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2012年4月

2012年4月25日 (水)

鈴木秀美”究極の室内楽 2012”

4月18日(水)大阪倶楽部へ。

  • ボッケリーニ/弦楽五重奏 ト長調 Op.60-5
  • モーツァルト/弦楽五重奏 第6番 変ホ長調 K.614
  • モーツァルト/弦楽五重奏 第4番 ト短調 K.516
  • ベートーヴェン/弦楽五重奏のためのフーガ Op.137(アンコール)
  • ボッケリーニ/メヌエット(アンコール)

演奏は、

ヴァイオリン:若松夏美、竹嶋祐子
ヴィオラ:成田 寛、小峰航一
チェロ:鈴木秀美

というバッハ・コレギウム・ジャパンやオーケストラ・リベラ・クラシカなど古楽器オーケストラで活躍する奏者を中心としたメンバー。勿論今回も(モダン楽器の)スチール弦ではなく、ガット弦を使用。ヴァイオリンやヴィオラに顎あてはなく、チェロはエンドピンなし。ヴィブラートは控えめ。

モーツァルトは短調の曲が少ないので、たまに聴くとハッとするくらい劇的で美しい。しかもト短調といえばあの有名な交響曲第25番や40番と同じ調性ではないですか!

鈴木秀美さん曰く、「アンコールは珍味のデザートをお届けしましょう」とレアなベートーヴェンのフーガを。当初、弦楽四重奏第13番の終楽章だった「大フーガ」は作品番号133なので、同時期の作品と思われる。しかし大フーガと違ってこちらは明るい小品だったので意外だった。

イタリアの作曲家ボッケリーニについては「奇妙な曲です。モーツァルトやベートーヴェンのしっかりした構築性に対し、ボッケリーニはその場その場でシチュエーションを楽しむという感じでしょうか。あっちでチクタク時計の音が鳴っているかと思うと、こちらではイタリアの装飾タイルが延々と続いているような、そんな印象です」と。なるほど、確かに!

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2012年4月24日 (火)

アカデミー作品賞、監督賞受賞「アーティスト」と、キム・ノヴァクの過激な批判!

評価:B+

Artist

「アーティスト」公式サイトはこちら

アカデミー賞では作品賞、監督賞、主演男優賞(ジャン・デュジャルダン)、衣装デザイン賞、作曲賞の5部門を制覇。フランス映画が作品賞を受賞するのは史上初の快挙であり、サイレント映画の受賞は第1回「つばさ」以来、実に83年ぶりである。

物語は目新しいものではないが、サイレントらしい表現方法(例えば口のアップをモンタージュで重ねる)が際立っていた。あと犬の名演技が素晴らしい!

ミシェル・アザナビシウス監督はアカデミー賞授賞式で「私の人生を共に歩んでくれた3人の人物に感謝したい、ビリー・ワイルダー、ビリー・ワイルダー、ビリー・ワイルダー!」と言った。

主人公に忠実な運転手クリフトン(ジェームズ・クロムウェル)がワイルダー脚本・監督「サンセット大通り」に登場する執事マックス(エリッヒ・フォン・シュトロハイム)へのオマージュであることは明らかだろう。「サンセット大通り」(1950)もかつてサイレント映画の大スターだったノーマ・デズモンドを主人公にしている。ただしこの「アーティスト」は「サンセット大通り」のような悲劇ではなく、むしろプロットとしてはミュージカル映画「雨に唄えば」(1952)に近い。そして主人公とヒロインによるタップ・ダンスの場面はフレッド・アステア&エレノア・パウエルによる至福の”ビギン・ザ・ビギン”(映画「踊るニューヨーク」Broadway Melody 1940)を彷彿とさせる。ちなみに”ビギン・ザ・ビギン”の名場面は「ザッツ・エンターテイメント」(1974)にも収録されている。

また僕がとても嬉しかったのは本作のクライマックス・シーンでバーナード・ハーマンがヒッチコック映画「めまい」の為に作曲した、まことに美しい音楽"Scene d'amour"(愛の場面)が丸まる転用されていたこと。この曲大好きなんだ!!

しかし「めまい」(1958)でヒロインを務めたキム・ノヴァク(78歳)は次のような驚くべき声明を業界紙Varietyに発表した。

「これはレイプにほかなりません。私の身体、少なくとも女優としての身体が、『アーティスト』という映画によって暴行された気持ちです」
「注目を集めるために、有名な作品の一部を乱用し、その作品が意図する以上に、新しい作品でより多くの喝采を浴びようとすることは、この業界に身を置く芸術家としてモラルに反することです。観客の感情を盛り上げるために『めまい』の愛のテーマを、『アーティスト』のクライマックスに使用したことは間違いありません。“死人に口なし”でヒッチコック監督や(主演男優の)ジェームズ・スチュアートは何も言えませんが、私が代わりに言います。恥を知りなさい!」

これに対し、レイプ被害者やその保護団体は次のように反撃した。

「この事態をレイプにたとえるのは極端すぎるし、適切ではない」
「本当にレイプされたのではないのにレイプという言葉が軽々しく使用されると、実際に苦しんでいる何千万人の被害者の苦しみが軽んじられることになる」

まさに場外乱闘。対岸の火事は大きいほど面白い。しかし世の中、色々な考え方の人がいるもんだ。

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2012年4月23日 (月)

蘇る大阪の響き ~大栗裕没後30年記念演奏会~ /「大阪俗謡による幻想曲」初演版登場!!

4月20日(金)ザ・シンフォニーホールへ。

作曲家・大栗裕(1918-1982)は大阪船場の小間物屋問屋に生まれた。天商に入学しその音楽部(天商バンド)でホルンを始めた。朝比奈隆に請われ関西交響楽団(現・大阪フィルハーモニー交響楽団)のホルン奏者として活躍。作曲は独学。吹奏楽曲も多数書いた。

なおピアノが弾けなかった大栗はハーモニカを吹いて作曲をしたという。

Oguri

さて今回は出演者だけで総勢400人にも及ぶ大規模なもの。19時開演で終演は21時40分に及んだ。プログラム順に曲を列記する。

○ 特別編成100人のホルン・オーケストラ

  • 2つのファンファーレ
  • 交響管弦楽のための組曲「雲水讃」第1楽章より
  • ベートーヴェン/自然における神の栄光(大栗 編)

○ 大阪音楽大学OBホルン・アンサンブル

  • 馬子唄による変装曲又はホルン吹きの休日

○ 関西学院大学マンドリンクラブ(指揮:岡本一郎)

  • 関西学院大学マンドリンクラブ部歌
  • 舞踏詩

○ 大阪市音楽団

  • 吹奏楽のための小狂詩曲
  • 吹奏楽のための神話~天の岩屋戸の物語による

○ 大阪フィルハーモニー交響楽団

  • 琴と管弦楽による六段の調 (八橋検校 作/大栗 編)
    with 中島警子+桐絃社 (箏)
  • ファンファーレ 大阪における医学総会のために
  • 日本万国博覧会 EXPO'70讃歌
  • 交声曲「大阪証券市場100年」より記念歌
  • ヴァイオリン協奏曲より第3楽章
    with 長原幸太(Vn.)
  • 大阪俗謡による幻想曲
    初演版、スコアには「大阪の祭囃子による幻想曲」と記載)

指揮は手塚幸紀さんと泉庄右衛門さん。

冒頭のホルン・アンサンブルはのどかで、広大な風景や山彦(やまびこ)を連想させた。

馬子唄」はチャイコフスキーの交響曲第4・5番、ティルオイレンシュピーゲルの愉快ないたずら、新世界から、ニュルンベルクのマイスタージンガー、中央アジアの草原にて、火の鳥、木星、英雄の生涯、「軽騎兵」序曲などからの引用あり(ホルンが活躍する部分)。また出演者が「馬子」と「馬の足」に扮しての小芝居も。だから「変奏」ではなく「変装曲」。初演時は大栗自ら「馬子」を演じたとか。

マンドリンによる「舞踏詩」は物悲しく始まり、ロシア的。途中クラリネットやフルートも参加。後半は明るくなって踊り出す。

小狂詩曲」は1966年全日本吹奏楽コンクール課題曲(日本吹奏楽連盟からの委嘱作品)。伊福部昭(ゴジラ)を彷彿とさせるオスティナート(執拗反復)あり、「祭だ、祭だ、ワッショイ、ワッショイ!」あり、わらべ歌的要素あり。これぞ大栗節。

吹奏楽のための神話」は以前、丸谷明夫/大阪府立淀川工科高等学校(淀工)が吹奏楽コンクールで自由曲として演奏し、金賞を受賞している。バーバリズムと変拍子が特徴的。呪術的で異教の儀式を連想させる。そういう意味ではストラヴィンスキーの「春の祭典」に近い。なお、会場で丸谷先生をお見かけした。

休憩を挟み後半。15人のの演奏は日本情緒溢れていた。

医学総会」のための曲は華やか。

Expo '70」は無邪気な曲。未だ日本人が明るい未来(鉄腕アトムの世界)を信じることが出来た、幸福な時代の産物という気がした。

大阪証券市場100年」はR.シュトラウスばりにホルンが大活躍。

ヴァイオリン協奏曲は土俗的で粘っこい。今年3月まで大フィルのコンサートマスターを務めた、長原さんが好演。これは終楽章だけではなく、全曲を聴きたい!

大阪俗謡による幻想曲」についての詳細は下記に詳しく述べた。

僕がこれまで生で聴いたことがある「大阪俗謡」は次の4つのバージョンである。

  • 1970年改訂 管弦楽版
  • 吹奏楽 全曲版(演奏時間12分)
  • 吹奏楽 淀工版(演奏時間8分)
  • 吹奏楽 辻井清幸による校訂版(演奏時間8分)

ところが今回はな、な、なんと!ベルリン・フィルのアーカイブ(資料室)に保管されていたという、1956年の管弦楽初演版大阪の祭囃子による幻想曲)が演奏されたのでびっくりした。

1970年管弦楽改訂版を聴くと、「大阪俗謡」はむしろストラヴィンスキー「春の祭典」に近いと感じていたのだが、初演版はもっと泥臭く、粗野で、荒々しい印象だった。成る程、これならば当時ベルリンの新聞に「東洋のバルトーク」と評されたことが理解出来ると初めて腑に落ちた。つまり1970年の時点で作曲家としての経験を積んだ大栗のオーケストレーションは磨きがかけられ、洗練されてきたということなのだろう。僕は例えば上方の落語家・六代目 笑福亭松鶴のだみ声を連想させるような、原典版の方が好きだな。

NAXOSから発売されている「大阪俗謡」は70年改訂版なので、大阪フィルは是非原典版の方も録音し、世に問うべきだと僕は考える。それが使命ではないだろうか?

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2012年4月20日 (金)

大人計画「ウェルカム・ニッポン」

松尾スズキ作・演出のミュージカル「キレイ」はビデオで観た。また松尾スズキ版ミュージカル「キャバレー」映画「クワイエットルームにようこそ」は劇場や映画館で観ている。しかし、劇団「大人計画」は今回が初体験だった。

シアター・ドラマシティ(大阪公演)へ。松尾スズキ 作・演出の「ウェルカム・ニッポン」を観劇。客席は女性率高し!大体8~9割くらい。公式サイトはこちら

Nippon

阿部サダオ宮藤官九郎(クドカン)、荒川良々平岩紙松尾スズキ(出演兼務)ら人気者が集結。

開演前、星野源による「諸注意の歌」には爆笑。全篇がセミ・ミュージカル仕立てになっていて愉しい。

ヒロイン:エイドリアン役のアナンダ・ジェイコブズは歌手で女優。ロサンゼルスに生まれ、2006年から活動の拠点を東京に移しているそう。彼女もギターを弾きながら沢山歌った。

エイドリアンは17歳の時9・11ニューヨーク同時多発テロ(2001)で日本人青年・牛頭(ごず)と出会い、それから10年経た2011年に彼を慕って来日するが、牛頭は3・11東日本大震災で東北にボランティアに行くと言い残して消息不明になっていた。

クドカン演じる個人タクシーの運転手が登場する場面ではバーナード・ハーマンが作曲した映画「タクシー・ドライバー」の物憂げなサックスのメロディが流れる。そして最後にクドカンが「タクシー・ドライバー」のデ・ニーロに憧れてこの商売を始めたと告白する。

TBS「高校教師」(1993)のパロディあり、森田童子の歌も流れる。ちなみに松尾さんはこのドラマにチョイ役(駅員)で出演しているらしい。松尾演出の舞台「欲望という名の電車」でも「ぼくたちの失敗」が使われているそうだ。好きなんだなぁ。

またビートたけし、立川談志、岡本太郎、「新世紀エヴァンゲリオン」の碇ゲンドウらの物真似も。さらに北朝鮮のあの女性アナウンサー、ジャングルのゲリラや酋長、時空を超えてヒトラーやゲッペルスまで登場!?ごった煮、カオス、何でもあり。アナーキー。破壊力抜群でワクワクする。

震災とそれに続く福島原発事故で落ち込んで鬱々と生活している現在の日本人を、猥雑で正体不明な笑いと歌の活力で元気にさせてくれる。そんな芝居であった。

まるでドストエフスキーの小説に出てきそうな過剰な女子高生(平岩紙)がキレて叫ぶ、「戦争も放射能も経験せずにヌクヌクと生きていた世代」への罵倒がグッと胸に来た。「うっすら生きる」という台詞も印象的。希望はなくても、みっともなくても、生きていればなんとかなるさ。そんな気持ち(positive thinking)にさせてくれた。パワフルで面白かった!

余談だが松尾スズキって苗字と苗字が並んだみたいな不思議な名前だ。調べてみるとやはり芸名で、本名は松尾勝幸(かつゆき)なんだって。じゃぁケラリーノ・サンドロヴィッチは本名なんだろうか?(←勿論、冗談です)ちなみにケラさんは「ウェルカム・ニッポン」後半のナレーションを担当している(前半は萬田久子!)。

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2012年4月18日 (水)

吉野に桜咲く (「義経千本桜」ゆかりの地を訪ねて)

4月12日。大阪に引っ越して来て以来、毎年恒例となった吉野の桜狩に行った。

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いつもこの時期に吉野を訪ねるのだが、今年は開花時期が遅く、中千本は未だつぼみの状態だった。

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それでもやはり吉野は美しく、森林浴や野鳥の声を愉しんだ。

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一部で誤解があるようなので述べておくが、吉野山にあるのは山桜である。ソメイヨシノ(染井吉野)は江戸末期から明治初期に江戸の染井村で品種改良されたものであり、吉野への憧れから命名された。

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お昼には山の麓の「つるべすし弥助」を訪ねた(HPはこちら)。

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ここは創業八百年という歴史が刻まれており、歌舞伎「義経千本桜」~”すし屋”の段のモデルとなった店である。

「弥助」は例えば村上春樹さんが訪れている(→「奈良の味を歩く」詳細へ)。また吉川英治も昭和三十一年に宿泊しており、「浴衣着て ごん太に似たる 男かな」と詠んでいる。

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鮎の塩焼き。

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上の写真は鮎鮨と鮎の野菜あんかけ。

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古(いにしえ)の日本を感じさせる、堂々たる風格だった。

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2012年4月17日 (火)

シリーズ《音楽史探訪》ブラームスとクララ・シューマン

ヨハネス・ブラームス(1833-1897)、ロベルト・シューマン(1810-1856)そしてクララ・シューマン(1819-1896)の関係について考察する。

これはブラームスのクララに対する恋愛感情を描いた映画で、大変出来がいいのでご覧になることを是非お勧めしたい。ロベルトとクララが結婚するまでのクララの父親とのドロドロした確執も上記記事に書いたので、ご一読あれ(クララの肖像画、写真つき)。

クララはブラームスより14歳年長だった。実はなんとブラームスの母も父より17歳も年上だったそうで、そういう女性を好きになるのは遺伝ではなかろうかと推察される。

ブラームスは1854年(31歳の時)に「シューマンの主題による16の変奏曲 作品9」を書いている。当時ロベルト・シューマンはライン河への投身自殺を図り救助されて、既に精神病院に収容されていていた。その死の2年前のことである。そして第10および、第12変奏をブラームスは8月12日聖クララの日にデュッセルドルフで作曲している。楽譜の表紙には「”彼の旋律”にもとづき”彼女”に捧げられた」と書き込まれ、クララに献呈された。実はそれよりも先にクララ・シューマンが作曲した「ロベルト・シューマンの主題による変奏曲 作品20」もあり、両者は同一の主題を元に作曲されている。何とも意味深ではないか!

またブラームスは交響曲 第1番 第4楽章に登場するアルペン・ホルンのメロディを手書きの五線譜に書き取り、それに詩を添えてクララの誕生日に手紙を送っている。その内容はこうだ。

"Hoch auf'm Berg, tief im Tal, grüß ich dich viel tausendmal!"
(高い山や、深い谷から、君に何千回も挨拶しよう!)

ここまで証拠を提示しても、まだブラームスのクララに対する恋心を疑う人はいるだろうか?

しかしシューマンの死後クララは再婚することなく、ブラームスも一生独身を貫いた。クララがブラームスに対してどういう感情を抱いていたかは音楽史の大きなミステリーである。

以下僕の仮説である。ロベルトとの交際を猛反対し、妨害工作した父親と裁判をしてまで結婚を勝ち取ったくらいだから、クララが夫を心から愛していたことは間違いない。だからその死後も裏切る気にはなれなかったのかも知れない。またロベルトと子供を8人も儲けているし(長男は1歳で死亡)、著名なピアニストとしての活動もあるから再婚どころではなかっただろう。

もうひとつ考えられることはクララはシューマンが梅毒を罹患し、その病が脳まで侵して死亡したことを知っていた(世間に対してはひたすらにその事実を隠そうとしたが)。だから当然、自分も夫から梅毒をうつされているかも知れないという恐怖が彼女にあったのではないだろうか?19世紀の医学ではそれを確認する術(すべ)はない。となれば才能と未来ある年若い作曲家に感染させてはいけないという気持ちがあったとしてもおかしくはないだろう。そしてブラームスは、そのことを知らなかった可能性がある(余談だが、スメタナの死因も脳梅毒である)。

ブラームスの作品は前期と後期で作風が随分変化している。

  • 交響曲 第1番(1876年 完成)
  • 交響曲 第2番(1877年 完成)
  • ヴァイオリン協奏曲(1878年 完成)
  • 大学祝典序曲、悲劇的序曲(1880年 完成)
  • ピアノ協奏曲 第2番(1881年 完成)
  • 交響曲 第3番(1883年 完成)
  • 交響曲 第4番(1885年 完成)
  • (ヴァイオリンとチェロのための)二重協奏曲(1887年 完成)
  • クラリネット五重奏(1891年 完成)
  • 2つのクラリネット・ソナタ(1894年 完成)

この年譜を見ると、悲劇的序曲を作曲したあたりから様子がガラリと変わっていることに気が付くだろう。

前期は希望に満ちていて、力強い。若草の萌える春、緑の夏の風景が広がる。positive thinkingである。しかし後期になると憂愁や諦念が支配的になる。秋から冬に向かう寂しさ、木枯らしが吹く肌寒さ。実にnegative thinkingである。

僕はこの心境の変化がクララとの関係と密接に結びついているのではないかと考えている。つまり青年ブラームスはまだクララと結婚できるのではないかという夢を抱いていた。そこには希望があった。しかし次第に、彼女にはその意思がないという厳然たる事実に向き合わないといけなくなっていった。希望は潰えたのだ。そんな物語を夢想する、今日この頃である。

ブラームスはクララが亡くなった翌年、その後を追うようにして息を引き取った。

さて皆さんは彼の音楽を聴いて、そこに何を感じられるだろうか?

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2012年4月16日 (月)

アカデミー外国語映画賞受賞/イラン映画「別離」

評価:A+

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ベルリン国際映画祭で最高賞である金熊賞、さらにアカデミー外国語映画賞、ゴールデン・グローブ賞も受賞。

ウディ・アレンは「別離」のアスガー・ファルハディ監督に対し「(アカデミー賞)授賞式には出たくないけれど、あなたの映画を見て一緒に語りたいと思った」と手紙を書き、またスティーブン・スピルバーグは「『別離』は大差で今年のベストフィルムになるだろうと信じていたよ」とコメントしている。公式サイトはこちら

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心に響く、完璧な作品である。「これを観ずして、今年他に何を観る?」と申し上げたい。

考えてみたら僕はアッバス・キアロスタミ監督作品(「友だちのうちはどこ?」「オリーブの林をぬけて」「桜桃の味」)とか、「運動靴と赤い金魚」とか意外とイラン映画を観ている。しかし間違いなく「別離」はイラン映画史上の最高傑作だろう。

本作には2組の夫婦が登場する。そして、それぞれには一人娘がいる。ある事故をめぐり、彼らは諍うことになる。物語はミステリー仕立てで展開される。

登場人物たちは家族を守るために、いくつかのささやかな嘘をつく。しかしそのことで、また誰かを傷つけてしまう。2つの家族が壊れてゆく姿を、キャメラは静謐なタッチで見つめる。娘たちの哀しい眼差しが観客の胸を抉る。

ハリネズミのジレンマ。ここに描かれるのは、もがいてもどうしようもない「人間の業(ごう)」である。深い。肌がヒリヒリするような、魂を揺さぶられる体験だった。

映画の幕切れが鮮烈であることも特記したい。結局、人生の選択肢に正解なんてないんだという紛れもない事実を僕たちは突き付けられることになる。

また作者ははっきりと語らないが、イスラム教の戒律に対する批判がベースにあることは間違いないだろう。

イランの女性たちは現在もヒジャブ(ベール)を着用しているが、本人の意思で離婚も出来るし、子供もどちらの親と暮らすか選べることを本作で初めて知った。もっと男性優位の社会だと思っていたけれど、意外と近代国家なんだ。こういうことも学べるし、映画ってやっぱり何ものにも代えがたい芸術だと改めて痛感した次第である。

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レ・ヴァン・フランセ(エマニュエル・パユ、ポール・メイエ 他)@いずみホール

4月15日(日)の昼下がり、いずみホールへ(14時開演)。

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レ・ヴァン・フランセの演奏会。メンバーは、

エマニュエル・パユ(ベルリン・フィル首席フルート奏者、スイス生まれ)、フランソワ・ルルー(元バイエルン放送交響楽団首席オーボエ奏者、フランス)、ポール・メイエ(クラリネット、フランス)、ラドヴァン・ヴラトコヴィチ(ホルン、クロアチア)、ジルベール・オダン(パリ・オペラ座管弦楽団首席バソン奏者、フランス)、エリック・ル・サージュ(ピアノ、フランス)という腕利きの錚々たる面々。

  • モーツァルト/ピアノと管楽器のための五重奏
  • ラヴェル/組曲「クープランの墓」(メイソン・ジョーンズ編)
  • ティエリー・ペク/六重奏曲(委嘱作品・日本初演)
  • イベール/木管五重奏のための3つの小品
  • バーバー/夏の音楽
  • プーランク/六重奏曲
  • ルーセル/木管五重奏とピアノのためのディヴェルティスマン(アンコール)

最初のモーツァルトはフルートなし。柔らかい、まろやかな音。ヴィブラートはあくまで控えめで、気品がある(ちなみにクラリネットは基本的にヴィブラートをかけない楽器)。「セ・シ・ボン」(それは素敵だ、すばらしい)というフランス語を想い出した。

続く木管五重奏によるラヴェルはオーボエが雄弁で、フルートの繊細な弱音はゾクゾクするような美しさだった。パユはブレス・コントロールが絶妙。神業と言ってもいい。決して力任せに吹くようなことはなく、音楽の半音階的進行は魔術的魅力を湛えていた。なお、編曲者のメイソン・ジョーンズは往年のフィラデルフィア管弦楽団首席ホルン奏者だそう。

ペクの新作はインドネシアのガムラン、東洋の五音音階から着想を得た面白い曲、エスニックな響きがして、リズムが先鋭化する終盤はストラヴィンスキーの「春の祭典」を髣髴とさせた。終わった瞬間に隣に座っていた男性が「ハルサイみたいだった」と呟いていたので、同様の感想を持った人は多かったんじゃないかな?

ドイツ式(ヘッケル式)ファゴットとフランス式バソンの違いは「のだめカンタービレ」でも話題になった。ファゴットと比較してバソンは音程が取り難く、特に最低音部で太くて大きい音が出しにくい。その扱い辛さのせいでフランス人以外が使用する頻度は低い。しかし味のあるいい音がする。

イベールは第1曲の軽妙洒脱なアレグロが超高速演奏で唖然とした。第2曲アンダンテはしっとりと歌い、そのコントラストが鮮明。第3曲は洗練されていて色彩感豊か。フランス的芳香を堪能した。

バーバーは気だるいアメリカの夏を精妙に描く、理知的な曲。なんとも言えない余韻があって僕は大好きだ。

そしてプログラム最後はプーランクの代表作にして、正にレ・ヴァン・フランセの名刺代わり。子供のように無邪気にはしゃいで、音楽も演奏も文句の付けようがない。時に漂う哀感はイタリアの作曲家ニーノ・ロータ(「ゴッドファーザー」「太陽がいっぱい」「道」)にも通じるものがあり、プーランクとロータの両者がゲイだったことと何か関係はあるのだろうか?などといったことをぼんやり考えながら愉しんだ。村上春樹さんの著書によると、プーランクは生前「私の音楽は、私がホモ・セクシュアルであることを抜きにしては成立しない」と語ったそうだ。

アンコールのルーセルは洒落た曲で、フランスのエスプリを内包している。特に中間部は海を吹き渡る風、異国への憧れを感じた。ちなみにルーセルは若い頃海軍に入隊し、インドシナ近海へ航海し勤務した経験を持つ。

とびきり素敵な午後のひと時だった。彼らがまた来日する時は是非足を運びたいと想う。

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2012年4月14日 (土)

在阪オケ問題を考える 2012年版

2007年7月に僕は次のような記事を書いた。

あれから5年経た現在の問題提起をしたい。だからその前提として、予め上記をお読み下さい。なお橋下徹 氏が大阪府知事になったのは、この記事の翌年であるということにご注目頂きたい。

さて、2008年1月に当選した橋下さんは知事時代に大阪(現・日本)センチュリー交響楽団への府の補助金約4億円を廃止した(2011年度より)。センチュリー響は民営化に向けスポンサー探しをしているが、未だに見つかっていない。また大阪フィルハーモニー交響楽団に対して1億2300万円あった府の補助金と貸付金は2009年度以降、廃止された。

そして2011年12月、橋本さんは大阪市長になった。ここで浮上してきたのが市から大フィルへの補助金1億1000万円をどうするかということ。これは楽団の年間予算の1割を超える。

2012年4月12日付け読売新聞からの抜粋

大阪市の橋下徹市長は10日の大阪府・市統合本部会議で、在阪の交響楽団などが1億円の公的支援を競うコンテスト案を提示した。

補助金見直しを進める市の改革プロジェクトチームは大阪フィルハーモニー交響楽団(大フィル)への年1億1000万円の補助金の25%カット案を打ち出している。橋下市長は「補助金をもらうのが当たり前になっている。賞金1億円のコンテストを開き、楽団同士で競わせてはどうか」と提案。音楽イベントの開催など優勝楽団への特典にも言及した。

この市長案には賛成しかねる。大阪には4つのプロ・オーケストラがある。大フィル、センチュリー、大阪交響楽団、そして関西フィルである。仮にこの4つが公的支援を競ったとする。今年は1億円を勝ち取ったとしても、来年は負けて貰えないかも知れない。これでは収入が安定しない。楽団運営はギャンブルではないのだ。

5年前の「在阪オケ問題を考える」でも語ったように、僕は大阪府に4つもオーケストラは必要ないと思っている。それほどの需要はクラシック音楽界にない。不経済だ。一方で奈良県や和歌山県、三重県、滋賀県にはプロ・オーケストラがない。偏り過ぎだろう。

僕は在阪オケを統廃合し、2つか3つに絞るべきだと考える。ただし関西フィルと大阪交響楽団はいままで公的支援なしで頑張ってきた楽団なので、焦点となるのはセンチュリーと大フィルである。この2つが合併するのが現時点で一番の合理的解決策ではないだろうか?

日本センチュリー交響楽団は大阪府豊中市にある服部緑地公園(公益法人・大阪府公園協会管轄)内に練習場を所有したまま、財団の基本財産20億円のうち2011年度は約2億6000万円を取り崩し、再生の道を探っている。つまり、このままいくと2018年には運営資金が底をつく計算になる。

大フィルとセンチュリーが合併した場合、まず公的資金投入を一本化できるというメリットが生まれる。また両楽団内オーディションを行うことで、実力向上が期待できる。大フィルの弦楽器群は非常に優秀であり、関西一の実力であることは誰も異論ないだろう。しかし如何せん弱いのが管楽器、特に(ピッチが合わない)ホルンと(しばしば音を外す)トランペットである。このセクションは明らかに京都市交響楽団や大阪市音楽団の方が断然上手い。弦高管低のアンバランス。これが大フィル一番の問題点である。関西の誇りとなるためにはオーケストラを強化する必要がある。そして合併することでそこに生存競争が生じれば、「既得権益」ではなくなる。

オーケストラの合併は決して珍しいことではない。2001年には東京フィルハーモニー交響楽団が新星日本交響楽団を吸収合併した。

またニューヨーク・フィルは1921年にナショナル交響楽団、'23年にニューヨーク・シティ交響楽団、'28年にはニューヨーク交響楽団を吸収している。

オーケストラの解散とか統合という話になると、必ず「伝統を尊重せよ!」「オーケストラ文化の灯を消すな!」といった反論が出てくる。しかしここで議論する必要があるのはあくまでお金の問題であって、音楽の文化的意義とは関係がない。そこを勘違いされませんように。

ABC朝日放送がザ・シンフォニーホールを二束三文で売却することを決めたニュースが象徴するように、関西の企業は既に4つのプロ・オーケストラを支援する経済的余力がない。そして地方自治体もしかり。それでもどのオケも潰すなと主張するのであれば、

  1. 大阪に絶対に4つのプロ・オーケストラを残さないといけない必然性
  2. ではそれを維持するための資金はどうするのか?

以上の2点につき、明確な説明をするべきだろう。

冷静にこの問題を考え、現実的な議論をしようではありませんか。

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2012年4月13日 (金)

ジュネーヴで優勝した萩原麻未登場!~尾高/大フィル定期

4月12日(木)ザ・シンフォニーホールへ。

尾高忠明/大阪フィルハーモニー交響楽団で、

  • モーツァルト/ピアノ協奏曲 第23番
  • ブルックナー/交響曲 第7番

2010年ジュネーヴ国際コンクール/ピアノ部門で日本人として初めて優勝した萩原麻未がソリストを務めた。

最近モーツァルトの演奏はフォルテピアノや古楽器演奏による歯切れのいい演奏を聴き慣れているので、ペダルを多用して音と音を繋げた、萩原さんの滑らかな(レガート)モーツァルトには違和感を覚えた。この不思議な解釈はどこから来るのだろう?と考えてハタと思い当たった。

萩原さんは(「のだめカンタービレ」でお馴染み)パリ国立高等音楽院を主席で卒業。現在もそこで研鑽を積んでいる。ジュネーヴ国際コンクールの最終審査ではラヴェル/ピアノ協奏曲を弾いた。これもまるで”のだめ”みたい。つまり彼女の得意分野はドビュッシー、ラヴェルなどフランス物であり、今回も「フランス印象派の観点から捉えた」モーツァルトを披露したということなのだろう。特に弱音の美しさが際立っていた。このアプローチを是とするか非とするかは意見の分かれるところ。僕はどちらかと言えば後者かな?

尾高さんのブルックナーはゆったりとしたテンポで気宇壮大な解釈。突出したものはないが、小細工を弄さず真正面から作品に対峙する姿勢が好ましい。大フィルもそのタクトに応え、大変立派な演奏だった。

今回この2曲に心地よく身を委ねながら、面白いことに気が付いた。僕が生まれて初めてモーツァルトのピアノ協奏曲を聴いたのが第23番で小学生の頃だった。忘れもしないNHK-FMをエアチェック(←懐かしい言葉!)したマウリツォ・ポリーニのピアノ、カール・ベーム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏するLPレコードだった。この後モーツァルトのピアノ協奏曲は全部聴いたが、今でも一番のお気に入りはこの23番である。

僕が初めてブルックナーの交響曲を聴いたのも小学生の頃FMで。やはりカール・ベーム指揮ウィーン・フィルによる第7番だった。これはそもそも第8番とのカップリングでLP3枚組みとして発売された。だから値段が6千円以上もしたので、いくら欲しくても小学生の小遣いでは到底手が届かなかったことを想い出す。そして第8番がブルックナーの最高傑作であることは頭では分かるのだが、やはり今でも僕が一番好きなのは美しくたおやかな第7番なのだ。

「三つ子の魂百まで」とはよく言ったものである。

なお、大フィルが得意とするブルックナーなのに、客席は空席が目立った。プログラムで定期会員を数えてみると今年1月:1,031人→4月:945人と86人減。やはり3月末で大植英次さんが音楽監督を辞められたことが大きく響いている。早く次期監督を決めないと状況はますます厳しくなるだろう。今シーズンのラインアップは八方美人というか、全体を貫く理念、確固たる視座が感じられないんだよね。

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2012年4月10日 (火)

カンヌ国際映画祭 監督賞受賞「ドライヴ」

評価:A

Drive

アメリカ映画であるが、ニコラス・ウィンディング・レフン監督はデンマーク出身。映像に独特の匂いがある。公式サイトはこちら

スタイリッシュでクール。この新鮮な驚きは、例えばマーティン・スコセッシの「タクシー・ドライバー」やジョン・ウーの「男たちの挽歌」、あるいはクエンティン・タランティーノの「レザボア・ドッグス」やウォシャウスキー兄弟の「バウンド」を初めて観た時の衝撃に匹敵する。同じ題材のクライム・ムーヴィー(カーチェイスあり)であるサム・ペキンパー監督「ゲッタウェイ」と比較することも可能だろう。

ただ前述した傑作群と本作には決定的相違がある。それは音楽の使い方のセンスのよさだ。「ドライヴ」で選択される音楽と、それが流れるシーンとには微妙な違和感がある。しかしそのズレが化学反応を引き起こし、映画が発火するのである。お見事!としか言いようがない。

主演はライアン・ゴズリングキャリー・マリガンはアカデミー主演女優賞にノミネートされた(英アカデミー賞は受賞)「17歳の肖像」(2009)で16歳から17歳になろうとする少女を演じたわけだが、それからたった2年後に撮影された本作では子供のいる頼りない人妻役を見事に演じている(現在彼女の年齢は26歳)。主体性はないけれど、男の人生を狂わす女=ファム・ファタール。実に魅惑的だ。このキャラクター設定はスコット・フィッツジェラルドの小説「グレート・ギャツビー」のヒロイン、デイジーを彷彿とさせる。そういえば彼女は現在、バズ・ラーマン監督レオナルド・ディカプリオ主演の映画「グレート・ギャツビー」を撮影中だった(勿論デイジー役)。また悪役でロン・パールマン(「ヘルボーイ」)が圧倒的存在感を見せ付けた。

必見。今すぐ映画館に駆けつけろ!そして時代の証言者になれ。

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2012年4月 9日 (月)

鈴木雅明/バッハ・コレギウム・ジャパン「マタイ受難曲」 (受難節コンサート 2012)

いずみホールへ。

鈴木雅明/バッハ・コレギウム・ジャパン(以下BCJ)の演奏で、

  • J.S.バッハ/マタイ受難曲(全曲)

僕が生演奏で「マタイ受難曲」を聴くのはこれが4回目。うち過去2回もBCJの演奏だった。

「マタイ受難曲」とはどういう曲かについての核心部は既に上記で詳しく語っているので、そちらをお読み頂きたい。

鈴木/BCJの演奏については何度も聴いているので、印象が大きく変わることはなかった。世界最高レベルのクオリティであることは言うまでもない。第1部は軽やかなテンポで開始され、途中激しく劇的になったり、怒りや哀しみ、諦念といったもろもろの感情を余すところなく表現し尽くす。文句の付けようがない。休憩を除き約3時間聴いている間、一瞬たりとも退屈することはなかった。

この人の右に出るものはいないと言われるエヴァンゲリスト:ゲルト・テュルク(テノール)を筆頭に、イエスのピーター・ハーヴェイ(バス)、そしてソプラノ:ハナ・ブラシコヴァのクリスタルな透明感に至るまで、ソリストの素晴らしさも筆舌に尽くしがたい。ただし、クリント・ファン・デア・リンデらカウンターテノール陣はいただけなかった(2008年のダミアン・ギヨンがすごく良かっただけに、惜しまれる)。

弦楽器と管楽器はそれぞれ第 I 群第 II 群に分かれ、左右対称に配置される。それぞれの群が時には対話するように交互に、またある時は一斉に演奏する様は視覚的にも面白い。やっぱり「マタイ」は生で聴かなくちゃその真の醍醐味は分からないなとつくづく感じた。この曲は紛れもなく人類の至宝、究極の世界音楽遺産である。聴かずに死ねるか!?

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2012年4月 7日 (土)

シリーズ《音楽史探訪》その3 交響曲の改革者ハイドン

下記記事も併せてお読み下さい。

一般にフランツ・ヨーゼフ・ハイドンは「交響曲の父」と呼ばれているが、厳密に言うとその表現は正確ではない。以後約150年間続くことになる交響曲の基本形、すなわち第1楽章がソナタ形式で、第3楽章に舞曲(メヌエット)を持ち、全4楽章という構成を最初に打ち立てたのはマンハイム学派の祖、ヨハン・シュターミッツであり、1750年代前期と考えられている(1757年にパリで出版)。ハイドンが同形式を用いる約10年前のことである。

ハイドンの初期交響曲(50番くらいまで)は作曲順に並んでいない。例えば第1番は1759年に作曲されたと推定されるが、交響曲第2番や第4番は1757-1761の間に作曲されたと考えられており、こちらが先の可能性もある。当時は楽譜に番号を書く習慣がなかったので、このような混乱が起きる。モーツァルトも同様で20世紀になって偽作と断定された作品もある。「おもちゃの交響曲」は20世紀半ばまでハイドン作曲と見做されていたが、その後レオポルド・モーツァルト(アマデウスの父)作とされ、1992年になってオーストリア、チロル地方出身でベネディクト会の神父エルムント・アンゲラー作というのが有力になるといった具合に、二転三転するケースもある。

交響曲 第4番(1762年)は3楽章形式。終楽章がメヌエットというのが不思議だ。同じ年に書かれたと推定される第18番も3楽章形式でアンダンテ・モデラートーアレグローメヌエットと変則的。

1760-1762に書かれた交響曲 第5番は4楽章形式だが第1楽章がアダージョで意表を突く。第2楽章アレグロ、第3楽章メヌエット、第4楽章プレストという構成。バロック時代の「教会ソナタ」(緩−急−緩−急)を模したものと思われる。これはハイドンが交響曲 第50番以降、よく用いることとなる第1楽章:アダージョの序奏→主部はアレグロのソナタ形式という方法論へと発展していくことになる。

さらに交響曲 第15番(1761年)は第2楽章にメヌエットを持ってきて第3楽章がアンダンテ。順番が逆転している。この時期のハイドンが実験を繰り返し、試行錯誤していたことが窺われる。だから彼のことは「改革者」と呼ぶべきだろうというのが僕の意見である。

C.P.E.バッハの影響を受けた片鱗が最初に現れるのは交響曲 第12番 第2楽章。このシンフォニーが作曲されたのは1763年。

そして1768年に作曲されたとさせる交響曲 第26番「ラメンタチオーネ」(哀歌)からC.P.E.の特徴でもある疾風怒濤の時代(Strum und Drang)が華々しく始動する。

この度この記事を書くためにハイドンの交響曲を番号順に全曲聴いた。前・中期がフィッシャー/オーストリア・ハンガリー・ハイドン管弦楽団による演奏、ロンドン・セットはミンコフスキ/ルーブル宮音楽隊のCD。後者は昨年、レコード・アカデミー大賞を受賞したディスクであり、超お勧め!

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なお交響曲 第88番「V字」から93番以降のロンドン(ザロモン)・セットに至る後期交響曲は傑作揃いなので、それより前の交響曲の中から印象に残った作品を以下、列挙しよう。

6-8番「朝」「昼」「晩」 協奏交響曲(コンチェルト・グロッソ)の趣。ソロが多い。
22番「哲学者」 ホルンが大活躍。
24番 第2楽章にフルート・ソロ。
26番「ラメンタツィオーネ(哀歌)」 疾走する悲しみ。グレゴリオ聖歌を引用した第2楽章の対位法は大バッハ的。疾風怒濤の時代の始まり。
30番「アレルヤ」 快活、明朗。
31番「ホルン信号」 文字通りホルンが八面六臂の大活躍。
35番 快活。
37番 ティンパニが派手で面白い。また第2,3楽章のコントラストが鮮明。
41番 第2楽章のフルートが印象的。
44番「悲しみ」 魅力的な短調交響曲。
46番 複雑で従来のしきたりを破壊する交響曲。主調は長調なのに第2楽章が短調という意外性。第4楽章、突然の休止も驚き。
48番「マリア・テレージア」 ラッパが祝祭的でパンチが効いている。
49番「受難」 劇的な短調。
55番「学校の先生」 聴衆を驚かせる仕掛けあり。
59番「火事」 唐突なアクセントが効果的。
60番「うっかりもの」 激烈な第4楽章がいい。
63番「ラ・ロクサーヌ」 活きがいい。
64番「時の移ろい」 第2楽章の陰影。表情の変化が魅力。
67番 第1楽章は明朗な長調で開始、途中短調に転調。陽陰の対比が鮮やか。第2楽章はよく歌う。第4楽章中間部がアダージョになったのには驚かされた。
69番「ラウドン将軍」 ティンパニや低音楽器の動きが面白い。
73番「狩」 第1楽章、短いモティーフの執拗な繰り返しが印象的。終楽章はホルンが賑やか。
75番 勢いがある。第2楽章は美しい。
78番 短調。押しては引く運命の波。
80番 これも短調。
82番「熊」 猪突猛進。
83番「雌鳥」 短調。
85番「王妃」 均整のとれた美しさ。
86番 威風堂々としてパワフル。素晴らしい!
87番 急き立てられる様な疾走感がいい。 

原則的に短調の交響曲に優れたものが多い。そしてニック・ネームあるものもはずれはない。つまり人気があったからこそ愛称が付いたと考えるべきだろう。ち なみに「時計」「驚愕」「太鼓連打」「ロンドン」などはハイドン自身の命名ではなく後世の人によるもの。「朝」「昼」「晩」だけが例外であり、そもそも当時ハイドンが仕えていたハンガリーの貴族エステルハージ候からお題を与えられ、作曲されたものと推定されている。

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2012年4月 6日 (金)

ヘルプ ~心がつなぐストーリー~

評価:B+

Help

映画公式サイトはこちら。原題はシンプルに"The Help"

ジョン・F・ケネディやマーティン・ルーサー・キング牧師が活躍していた1960年代。アメリカ南部ミシシッピ州を舞台に、当時未だ根強く残っていた黒人差別問題をえぐり出す。

全米映画俳優組合(SAG)賞ではヴィオラ・デイヴィスが主演女優賞、オクタヴィア・スペンサーが助演女優賞(アカデミー賞も)、そしてアンサンブル・キャスト賞を同時に受賞した。

脚本・監督テイト・テイラー(白人男性)は原作者キャスリン・ストケットと幼馴染だそうだ。白人女性の目から見た黒人問題なので、この手法に異議を唱える人たちも多い。詳しくはこちら→「The Help」への批判

まぁその気持ちも分からないではないが、本作は秀逸な「女性映画」であると僕は太鼓判を押したい。群集劇としてそれぞれの役者が素晴らしい。黒人だけではなく白人女性も生き生きと(ある人物は物凄く憎たらしく)描かれている。これだけ出来の良い(well made)作品にお目にかかれることは滅多にない。

最近パッとしないスパイク・リー(ドゥ・ザ・ライト・シング、マルコムX)など黒人監督たちにも奮起してもらいたいものだ。

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月亭八天の嘘も誠も都構想!

4月1日(日)天満天神繁昌亭へ。

Hatten

  • 月亭天使/鉄砲勇助
  • 月亭八斗/四人ぐせ
  • 月亭八天/天神山
  • 月亭八方/AKO47 ~新説赤穂義士伝~(八方 作)
  • 月亭八天/二階ぞめき

天使さんは視線が泳いでいた。

八斗くんはハキハキして中々良いのだが、目をこする所作などがいまいち面白みに欠けるかな。

来年3月19日に七代目月亭文都の襲名が決まった八天さん。3年前に落語に目覚めたという八方師匠が何故襲名しないのかといえば、「面倒は嫌」だからとか。替わりに自分が人身御供にされたんですと。

天神山」は”変きちの源助”が本当の変人に見えた。正直言って僕は高座から伝わってくる八天さんの人柄があまり好きにはなれない。これは理屈ではなく、生理的なものだからどうしようもない。ただし、彼が憎たらしいくらい上手いことは認める。隙がない。月亭の中で本格的古典を演じられるのは彼だけだし、文都の襲名は納得がいく。

八方さんの新作を聴くのはこれが三回目。AKB48+忠臣蔵のパロディで、すこぶる出来が良い。塩問屋の秋元康兵衛(あきもとやすべえ)が登場し、赤穂浪士の総選挙を画策するというプロットが秀逸。

二階ぞめき」は初めて聴いたが、噺が詰まらないので最初は新作かと思った。帰宅後調べると古典落語だったので驚いた。設定に無理があるし、かといって「粗忽長屋」ほどぶっ飛んでもいない。中途半端。

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2012年4月 3日 (火)

笑福亭三喬・柳家喬太郎/東西笑いの喬演

3月30日(金)大阪市立こども文化センターへ。

  • 柳家喬之進/幇間腹
  • 笑福亭三喬/ガマの油
  • 柳家喬太郎/小言幸兵衛
  • 柳家喬太郎/寿司屋水滸伝
  • 笑福亭三喬/祟徳院

喬之進さんは喬太郎さんの弟弟子(師匠はさん喬)で大阪では初口演だそう。ハキハキした高座。

三喬さんの「ガマの油」は先代・文我や先代・春蝶など故人のエピソード(刀の差し裏、差し表)も交えて。また現代のガマの油=テレビ・ショッピングで購入して無駄なものの典型例として「耐火金庫」「高枝切り鋏」「無煙グリル」などを挙げられた。笑福亭は米朝一門と違い「邪魔にならない限り見台(けんだい)・ひざ隠しは置く」という方針だそう。

喬太郎さんの「小言幸兵衛」は「お腹に針を刺す」「ガマの油」など、前の演目のガジェットも取り込む。巧い!マクラでは大阪に初めて客演したとき「おもろないわ、帰れ!」と野次られるんじゃないかと怖かった。ここに来るにはパスポートがいるんじゃないかと思った。それから今日、主催者の人とうどんを食べた際、大阪では普段「けつねうどん」と言わないことを初めて知ったなどといったことを語られた。

寿司屋水滸伝」はなんと、通常東京では使わない見台・ひざ隠しを置いての口演!三喬さんから「使ってみたら」と勧められたそう。「緊張します。別のネタにすりゃあ良かった」喬太郎さんがぎこちなく小拍子をパシッと叩く度に、客席は大うけ。彼は今までに東京で2回だけ講談の釈台を使ったことがあるそうで、その時は「痛風で正座出来ませんでした」と。まことに馬鹿馬鹿しく、愉快なお噺。意味がないのが最高なんだ。最後に「義経千本桜 発端」でしたと(注釈:歌舞伎「義経千本桜」には「すし屋」の段がある)。

三喬さんが松喬師匠に入門した時、世の中は空前の枝雀ブームの真っ只中だった。道頓堀角座で師匠の落語を聴いた三喬さん、「これなら出来る」と感じたそう。また自分の弟子・喬介に入門の動機を訊くと「大学の先輩(講談師)旭堂南青さんに勧められました」と。「『あいつなら無難やろ』と感じたんでしょうな」

祟徳院」はさすがベテランらしく、老練で味わい深い一席だった。

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2012年4月 2日 (月)

桂文我・宗助/猫間川寄席(3/28)

3月28日玉造さんくすホールへ。

  • 桂福丸/餅屋問答
  • 桂三扇/花嫁御寮(三枝 作)
  • 桂文我/ろうそく喰い
  • 桂宗助/抜け雀
  • 桂文我/花の都

2月に結婚した福丸くん。高座に上がる時、客席から「おめでとさん!」と声が掛かる。「ありがとうございます。結婚して半年くらいは新婚だそうで、まだまだお祝いを受け付けております」と彼が言うと、すかさず「そりゃあきませんわ」と返ってきて、場内爆笑となる。瞬きの回数で登場人物を演じ分ける巧みな演出に唸った。

現在「綾鷹」のCMに上方の落語家が出演しているが(→こちら)、文我さんはその裏話を披露。またテレビ「開運!なんでも鑑定団」で噺家の色紙が登場した時に、鑑定士から電話で相談を受けたエピソードも。

宗助さんは道頓堀の天牛書店に米朝師匠のサイン色紙が額縁に入れられ売られていたエピソードから「抜け雀」へ。端正で軽やか。

文我さんによると、以前宗助さんの後援会をしていた人が久しぶりに落語会に現れて、感想を訊いたところ「彼にはオーラがない」と言い残して帰って行ったそうで、宗助さんはそのことを気にされているのだとか。「私はそうは思いません」と文我さん。僕も同感。感想は人それぞれだなと感じた。「ろうそく喰い」も「花の都」も相変わらずけったいなネタだった。まぁ、好奇心からそこに惹かれるわけだ。

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桂文珍独演会@兵庫芸文

3月25日(日)兵庫県立芸術文化センターへ。

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  • 桂楽珍/煮売屋
  • 桂文珍/ルルとララ(文珍 作)
  • 内海英華/女道楽
  • 桂文珍/帯久
  • 桂文珍/ぞろぞろ

落語家としてのキャリアが31年目となる楽珍さん。「煮売屋」を演じるのは30年ぶりとか。

文珍さんは春の選抜高校野球@甲子園で「君が代」を歌う女子高生が清々しかったと言った後で、「唇はちゃんと動いていました」「いっこく堂は困るやろうな」とブラック・ジョークを飛ばし、場内爆笑。

兵庫県は丹波篠山出身の文珍さん。「校長はたぬきでした。生徒の半数はイノシシで、残りは黒豆」また、吉本興業が発売している「面白い恋人」や「東京カブレ」の話題も。

ルルとララ」は北島三郎や由紀さおり「夜明けのスキャット」、さだまさし「北の国から」、吉田拓郎「人間なんて」など昭和歌謡曲に関するネタ。文句なしに面白い。沢山歌った文珍さん。「芸惜しみはしません」と。

英華さんは「さのさ節」を京都弁や河内弁でやったり、都都逸、「お染・久松 野崎村の段」などを披露。

最初、舞台背景が松だったのを「帯久」では鳥の子屏風に変えて。「この噺は長いんです。でもその割にはおもろいこともないし」と文珍さん。しかし堂々とした風格があって充実した一席だった。

次のマクラでは断捨離(だんしゃり)のこと、「クールビズ ネクタイ取って ヅラ取らず」という川柳を紹介。

妻が髪形を変えたら褒めるべしと説くマニュアル本を紹介し、「前のヘアスタイルも良かったけれど、今度のもよう似合うなぁ」と言わないといけないと書かれていて、「そんなん、言えまっか?」会場が沸いた。

若い世代にも落語の醍醐味を知ってもらいたいと意気込む文珍さん。NHKでワンセグ落語をやる予定だそう。題して「手乗り文珍」こちらも楽しみだ。

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2012年4月 1日 (日)

大植英次スペシャルコンサート/深化した大フィルとのブルックナー第8番

大植英次/大阪フィルハーモニー交響楽団によるブルックナーの交響曲を初めて聴いたのは2006年2月定期演奏会での第7番だったが、その時はピンとこなかった。第8番は2007年4月26日にフェスティバルホールでも聴いた(その時は曲の冒頭、弦のトレモロが始まった時点で携帯電話が鳴り、最初から演奏し直すというハプニングもあった)。恣意的なテンポの動かし方が不自然で、情熱が空回り。大植さんはあくまでマーラー指揮者であり、ブルックナーは苦手なんだなという印象を受けた。

しかし9年間におよぶ大フィルとの共同作業の結果、大植さんのブルックナー解釈は飛躍的に深化した。特にそれを感じたのは昨年2月定期の第9番である。

3月31日ザ・シンフォニーホールへ。

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大植さんが大フィル音楽監督としての最後の仕事である。

今回のプログラムは

  • ブルックナー/交響曲 第8番(ハース版)

最初からステージ後方のパイプオルガンに照明が当てられていた。これは聖フローリアン教会(リンツ)のオルガン奏者だったブルックナーに敬意を表したもので、定期で第9番が取り上げられた際も同様の演出があった。聖フローリアンでブルックナーが演奏される際には(朝比奈隆/大フィルも1975年に演奏)、いつもこの趣向が施されるそう。なお、ブルックナーの遺体は教会地下に埋葬されている(僕も訪ねたことがある)。

第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが指揮台を挟み向かい合う対向配置。ブルックナーの作品は基本的に教会音楽なので、弦の対位法的動きが対向配置によりくっきりと浮かび上がる。なお、大植さんがマーラーを指揮する時は対向配置を取らない事が多い。

大植さんは暗譜で、途中「ハァ〜ッ」と息を吐いたり「ウ〜ン」と唸りながら一音一音を噛み締めるように指揮された。そしてブルックナーの特徴であるゲネラル・パウゼ(全休止)が深い意味を帯びて「響く」。

第1楽章から弦楽器の大海原が目の前に広がり、厚みがあって濃密な表現。ゆったりとしたテンポで、万感の想いが感じられる。しかし展開部は一転し、しっかり加速される。

第2楽章スケルツォは動的で推進力に溢れる。パンチが効いて切迫感がある。

第3楽章アダージョは切々と訴えけかけてくる。うねる弦。天国的美しさで、魂を持っていかれた。そして終盤のクライマックスでは大いに盛り上がり、音の大伽藍を形成する。

終楽章。生気に満ちた弦がリズミカルに刻みながら、音楽は猪突猛進する。咆哮する金管、ティンパニの鋭い強打が激烈。

今回聴いたブルックナーはまさに9年間の集大成と言える超弩級の名演だった!

このコンサートでコンサートマスターの長原幸太さんと、第2ヴァイオリントップの佐久間聡一さんも大フィルを去ることになった。ふたりは晴れ晴れとした表情で、やり切った、もう思い残すことはないという充実感がそこにはあった。

ブラヴォーが飛び交う中、大植さんは楽員たちにTシャツを配った。表には「素晴らしい音楽をありがとう affectionately,Eiji Oue」とあり、その裏には「多くの人々に幸せを与えること以上に、崇高で素晴らしいものはない by Beethoven」と書かれていた。

楽員が去っても拍手は鳴り止まない。誰もいなくなったステージに大植さんが戻ってくる。まず最前列の人々としゃがんで握手。そしてステージ後方2階席(パイプオルガン側)の人たちにジャンプして握手。続いてステージから1階客席に飛び降り、握手しながら歩いて回る。最後にステージに戻ってきた大植さんは受け取った花束から赤いバラを一輪抜き出し、客席の方に向けて指揮台の上にそっと置いて立ち去った。僕はきっとこの光景を一生、忘れることはないだろう。ありがとう、大植英次。

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前田りり子/フルート300年の旅

大阪府豊中市にあるノワ・アコルデ音楽アートサロンへ。

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バッハ・コレギウム・ジャパンやオーケストラ・リベラ・クラシカなど古楽オーケストラの一員としても活躍する前田りり子さんのリサイタル。すべて無伴奏フルートのための作品。

  • ファン・エイク/「笛の楽園」より涙のパヴァーヌ
    ルネッサンス・フルート D管テナー(16世紀)
  • ファン・エイク/「笛の楽園」よりイギリスのナイチンゲール
    ルネッサンス・フルート A管ディスカント(16世紀)
  • F.クープラン/恋の鶯
    オトテールモデル 3分割バロック・フルート(フランス17世紀末)
  • J.S.バッハ/無伴奏フルートのための組曲 イ短調
    I.H.ロッテンブルグモデル バロック・フルート(ベルギー18世紀前期)
  • テレマン/ファンタジー 第8番 ホ短調
    オーバーレンダーモデル バロック・フルート(ドイツ18世紀前-中期)
  • J.D.ブラウン編集/組曲 ホ短調
    G.A.ロッテンブルグモデル ロココ・フルート(ベルギー18世紀中期)
  • C.P.E.バッハ/無伴奏フルートのためのソナタ イ短調
    H.グレンザー クラシック・フルート(ドイツ1800年頃)
  • クーラウ/ディヴェルティメント 第2番よりラルゲット
    C.サックス 6鍵式ロマンティック・フルート(ベルギー1820-30年頃)
  • ドンジョン/サロンエチュードよりエレジー
    L.ロット ベーム式フルート(フランス1878年)

お話(レクチャー)を交えながら時代の異なる8種類のフルートを吹き分けられた。

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木製のフルートは室温が10℃上下すると、音が4分の1音変わる。またモダン・ピッチがラ音A=440Hzなのに対し、バロック時代ヴェネツィアのピッチはA=460Hzくらいで約半音高く、 フランス(ヴェルサイユ)のピッチは392Hzで現在より1音低かったそう。そういったことに対応するために、当初一本の木で作られていたフルートは分割され、長さ(ピッチ)を調整出来るようになった。

ルネッサンス・フルートはかえで(maple)の木、オトテールモデルはつげ、I.H.ロッテンブルグモデルはグラナディラで製作されている。またルネッサンス期は円筒型だったのが、バロック時代に円錐管となり先細りになった。りり子さんの解説によるとそのために音色は暗め、アンニュイなものになったそう。またI.H.ロッテンブルグモデルは4分割となり、ポケットに入るようになった。

G.A.ロッテンブルグモデルはI.H.の息子あるいは孫の製作で、光と影、歪さを楽しむ姿勢があったバロック時代に対し、18世紀中期はパステル画のような軽やかな音が求められたとりり子さん。

C.P.E.バッハはオリジナル楽器での演奏(それまではコピー)。突然の休止などC.P.E.らしい曲。

C.サックスはサクソフォンを発明したアドルフ・サックスの父親。それまでは笛の穴を指で直接押さえていたのが、ここでキーが出現。フランス革命が起こり、貴族のものだった音楽が市民に開放され、コンサートホールで聴く機会が多くなった。だから指穴や吹口の穴が大きく改良され、大きな音が出るようになった。また歪さが否定され、均一な音が求められるようになったそう。作曲技法的にも転調が多くなり、クロマティックな(半音階的)演奏が必要になってきた。そしてフルートの進化に伴い、高音が弱音で吹けるようにもなった。

ここで現在でも使用されているベーム式フルートの登場である。本体は(暗い音がする)円錐形から円筒形に戻った。その代わりに頭部管が円錐形に改良された。しかし本来木管だったフルートが金属製になったため、これを嫌ったワーグナーはベーム式を使用していたフルート奏者を解雇したそうである。

ドンジョンはまことに幻想的で美しい楽曲だった。またアンコールは木製フルートに戻り、ミシェル・ブラヴェ(1700-1768、フランス)の曲が演奏された。

りり子さんが師事したバルトルド・クイケンと有田正広さんは以前聴いたことがある。

彼女の演奏を師匠と比較すると、高音が掠れたり息が100%音に変換されていないきらいがあったが、レクチャーが面白く十分フルートの妙味を堪能した。

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