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2012年3月

戦火の馬

評価:B

War_horse

映画公式サイトはこちら

スティーヴン・スピルバーグ監督の映画は2種類に分類される。本当に自分が撮りたい作品と、アカデミー賞狙いの作品である。前者は「未知との遭遇」「E.T.」「ジュラシック・パーク」「タンタンの冒険」などであり、後者は「カラー・パープル」「太陽の帝国」「ミュンヘン」などが該当する。「戦火の馬」は勿論、後者に入る。しかし僕は想うのだが、既に「シンドラーのリスト」で作品賞・監督賞を、「プライベート・ライアン」で2度目の監督賞を受賞しているのだから、もう十分なんじゃない?”物欲しげな”スピルバーグ映画はあまり観たくないのだけれど……。なお、僕はデビュー以降劇場公開されたスピルバーグ映画を全作品観ている。

この物語の面白さは、馬の所有者がどんどん替わっていくところ。まるで「レッド・ヴァイオリン」(1998)か、一着の夜会服をめぐるジュリアン・デュヴィヴィエ監督「運命の饗宴」(1942)みたい。馬を主人公とした戦争映画は今までなかったし、大変ユニークだと想う。

あと、映画史に燦然と輝く過去の傑作へのオマージュ(眼差し)をこの映画から強く感じた。例えば林の中を騎馬で奇襲するシーンはデヴィッド・リーン監督「ドクトル・ジバゴ」(1965)のパルチザンを髣髴とさせるし(スピルバーグは高校生のときにリーンの「アラビアのロレンス」を観て映画監督になろうと決意したと告白している)、青年が馬に乗って我が家に帰ってくるのを家族が戸外で見守る構図は、まんまジョン・フォード監督の「捜索者」(1956)だ。そして真っ赤な夕焼けを背景に人物がシルエットで浮かび上がる場面は「風と共に去りぬ」(1939)といった具合。

また、イギリス・テイスト満載のジョン・ウィリアムズの音楽(アカデミー作曲賞ノミネート)の素晴らしさは特筆に価する。過去のジョン作品で言えば「ジェーン・エア」「遥かなる大地へ」「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」などに近い雰囲気。スピルバーグとの友情はデビュー作「続・激突!/カージャック」(1974)からずっと続いている。ジョンが音楽を担当しなかったのは「カラー・パープル」のみ。これはクインシー・ジョーンズがプロデューサーだったから仕方ないよね。

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ヒューゴの不思議な発明(3D)

評価:A

Hugo

アカデミー作品賞、監督賞などにノミネート。撮影賞、美術賞、視覚効果賞、録音賞、音響効果賞の5部門を受賞した。映画公式サイトはこちら

原題はシンプルに"HUGO"であり、この邦題には嘘がある。だって発明をしたのはヒューゴではないからだ。

マーティン・スコセッシ監督が心優しい3Dのファンタジー映画を撮ったと聞いた時は、すごく違和感があった。何故なら「タクシー・ドライバー」(カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞)「グッドフェローズ」「ディパーテッド」(アカデミー作品賞・監督賞受賞)などスコセッシといえば”暴力映画”というイメージだから。しかし本編を観てその疑問は氷解した。

「ヒューゴの不思議な発明」には世界最初の映画であるリュミエール兄弟の「(ラ・シオタ駅への)列車の到着」「工場の出口」(1895)や、エジソン「アーウィンとライスの接吻」(1896)、ジョルジュ・メリエス「月世界旅行」(1902)、D・W・グリフィス「イントレランス」('16)、チャールズ・チャップリン「キッド」('21)、ハロルド・ロイド「要心無用(ロイドの時計台)」('23)、バスター・キートン「The General(キートン将軍)」('27)などサイレントの映像が引用されている。ロイドの「要心無用」は本編の伏線にもなっている。

スコセッシは古いフィルムの修復・保存を目的とする組織「ワールド・シネマ・ファンデーション」のチェアマンを務めており、彼の尽力により「赤い靴」('48)、「アラビアのロレンス」('62)など過去の名作が鮮やかな画面で蘇った。つまり本作は映画(それも初期サイレント)への熱いオマージュになっているのである。スコセッシ版「ニュー・シネマ・パラダイス」と言ってもいい。

ならば3Dである必然性も理解出来る。「飛び出す映像」は魔術師でもあったジョルジュ・メリエスへの敬意の表明であり、そこには21世紀の「見世物小屋」としてのワクワク感がある。駅で脱線する蒸気機関車など効果抜群であった。

ただ僕は上記サイレント作品を殆ど観ているのでスコセッシの意図に甚く共鳴したが、映画史に全く興味のない人が本作を観て、果たして面白いと感じるかどうかは正直良く分からない。

パリの街を見下ろす映像から始まってどんどんカメラが突き進み、モンパルナス駅構内にワン・カットで入ってしまう冒頭のシーンが素晴らしい。往年のヒッチコック映画を髣髴とさせた(スコセッシは「タクシー・ドライバー」の音楽をヒッチコック映画で名高いバーナード・ハーマンに依頼した。それがハーマンの遺作となった)。主人公の少年が駅の時計台に住んでいるという設定は、まるで「オペラ座の怪人」か「ノートルダムのせむし男」みたいで愉しい(どちらもパリが舞台)。またヒロインのクロエ・グレース・モレッツちゃんは文学少女という設定で、少年と蒸気が噴出す地下通路?を駆け抜ける場面で興奮気味に「ジャン・バルジャンになったみたい!」と叫ぶところは爆笑した(ミュージカル「レ・ミゼラブル」を観れば分かります。現在その映画版が撮影中)。

また「ロード・オブ・ザ・リング」3部作で2度アカデミー作曲賞を受賞したハワード・ショアが本作の為に書いた音楽を僕は死ぬほど好きだ!!と最後に強調しておく。惜しくも今回、アカデミー賞はノミネートに留まったが、受賞しても良かったんじゃないかな。

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ロレンツォ・ギエルミ再登場!/バッハ・オルガン作品連続演奏会、最終回@いずみホール

いずみホールへ。

バッハ研究の総本山バッハ・アルヒーフ・ライプツィヒ所長でハーバード大学教授のクリストフ・ヴォルフと、いずみホール音楽ディレクター磯山 雅 (国立音楽大学)教授を芸術監督として続けられてきたこのシリーズも最終回(第10回)を迎えた。

最後を記念して、いままで登場したオルガニストからひとり選び再登板してもらうこととなったそう。企画会議で投票が行われた結果、イタリアのロレンツォ・ギエルミに白羽の矢が当たった。

3年前に聴いた感想は下記。

また演奏会前日、ヴォルフ所長の講演会が催され(ギエルミの演奏付き)、質疑応答もあった。僕は以前より抱いていた疑問をぶつけてみた。

ディズニー映画「ファンタジア」で使用され、ストコフスキーによる管弦楽編曲も有名なJ.S,バッハ/トッカータとフーガ ニ短調 BWV565には昔から偽作説が根強くある。バッハ・コレギウム・ジャパンの鈴木雅明さんがそのことに言及されており(→こちら)、Wikipediaにも記載がある(→こちら)。そこで最新の学説では偽作の可能性が高いのか、それとも真作説が有力なのか質問してみた。するとヴォルフ所長の回答はこうだった。

トッカータとフーガ ニ短調が真作であることは間違いなく、これはバッハ研究者の間でも意見が一致している。ただし非常に若い頃の作品なので、自分を世間にアピールしようという意図が認められ、派手な内容になっている。だから後期のバッハ作品とは作風が異なる。

トッカータとフーガは大好きな楽曲なので、バッハの作品で間違いないと分かり安堵した。また、ヴォルフ所長が「バッハの音楽はパイプオルガンの形に似て、シンメトリー(左右対称)に構成されている」と語ったのが印象深かった。

Izu

  • 前奏曲とフーガ ハ長調 BWV531
  • 前奏曲とフーガ ニ短調 BWV539
  • トリオ・ソナタ 第3番 ニ短調 BWV527
  • 協奏曲 ニ短調 BWV596
  • 《シュープラー・コラール集》
    目覚めよ、とわれらに声が呼びかける
    私はどこに逃れゆくべきか
    ただ神の御旨に従う者は
    私の魂は主をあがめ
    ああ、私たちのもとに留まってください、主イエス・キリストよ
    イエスよ、あなたはいま御空より下り
  • 前奏曲とフーガ イ短調 BWV543

曖昧さはなく非常に明晰で、透明度の高い演奏だった。音色の選択も上品で、明るい。晴れ渡る青空を連想させた。

なお協奏曲はヴィヴァルディ作曲「調和の霊感」の編曲であり、トリオ・ソナタは磯山さんが一番好きな曲だそう。

最後に東日本大震災による犠牲者の冥福を祈り、アンコールが演奏された。

Izu2

なお、今年の8月からやはりバッハ・アルヒーフ・ライプツィヒ協力の下、「バッハ・オルガン作品全曲演奏会」という新企画がスタートする。年2回、7年間かけるという壮大なプロジェクトに期待したい。今までの経験上、ヴォルフ所長が選ぶオルガニストに間違いはない。

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「砂糖合戦」「強情灸」/柳家三三で北村薫。

3月11日兵庫県立芸術文化センターへ。柳家三三さんのひとり舞台。

東日本大震災から丁度一年という特別な日だからか、開演前の会場にはJ.S.バッハ/G線上のアリアや、ゴルトベルク変奏曲が静かに流れていた。

3

  • 《円紫さんと私》シリーズより 「砂糖合戦」
       仲入り
  • 強情灸(古典落語)
  • 柳家三三×北村薫/対談(司会:戸塚成)

このシリーズは前回も聴いた。北村薫や《円紫さんと私》のことはそちらで詳しく語ったので、下記をお読み下さい。

観客のうち女性率は7~8割。戸塚プロデューサーが挙手を求めたところ、既に原作を読んでる人が8割。三三さんが「away感があります」とポツリ。なお彼が原作を読んだのは中学生の時で、それからのファンだという。

砂糖合戦」では紅茶がロココ的でコーヒーはバロックを連想させるという話題が登場する。成る程と想った。紅茶を飲んでいるのは貴族的雰囲気があるし、一方バロックの巨匠J.S.バッハは「コーヒー・カンタータ」を作曲している。またシェイクスピアの「マクベス」に登場する3人の魔女の台詞「きれはきたない、きたないはきれい」が引用されており、これは下記記事で論じた内容のヒントとなった。

強情灸」は頑固な主人公がいかにも江戸っ子で、気風がいい。

対談では江戸の火消しには「いろは四十八組」あったが「へ」「ひ」「ら」「ん」組はなかったという話題が。「へ」は屁、「ひ」は火を想起させ、「ん」は語呂が悪いといった具合。その代わりに「百」「千」「万」「本」が使われたという。

三三版「砂糖合戦」が初演されたのは2011年3月26日、東京。東日本大震災の直後だった。会の後に北村薫さんのサイン会があり、福島県から来たというお客さんも。「地震の後は本が読めなくなった。でもここで描かれている日常に救われた」と語ったという。それを聞いた北村さんも勇気をもらったと。また三三さんは「真摯に、一生懸命生きる。それが生き残ったものの使命です」と力強く宣言された。

北村さんは最初、この企画が持ち上がった時に、「和服を着て座布団に正座して演じるのかな?」と思われたそう。しかし三三さんはスーツを着て立って登場、やがて高座に腰掛けるというスタイルにされた。その理由について「落語というのは本来、演者がナレーションをしたり、会話で進めていきます。しかしこの小説はひとり語りであり、視点が『私の目』に固定されている。だから(落語と)違うものとして、あの形がやり易かったんです」と解説された。

「三三」(さんざ)と命名された理由について、小三治師匠が「耳でスッと聞けて、漢字を見て『エッ?』と目立つように」と付けたという。ただこれを寄席文字で書くとパッとしないのが難点だとか。

色々面白いエピソードも聴けて、有意義な会だった。

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人生はビギナーズ(beginners)

評価:A

クリストファー・プラマーが82歳という史上最高齢でアカデミー助演男優賞を受賞したことで話題になっている。アカデミー賞が今回84回目。プラマーはオスカー像に向かって「君とは2歳しか違わないのに、今まで会う機会がなかったね!」と茶目っ気たっぷりにスピーチし、満場の喝采を浴びた。

映画公式サイトはこちら

Beginners

僕がクリストファー・プラマーを初めて観たのは中学生の時。映画「サウンド・オブ・ミュージック」(1965)のトラップ大佐だった。その時は「この人、大根役者じゃない?」というのが第一印象だった。なんだか、いつもニヤニヤしているんだよね。「そこは薄ら笑いを浮かべる場面じゃないだろう!」と子供心に思ったんだ。

ところがこの人は老いるにつけて良くなっていった。まずはなんと言ってもカルト映画「ある日どこかで」(1980)における、ヒロイン(舞台女優)のマネージャー役だろう。これは威厳があって味のある演技だった。

アカデミー作品賞を受賞した「ビューティフル・マインド」(2001)も良かったなぁ。

さて、「人生はビギナーズ」である。ここでのプラマーは妻と死に別れ、75歳にして「私はゲイだ」とカミング・アウトするという役柄。これはマイク・ミルズ監督の実体験(実父のエピソード)を元に書かれている。

いやぁ、この作品はクリストファー・プラマーに尽きる!助演でありながら存在感が圧倒的。紛れもなく彼の生涯、最高の演技であった。息子役のユアン・マクレガーも悪くないが、霞んじゃうよね。

この映画を観ながらつくづく感じたのは、人間という存在は誰もが孤独であり、身を寄せ合い孤独に孤独を重ねて生きざるを得ないということ。アメリカ映画でありながら、どこかヨーロッパ映画の匂いを漂わせる作風であった。

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「魔法少女まどか☆マギカ」を語ろう!

魔法少女まどか☆マギカ」略称「まどマギ」は最初、絵柄から言っても「クリーミーマミ」みたいなロリコン・アニメか、「美少女戦士セーラームーン」のように幼い女の子のためのアニメだとずっと信じ込んでいた。つまり僕には無縁ということだ。

ところがどうも様子が違うと直感したのは2011年12月にこの作品が文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞受賞した時である。エッ、そんな大人の鑑賞に堪えうるものなの??調べてみると同年10月には日本SF大賞にもノミネートされ、最終候補のひとつに残ったという。エ、エ、SF大賞!?

作家の宮部みゆきはSF大賞の選評で本作を次のように評価した。

よき企みがあるミステリーとして幕を開け、それぞれに自己実現を希う少女たちの友情物語として進行し、終盤でミステリーの謎解きのために用意されていたSF的思考が披露されるという、実に贅沢な造りになっています。

「誰かの幸せを願った分、別の誰かを呪わずにいられない」。劇中で繰り返されるこの言葉は、見事に人間の業を言い当てています。それが、年齢性別を問わず、観る者の心を揺さぶるのです。今回、小説の方に桁違いの傑作があったことで損をしてしまいましたが、私には忘れがたい作品でした。

本作(全12話)は2011年1月から4月までTBS系の深夜枠で放送されたという。つまり端から子供向けではなかったのだ。

公式サイトはこちら。さらにアメリカの公式サイトはこちら。既に3部作での映画化も決まっている(テレビ版再編集2本+完全新作1本)。

Madokamagica

評価:AAA

第2話までは学園ドラマ+魔法少女もののようにほのぼのとした展開をするが、第3話から急転直下、作品世界の様相はガラリと反転する。エンディングテーマ曲もここで切り替わり唖然とさせられた。またオープニングテーマ曲「コネクト」はあろうことか第10話でエンディングに流れ、その時視聴者は初めて、この歌詞に隠された真実を知り、戦慄することになる。なんという企み!!

物語の前半は基本的に「新世紀エヴァンゲリオン」のプロットを下敷きに進行する。碇シンジ@エヴァの優柔不断で引きこもり気味の性格は主人公のまどかに、そして攻撃的性格は美樹さやかに分配される。感情表現の乏しい綾波レイ@エヴァは暁美ほむらに、いイメージで活発、物語の途中で他所からやって来る惣流・アスカ・ラングレー@エヴァは佐倉杏子といった具合に継承されている。本作における「魔法少女になる」という行為は「エヴァンゲリオンに乗る」ことと同義である。そして「まどマギ」における魔女は「エヴァ」の使徒であることは論を待たない。

しかし、それだけでは終わらない。視聴者は「キュウべえ」というキャラクターが実はゲーテの「ファウスト」におけるメフィストフェレスの役割を担っていることを後に知ることになる。

またシェイクスピアの「マクベス」に登場する三人の魔女の台詞"Fair is foul, and foul is fair."(きれいはきたない、きたないはきれい)が「まどマギ」の世界を紐解く鍵になっていることにも気付かされる。

さらに後半、キャラクターの一人がタイム・トラベラーだったことが明らかにされる。ここで筒井康隆「時をかける少女」(あるいはアメリカ映画「恋はデジャ・ブ」Groundhog Day)のエッセンスがぶち込まれる。

驚きははまだまだ続く。卑弥呼、クレオパトラ、ジャンヌ・ダルク、アンネ・フランクも魔法少女だったという設定には頭がクラクラした。すごい、凄過ぎる……。な、な、なんなんだ、この気が遠くなるような壮大な物語は!!!アニメ版「2001年宇宙の旅」だと評しても過言ではあるまい。

また劇団イヌカレーが担当した登場する魔女たちのデザインや、それらが蠢く異空間の美術が素晴らしい。芸術の域に達している。梶浦由記の音楽も印象深い。

象徴的な背景画にも注目したい。例えば屋外でまどか杏子さやか救出について話し合っている場面に人魚とユニコーン(一角獣)の看板が登場する。ここでさやかの運命がアンデルセン童話「人魚姫」に擬えられていることが明らかとなり、また杏子がユニコーン(=その角には蛇などの毒で汚された水を清める力がある)になる未来を暗示するのである。

まどかの母と友人(担任の先生)がバーで語り合う場面ではその壁画がミケランジェロの「最後の審判」になっており、来たる「ワルプルギスの夜」(ベルリオーズ/幻想交響曲の最終楽章も同名)が最後の審判の日であることを示している。

「新世紀エヴァンゲリオン」は日本のアニメ界にとってエポック・メイキングな作品だったが、エヴァの大きな傷は庵野秀明が大風呂敷を広げ過ぎて、最後に収拾がつかなくなり物語が破綻したことにある(テレビ版最終回、旧劇場版ともに)。しかし「まどマギ」はそんなことは微塵もなく、見事に完結した。圧倒的な体験であった。これは21世紀の新しい地平を開く、桁外れの傑作である。

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ものすごくうるさくて、ありえないほど近い(EXTREMELY LOUD & INCREDIBLY CLOSE)

評価:A

Extremely_loud_

アカデミー作品賞にノミネートされた。公式サイトはこちら

元々アスペルガー症候群(軽度自閉症)があり、さらに父親(トム・ハンクス)を9・11で失った為、PTSD(心的外傷後ストレス障害)も患った少年の再生を描く作品である。

痛ましい映画だ。途中、少年は自傷癖もあることが明らかになったりもする。

しかし3・11を体験し、やはりPTSDに陥った我々日本人にも共感できる物語だと言えるだろう。映画館の暗闇の中、あちらこちらからすすり泣く声が聞こえた。

次第に少年の心は人々との交流で癒されていき、最後には希望が残る。だから後味も決して悪くない。お勧め。脚色は「フォレスト・ガンプ」「アポロ13」「ベンジャミン・バトン」のエリック・ロス。

「リトル・ダンサー」でも感じたことだが、スティーヴン・ダルドリー監督は少年を演出するのが上手いなぁ。ほとほと感心した。また母親役のサンドラ・ブロックがいい味出している。僕は昔この人が嫌いだったけれど、年取ってすごく良くなった。

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ALWAYS 三丁目の夕日'64 (3D)

評価:

前作に僕は最低評価のをつけた。

いま読み返すと「あざとい」だの「救いようがない」「自己模倣」だのボロカスだ。

映画公式サイトはこちら

今回の3作目はいい作品だ。高度経済成長で驀進する日本・東京の下町で、それに背を向け、やせ我慢して生きてゆく市井の人々が描かれる。それは3・11を体験した我々に、これからどう生きるべきかという問いかけにもなっている。しみじみ泣ける。そして希望もある。ただし本作はドキュメンタリーではないし、「あの頃は良かった」というノスタルジー映画でもない。そこは勘違いすべきではないだろう。

そもそも脚本・監督の山崎 貴は1964年長野県松本市生まれであり、この時代の東京を知っている筈もない(彼は高校まで松本市で過ごした)。だからある意味これはファンタジーである。

僕はまだ生まれていないが、文献など読んだり当時の映像を見たりすると1964年の東京は本作で描かれるような希望に溢れた美しい街では決してなかったことが分かる。60年には安保闘争があり、学生たちは左翼運動で血気盛んだった(そのあたりのことは「コクリコ坂から」でしっかり描かれている)。社会でもさまざまな軋轢があり、労働組合の集会(メーデー)、部落(同和)問題などで殺伐としていた。そして公害による大気汚染(光化学スモッグ)、水質汚染はピークに達していた。

日本映画に目を転じると、山本薩夫(白い巨塔)、今井正(橋のない川)、熊井啓(帝銀事件 死刑囚、黒部の太陽)、浦山桐郎(キューポラのある街、非行少女)、大島渚(日本の夜と霧、飼育)など、いわゆる「社会派」と呼ばれる左翼の監督たちが「問題作」を次々に発表し、社会を告発していた。宮崎駿は東映動画労働組合の書記長として、高畑勲は同副委員長という立場で会社と闘争していた(後に退社)。決していい時代でもなければ、人々は幸福でもなかった。少年犯罪も現在と比較し、圧倒的に多かった。→警視庁統計へ

映画とは花も実もある絵空事である。ここに描かれたことだけが真実ではない。そのことを踏まえた上で、心地よい2時間をお過ごしあれ。

最後に、はっきり言って本作が3Dである意味は全くなかった。東京タワーの尖塔を俯瞰で捉えるショットと編隊飛行するジェット機が画面を飛び出してくる場面だけが効果的だった。

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あれから一年 3・11に想う

東日本大震災、福島原発事故から一年が経過した。あの日から僕たちを取り巻く世界の様相は一転した。

1945年8月15日、日本は敗戦を迎えた。度重なる大都市への空襲(絨毯爆撃)、広島・長崎への原爆投下によりわが国は焦土と化した。そしてGHQ支配の中で新しい憲法が生まれた。

あの時、従来まで正しいと信じてきた価値観が根底から覆され、多くの人々は絶望感に囚われただろう。わが国は一旦リセットされ、ゼロからの出発となった。しかし僕たちの先達は再びしっかりした足取りで歩み始め、高度経済成長を経て現在の豊かな日本を築き上げた。

現在、震災の翌日3月12日未明には既に福島第1原発1号機でメルトダウン(炉心融解)が起こっていたことが明らかになっている。そして遅くとも14日までに日本政府は1~3号機がメルトダウンに至ったことを把握していた。しかしその事実は隠し続けられ、政府・東電が正式に事実を公表したのはそれから2ヵ月以上経過した5月24日であった。

経済産業省原子力安全・保安院は事故直後に原子力事故・トラブルの国際評価尺度で「レベル4」と過小評価し、3月18日に米国スリーマイル島原発事故に相当する「レベル5」、そして4月12日になって漸く旧ソ連チェルノブイリ原発事故と同じ「レベル7」に引き上げた。

放射性物質拡散予測SPEEDIのデータは日本政府からアメリカ軍に3月14日に提出されていた。しかし日本国民にこれが公開されたのは4月25日以降である。

そして3月17日、アメリカ政府は福島原発から80Km圏内の自国民に対し、避難勧告を出した。同日、フランス大使館は首都圏在住のフランス人に対し、被曝による健康被害を抑える 「安定ヨウ素剤」の配布を開始した。

一方、日本政府が避難指示を出したのは福島原発から20Km圏内。20~30Km圏内は「屋内退避」、後に「緊急時避難準備区域」となった。原発周辺住民に対し、ヨウ素剤の服用が指示されることは一度もなかった。

8月27日に埼玉県で開催された放射線事故医療研究会は「当時の周辺住民の外部被曝の検査結果などを振り返ると、安定ヨウ素剤を最低1回は飲むべきだった」と指摘した。

日本政府と外国政府の対応のどちらが結局正しかったのか?火を見るより明らかだろう。日本政府はメルトダウンの早期公表、情報公開によるパニックを恐れた。しかし果たして本当に人々はパニックになり、それによる略奪や暴動、死者の発生はあっただろうか?僕はそうは思わない。日本人はもっと冷静で賢い民族である。阪神淡路大震災における人々の行動を見てもそう確信する。

今回の事故で明らかになったことは、いざという国家的危機の時、政府は決して自国民を守ってくれないということである。自分の身は自分で守るしかない。1945年、ソ連軍の侵攻により関東軍に見捨てられた満洲国の開拓民たちと同様に(詳しくはNHKドキュメンタリー・ドラマ「開拓者たち」をご覧あれ。再放送予定あり)。歴史は繰り返される。

誤解のないよう言っておくが、僕は民主党政権のみを非難しているわけではない。そもそも原発推進政策を長年行ってきたのは自民党政権時代である。つまり今回の大震災は官僚を含め、戦後政治のあり方そのものにNO!を突きつけたのである。我々は原点の1945年当時に立ち返り、現在の日本のシステムをもう一度リセットする必要がある。そのためにはまず、日本国憲法そのものからの見直しが絶対不可欠であろう。わが国の憲法はその公布から施行に至る過程で、一度も国民投票にかけられたことがない。改正には国民投票を義務付けられているにもかかわらずである。これはどう考えてもおかしい。たとえこのまま継続するにせよ、一度は国民投票を実施し、憲法を信任することから始めよう。一からの出直しである。3・11以前の日本をそのまま継続することは絶対に許されない。それが生き残った僕たちの使命である。

過去5年間で日本の首相は6人交代した。ねじれ国会は何も決められない。二院制による議会制民主主義は疲弊し、限界に達している。そして今回の原発事故で敗北したのは従来の政治手法だけではない。政府発表をそのまま垂れ流すだけだった日本のマスコミの体たらくぶりも酷かった。これでは戦時下における大本営発表と何ら変わらないではないか。実に情けない。マスメディアのあり方自体もリセットする必要がある。猛省を促したい。

広島の原爆慰霊碑には「安らかに眠ってください 過ちは 繰返しませぬから」と刻まれている。しかし僕ら日本人は結局、別の形で自ら過ちを繰り返してしまった。

3・11以降、僕は「この国は一体、どうなってしまうのか?」と暗澹たる気持ちになり、絶望感に何度も襲われた。日本人の多くは放射能への恐怖で抑うつ状態となり、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に陥った。しかし一年経過した今、なんとか復興できるかもしれないという希望の光がようやく見えてきた。日本人は辛抱強い。僕たちは負けない。諦めない。

どうかもう一度だけ、やり直すチャンスが与えられますように。

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笑福亭受賞者の会/鶴瓶「紅寄席」

3月6日(火)@繁昌亭

笑福亭鶴二さんが第6回繁昌亭大賞を受賞したのを祝う会。他の出演者も過去に受賞した噺家ばかり。

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  • 笑福亭たま/鼻ねじ(隣の桜)
    第2回 輝き賞/第4回 創作賞受賞
  • 笑福亭銀瓶/持参金
    第3回 奨励賞/第4回 繁昌亭大賞受賞
  • 笑福亭三喬/べかこ
    第1回 繁昌亭大賞受賞
  • 笑福亭鶴笑/パペット落語「義経千本桜」
    第2回 爆笑賞受賞
  • 笑福亭鶴二/らくだ
    第6回 繁昌亭大賞受賞

満席。たまさんは新作ネタおろしの会「できちゃったらくご!」の客が28人だったことを例に出して本編へ。彼の「鼻ねじ」はもう3回くらい聴いたが、どんどん変わってきている。加速する落語。お見事!

銀瓶さんはシュッとして軽やか。上手い。この人の端整な芸風は笑福亭というよりは、どちらかというと米朝一門に近い気がする。

三喬さんの「べかこ」はもう5~6回目。演り過ぎ。飽きた。

鶴笑さんは「僕でも『帯久』や『らくだ』を出来るんですよ。演ってみましょうか?5秒で済みます」と。爆笑!鶴二さんより8歳年上の鶴笑さん。入門当時、鶴二さんは「頼りない高校一年生でした」松鶴から稽古をしてもらえないので、掃除・洗濯・買い物や、ふたりでプロレスごっこをしていたそう。鶴笑さんの初高座は師匠宅があった粉浜の勉強会で、入場無料。お客は5人だったとか。ネタは「東の旅 発端」で、頼んでいた三味線のお師匠さんが都合で来られなくなり「その道中の陽気なこと!」の件でお囃子は鶴二さんの太鼓しかなかった。

パペット落語「義経千本桜」は僕が初めて鶴笑さんを聴き、衝撃を受けたネタ。4年ぶりの再会で、すごく嬉しかった。

鶴二さんはマクラで、先輩落語家に「ミュンヘン」(ビアホール)に連れて行ってもらい、冷奴1個だけをあてに空腹に耐えながら6時間酒を飲み続けたというエピソードを披露。「こういうのが粋なんや」と言われたそう。

らくだ」はカットなし。願人坊主が登場し、千日前の火屋まで行って「冷酒(ひや)でもいいから、もう一杯」のサゲまで。「どぶさってけつかると思ったら、ゴネよった」など下品な口調もさまになっており、やはりこのネタは笑福亭がピカイチだなとほとほと感心した。

3月7日(水)@繁昌亭

Kurenai

桂文さんを偲ぶ会。

  • 笑福亭喬若/時うどん
  • 笑福亭由瓶/阿弥陀池
  • 笑福亭三喬/抜け雀
  • 笑福亭鶴瓶/錦木検校

由瓶さんは汗だくになりながら始終ハイテンションの熱演なのだけれど、強弱の変化がなくて一本調子なんだよね。聴いていて疲れる。いい資質を持っているが、それを生かしきれていないと想う。

三喬さんはマクラで大師匠・松鶴の言葉を引用し「汗かく噺家で上手い奴おらへん」と。場内大爆笑!彼の「べかこ」には正直食傷気味だが、「抜け雀」はさすがの老練さ。特に「婿養子」を強調するくすぐりは可笑しかった。

仲入りをはさみ、毎日放送「ちちんぷいぷい」の西アナウンサーが登場。二日前に鶴瓶さんから電話があり、「お前にマクラをまかせた!」と。そして前日にファックスで原稿が届き、それを朗読された。

 江戸時代には士農工商同様に盲人にも身分制度があり、低い方から按摩座頭勾当(こうとう)→別当(べっとう)→検校(けんぎょう)だったとの説明あり。

錦木検校」は按摩とお殿様の清々しい友情物語である。鶴瓶さんは「心の目」を強調。亡くなったお母さんのモットー「ネアカ元気でへこたれず」も挿入しながら、各役柄の演じ分けも巧みで、絶品の高座であった。このネタと「らくだ」こそ、鶴瓶落語の真髄であるとここで断言しよう。

最後はサプライズで桂文福さんまで登場し、得意の相撲甚句を披露。大変めでたい気持ちで繁昌亭を後にした。

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丸谷明夫(特任教授)指揮!/大阪音楽大学 吹奏楽演奏会(創立100周年プロジェクト)

3月4日(日)ザ・シンフォニーホールへ。

Maru

以前聴いた短期大学部とは違い、今回は大学4年生が中心。バンダ(金管別働隊)は2年生や3年生が演奏。

第1部は大阪府立淀川工科高等学校の名誉教諭でもある丸谷明夫 先生(丸ちゃん)が指揮。音楽大学では吹奏楽指導法の特任教授である。

  • リード/音楽祭へのプレリュード
  • ホルスト/吹奏楽のための第2組曲
  • ヴェルディ/歌劇「アイーダ」より凱旋行進曲とバレエ音楽
    (木村吉宏 編)

音楽祭へのプレリュード」はゆったりとしたテンポで雄大な演奏。丸ちゃんが淀工吹奏楽部を指揮するときは極めて速いテンポだが、大学生やなにわ《オーケストラル》ウィンズなどプロを振るときは若干テンポを落とすのが特徴である。高校生がゆっくり演奏するとボロが出るからだろう。

ホルストはカチッと引き締まった演奏。第2曲「無言歌」のオーボエ・ソロはしっとりと歌う。終曲は躍動するリズムが心地よい。

アイーダのバレエには疾走感があった。客席から向かって舞台正面のパイプオルガン脇にアイーダ・トランペットが6名。また後方2階席両サイドにトランペット、トロンボーン、ホルン、ユーフォニアムのバンダが陣取る。抜群のサラウンド効果だった。

第2部の指揮は北野 徹 教授。

2012年度全国吹奏楽コンクール課題曲より

  • 福田洋介/さくらのうた
  • 土井康司/行進曲「よろこびへ歩きだせ」
  • 足立 正/吹奏楽のための綺想曲「じゅげむ」
  • 和田 信/行進曲「希望の空」

さらに、

  • ヴァン・デル・ロースト/いにしえの時から
  • スパーク/宇宙の音楽

課題曲「さくらのうた」を聴いて「アニメの主題歌みたい!」と想った。久石譲の影響をモロに感じた。強弱やメリハリに乏しく、コンクールで勝てない曲。

よろこびへ歩きだせ」は単に音楽として詰まらない。

じゅげむ」は「とおりゃんせ」風で気に入った。リズムセクションが大活躍。

希望の空」は映画「となりのトトロ」の「さんぽ」を髣髴とさせ、ニヤニヤしながら聴いた。「さくらのうた」の福田が1975年、「希望の空」の和田が1977年生まれ。この世代は宮崎アニメ、久石さんの音楽体験が強烈なのだろう。

いにしえの時から」と「宇宙の音楽」はどちらも原曲が金管バンド用の音楽で、作曲家自身が編曲したもの。

いにしえの時から」冒頭はオケゲム、ジョスカン・デ・プレなどルネッサンス期のフランドル地方の音楽を連想させ、途中ティンパニが高鳴るとさすが「スパルタカス」の作曲家らしく野生の本能が目覚める。再び古典的佇まいとなり美しいサックス・ソロが奏でられる。なお、この楽器を創造したアドルフ・サックスはヴァン・デル・ローストと同じベルギー出身である。そして速いパッセージへと切り替わり、喧騒のフィナーレとなった。

2005年6月3日、山下一史/大阪市音楽団がザ・シンフォニーホールで「宇宙の音楽」吹奏楽版を初演した。その場に僕もいた。そして吹奏楽コンクールでは福岡県代表の精華女子高等学校がこの曲を2度自由曲で取り上げ、いずれも金賞を受賞している。その演奏も普門館で聴いている。

冒頭のホルン・ソロは「t=0」、つまりこの宇宙が生まれる前の無の状態を表し、「ビッグバン」を経て「孤独な惑星」(=地球)「小惑星群と流星群」「宇宙の音楽」(=ピタゴラス音階)「ハルモニア」(=ピタゴラスが説いた宇宙の真理との調和)「未知へ」と続く。美しいハーモニー。この曲はスパークの最高傑作だと改めて確信した。

アンコールは

  • スパーク/陽はまた昇る
  • K. & W. レスリー/マドリードへの夜間飛行

東日本大震災以降、スパークの「陽はまた昇る」は折に触れ何度も聴いたなぁという感慨に耽った。

そこにはイギリス人スパークと日本人との絆があり、音楽に国境はないということをしみじみ感じ入った。

未曾有の、大変な一年であった。

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文珍・市馬二人会/第二十回朝日東西名人会

3月1日(木)シアター・ドラマシティへ。朝日東西名人会はこれが最終回だそうである。

出囃子の笛を担当したのは笑福亭喬若さん。彼の落語は面白くないが、笛は滅茶苦茶上手い。プロ級の腕前。

  • 桂阿か枝/千早ふる
  • 桂 文珍/新版・豊竹屋
  • 柳亭市馬/富久
  • 柳亭市馬/雛鍔(ひなつば)
  • 桂 文珍/猿後家

文珍さんはスマートフォンやiPadの話題から、指で拡大する癖が付き、ついついテレビにもしてしまうと言って開場の笑いを誘う。そして北島三郎さんのコンサートに行った話題へ。さらに吉田拓郎の「ガンバラナイけどいいでしょう」や「フキの唄」の歌詞を紹介し、「キテル!」と。さだまさし、由紀さおりの名前も飛び出し、実に愉快なマクラであった。また市馬さんの歌について、「はっきり言って落語より上手い」と。確かに!

新版・豊竹屋」は舞台を現代に移し、「文楽茶屋」が登場。

市馬さんは小学校2年生の時、学校で三橋美智也の「哀愁列車」を歌ったそう。惚れ惚れするようないい声!落語はフツーだけど、歌だけで満足、満足。

師匠・文枝が得意とした「猿後家」について文珍さんは「燃料効率が悪いネタ。(稽古で)苦労する割りに笑いが少ない」と。でも十分聴き応えのある、充実した高座だった。

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桂九雀/噺劇一座「文違い」「おせつ徳三郎」

道頓堀ZAZAへ。

Hanashi

  • 桂九雀/道具屋
  • 噺劇「文違い」
  • 噺劇「おせつ徳三郎」
  • 総おどり

噺劇(はなしげき)前回の感想はこちら。要するに落語を演劇の形式で見せる。着物を着て演じ、小道具は落語で用いる扇子と手拭のみ。背景なし。お囃子付き。

「この会の首謀者です」と言いながら登場した九雀さんは前説で「落語は聴き手の想像力の助けを必要とする、つまりアホに聴かせても無駄な芸です」と。確かに!

道具屋」は藤子・F・不二雄が登場したり独自の工夫、くすぐりがふんだんにあり。

今回は芝居噺がなかった為か、歌舞伎的様式美よりも大衆演劇に寄り添ったいう印象を受けた。若干物足りなさも感じたが、それはそれで分かりやすく、面白く観ることが出来た。

特に「おせつ徳三郎」の最後はZAZAのある道頓堀に場面が移るので、臨場感があった。

紅萬子さんはさすがの貫禄。青野敏行さんは活舌が悪いが、その人徳に魅せられた。

総おどりは「桃太郎」と「かっぽれ」。賑やかで愉しい会だった。

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笑福亭福笑 たま/たった二人の一門会

2月18日(土)繁昌亭へ。

Tama

補助席、立見も出て超満員。

  • 笑福亭たま/猿之助歌舞伎(たま 作)
  • 笑福亭福笑/桃太郎
  • 笑福亭たま/宿屋仇
  • 笑福亭福笑/浪曲やくざ(福笑 作)

なんといってもこの日圧巻だったのは福笑さんの「桃太郎」。講談の人情噺風に始まり、それが芝居噺に転換。鬼気迫るものがあった。

たまさんの「宿屋仇」は兵庫の若い衆の会話にスピード感があった。

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ロイド=ウェバー作曲/ミュージカル「ラヴ・ネヴァー・ダイズ」(「オペラ座の怪人」続編)鑑賞記

アンドリュー・ロイド=ウェバーが作曲した「ラヴ・ネヴァー・ダイズ」(Love Never Dies)を日本語字幕付きブルーレイで観た。オーストラリア・メルボルン公演版である。

Love1

「オペラ座の怪人」続編計画は20世紀終わりごろからあった。1998年にロイヤル・アルバート・ホールで開催されたロイド=ウェバー生誕50年を祝うコンサートでは「オペラ座の怪人2」に使用する予定のソロ曲がキリ・テ・カナワにより歌われた。

しかし、作曲家からの依頼でフレデリック・フォーサイス(「ジャッカルの日」「オデッサ・ファイル」)が執筆した小説「マンハッタンの怪人」が1999年に出版されるも、非常に出来が悪く、この計画は一旦頓挫する。そしてキリ・テ・カナワが歌った曲は2000年にロンドンで初演された新作ミュージカル"The Beautiful Game"に流用された。

「オペラ座の怪人」続編計画が持ち上がった時から、ファンの間では「ロイド=ウェバーも、とち狂ったか?」「馬鹿なことはよせ」「名作を汚すな」と批判的意見が大勢を占めていたので、これでさすがに作曲家も諦めたかに思われた……しかしそうではなかった。

Loveneverdies

問題作「ラヴ・ネヴァー・ダイズ」は2010年3月9日にロンドンで初日を迎え、2011年8月27日に千秋楽となった。約1年半という短命であり、どの程度の出来か推察出来るだろう。ちなみに他のウェバー作品のロンドンにおけるロングラン記録を列挙してみよう。

ジーザス・クライスト・スーパースター」 6年
エビータ」 7年半
キャッツ」 21年
スターライト・エクスプレス」 18年
オペラ座の怪人」 昨年25周年を迎え、現在も続演中。
アスペクツ・オブ・ラブ」 3年
サンセット大通り」 3年半

今回物語は大きく見直されたが、パリ・オペラ座の事件から10年後、ニューヨークのコニー・アイランドに舞台を移すという設定は「マンハッタンの怪人」からそのまま踏襲されている。

メルボルン公演は2011年5月より始まり、現在はシドニーで続演中。公式サイトはこちら。ブロードウェイと日本での上演は決まっていない。むしろその可能性が低いからこそ、プロモーションの意味をかねてこの早い時期にDVDとブルーレイがリリースされたのだろう。オーストラリア版では台本に手が加えられ、新演出かつ衣装もセットも一新された。

いや~それにしても爆笑した。「作曲家自身の手で、世紀の傑作『オペラ座の怪人』をここまで貶めることができるのか!」と始終笑いっぱなし。むしろ別人が手がけていたら腹が立つだけで、これだけ楽しめはしなかっただろう。このディスクを買って良かったと心から想う。

とにかく突っ込みどころ満載。「オペラ座の怪人」の出来を満点の10とするなら、「ラヴ・ネヴァー・ダイズ」の音楽的完成度は5~6、台本はといったところだろうか。

まず「オペラ座の怪人」で貴公子だったラウルは借金まみれで落ちぶれ、アルコール漬けの毎日を送っている。こんなラウルは見たくなかった……。

「オペラ座の怪人」でパリ・オペラ座バレエ団の団員だったメグ・ジリーは、しがないサーカス団の一員に身を落としている。こんなメグは見たくなかった……。

メグの母親マダム・ジリーも登場するのだが、彼女の告白には仰天させられ、あんぐり口をあけた。そ、そ、そんな事実があったのか!!

「オペラ座の怪人」の魅力のひとつはミステリアスなところで、例えばファントムとクリスティーヌには性的関係があったのか?つまり「やったか、やらないか」をはっきりさせず、観客の想像力に任せていることにあると想う。長年ファンの間でも熱い議論が交わされたものだ。しかし「ラヴ・ネヴァー・ダイズ」は有無を言わさずあっさり答えを提示してしまう。身も蓋もない。ファントムの登場場面も多すぎ。神秘性もへったくれもない。

つまり前作にあった格調の高さがこの続編には欠如しており、薄っぺらくて安っぽい昼メロ(soap opera)に成り下がっている。

ファントム、クリスティーヌ、ラウルの三角関係は前作の繰り返し。観ていて既視感(デジャヴ)に囚われた。

そして物語の終盤、ピストルで自殺しようとするメグ・ジリーを「思い直せ!」とファントムが説得する場面で、僕は思わず「あんさん、以前はそういうキャラと違いましたやん!」と画面に突っ込みを入れた。

音楽の方はゆったりしたバラード系の曲が多く、(「ラ・ボエーム」「蝶々夫人」の)プッチーニ的カンタービレ、甘美さはあるのだけれど、前作の持つ緊迫感に欠ける。なんか全体に緩いんだよね。ただクリスティーヌが歌うソロ"Love Never Dies"はとても美しい曲なので、これだけは唯一、後世に残るかも知れない。

時々「オペラ座の怪人」の旋律が蘇る場面があるのだが、その都度「若い頃はこんなに才能ある音楽を書いてたんだ!」と、ハッとさせられた。しかし、今となっては昔のこと。歳月は残酷である。

このように台本と音楽は三流だが、ファンタスティックで豪華な美術装置と衣装は素晴らしい。クリスティーヌを演じる女優さんは綺麗だし、役者も一流。だから退屈はしない(ただしミュージカルとして、台本と音楽だけが駄目ってどうよ!?という気もするのだが)。

「オペラ座の怪人」におけるファントムは作曲者自身の、そしてクリスティーヌはサラ・ブライトマンのメタファーである。サラは「キャッツ」のジェミマ役として初演オーディションに合格し、ロイド=ウェバーの目に留まった。ふたりは1984年に結婚、サラのためにウェバーは「オペラ座の怪人」を作曲し、86年に初演。さらにロンドンのオリジナル・キャストだけにとどまらず、ブロードウェイでも俳優協会の反発を押し切って彼女をクリスティーヌ役に起用した。しかし1990年、ふたりは離婚した。今回「ラヴ・ネヴァー・ダイズ」を観て分かったのは、ウェバーは未だにサラに未練があり、戻ってきて欲しいんだなということ。その気持ちだけは痛いほど伝わってきた。まこと哀れな男である。

さて、本作がブロードウェイや日本に上陸する日は果たして来るのだろうか!?見ものだね。

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アンドリュー・ロイド=ウェバー《最後の》傑作ミュージカル「サンセット大通り」日本上演をめぐって

アンドリュー・ロイド=ウェバーが作曲したミュージカル「サンセット大通り」の日本初演がようやく決まった。主な出演者は安蘭けい田代万里生鈴木綜馬ら。詳細はこちら

21歳の時に作曲した「ジーザス・クライスト=スーパースター」をはじめ、「エビータ」「キャッツ」「オペラ座の怪人」など若い頃のロイド=ウェバーは確かに天才だった。しかし才能は枯渇することもある。例えば小室哲哉。ビートルズ解散後のレノンやマッカートニーもそう。そして彼らと同じく今のロイド=ウェバーは生きる屍と表現しても過言ではない(「オペラ座の怪人」の続編「ラヴ・ネバー・ダイズ」については後日詳しく語ろう。既にメルボルン公演版をブルーレイで鑑賞済み)。そのウェバーが最後に書いた傑作が「サンセット大通り」である。彼がこの作品の後、すぐ死ぬか引退して(ロッシーニやシベリウスみたいに筆を折り、悠々自適の生活を送って)いれば、人々からその才能を惜しまれたことだろう。世界の人々から「20世紀のモーツァルト!」と賞賛された栄光の日々も、今は昔。

サンセット大通り」はブロードウェイでの上演に際し、トニー賞の最優秀ミュージカル作品賞や楽曲賞など7部門を受賞した。

Sunset_boulevard_poster

本作はビリー・ワイルダー監督の同名映画(1950)を原作としている。サイレント(無声)時代にハリウッドの大女優だったという設定の主人公ノーマ・デズモンド(物語の時点では既にトーキーに移行)を演じたグロリア・スワンソンは撮影当時51歳。当初ワイルダーは引退していたグレタ・ガルボ(当時44歳)を希望したが、断られたそう。

ロイド=ウェバーのミュージカル「サンセット大通り」がロンドンのウエスト・エンドで初演されたのが1993年。その時主演したパティ・ルポンは44歳。またバーブラ・ストライザンドはこの年に発表したアルバム「バック・トゥ・ブロードウェイ」の中で、このミュージカルのナンバー"As If We Never Said Goodbye"を歌った。

(ロサンゼルスのプレミアを経て)ブロードウェイで初演されたのが1994年。グレン・クローズはトニー賞で主演女優賞を受賞した。47歳だった。当初ブロードウェイでも主演する契約をしていたパティ・ルポンはウェバーを訴え、100万ドルを勝ち取った。またグレン・クローズの後、ロサンゼルス公演に主演予定だったフェイ・ダナウェイ(53)は歌が水準にまで達していないと作曲家に判断され解雇となり、こちらも訴訟に発展した。大仕掛けの豪華なセットや度重なる訴訟により、このプロダクションは結局赤字に終わった。

Close

日本では1996年ごろからロイド=ウェバーたっての要望で劇団四季での上演計画があった。ノーマ役は「キャッツ」ロングラン・キャスト版CDでグリザベラを歌っている志村幸美に白羽の矢が当たったが、志村はその直後に肺がんを罹患し闘病生活の末98年に死去。享年39歳だった。そして計画自体も立ち消えになった。

恐らく上演が頓挫した代償の意味もあったのだろう、98年に開催された長野オリンピックのオープニングで総合演出を担当した劇団四季の浅利慶太はウェバーのミュージカル"WHISTLE DOWN THE WIND"から2曲を使用し、森山良子が歌った(「明日こそ、子供たちが…」)。

映画化の話も何度か浮上したが実現には至っていない。「ディパーテッド」「ヒューゴの不思議な発明」のマーティン・スコセッシ監督が一時期、食指を動かしたと聞いている。現時点でノーマの(名前が挙がった)有力候補はライザ・ミネリと、舞台でも演じたグレン・クローズである。またノーマに雇われる脚本家ジョー・ギリス役は是非、ヒュー・ジャックマンに演ってもらいたいと僕は想っている。ちなみに彼はミュージカル「サンセット大通り」オーストラリア公演で同役を演じた(その動画は→こちら)。

そして月日は流れ、21世紀になった。2006年にサッカーを題材にしたロイド=ウェバーの「ビューティフル・ゲーム」が四季以外で初めて上演された(詳細は→こちら)。2007年にはホリプロが笹本玲奈主演でミステリー・ミュージカル「ウーマン・イン・ホワイト」を上演。僕は遂に「サンセット」への道が開かれたと感じた。

以前テレビで、鳳蘭さんと麻美れいさんが「サンセットのノーマを是非、演じてみたい」と異口同音に熱く語るのを見たことがある。日本初演で抜擢された宝塚男役出身の安蘭けいさんは41歳。今回のニュースを聞いて「若過ぎるんじゃないか、ちょっと荷が重いのでは?」と感じた。しかし彼女は優れた歌唱力と演技力の持ち主だから、期待したい。また今後、再演を重ねることで他のノーマも是非観たい。なにしろ沢山の大女優たちが演じたいと希う垂涎の役なのだから。

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