが日本人なら、絶対観るべし。

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ミュージカル「ロミオとジュリエット」フランス版来日公演!

「ミュージカル史上、世界三大傑作は?」と問われたら、僕は躊躇なく「オペラ座の怪人」(ロンドン)、「エリザベート」(ウィーン)、そして「ロミオとジュリエット」(パリ)と答える。ロミジュリは現在までに5種類のキャストで観た。

梅田芸術劇場へ。本拠地フランスからの初来日公演である。

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キャストは以下の通り。

ロミオ:シリル・ニコライ、ジュリエット:ジョイ・エステール、ベンヴォーリオ:ステファヌ・ネヴィル、マキューシオ:ジョン・エイゼン、ティボルト:トム・ロス、乳母:グラディス・フライオリ、大公:ステファヌ・メトロ、ロレンス神父:フレデリック・シャルテールほか。

宝塚版との大きな違いはモンタギュー婦人だけでモンタギュー卿は登場しないこと。また宝塚では「愛」と「死」のダンサーが狂言回し的に活躍するが、オリジナル版は「死」のみ。

「エリザベート」宝塚版でシシイがフランツから性病(梅毒)をうつされるエピソードがカットされたように、宝塚歌劇には「すみれコード」(禁忌・タブー)が確かに存在する。でフランス版を観て仰天したのは、モンタギュー家の男たちがキャピュレット家の女性をレイプすること(あるいはその逆)を匂わすような振付が施されていたこと。やっぱり宝塚版は上品なんだなと改めて感心した。

スキンヘッドの大公が野太いバリトンで歌い、めちゃくちゃ格好良かった!

ガタイがいいジュリエットが出てきた時は「えっ、アバズレ!?」と驚いたが(宝塚の娘役はみな華奢なので)、歌は上手かった。フランスのキャストは全般に歌唱力が圧倒的にあり、「日本のミュージカル界も実力はかなり向上したけれど、まだまだ本場には敵わないな」と想った。レベル的にはブロードウェイやウエストエンドと遜色ない。

ロミオはイケメンで、マキューシオの狂気は迫真の演技だった。

さすがファッションの本場だけあリ、衣装がお洒落だったことも特筆に値する。

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僕は「エリザベート」に関してはウィーン・オリジナル版より小池修一郎による日本の演出の方が優れていると確信しているが、「ロミオとジュリエット」についてはどちらも長所があり、互角の勝負と見た。

カーテンコールでは祈り(On prie)二十歳とは(Avoir 20 ans)世界の王(Les rois du monde)ヴェローナ(Verone)と4曲も歌われて、大いに盛り上がった。

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