シリーズ《音楽史探訪》 過渡期の作曲家たち~C.P.E.バッハと本当の「交響曲の父」
ルネサンス期を経て、1600年頃から興ったバロック音楽は大バッハことヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685-1750)によって完成された。そしてそれに続くのがハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンらによる古典派の音楽である。しかし大バッハとハイドンの音楽には連続性が感じられない。両者の間には大きな溝がある。それを埋めるのが過渡期(前古典派)の作曲家たちである。
大バッハには最初の結婚によって7人、2度目の結婚によって13人の子供が生まれた。しかし半数は生まれて間もなく亡くなり、成人したのは10人だけ。そのうち4人が音楽家になった。長男のヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ(1710-1784)と次男のカール・フィリップ・エマヌエル・(以下C.P.E.と略す)バッハ(1714-1788)、ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・バッハ(1732-1795)、そして末男ヨハン・クリスティアン・バッハ(1735-1782)である。
C.P.E.バッハから遅れること18年後に生まれたハイドン(1732-1809)は、貧乏だった10代後半の1750年頃、C.P.E.が作曲した6つのソナタ(恐らくヴュルテンベルク・ソナタとプロイセン・ソナタと推定される)を入手し、「私はこのソナタを全部習得し彼の偉大な手法を獲得するまで、ぼろ(鍵盤)楽器を手放さないだろう」と語ったと文献に残っている。また「私のことを知っている人なら誰でも、私がエマニュエル・バッハに多くを負っており、彼の音楽を理解し勤勉に学んだことに気づくに違いない」とまで言い切っている。だからハイドンが1763年に作曲した交響曲第12番がC.P.E.に似ているのは決して偶然ではない。そして若き日にハイドンの弦楽四重奏曲を筆写して勉強したベートーヴェン(1770-1827)もしかり。
一方、国際的に活躍していたヨハン・クリスティアン・バッハはロンドンで8歳のモーツァルト(1756-1791)に会い、この神童に多大な影響を及ぼした。モーツァルトはロンドン滞在中の1764年に交響曲第1番を作曲、両者の相似はその音楽を聴けば明らかである。この「ロンドンのバッハ」はフォルテピアノに愛着を示した最初の作曲家であり、それはモーツァルトのピアノ協奏曲に結びついてゆく。
つまり音楽史的に、
- C.P.E.バッハ→ハイドン→ベートーヴェン
- ヨハン・クリスティアン・バッハ→モーツァルト
という2つの大きな流れがあったことを理解しておく必要があるだろう。
17世紀、チェンバロのために書かれたスカルラッティのソナタは単一楽章だった。
鍵盤ソナタを3楽章形式に整え、急-緩-急としたのはC.P.E.である。これをハイドンがピアノ・ソナタで踏襲した。
なお急-緩ー急で構成されるイタリア式序曲(シンフォニア)の第3楽章に舞曲であるメヌエットを加わえて交響曲を4楽章に整え、さらにソナタ形式を導入した源流はボヘミア生まれでマンハイム(ドイツ)の宮廷楽長だったヨハン・シュターミッツ(1717~1757)と考えられる(マンハイム楽派の祖)。例えば1750-54頃に作曲されたシュターミッツの交響曲 ニ長調 Op. 3, No. 2の第1楽章プレスト(急速に)を聴いてみて欲しい→試聴。冒頭に第1主題、53秒から第2主題が登場する「提示部」、1分17秒から「展開部」、2分06秒から「再現部」(第2主題→第1主題)というのが明確にお分かり頂けるだろう。第2楽章アンダンティーノ、第3楽章メヌエット、第4楽章プレスティッシモ(きわめて速く)となっている。
それから10年後、1761年頃に作曲された交響曲 第6-8番「朝」「昼」「晩」でハイドンもソナタ形式を用いている。
ちなみに「ソナタ形式」という言葉を定義したのは(音楽形式学)学者のアドルフ・ベルンハルト・マルクスで「楽曲構成論」においてベートーヴェンのピアノ・ソナタを範例として論じた。ベートーヴェンの死後、1850年頃のことである。
さて、C.P.E.バッハの話に戻ろう。まずお勧めしたいディスクは中野振一郎(チェンバロ)による「C.P.E.バッハ作品集」(若林工房)である。ヴュルテンベルク・ソナタ、プロイセン・ソナタ、「優しい恋わずらい」等が収められている。
1742年ごろに作曲され、44年に出版されたヴュルテンベルク・ソナタ 第1番 第3楽章にはソナタ形式の萌芽が認められる。これが元祖と考えられる。ちなみにこの時、父J.S.バッハ(1685-1750)は存命中だった。
C.P.E.の特徴は「突然の休止」「気まぐれ」「感情過多様式」「疾風怒濤」に集約される。そしてそれらはハイドンやベートーヴェンに受け継がれた。
ちなみにハイドンが暗く激しく劇的な音楽を書き「疾風怒濤期」と呼ばれるのは1765~75年ごろ。交響曲で言えば第26番「哀歌(ラメンタチオーネ)」あたりから第65番くらいまで。第44番「悲しみ」45番「告別」49番「受難」などが有名である。
鈴木秀美/オーケストラ・リベラ・クラシカによるC.P.E.バッハ/チェロ協奏曲のディスクもお勧めしたい。まさに「疾風怒濤」の激しいコンチェルトである。C.P.E.のシンフォニアや、それに影響を受けたハイドンの交響曲も収録されている。
またベルリンフィル首席奏者エマニュエル・パユのアルバム「ザ・フルート・キング~フリードリヒ大王の無憂宮の音楽」(EMI)もいい。
C.P.E.のフルート・ソナタ2曲とフルート協奏曲が収録され、C.P.E.が仕えたプロイセンの国王、フリードリヒ2世の楽曲も聴ける。
大バッハの音楽は基本的に教会音楽であり、神のためのものだった。それは厳格であり、規則正しく、数学的である(現代の数学者や物理学者らの多くが大バッハを好むのはこれが理由と考えられる)。その「天上の音楽」を地上に引き戻し、人間的感情を描いたのがC.P.E.であり、後の古典派を導く役割を果たした。
そしてC.P.E.バッハが「発明」したソナタ形式とその音楽表現(疾風怒濤)、そして彼と同時代に生きたシュターミッツが考案した(メヌエットを含む)4楽章形式の交響曲 を結びつけ、発展させたのがハイドンだったと言えるのではないだろうか?
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コメント
交響曲の発達についてのC.P.E.バッハ(とJ.C.バッハ)についての貴見に全面的に賛成です。以前にペテルブルクで大バッハの管弦楽組曲第二番とC.P.EとJ.C.の交響曲、それにハイドンの第一交響曲というプログラムを聴いて以来、ずっと同じことを考えていました。(続けて聴くと連続と断絶がよく判りました)。でも、あまりこういう事に触れて語る人はいないので、素人の思いつきにすぎないのかと思っていたので、わが意を得たりの思いです。
投稿: 匿名希望 | 2012年1月27日 (金) 17時46分
コメントありがとうございます。賛同頂き、とても嬉しく想いました。
投稿: 雅哉 | 2012年1月31日 (火) 07時38分
今年生誕300年ということでC.P.E.Bachを調べていてこのページに突き当たりました。貴重な情報ありがとうございました。ヨハン・シュターミッツはノーマークだったのでとても参考になりました。
ソナタ形式ですが、1742年のヴュルテンベルクソナタNo.1で使われているような気がするのですがいかがでしょうか?特に第3楽章はかなり明確であるように思われます。まず第一主題がイ短調で提示され、移行部(ここに新たな素材、そして運命の動機も導入)を経て、37小節目から第2主題。展開部では各動機を緊密に組み上げて、イ短調で第一主題、第二主題が再現する、という、かなり典型的な感じがします。今のところ、ここから前にどこまで遡れるかをちょこちょこ調べている感じです。
その辺、なにかありましたらまたご教示いただきたく。
素晴らしい記事をありがとうございました。
投稿: Nat | 2014年6月 4日 (水) 23時04分
Natさん、コメントありがとうございます。
ヴュルテンベルク・ソナタ 第1番を聴き、仰るとおりだと確認しました。確かに第3楽章はソナタ形式ですね。僕の認識不足でした。本文を修正したいと思います。
どうやら現時点で言えるのは1742年に作曲され44年に出版されたC.P.E.バッハ作曲(チェンバロのための)ヴュルテンベルク・ソナタが「ソナタ形式」の元祖で、それを交響曲の第1楽章に初めて導入したのがヨハン・シュターミッツ(1750-54頃)ということになりそうです。
投稿: 雅哉 | 2014年6月 5日 (木) 19時13分
こんばんは
はじめまして投稿させていただきます。上原よう子と申します☆(*^▽^*)☆
実は私、高校生の頃から作曲家バッハにメチャクチャ興味を持ち始めましたよだってバッハって音楽の父みたいでメチャクチャカッコいいからですよ!(b^ー°)バッハに興味を持つ以前にヴィヴァルディにも興味があります(b^▽^)b☆d(^▽^d)(ヴィヴァルディに興味持ち始めましたのは実は中学生の頃からです。)バロックの作曲家達は実は演奏家でもあったんですねバッハは音楽の父でありながら、一家の大黒柱でメチャクチャカッコ良く男前になっちゃうし、ヴィヴァルディは赤毛の司祭でありながら、色っぽくメチャクチャお美しくなっちゃうし、まるで音楽の姉御さんみたいです
ヴィヴァルディとバッハ、いつかはイラスト状態で共演してみたいです
よう子「作曲家バッハの肖像画生で見たことありますか」
内海先生「知らんし、生では見たことがないねぇ…。」
なんちゃって
投稿: 上原よう子 | 2014年9月17日 (水) 22時35分