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2011年8月

2011年8月29日 (月)

カーズ2(ディズニー デジタル 3D、字幕版)

評価:B+

映画公式サイトはこちら

Cars2tokyo

正直、「カーズ」第1作は退屈で、全然面白いと思わなかった。だからこの2作目も全く期待していなかったのだが、路線変更で違ったテイストになっており、これは意外な収穫だった。

Cars2paris

英国のスパイ、フィン・マックミサイル(声:マイケル・ケイン)とその相棒ホリー・シフトウェルら新キャラクターが秀逸。矢継ぎ早に登場する秘密兵器(スパイ機器)にワクワク、ドキドキした。まるで007、ジェームズ・ボンドのノリ。マイケル・ケインの声が渋くていいね!

Cars2italia

今回はアメリカを飛び出して、東京、パリ、ポルトコルサ(イタリア)、ロンドンと場所が次々に変わっていくのも愉しい。

Cars2london

昨年、TOHOシネマズで「トイ・ストーリー3」を観た時は3Dメガネが重く、画面が暗くて愉しめなかったのだが、1年ぶりに試してみるとメガネが変更され軽くなり、画面も明るく、3D効果も抜群だった。これなら鑑賞に堪え得る。

また併映された短編「トイ・ストーリー」シリーズのスピンオフ「ハワイアン・バケーション」も出色の出来。アカデミー賞狙えるんじゃないかな?

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2011年8月27日 (土)

大植英次/大フィルのチャイコフスキー・セレクション No.2

ザ・シンフォニーホールへ。

Osaka

大植英次/大阪フィルハーモニー交響楽団で、オール・チャイコフスキー・プログラム。

  • 法律学校(学生)行進曲(ミステリーピース II)
  • ヴァイオリン協奏曲
  • 交響曲 第5番

前回、曲当てクイズのミステリーピースはサッパリ分からなかったけれど、今回は楽勝。格調高い行進曲で、エルガーの「威風堂々」やウォルトンの「王冠」「宝玉と王の杖」等を彷彿とさせる。正解は9月2日に公式サイトで発表された。生き生きとして歯切れよい演奏。なお、このミステリーピース。な、なんと楽員にも曲名が明かされていないことが判明!!詳細は→こちら。う〜ん、徹底している。これなら奏者から解答が漏れることもないし、実にフェアなやり方だ。

コンチェルトの独奏はソヴィエト連邦(当時)生まれのボリス・ベルキン。彼のヴァイオリンは以前一度生で聴いたことがある。

指揮者の井上道義さん(ミッキー)はベルキンについて「初めて会ったときは狼みたいな奴だった」と語っている。

第1楽章で彼は「赤ずきん」ちゃんに登場するオオカミの如く爪を隠し、物静かなおばあさんの擬態をする。第1主題は弱音で開始され、囁くよう。大植/大フィルは揺りかごのようなやさしさでそれをバック・アップ。そしてヴァイオリンは次第に力強くなり、激しさを増す。カデンツァでは芯の太い音で聴衆を魅了。

穏やかで憂鬱なセレナードを奏でる第2楽章を経て、第3楽章でベルキンはそれまで被っていた皮をかなぐり捨て、荒々しい野生の本性を露にする。ヴァイオリンが吼える!凄みのある鋭い音で煽り、その挑発にオケも応える。スリリングなパフォーマンスが展開された。お見事!

休憩を挟みシンフォニーへ。

大植英次さんのチャイコフスキーをしばしば実演で聴くようになって、楽想中何度か現れるゲネラルパウゼ(総休止)の意味を考えるようになった。その沈黙は一体、何を語ろうとしているのだろうか?

例えば第1楽章、序奏に登場する循環主題について作曲家は「運命に対する完全なる帰依」だと語る。第1主題は「不平、疑い、訴え、非難」を意味し、第2主題は「信仰に身を捧げるべきか?」と書かれている。

チャイコフスキーはゲイだった。彼の偽装結婚は直ちに失敗し、入水自殺を図る。ならば運命とは「ゲイとして生を享けたこと」であり、「不平、疑い、訴え、非難」は同性のパートナーに関する感情、「信仰に身を捧げる」とは自分の性癖を諦め、禁欲することだとも解釈出来るだろう(当時のロシア正教会はゲイを罪人であると見做していた)。そしてそれらもろもろの感情、心の葛藤がゲネラルパウゼに込められているような気が最近僕にはしてきたのである。

大植さんの解釈は序奏、たどたどしく何かを訴えるかのよう。そして苦悩は次第に激しいものとなる。アレグロになり第1主題が登場しても足取りは重い。しかし一転、弦楽器による第2主題は手が届かないものへの憧憬がある。

大植さんの「は〜っ」という大きなため息と共に開始された第2楽章はじっくりと歌う。ここでホルン・ソロを担当した池田さんの調子が悪く、残念なパフォーマンスとなった。

第3楽章のワルツは夢見るようでエモーショナル!一方の中間部は小気味いい。

第4楽章の序奏は威風堂々。一気に速くなる主部の第1主題は激烈で嵐の如し!ここまでは大変な名演だったのだが、第2主題が登場する箇所で木管が入り損ねる(落ちる)という痛恨のミスが発生。折角盛り上がった気持ちが、スッと冷めてしまった。その後アンサンブルは持ち直し、凱旋行進曲のように運命主題を高らかに歌う終結部で大植さんは指揮する手を止め、頷きながら演奏するオーケストラの楽員たちを見守った。

なお、第1楽章半ばで熱演の余り長原コンマスの弦がプツンと切れた。長原さんは隣の奏者と楽器を交換。そこから最後方の奏者まで、ヴァイオリンがリレー式に受け渡されて行く。修繕された楽器は第2楽章中間部、逆順のリレー式で長原さんの手元に戻っていった。面白いものを見せてもらった。

チャイコフスキーは大植さんの十八番だけに聴き応えのあるものだったが、交響曲で大フィルの優秀な弦の足を、金管や木管が引っ張る形となり、悔いを残す結果となった。

弦高管低」……このバランスの悪さは現在の大フィルが抱える大きな課題であり、今後克服していく姿勢が求められている。

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2011年8月22日 (月)

霧矢大夢 主演/宝塚月組「アルジェの男」「Dance Romanesque」

宝塚大劇場へ。月組を観る。

Taka1

「アルジェの男」は柴田侑宏 作、大野拓史 演出。1974年に初演された舞台の再々演である。

「エリザベート」や「スカーレット・ピンパーネル(スカピン)」など海外作品と違い、宝塚のオリジナルものは当たり外れの落差が激しい。勝率の低い博打みたいなものだ。だから基本的に敬遠しているのだが、柴田作品は良質なものが多い。僕が好きな作品としては「あかねさす紫の花」「花の業平」「琥珀色の雨にぬれて」「哀しみのゴルドバ」「仮面のロマネスク」などが挙げられる。

Taka2

それにしても「アルジェの男」は面白かった。意表を突く展開。野心に満ちた主人公の生き様がいい。まるでスタンダールの「赤と黒」みたい……と想って観ていたら、途中で気がついた。きりやん(霧矢大夢)の役名がジュリアンで、これは「赤と黒」と同じじゃないか!サングラスをかけて登場する冒頭の格好よさにも痺れたね!

ヒロイン役の蒼乃夕妃は元々踊れる人だから、観ていて気持ちがいい。

悪役の龍 真咲はこういう黒い役どころがピッタリ。彼女特有の隠微な美しさがメラメラと妖しく燃える。また歌唱力向上にも目を瞠るものがあった。スカピンの頃に比べ高い声が出るようになったし、音が外れなくなった。

逆に明日海りおは白い役が似合う。正統派で美形の男役。序盤の軍服姿も良かった。 

また、盲目のアナ・ベル嬢を演じた花陽みらの歌声が美しかった!彼女の登場シーンにドビュッシーの「月の光」が流れるのも、儚げでいい。

演出に関してもスピーディな舞台転換でお見事。特に薄汚れたアルジェの裏町が、一瞬で華やかなパリに変身するシーンには瞠目させられた。

Taka3

「ダンス ロマネスク」の作・演出は中村 暁。こちらは可もなく不可もなし。ピンクのタキシードはいただけないな。

ただ、きりやんのどこまでも伸びる歌声、蒼乃夕妃の切れのあるダンスがとても気持ちよかった。

総評として「アルジェの男」が愉しかったので、見応えたっぷりの充実した公演だった。

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2011年8月15日 (月)

ハリー・ポッターと死の秘宝 PART 2 (IMAX 3D デジタルシアター)

評価:B+

映画公式サイトはこちら

映画第1作「ハリー・ポッターと賢者の石」が公開されたのが2001年。あれから10年経った。監督はクリス・コロンバス→アルフォンソ・キュアロン(アズカバンの囚人)→マイク・ニューウェル(炎のゴブレット)→デヴィッド・イェーツ(不死鳥の騎士団 以降)と代わり、音楽もジョン・ウィリアムズ→パトリック・ドイル(炎のゴブレット)→ニコラス・フーパー(不死鳥の騎士団、謎のプリンス)→アレクサンドル・デプラ(死の秘宝)と4人が担当した。

しかしキャストに関しては、ダンブルドア校長役のリチャード・ハリスが第2作「秘密の部屋」撮影終了後に死去したため第3作「アズカバンの囚人」以降マイケル・ガンボンが演じたが、それ以外は全て子どもたちも、先生たちも同じ役者がやり切ったのだから、これは特筆に価するだろう。ハリーもロンもハーマイオニーもよく頑張った!ご苦労さん。ただハリー役:ダニエル・ラドクリフの背が伸びなかったのは製作者側の誤算だったかも。

前作は間に合わなかったが、本作は全編3Dで製作された。それなら折角だからIMAXで最高の画質を観たいと足を運んだ。

Imax

どうしてもTOHOシネマズやMOVIXの3Dメガネだと重く、視野が狭く、映像が暗くなってしまう。しかしさすがIMAX。それらの問題が全て解消した。2,200円という入場料に見合ったクオリティ。ただし、この作品に立体映像が本当に必要かという点では、はてなマークが付く(「アバター」には疑問の余地がなかった)。

Imax2

最後なのでド派手な戦闘シーンがあり、迫力満点。モブ(群集)シーンや巨人の登場など、「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」を彷彿とさせた。

19年後のエピローグも、まるで第1作に戻ったかのような懐かしさがあってジーンときた。円環。そして人生は続く……

ただ物語の道筋から考えて、僕は最後にハリーは死ぬべきだったと想う。まぁこれが児童文学の限界なのだろうけれど。

シリーズ8作、全て公開時に映画館で鑑賞した。結論。一番出来がよかったのはキュアロンが監督した第3作「アズカバンの囚人」。テンポがよく、グリーンの色調がとても印象的。もっとも不出来なのは「炎のゴブレット」(音楽も良くなかった)。デヴィッド・イェーツが演出した後半4作品は違和感なく、センスがあって、十分品質を保っていたと言えるだろう。アレクサンドル・デプラの音楽もジョン・ウィリアムズが作曲したテーマと有機的に結びつき、有終の美を飾った。

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2011年8月13日 (土)

映画「ツリー・オブ・ライフ」

評価:B+

Thetreeoflife

カンヌ国際映画祭パルム・ドール(最高賞)受賞。映画公式サイトはこちら

上映が終わり、館内が明るくなった時に観客が口々に喋った感想が興味深かった。

「難しい映画だった」「高尚過ぎてついていけない」「宗教的だから、信仰心がないと理解出来ないね」「あー、よく寝た!」

僕はこれらの困惑した会話を聞きながら、スタンリー・キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」が公開された1968年当時の映画館の雰囲気も、似たような感じだったのではないかなと想った。

本作の内容を全て理解するのは困難である。これはむしろ映像で描かれた「詩」と考えるべきではないだろうか?映画「燃えよドラゴン」におけるブルース・リーの台詞を引用するならば、"Don't think. Feel !"(考えるな。感じろ!)ということだ。

Thetree2

映画のプロットは中年期を迎えた主人公(ショーン・ペン)が、幼少期の厳格だった父(ブラッド・ピット)や優しかった母、そして弟たちとの想い出を振り返るというのが基軸になるが、回想なので脈絡がない。僕が真っ先に連想したのはソ連の映画監督アンドレイ・タルコフスキーの「鏡」(1975)である。母親の空中浮遊シーンがあるという点でも両者は共通している。それに加え、本作では生命の連鎖・地球史が挿入されるのでややこしい。

テレンス・マリック監督は「天国の日々」(1978年、カンヌ国際映画祭監督賞)の頃から感じていたのだが、映像は美しいのだがシナリオが弱い。それは「シン・レッド・ライン」(1998年、ベルリン国際映画祭金熊賞)や「ニュー・ワールド」(2005年)でも同様である。そして「ツリー・オブ・ライフ」もしかり。

しかし、アルフォンソ・キュアロン監督と長年組んできたメキシコの名撮影監督エマニュエル・ルベツキによる映像は極めつけの魔法に満ちている!息を呑む美しさとはまさにこのこと。特にショーン・ペンの登場する場面では、常に海の底にいるような錯覚に襲われる。それを味わうだけでも一見の価値がある作品と言えるだろう。是非ルベツキにはアカデミー撮影賞を!

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バッハ・オルガン連続演奏会「究極のバッハ」@いずみホール

いずみホールへ。シリーズ第9回。

Izu

今回はスウェーデンからハンス=オラ・エリクソンが来日した。確かなテクニックを持つ名手であった。

  • 「音楽の捧げもの」より《6声のリチェルカーレ》
  • パルティータ「喜び迎えん、慈しみ深きイエスよ」 BWV768
  • 「フーガの技法」より《未完の四重フーガ》
  • コラール「汝の御座の前にわれはいま進み出で」 BWV668
    (休憩)
  • 幻想曲 ト短調 BWV572
  • コラール「天にましますわれらの父よ」 BWV682
  • コラール「おお人よ、汝の大いなる罪を嘆け」 BWV622
  • パッサカリア ハ短調 BWV582
  • オルガン小曲集より「イエス、わが喜び」 BWV610(アンコール)

プログラム前半はJ.S.バッハ後期の作品が並び、2曲目だけ若い頃の作品。最晩年に書かれた未完のフーガに絶筆のコラールが続く。後半は主にバッハ20代の初期作品の中、2曲目だけ後期のもの。対称的な配置。

従来チェンバロで弾かれる「音楽の捧げもの」をオルガンで聴くと、とても荘厳に響き新鮮だった。

「喜び迎えん、慈しみ深きイエスよ」は素朴で若々しい情熱が感じられる。

一転、「フーガの技法」は幾何学的、数学的で純化された世界。続く遺言「汝の御座の前にわれはいま進み出で」 は寂しく、諦念に至る。そこには死の受容があった。

休憩後、幻想曲は軽やかで、喜びと開放感に満ちている。中間の《グラヴマン》(荘重に)と指示された箇所では天上から光が差し込むかのよう。

そして複雑で、深みのある後期作品へ。「おお人よ、汝の大いなる罪を嘆け」 は心穏やかな音楽。

プログラム最後のパッサカリアは冒頭、ペダルで提示される堂々たる低音主題が腹に響く。多彩な音色、壮大なシンフォニー。僕はただただ圧倒され、「オルガンの中に宇宙がある」と感じ入った。

神を讃えるためにパイプオルガンというスケールの大きな創造物を生み出した西洋人の発想は途轍もないし、その楽器を駆使して誰も到達し得なかった高みまで登りつめたバッハの音楽にはひれ伏すしかない。そんなことどもを考えながら帰途に就いた。

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2011年8月 9日 (火)

お笑い怪談噺の夕べ(8/5)

繁昌亭へ。

Ka1

Ka2

  • 笑福亭たま/三味線アリ(たま 作)
  • 林家染雀/借家怪談
  • 桂 米左/除夜の雪
  • 旭堂南鱗/講談「小夜衣双紙~蛤の吸い物~」
  • 笑福亭福笑/呪いの瓢箪(福笑 作)

三味線アリ」は古典落語「立ち切れ線香」のパロディに、映画「着信アリ」のエッセンスを加味。途中、落語「崇徳院」の一節も登場。駄洒落満載で春團治・三枝・文福師匠らの物真似も可笑しい。「たきぎれ」について、「ギャグがなくても上手そうに聴こえる噺」という紹介にも爆笑(その通り)!傑作。二十数分でコンパクトに。

除夜の雪」は昭和の新作落語で永滝五郎の作。「提灯に釣り鐘」(釣り合いのとれないこと)の意味を知らないとサゲが分かり辛いのが難。米左さんは真夏に大晦日の噺をすることについて時候外れのネタで申し訳ないと断って(米朝師匠から「ものには限度がある」と教えを受けたそう)。端正な高座で心地よいリズム感。いつもの自虐的マクラがなかったのも好感度アップ。

今年5年目となるこの企画、福笑さんのネタのクライマックスで恒例の染雀幽霊が客席に登場。(冷蔵庫で冷やした)コンニャク攻撃あり。「コンニャク欲しい人は事前に座席番号書いてメールを送ってや!」と。こうして愉しい夜は更けていった。

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2011年8月 8日 (月)

映画「モールス」( LET ME IN )

評価:A

Letmein1 

スウェーデン映画のハリウッド・リメイク作である。オリジナル版のレビューは下記。

ホラーの帝王スティーヴン・キングが2010年のベスト・ワンに本作を選び、「この20年でアメリカで製作された最高のスリラー」と絶賛したことは有名。

映画公式サイトはこちら

Letmein2

スティーヴン・キングの賛辞はいくらなんでも褒めすぎだと想うが、キング原作の映画化で例えるなら、「デッドゾーン」「スタンド・バイ・ミー」「ショーシャンクの空に」レベルの作品に仕上がっていると言えるだろう。つまり、非の打ち所がないということだ。

スウェーデンのオリジナル版は些か泥臭く、悪趣味なところもあった。しかし今回のリメイク版は見事に洗練され、リリカルで静謐、耽美な逸品に仕上がっている。

少女の吸血鬼というのは萩尾望都の「ポーの一族」を想い出させ、全編に漂う浪漫的雰囲気はロジャー・コーマン監督のエドガー・アラン・ポー原作シリーズ(「アッシャー家の惨劇」「恐怖の振り子」「赤死病の仮面」)を彷彿とさせるものがある。昔懐かしい感じ。時代設定はレーガンが大統領だった1983年。ルービックキューブ(日本発売は1980年)やパックマン(やはり1980年発売、日本産コンピューターゲーム)も登場。

主役の少年少女を演じた、コディ・スミット=マクフィーとクロエ・モレッツが素晴らしい。素足で雪の上を歩くというのがいいね。

ロケ地アメリカ・ニューメキシコ州ロスアラモスの雪に凍える閉塞感もいい。

基本的にプロットはスウェーデン版を踏襲しているが、ハリウッド版オリジナルとして学校で子供達がフランコ・ゼッフィレリ監督の映画「ロミオとジュリエット」を鑑賞している場面が登場(ニーノ・ロータの音楽も流れる)。これは作品の主題に相応しく、見事な脚色と言えるだろう。アルフレッド・ヒッチコック監督の「裏窓」的要素を取り入れた演出(マット・リーヴス)にもセンスを感じる。

また「カールじいさんの空飛ぶ家」でアカデミー作曲賞を受賞したマイケル・ジアッキーノの音楽も印象的。

それにしても吸血鬼というのは生命力の乏しい、脆弱な生き物(?)である。ニンニクや十字架が苦手(←この設定は本作には登場しない)。日の光を浴びると死んでしまう。人間の血でしか栄養の補給が出来ない……寿命は長いが孤独である。しかし、だからこそ切なく、残酷でありながらも美しい物語が紡ぎ出されるのであろう。

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2011年8月 7日 (日)

コクリコ坂から

評価:B

Ko1

傑作じゃないけれど佳作。監督は宮崎吾朗。企画・脚本が親父(宮崎駿)で、キャラクターデザインが近藤勝也。はっきり言って誰が監督しようが、ある一定のクオリティは保障されている「耳をすませば」方式だもんね(「耳をすませば」の監督は47歳で亡くなった近藤喜文だが、キャラクターデザイン・脚本・絵コンテは宮崎駿さんが担当し、実質的な宮崎アニメである。宮さんは後に、すべてを近藤さんに任せなかったことを後悔している)。

「コクリコ坂から」は”心情左翼”宮崎駿の側面が炸裂!1963年の日本を舞台に、安保闘争やら学生運動へのノスタルジーを高らかに歌う。ヒロインの父親が船乗りで、朝鮮戦争時に米軍の後方支援=LSTに従事し、撃沈されたという設定にはびっくりした(つまり、日米安保の犠牲者というわけ)。

ポスターなどタイトルにが使われているのがミソ。コクリコとはフランス語で「ひなげし(虞美人草)」の意味で、フランス国旗(トリコロール)にはひなげしの赤が使われているそう。ヒロインはその三色旗を掲揚するが、日の丸は揚げない。ゆえに、この映画は「の豚」に繋がっている(「紅の豚」の挿入歌はパリ・コミューン時代に流行ったシャンソン「さくらんぼの実る頃」)。

ヒロインは皆から「メル」という渾名で呼ばれている。「何で?」と疑問に想いながら観ていて、途中でハッと気が付いた!彼女の名前「海」はフランス語で"La mer"(ドビュッシーの曲名)。だからカルチェ・ラタンも登場するんだね。

ヒロインが憧れの先輩と自転車の二人乗りをする場面は「耳をすませば」を彷彿とさせ、胸がキュンとなった。そして伏魔殿のように起立するカルチェ・ラタンは「千と千尋の神隠し」の湯屋みたいだし、途中それが「カリオストロの城」の時計塔に変身する。

時代考証をしっかりして、細部まで丁寧に描かれているのはさすがスタジオ・ジブリ。クオリティは高い。

しかし、演出に欠けているもの。つまり父にあって息子にないもの。それは映像の「スピード感」と「躍動感」。これは生まれもったセンス、天賦の才能だからどうしようもないよね。

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2011年8月 5日 (金)

月亭遊方×津軽三味線!

8月2日(火)、夕方に天六の洛二神で魚系の、あっさり和風中華そばを食す。美味なり。

Yu2

そこから徒歩で音太小屋へ。

Ufo2

月亭遊方の未知との遇」第1回。客の入りは55人くらい。盛況。場所が分かりにくく、道に迷ったお客さん多数。

今回は竹山流津軽三味線の野崎竹勇雅(のざきちくゆうが)さんとの共演。盲目の名人・高橋竹山の孫弟子にあたる。大阪・泉南出身で、夫の転勤で青森へ行き、銀行のOLをしていた時に津軽三味線と出会ったそう。23歳だった。そして習い始めて4ヶ月で当時80過ぎだった竹山と対面、「何か弾いてみなさい」と言われたが恐れ多くて弾けなかった。しかしその後、竹山に自分の演奏を聴いてもらえる機会は2度と訪れず、今ではあの時のことを後悔していますと。その後も全国十ヶ所を転々とされたとか。今後のことを訊かれ、「竹山の曲が大好きなので、極めたい」とも。

遊方さんは野崎さんのことを「はんなりした女性だけれど、一方でピンと立ったところもあり、そこにSomethingを感じました」と。

今回の会、チラシには

未知なるジャンルとの一体感!遊方の刺激的なクロスオーバー・ステージ

と書かれていたので、当然落語と津軽三味線の共演があるものと想っていた。ところが落語→三味線→対談→仲入り→三味線→落語という風に交代交代に演じるだけだったので肩透かしを食らった。「一体感」もなければ「クロスオーバー」もしない。がっかりした。

しかし、竹勇雅さんのパフォーマンスは聴き応えがあった。最初のステージでは「新じょんがら節」「津軽三下り」「剣心」「あいや節」、そして夫が長野県に転勤となった折、親しんだ善光寺の鐘の音をイメージしたオリジナル「津軽曲弾き」を披露。津軽三味線は野太い音で切れ・迫力がある。「弾く」だけではなく、撥(ばち)でパシッ!と「叩く」ようにする打楽器としての側面があり、そこがユニーク。また、撥の反対側で弾く奏法もあった。

休憩を挟みポップス篇。三味線プレイヤー・上妻宏光(あがつまひろみつ)作曲の「刹那」、「テイク・ファイヴ」(伴奏の音源とピッチが合っていないのが些か気になった)、そしてチック・コリア作曲「スペイン」で〆。

Yu1

さて落語の方だが、客席にアンケートを取ると、今まで月亭遊方という噺家がいたことを知らなかった人が約半数。遊方さんはネタを迷いながら二席。

  • ちりとてちん(カジュアル古典)
  • 怪奇ホテル・オソレミオ(遊方 作)

ちりとてちん」は七転八倒、エキセントリック。そして汚い。創意工夫は感じるが、やりすぎ(too much)かな?ちょっと引いた。

怪奇ホテル・オソレミオ」のマクラでは大学生の頃、清里のユースホステルに泊まった時の想い出などを語られた。大体ああいう所には「仲良し3人組」の女の子たちが宿泊していて、出る食事はただの海草サラダなのに「ポセイドンからの贈り物」、黒パンは「ライ麦畑でつかまえて」とかいった凝ったネーミングが付けられていると(場内爆笑)。またリゾートホテル「エクシブ琵琶湖」で師匠の八方さんと親子会をしに行ったとき、落語+食事で昼が2万8千円、夜が3万2千円という料金設定で驚いたそう。それでも定員100名がいっぱいだったとか。このネタは文句なしに面白かった。

開演時間が19時半で終わったのが22時15分。遅すぎる!次回から何とかして欲しい。

今年が入門25年目の遊方さん。「そうじゃないんだ」と言いたくなるようなもどかしさもあり、また一方では「まぁこれが彼の愛すべきところだな」と想う側面もあり、相反する複雑な感情を抱きつつ、帰途に就いた。

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2011年8月 2日 (火)

金原亭馬生・桂雀々 二人会

7月31日(日)TORII HALLへ。

  • 桂 優々/ん廻し(田楽喰い)
  • 金原亭馬生/らくだ
  • 桂 雀々/船弁慶
  • 対談
  • 桂 雀々/疝気(せんき)の虫
  • 金原亭馬生/唐茄子屋政談

トリイホールは平成七年の出演以来、十六年ぶりという馬生さんは上品で軽やか。もの静かな語り口。

一方の雀々さんは冒頭から「お日ぃさんが、カ~ッ!!」と、枝雀師匠の在りし日の姿を再現し、マシンガン・トークで言葉を畳み掛ける。圧巻。馬生さんが「エネルギッシュな高座」と褒めると、「馬生兄さんがNHKとすると、私は民放」と。芸風が全く対照的なお二人。

対談では襲名の話。前名「馬治」から「馬生」の名を継いだ時の気持ちは、来年、文枝を襲名する三枝さんの言葉を引用し、「今でも『私でいいのか』という自責の念に駆られます」と。古今亭志ん馬師匠から指名されたそうで、「うちの一門は先代(馬生)の教えに従い、(自ら)しゃしゃり出たりしないんです」

雀々さんは一度、枝雀さんから「名前を返してくれるか?」と言われたことがあるそう。そして自分の「枝雀」と交換しようと。そこで雀々さんは「いらん」と言ってしまい、師匠を怒らせたとか(場内爆笑)。またある時、「名前を襲名するのはありきたりだから、屋号を変えたらどうか」と言われた。枝雀さんの提案は「雀々家雀々」(じゃくじゃくや じゃくじゃく)。上から読んでも下から読んでも同じだから。また、人から「こいつ、じゃくじゃくや、じゃくじゃく!」と言われたら面白いだろうと。

馬生さんからは「言葉の違いからなかなか東京で受け入れられなかった上方落語の面白さを初めて理解させたのは枝雀師匠。流れを変えた」と。また上方の大名跡・桂文治が東京に移ってしまった経緯も話題に。

江戸落語「唐茄子屋政談」を聴くといつも感じること。若旦那が貧しい母子にあげたお金を「因業な」大家が店賃として取り上げてしまい、最後はお上に厳しく裁かれるのだが、僕は4ヶ月家賃を払っていない母子が悪いのであって、大家の行為は正当だと想うのだが、間違ってる?これだから人情噺は……

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