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2012年6月

2012年6月30日 (土)

宝塚月組 フレンチ・ミュージカル「ロミオとジュリエット」(明日海りお 主演)

宝塚大劇場へ。

Ro1

「ロミオとジュリエット」は僕が大好きなフランス産ミュージカルで、今まで4つの異なるキャスティングで観ている。

僕は古今東西、この世には三つの完璧なミュージカルがあると想っている。その一つがロンドンの「オペラ座の怪人」であり、さらにウィーンの「エリザベート」、そしてこの「ロミオとジュリエット」が続く。

今回の月組公演はロミオとティボルトが役代わり。僕が観た配役はロミオ:明日海りお、ティボルト:龍真咲、ジュリエット:愛希れいかだった。

Ro2

本来は龍真咲さんのトップ就任お披露目なのに、二番手と役代わりというのは実に気の毒だ。これは前代未聞の事態であり、非情な仕打ちに彼女のファンが激怒するのも無理はない。ただ、声が低い彼女にロミオは似合わない気がする。「白の正統派」より「色がついた役」(例えば「スカーレット・ピンパーネル」の悪役ショーブラン)の方が相応しいんだよね。

だから僕は躊躇なくこちらの配役を選んだが、それは大正解だった。

Ro3

明日海さんのロミオはもう、そこに立っているだけで絵になる。ため息が出るような美しさ。まさに白馬の騎士・王子様である。伸びる高音、歌唱も申し分ない。歌劇団が無理矢理、彼女のロミオをねじ込んだ意味がよく理解出来る。

愛希れいかという娘役は全然知らなかったが、凄い美人。ダンスも上手い。漸く理想的なロミオ&ジュリエットにめぐり逢えた!その感動に足が震える想いがした。

乳母役の美穂圭子、ロレンス神父役の英真なおきらも好演。台詞のない「愛」を演じる煌月爽矢の踊りも素晴らしかった。

ただマキューシオ役の美弥るりかは背が低くて見栄えがしないし、音痴でいただけない。今回唯一のミス・キャスト。しかしそんな瑕はこの見事なプロダクションの中において些事に過ぎない。

宝塚歌劇団のエース・小池修一郎の演出は前から大好きなのだが、キャピュレット家(赤い衣装)とモンタギュー家(青い衣装)の対立を太陽と月に喩え、そこに寄り添うように愛と死のダンサーを配置。ロミオとジュリエットの死によって両家は和解し、同時に愛と死が融合する幕切れは何度観ても恍惚感に酔いしれる。必見!

お次は今秋、本場フランス招聘版を観劇予定。公式サイトはこちら!

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2012年6月29日 (金)

旭堂南湖/人情噺百撰 その二(ゲスト:柳家三三)

6月22日(金)ワッハ上方4階上方亭へ。

Nan

  • 旭堂南舟/黒田節の由来
  • 旭堂南湖/大石内蔵助の東下り
  • 柳家三三/締め込み(盗人の仲裁)
  • 旭堂南湖/名月松坂城
  • 旭堂南湖/旭堂南北伝 血染の太鼓

南湖さんによると南舟さんは現在、岸和田でのみ放送されているラジオのパーソナリティを務めており、彼はAKB48の大ファンでその楽曲ばかりかけていると。「僕が推しメンを訊ねると、『たなかみゆき』さんだそうです」

僕はこれを聴きながら「エッ、『たなかみゆき』って誰?そんな名前のメンバーいたっけ??田名部生来(たなべみく)のこと???」と頭が混乱した。

後から登場した三三さん。「楽屋で南舟くんが真っ青な顔をしているので訊ねてみると、彼が言った本当の押しメンは仲川遥香さんだそうです。あだ名は『はるごん』、選抜総選挙では44位だったと要らない事まで教えてくれました」と会場は大爆笑に包まれた。

三三さんのネタは関西では「盗人の仲裁」(五代目・桂文枝が得意とした)だが、お江戸では「締め込み」と言うらしい。飄々として軽やか。ポンポン飛び出す言葉のリズムが心地よい。

名月松坂城」は蒲生氏郷(がもううじさと)の噺。

南湖さんの兄弟子、旭堂南北伝は広島商業高校のキャッチャー達川光男(後に広島カープ監督)と「怪物くん」と呼ばれた作新学院の江川卓投手との甲子園対決がクライマックスとなり、臨場感があって手に汗握る。そのとき応援団だった南北さんの太鼓は……。「講釈師、見てきたような嘘をつき」を実践した、見事な新作である。必聴!

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2012年6月28日 (木)

大林宣彦監督「この空の花 - 長岡花火物語」

大林宣彦監督の映画は世界中の誰よりも愛しているし、誰よりも知っているという自負はある。劇場公開された作品は全て観たし、「EMOTION 伝説の午後=いつか見たドラキュラ」など16mmや8mmの個人映画、チャールズ・ブロンソンの「マンダム」等のCM、「私の心はパパのもの」「彼女が結婚しない理由」「三毛猫ホームズの推理」「三毛猫ホームズの黄昏ホテル」「麗猫伝説」などテレビ用作品、KAN「BRACKET」、阪上香織「香織の、ーわたし ものがたり」などミュージック・ビデオ、瀬戸大橋博「モモとタローのかくれんぼ 」、大阪花博「花地球夢旅行183日」、大連・尾道友好博「夢の花・大連幻視行」などイベント映像も観ている。ちなみにわが生涯オールタイム・ベストワンは大林映画「はるか、ノスタルジィ」である。

さて、最新作「この空の花 - 長岡花火物語」の話だ。

評価:A+

Hana

映画公式サイトはこちら。出演は松雪泰子、髙嶋政宏、原田夏希、猪股南(新人、一輪車の世界チャンピオン)ら。16年ぶりに大林映画に帰ってきた尾美としのりにも注目。

大林監督は1989年に「北京的西瓜」を世に問うた。これは千葉県船橋市の中国人留学生の交流を描く物語である。ところが主人公と留学生たちが中国で再会する場面をロケする予定日直前の1989年6月4日に天安門事件が起こった。中国側からは「スタッフの安全は保証する」という連絡があったが、大林監督は中止を決断した。その場面になると1989年6月4日を全部を足した(1+9+8+9+6+4=)37秒間、スクリーンが真っ白になった。映画という名の、花も実もある絵空事=フィクションと、現実が出会った瞬間であった。

同様のことが「この空の花」でも起こった。この映画は企画当初、長岡花火と長岡空襲を描く作品になる筈だった。しかし撮影の準備段階で東日本大震災と福島原発事故が発生した。この未曾有の出来事を無視することは出来ないと、大林監督は丸ごと作品に取り込んでしまった。

幕末から明治にかけての戊辰(ぼしん)戦争、長岡藩士・小林虎三郎による国漢学校創設(米百俵)、日米開戦に最後まで反対した山本五十六、ハワイ真珠湾攻撃、イギリス首相チャーチルのV(ピース)サイン、長岡空襲(焼夷弾の構造)、模擬原子爆弾投下、広島・長崎の原爆投下(被爆二世)、敗戦後の日本軍捕虜シベリア抑留、ビキニ環礁の水爆実験(第五福竜丸事件)、放浪の画家・山下清、熊本県天草市に江戸時代から伝わる「牛深(うしぶか)ハイヤ節」、2004年中越地震、3・11東日本大震災など、遥か時空を超えた物語が渾然一体となり、夥しいカット数・目まぐるしい編集に頭が混乱することは必至。そこを貫き走るのが一輪車の集団。真に幻想的風景である。やがて混沌(カオス)の中からひとつの想いが明確に浮き上がってくる。

「まだ戦争には間に合いますか?」ーそれは想像力を働かせること。相手の痛みに思いを馳せること。人間にしか出来ない能力である。

脳科学者・茂木健一郎さん曰く、「脳が追いつかない時、人は感動するんですよ」大林監督は圧倒的情報量の釣瓶撃ちでそのことを実証する。

この映画の登場人物たちは饒舌である。畳み掛けるように喋る。大林監督の劇映画デビュー作「HOUSE ハウス」はオプチカル合成などを駆使し、映像が過剰だった。一方「この空の花」は台詞や字幕が洪水のように押し寄せる、言葉が過剰な作品といえるだろう。

大林監督は次のように語る。「映画は言葉だ。人の心の願いをこそ伝える手紙のようなものだ」本作は”言葉のモンタージュ”により、その信念を実践している。

本作はフィクションでありながらモデルとなった登場人物も登場し、アニメーションあり、紙芝居あり、高校生による演劇あり、ごった煮である。果たしてこれは映画なのか?それともドキュメンタリーか?いや、ジャンル分けは無意味だ。その全てを包括しているのだから。「この空の花」は何でもあり、死者と生者が共存するワンダーランドである。僕は物語の中盤からとめどもなく流れ続ける涙をどうすることも出来なかった。

音楽も豊穣だ。テーマ曲(ボレロ)を久しぶりに大林映画に復帰した久石譲(「水の旅人」以来19年ぶり!)、主題歌「それは遠い夏」(ワルツ)の作詞・作曲を伊勢正三(なごり雪、22才の別れ)、挿入曲「花火」は曲・演奏がパスカルズ、さらに坂田明のサックス演奏あり。

大林映画はその処女作「HOUSE ハウス」から冒頭に"A MOVIE"という表示が出るのが特徴だった。しかし「おかしなふたり」以降その慣習は封印された。「この空の花」では久しぶりに再登場。しかも"A MOVIE ESSAY"に進化しているではないか!確かにエッセイという呼び名こそ相応しい作品かも知れない。必見。

以下余談だが、僕の愛する大林映画のベスト20(+1)を列挙する。

  1. はるか、ノスタルジィ
  2. 時をかける少女
  3. ふたり
  4. 廃市
  5. この空の花
  6. 日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群
  7. なごり雪
  8. さびしんぼう
  9. 転校生(オリジナル版@尾道市)
  10. HOUSE ハウス
  11. 理由
  12. 彼のオートバイ、彼女の島
  13. 青春デンデケデケデケ
  14. 麗猫伝説(日テレ「火曜サスペンス劇場」)
  15. EMOTION 伝説の午後=いつか見たドラキュラ
  16. あした
  17. 異人たちとの夏
  18. 風の歌が聴きたい
  19. 22才の別れ Lycoris 葉みず花みず物語
  20. その日のまえに
  21. 可愛い悪魔(日テレ「火曜サスペンス劇場」)

さらに、これはいただけない大林映画ワースト5。

  1. 漂流教室
  2. あの、夏の日~とんでろじいちゃん~
  3. ねらわれた学園
  4. 金田一耕介の冒険
  5. 転校生 -さよなら あなた-(リメイク版@長野市)

最後に、大林監督のライフワークである福永武彦の小説「草の花」と壇一雄の「花筐(はながたみ)」映画化が実現することを心から希って(勿論、音楽は久石さんで!)、締めくくりたいと想う。

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2012年6月25日 (月)

桂文我 vs. 笑福亭/玉造・猫間川寄席

6月20日玉造さんすくホールへ。

  • 森乃石松/崇禅寺馬場(そうぜんじばば)
  • 笑福亭たま/山寺瓢吉(福笑 作)
  • 桂文我/鎮守の森(ちんじゅのもり)
  • 笑福亭竹林/殿集め
  • 桂文我/鯉津栄之助

山寺瓢吉」を福笑師匠が創作した時は30分くらいの作品だったが、たまさんが工夫しているうちに10分になったと。また、たま版「百年目」はなんと25分!マクラでショート落語「落語会のマナー」を二連発で披露。これは爆笑だった。

鎮守の森」は他に誰も演じる人のないネタで、文我さんが速記本から起こしたそう。

最近禁煙した竹林さん。1週間くらいで声の調子が良くなった。しかし、「パワーが落ちる(声が衰える)と掴むテクニック」というものがあり、逆になんだか違和感があると。「僕のピークは2年前の島之内寄席『みかん屋』、京都市民寄席『仏師屋盗人』、そしてここ猫間川寄席の『死神』でした」

また、今回の演目で犯罪に関するものが続いたことについて、こんな想い出を語られた。昭和56(1981)年4月10日のもとまち寄席 恋雅亭。「道具屋」(市染=後の染語楼)と「鉄砲勇助」(朝丸=現・ざこば)が高座に掛かり、故・笑福亭松鶴は「ネタがついとるやないか」と楽屋でぼやいていた。”ネタがつく”とは同じ題材を扱った噺をすることで、これは寄席で禁忌とされており、どちらも「ションベン」が出てくるのである。そしてトリの順番が来た。演ったのは「有馬小便」。高座から降りてきた松鶴は竹林さんに「3つになったらシリーズや」と言ったそう。けだし名言。面白い!

殿集め」は滅多に聴けないネタだが秀逸だった。噺の中に「よこね」とか「そこひ」といった聞き慣れない言葉が出てきたので帰宅後調べてみた。「横根(よこね)」とは両足の付け根のリンパ節が炎症を起こして腫れたもの。梅毒の初期硬結。「底翳(そこひ)」とは視力障害をきたす眼疾患のことを指し、「あおそこひ」が緑内障で「しろそこひ」が白内障のことらしい。

鯉津栄之助」は”東の旅”シリーズのひとつで、阿呆陀羅経とか義太夫(ぎだいゆう)とか芸事が色々出てくる。林家笑丸さんで聴いたことはあったが、オリジナルの型は初体験だった(笑丸さんは得意の紙切りや舞踏「後ろ面」をされる)。

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2012年6月22日 (金)

シリーズ《音楽史探訪》ナチズムに翻弄された作曲家ーフランツ・シュミットの場合

つい最近まで、シュミットといえば歌劇「ノートルダム」間奏曲の作曲家という程度の知識しかなかった。初めて彼の音楽に興味を持ったのは、寺岡清高/大阪交響楽団(旧・大阪シンフォニカー)で交響曲第4番を聴いた時である。

フランツ・シュミット(1874-1939)は現在のスロヴァキアの首都ブラチスラヴァに生まれた。つまりモラヴィアの作曲家である。同郷の作曲家として他にエーリヒ・ウォルフガング・コルンゴルト(やはり後にウィーンに転居)やレオシュ・ヤナーチェクがいる。さらにフロイトもモラヴィア出身である。ちなみにドヴォルザーク、スメタナ、マーラーらはボヘミア地方(現チェコの中西部)出身であり、コルンゴルトとマーラーはユダヤ人。またシュミットと同年生まれの作曲家に12音技法を生み出したシェーンベルクがいる(シェーンベルクもユダヤ人であり、ナチスが政権を握るとアメリカへ亡命した)。

シュミットは1888年(14歳)家族と共にオーストリアのウィーンに転居し、ウィーン国立音楽院でフックスやブルックナーに学んだ。1896年に卒業しチェリストとしてウィーン宮廷歌劇場管弦楽団(現ウィーン・フィル)に入団、1914年まで演奏した(この年に第一次世界大戦が勃発)。ここは1897-1907の間、マーラーが芸術監督を務めていた

Schmidtfranz

シュミットは膨大なオルガン作品を残しており(CDでは3枚に及ぶ)、オラトリオ「7つの封印の書」にもオルガンが用いられている。

交響曲第1番は1899年、2番が1913年、第3番が1928年、第4番が1933年に完成した。初期の作品はブルックナーの影響が色濃く、コラール的旋律が登場したり、フーガだったり教会音楽的である。また時折リヒャルト・シュトラウスを彷彿とさせる響きもする。このあたりのことに関しては新日本フィルの定期で何度かシュミットを取り上げた指揮者のアルミンクが興味深いことをインタビューで語っているので、そちらをご覧あれ→新日本フィルのサイトへ(写真あり)。

1928年にコロンビア・レコードが主催する「シューベルト没後100周年作曲コンクール」があり、シュミットの交響曲第3番は2位になった。コンクールの地方審査員には​ラ​ヴ​ェ​ル​、​レ​ス​ピ​ー​ギ​、​シ​マ​ノ​フ​ス​キ​らがいて、最終審査はグラズノフやニールセンという錚々たる面々が名を連ねた。この時優勝したのがスウェーデンのアッテルベリが作曲した交響曲第6番で、1万ドルの賞金を得たことから「(1万)ドル交響曲」と呼ばれるようになった。

シュミットの音楽は交響曲第3番から第4番にかけて次第にブルックナー的色彩が薄まり、むしろマーラーに近づいていくのが面白い。つまりオルガンの響き、教会音楽を離れ、濃厚で芳醇なロマン派色に染まってゆくのだ。明朗で健全な曲想から、病んだ世界への変転(メタモルフォーゼ)ーこれは彼の人生を襲った苦難と無関係ではあるまい。

最初の妻カロリーネは精神に変調をきたし1919年から精神病院に収容された(シュミットの死後3年経ってナチスの安楽死政策により殺された)。1932年には娘エンマが出産直後に死去。そういった経験が娘の死の直後、32年から33年にかけて作曲された交響曲第4番に暗い影を落としている。 

交響曲第4番 第1楽章の冒頭にトランペットで提示され、調性と無調をたゆたう第1主題は作曲家が黄泉の世界にいる娘に発した呼びかけ(モールス信号)である。すると第2主題で娘の幻影が立ち現れる。仮初めの魂の交流。そこに展開される音楽は喪失感、慟哭に他ならない。チェロ独奏で導かれる甘美な第2楽章は娘と過ごした懐かしい日々を回想する。しかしそこにティンパニが刻む葬送行進曲のリズムが密やかに忍び込んで来る。第3楽章で作曲家は「これではいけない」と自らの気持ちを奮い立たそうと努力するが、その甲斐も虚しく第4楽章は次第に虚無へと沈んでゆく。最後に残るのは漆黒の闇のみ。空恐ろしい音楽である。

後期の作品ほど調性と無調の境界を彷徨うようになるという特徴は弦楽四重奏 イ長調 (1925)、弦楽四重奏 ト長調 (1929)、クラリネット五重奏 変ロ長調(1932)、クラリネット五重奏 イ長調(1938)もしかり。なお2つのクラリネット五重奏はクラリネット、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、そして左手のピアノのために書かれている。これは第一次世界大戦で右手を失ったパウル・ウィトゲンシュタインの委嘱だからである。このピアニストのためにラヴェルの「左手のためのピアノ協奏曲」が作曲されたことは有名であリ、コルンゴルトも曲を提供している。

またシュミットのオラトリオ「7つの封印の書」は新約聖書の最後に配置された”異端の書”「ヨハネの黙示録」をテキストにしており、”最後の審判”が描かれる。いわばアニメーション「新世紀エヴァンゲリオン」における”セカンドインパクト”みたいなものである。やはりこの作品からも作曲家の絶望、厭世観がひしひしと伝わってくる。

さて、1932年にドイツで政権奪取したアドルフ・ヒトラー率いるナチスは1938年にオーストリア併合後、シュミットにカンタータ「ドイツの復活」を委嘱する。しかし結局完成されないまま、彼は翌年にこの世を去った。

またシュミットの教え子でありオラトリオ「7つの封印の書」の初演(1938)を振ったオーストリアの指揮者オズヴァルト・カバスタはナチスの熱心な賛美者であり、ミュンヘン・フィル主席指揮者就任の際にナチに入党した。このことが終戦後問題視され、占領軍から一切の演奏活動を禁止され、彼は服毒自殺をする。カバスタはシュミットの死後、他者の手で完成された「ドイツの復活」も指揮しており、これらが原因でシュミットも”ナチス協力者”の烙印が押され、人々から”忌むべきもの”と見做され忘れ去られたのである。それがいかに不当なものか、読者の皆さまにはお分かり戴けるだろう。

最後にお勧めディスクを紹介しよう。まず最初に交響曲第4番を是非聴いて頂きたい。20世紀に生み出されたシンフォニーの最高傑作である。一押しはズービン・メータ/ウィーン・フィルによる1971年の録音。実はこのCD、今まで3種類のカップリングで発売されたらしいのだが、今は全て廃盤になっている。ただしマーラーの「復活」との組み合わせによる2枚組みは中古で安価に手に入りやすい→こちら

2番目にお勧めはシャンドスから出ているネーメ・ヤルヴィ/シカゴ交響楽団およびデトロイト交響楽団による交響曲全集。輸入版の入手は→こちら。僕はこの演奏をナクソス・ミュージック・ライブラリー(NML)で愛聴している→こちら

オラトリオ「7つの封印の書」はアーノンクール/ウィーン・フィルが2000年にライヴ・レコーディングしているが、このCDもあろうことか廃盤。世の中にシュミットを聴く人が如何に少ないことか!ブルックナーとマーラーの世界を融合した素晴らしい作曲家なのに、とても残念なことだ。

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2012年6月19日 (火)

シリーズ《音楽史探訪》革命児ベートーヴェン~そして「アホでも分かる」ショスタコーヴィチ/交響曲第5番へ

まず先に、過去に書いた《音楽史探訪》シリーズをお読み下さい。

こうして「交響曲の父」はハイドンではなくマンハイム楽派の祖ヨハン・シュターミッツであり、ハイドンは改革者であったことを明らかにしてきたわけだが、ではベートーヴェンとはどういう存在であったのだろう?ずばり結論から先に言うと彼は「革命家」であり、古典派の時代からロマン派の時代へと一気にJump Up したのである。

つまりベートーヴェンを古典派に位置づけるのは誤りであるというのが僕の考えだ。モーツァルトやハイドンとベートーヴェンの音楽には明らかに大きな溝があるが、ベートーヴェンとマーラーの交響曲には大した差異はない。強いてあげるなら曲の長さ(構成力)の違いくらいか。

ではハイドン&モーツァルトの古典派に対して、ベートーヴェンの特徴は何か?まず短調が多いことが挙げられる。

ハイドンが初めて短調の交響曲を書くのが第26番「ラメンタチオーネ」。108ある交響曲のうち短調はたった11曲しかない。約1割である。

モーツァルトは番号の付いた交響曲は41番までだが、番号もないものを含めると約50曲作曲した。うち短調は25,40番の2曲のみ(5%)。18番まであるピアノ・ソナタでは第8,14番の2曲(1割)。

一方、9つあるベートーヴェンの交響曲のうち短調は2曲(22%)。32のピアノ・ソナタのうち9曲(28%)。16ある弦楽四重奏曲のうち5曲(31%)。その割合には明らかな統計学的有意差がある。

ハイドンやモーツァルトには調和と均衡の美があるが、あまり個人的感情は感じられない。しかしベートーヴェンの作品は喜怒哀楽といった人間的感情に富む。そこにはロマン派の萌芽がある。特に交響曲第5番における「苦悩を乗り越え歓喜へ!」というプログラム構成は後の作曲家に踏襲された。ブラームス/交響曲第1番チャイコフスキー/交響曲第5番マーラー/交響曲第5番フランク/交響曲ニ短調がその典型例である。チャイコフスキーやフランクは循環形式(いくつかの楽章で共通する主題を登場させ、統一を図る手法。ベートーヴェンにおける「運命の動機」)も踏襲している。またこれら全ての交響曲は短調の第一楽章から始まり、終楽章では長調となる点でも共通している。

実は「苦悩を乗り越え歓喜へ!」というストーリー展開はショスタコーヴィチ交響曲第5番で取り入れている。それより先に発表された彼のオペラ「ムツェンクス郡のマクベス夫人」はスターリンを激怒させ、ソ連政府の機関紙「プラウダ」から痛烈な批判を浴びた。遂には交響曲第4番も初演を中止せざるを得ない状況に追い込まれた。当局から「体制への反逆者」と見做されたショスタコーヴィチは生命の危機に晒されていた(当時、同様の理由で投獄、処刑された芸術家も多い)。ここで一発逆転の勝負に出たのが交響曲第5番である。革命20周年という記念の年に初演されたこのシンフォニーは表面上「苦悩を乗り越え歓喜へ!」で書かれ、第4楽章はド派手な金管のファンファーレによる「勝利の行進曲」となる。しかし注意深く聴くと終楽章は第1楽章と同じニ短調のままであり、漸くニ長調に転じるのは最後の最後のぎりぎりになってからに過ぎない。つまりここでショスタコは密かに「勝利は見せ掛けだけのものであり、本質は暗黒の日々が継続している」ことを織り込んでいるのである。しかし作曲家は「アホな共産党政権には(隠された裏の意図を)見抜けまい」という自信があったに違いない。実際に初演時にはフィナーレの途中から興奮した観客が自然に立ち上がり、終わると猛烈なスタンディング・オベーションとなった。その直後、ショスタコーヴィチ本人は友人の指揮者ボリス・ハイキンに「フィナーレを長調のフォルテシモにしたからよかった。もし、短調のピアニッシモだったらどうなっていたか。考えただけでも面白いね」と皮肉っぽく言ったという。さすが海千山千、一筋縄ではいかないニヒルな男である。きっと内心「簡単に騙される、単純な連中め」とほくそ笑んだことだろう。かくして作曲家は一夜で名誉を回復した。そして現在も「初心者でも分かり易い交響曲」として彼の作品中、日本でずば抜けて演奏頻度が高い作品となっている。「張りぼて(フェイク)交響曲」~これはベートーヴェンの巧みな応用編である。

話をもとに戻そう。モーツァルトやハイドンの交響曲は第1楽章にソナタ形式のアレグロ楽章を置き、同様に速い終楽章でアンダンテとメヌエット形式の中間楽章(第2、3楽章)をサンドウィッチするというのが定石だった。しかし、ベートーヴェンはメヌエット(舞曲)の代わりに推進力溢れるスケルツォ(イタリア語で「冗談」を意味し、語源的にふざけた音楽を指す)を置いた。彼が「スケルツォ」を明記したのは交響曲第2番(1802)が最初だが、それに先立つ交響曲第1番(1800)のメヌエットも、実質的にはスケルツォとして書かれている。実はそれよりも早く、ハイドンは1781年に作曲したロシア四重奏曲(弦楽四重奏第37-42番)でスケルツォを用いており、ベートーヴェンはそのアイディアを交響曲に導入したことになる。交響曲にスケルツォを置くスタイルはその後ブルックナーやマーラーの時代まで引き継がれた(ショスタコーヴィチ/交響曲第5番 第2楽章もスケルツォである)。なお、チャイコフスキーはスケルツォの代わりにワルツを採用した。

またベートーヴェンは曲の構成に大胆にメスを入れたことでも特筆すべき作曲家である。ハイドンやモーツァルトの交響曲やソナタは3-4楽章が定石であった。ベートーヴェンの場合、全2楽章しかないピアノ・ソナタもいくつかあるし、第1楽章がソナタ形式でなかったりする。弦楽四重奏曲第14番は7楽章あり、第15番は5楽章から成る。また第14番はなんと第1楽章がフーガで、終楽章になって初めてソナタ形式が登場する。このように彼はカチッとした古典派のルールに風穴を開けた。

交響曲への標題の導入も挙げられるだろう。田園交響曲(第6番)の手法はベルリオーズ/幻想交響曲にも応用された。さらに幻想交響曲には循環形式(「運命の女=ファム・ファタール」のテーマ)も登場する。ただしこの発想はベートーヴェンの独創とは言い難い。

ドイツ生まれの作曲家、ユスティン・ハインリッヒ・クネヒト(1752-1817)に「自然の音楽的描写、または大交響曲」という作品がある。弦楽四重奏に木管と金管各1~2名と、任意でティンパニを加えた程度の小編成。全5楽章で演奏時間は約25分。次のような標題が付いている。

1.美しい田舎。そこでは太陽が輝き、優しく風がそよぎ、小川が流れ、鳥が囀る。滝は音を立てて流れ落ち、羊飼いが笛を吹き、羊は飛び跳ね、羊飼いの女が歌う。
2.突如として空が暗くなり、あたりの空気に緊迫感が走る。黒雲が集まり、風が吹き、遠くから雷鳴が聞こえ、嵐が近づいてくる。
3.嵐が怒り狂い、風がうなり、雨が叩きつけ、木々がうめき、川が激しく溢れる。
4.嵐は次第に収まり、雲が消え、空が晴れ渡る。
5.自然は天に向かい喜びの声を上げ、創造主への感謝の歌を歌う。

ベートーヴェンの田園交響曲が初演されたのは1808年。クネヒトの「自然の音楽的描写」は1784年に作曲されている。両者の関連は明らかであろう。

最後にベートーヴェンが交響曲に独唱+合唱を導入した功績にも触れておきたい。第九が契機となり、ベルリオーズ/劇的交響曲「ロミオとジュリエット」、リスト/ファウスト交響曲、メンデルスゾーン/交響曲第2番「讃歌」、ショスタコーヴィチ/交響曲第14番「死者の歌」や、マーラー/交響曲第2番「復活」をはじめとする一連の「歌付き」シンフォニーが生まれた。

こうして見ていくと、ベートーヴェンとマーラーの交響曲には実際のところ、形式上大きな違いがないことをご理解頂けるのではないだろうか?

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2012年6月16日 (土)

いずみホール音楽講座 西村朗が案内するクラシック音楽の愉しみ方「フランス音楽のベル・エポック~世紀末からの系譜」

3月22日いずみホールへ。

作曲家で、いずみシンフォニエッタ大阪音楽監督の西村朗さんの解説、いずみシンフォニエッタ大阪のメンバー

  • 安藤史子(フルート)      
  • 中島慎子(ヴァイオリン)
  • 林 裕(チェロ)
  • 碇山典子(ピアノ)

による演奏で、フランス近代音楽を聴く。料金は500円ポッキリ。

  • シャブリエ:ピアノのための「絵画的小品集」
  • フォーレ:「夢のあとに」/ヴァイオリン・ソナタ 第1番
  • ドビュッシー:「シランクス」/チェロ・ソナタ
  • ラヴェル:「水の戯れ」/ピアノ三重奏曲
  • プーランク:即興曲第15番「エディット・ピアフ讃」/フルート・ソナタ

無伴奏フルートのための「シランクス」やプーランクフルート・ソナタはお馴染みで、何度も実演を聴いたことがありとても好きなのだが、今回の白眉は何と言ってもプーランクのピアノ独奏曲「エディット・ピアフ讃」だろう。シャンソン風で洗練されており、実にチャーミング!ハートを鷲掴みにされた。西村さんはしばしば夜にウィスキーグラスを傾けながら、この曲を愉しんでおられるそう。そういう雰囲気が良く似合う。

またフォーレなら、西村さんが昨年の同シリーズで絶賛されていたピアノ五重奏 第2番も凄く良かったな。

フランスのエスプリを堪能した。

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2012年6月15日 (金)

桂九雀×小佐田定雄/落語の定九日(6/9)

雀のおやどへ。

Kujaku

落語作家・小佐田定雄さんの作品を桂九雀さんが演じる会。二人による対談もあり。

  • 桂九雀/弓流し(小佐田 作)
  • 桂九雀/淀の鯉(中川清【桂米朝】作・正岡容 加筆・小佐田 補綴)
  • 鈴々舎八ゑ馬/天狗裁き
  • 桂九雀/慶応三年正岡容 作)
  • 桂九雀/雨乞い源兵衛(小佐田 作)

弓流し」は大阪能楽会館で上演された能「屋島」の前座・解説用に、九雀さんの依頼で書かれたたもの。昔は「間狂言(あいきょうげん)」がその役割を担っていたそう。小佐田さんは神、鬼、亡霊など現実世界を超えた存在が主人公(シテ)となる「夢幻能」のことにも触れられた。九雀さんの口演はポンポンと言葉が出てきてリズミカル。

八ゑ馬さんはR-1に出場されたときの短いネタをマクラで披露。「天狗裁き」はフツーで、面白みに欠けた。

淀の鯉」は桂米朝さんが先代・米團治に入門し落語家になる前、作家で寄席演芸研究家・正岡容(まさおかいるる)の門弟”中川清”として執筆したもの。ラジオ放送用らしく、最近米朝宅の引き出しの中から発見されたそう。これは息子の現・米團治さんと、桂吉坊さんも手掛ける予定らしく、それぞれ細かいところは違っているという(米團治さんは原本のまま口演されるとか)。太鼓持ち(幇間)の”一八”や板場(料理人)が登場。ハメモノ(お囃子)がふんだんに取り入れられ、賑やかで愉しい。完成度の高い米朝作「一文笛」と比べると、些か詰め込み過ぎ、未整理の感はあるが十分聴き応えあり。

慶応三年とは1867年で、竜馬暗殺や大政奉還のあった年。今村昌平 監督の映画にもなった「ええじゃないか」運動を題材にしている。70年前の作品とは信じられないようなシュールで奇想天外な噺。「奇人ですな」と小佐田さん。レアな一品。大満足。

雨乞い源兵衛」は故・桂枝雀(九雀さんの師匠)が得意としたネタで、小佐田作品のうち枝雀さんの口演回数が多かったのは1.貧乏神、2.雨乞い源兵衛、3.茶漬えんまだったそう。このネタを演じる弟子は雀々さんとむ雀さんくらいだったが、九雀さんも昨年から取り組み始めたと。

興味深い話も色々伺い、行って良かった会でした。

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2012年6月 4日 (月)

日本テレマン協会 定期演奏会/J.S.バッハの夕べ

5月2日いずみホールへ。

日本テレマン協会の定期演奏会。2012年よりテレマン室内オーケストラの首席客演コンサートマスターに就任したウッラ・ブンディース(Ulla Bundies)がドイツより来日、ソロを担当した(指揮者なし)。チェンバロはドイツでクリスティーネ・ショルンスハイムに師事し、現在はアンドレアス・シュタイアーのもとで研鑽を積んでいる高田泰治。フルート&リコーダーは森本英希出口かよ子。全てJ.S.バッハの作品で、

  • 管弦楽組曲 第5番
  • ヴァイオリンとオブリガートチェンバロのためのソナタ 第6番
  • ブランデンブルク協奏曲 第5番
  • 管弦楽組曲 第2番
  • ブランデンブルク協奏曲 第4番

アンコールはテレマン/組曲からクーラント

ブランデンブルク協奏曲 第5番は活発で伸びやか。弦楽器とチェンバロの丁々発止のやり取りがスリリングだった。

管弦楽組曲 第2番は各パート1人ずつ、弦5人+フルート+チェンバロという小編成。小気味いい演奏で特に終曲は超高速でびっくりした。森本さんのトラヴェルソは黒いグラナディラ製のように見えたが、I.H.ロッテンブルグモデルだろうか?

ブランデンブルク協奏曲 第4番はリコーダー2本。生気に満ち、水を得た魚のようにピチピチ跳ねる。

以前日本テレマン協会のミュージック・アドヴァイザーだったサイモン・スタンデイジ(イギリス)が静的な演奏だったのに対し、ブンディースは動的。華やかで聴き応えのあるバッハだった。

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2012年6月 1日 (金)

ヴェッツという作曲家を知っていますか?~児玉宏/大阪交響楽団 定期

5月28日(月)ザ・シンフォニーホールへ。

Kodama

児玉宏/大阪交響楽団の定期演奏会、「二人のリヒャルト」と題されている。

  • リヒャルト・シュトラウス/組曲「町人貴族」(ピアノ:石井克典)
  • リヒャルト・ヴェッツ/交響曲 第2番

音の魔術師R.シュトラウスは小気味よい室内楽的響き。軽やかな身のこなしでウィットに富む。典雅で、暖色系の豊かな色彩感。いたずらっ子の微笑みのような演奏だった。

ヴェッツはR.シュトラウスより11歳年下。ライプツィヒで学び、ワイマール音楽大学作曲科の田舎教授として無名のままその生涯を閉じた。ブルックナーに傾倒しており、「アントン・ブルックナー」という本も執筆したという。

交響曲第2番が完成したのは第一次世界大戦が終結し、敗れたドイツが疲弊し切った1919年。既にマーラーは他界し、1913年にパリでストラヴィンスキーの「春の祭典」が初演され大騒動となり、ウィーンではシェーンベルクが12音技法を完成しつつあった時期である。

かなりブルックナーの影響が色濃い作品で、時代錯誤と批判されても仕方がない正真正銘、古色蒼然たる調性音楽。ただブルックナーとの相違は、宗教色が薄い(オルガンの響きがしない)こと。第1楽章は美しくロマンティック。〔大変穏やかに、内なる想いをこめて〕と楽譜に指定された第2主題はとどかぬ憧れを感じさせた。

第2楽章は悲しみの歌。戦場における累々たる死者たちへの追悼の表れであろうか?

第3楽章フィナーレ〔活発に〕は何かに駆り立てられるように加速し、張り詰めた緊迫感と共にどんどん高揚する。そして壮大なクライマックスへ!そもそも児玉さんは卓越したブルックナー指揮者。悪かろう筈がない。滅多に聴けない珍曲の魅力を最大限に引き出した名演に僕は快哉を叫んだ。

当演奏はライヴ・レコーディングされ、CDが発売される予定。必聴。

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旭堂南湖/第1回「イルミタイ(化け猫)講談会」そして、入江たか子さんのこと。

日本を代表する「化け猫女優」をご存知だろうか?入江たか子さん(1911-1995)のことである。

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華族出身の映画スターで溝口健二監督作品などにも出演した。晩年は娘の若葉さんと一緒に、大林宣彦監督「時をかける少女」「廃市」「麗猫伝説」などに登場。大林監督の「HOUSE ハウス」と「麗猫伝説」は往年の「化け猫映画」へのオマージュである。「麗猫伝説」にはたか子さん主演映画「怪猫有馬御殿」(1953年、大映、上映時間49分)も引用されている。

怪談に化け猫は付きもの。例えば古典落語 「猫の忠信」や「仔猫」にも登場する。欧米でもエドガー・アラン・ポーの短編小説「黒猫」を筆頭に、猫は不吉なものとされている。しかし面白いことに「化け犬」って聞いたことがない。「ワン、ワン」吼えると、神秘的じゃなくなるからだろう。「桃太郎」などで分かるとおり、犬は忠実な僕(しもべ)。人を裏切らない。一方、猫は気ままで得体が知れず、ミステリアスな存在である。

5月30日、妖精・妖怪カフェillumitai(イルミタイ)へ。

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旭堂南湖さんによる「妖怪・化け猫 講談」を聴く(第1夜)。

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前説で妖怪研究家・亀井澄夫さんによる解説あり。やはり入江たか子さんの話題が上り、「怪猫有馬御殿」のポスターも見せて下さった。

大阪には土地柄か妖怪の物語が極めて少ないそう。逆に江戸は猫を飼う習慣があったからか化け猫の怪談が多い。特に江戸時代に集中しているという。「日本三大怪猫伝」というのがあり、久留米藩主の有馬氏、佐賀・鍋島藩(講談「佐賀の夜桜」)、そして三州・岡崎藩の化け猫騒動のことを指す。

南湖さんによると江戸時代末期から明治にかけて活躍した桃川如燕(ももかわじょえん)という講釈師がいて、「百猫伝」を得意としたそう。この如燕は明治天皇の前で天覧講談をしたことがあり、「(「牡丹燈籠」「真景累ヶ淵」の作者として名高い)三遊亭円朝は天覧落語をしたことがありませんから、当時は落語家よりも講釈師の方が偉かったんです」と。どうやら講釈師によって化け猫怪談が日本全国に広まったようだ。

その「百猫伝」から今回は講談「有馬猫騒動(有馬猫退治)」。いいところで終わったので、続きが気になる!

次回は6月13日(水)に予定されている。第3回は7月18日(水)。

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旭堂南湖、南海、南左衛門/上方講談を聞く会

5月24日(木)ワッハ上方4階 小演芸場へ。

  • 旭堂南舟/秀吉の足軽時代
  • 旭堂南湖/真田の入城
  • 旭堂南海/濡髪長五郎
  • 旭堂南左衛門/若き日の紀文

紀文とは紀伊国屋文左衛門のこと。紀州(和歌山県)生まれの商人で、江戸で高騰していたみかんを紀州から運搬し、富を築いたと伝えられている。ちなみに静岡のみかんは江戸時代初期、徳川家康が駿府城に隠居したおりに紀州から献上された木が起源とされる。

南湖さんの口跡が一番心地良かった。初めはゆっくりしたテンポで、物語がクライマックスに達すると加速し、畳み掛ける。そのリズム感がお見事!名人芸を堪能した。

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