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2011年4月 8日 (金)

三谷幸喜(作)「国民の映画」

大阪城公園の桜は満開。

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公園を散策し、森ノ宮ピロティホールへ。三谷幸喜 作・演出「国民の映画」を観劇。

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ナチス・ドイツの宣伝大臣ゲッペルス(小日向文世)邸のパーティに集う人々の一夜を描く。親衛隊長官ヒムラー(段田安則)やゲーリング元帥(白井 晃)、「エミールと探偵たち」「飛ぶ教室」「ふたりのロッテ」で知られる作家エーリヒ・ケストナー(今井朋彦)、記録映画「意志の勝利」「民族の祭典」の監督として知られ、女優でもあるレニ・リーフェンシュタール(新妻聖子)、サイレント映画時代、第1回アカデミー主演男優賞を受賞するも、ひどいドイツ訛りのためトーキー時代となりドイツに帰国したエミール・ヤニングス(風間杜夫)等が登場。様々な人間模様が面白い。上演時間3時間。三谷さんらしく一切の場面転換はなく、ワン・シチュエーションで物語は進行する。

物語はゲッペルスが自宅で執事フリッツ(小林 隆)に映写機を操作させチャップリンの「黄金狂時代」を観ている場面から始まり、ベルリン生まれでハリウッドに渡ったエルンスト・ルビッチ監督の「君とひととき」をふたりが観ている場面で終わる(映像は登場しない)。会話の中でチャップリンの「独裁者」(1940)やルビッチの「生きるべきか死ぬべきか」(1942)などナチズムを題材にした映画についても言及される。なおチャップリンとヒトラーの生年月日は4日しか違わず、「ヒトラーは実際に『独裁者』を観た」という元秘書による証言が残っている。チャップリンはそれを聞いて、「なんとしても感想を聞きたいね」と答えたという。

三谷さんは今回の作劇で「生きるべきか死ぬべきか」を相当意識したのだろう(かつて立川談志さんとの対談で、三谷さんはルビッチ作品への思い入れを吐露している)。また執事が映画通というのは明らかにビリー・ワイルダー監督「サンセット大通り」へのオマージュである(ワイルダーはベルリンで新聞記者をした経歴があり、ユダヤ系だったので後にアメリカに亡命)。ちなみに「サンセット大通り」で執事を演じたのはオーストリア生まれの偉大な監督エリッヒ・フォン・シュトロンハイムであり、彼もユダヤ人であった

三谷さんが嘗て渡米しビリー・ワイルダーの仕事場を訪ねた時、"How would Lubitsch have done it?"(ルビッチならどうする?)という額が飾ってあり、帰国した三谷さんはそれに倣って「ワイルダーならどうする?」という額を自宅の壁に掛けたそうだ。

ゲッペルス夫人を演じた石田ゆり子が浮世離れして、ほんわかした雰囲気を醸し出し、秀逸。嘗ての三谷作品のヒロインでは酒井美紀とか堀内敬子に似た役回り。

ツァラ・レアンダー役のシルビア・グラブを中心に、ミュージカル界で活躍する新妻聖子と、「オケピ!」以来の三谷作品出演となる白井 晃ら三人が歌う場面が特に良かった。白井さんの歌を聴くのは本当に久しぶりだなぁ(ミュージカル「オケピ!」初演・再演で白井さんが演じた役は異なる)。

音楽および舞台上でのピアノ演奏も担当する荻野清子は今回、いい仕事をした。映画「ザ・マジックアワー」における彼女の音楽はどうしても好きになれなかったのだが。

戦争中、全体主義を爆走する国家において、芸術家がどのように「表現の自由」を守ろうとしたか?という本作のテーマは読売演劇大賞最優秀作品賞を受賞した三谷さんの「笑の大学」に共通するものがある。しかし、「笑の大学」は弾圧する検閲官と劇作家の間に次第に友情のようなものが芽生え、最終的にはある種の共犯関係を築くという意外な展開が待ち構えているのだが、その驚きが「国民の映画」には欠けている。三谷さんが最近好んで描いてきた《チームの崩壊》という結末は、単なる予定調和でしかない。コメディとしてもその場限りの《姑息な笑い》に終始している印象を受けた。

ゲッペルスは映画を愛しており、ヒムラーは虫が好き。それぞれが人間らしい側面を見せる。しかしそんなことは当たり前であって、21世紀の作家たちが取り組むべき課題は、そういった「普通の人々」が何故ユダヤ人のホロコーストという「狂気」に駆り立てられたのか、その心理的メカニズムを解明することにあるのではないだろうか?僕はそう考える。

だから三谷さんの「12人の優しい日本人」「彦馬がゆく」「笑の大学」「コンフィダント・絆」などをA級作品とするならば、「国民の映画」の出来はBクラスと言わざるを得ない。題材が消化不良、練りが中途半端なんだな。

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国民の映画」はどうしても「笑の大学」の二番煎じという印象を拭い去れないが、今回ナチス・ドイツをテーマにしたのは、海外で上演しやすい(オファーが来る)戯曲を書くという狙い(色気)があったのでは?と邪推する。ちなみに日本を舞台にした「笑の大学」は"The Last Laugh"というタイトルで、ロンドン・ウエストエンドでも上演された。

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コメント

 毎回、楽しく拝読させていただいてます。
B級ですか。三谷氏もそう毎回ヒットはうてませんよね。題材が難しいから私などついてはいけないかな。こんなにたくさん役者がでてくる三谷舞台の観劇は音二郎以来なので、楽しみにしているのですが……。そういえば
音二郎も私が期待する三谷舞台ではなかったです。でも!せっかくなんで楽しんで観てきまーす。

投稿: ディズニーラブ | 2011年4月10日 (日) 14時29分

私は…『「普通の人々」が何故ユダヤ人のホロコーストという「狂気」に駆り立てられたのか』ということが、狂気である、ということに気がつかなかった人々…を描いた舞台ではないか、と評価します。
プレビュー、東京千秋楽の二回拝見しましたが…

一番長い期間、最も身近に接していたはずの「彼女」に言わせた、ラスト近くの「何気ない一言」にこそ、三谷氏の描きたかった本質があるのではないか、と感じました。

「笑の大学」とは、題材の本質が異なるかなぁ、と思います。

私感です。秀逸。

投稿: way | 2011年4月16日 (土) 03時34分

お二人のコメント、ありがとうございました。「国民の映画」は確かにB級作品ではありますが、キャストが魅力的なので再演されればきっとまた、観に行くと想います。決して嫌いじゃないので。

しかしコメディとしては気持ちよく笑えないし、逆にそれほどシリアスでもない。バランスが良いというよりも、やはり中途半端な印象は拭い去ることが出来ませんでした。

投稿: 雅哉 | 2011年4月16日 (土) 08時46分

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