大植英次スペシャルコンサート/深化した大フィルとのブルックナー第8番
大植英次/大阪フィルハーモニー交響楽団によるブルックナーの交響曲を初めて聴いたのは2006年2月定期演奏会での第7番だったが、その時はピンとこなかった。第8番は2007年4月26日にフェスティバルホールでも聴いた(その時は曲の冒頭、弦のトレモロが始まった時点で携帯電話が鳴り、最初から演奏し直すというハプニングもあった)。恣意的なテンポの動かし方が不自然で、情熱が空回り。大植さんはあくまでマーラー指揮者であり、ブルックナーは苦手なんだなという印象を受けた。
しかし9年間におよぶ大フィルとの共同作業の結果、大植さんのブルックナー解釈は飛躍的に深化した。特にそれを感じたのは昨年2月定期の第9番である。
3月31日ザ・シンフォニーホールへ。
大植さんが大フィル音楽監督としての最後の仕事である。
今回のプログラムは
- ブルックナー/交響曲 第8番(ハース版)
最初からステージ後方のパイプオルガンに照明が当てられていた。これは聖フローリアン教会(リンツ)のオルガン奏者だったブルックナーに敬意を表したもので、定期で第9番が取り上げられた際も同様の演出があった。聖フローリアンでブルックナーが演奏される際には(朝比奈隆/大フィルも1975年に演奏)、いつもこの趣向が施されるそう。なお、ブルックナーの遺体は教会地下に埋葬されている(僕も訪ねたことがある)。
第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが指揮台を挟み向かい合う対向配置。ブルックナーの作品は基本的に教会音楽なので、弦の対位法的動きが対向配置によりくっきりと浮かび上がる。なお、大植さんがマーラーを指揮する時は対向配置を取らない事が多い。
大植さんは暗譜で、途中「ハァ〜ッ」と息を吐いたり「ウ〜ン」と唸りながら一音一音を噛み締めるように指揮された。そしてブルックナーの特徴であるゲネラル・パウゼ(全休止)が深い意味を帯びて「響く」。
第1楽章から弦楽器の大海原が目の前に広がり、厚みがあって濃密な表現。ゆったりとしたテンポで、万感の想いが感じられる。しかし展開部は一転し、しっかり加速される。
第2楽章スケルツォは動的で推進力に溢れる。パンチが効いて切迫感がある。
第3楽章アダージョは切々と訴えけかけてくる。うねる弦。天国的美しさで、魂を持っていかれた。そして終盤のクライマックスでは大いに盛り上がり、音の大伽藍を形成する。
終楽章。生気に満ちた弦がリズミカルに刻みながら、音楽は猪突猛進する。咆哮する金管、ティンパニの鋭い強打が激烈。
今回聴いたブルックナーはまさに9年間の集大成と言える超弩級の名演だった!
このコンサートでコンサートマスターの長原幸太さんと、第2ヴァイオリントップの佐久間聡一さんも大フィルを去ることになった。ふたりは晴れ晴れとした表情で、やり切った、もう思い残すことはないという充実感がそこにはあった。
ブラヴォーが飛び交う中、大植さんは楽員たちにTシャツを配った。表には「素晴らしい音楽をありがとう affectionately,Eiji Oue」とあり、その裏には「多くの人々に幸せを与えること以上に、崇高で素晴らしいものはない by Beethoven」と書かれていた。
楽員が去っても拍手は鳴り止まない。誰もいなくなったステージに大植さんが戻ってくる。まず最前列の人々としゃがんで握手。そしてステージ後方2階席(パイプオルガン側)の人たちにジャンプして握手。続いてステージから1階客席に飛び降り、握手しながら歩いて回る。最後にステージに戻ってきた大植さんは受け取った花束から赤いバラを一輪抜き出し、客席の方に向けて指揮台の上にそっと置いて立ち去った。僕はきっとこの光景を一生、忘れることはないだろう。ありがとう、大植英次。
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