ザ・シンフォニーホールへ。
大植英次/大阪フィルハーモニー交響楽団で、オール・チャイコフスキー・プログラム。
- 法律学校(学生)行進曲(ミステリーピース II)
- ヴァイオリン協奏曲
- 交響曲 第5番
前回、曲当てクイズのミステリーピースはサッパリ分からなかったけれど、今回は楽勝。格調高い行進曲で、エルガーの「威風堂々」やウォルトンの「王冠」「宝玉と王の杖」等を彷彿とさせる。正解は9月2日に公式サイトで発表された。生き生きとして歯切れよい演奏。なお、このミステリーピース。な、なんと楽員にも曲名が明かされていないことが判明!!詳細は→こちら。う〜ん、徹底している。これなら奏者から解答が漏れることもないし、実にフェアなやり方だ。
コンチェルトの独奏はソヴィエト連邦(当時)生まれのボリス・ベルキン。彼のヴァイオリンは以前一度生で聴いたことがある。
指揮者の井上道義さん(ミッキー)はベルキンについて「初めて会ったときは狼みたいな奴だった」と語っている。
第1楽章で彼は「赤ずきん」ちゃんに登場するオオカミの如く爪を隠し、物静かなおばあさんの擬態をする。第1主題は弱音で開始され、囁くよう。大植/大フィルは揺りかごのようなやさしさでそれをバック・アップ。そしてヴァイオリンは次第に力強くなり、激しさを増す。カデンツァでは芯の太い音で聴衆を魅了。
穏やかで憂鬱なセレナードを奏でる第2楽章を経て、第3楽章でベルキンはそれまで被っていた皮をかなぐり捨て、荒々しい野生の本性を露にする。ヴァイオリンが吼える!凄みのある鋭い音で煽り、その挑発にオケも応える。スリリングなパフォーマンスが展開された。お見事!
休憩を挟みシンフォニーへ。
大植英次さんのチャイコフスキーをしばしば実演で聴くようになって、楽想中何度か現れるゲネラルパウゼ(総休止)の意味を考えるようになった。その沈黙は一体、何を語ろうとしているのだろうか?
例えば第1楽章、序奏に登場する循環主題について作曲家は「運命に対する完全なる帰依」だと語る。第1主題は「不平、疑い、訴え、非難」を意味し、第2主題は「信仰に身を捧げるべきか?」と書かれている。
チャイコフスキーはゲイだった。彼の偽装結婚は直ちに失敗し、入水自殺を図る。ならば運命とは「ゲイとして生を享けたこと」であり、「不平、疑い、訴え、非難」は同性のパートナーに関する感情、「信仰に身を捧げる」とは自分の性癖を諦め、禁欲することだとも解釈出来るだろう(当時のロシア正教会はゲイを罪人であると見做していた)。そしてそれらもろもろの感情、心の葛藤がゲネラルパウゼに込められているような気が最近僕にはしてきたのである。
大植さんの解釈は序奏、たどたどしく何かを訴えるかのよう。そして苦悩は次第に激しいものとなる。アレグロになり第1主題が登場しても足取りは重い。しかし一転、弦楽器による第2主題は手が届かないものへの憧憬がある。
大植さんの「は〜っ」という大きなため息と共に開始された第2楽章はじっくりと歌う。ここでホルン・ソロを担当した池田さんの調子が悪く、残念なパフォーマンスとなった。
第3楽章のワルツは夢見るようでエモーショナル!一方の中間部は小気味いい。
第4楽章の序奏は威風堂々。一気に速くなる主部の第1主題は激烈で嵐の如し!ここまでは大変な名演だったのだが、第2主題が登場する箇所で木管が入り損ねる(落ちる)という痛恨のミスが発生。折角盛り上がった気持ちが、スッと冷めてしまった。その後アンサンブルは持ち直し、凱旋行進曲のように運命主題を高らかに歌う終結部で大植さんは指揮する手を止め、頷きながら演奏するオーケストラの楽員たちを見守った。
なお、第1楽章半ばで熱演の余り長原コンマスの弦がプツンと切れた。長原さんは隣の奏者と楽器を交換。そこから最後方の奏者まで、ヴァイオリンがリレー式に受け渡されて行く。修繕された楽器は第2楽章中間部、逆順のリレー式で長原さんの手元に戻っていった。面白いものを見せてもらった。
チャイコフスキーは大植さんの十八番だけに聴き応えのあるものだったが、交響曲で大フィルの優秀な弦の足を、金管や木管が引っ張る形となり、悔いを残す結果となった。
「弦高管低」……このバランスの悪さは現在の大フィルが抱える大きな課題であり、今後克服していく姿勢が求められている。
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