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2012年1月

2012年1月31日 (火)

大植英次/大フィルのオックスフォード&英雄

1月27日(金)ザ・シンフォニーホールへ。

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大阪フィルハーモニー交響楽団 1月の定期は当初、90歳の誕生日を迎えたゲルハルト・ボッセが指揮台に立つ予定だった。しかし大腸がんが見つかり、さらに療養中に持病の心臓も悪くなったため無念の降板。代役を音楽監督・大植英次さんが買って出た。プログラムはオックスフォードとスコットランドと発表されていたが一部変更になった(大植さんはこのメンデルスゾーンのシンフォニーを本番で振ったことがないそうだ)。

  • ハイドン/交響曲 第92番「オックスフォード」
  • ベートーヴェン/交響曲 第3番「英雄」

オックスフォード」の楽器配置は大変ユニーク。これはハイドンがロンドンで演奏旅行したときのものを参考にしたとのこと。具体的には大阪フィルのブログに掲載されたこちらの図面をご参照あれ。弦楽器は完全に左右対称になっている。

ハイドンは歯切れよく、生き生きと弾む演奏。実にリズミカルな快演!

5年前にベートーヴェン・チクルスを振った時は、大植さんの首の持病が最悪の状態で、硬直した鈍重な演奏だった。しかしその後手術をして今は元気一杯。「英雄」第1楽章はしなやかに流れ、推進力を保持。そしてアクセントなど強調する所はしっかり主張し、メリハリがある。一転して第2楽章は重々しく、沈痛。第3楽章は開放感があり爽快。プロメテウス(神)の創造物を讃える第4楽章は力強く調和の美があった。5年前とはまったく別の次元のパフォーマンスであった。

以下余談。大植さんは今回、ボッセ=英雄と見立てたプログラムをされたわけだが、ベートーヴェンが意図した本当の「英雄」とは誰か?を考察するのもなかなか興味深い命題である。巷ではナポレオン・ボナパルトであるという俗説が信じられているが、確証はない。僕は音楽史上、4楽章の交響曲を初めて書いたマンハイム学派の祖ヨハン・シュターミッツのことではないかという仮説を立てている。実はシュターミッツ/交響曲 ニ長調 Op. 3, No. 2の第1楽章 冒頭部と、「英雄」のそれはそっくりなのだ。

さて、読者の皆さんはどうお考えになるだろうか?

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2012年1月27日 (金)

旭堂南湖話術研究会「南湖だんご」(1/20)

ワッハ上方・小演芸場へ。

講談師・旭堂南湖さんのひとり会。客の入りは7人。

  • 講釈師銘々伝 旭堂南北一代記より 茶立虫
  • 赤穂義士銘々伝 大石内蔵助の東下り
  • 無名の碑

開口一番、上方で絶えて久しい講釈場を3年以内に建てたいという夢を南湖さんは熱く語られた。また3月に人間国宝の一龍斎貞水さんが来阪されること、大学浪人時代に堺市泉ヶ丘にある「ヤングタウン」という府の公営住宅に住んでいて、そこの家賃が月1万3千円(バス・トイレ共用)だったこと、大阪市では月2万円の「新婚手当て」を6年間貰えるので、結婚して大阪市内に引越したいう話などが興味深かった。

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月亭遊方のゴキゲン落語会(1/19)

ワッハ上方・上方亭へ。月亭遊方さんThe One and Onlyの会。

  • 開幕前戯噺(遊方の日常あれこれ)
  • わすれうた(遊方 作)
  • 天狗の恩返し(金山敏治 作)

開幕前戯噺では今年の豊富など。月亭可朝・大師匠が以前選挙に出馬した時、公約が「わしはやったる」だったとか。会場は爆笑。

天狗の恩返し」は三年前に聴いている。感想は→こちら。それ以来久しぶりの口演だそう。すごく好きなネタ。

わすれうた」では遊方さんが熱演の余り足の筋を違えたり、「天狗の恩返し」の途中で台詞を忘れ袖から助けてもらったり(プロンプターは多分、弟子の太遊くん)、生の舞台ならではのハプニングがあって、それはそれで愉快だった。

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2012年1月24日 (火)

第40回記念 淀工グリーンコンサート 2012

ザ・シンフォニーホールへ。

Yodo

大阪府立淀川工科高等学校(淀工)吹奏楽部の定期演奏会。土日×2公演=計4公演のうち、最終公演を聴いた。勿論、満席。

Yodo2

まず最初に丸谷明夫 先生(丸ちゃん)の指揮で大栗 裕/大阪俗謡による幻想曲。星組(吹奏楽コンクール選抜メンバー)による演奏。丸ちゃん&淀工はこの曲を過去7回全日本吹奏楽コンクールの自由曲で演奏し、その全てで金賞を受賞している。正に十八番。僕は今まで同曲を大植英次/大フィル、下野竜也/大フィル、また大阪市音楽団でも何度か聴いているが、丸ちゃんに敵う指揮者はいない。つまり「世界一」ということ。鋭い切れ味、サウンドの透明感。そしてアクセル全開の終結部。パーフェクト。演奏が終わると客席が「ウォー!」と、感嘆ともため息ともつかぬ声で地鳴りのようにどよめいた。

続いて2年生の演奏でリード/エル・カミーノ・レアル。容赦なく速いテンポ。熱い演奏。また対照的に中間部、弱音によるハーモニーの美しさが際立つ。

3年生によるカーペンターズ・フォーエバー(真島俊夫 編)は短縮版ではなく全曲版。

OBによるホルスト/組曲「惑星」は現役生とは違ってゆったりめ。大人数なので音圧がすごい。

フレッシュコーナーは1年生の登場。今年度は女子の入部が少なく、フルート9人全員が男子で初心者。スーザ/星条旗よ永遠なれはそんな彼らがピッコロを吹いたが、とても楽器を持って9ヶ月ちょっととは信じがたいレベルの演奏だった。丸ちゃんの指揮は引き締まったリズム感が心地よい。

新入生紹介と曲当てクイズ。「入部の動機は?」というアンケートに対し、「入学してすぐクラブ体験した時、ここが一番楽かと思いました」という回答に場内爆笑。

続いて指揮者が出向井先生(丸ちゃんの教え子で、現在は淀工教諭)に交代し、岩井直溥編曲によるディズニー・メドレー(ミッキー マウス マーチ~小さな世界~ハイ ホー~狼なんかこわくない~いつか王子様が~口笛吹いて働こう~星に願を)

Yodo3

休憩を挟み、後半は全て丸ちゃんの指揮。Introduction to Soul Symphony(楽器紹介)を経てショスタコーヴィチ/祝典序曲。力強いファンファーレに続き超高速テンポ。颯爽とした上昇グリッサンドが快感。また2階席でのOBによるバンダ(金管別働隊)がド迫力だった。

続いてイギリスの作曲家フィリップ・スパークが東日本大震災の復興支援のために提供した「陽はまた昇る」。「バンドエイド」プロジェクトとして作曲の印税および、出版社の販売収益の全ては日本赤十字社の緊急救援基金に寄付される。

そして手書きの「人口掲示板」による歌詞付きで「ふるさと」を聴衆も歌った。編曲は立田浩介さん。淀工のOB(トロンボーン)である。今回改めて、日本人の琴線に触れるいい曲だなぁとしみじみ想った。

プログラムを締めくくるザ・ヒットパレードパラダイス銀河ーホップ・ステップ・ジャンプ(歌と踊り:一年生男子)ーストレッチマンーマル・マル・モリ・モリ!(マルモのおきて、一年生男子)-幸せなら手をたたこう(歌と踊り:一年生女子)-三三七拍子ーChoo Choo TRAIN (EXILE、一列に並びグルグル回るダンスあり)ー明日があるさー乾杯(歌:三年生全員)という構成。三年生はこれが最後のステージなので、泣いている子が多かった。演奏が終わると丸ちゃんが一人一人、全員に握手していく。

アンコールはジャパニーズ・グラフティIV~弾厚作作品集~(お嫁においで、サライ) 六甲おろし行進曲「ウエリントン将軍」

内容てんこ盛りの、充実した3時間であった。

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2012年1月23日 (月)

ロッキー・ホラー・ショー

シアターBRAVA!へ。

ロック・ミュージカル「ロッキー・ホラー・ショー」を観劇。

Rock

1975年の映画版はカルトとしてお馴染み。アメリカでは週末ごとにコスプレをしたリピーターが深夜の映画館に集い、スクリーンの登場人物と共に歌って踊るというパーティ形式の上映が定着した。「観客参加型映画」の元祖である。これに似た例はイギリスで「タイタニック」以上の大ヒットとなったミュージカル映画「マンマ・ミーア!」がある。

Rock2

日本版の演出はいのうえひでのり、出演は古田新太岡本健一笹本玲奈辛源ROLLYほか。

まずバイセクシャル(?)の主人公を演じた古田新太が秀逸。声もよく出るし、妖しい(怪しい)魅力が爆発!笹本玲奈は得意の歌だけではなく、お色気も発散。ミュージカル「RENT」や「MITSUKO~愛は国境を越えて」に出演した辛源も歌唱力があり、今回は上半身裸で肉体美も披露。またロックバンドのボーカル兼ギターとしてデビューしたROLLYもはまり役だった。

ミュージカル「The Who's Tommy」を観た時はいのうえひでのりの演出が映像に頼りすぎで感心しなかったが、今回は映像と舞台装置とのミックスがバランスよく、見事だった。

悪趣味と言われれば確かにそうなのだけれど、そこがこの作品の良さでなんだよね。だからカルトにもなり得た。”変”であることは人間の個性であり、主張だ。そこに魅力が生まれる。

フィナーレは観客も総立ちで歌って踊った。ROLLYによるド派手なエレキギターのパフォーマンスもあり、大いに盛り上がった。

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2012年1月20日 (金)

シリーズ《音楽史探訪》その2 モーツァルトとヨハン・クリスティアン・バッハ

シリーズ第1回 過渡期の作曲家たち~C.P.E.バッハと本当の「交響曲の父」 も併せてお読み下さい。

大バッハの第11子としてライプツィヒに生まれたヨハン・クリスティアン・バッハは14歳の時に父親が他界すると、プロイセン(ベルリン)のフリードリッヒ大王に仕える異母兄カール・フィリップ・エマヌエル(C.P.E.)の家に引き取られ、音楽教育を施された。そしてイタリアを経てイギリスに定住し、「ロンドンのバッハ」として名を馳せている時に8歳のモーツァルトと出会った。

クリスティアン・バッハは、モーツァルトを膝の上に乗せ、一台のチェンバロを連弾して遊んだという。モーツァルトのロンドン滞在は1年4ヶ月に及んだ。その時生み出された交響曲第1番 K.16は正にクリスティアン・バッハの影響を示す三楽章の交響曲で、シンフォニア形式(イタリア式序曲)でありながら、コントラストを もった二つの主題の対立や発展的な旋律法などにクリスティアンが見え隠れする。両者の端的な共通点はドレミファの上昇、あるいは下降音階をベースにメロディを紡ぎだす手法である。また第1シンフォニーの第2楽章は、その後くりかえし用いられる交響曲 第41番 「ジュピター」の第4楽章フーガのモティーフ(ドレファミ)が現れる(ホルンによって奏される)。

クリスティアン・バッハの作品6のうちト短調の交響曲(1770)は後のモーツァルト交響曲 第25番(1773)や40番(いずれもト短調)を予感させる作品である。

またクリスティアンはチェンバロよりも新しい鍵盤楽器フォルテピアノに愛着を示した最初の作曲家であり、モーツァルトのピアノ・ソナタやピアノ協奏曲が生み出される契機となった。モーツァルトはザルツブルクに戻ってからクリスティアンが作曲した作品5のソナタを3つのピアノ協奏曲K.107に編曲している。

モーツァルトの初期交響曲は急-緩-急の3楽章構成で第1楽章がソナタ形式。これはクリスティアンのシンフォニアに倣っている。彼が初めて3楽章にメヌエットを含む4楽章の交響曲を書くのは1767年。この時、一家はウィーンに滞在していた。その際ウィーンのスタイルを吸収したのだろう(ただしこの時点でハイドンはハンガリーの貴族エステルハージ家に仕えていたので、モーツァルトとの接点はなかったものと思われる)。

1770年、父とイタリア旅行中だったモーツァルト(当時14歳)はボローニャでマルティーニ神父から対位法やポリフォニーの技法を学んだ。実は若き日のクリスティアン・バッハもイタリアに留学し、マルティーニに対位法を師事している。1754年のことであった。

また1777年にモーツァルト(21歳)はドイツ・マンハイムの地を訪れる。”交響曲の祖”ヨハン・シュターミッツの息子カール・シュターミッツが活躍していた時代である。ここでマンハイム派の作曲家から交響曲にクラリネットを導入することを学んだ。

1778年、モーツァルト(22歳)はパリ郊外のサン・ジェルマン・アン・レーに滞在した。この頃に作曲されたのが初めてクラリネットを編成に取り入れた交響曲 第31番「パリ」 K.297である。そして7月3日に同行していた母が亡くなり、その悲しみがピアノソナタ 第8番 イ短調 K.310に反映されていると言われている。そんな彼のもとへロンドンからクリスティアン・バッハがやって来た。同年8月27日、ザルツブルクにいる父レオポルドに送った手紙にはこう書かれている。

ロンドンのバッハさんが当地へ来て、すでに二週間になります。彼はフランス語オペラを書く予定です。(中略)僕らが再会したときの彼の喜びと、僕の喜びがどんなだったか、容易に想像してもらえますよね。

1781年からモーツァルトはウィーンに定住した。1782年よりヴァン・スヴィーテン男爵の館では毎週日曜日に「音楽協会」(後のウィーン楽友協会)という集まりがあり、コンサートが催されていた。そこに彼は招待された。

スヴィーテン男爵はベルリンでフリードリヒ大王と交友関係があった。大王に仕えていたカール・フィリップ・エマニュエル・バッハ(C.P.E.)にも面識があり、その父ヨハン・セバスチャン・バッハの楽譜を購入した。つまりモーツァルトはスヴィーテン男爵の館で大バッハを研究し、フーガの技巧を学んだのである。

ぼくは、毎日曜日、12時にヴァン・スヴィーデン男爵のところに行きます。そこでは、ヘンデルとバッハ以外は何も演奏されません。ぼくはいま、バッハのフーガを集めています。セバスチャンの作品だけでなく、エマニュエルやフリーデマン・バッハのも含めてです。それからヘンデルのも。(中略)イギリスのバッハが亡くなったことはもう御存知ですよね?音楽界にとってなんという損失でしょう!(モーツァルトの手紙、1782年4月10日付、レオポルド宛)

エマニュエル・バッハのフーガ(6曲あると思います)を写譜して、いつか送ってもらえると、とてもありがたいのですが。ザルツブルグでこれをお願いするのを忘れてしまったのです。(モーツァルトの手紙、1783年12月24日付、レオポルド宛)

こうして生まれたのが前奏曲(幻想曲)とフーガ ハ長調 K.394 (82年)や2台のピアノのためのフーガ ハ短調 K.426(83年)である。

また1781年にハイドンが完成させたロシア四重奏曲(弦楽四重奏 第37-42番)の完成度の高さに感銘を受けたモーツァルト(当時25歳)はハイドン・セット(弦楽 四重奏 第14-19番)を作曲し、献呈している。ロシア四重奏初演の翌年、82年にモーツァルトが完成させたのが交響曲 第35番「ハフナー」であり、続く83年に交響曲第36番「リンツ」は生まれた。

こうして見ていくとクリスティアン・バッハが亡くなった1782年を契機にモーツァルトの関心は次第に大バッハC.P.E.バッハハイドンへと移り、(「ハフナー」以降の)後期交響曲に取り組んだ辺りからその影響が徐々に現れてきたと言えるだろう。そして最後の交響曲「ジュピター」第4楽章でフーガの登場に至るわけである。

つまり音楽の内容(個性)自体は幼少期に出会ったヨハン・クリスティアン・バッハに感化され(ザルツブルク時代)、技法・形式は大バッハやハイドンから学ぶことで(ウィーン時代)モーツァルトは作曲家として成熟していったと言えるのではないだろうか?

お勧めディスクを紹介しよう。まずジンマン/オランダ(ネーデルランド)室内管弦楽団によるクリスティアン・バッハのシンフォニア集である。

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モダン楽器による演奏だが、歯切れよく颯爽としている。さすがオランダは古楽の本場だなぁという印象(有田正広、鈴木秀美などデン・ハーグ王立音楽院に留学した日本の古楽器奏者は多い)。

次にご紹介したいのがノリス、ソネリーによる世界で最初期のピアノ協奏曲集である。オンライン視聴は→こちら

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クリスティアンの作品が2曲。さらに収録されているモーツァルトのコンチェルト K.107は前述した通り、クリスティアンのソナタをアレンジしたもの。

ここで使用されている楽器はスクエア・ピアノ(square piano)。ドイツの製作者ゴットフリート・ジルバーマン(1683-1753)によってその原型が生み出された。しかしジルバーマンの死後プロイセンとオーストリアの間に七年戦争が勃発したため、その弟子たちは1760年に集団でイギリスへ渡った(写真は→こちら)。これが素朴で鄙びた、いい音がするのである。現代のピアノよりはむしろ、ハンガリーの打弦楽器「ツィンバロム」に近い感じ(詳しくは→こちら)。音が出る原理は同じだから、むべなるかな。

またソネリーも古楽器で、1パート1人で弾いている。こじんまりとした古(いにしえ)の響きがなんとも魅力的だ。

もし何の予備知識もなくクリスティアンの楽曲を聴かされたら、十人中十人が異口同音に「これ、モーツァルトが作曲したんでしょ?」と言うことだろう。それくらいふたりは近い。

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2012年1月16日 (月)

桂小枝、月亭遊方/動楽亭昼席(1/12)

動楽亭へ。客の入りは12人。

  • 桂 二乗/正月丁稚
  • 桂しん吉/明石飛脚
  • 林家花丸/厩火事
  • 月亭遊方/寄合酒
  • 豊来家板里/太神楽
  • 桂 小枝/稽古屋

正月丁稚」は船場の旦那が験(げん)を担ぐ。昔の大阪商家の雰囲気がよく醸し出された噺。雨が降った折、番頭の「これは縁起がいい。昔から『振る(鶴)は千年、雨(亀)は万年』と申します」がサゲだが、これが分かりにくい。地口落ち(駄洒落)だが、二文字中一字しか合っていない!無理矢理という気がするなぁ。

筋金入りの”鉄ちゃん”であるしん吉さん。米朝・大師匠のお供で地方に行った時、それがたまたま特急「白鳥」のラスト・ランだったというエピソードを披露(グリーン車に乗車)。大阪駅のプラットホームには「撮り鉄」(とりてつ)が沢山群がっており、大師匠を守るのに必死だったと。そして飛脚三題へ。これは明石飛脚雪隠(せっちん)飛脚うわばみ飛脚と三つの噺を繋げて一席に仕上げたもの。どうやら米朝さんからの伝来のようで、米平さんも演じられる。「紀州飛脚」(南の旅)というのもあるらしい。

遊方さんのカジュアル古典「寄合酒」に遭遇するは何度目かだが、聴く度にどんどん面白くなっている。特にアホを演じるときの顔芸が最高に可笑しい!ただ、すりこぎの件が滅茶苦茶しつこく、やりすぎ(too much)だなと引いてしまった。

板里さんによると太神楽(だいかぐら)曲芸の演じ手は大阪(=西日本)に七人しかいないそう。また東京の国立劇場には養成所があると→こちら

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小枝さんはこの日が動楽亭初登場だそう。マクラではキダ・タローさんの小ネタをいくつか。ちなみに出囃子「小枝ブルース」はキダさんの作曲(2010年)。3年ほど前に聴いた時は明らかに稽古不足で、何度も言い間違えるし、お粗末な高座だった。しかし2010年から落語で全国を廻るようになり、最近の小枝さんには「本気」を感じる。師匠・文枝の芸を受け継ぐという「覚悟」と言い換ええることも可能だろう。とっても口調がいい。心地よさがある。「稽古屋」は「んなあほな!」と言いたくなるような独自のサゲで、意表を突かれた。やられた。これは面白い!

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2012年1月15日 (日)

三谷幸喜(作・演出)「90ミニッツ」と「笑の大学」

シアター・ドラマシティへ。

90

三谷幸喜の新作「90ミニッツ」を観劇。西村雅彦と近藤芳正の二人芝居。この組み合わせとくれば、誰しも「笑の大学」を想い出すだろう。1996年初演、98年再演。読売演劇大賞・最優秀作品賞を受賞。僕は初演の岡山公演を観たが、今でも三谷さんの最高傑作のひとつであると確信している。これはロシアおよびベラルーシでロシア語公演があり、2007年はカナダでフランス語公演、2008年はイギリスのウエスト・エンドでも「The Last Laugh」というタイトルで英語版が上演された。また同年韓国で、2009年には香港でも上演された。今や日本演劇界を代表する作品である。

「笑の大学」舞台版の演出は山田和也。2004年、役所広司、稲垣吾郎の主演、星護 監督で映画化されたが、こちらは凡作。元は二人芝居なのだからいくらなんでも無理があった。

「笑の大学」は開戦直前の昭和15年を舞台に、一度も笑ったことのない検閲官と喜劇を上演している劇団の座付き作家の攻防の物語。ふたりは取調室の机を挟み台本をめぐって議論を交わすが、いつしかそれは台本作りの「共犯関係」へと変貌してゆく。

「90ミニッツ」はとある総合病院の整形外科医と、交通事故で息子が救急車で搬送された父親との会話。90分以内に手術をしないと生命が危険であると医師は説得するが、父親は地域信仰(風習)上の理由から(どうやら宗教ではないらしい)輸血を拒否する。

医師が言うことも尤もだし、父の主張にも一理ある。Aが正しいか?それともBなのか?観客の共感は左右に大きく振幅することになる。攻める側と防戦する側は目まぐるしく入れ替わる。一種のディベート劇である。

緊迫してシリアスな設定にもかかわらず、時折「緊張の緩和」から笑いも生まれる。巧みな作劇術である。

劇団「東京サンシャインボーイズ」時代の三谷さんの代表作「12人の優しい日本人」は最後にバラバラだった陪審員たちの意見が全員一致する。「笑の大学」もどちらに正義があるかははっきりしているので、最終的にAとBのベクトルは同じ方向に向き、共犯者となる。

しかし「90ミニッツ」に予定調和はない。意見は噛み合わず、ベクトルは交差したまま。三谷幸喜の新基軸である。だって地球のあり方って本来、そうじゃない?いろんな意見があり、みんなバラバラ。だから人間は面白い。愛しい。僕は作家としての深化をそこに見た。

天井から床に一筋の水が流れ続けるという演出が冴えていた。それは病院の「清潔感」を象徴し、タイムリミットを示す「砂時計」のメタファー(暗喩)でもある。また子供の「生命線」とも言えるし、多重の意味を内包している。

そして最後にJ.S.バッハのカンタータ106番「神の時こそいとよき時」が流れるのも感動的だった。

休憩なしのアンストッパブル。役者たちも丁々発止の白熱した演技を展開して見応えあり。

三谷さんが敬愛してやまない脚本家兼、映画監督ビリー・ワイルダーは映画「お熱いのがお好き」(Some Like It Hot)の台詞をこう締め括った。「完璧な人間なんていないさ(Nobody's perfect.)」これは「90ミニッツ」のテーマでもある。

なお、余談であるが落語家の桂吉弥さんが小学生の息子さんを連れ、観劇されていた。考えてみれば吉弥さんは役者として三谷幸喜(作)の大河ドラマ「新選組!」に出演されていたもんなぁ。

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2012年1月14日 (土)

シリーズ《音楽史探訪》 過渡期の作曲家たち~C.P.E.バッハと本当の「交響曲の父」

ルネサンス期を経て、1600年頃から興ったバロック音楽は大バッハことヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685-1750)によって完成された。そしてそれに続くのがハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンらによる古典派の音楽である。しかし大バッハとハイドンの音楽には連続性が感じられない。両者の間には大きな溝がある。それを埋めるのが過渡期(前古典派)の作曲家たちである。

大バッハには最初の結婚によって7人、2度目の結婚によって13人の子供が生まれた。しかし半数は生まれて間もなく亡くなり、成人したのは10人だけ。そのうち4人が音楽家になった。長男のヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ(1710-1784)と次男のカール・フィリップ・エマヌエル・(以下C.P.E.と略す)バッハ(1714-1788)、ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・バッハ(1732-1795)、そして末男ヨハン・クリスティアン・バッハ(1735-1782)である。

C.P.E.バッハから遅れること18年後に生まれたハイドン(1732-1809)は、貧乏だった10代後半の1750年頃、C.P.E.が作曲した6つのソナタ(恐らくヴュルテンベルク・ソナタとプロイセン・ソナタと推定される)を入手し、「私はこのソナタを全部習得し彼の偉大な手法を獲得するまで、ぼろ(鍵盤)楽器を手放さないだろう」と語ったと文献に残っている。また「私のことを知っている人なら誰でも、私がエマニュエル・バッハに多くを負っており、彼の音楽を理解し勤勉に学んだことに気づくに違いない」とまで言い切っている。だからハイドンが1763年に作曲した交響曲第12番がC.P.E.に似ているのは決して偶然ではない。そして若き日にハイドンの弦楽四重奏曲を筆写して勉強したベートーヴェン(1770-1827)もしかり。

一方、国際的に活躍していたヨハン・クリスティアン・バッハはロンドンで8歳のモーツァルト(1756-1791)に会い、この神童に多大な影響を及ぼした。モーツァルトはロンドン滞在中の1764年に交響曲第1番を作曲、両者の相似はその音楽を聴けば明らかである。この「ロンドンのバッハ」はフォルテピアノに愛着を示した最初の作曲家であり、それはモーツァルトのピアノ協奏曲に結びついてゆく。

つまり音楽史的に、

  • C.P.E.バッハ→ハイドン→ベートーヴェン
  • ヨハン・クリスティアン・バッハ→モーツァルト

という2つの大きな流れがあったことを理解しておく必要があるだろう。

17世紀、チェンバロのために書かれたスカルラッティのソナタは単一楽章だった。

鍵盤ソナタを3楽章形式に整え、急-緩-急としたのはC.P.E.である。これをハイドンがピアノ・ソナタで踏襲した。

なお急-緩ー急で構成されるイタリア式序曲シンフォニア)の第3楽章に舞曲であるメヌエットを加わえて交響曲を4楽章に整え、さらにソナタ形式を導入した源流はボヘミア生まれでマンハイム(ドイツ)の宮廷楽長だったヨハン・シュターミッツ(1717~1757)と考えられる(マンハイム楽派の祖)。例えば1750-54頃に作曲されたシュターミッツの交響曲 ニ長調 Op. 3, No. 2の第1楽章プレスト(急速に)を聴いてみて欲しい→試聴。冒頭に第1主題、53秒から第2主題が登場する「提示部」、1分17秒から「展開部」、2分06秒から「再現部」(第2主題→第1主題)というのが明確にお分かり頂けるだろう。第2楽章アンダンティーノ、第3楽章メヌエット、第4楽章プレスティッシモ(きわめて速く)となっている。

それから10年後、1761年頃に作曲された交響曲 第6-8番「朝」「昼」「晩」でハイドンもソナタ形式を用いている。

ちなみに「ソナタ形式」という言葉を定義したのは(音楽形式学)学者のアドルフ・ベルンハルト・マルクスで「楽曲構成論」においてベートーヴェンのピアノ・ソナタを範例として論じた。ベートーヴェンの死後、1850年頃のことである。

さて、C.P.E.バッハの話に戻ろう。まずお勧めしたいディスクは中野振一郎(チェンバロ)による「C.P.E.バッハ作品集」(若林工房)である。ヴュルテンベルク・ソナタ、プロイセン・ソナタ、「優しい恋わずらい」等が収められている。

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1742年ごろに作曲され、44年に出版されたヴュルテンベルク・ソナタ 第1番 第3楽章にはソナタ形式の萌芽が認められる。これが元祖と考えられる。ちなみにこの時、父J.S.バッハ(1685-1750)は存命中だった。

C.P.E.の特徴は「突然の休止」「気まぐれ」「感情過多様式」「疾風怒濤」に集約される。そしてそれらはハイドンやベートーヴェンに受け継がれた。

ちなみにハイドンが暗く激しく劇的な音楽を書き「疾風怒濤期」と呼ばれるのは1765~75年ごろ。交響曲で言えば第26番「哀歌(ラメンタチオーネ)」あたりから第65番くらいまで。第44番「悲しみ」45番「告別」49番「受難」などが有名である。

鈴木秀美/オーケストラ・リベラ・クラシカによるC.P.E.バッハ/チェロ協奏曲のディスクもお勧めしたい。まさに「疾風怒濤」の激しいコンチェルトである。C.P.E.のシンフォニアや、それに影響を受けたハイドンの交響曲も収録されている。

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またベルリンフィル首席奏者エマニュエル・パユのアルバム「ザ・フルート・キング~フリードリヒ大王の無憂宮の音楽」(EMI)もいい。

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C.P.E.のフルート・ソナタ2曲とフルート協奏曲が収録され、C.P.E.が仕えたプロイセンの国王、フリードリヒ2世の楽曲も聴ける。

大バッハの音楽は基本的に教会音楽であり、神のためのものだった。それは厳格であり、規則正しく、数学的である(現代の数学者や物理学者らの多くが大バッハを好むのはこれが理由と考えられる)。その「天上の音楽」を地上に引き戻し、人間的感情を描いたのがC.P.E.であり、後の古典派を導く役割を果たした。

そしてC.P.E.バッハが「発明」したソナタ形式とその音楽表現(疾風怒濤)、そして彼と同時代に生きたシュターミッツが考案した(メヌエットを含む)4楽章形式の交響曲 を結びつけ、発展させたのがハイドンだったと言えるのではないだろうか?

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2012年1月10日 (火)

桂南光・こごろう/動楽亭昼席(1/5)

動楽亭へ。

  • 桂 鯛蔵/初天神
  • 桂まん我/替り目
  • 桂 紅雀/道具屋
  • 桂 南光/昆陽の御池
  • 豊来家玉之助/太神楽(だいかぐら)
  • 桂こごろう/胴乱の幸助

8割くらいの入り、盛況。

鯛蔵さんは「よいよいよいのちゃっちゃっちゃ」という掛け声が愉しかった。

まん我さんはマクラで、ある落語会に酔っ払いのおっちゃんが紛れ込んでいた時のやり取りを面白可笑しく。

南光さんはこごろうさんの南天襲名(4/15)に触れ、「こごろうでなくなれば、最早弟子ではない」と。「昆陽の御池」は初めて聴く噺。僕は南光さんのガラガラ声が昔から生理的に好きではないのだが、このネタでは甚兵衛さんが味があってよかった。

玉之助さんは動楽亭の天井が低いので、物を投げ上げるのに苦労されていた。獅子舞(縁起獅子)も披露され、新年らしい雰囲気を味わった。

こごろうさんは動楽亭に来る道中で思い付いたというアイディアを盛り込み「胴乱の幸助」。パッと気が晴れるような陽気な一席で、確かな聴き応えあり。

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2012年1月 5日 (木)

繁昌亭 新春特別興行(1/3)

繁昌亭へ。新春公演 第3回、午後6時開演。

Haru1

Haru2

  • 林家染左/つる
  • 笑福亭生喬/隣の桜(鼻ねじ)
  • 林家染ニ/替り目
  • 内海英華/女道楽
  • 林家染丸/ふぐ鍋
  • 桂 文三/十徳
  • 月亭八方/AKO47〜新説赤穂義士伝〜(八方 作)
  • 全員/住吉踊り

生喬さんはいけずな関学の先生に味があった。

染二さんは独自の工夫が。

英華さんは正月らしく結い髪で登場。ネタも正月仕様。

ふぐ鍋」と言えば吉弥・よね吉など吉朝一門で馴染み深いが、調べてみると元々は三代目林家染丸が得意としたネタで、四代目(現)染丸が染二を名乗っていた頃、吉朝に教えたのだそう。本家本元が聴けて良かった!はんなりした芸。

文三さんはこの日、繁昌亭への出番前に東京・品川プリンスホテルで「世界のナベアツ」改め桂三度さんの初高座となる落語会へ出演されたと。三度さんは何と自作(「お出かけ」)を披露したとか。初舞台が創作落語というのがすごい。そして入門してまもなく師匠・文枝のテープで覚えたという「十徳」へ。高い声で陽気な一席。

八方さんの新作を聴くのはこれが二回目。忠臣蔵とAKB48をミックスしたパロディでアイディアが秀逸。これは傑作!ほんまおもろいわ。

住吉踊りの内容は、染雀/六歌仙→八方(踊り)染丸(吟)/黒田節→染二(ボケ)八方(ツッコミ)/二人踊り「相惚れ」(喧嘩かっぽれ)→かっぽれ総踊り。正月らしく賑やかで、華やいだ気持ちになれた。

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