マーラーは交響曲「大地の歌」第1楽章の歌詞(原詩は李白の「悲歌行」)に次のような一行を書き加えた。
Dunkel ist das Leben, ist der Tod.
生は暗く、死もまた暗い。
第6楽章「告別」を聴いていると黒澤明の映画「乱」を想い出す。予告編でこの楽曲が使用され、本編の武満徹の音楽も監督の意向で「告別」そっくりに書かれている。「乱」をめぐる黒澤と武満の葛藤はこちらに詳しい。この二作品に通底するのは無常観である。
マーラーは「大地の歌」を作曲した時、ベートーヴェンと同じくこの交響曲が最後になるのではないかと恐れ、番号を付けなかった。「大地の歌」を支配するのは無常観と生への執着。しかし後に作曲された第9番に流れる感情は諦念と死の受容。そしてこの世への別れ。「大地の歌」は今にも雨が降り出しそうな黒雲に覆われているが、交響曲第9番で光が差し込み、空は次第に晴れ渡っていく。
11月10日(木)、ザ・シンフォニーホールへ。

大植英次/大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会。
当初、メゾ・ソプラノのナタリー・シュトゥッツマンが出演予定だったが、体調不良のため2週間ほど前にキャンセルが決まった。今年は福島原発事故のために沢山のオペラ歌手が来日を中止した。アンナ・ネトレプコ、ヨナス・カウフマン、ファン・ディエゴ・フローレス……。だからナタリーが来ない理由としてアナウンスされた内容を素直に受け取れないことは哀しいことだ。
代わりに決まったのは小川明子さん。テノールのジョン・ヴィラーズは予定通り来日した。
- シューベルト/交響曲 第5番
- マーラー/交響曲「大地の歌」
大植さんが好きな対向配置ではなく、今回は通常のもの。
親しい友人たちと演奏するために作曲されたと考えられるシューベルトの5番はクラリネット、トランペット、ティンパニがない小編成。羽根のように軽やかで優しい演奏。可愛らしい曲だなと想った。大植さんの指揮は軟らかく、ニュアンスを大切にしたものだった。また第4楽章は緊張と緩和のコントラストが鮮明だった。
休憩後は「大地の歌」。第1楽章からヴィラーズの強く、伸びる声に魅了された。そして切々と訴えるような深い弦の音色。絶望と切実な魂の叫びが聴こえてきた。
第2楽章「秋に寂しき者」は霧が立ち込める幽玄の世界。小川さんの歌唱はディクション(発音)がはっきりしている。僕はこの楽章に「二十億光年の孤独」(by 谷川俊太郎)を感じた。
第3楽章「青春について」は子供の遊びのようなはしゃいだ雰囲気。
第4楽章「美について」は色彩豊かで生命力、躍動感に満ち溢れている。
第5楽章「春に酔える者」はでやけくそ、自暴自棄、厭世的。「酒呑んでなきゃ、やってられないぜ!」って感じ。しかし途中、鳥の声が聞こえると、音楽は自然の美しさで満たされる。
第6楽章「告別」。銅鑼が鳴り、コントラファゴットが蠢く。そしてオーボエのソロ。虚無感、諸行無常の響きあり。小川さんの声は深く、湖の底から聴こえてくるよう。一言一言が重い意味を持ち、噛み締めるように彼女の口から放たれていく。我々はこの楽章で自らの心の深淵を覗き込むことになる。風は一旦凪ぎ、そしてまた吹き始める。歌詞に「青春」という言葉が登場すると音楽は交響曲第5番 第4楽章 アダージェットを回顧し、友との別れの場面でマンドリンが鳴る時、この世は甘美なる夢のまた夢であることを否応なく悟る。「美しきかな!永遠の愛と生に酔う世界よ!」という歌われる箇所では陶酔の世界へ。そしてオーケストラの間奏に入ると一転、漆黒の闇に閉ざされる。空恐ろしい世界。やがて「大地も春きたりなば百花舞い緑萌えいづ」では強い想いが込められ、「永遠に… 永遠に…」という生への執着と共に幕を閉じた。
僕はただ呆然と、客席に座っていた。そして「永遠に…」この演奏が終わらないことを希った。以前からマーラーが得意なことは知っていたけれど、これぞ大植英次の真骨頂。いやはや稀代のマーラー指揮者である。そして小川さんは正にザ・シンフォニーホールに舞い降りたミューズであった。この奇跡の瞬間に立ち会えたことを僕は誇りに想う。満場の拍手の中、大植さんが感極まって小川さんに抱きついた気持ちがよく理解できた。僕は普段、大フィルの金管(特にトランペットとホルン)の悪口を書き連ねているが、今回はパーフェクト。恐れ入りました。プロフェッショナルたちによるパフォーマンスの底力、凄みを思い知らされた。
プロフィールを読むと小川さんはコルンゴルトなど現代歌曲を中心としたリサイタルを開催されているそう。是非彼女のコルンゴルトを聴きたい!ちなみにこの作曲家には浪漫的芳香漂う交響曲、ヴァイオリン協奏曲、オペラなどの傑作があるが、大フィルは未だ一度も取り上げたことがない。
また、今回のプログラム・ノートに「大地の歌」に関する以下のような一文があった。
ウィーンのユダヤ人マーラーが作曲した中国の歌
グスタフ・マーラーはボヘミアのイーグラウ(現チェコのイフラヴァ)で生まれ、人間形成の上で最も重要で多感な幼年期をそこで過ごした。彼が音楽院入学のためウィーンに移住するのは15歳の時である。それを単純に「ウイーンのユダヤ人」で片付けてしまうのは如何なものだろう?例えばモーツァルトなら「ウィーンの作曲家」というよりも、ザルツブルクを連想する人の方が多いのではないだろうか?僕はマーラーの交響曲、とりわけ管楽器の節回しにボヘミア的なものを感じるのだが。
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