ALWAYS 三丁目の夕日'64 (3D)
評価:B
前作に僕は最低評価のFをつけた。
いま読み返すと「あざとい」だの「救いようがない」「自己模倣」だのボロカスだ。
映画公式サイトはこちら。
今回の3作目はいい作品だ。高度経済成長で驀進する日本・東京の下町で、それに背を向け、やせ我慢して生きてゆく市井の人々が描かれる。それは3・11を体験した我々に、これからどう生きるべきかという問いかけにもなっている。しみじみ泣ける。そして希望もある。ただし本作はドキュメンタリーではないし、「あの頃は良かった」というノスタルジー映画でもない。そこは勘違いすべきではないだろう。
そもそも脚本・監督の山崎 貴は1964年長野県松本市生まれであり、この時代の東京を知っている筈もない(彼は高校まで松本市で過ごした)。だからある意味これはファンタジーである。
僕はまだ生まれていないが、文献など読んだり当時の映像を見たりすると1964年の東京は本作で描かれるような希望に溢れた美しい街では決してなかったことが分かる。60年には安保闘争があり、学生たちは左翼運動で血気盛んだった(そのあたりのことは「コクリコ坂から」でしっかり描かれている)。社会でもさまざまな軋轢があり、労働組合の集会(メーデー)、部落(同和)問題などで殺伐としていた。そして公害による大気汚染(光化学スモッグ)、水質汚染はピークに達していた。
日本映画に目を転じると、山本薩夫(白い巨塔)、今井正(橋のない川)、熊井啓(帝銀事件 死刑囚、黒部の太陽)、浦山桐郎(キューポラのある街、非行少女)、大島渚(日本の夜と霧、飼育)など、いわゆる「社会派」と呼ばれる左翼の監督たちが「問題作」を次々に発表し、社会を告発していた。宮崎駿は東映動画労働組合の書記長として、高畑勲は同副委員長という立場で会社と闘争していた(後に退社)。決していい時代でもなければ、人々は幸福でもなかった。少年犯罪も現在と比較し、圧倒的に多かった。→警視庁統計へ
映画とは花も実もある絵空事である。ここに描かれたことだけが真実ではない。そのことを踏まえた上で、心地よい2時間をお過ごしあれ。
最後に、はっきり言って本作が3Dである意味は全くなかった。東京タワーの尖塔を俯瞰で捉えるショットと編隊飛行するジェット機が画面を飛び出してくる場面だけが効果的だった。
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