テーマは3!〜大植英次/大フィル 定期
7月14日(木)、快晴。
ザ・シンフォニーホールへ。
大植英次/大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会を聴く。
プログラムは、
- クレンペラー/メリー・ワルツ(日本初演)
- ベートーヴェン/三重協奏曲
- ラヴェル/ピアノ協奏曲
- R.シュトラウス/歌劇「ばらの騎士」組曲(ロジンスキー編集)
今年2月、大フィル定期のテーマは9。
そして4月のテーマは2だった。
そして今回は3。冒頭と掉尾を飾るのがワルツ(3拍子)で、間にトリプル・コンチェルトを挟む。また、名指揮者オットー・クレンペラーの「メリー・ワルツ」はオペラ「目的地」(Das Ziel)のために作曲された音楽。つまりプログラムはオペラーコンチェルトーオペラという構成になっており、これを一種の複合三部形式と見立てることも可能だろう(ちなみにクレンペラーは1911年の夏、R.シュトラウスの別荘を訪ねている。「ばらの騎士」はこの年に初演された)。
「メリー・ワルツ」は優雅で、レハールの「メリー・ウィドウ」を彷彿とさせる。途中、ホルンが不協和音を奏で、一瞬不安な空気がよぎる(作曲された1915年は第一次世界大戦中であり、時代の空気を反映しているのかも知れない)。三部形式。中間部はワルツでなく、闊達な音楽。ロッシーニのタランチュラを連想した。愛すべき佳作。これから日本でもどんどん演奏されることを期待する。
ベートーヴェン/トリプル・コンチェルトのソリストは長原幸太(ヴァイオリン)、趙 静(チェロ)、デニス・プロシャイエフ(ピアノ)。
この曲はつい先日、オーギュスタン・デュメイ(Vn.)、パヴェル・ゴムツィアコフ(Vc.)、児玉 桃(Pf.)で聴いた。ほぼ同じ位置(座席)だった。
今回の演奏は、しなやかに歌うオケに不満はない。若芽萌える春の息吹を感じた。ただソリストはいただけない。雄弁なデュメイやゴムツィアコフと比べ、線が細く、楽器が鳴らない。ベートーヴェンなんだからもっと力強さ、揺るがない前向きの意思(「馴れ合い」ではなく、自己主張)が欲しい。内輪だけのサロン演奏じゃないんだから。
また、ラヴェルの協奏曲は昨年、菊池洋子さんで聴いた。
やっぱりどうしても比べてしまうのだけれど、プロシャイエフはべダルを多用しすぎ。印象派だからといってラヴェルの音楽は曖昧模糊とした響きにしては駄目だ。もっとはっきりしたイントネーションで演奏すべきである。菊池さんの方が断然良かった。
しかし、最後の「ばらの騎士」は速いテンポで畳み掛ける冒頭部から一気に引き込まれた。その後のテンポは伸縮自在の変化に富む音楽が展開される。
ウィーン・フィルがウィンナ・ワルツを演奏する時、そこには独特の「ウィーン訛り」がある。三等分に拍子を刻まず、(第1拍が強拍なのはそのまま)第2拍目を若干長く弾くのだ。つまり一般的な三拍子「ズン/チャッ/チャッ」ではなく、跳ねるように「ズ/チャッ/チャ」という風に聴こえる。その「ウィーン訛り」を今回大フィルはしっかり再現していたので、すこぶる感心した。
R.シュトラウスの濃密で魔術的なオーケストレーションを堪能。豊穣なワインの薫り。文句なしの出来映え!
第一次世界大戦前夜の1911年に初演された「ばらの騎士」は若い恋人たちを見た元帥夫人が、そっと身を引く「別れのオペラ」である。そしてそれは貴族社会、ハプスブルク家への別れを意味し、またやがてシェーンベルクやベルクが登場することで、調性音楽の終焉へも繋がってゆく。音楽監督勇退を表明した大植さんと大フィルの今にふさわしい楽曲であり、またその成果でもあった。
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コメント
雅哉さんこんばんは。
ブログをじっくり拝見して、雅哉さんの拙ブログでのコメントの趣旨を理解しました。拙ブログの根拠が曖昧な部分は変更したいと思います。
投稿: ヒロノミンV | 2011年7月16日 (土) 22時20分
ヒロノミンVさん、コメントありがとうございます。
今回の演奏会、「ばらの騎士」が超名演だったことは紛れもない事実で、twitterでの皆さんの意見も完全一致しているのですが、コンチェルトに関しては議論の分かれることろで、僕はソリストに対して否定的意見です。サロン的親密さは小さな会場なら有効でしょうが、コンサート・ホールでは如何なものでしょう?もっとスケールの大きさが欲しかったです。
投稿: 雅哉 | 2011年7月17日 (日) 00時37分
こんばんは。コンチェルト、14日の演奏は「サロン的親密」だったと思いますが、15日の演奏は「前向き」ののめりこんだものだったと思います。ここらへん、ちょっとしたことなのかもしれませんね。
投稿: ぐすたふ | 2011年7月17日 (日) 21時39分
ぐすたふさん、コメントありがとうございます。
この記事は定期演奏会2日目の公演前にupしました。もしかしたら・・・(笑)。
投稿: 雅哉 | 2011年7月17日 (日) 23時23分