桂吉朝七回忌追善落語会
11月25日(金)、国立文楽劇場へ。
桂 吉朝が亡くなったのが2005年11月8日。その最後の高座はここ文楽劇場で、10月27日「米朝・吉朝の会」だった。吉朝が掛けたネタは「弱法師」(よろぼし)。楽屋では医師付き添いのもと酸素を吸入し、舞台袖まで車椅子で運ばれた。しかし45分以上かけて演じ切ったという。享年50歳。胃がんだった。
- 桂佐ん吉/商売根問 15分
- 桂しん吉/明石飛脚 15分
- 桂よね吉/芝居道楽(「七段目」短縮版) 20分
- 桂 吉弥/不動坊(後半部) 20分
- 桂あさ吉/鹿政談 20分
- 吉朝一門/ご挨拶 5分
- 桂 吉朝/質屋蔵 45分
挨拶は黒紋付袴で登場。米朝事務所からは「ゲストを呼んだ方がいい」とアドヴァイスされたが、残された七人の弟子のみで追善の会をすることを決意したそう。
「明石飛脚」は吉朝が晩年手がけていたもの。
しばらく見ないうちによね吉さんは痩せてシュッとした。入門したての頃は桂ざこばさんから「時間を守れない前座」とお叱りを受けたそうだが、今回はきちっとコンパクトに。こういう姿もあちらの世界にいる師匠に見てもらおうとしたのだろう。「七段目」は指先まで神経が行き渡り、歌舞伎の型がピタッと決まった至芸。芝居で客(大向こう)が役者に声を掛ける時、屋号は「三木のり平さんなら”桃屋!”」というギャグには爆笑。
「よね吉師匠がこんなに早く終わるとは!」と登場した吉弥さん。彼のファッション・センスには以前から疑問を感じているのだが、今回も白い着物に桜色の羽織はいかがなものかと思った。立川談志師匠の死去について新聞が《談志が死んだ(だんしがしんだ)》と回文の見出しを付けたことに驚いたと言い、「芸人ですから何を言われるか分かったもんじゃありません。僕が死んだら《吉弥の棺おけきちきちや》と書かれるかも」と笑わせ、ネタへ。「不動坊」は前半部を大胆にカットし、銭湯のエピソードの後から。つまり講釈師の未亡人を嫁に迎えることになった”利吉”は噺の最後の最後にならないと登場しない。コミカルで愉しい一席。酒を飲む場面で口笛をヒューと吹くのも良かった。
吉朝の一番弟子・あさ吉さんは「(今日の会は)お腹が痛いいぅて欠席しようかなと思ってました」と言って「鹿政談」へ。
仲入りをはさみトリは映像で吉朝の「質屋蔵」。きちっとした芸でありながら、自在。そして端々に弟子たちが受け継いでいるものも垣間見られた。師匠から学んだ大きなことは「芸に対する真摯な態度」という彼らの言葉が印象深かった。
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