シリーズ《音楽史探訪》革命児ベートーヴェン~そして「アホでも分かる」ショスタコーヴィチ/交響曲第5番へ
まず先に、過去に書いた《音楽史探訪》シリーズをお読み下さい。
こうして「交響曲の父」はハイドンではなくマンハイム楽派の祖ヨハン・シュターミッツであり、ハイドンは改革者であったことを明らかにしてきたわけだが、ではベートーヴェンとはどういう存在であったのだろう?ずばり結論から先に言うと彼は「革命家」であり、古典派の時代からロマン派の時代へと一気にJump Up したのである。
つまりベートーヴェンを古典派に位置づけるのは誤りであるというのが僕の考えだ。モーツァルトやハイドンとベートーヴェンの音楽には明らかに大きな溝があるが、ベートーヴェンとマーラーの交響曲には大した差異はない。強いてあげるなら曲の長さ(構成力)の違いくらいか。
ではハイドン&モーツァルトの古典派に対して、ベートーヴェンの特徴は何か?まず短調が多いことが挙げられる。
ハイドンが初めて短調の交響曲を書くのが第26番「ラメンタチオーネ」。108ある交響曲のうち短調はたった11曲しかない。約1割である。
モーツァルトは番号の付いた交響曲は41番までだが、番号もないものを含めると約50曲作曲した。うち短調は25,40番の2曲のみ(5%)。18番まであるピアノ・ソナタでは第8,14番の2曲(1割)。
一方、9つあるベートーヴェンの交響曲のうち短調は2曲(22%)。32のピアノ・ソナタのうち9曲(28%)。16ある弦楽四重奏曲のうち5曲(31%)。その割合には明らかな統計学的有意差がある。
ハイドンやモーツァルトには調和と均衡の美があるが、あまり個人的感情は感じられない。しかしベートーヴェンの作品は喜怒哀楽といった人間的感情に富む。そこにはロマン派の萌芽がある。特に交響曲第5番における「苦悩を乗り越え歓喜へ!」というプログラム構成は後の作曲家に踏襲された。ブラームス/交響曲第1番やチャイコフスキー/交響曲第5番、マーラー/交響曲第5番、フランク/交響曲ニ短調がその典型例である。チャイコフスキーやフランクは循環形式(いくつかの楽章で共通する主題を登場させ、統一を図る手法。ベートーヴェンにおける「運命の動機」)も踏襲している。またこれら全ての交響曲は短調の第一楽章から始まり、終楽章では長調となる点でも共通している。
実は「苦悩を乗り越え歓喜へ!」というストーリー展開はショスタコーヴィチも交響曲第5番で取り入れている。それより先に発表された彼のオペラ「ムツェンクス郡のマクベス夫人」はスターリンを激怒させ、ソ連政府の機関紙「プラウダ」から痛烈な批判を浴びた。遂には交響曲第4番も初演を中止せざるを得ない状況に追い込まれた。当局から「体制への反逆者」と見做されたショスタコーヴィチは生命の危機に晒されていた(当時、同様の理由で投獄、処刑された芸術家も多い)。ここで一発逆転の勝負に出たのが交響曲第5番である。革命20周年という記念の年に初演されたこのシンフォニーは表面上「苦悩を乗り越え歓喜へ!」で書かれ、第4楽章はド派手な金管のファンファーレによる「勝利の行進曲」となる。しかし注意深く聴くと終楽章は第1楽章と同じニ短調のままであり、漸くニ長調に転じるのは最後の最後のぎりぎりになってからに過ぎない。つまりここでショスタコは密かに「勝利は見せ掛けだけのものであり、本質は暗黒の日々が継続している」ことを織り込んでいるのである。しかし作曲家は「アホな共産党政権には(隠された裏の意図を)見抜けまい」という自信があったに違いない。実際に初演時にはフィナーレの途中から興奮した観客が自然に立ち上がり、終わると猛烈なスタンディング・オベーションとなった。その直後、ショスタコーヴィチ本人は友人の指揮者ボリス・ハイキンに「フィナーレを長調のフォルテシモにしたからよかった。もし、短調のピアニッシモだったらどうなっていたか。考えただけでも面白いね」と皮肉っぽく言ったという。さすが海千山千、一筋縄ではいかないニヒルな男である。きっと内心「簡単に騙される、単純な連中め」とほくそ笑んだことだろう。かくして作曲家は一夜で名誉を回復した。そして現在も「初心者でも分かり易い交響曲」として彼の作品中、日本でずば抜けて演奏頻度が高い作品となっている。「張りぼて(フェイク)交響曲」~これはベートーヴェンの巧みな応用編である。
話をもとに戻そう。モーツァルトやハイドンの交響曲は第1楽章にソナタ形式のアレグロ楽章を置き、同様に速い終楽章でアンダンテとメヌエット形式の中間楽章(第2、3楽章)をサンドウィッチするというのが定石だった。しかし、ベートーヴェンはメヌエット(舞曲)の代わりに推進力溢れるスケルツォ(イタリア語で「冗談」を意味し、語源的にふざけた音楽を指す)を置いた。彼が「スケルツォ」を明記したのは交響曲第2番(1802)が最初だが、それに先立つ交響曲第1番(1800)のメヌエットも、実質的にはスケルツォとして書かれている。実はそれよりも早く、ハイドンは1781年に作曲したロシア四重奏曲(弦楽四重奏第37-42番)でスケルツォを用いており、ベートーヴェンはそのアイディアを交響曲に導入したことになる。交響曲にスケルツォを置くスタイルはその後ブルックナーやマーラーの時代まで引き継がれた(ショスタコーヴィチ/交響曲第5番 第2楽章もスケルツォである)。なお、チャイコフスキーはスケルツォの代わりにワルツを採用した。
またベートーヴェンは曲の構成に大胆にメスを入れたことでも特筆すべき作曲家である。ハイドンやモーツァルトの交響曲やソナタは3-4楽章が定石であった。ベートーヴェンの場合、全2楽章しかないピアノ・ソナタもいくつかあるし、第1楽章がソナタ形式でなかったりする。弦楽四重奏曲第14番は7楽章あり、第15番は5楽章から成る。また第14番はなんと第1楽章がフーガで、終楽章になって初めてソナタ形式が登場する。このように彼はカチッとした古典派のルールに風穴を開けた。
交響曲への標題の導入も挙げられるだろう。田園交響曲(第6番)の手法はベルリオーズ/幻想交響曲にも応用された。さらに幻想交響曲には循環形式(「運命の女=ファム・ファタール」のテーマ)も登場する。ただしこの発想はベートーヴェンの独創とは言い難い。
ドイツ生まれの作曲家、ユスティン・ハインリッヒ・クネヒト(1752-1817)に「自然の音楽的描写、または大交響曲」という作品がある。弦楽四重奏に木管と金管各1~2名と、任意でティンパニを加えた程度の小編成。全5楽章で演奏時間は約25分。次のような標題が付いている。
1.美しい田舎。そこでは太陽が輝き、優しく風がそよぎ、小川が流れ、鳥が囀る。滝は音を立てて流れ落ち、羊飼いが笛を吹き、羊は飛び跳ね、羊飼いの女が歌う。
2.突如として空が暗くなり、あたりの空気に緊迫感が走る。黒雲が集まり、風が吹き、遠くから雷鳴が聞こえ、嵐が近づいてくる。
3.嵐が怒り狂い、風がうなり、雨が叩きつけ、木々がうめき、川が激しく溢れる。
4.嵐は次第に収まり、雲が消え、空が晴れ渡る。
5.自然は天に向かい喜びの声を上げ、創造主への感謝の歌を歌う。
ベートーヴェンの田園交響曲が初演されたのは1808年。クネヒトの「自然の音楽的描写」は1784年に作曲されている。両者の関連は明らかであろう。
最後にベートーヴェンが交響曲に独唱+合唱を導入した功績にも触れておきたい。第九が契機となり、ベルリオーズ/劇的交響曲「ロミオとジュリエット」、リスト/ファウスト交響曲、メンデルスゾーン/交響曲第2番「讃歌」、ショスタコーヴィチ/交響曲第14番「死者の歌」や、マーラー/交響曲第2番「復活」をはじめとする一連の「歌付き」シンフォニーが生まれた。
こうして見ていくと、ベートーヴェンとマーラーの交響曲には実際のところ、形式上大きな違いがないことをご理解頂けるのではないだろうか?
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