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2012年3月11日 (日)

あれから一年 3・11に想う

東日本大震災、福島原発事故から一年が経過した。あの日から僕たちを取り巻く世界の様相は一転した。

1945年8月15日、日本は敗戦を迎えた。度重なる大都市への空襲(絨毯爆撃)、広島・長崎への原爆投下によりわが国は焦土と化した。そしてGHQ支配の中で新しい憲法が生まれた。

あの時、従来まで正しいと信じてきた価値観が根底から覆され、多くの人々は絶望感に囚われただろう。わが国は一旦リセットされ、ゼロからの出発となった。しかし僕たちの先達は再びしっかりした足取りで歩み始め、高度経済成長を経て現在の豊かな日本を築き上げた。

現在、震災の翌日3月12日未明には既に福島第1原発1号機でメルトダウン(炉心融解)が起こっていたことが明らかになっている。そして遅くとも14日までに日本政府は1~3号機がメルトダウンに至ったことを把握していた。しかしその事実は隠し続けられ、政府・東電が正式に事実を公表したのはそれから2ヵ月以上経過した5月24日であった。

経済産業省原子力安全・保安院は事故直後に原子力事故・トラブルの国際評価尺度で「レベル4」と過小評価し、3月18日に米国スリーマイル島原発事故に相当する「レベル5」、そして4月12日になって漸く旧ソ連チェルノブイリ原発事故と同じ「レベル7」に引き上げた。

放射性物質拡散予測SPEEDIのデータは日本政府からアメリカ軍に3月14日に提出されていた。しかし日本国民にこれが公開されたのは4月25日以降である。

そして3月17日、アメリカ政府は福島原発から80Km圏内の自国民に対し、避難勧告を出した。同日、フランス大使館は首都圏在住のフランス人に対し、被曝による健康被害を抑える 「安定ヨウ素剤」の配布を開始した。

一方、日本政府が避難指示を出したのは福島原発から20Km圏内。20~30Km圏内は「屋内退避」、後に「緊急時避難準備区域」となった。原発周辺住民に対し、ヨウ素剤の服用が指示されることは一度もなかった。

8月27日に埼玉県で開催された放射線事故医療研究会は「当時の周辺住民の外部被曝の検査結果などを振り返ると、安定ヨウ素剤を最低1回は飲むべきだった」と指摘した。

日本政府と外国政府の対応のどちらが結局正しかったのか?火を見るより明らかだろう。日本政府はメルトダウンの早期公表、情報公開によるパニックを恐れた。しかし果たして本当に人々はパニックになり、それによる略奪や暴動、死者の発生はあっただろうか?僕はそうは思わない。日本人はもっと冷静で賢い民族である。阪神淡路大震災における人々の行動を見てもそう確信する。

今回の事故で明らかになったことは、いざという国家的危機の時、政府は決して自国民を守ってくれないということである。自分の身は自分で守るしかない。1945年、ソ連軍の侵攻により関東軍に見捨てられた満洲国の開拓民たちと同様に(詳しくはNHKドキュメンタリー・ドラマ「開拓者たち」をご覧あれ。再放送予定あり)。歴史は繰り返される。

誤解のないよう言っておくが、僕は民主党政権のみを非難しているわけではない。そもそも原発推進政策を長年行ってきたのは自民党政権時代である。つまり今回の大震災は官僚を含め、戦後政治のあり方そのものにNO!を突きつけたのである。我々は原点の1945年当時に立ち返り、現在の日本のシステムをもう一度リセットする必要がある。そのためにはまず、日本国憲法そのものからの見直しが絶対不可欠であろう。わが国の憲法はその公布から施行に至る過程で、一度も国民投票にかけられたことがない。改正には国民投票を義務付けられているにもかかわらずである。これはどう考えてもおかしい。たとえこのまま継続するにせよ、一度は国民投票を実施し、憲法を信任することから始めよう。一からの出直しである。3・11以前の日本をそのまま継続することは絶対に許されない。それが生き残った僕たちの使命である。

過去5年間で日本の首相は6人交代した。ねじれ国会は何も決められない。二院制による議会制民主主義は疲弊し、限界に達している。そして今回の原発事故で敗北したのは従来の政治手法だけではない。政府発表をそのまま垂れ流すだけだった日本のマスコミの体たらくぶりも酷かった。これでは戦時下における大本営発表と何ら変わらないではないか。実に情けない。マスメディアのあり方自体もリセットする必要がある。猛省を促したい。

広島の原爆慰霊碑には「安らかに眠ってください 過ちは 繰返しませぬから」と刻まれている。しかし僕ら日本人は結局、別の形で自ら過ちを繰り返してしまった。

3・11以降、僕は「この国は一体、どうなってしまうのか?」と暗澹たる気持ちになり、絶望感に何度も襲われた。日本人の多くは放射能への恐怖で抑うつ状態となり、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に陥った。しかし一年経過した今、なんとか復興できるかもしれないという希望の光がようやく見えてきた。日本人は辛抱強い。僕たちは負けない。諦めない。

どうかもう一度だけ、やり直すチャンスが与えられますように。

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