第6回 なんことけいこ ~太閤記の巻~
動楽亭へ。
講談師・旭堂南湖さんと浪曲師・春野恵子さんとの二人会。客は今回少なめで19名。恵子さん目当てで、東京から来た人も。
- 旭堂南湖/講談・矢矧橋(やはぎばし)
- 春野恵子/浪曲・出世太閤記 ~秋風矢矧の橋~
(曲師・一風亭初月) - トークコーナー・恵子のギモン ~なんこ兄おしえて!~
- 旭堂南湖/講談・長短槍試合
南湖さんは高座にある釈台(しゃくだい)で喋り、
客席反対側には浪曲のテーブル(演台)が設置され、恵子さんはそこで立って演じられた。
恵子さんのネタは、入門して最初に師匠から教わったものだそう。今回の打ち合わせで、南湖さんから「時間はどれくらい?」と訊ねられて「28分です」と答えたら、「生意気な」と言われたとか。講談の場合、その場の雰囲気で長さが変わるので「大体30分くらい」としか言えないが、浪曲ではきちっと型が決まっておりそれほど時間が前後しないので、分刻みで申告する習慣なのだそう。
同じ物語を講談と浪曲で聴き比べるのは面白い。矢矧橋で秀吉(当時:日吉丸)が出会う人物が違う。
明治の著名な講釈師・玉龍亭一山(ぎょくりゅうてい いっさん)は「太閤記」一本で、他は一切手がけなかった。彼の続き読みは元旦に秀吉が生まれるところから始まり、そこから一年かけ、大晦日に秀吉が死ぬところで読み終わりになったという。落語「くっしゃみ講釈」に登場する後藤一山は彼をモデルにしており、口調もそっくりだそう。
南湖さんが1999年に三代目(先代)旭堂南陵に入門した時、師匠は既に82歳(その6年後に亡くなった)。「弟子にしてください!」と言うと、あっさり「うん」との返事。4月に入門して初高座は6月の「太閤記 ー天王山のとりやりー」。師匠の手本をメモに取ったり、テープ起こしたりして学んだ。「適当にやった方がいい」と助言されたという。滋賀県出身ということから、日本一になれという願いをこめ、琵琶湖に因んだ”南湖”という名を頂いた。内弟子ではなく、最初は生活できないので寿司屋でバイトをやったという話も。
春野さんは東京から夜行バスに乗って大阪・国立文楽劇場で弟子入り志願をした。最初は声調べ(音程のチェック)があったそう。”凛子”という名前を師匠から提案されたが、当時は渡部淳一の「失楽園」が流行っていて、そのイメージが強いので「ちょっと……」と断り、本名の恵子で収まった。
会場では桂ざこばさんの新弟子・あおばくんがお手伝い。そこで南湖さんが彼のエピソードを披露。ざこばさんは彼のために「ふたば」と、もう一つ別の芸名を考えていたそうだ。師匠から「どちらか選べ」と言われると、彼は「易者から『あおば』の字画がいいと言われました」と自ら申し出たという。う~ん、大物だ。
またトークでは、恵子さんが南湖さんに「もしお兄さんのところへ女性の入門志願者が来たら、どうされますか?」と質問。しばし沈黙の後、「……奥さんがどう言うかですね」と南湖さん。ここからさらに大変興味深い会話が続くのだが、それはまた、別の話。残念ながら、そろそろお時間です。
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